Fate/alter Seven Sight ――the Next Sight――   作:どっこちゃん

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四章ー1

 

 

 朝。――そう、いうなれば平時の会社勤めと変わらぬ時間帯に、ルベルは目覚めた。

 

 死ぬような思いで山を越え屋敷に帰り着いたあとで、ルベルは己の負傷とくろむへの治療を施し、そうして倒れ込む様に寝室に入った。

 既に日が登り始めた頃合であった。

 

 本来なら一日かけて身体を休めるべきところだが、取り急ぎ日常生活には支障がないレベルまで身体は改善してある。

 

 昨日は結局一緒に夕食を食べることもできなくなってしまった。この上ルベルが一日寝込んでいたなどということになったら、アズルは心労を増してしまうだろう。

 

 しかし、そう思わずとも自然と目は覚めたのだ。散々痛め付けられた肉体は少々痛むものの、気分は悪くない。当面の間頭を悩ましていた問題が解決したからだ。

 

 無事に――とは、口が裂けても言えないが、それでもとにかく涅を生きたまま取り返すことが出来たし、今まで自分に対して暗躍してきていた黒幕についてもようやく明確な見当がついたのだ。

 

 そう、代行だ。昨日から姿が見えなくなっているあの裏切り者が、とうとうルベルに対し正面から反逆に及んだのだ。これですべてがつながった。とルベルは考える。

 

 腹立だしい展開だが、そうだと知れてしまえばこれほど簡単な図式もない。

 

『果たして、本当にそうなのか……』

 

「なに? 何か文句でもあるの、アーチャー。別に貴方に戦略上のアドバイスは期待してなくてよ?」

 

 何時ものように、許可もなくアーチャーの念意がルベルの脳裏に響いてくる。緊急のときのために感応共有の魔術は常にオンラインにしてあるのだが、それにしてももう少し気を使って欲しいところだ。見えはせずとも、ルベルは未だに寝巻き姿のままである。

 

 己がサーヴァントといえども、婦人の身支度が整うまでは声をかけるのを憚るのが紳士の成すべきところあろうに。

 

 などといっても、この粗野なサーヴァントが理解を示すはずもない。こんなことでせっかく久しぶりに改善した機嫌を損ねるのは自分としても願い下げなので、ルベルはアーチャーの「蛮行」については目を瞑ることにしている。

 

「だいたい、他に誰があんな手の込んだ事をするというのよ。代行以外にありえないわ。いいから報告をなさい。私が休んでいる間、代行がここに近づくようなことはなかったのよね?」

 

『ああ、ワシが知覚しうる範囲には影もないな』

 

 アーチャーは今アズルの護衛として笹ヶ谷市北東部、連峰の麓にある公立中学にいる。

 

 昨日は急に休校したとのことだが、今日も半日で放課になるとのことだ。学校の方もだいぶ警戒しているのだろう。まぁ、いい傾向だ。できればずっと学校を休ませておくのも悪くない、などとルベルは考える。

 

 ちなみにこの学校自体は別に特別なことは何もない、周りには果樹園や畑ばかりの土地にポツンと建っている公立校である。

 

 アズルの成績ならもっといい私立にも入学できたのだが、なにせ実家の立地が立地である。そこから通える学校となると、ほかに選択肢がなかったのだ。

 

 ルベルとしてはもっと品行方正な学校にするべきだとも考えたが、実家から通えるところがいいという本人の希望もあり、何より――というかこれが一番大きいのだが、ルベル自身も息子を目の届かぬところへやってしまうことをどうしても容認できなかったのである。

 

 長子ナティオやくろむが相手だったなら、いくらでも合理的な対処ができるのだが、アズルが相手だとどうしても感情のほうが先に立ってしまう。

 

 ルベル自身良くない傾向だとは思うのだが、どうにも不安はなくならない。その証拠に、この学校にはルベルの監視がいつでも行き届くようにと、使い魔まで常駐してある有様である。

 

 一歩間違うと行き過ぎた干渉と取られるかもしれないが、ルベルも誓って緊急時以外はこれを使用しないと、心に決めている。――というか、以前弟子にバレてこっぴどく叱られたのだ。

 

 こんな私事に魔術を濫用するとは何事かと、あろうことか不詳の弟子に指摘されてグウの音も出なかった屈辱を、ルベルは忘れない。

 

 などと言いながら、たまに仕事中寂しいので、あくまで緊急時だから、などとうそぶきつつ、たまに息子の学校生活を覗いたりしているのである。

 

 長女ナティオにもその傾向があるのだが、どうも魔術に秀でれば秀でるほどそれ以外のことではダメダメになるのがこの一族の特性のようである。

 

 今もまた、アーチャーとの感応共有による護衛、監視は気兼ねなく息子ウォッチができるので、文句を言いつつもルベルはこれを満喫しているのであった。

 

 さすがはサーヴァント。戦闘力だけでなく、隠密性も索敵範囲も知覚の精度も並みの使い魔とは段違いだ。例え霊体化していなくとも、その存在を余人に知られることはない。

 

 そしてその位置からでも、アーチャーの千里眼による遠隔視は、この町のほぼ全域をカバーできるのだ。すなわち、それに引っ掛からないということは、他のマスターたち同様、何らかの方法で己の存在を隠匿しているということになる。

 

「それ見なさい。わざわざ姿を隠した上に、すでに姿を消して丸一日。これでなにもないと言うほうがおかしいじゃない。やはり黒幕は代行よ。あとは見つけ次第ツケを払わせればいいだけよ。……たっぷりとね」

 

『それはそうだが……』

 

「いいから、あなたは何も言わずに護衛と監視を続けて頂戴。私はこれから朝食よ。感覚の共有は切らないでおくから、よほどのことがなければ報告はしないでちょうだい」

 

 一方的に言って、ルベルは一時的に聴覚の精度だけを落とした。愛息子はいつまでも見ていたいが、サーヴァントの溜息などは聞きたくないのだ。これでも危機的な感覚だけは察知できるので問題はないだろう。

 

 寝巻き姿のままだったルベルはそこで恋を呼びつける。フォリアのことはまだなにも気付いていないようだ。

 

 他の使徒たちもただフォリアが姿を消したとしか認識していないようで、だれも彼女のことで取り乱してはいないようであった。まったく殺伐とした連中である。

 

 しかし、シュタウフェンの当主代行と繋がっていたのは彼女個人だったと言うことなのだろうか? いや、黒幕がヤツなのだとしても、誰がどのように協力しているのかは分からない。総ては疑ってかかるべきだろう。

 

 使徒達や恋、さらには夕子が何も知らなかったとしても、それで教会や島原を信用する理由にはならない。

 

 ルベルは己の身支度をさせている間、再び恋を観察したが、やはり魔術回路のようなものは見受けられなかった。

 

 この娘は違うか――と、あらためて考えたルベルだったが、そこで恋の手に填められた手袋を見咎めた。

 

 これは、最初の日からつけていたものだろうか? 記憶は曖昧だった。もとより、そんなところまで気を使ってはいなかった。だが、総てを疑うべきだという懸念が、妙にその手袋に対する懐疑を呼び起こす。

 

「? どうかたしましたか、マスター・ルベル?」

 

 ルベルの凝り固まったような視線に気付いて、恋も不思議そうに眉を顰めた。

 

「――恋、その手袋を取って、手の甲をみせてくれないかしら? できれば肘までまくって」

 

 そうだ、つまり懸念は、あの夜、くろむの腕ごと持ち去られた令呪のことだ。ライダーが消滅したのかどうかは定かでないが、少なくともフォリアの遺体にはアサシンの分の令呪の跡しか確認できなかった。

 

 つまり奪われた令呪は余人の手に在る可能性があり、もしかしたらその者はライダーの新たなるマスターとなって暗躍しているかもしれないということになる。

 

 普通に考えれば代行がその役を担うのだろうが、――もしもそうでなかったら? 流石のルベルも奇妙な符合を無視できない欲求に駆られる。

 

 フォリアを連れてきたのが代行。そのフォリアと代行が暗躍していた敵であった。ならばそのフォリアが選んで連れてきたという恋は? その上、今その手には厚手の手袋がはめられているのだ。

 

「手袋――でございますか?」

 

 手元には礼装がないが、魔術刻印はすでに励起し始めており、恋が何かをするつもり

ならいくらでも迎撃できるという態勢を整えている。

 

 ルベルは恋の総ての挙動と、その手を凝視する。――が、恋は一時不可解そうな顔を浮かべたものの、すんなりと手袋を外した。

 

「よろしいでしょうか?」

 

 日本人のものよりも色味の濃い肌には、令呪どころか傷ひとつなかった。

 

 ルベルはそれをじっくりと見眇め、そして溜息をついた。

 

「ごめんなさい。――たいしたことじゃないのよ。いえね、前のメイド達はつけていなかったものだから、ちょっと気になって」

 

「そうでしたか、申し訳ありません。これは私物でございます。わたくしは手が荒れやすいもので……」

 

 恋は申し訳なさそうに言った。ルベルもできる限り真摯な声で詫びた。

 

「良いのよ、やりやすいようにやってちょうだい。見苦しくなければ文句を付ける気はないわ。……まぁ、それでも基本のドレスコードは守ってちょうだいね? 流石にツナギ姿で出歩かれると興が醒めるわ」

 

「――承知いたしました。ですが、そんなメイドがいたのですか?」

 

 そう言われ、ルベルは苦笑する。

 

「それがいるのよ。うちの一番の古株なんだけどね、腕はいいけど、たまに困った事をやらかすのよ。私に許可なく勝手な事をするし……」

 

「では、裏庭の猫の世話もその方が?」

 

「……苦労を掛けるわね」

 

 どうやらここでのメイドの仕事の内に当然のようにそれも割り当てられているらしい。くろむの職権濫用のようにも思えるが、流石に目くじらを立てて止めろなどともいえない。ルベルが言葉尻を惑わせていると、恋も、ここで初めて軽い笑顔を浮かべてみせた。

 

「皆、苦にはしておりません。むしろ役得かと」

 

「そう」

 

 その笑顔に素っ気無く微笑を返して、ルベルは遅めの食卓に着く。

 

「――ところで、あなた出身はどこだったかしら? この地に来る前の」

 

「一応は日本ですが、幼い頃はリオで育ちました。母が日系三世なので。今の家は父の親戚の家に養子に入っています」

 

 リオ。……ブラジルか。確か有名な呪術妖術としては「マクンバ」や「カンドンブレ」と呼ばれる魔術があったはずだ。どちらもブードゥーとは近しい関係にあるという。……あのツギハギのブードゥー魔術も、それらに近いと言えなくもない。

 

 いや、言えなくもないが断定はできない。ルベルがあの稚拙な術式をツギハギと称したのは、その構成がブードゥーだけでなくカバラなどの西洋魔術や、この国特有の古いアニミズムの要素も含んでいるように見えたからだ。

 

「遠い国ね、私の故郷よりも。……不躾なこと言ってごめんさないね。気を悪くしないでちょうだい。異邦のよしみよ。何かあったら遠慮なく相談してくれると嬉しいわ」

 

「はい、お心遣いありがとうございます」

 

 恋はそう言って恭しく頭を下げた。顔つきこそエキゾチックな色気のある少女だが、仕草や雰囲気はやはりこの国特有の人間のそれだ、とルベルは思う。

 

 この国は奇妙な国だ、とルベルは改めて思う。こんな辺境にありながら――貴賎に対する意識はともかく――、礼節と秩序を守るという意味では、他の東洋人やそこいらの欧米人と比べても格別にこの国の人間は民度が高い。

 

 この国に送り出された当初こそ、なぜこんな下賎な国に――と嘆いたルベルだったが、存外に馴染むはのは早かったように思う。

 

 それは穏やかな気候や豊かな自然に対する畏敬を含んだ国土だけではなく、そこに住む人間の質が、そのあいだにある空気が、ただ一人で剥き出しのまま放り出された、幼い自分の肌に優しかったからなのかもしれない……。

 

 などとも、今になっては思える。

 

 そう、思えば自分が今までこんな辺鄙で妙な国に腰を落ち着けていられたのも、ここがそう言う人間たちの国だから、なのかもしれない。そう、この娘のように。

 

 ――やはり、この娘は代行の協力者ではありえないだろう。少し懐かしい感慨を反芻して、ルベルはそう結論づける。

 

 だいたい、よく考えてもみれば、教会の私兵であったフォリアとは違い、彼女はまさしく唯の人間だ。霊的、肉体的にも突出した部分は何も見当たらない。あの代行がわざわざ一般人でしかない協力者を求めるのがそもそもおかしな話ではないか。

 

 そう、唯の娘だ。――そういえば、彼女の長子、ナティオ・フォン・シュタウフェンも確かこのくらいの年頃であった。

 

 だがナティオは唯の人間ではない、呪いにも似た宿業を背負わざるを得なかった、唯の、でいられなかった、ルベルの娘だ。そう、ルベル自身と同じように。

 

「恋、アズルの帰りは何時ごろかしら?」

 

「はい。昼過ぎには放課になるとのことですので、遅くとも日の高いうちにはお戻りになられると思います」

 

「そう。なら夕食は一緒に取れるわね。そのつもりで用意をお願い」

 

「かしこまりました」

 

 ハキハキと堪える恋に微笑を返し、ルベルは満足そうに頷いた。思えば、こうして家で息子の帰りを待つことなど今までにはなかったことだ。そう言う意味では、これも貴重な機会なのかもしれない。

 

 朝食を終え、ルベルは花々の咲き乱れる中庭に出た。長い間使っていなかったテラスに腰掛け、淡い幸福感を味わいながら日差しの中でまどろむ――

 

 

 ――しかし、ルベルの予想に反して、アズルはなかなか帰ってこなかった。原因は分かっている。アズルをずっと見守っているアーチャーの目を通して全てを見ていたのだから、当然だ。

 

 ただ、いくらアズルが寄り道をしても、こちらから注意できないのが辛いところであった。アーチャーは見張っているだけなので、こちらからアズルに干渉することはできない。いっそアーチャーが偶然を装って、とも考えたが、そういうわけにも行かない。不審に思われるだけだ。

 

 なにせ、アズルがバスに乗って足を運んだのは笹ヶ谷市南西部にある西部病院だったからだ。シュタウフェンの出資によって経営されていはいるものの、大部分は一般向けの施設ということになっている。理由もないのにアーチャーが出歩くのは不審極まりない。

 

 しかしアズルは何故こんなことろへ立ち寄ったのか。

 

 ルベルには考えるまでもなく理解できた。のぶえもここに入院しているが、それに対する見舞いではない。のぶえは面会謝絶になっているのを彼も知っている。アズルは、ここに入院している実姉のところへ行ったのだ。

 

 確か先日も来ていたはずだ。最近、頻度が多くなっているような気がする。

 

 いまも、その様子をアーチャーの視界は克明に捉えている。

 

『……でも、昨日は一緒にご飯は食べれなかったんだ。やっぱり仕事だったのかな……休むって言ってたのに』

 

 アズルは昨日のルベルのことを話しているようであった。

 

『そう。でも、気を落とすことはないわ。いつものことだもの』

 

 可憐な、しかしか細く枯れたような声でアズルに応えるのは、ナティオ・フォン・シュタウフェン。

 

 アズルの種違いの姉であり、ルベルにとっての娘――否、魔術師としての後継者だった(・・・)もの。

 

 華奢な体は年齢以上に幼く映り、長い、ふわふわとした巻き毛のブロンドは、そんな彼女の容姿と相まって、まるで童話のお姫様のようにも見える。

 

 母であるルベルにはあまり似ていない。しかし瞳の色だけは確かな両者の共通点であるはずなのに。――いま、その双眸は固く閉ざされてしまっている。――見えていないのだ。彼女は一年ほど前から発症し始めた霊障によって目だけでなく手足を含む体の機能の大部分を喪失している。

 

『けど、しばらく休めるって言うんだ。今度は一緒に来るよ。みんなで』

 

 死体のように冷たい姉の手を握って、アズルは真摯そのものの声で言った。姉は困ったように、儚げに笑ってそれに応える。

 

『あなたが来てくれただけでも嬉しいわ。……それに、お母様は多分、来ないでしょう』

 

『そんなことないよ。きっと来てくれるよ』

 

『無理を言っては駄目よ。大事なお仕事を休むくらいだから、平気そうに見えても大変なのかもしれないわ』

 

『……姉さん。でも、姉さんの方が、大変なのに……』

 

『仕方がないことよ。――親子でも相性というのはあるわ。近づいてもいがみ合うだけなら、離れている方がいいこともあるの。わかってはいるのよ。お互いに……』

 

『姉さん……』

 

『泣かないで、アズル。くー(くろむ)が心配するわ』

 

 僅かに持ち上がって震えるだけの姉の手を、アズルは両手で捕まえた。ナティオはもう自由に手を上げることさえできないのだ。その手を、アズルは優しく包み込むようにして自らの頬へ触れさせる。

 

 その目尻に光るものを見た気がして、ルベルは思わずひきつるような声を発していた。

 

「アーチャー、もういいわ……」

 

 感応共有でその光景を見せられていたルベルは、視界の主であるアーチャーにそう告げた。アーチャーは何も言わず。意識を病院の外へと向けた。

 

 ルベルは時が止まったような自室で一人肩、ソファに身を沈めていた。しばらくして、恋を呼びつける。すぐそばに控えていたかのようにメイドは姿を現した。

 

「マスター、お呼でしょうか」

 

「アズルが帰ってきたら、私の部屋に来るように言っておいて。夕食は別々でいいわ」

 

「……承知いたしました」

 

 

 ルベルは遅くに帰ってきたアズルを叱りつけねばならなかった。それでも夕方という程度の時間だったが、街の異変の内実を知るがゆえに、ルベルの焦燥はとどまるところを知らない。

 

 危険なのだ。魔術関係者でなくとも、事件が多発しているし、行方不明になった人間の生々しい噂もあるだろう。学校でもすぐ帰宅するように通知していたではないか。

 

 何かがおかしいことはアズル自身も感じているはずなのだ。今だけでも慎重に行動してもらわなければならない。だからこそ強く言いつけておいたはずなのに。

 

 ルベルは自分でも思っても見なかった程強い言葉を発していた。それだけ心配だったのだし、真剣だということだが、傍から見れば理不尽に怒りをぶつけるヒステリックな母親にしか見えなかっただろう。

 

 客観的な己の姿を想像し、ルベルは息を呑むようにして言葉を切った。

 

 叱ることと怒りをぶつけることは別の行為だ。誰かを叱る時も、できるだけ感情は排して行うべきだとルベルは知っている。感情をぶつけても帰ってくるのは感情だけだし、残るのも反発や恐怖、あるいは緩やかな拒絶の感情だけだ。

 

 何がいけなかったのかは、論理で言い含めなければ改善は見込めない。でなければ伝えたい言葉は残らない。だが、ルベルは己の言葉尻がとがるのを抑えられなかった。

 

 そして「言いすぎたわ……」と、言葉を全て吐き出し終えた後で、いいわけでもするように告げた。

 

 バツが悪くなり、何かを反故にしようとでもするかのように抱き寄せたアズルは抵抗こそしなかったが、何時ものように笑顔を見せてくれない。

 

 それが、驚くほど辛い。

 

 彼は嘘をつかなかった。姉のところに見舞いに行ったのだと素直に告げ、謝った。

 

 そして、また問うのだ。なぜ姉の元へ行ってあげないのか、と。ルベルは、視線を交わさぬままに自分が行っても辛い思いをさせるだけだと率直に告げた。

 

 けれどアズルは食い下がった。「どうして母さんまでそんなことを言うの? 姉さんがかわいそうだよ」と。

 

 責められているかのようだった。いや、責められているのだ。それ相応の、どうしようもない理由があるのに。いくらそう思っても、魔術の秘匿は絶対の理である。言葉を濁すしかない。だがそれは、ほかでもない、アズルを守るためだというのに。

 

「母さん。ぼく、寂しいよ。――せっかく母さんがいてくれるのに、こんな時に限って、姉さんもくろむ姉さんも、のぶえさんまで、いないんだ」

 

「アズル……」

 

「みんな一緒じゃ、どうしてダメなの? 姉さんも母さんも、どうして同じことを言うの?」

 

 しまったと思った。自分とナティオの意志が同じなら、アズルも納得するかと思ったが、そうはいかなかったらしい。整合性は取れるが、アズルの気持ちの行き場を考えていなかった。

 

 せめてルベルだけでも前向きな言葉を発してあげれば、アズルの気持ちも軽くなったかもしれないのに、どうして考えが及ばなかったのか。――、いや、そもそも「考える」ものなのか? そんなもの――

 

「アズル、聞いて?」

 

 取り繕うように声を掛ける。慰めねば、と思うが、言葉が出てこない。

 

 こんな時、以前はどうしていたのだっただろうか? 考える――が、どうにも先が続かない。どうして? ――ああ、そうか。

 

 と、ルベルは悟った。

 

 その間にもアズルは真っ赤になった目で、じっと母を見つめてくる。

 

 しかしルベルは何も言えなかった。どう、慰めていいかなんて、自分は知らないのだ。

 

 こんな時、自分は自分の都合で言うべきことだけを言って、あとは全部くろむに丸投げしていたのだ。だから、自分は慰め方を、この歳まで知らなかったのだ。

 

 慰められたこともなければ、慰めたこともないのだ。慰めようとしたこともない。アズルだけでなく、ナティオも、娘同然として接してきたくろむさえ、自分は慰めたことが――ない。

 

 ルベルは言葉を失って吶喊する。なにが娘同然だ。なにが母親だ。なにが魔導の師だ。

 

 自分は何もできない、何者でもない。そんな気がしてくる。というより、決定項のように、それはすんなり自分の中に落ち着いたのだ。

 

 違うだろう。そんなはずはない。と反駁しながらも、何かが足元からはい登ってくるよな気さえしてくる。何が? わからない。だが、決定的な感覚だけが理解に先んじてルベルの脳裏を席巻する。――全ての外皮を剥ぎ取られたような気がした。アズルを見つめる。アズルは何を見ているのだろう。ここに居るのは、ただ無力なだけの、無様な女でしかないではないか。

 

「――、――――くろむ、は、もうすぐ帰ってくるわ。――それは本当よ」

 

 咄嗟に出てくる言葉を紡いでいた。

 

 自分は何を言っているのだろう? まるで何かの言い訳をしているようではないか。

 

「そうだと、いいね」

 

 アズルも、ただ、そうとだけ応えた。それきり目をそらしたルベルに声もかけず、自室に戻った。

 

 

 欲しい銘柄がどこにあるのかもはっきりしないので、適当に手にとった酒瓶を手にして、ルベルは酒蔵をあとにした。弟子に任せきりだったせいで、何がどこにあるのかまるでわからない。

 

 片っ端から調べる気などあるはずもなく、別に喉を潤したいわけでもなかったのだから、それも当然だ。味も香りも銘柄も、熟成のほども知ったことではない。

 

『少し、言い過ぎだったのじゃないかな?』

 

 ペースも考えず丸々ひと瓶を空にしたところで、霊体化したままのアーチャーが語りかけてきた。

 

 ルベルは何も言わなかったが、今は自分よりもアズルのそばにいてやればいいのではないかとも思う。

 

 それとも、この哀れなマスターの有様の方が危なっかしく映ったのだろうか? ありえる話だ。

 

「……アズルは、どうしてるかしら?」

 

『先程までは泣いているようだったがな、部屋の中まで覗くのは良くなかろう』

 

「貴方は護衛なのだから、目を離してはダメでしょう。……できれば、声でもかけてあげて」

 

 アーチャーが無言で頭を振るのが、気配だけでも分かった。

 

『男なら、そんなところを他人に見られたくはないだろう』

 

「関係ないわ、女だって、そうよ。……でも、アズルはまだ子供で……」

 

『そうやって取り合わんのが、一番堪えとるんじゃないかな?』

 

 アーチャーの言葉に、ルベルは言葉を詰まらせる。

 

「――じゃあっ、じゃあどうしろと言うの? いっそ魔術について語って聞かせろとでも? できる訳がないわ! あの子のためなのよ。あの子のために、私がどれだけのことを…………」

 

 ヒステリックな声に、アーチャーは黙し、ルベルは頭をかかえてか細い声を漏らす。

 

「なによ――何か、言いなさい。…………黙るならずっと黙っていて」

 

「……聞いてやるだけでも、違うものだ。アズルの話をもっと、聞いてやればいい。なぜ、娘殿をそう邪険にする?」

 

 実体化したアーチャーの肉声に、ルベルは歪んだような顔を向ける。漏らす声は、まるで伸びきったテープレコーダーのようにかすれて、聞く者の耳を聾するようだ。

 

「――あの子は娘ではないわ。魔術師としての後継者よ。聖杯と同じ、血の通わぬ器物と同じなの。そう、――私と同じよ。そのための命、そのための存在。そのための機能が重要なのよ。それがなくなったからといって、どう接しろというの? 

 言いたくない。――私だってこんなこと言いたくないわ! けどあの子はもう「無価値」なのよッ!

 

 あの子だってわかってる。今更、アズルのように扱えというの? 憐れみをかけろと? 私ならゴメンだわ。私なら、魔道を継げなくなった時点で、己の立場を推し量るわ。

 それで、そうすれば――ッ! でも、そんなこと(・・・・・)して欲しいはずがないし、させたくないし、したくないわ。だから、――だから突き放したのよ!」

 

「良くない酒だな」

 

 ポツリと言うアーチャーから顔を背け、ルベルは引き攣れるように笑う。

 

「――そうよ。見ればわかるでしょ? 私はわからないのよ。そんなこともわからない。――どうしたらいいというの? そんな器用な母親じゃないわ。……自分の母だってろくに覚えていないのに……」

 

「それで、ということか?」

 

「そうよ。魔術師としての接し方しか、ないのよ。娘と私の間には、他の物なんてありえないのよ。ずっとそうしてきたのに、どうして手のひらを返せというの? こんなことアズルにどう説明しろというのよ? 出来るわけないじゃない。なのに、あの子は分かってくれない……」

 

 アーチャーは今度こそ沈黙した。その無言の中に何かを聞き取って、ルベルは苦悶のこもった声を上げる。

 

「アズルはみんなを愛して欲しいという。できれば私だってそうしたいわ。けど、それを許されない存在なのよ。私もナティオも、くろむだって、――いえ、止めさせるわ。くろむにはもう、やめさせる。それでアズルのそばに居させるわ。――それでいいじゃない。それで……――」

 

 ルベルは二本目の酒瓶を開けた。味も分からずに杯を煽る。

 

「マスター」

 

 沈黙したままだったアーチャーが、その時、不意に低い声を出した。

 

「――何も言わないで、アーチャー。――お願い。命令よ……」

 

「そうではない。例の代行殿だ」

 

「なんですって?!」

 

 ルベルは目を剥いて立ち上がった。一気に酔いが冷める。総身をつま先から裏返すようにして、コンディションが戦う魔術師のそれへと変貌していく。

 

「近いぞ、いきなり現れたな」

 

「――出るわ。アーチャー、あなたはここで警戒を強めて。陽動かもしれない」

 

『分かった』

 

 すでに霊体化していたアーチャーは屋敷の屋上、狙撃に適した定位置に陣取った。

 

 ルベルも新たな外套を羽織り、屋敷を飛び出す。先日フォリアとの戦いで破損したものとは、また別の礼装だ。

 

 結界の修復も終わっている。ルベル自身の肉体的霊的損傷も八割がた回復している。準備は万全と言っても差し支えない。ここで取り逃がす手はない。罠の可能性もあるが、ここで代行を排除できればあとは自身にとっての趨勢が大きく傾く。

 

 そう確信し、ルベルは断続的に空間を飛び越えて夜の森へと繰り出した。

 

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