第五話『出発』
「エレインちゃん。大分、呪文に慣れてきたみたいね」
「おう」
ロジャー邸に来て、一週間が経った。
私は一日の大半をエドではなく、イリーナと過ごしている。
身をもって知った事だが、この家の支配者は彼女だ。父親のダンも妻に頭が上がらず、私の事をアッサリと認めた。
――――え? イリーナが認めたんだろ? だったら、僕も構わないよ。
浮浪児が家に泊まるなんて、普通なら財産を盗まれる心配をするものだ。それ以外にも、厄介な病気を持っているヤツが多い。
模範解答はウィルの反応であって、こういう呑気な反応を返されると、ちょっと心配になる。
「ここで調味料を入れるのよ」
「ふむふむ」
イリーナは私に家事を教えてくれている。
アナログ方式なら出来なくはないが、杖を使った家事はまさに革新的だった。
おまけにアンチエイジングの呪文も教えてもらった。もっとも、これは特殊な魔法薬との併用して使うもので、その調合は恐ろしく難しいものだった。
イリーナは学生時代から魔法薬に精通していたらしい。図書館に篭っては、新しい魔法薬の理論を組み立て、友人と共に魔法薬学の教師の休息時間を削らせる事が日課だったらしい。
「でも、元はと言えば先生が原因なのよ。だって、私がグリフィンドールのリリーと出会ったのは、先生が開いた《スラグ・クラブ》だったの。魔法薬に情熱を注ぐ二人を引き合わせた者としての責任を果たしてもらっただけなの」
驚くべき事に、イリーナはハリーの母親と同級生だったらしい。
当時の事を懐かしそうに話してくれた。今度、アイツにあったら教えてやろう。
「あっ、そろそろ良さそうね。次はこっちを入れて」
「おう」
鍋から食欲を唆る香りが広がってきた。
イリーナは料理の天才でもあり、彼女の作るオリジナリティに溢れたメニューの数々はホグワーツのご馳走にも引けを取らない。
そのレシピを彼女は惜しむことなく私に伝授してくれた。
「娘が出来るっていいわねー。あっ、エドはピーマンが苦手だから、出来るだけ細かく刻んであげてね」
「お、おう」
順調に退路が無くなっていく。エドの前にイリーナに口説き落とされそうだ。
「……にしても、美味そうだ」
グツグツと煮えたぎるビーフシチュー。
イリーナに指示されるまま作った物だけど、中々にうまくいった。
――――アメリア! 今日はいっぱい稼いだから奮発したよ!
むかし、そう言ってエミーがレトルトのビーフシチューを買ってきた事がある。
あの時はあまりの美味しさに二人で歓声を上げた。
「どうかしたの?」
イリーナが心配そうに私を見つめた。
「……なんでもない」
味見をすると、あの時のビーフシチューとは比べ物にならない程、美味しかった。
「エレインちゃん……」
イリーナがハンカチで私の目元を拭った。
どうやら、涙が勝手に出ていたようだ。
「……ははっ、玉ねぎが今頃沁みてきたみたいだ」
イリーナは深く追求してこなかった。
ありがたい……。
「……後はじっくり煮込むだけだから、鍋は私が見ておくわ。エレインちゃんはエドと遊んでらっしゃい。あんまり貴女を独占していると、あの子に妬かれちゃうかもしれないし」
「おう……、そうする」
気分を入れ替えよう。
どんなに食べてもらいたくても、エミーはもういない。
「エド!」
私はエドに後ろからハグをした。
真っ赤になるエドをからかって笑っていると、胸の疼きが少しだけ収まった。
「今日のビーフシチューは私が作ったんだぞ。楽しみにしとけよ」
「そうなの!? う、うん! 僕、楽しみにしてる!」
エミー。私は今、ちょっと幸せだよ。
◆
その日の夜は私の作ったビーフシチュー以外にもご馳走が山のように並んだ。
明日からホグワーツの新学期。エド達の父親であるダンも仕事を早めに切り上げて帰ってきている。
去年は彼の仕事の都合で夫婦揃って見送りが出来なかったらしく、今回はスケジュールの調整を徹底したと言っていた。
「エド。他の男に横取りされるなよ!」
「パ、パパ!?」
最近、エドをイジることがブームになっているロジャー家。
一々面白おかしく反応するエドが悪い。
「エレイン。エドをよろしく頼むよ」
散々遊んだ後にダンは言った。
養子であるエドに、ダンとイリーナは掛け値無しの愛情を注いでいる。
ますます退路が無くなっていくな。
「おう」
とりあえず、小さくなってしまったエドの頭を掌でポンポン叩いておいた。
翌日、私達はイリーナとダンに《付き添い姿くらまし》でキングス・クロス駅まで送ってもらった。
リチャードがエドの籠で元気に暴れまわっている。
「おい、確り躾けておけって言っただろ!」
「し、躾けてるよ。ほら、リチャード。大人しくしてってば! 今度こそエレインに丸焼きにされちゃうよ!?」
「おい、どういう躾の仕方してんだ!?」
まったくもって心外だ。こいつは本気で私を口説くつもりがあるのか?
リチャードも素直に大人しくなりやがって……。
「ほら、二人共。あんまり目立つ事をしたらダメだよ?」
ウィルに注意されてしまい、私達は大人しく9と3/4番線のホームへ向かった。
早めに来たおかげで、ホームにはまだ人が疎らだった。
イリーナとダンをホームに残して、私達はホグワーツ特急に乗り込んだ。
空いたコンパートメントを探していると、途中で見知った顔を見つけた。
「あっ、ドラコだ! 僕、挨拶してくる!」
顔を輝かせて飛び出していくエド。なんだろう、モヤッとする。アイツ、私に惚れてるんだよな? ドラコに惚れてるわけじゃないよな?
「おい待て、エド! 私も行くぞ!」
慌てて追いかけると、ドラコはいつも一緒にいるクラッブとゴイルと話をしていた。
「こんにちは、ドラコ!」
「よっす!」
「ああ、君達か。仲睦まじいようでなによりだね」
ニヤリと意地悪そうに笑うドラコ。エドがみるみる真っ赤になっていく。
「その様子だと、うまくやったみたいじゃないか。愛しのお姫様を手に入れた感想を聞かせてもらえないかい?」
どうやら、ドラコもエド弄りブームに乗っかっている内の一人だったようだ。
「まだゲットされてないぞ。口説かれている途中だ」
私が訂正すると、ドラコはやれやれと肩を竦めた。
「そうだ! 今度のレイブンクローの試合で僕がエレインを完膚なきまでに圧倒してあげよう。そこで弱りきった彼女を君が慰めるんだ。それで一発ノックアウトさ」
「悪いが、その作戦は失敗に終わるからやめとけ。勝つのは私だからな」
「おやおや、身の程は弁えた方がいいよ。万年二位と三位を行ったり来たりしてるレイブンクローが常勝無敗のスリザリンに勝つって? 実に笑えるジョークだ」
「はっはっは。デカイ口を叩き過ぎると、負けた時に惨めになるぜ?」
睨み合う私とドラコ。しばらくして、ドラコが不遜な笑みを浮かべた。
「精々、腕を磨いておくことだね」
「そっちこそ」
私はエドの腕を掴んでウィルの下に戻った。
「なんの話をしてたんだい?」
「宣戦布告」
キョトンとした表情を浮かべるウィルとあわあわ言っているエドを連れて、空いたコンパートメントを見つけると、窓を開けた。
「エド、ウィル、エレイン。三人共、手紙は毎週書くように」
ダンが言った。
「私も……?」
「当然だ。未来の娘なんだから!」
外堀は完全に舗装されてしまったようだ。
「はいはい、了解」
隣でエドがまたあわあわ言い出している。とりあえず、すぐパニックになる癖は直させよう。
「エレインちゃん」
エドとウィルがダンと話している間に、イリーナはこっそりと一冊の本を私にくれた。
「昔、私がリリーと使っていた秘密の研究場所があるの。みんなには内緒よ」
まるで悪巧みをしている子供のような仕草でイリーナは言った。
「サンキュー。こっそり使ってみるぜ」
しばらくイリーナと他愛のない話をしていると、ホームに人が増え始めた。
そろそろ、汽車が走り出す時間だ。
「いってらっしゃい、三人共」
私はウィルとエドと口を揃えて言った。
「行ってきます」