第十四話『潜入』
禁じられた森を奥へ進んでいくと、遠目に奇妙なシルエットが見えた。
馬のような姿だが、よく見ると人間の上半身のようなものがくっついている。
「ケンタウロスだわ!」
エリザベスが歓声を上げた。
「あれがそうなのか! スゲーな!」
よく見ようと目を凝らすと、連中は弓を構えていた。
「お、おい、ハグリッド。なんか、やばくね?」
他の連中もケンタウロス達の物々しい雰囲気に気付いたようだ。
マクゴナガルとスネイプが咄嗟に前へ出て、セドリックがハリーとエリザベスをハグリッドの傍へ引き寄せる。
エドは私を庇うように前に出ながら、私の腕を掴んでハグリッドの傍に移動した。
「……警戒しとるようだな。最近、よくないもんが森の中をうろついておるせいだ」
「よくないもん……?」
ハリーが尋ねると、ハグリッドは顔を顰めた。
「お前さん達が気にする事じゃねぇ」
ハグリッドは進行方向を変えた。回り道をするようだ。
ケンタウロスの姿が見えなくなると、スネイプとマクゴナガルが深く息を吐いた。
森に入る前と打って変わって、二人は殆ど喋らない。周囲の警戒に意識を割いている為だろう。
「よーし、フラッフィーの寝床まで、もうちょいだぞ!」
「わーい! ケルベロス、楽しみ!」
エリザベスは弓で狙われたばかりだと言うのに、楽しそうにはしゃいでいる。
呑気というより、肝が座っていると言うべきだろう。
「いよいよケルベロスと御対面ってわけか」
元々、私がハグリッドと関わる切っ掛けになったのはケルベロスだ。
本の中でしか知らなかった伝説上の生き物。ちょっとドキドキしてきた。
「ハリーは見たことがあるんだよな?」
「うん……。ノーバートとどっこいどっこいって感じかな……」
ハリーの目が淀んでいる。
「だ、大丈夫?」
セドリックが声を掛けると、ハリーは力なく頷いた。
「あの時は、本当に死ぬかと思った……」
セドリックは掛ける言葉が見つからなかったようだ。慰めるようにハリーの背中を撫でている。
「僕達、いつかハグリッドに殺されるんじゃない?」
「……あー、うーん。どうだろうな」
ハグリッドの事は嫌いじゃない。だけど、否定する事も出来なかった。
アイツの善意は一歩間違えれば殺意と同義だ。
しばらく歩いていると、犬の遠吠えが聞こえてきた。ハグリッドが木彫りの縦笛を取り出し、下手くそな旋律を奏で始める。
「ハグリッドは何をしてるのかな?」
「……ダンブルドアが止めない所を見るに、おそらく、あれがケルベロスを御する方法なんだと思う」
ハリーが首を傾げると、セドリックが言った。
「ご明察じゃ、ミスタ・ティゴリー。ケルベロスは音楽を愛する生き物なんじゃよ」
ダンブルドアに褒められたティゴリーは照れた様子で頬をかいた。
そうこうしている内に開けた場所へ出て、私達はケルベロスと対面する事になった。
「うわっ、本当に頭が三つある!」
エリザベスが興奮した様子で写真を撮り始めた。
私もスヤスヤと寝入っている巨大な三頭犬を見て、居ても立ってもいられなくなった。
「おー! 思ったより可愛いじゃねーか!」
毛皮に触れてみると、思いの外硬かった。それに、濡れた土の臭がする。
「うーん。でっかい野良犬って感じだな」
「あ、貴女達! あまり近づきすぎてはなりません!」
「勝手な行動は控えぬか、バカモノ!」
マクゴナガルが私を、スネイプがエリザベスを回収してハグリッドとダンブルドアの下に戻った。
「相手はケルベロスなのだぞ! 眠っているからといって、軽はずみな行動は止すのだ!」
スネイプに怒鳴られた。いつものねちっこい説教とは違って、大分心に響いた。
「ご、ごめんなさい」
「すんません」
私達が頭を下げると、スネイプは深く息を吐いてダンブルドアの下に向かった。
「エ、エレイン! あ、あぶないよ!」
「いやー、だって、思った以上に可愛いからよー」
「可愛い……の?」
エドは不可解そうな表情でケルベロスを見た。
「おい、エレイン。気に入ったか?」
ハグリッドが近づいてきた。見ると、マクゴナガルが代わりに笛を吹いている。奏でる旋律はハグリッドと比べると雲泥の差だ。
「おう!」
出来れば起きている時の姿も見てみたいが、命を賭ける事になる。それが私の命なら構わないが、この場合、命を賭けるのはマクゴナガルとスネイプになりそうだ。止めておこう。
「さて、折角の機会じゃ。少し、ケルベロスについて勉強してみようかのう」
そう言って、ダンブルドアはハグリッドにケルベロスの事を解説するよう言った。
ハグリッドは照れた様子ながら、どこか嬉しそうにケルベロスの事を語った。本に書いてあるような事は言わず、ハグリッドはフラッフィーの性格や、何を食べるのか、三つの頭のそれぞれの性格、その運動能力などを教えてくれた。
「見事じゃ、ハグリッド」
ちょっとした授業を終えたハグリッドにダンブルドアが賞賛の言葉を掛ける。
「さて、あまり長居をしてはケルベロスに迷惑が掛かろう。戻るとしようか」
「へ、へい!」
私達が離れると、再び犬の遠吠えが聞こえるようになった。
ケルベロスに会えた満足感に浸りながら歩いていると、視界の端に奇妙な光が見えた。
「ハグリッド。あれはなんだ?」
私が指差した先を見ると、ハグリッドが険しい表情を浮かべて駆け出した。
追いかけると、ハグリッドは美しい馬の死体を検分していた。
馬の頭部には立派な角が生えている。おそらく、ユニコーンなのだろう。
「ハグリッド、これって……」
「殺されたんだ」
ハリーが声を掛けると、ハグリッドが怒りを滲ませた声で言った。
「去年辺りからだ。月の一度……多い時は二度襲われとる」
「さっき、ケンタウロスが現れた時に言っていた、よくない者の仕業ですか?」
セドリックが聞くと、ハグリッドは重々しく頷いた。
「ユニコーンは純粋な生き物だ。それを殺すなんざ……、許されん事だ」
なんだかんだで面白かった禁じられた森ツアーに最後の最後でケチを付けられた気分だ。
私達はユニコーンの死体を土に埋め、供養の為に黙祷を捧げた後、森の出口へ向かった。
◆
『さて――――、始めようか』
オリジナルに手に入れてもらった杖を使い、扉を開く。
どうやら、トラップは仕掛けられていないようだ。鍵開けと同時に警報が鳴り響く事も想定していたのだが、対策の為に用意していた物が無駄になった。
『圧巻だね』
彼方まで広がる草原。空を舞うドラゴン。漂う土の香り。
これほど大規模な異空間を作り上げるとは、さすがアルバス・ダンブルドアだ。
オリジナルならばともかく、今の僕には到底不可能な所業だ。
『……さて、ヤツはどこまで想定しているのやら』
ドラゴンは僕に気づかない。いや、気付いているのかもしれないけれど、此方へ向かってくる気配はない。
当然だ。アレに賢者の石を守護している意識などない。あるのは侵入者という名の肉を喰らう意志のみ。
正確には
『それにしても、この広大な空間から扉を見つけ出すのは骨だな』
端から端まで歩けば見つかるような、杜撰な隠し方などしていないだろうし、これは骨が折れそうだ。
『呪文に対する耐性も付与されているだろうし……、仕方がない』
甚だ屈辱的だが、地面を這って探すしかない。
嫌がらせとして、出入り口の結界を消してやろうかとも思ったが、一度の侵入で確実に目的を果たす事が出来る保証がない。
止めておこう……。
『……っと、ビンゴ』
一時間足らずで地下に繋がる扉を見つける事が出来た。
元の部屋の構造と、空間拡張呪文による変質の具合から当たりをつけて探してみたら、思ったより早く見つかった。
『さて、降りてみるか』
今の僕はゴーストに近い。だから、普通の扉や、一部の壁を通り抜ける事も出来る。
だけど、こういった重要な意味を持つ施設の壁はゴーストでも通り抜ける事が出来ないよう、処理が施されている。
面倒だけど、一つ一つ攻略していかなければならない。
『……悪魔の罠か』
降り立った地下には、触手を揺らめかせる醜い植物が所狭しと根を張っていた。
『くだらないな』
杖を使う必要すらない。そのまますり抜けて、次の部屋へ向かう。
そこには広々とした空間が広がっていた。羽音が聞こえ、見上げると、そこには無数の鍵が飛んでいる。
羽の生えた鍵。おそらく、どれか一つが正解なのだろう。
近くには箒が並べられている。
『……妙だな』
見た目で検討をつけ、箒を使わずに浮遊して鍵を掴み取る。すると、他の鍵が一斉に襲い掛かってきた。
けれど、慌てる必要はない。のんびりしている間に鍵は僕の体を貫かんと疾走して来るが、その尽くが僕の体をすり抜けた。
霊体を攻撃する種の呪詛は掛かっていなかったようだ。
『開いた……』
掴み取った鍵は見事に扉の鍵穴と一致した。
それで、確信を得た。
『罠か……』
入り口に配置されたドラゴンはともかく、悪魔の罠は対処法さえ知っていれば容易く抜けられる。それに、さっきの部屋では、わざわざ箒が用意されていた。鍵も、よく観察すれば識別出来るだけの違いがあり、本気で敵の侵入を防ごうという意志を感じられない。そもそも、本物の鍵をわざわざ残しておく事自体がナンセンスだ。
僕なら、箒はおろか、本物の鍵も配置したりしない。ニセモノで惑わし、ここに一定時間以上人間が留まれば報せが届くように仕掛けを施す。
『まあ、いいか』
今の僕はあくまでも本体から抜け出した影に過ぎない。その本体はバジリスクに守らせているから、如何なる罠を仕掛けられていたとしても致命的にはならない。構わず進む事にした。
次の部屋には大きなチェス盤が置かれていた。当然のように無視する。チェスの駒達が襲い掛かってくるが、霊体である僕に物理的な攻撃は意味がない。
その次の部屋ではトロールが待ち構えていた。巨大だが、動きが鈍い。さっさと部屋を走り抜けると、今度は薬品が並ぶ部屋だった。
部屋の出入り口が炎で封鎖される。だが、やはり霊体を傷つける類の呪詛は掛けられていない。
『御丁寧にヒントが用意されているな……』
チラリと薬品を見ると、傍に正解の薬へ辿り着く為のヒントが記された羊皮紙があった。
論理的に思考出来る者ならば、簡単に解き明かす事が出来る程度の暗号。実にバカバカしい。
『……これで終わりか』
呆気なく、最後の部屋に辿り着いた。
そこには鏡があった。
『
見た者の
例えば、親の顔を知らない者が親の顔を知りたいと望んだ時、鏡には知らない筈の親の顔が映り込む。同じように、何かを見つけたいと望む者には、その何かの隠し場所を示す。
ダンブルドアはこの仕組を利用したに違いない。
『……僕では無理だな』
鏡に映った僕は、完全復活を遂げ、オリジナルの精神を塗り潰し、魔法界を支配している。
野心の強い者は決して目的の物を手に入れる事が出来ない。
罠かとも思ったが、ドラゴンはともかく、他のチャチな障害は本命のコレがあるからこそ、という事だろう。
『けれど、手段が無いわけじゃない』
要するに、賢者の石を見つける事だけが目的の人間を用意すればいい。
簡単な話だ。
『潜入ルートの確保は出来た。次で確保も出来そうだ』
焦る必要もない。むしろ、時間を掛ければ、それだけオリジナルの魂がユニコーンの血によって汚染される。
ここ最近は特に余裕の無い様子で寄り代を罵倒している姿が目についた。今も壮絶な苦痛を味わい続けているのだろう。それこそ、冷静な判断も出来ないほどに……。
『彼は僕の野心にも気づけていない。放っておけば、自壊寸前まで追い込む事も出来るかな……。そうなれば、僕がヴォルデモート卿として完全復活を遂げる事が出来る』
ダンブルドアの目も、明らかにクィレルを警戒している。その事に気付いていない辺り、オリジナルも相当に切羽詰まっているね。
だが、どうしたわけか、直接手を下す気配がない。まず間違いなく、何か狙いがある筈だ。
『……まあ、僕の事には気付いていないようだし、いろいろと自由にやらせてもらおう』
ハリー・ポッターにも会ってみたいけれど、まずは完全復活が先だ。
僕はのんびりと来た道を戻っていった。