Fate/alter Seven Sight ――the Next Sight――   作:どっこちゃん

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三章ー1

(水曜日・昼間)

 

 気分は、最悪に近かった。

 

 意識が覚醒して、ルベルがまず確信したのがそれであった。

 

 昨夜(ひび)を入れられた箇所、他、細々とした傷を治すのに手間取った。手間取ったというのは技巧の上のことではなく、心情的な部分が大きい。

 

 錐人といい、島原といい、弟子を取り返したあとならいくらでも相手をしてやるというのに、今回に限ってこんな序盤からちょっかいをかけてくるとは!

 

 ――もっとも、もとより終盤までは穴熊を決め込むつもりだったルベルがああして出歩いていることが、奴らにしてみれば(はなは)だしくただならぬ状況と映ったのかもしれない。

 

 まったく、あの弟子の不始末のせいで予定が狂いっぱなしだ!

 

 ルベルは奮然と、しかしフラフラ歩く自分の行先を邪魔した化粧台を、荒っぽく押しのける。豪奢な化粧台は周囲にあった調度品を巻き込むようにして、ドミノ倒し式に倒壊した。

 

「――――」

 

 ルベルは呆然とそれを見つめるものの、どうしようもないので、見なかったことにして、何時ものようにミネラルウォーターを取り出そうとした。

 

 しかし、ふとそこで懐かしい香りが漂ってくることに、ようやく気がついた。

 

 見れば、ベッドの脇に淹れてから間もないと思われるカップが置いてあった。どうして気がつかなかったのか。

 

 何も考えずに口をつけると馴染み深い感慨が彼女の五体を満たし、バラバラのピースが一気に組み上がるような勢いで彼女は覚醒した。

 

 ああ、悪くない。弟子の淹れるお茶を百点だとすると、これは八十五点といったところか。いや八十七、八点くらいあげてもいいかもしれない。

 

「お目覚めでございますか? ミセス」

 

 見ていたようなタイミングで、寝室にメイド姿の恋が入ってきた。

 

「……ええ、ありがとう。久しぶりにまともなお茶をもらったわ。正直生き返った気分よ」

 

「恐れ入ります」

 

「恋、ただ、」

 

「はい?」

 

「ミセスはやめてちょうだい。家の中ではマスターと呼べばいいわ。マスター・ルベルと」

 

「承知いたしました」

 

 その後、ルベルは、昨日と同じように一連の情報に目を通す傍ら、恋の手を借りて身支度を整える。家の中に居るのは家人ばかりではない。昨日のような醜態を晒すわけにもいくまい。

 

 軽く食事も済ませ、実に数日ぶりに彼女は完全なルベル・フォン・シュタウフェンとして「完成」した。

 

 誰もが見とれるであろう、玻璃細工の薔薇(ローズクォーツ)のごとき優雅さを身に纏い、彼女は磨き上げられた屋敷内を闊歩する。窓から差し込む陽光が喝采を送るかのように輝きで彼女を彩り、踏みしめる絨毯の感触さえもが彼女の帰還を言祝(ことほ)ぐかのようである。

 

 くろむが家を出てしまってから忘れていた感覚であった。充足感のせいか、怜悧な声色にも常には無いほどの軽やかさがある。

 

「何か変わったことはあったかしら? アズルはちゃんと朝食を取ってる?」

 

「はい、問題はありません。ヴィル様がご一緒だと食も進むようで」

 

「そう」

 

 表にこそ出さないが、ルベルは深く安堵した。くろむが屋敷を去ってからというもの、食事が味気なくて食が進まないということはルベルにもよくあったからだ。

 

 料理の腕ということもあろうが、やはり寂しかったのだろう。もともと食の細いアズルは以前にもまして消沈した姿を食卓で見せていた。

 

 どんな理由であれ、それが改善したというのは素直に嬉しい。アーチャーが姿を表したのは、むしろ都合がよかったのかもしれない。

 

 無論、あのサーヴァントに面と向かってそんなことをいう気はまったくないが……。

 

「それと、代行はどうしているかしら? 妙なことはしてないでしょうね」

 

「はい、特にはなにも。ですが、今朝は早くからお供の方々を引き連れて外出なさっておいでです。マスター・ルベルが起きられるまでお待ちになってはと進言したのですが、大した用事ではないから、と言われまして」

 

 一体、何を考えているのか――。ルベルは押し黙り思考に耽溺する。

 

 やはり頭痛の種は一行につかめぬ弟子の行方と、あの代行の行動にいちいち過敏にならねばならないということだ。

 

「マスター、やはりお留めするべきでしたでしょうか?」

 

「いいえ。いいわ、好きにさせておいて。あなたの仕事は次第点よ。悪くないわ。これからも細かい部分はあなたに任せます」

 

 その言葉に恋は堂に入った仕草で一礼した。

 

「それで、教会の使徒達はどうしているの?」

 

「昨夜から逗留していたお二人は早朝に別の二名と交代を。早朝に来た方々のうち、ひとりは代行殿に付かれ、ひとりは今この屋敷に残っておいでです」

 

 恋と共に居間に向かうと、居間に通じる扉の前に修道衣姿の女の姿があった。

 

 唯一名前を覚えている少女であった。画一化された無個性な少女たちの中にあって、何ら主張するところもないのにかかわらず、強烈な異彩を放つ存在。

 

 名は、確かフォリア・ディ・フィーコ。

 

こんにちは(グーテンターク)。ミセス・シュタウフェン」

 

おはよう(・・・・)で結構よ。ミス・フォリア。私もこの国に来て長いわ」

 

 使徒フォリアはルベルに向き直り、丁重に礼を取る。

 

「では、おはようございます。――不躾ですが、この状況を説明していただけますか」

 

 彼女の理知的なで静かな声の中に、ひどく剣呑なものを聞きとめ、そこでようやく、ルベルは居間のソファーに腰掛けている小柄な人影を見つけた。――そこにいるはずのない少女を。

 

「はじめまして、ミセス・シュタウフェン」

 

 ルベルもその光景を前に、呆気にとられざるを得ない。

 

「――島原の次期当主。島原、夕子」

 

「おじゃましておりますわ」

 

 古めかしくも絢爛な気配を纏う少女は音もなく立ち上がり、笑顔のまま、優雅そのものといった仕草で礼を取った。

 

 ルベルはとっさに恋を見る。こんなことがあってなお、それを報告しなかったのは叛意どころか明らかに異様な事態――なのだが、当の恋もこれには目を丸くしている。どうやら、彼女もこれを初めて知ったらしい。

 

 ということは、彼女がルベルの寝室に来ていたわずかの間に、この少女はここまで入り込んでいたとうことなのだろうか?

 

 島原――言わずと知れた、この地で開催され続けてきた聖杯戦争における御三家の一角、この地を千年以上もの間支配し続けている魔道の大家。

 

 その次期党首にして、此度の儀式に置いてはサーヴァントのマスターとなっているはずの、まさしく島原にとっては中枢、心臓と言ってもいい人物なのだ。

 

 それが、あろうことか単身で、このシュタウフェンの屋敷に乗り込んでこようとは!

 

「そのようね。――けれど、あなた、家主の許可もなく……」

 

 さしものルベルも、これには瞠目せざるを得ない。もしも、もしも昨日のように寝間着姿のまま出て来ていたらどうなっていたことか。考えるだにぞっとする事態である。

 

 が――しかし、今のルベルは一部の隙もない完全体であった。少々眉根を顰めはしたものの、それ以上の動揺を漏らすことはなかった。あくまで凛として静かな声色で、魔術師、ルベル・フォン・シュタウフェンは、

 

「あ、母さん、起きたの?」

 

 すると、トレイを持ったアズルが居間に入ってきた。

 

「ア、アアズル!? ……学校はどうしたの?!」

 

 ルベルは思わず大口を開けて頓狂な声を上げてしまった。しまったと思いつつ島原の少女を見ると、

 

「臨時休校ですの。――昨夜は学校のほうで()騒動があったようで」

 

 御しとやかに微笑みつつ、そう言った。

 

「申し訳ありません。知っておいでかと……」

 

 恋が言った。ルベルは絶句せざるを得ない。いまさら文句を言っても後の祭りである。何より、愛息子の学校行事のことくらいわかっているという自負の念から、この手の報告はしなくていい、などとと言いつけたのは確かに自分であった。

 

 いつもなら真っ先に確認することなのに――今日に限って……ッ!

 

 だが、しかし、とにかく、もはや面目も何もあったものではないが、それでもルベルにはまずこれだけは言っておかねばならなことがあった。

 

「……アズル、ひとりで火を使うのはやめて頂戴」

 

 よって、まずは注意を促す。大事なことだ。

 

「ごめんなさい。誰もいなかったから僕が淹れたんだけど、慣れないから手間取っちゃった。やり直してもらったほうがいいかな」

 

「いいえ、嬉しいです。とても……。御坊(ごぼう)たちは庭にいるので、よければ持って行ってあげてください」

 

「うん」

 

 心底幸せそうに微笑んだ夕子に緑茶を手渡すと、アズルも頬をほころばせてトレイを持ったまま中庭に向かった。

 

 先ほどの威容は影を潜め、もはや憔悴して老け込んでさえ見えるルベルも、夕子と向かい合うようにソファーに腰掛ける。

 

 しかし、夕子は悠然と行儀よくお茶をすするばかりである。本来なら来訪者の方から要件を述べるべきであろうが、この醜態を晒した状態でそれを促すのも気が引けた。何よりも格好がつかない。

 

 不満不服も甚だしいが、この状態では自ら口火を切るより他なかった。

 

「……人の息子に給仕の真似をさせるのはいただけないわね。味の方はどうかしら」

 

 ルベルは苦々しい心情を諌め、出来得る限りさり気に問うたが、さて、様になっているかどうかは判断の分かれるところであろう。

 

「結構な御点前ですわ。とても渋くて、ぬるいです。けど本当にうれしい……」

 

 この手のことが不得手なのはシュタウフェンの血筋の宿命らしい。

 

 ルベルの背後にはメイド服姿の恋と修道女姿のフォリアが立つ。

 

「恋さんもお久しいわね」

 

「ご無沙汰しております、夕子お嬢様」

 

 思いのほか親密な空気の夕子と恋の様子に、ルベルは少し眉を顰めた。

 

「彼女とは近しいのかしら?」

 

 ルベルは恋に問うたが、返答は夕子の方から帰ってきた。

 

「はい。子供の頃から迷惑をかけておりますの」

 

「そのような……」

 

 恋は恥じ入る様に目を伏せた。しかし、彼女もこの状況にも困惑しているのは確かなようだ。彼女とて、ここに島原のマスターである夕子が姿を見せるということの意味を知らない訳ではないのだろう。

 

「それで、そちらは? まだ挨拶をしていませんでしたので」

 

「教会の使徒よ」

 

 ルベルの目配せを受け、僧衣を纏った少女は礼を取る。

 

「フォリアと申します。教会にて臨時の監督補佐を」

 

 夕子は再びお茶をすすってから頷いた。

 

「監督殿の訃報については聞き及んでおりますわ。大変ですわね」

 

「自己紹介は済んだかしら? それで?」

 

 事の仔細が見えないからか、さすがにルベルは声がとがるのを抑えられない。

 

「それで、とは?」

 

「何故島原の次期当主が私の知らない間に、シュタウフェンの陣地にいらしたのかしら」

 

「知らない間に!? ……」

 

 驚愕の声を漏らしたのはフォリアである。彼女はちらりと恋を見たが、すぐに視線を戻す。夕子の知古である恋が手引きした――という可能性は、しかしゼロである。

 

 彼女が何をしたところで、ルベル自身に気づかれぬうちにその拠点である屋敷に入り込むなどということは、できない。

 

 本人に気づかれぬうちにその内蔵を摘出して見せたようなものだ。それはフォリアにも、そしてこの場にはいない代行にもいえることだ。何者にも不可能なのである。

 

「大したことではありませんわ。学校がお休みなりましたので、お友達の家にお招きに預かっただけのこと」

 

 しかし、それをこの少女はやってのけた。だからこそ、ここに居るのである。

 

 夕子は伏せていた視線をルベルへ向け、その緋のような眼を怖じることもなく真っ直ぐに見つめる。

 

 さて、この大胆極まる行為が、幼さゆえの無謀なのか、それともこの歳にして持ち合わせる、それほどまでの豪胆の性質(たち)なのか、ルベルには未だ判じきれない。

 

 ただ、この漆黒の髪と瞳はこの国の女性に特有のものだ、と少女を見据えながらルベルは改めて思う。まるで黒曜石を想わせる黒の深みは他の人種では真似できない。――ルベルは深く嘆息する。

 

「お友達、ね。……けれど、それで済む話ではないわね。島原がシュタウフェンを訪ねるのにアポなしでは、さすがに困るわ? 特にこの時勢では、あまりにも軽率ではなくて?」

 

 そういうと、少女はあら? と小首をかしげた。

 

「おかしいですわね。昨夜私のサーヴァントが、たしかにお伝えしたはずですが? お話は後日に――と」

 

 サーヴァント? ルベルはそこでハッとして中庭に居たアーチャーの視界を自分のそれを繋いだ。

 

 ルベルは、ようやく理解した。

 

 いま中庭にいるのは彼女のサーヴァント、アーチャーだけでなく、ランサー。あの禿頭の槍兵までもが既にこの屋敷の中にいるのだ。アサシンのように気配を消しているのではない。静かすぎて存在を認識できなかったのだ。

 

 さしものルベルもこれには観念する他ない。己の体内に等しい陣地の中に敵性サーヴァントが入り込み、それを今の今まで己が知覚できなかったという事実。つまり夕子はその気ならばとっくにルベルもろともこの屋敷の中の人間を皆殺しに出来たということを意味する。

 

「――――まいったわね。そういうことなら、非礼はこちらの方だったかしら」

 

「お構いなく。本当に大した用ではありませんので」

 

「その用とは、――昨夜の貸しを返せ、ということでいいのかしら?」

 

 夕子はまさか、といって微笑む。

 

「強いて言うならば、貸しをもう一つ増やしに来たとでも言いましょうか?」

 

「もう一つの、貸し?」

 

 ルベルは目を細める。

 

「あなた様が知りたいと思っている情報です」

 

「マスター同士の交渉、ということね。――いいわ。恋、人払いをお願い」

 

 とはいえルベルは声が強張るのを抑えきれなかった。主導権を渡してはならぬという思いがなかったとは言えない。正直な話、交渉の席に着くには、彼女にはあまりにも材料が少ない。

 

「はい。ではフォリア様、こちらに」

 

「……」

 

「フォリア様」

 

「……ええ」

 

 フォリアと恋は連れ立って部屋を後にする。ルベルは手のひらに収まるようなラベンダー色のオイル時計をテーブルの上に置いた。ある種の結界がこの空間を端目にはわからぬ程度の感触で区切った(・・・・)。これで盗聴等の心配はない。

 

「サーヴァントたちを呼んだほうがいいんじゃないかしら?」

 

 ルベルが言ったが、必要ではないとでもいうように夕子は先を続ける。

 

「今呼んだのではアズルくんまでついてきてしまいますよ? けれども事情を話すわけにもいかない。なんでもないというだけでは、彼にいらぬ心労を与えてしまいますわ」

 

「……たしかに、その状態は私にとって絶対に避けたい事態だけど、どうしてあなたがそれを忌避するのかしら? 唯の友達なら――ここに来るための口実でしかないなら、あなたがアズルを気遣う必要などないでしょう」

 

 すると夕子は湯呑を置き、既に姿勢のよかった背筋をさらにピンと張り、微笑していた表情を引き締め、居住まいを正す。

 

「忌避する理由なら、大いにあるのです。あなた様と同様――いいえ、もしかしたらそれ以上に、わ、私はご子息のことを案じているのです」

 

「…………どういうことかしら」

 

 ルベルはそれまでの生涯であり得なかったような、気味の悪そうな怪訝な声を出した。

 

 夕子は一度だけ、ピンと伸ばした背筋を戻し、うつむいて膝下に視線を惑わせた。そして再び顔を上げ、しかしまたほんのりと染まった頬を隠すように、手を添えて視線を流しつつ、

 

「ですから、その、わたくしはできる限り貴女とも良い関係を築きたいと思っておりますの。――そ、そのわたくし、ご子息の、ア、アズル君のことを」

 

 と、先ほどとは打って変わって掻き消えそうな声を出す。

 

「いえ、いいわ。待って。それ以上言わないで頂戴」

 

 聞きたくない、とでも言うようにそれをルベルの声が遮った。

 

「……あまり、芳しくない反応ですわね、――お義母さま?」

 

「やめて頂戴。……本気なの?」

 

 ルベルは頭を抱えたまま片手を突き出して夕子の言葉を制する。しかし少女は身を乗り出して真剣な眼差しをこれでもかと向けてくる。

 

「冗談に見えまして?」

 

 見えない。確かに見えない。だからこその、このルベルの反応であった。流石に慮外の事態である。

 

「……よりによって、こんな時に? 島原のマスターが? しかも次期当首が? この私に、直談判? しかもその内容が――――?

勘弁して頂戴。流石に想定してなかったわ」

 

「時勢の危うさはわかっているつもりでしたが――、今言わねば話が先に進みませんし、理由がわからないままでは、私の情報も信じていただけないでしょう?」

 

 もはや何がなんなのかわからない。――ただ、魔術師としてではなくひとりの女として直感的に判じうるのは、この娘がどうしようもなく本気だということだけである。

 

 ルベルは深々と背もたれに身を沈めた。しばし瞑想するように目を閉じた。

 

「……まぁ、あなたが「シマバラ」でなければ、息子の男女交際くらい、親の出る話ではないというところでしょうけど、流石にね」

 

「ほ、本当ですか?」

 

 ルベルが脱力したままこともなげに漏らしたセリフに、夕子は食いつく。

 

「――なにがかしら?」

 

「その、もしも魔道の、家同士の確執さえなければ、こ、交際をご許可いただけますの?」

 

「ああ、それ? 嘘よ」

 

「う、うう嘘!? 嘘なのですか!?」

 

 夕子は令嬢らしからぬ奇声を上げ、そしてとっさに口元を隠した。が、もはや狼狽の相は隠しきれてはいない。

 

「ええ、嘘よ。アズルに男女交際なんて十年早いわ」

 

「……お、思った以上に厄介なお、――お義母さまですわね。よくそんなセリフを真顔で」

 

「何とでも言って頂戴。私の目の黒いうちは息子に変な虫をつけさせる気はないわ」

 

 夕子は眉をひそめて呆れたような顔をするが、ルベルは取り合わない。

 

 室内にはしばし――実際にはほんの少しではあったが、――永遠にも思える沈黙が蟠った。

 

「…………続けてもよろしいでしょうか?」

 

「何を続ける気かしら?」

 

「ですから、なぜ私があなたに情報を渡すのか、ということです」

 

「あら。泣いて逃げ帰るかと思ったけど、まだ粘るの?」

 

「まさか。今日ご許可をいただけるとは思っていませんでいたとも。顔を覚えていただいただけで結構ですわ。本題は」

 

「? 別にいいけど、あなたの顔を覚えておく必要なんてあるのかしら?」

 

 さも当然のことのように、さらに独り言のようにつぶやいたルベルに、夕子もそれまで微笑を湛えていた口元をヒクつかせる。彼女の生涯において、かつてない扱いであったのは想像に難くないが、それでも彼女はなんとか己を押し止めて続ける。

 

「ひ、ひどいことをおっしゃいますのね? ――ああ、こんなことがアズル君に知れたら、きっと悲しむでしょうね。不憫ですわ。まさか自分の母上が家に招いた級友をいじめていただなんて」

 

 それまで夕子に対して、厄介なで珍妙なモノ、という認識しか示していなかったルベルの視線に、明らかな変化な起こる。

 

「――聞き違えたかしら? あなたはアズルのことを案じている、とその口で言ったんだったわよね? それがまさか無用な心労を、わざわざアズルに伝える気なのかしら? その口から? まさかありえないわよねぇ」

 

 初めてルベルの見せた笑顔は、普段の彼女からは想像もできないほど朗らかなモノだったが、その視線には修羅でさえ呪い殺せそうな憤怒が込められている。

 

「ええ、もちろんですわ。でもアズルくんは私が落ち込んでいると気にかけてくれますし、それを無理に隠すのも逆に良くないでしょう? それにいくら隠してみても、きっと気づかれてしまいますわ。私が落ち込んでいるのは、きっと自分が家に招き入れたからだと」

 

 ルベルの呪詛の如き笑顔を、しかし夕子は涼しげな顔で受け流し、さも悲しげな様子でそんなことを語る。

 

 一笑に付してやりたいところだったが、たしかにアズルは優しい子だし、きっとクラスメイトが落ち込んでいれば気にかけることだってあるだろう。この娘がのたまった言葉に嘘はないのである。母であるがゆえに、ルベルにもそれが想像できてしまった。

 

「…………では、あなたが落ち込まなければいいわけよね」

 

 器用に歯を食いしばりながら微笑するルベルに、夕子も可憐としか言い様のない笑顔で応える。

 

「そういうことになりますわね? この場合、――お義母さまはどうなさる気なのかしら?」

 

「あなたはどうして欲しいのかしら」

 

「もちろん、いきなり交際を認めろなどとは言いませんわ。ただ、私のことを記憶の片端にでも置いてくだされば、それで」

 

「――――そ、そう。それなら」

 

「ああ、あと――今後、できればわたくしがアズルくんといるときはどこぞへ引っ込んでいてくだされば、なおよろしいですわね」

 

 もはやルベルの顔には取ってつけたような笑顔すらない。満面の笑みを浮かべる夕子との間で、昨夜の錐人との綱の引き合いすらまだぬるいと言える程の見えない鍔競り合いが火花を散らしている。

 

 しばし瞬きすらせずにそのような状態で膠着していたふたりの視線は、どちらからともなく逸らされた。

 

 あまり時間をかけていてはアズルが戻ってきてしまう。少なくとも、彼に余計な心労を背負わせたくない、という意味ではこの両者の意見は一致しているのだ。

 

「ま、前向きに検討しておくわ。――せっかく息子のお友達の言葉なんだものね」

 

「嬉しいお言葉ですわ。これで、親子の会話に話題が増えましたわね。アズル君もお義母さまと私の話ができるでしょうし」

 

「ええ、ただの(・・・)友達のね」

 

「――――ま、まぁ、いいでしょう。それでは晴れて本題に入れますわ」

 

 言って、夕子は水鳥のように流麗な所作で居住まいを正した。

 

「どちらが本題だったのかしらね? まぁいいわ。情報というのは、……もしかして私の弟子のことかしら?」

 

「はい。ランサーには他のサーヴァントにはないスキルがあります。本来のサーヴァントには見えざるものを見る眼です」

 

「……アーチャーの鷹の目でも探せなかったものを、ランサーが見つけたと?」

 

「はい。ですが、わたくしが出向いて、というわけにもまいりません」

 

「でしょうね。あなたの立場では動くに動けないはずだわ」

 

「ええ、昨夜と今日のことが家人に知れれば、わたくしは外出を禁じられてしまいます。ですので、そうなる前に取り急ぎ情報を渡すのが、わたくしが、アズル君にしてあげられる最大限のことなのです」

 

「…………正直ありがたい話だけど、いいのかしら? その弟子はあなたにとって最大の恋敵のはずだけど?」

 

 そういうと、今度は今までにないほど消沈した様子で夕子は黙り込んだ。

 

「知らなかったのかしら?」

 

「――存じておりましたとも。アズル君とお話するとき、話題の半分以上はその方のことですから」

 

「――――――一応聞くけど、私の話はどのくらいするのかしら」

 

「比べるつもりなら、お聞きにならない方がよろしいですわ」

 

「……」

 

 ふと、ルベルは遠くを見ながら思う。本当に、息子に母以上に慕われているあの弟子を救出してしまっていいものだろうか、と。

 

「だからといってこのまま良しとは思えません。姉君だけでなく件のお弟子様まで何かあっては……」

 

 しかし妙な気分だった。聞けば聞くほど、ルベル自身の心情を聞かされているような気分になってくる。

 

「その点だけは見上げたものね。――あなたとは敵同士だし、正直応援する気にもなれないけど、その点だけは、同意するわ」

 

「わかっていただけまして、お義母さま?」

 

「だけど、その呼び方はやめていただけるかしら?」

 

「将を射んとすればまずは……ということでございます。後々、いざという時に私に加勢して頂ければ、それで良し!」

 

 前のめりに意気込む少女の真剣な眼差しに、さて、とルベルは腕を組んで考え込む。

 

「……でもねぇ、私としては考えどころなのよ。何のかんの言って、くろむは家の身内だわ。だからくろむが正式に嫁になってくれるのが、個人的には一番なのよねぇ。あの子にひとり立ちされると、屋敷の方が立ち行かないのよ」

 

「大丈夫ですわ。それなら嫁入り道具として恋さんも持参します」

 

「あら、そこまで親しい相手だったの?」

 

 そういえば先程の見知ったふうであったのをルベルは思い出す。夕子は何かを思い出すように微笑を浮かべた。

 

「このあたりにはほかに子供がいませんので、昔はよく遊んでいただきました。姉のようなものです」

 

「それを家財扱いしていいのかしら……」

 

「信頼しているからこそ、そういうのです」

 

「……そうね。家財だからこそ大事にするようなところは、あるわよね」

 

 しれっと言った夕子に、ルベルは得心がいったように頷いた。セレブの基本的な認識として両者には通じ合う部分があるのかもしれない。もっとも、そのぶん一般庶民からしてみたらずいぶんと遠いところにいるということなのだが。

 

「……でもあなた、島原の跡取りでしょう? 息子を婿に出す気はないわよ? 魔道の家督と家はともかく、会社は息子に残すつもりだし」

 

「それはあくまで裏の、ということです。家を次ぐだけなら跡取りなどいくらでもいるのですよ。自分の進退は自分で決めます」

 

 さて、とルベルは目を細める。

 

 魔道の闇を甘く見ているのか、それともねじ伏せるだけの自信があるのか、どうもルベルにもこの娘の実のところが見抜けない。だからこそ、――息子のことを除けばある種の好感を得ているのも事実だ。そもそも歯ごたえのない相手など初めから歯牙にもかけないのがこの女魔術師の処世である。

 

「――いいわ、あなたの言うことを信頼してみましょうか、全面的にね」

 

「それはいざという時のときのことも含めて、でよろしいので」

 

「どうかしらね。――けど、一つ忠告しておくわ」

 

 ルベルは初めて見せる彼女本来の、鋭利に相手を睨みつけるような微笑を見せる。近しい相手にしか見せない、まるで生意気な少女のような顔だ。

 

「はい?」

 

「私の助力くらいじゃ、アズルの気持ちは変わらないわよ? 相当に一途なようだから。うちの弟子にね」

 

 

 

 

『――しかし、マスターよ、あんたがあんなことというものだから、危うくその場所のことを聞き逃すところだったなぁ』

 

「揺さぶりをかけてみたのよ。あの子、どうやら本当にうちの息子にお熱のようね。流石に演技だとは思えないわ」

 

 まだ日が落ちきってはいない時刻であった。夕子を交えて中庭で昼食を取り、彼女が帰宅したところで、ルベルも外出してきたのだ。有益な情報を得た今、おとなしく夜を待つ気にはなれなかった。

 

『気持ちはわからんでもないが、あまり過保護なのも問題ではないか? 色恋にまで親が口を出すのは良くない傾向だろう。息子どのは優しい奴だが、見た目ほど虚弱な男でもないと思うが……』

 

「――よけいなことは言わなくていいわ。あなたはアズルの護衛。別に教育係ではないのよ。息子のことにまで口を出さないでもらいたいわね。

 だいたい、あなたこそ何をしていたのよ。防護結界にあそこまでのことをされて、気がつかないも何もないでしょう?」

 

『ああ、あれには、わしも驚いた。ほんの瞬きの間に、馬鹿長い槍が奔ってだ。しかも正面からきたものだから、どうしようもなくてな。あのじいさんは只者じゃないなぁ。――というか、それ以前の話だろう。あの位置では勝負にならんし、向こうには敵意がない上に、傍にはアズルがいたのだからな。こちらから仕掛けるわけにもいかん』

 

「――もういいわ。アーチャー、そっちに異常はないわね」

 

『ああ、アズルも機嫌がいいようだな。今はおとなしく部屋にいる。机にむかっているようだ』

 

 勉強中なのだろう。と、ルベルは一人曇天の下に笑みをこぼした。天才肌で基本怠け者な自分や彼の姉とは違ってアズルはコツコツと努力するタイプのようだ。

 

 近頃、息子を観察していて改めて分かったことである。

 

 昨夜のこともあるが、やはりルベルはアーチャーを屋敷に置いてきた。代行の行方が知れないのが問題だし、第一に昼間ランサーが屋敷の結界を活け造りのようにしてしまったので、屋敷の守りにはやはりアーチャーを配置しておくしかなかった。

 

「マスターよ、雲行きが怪しい。じきに雨になるぞ」

 

「そう、――天気予報というのも当てにならないわね。では急ぎましょうか。夕食までには戻ると言ってあるし」

 

『そうだな。それまでに、お弟子殿も連れ帰れればいいが』

 

「そのつもりよ」

 




 キャラクタープロフィール
  
 
 島原夕子(しまばら ゆうこ) 身長147㎝ 34㎏

 アズルの同級生。十三歳島原夕子(しまばら ゆうこ) 身長147㎝
 くろむの担任、耀子の歳の離れた妹。アズルの同級生。十三歳

 魔術師としての島原の当主とされ、同時にシマバラの巫女の資格を持つつとされる。詳細は不明
 すさまじいポテンシャルを誇るが、今のところ思惑もサーヴァントの有無も不明である。

 小学生時代は晦の里の近くにある、森の牢獄のようなミッション系の全寮制の学校「ソルヴィエール女学院」に(特例として)通っていたのだが、アズルと一緒の学校に行きたかったがために、わざわざ程度の低い中学を選んだ。

 当代のシマバラの代表であり、ランサーのマスター。

 御三家の一角であるマスターにも関わらず、聖杯戦争そっちのけで色恋沙汰を優先する。魔術師としては噴飯ものの所業であるが、それが容認されているのは彼女が持つ「巫女」としてのポテンシャルゆえである。

 加えて、彼女はシマバラにとっての「心臓」であるが、決して「頭脳」ではないため、本家が聖杯を使って具体的に何をしようとしているのかを正確には知らないため、そっちが二の次になっているともいえる。

  髪の色は漆黒で、瞳も混じりけのない黒。

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