第十一話『光陰』
最近、兄さんは少し変わった気がする。何と言うか、人付き合いが上手くなった。以前はハリーと二人っきりでいる事が多かったのに、最近はいろんな人と一緒にいる。
耳を傾けてみると、驚くほどに話題が豊富で、それにすごく聞き上手だった。雰囲気もグッと大人びて、女の子の中には目がハートマークになっている子まで現れる始末。
十年以上も一緒に暮らしている妹としては、ちょっと不気味な変化だ。
「……ロンも年頃って事かしら」
そう言えば、兄さんも今年で十二歳。多感な思春期の始まりという事なのだろう。
そんな事より、私には気になる事がある。
「ハリー」
ロンが他の人に取られて、少し寂しそうにしていたハリーに、私は思わず声を掛けていた。
「あっ、ジニー。どうしたの?」
「えっと、来年の話なんだけどね。ウッドが卒業した後、キーパーのポジションが空くでしょ?」
「もしかして、ジニーもクィディッチの選手になりたいの?」
「うっ、うん! そうなの!」
ハリーは嬉しそうにクィディッチのいろはを教えてくれた。
ロンがいなくなった代わりに、私はハリーの隣を独占する事が出来た。
彼との話に夢中になっている内に、私の頭からロンの変化の事はすっかり抜け落ちてしまった。
それからの毎日は夢のような日々だった。
授業の後、私は常にハリーのそばにいた。ハリーに――実は知っている――勉強を教えてもらったり、ゲームを楽しんだり、二人っきりの時間を満喫した。
時々、フレッドとジョージがからかってくるけれど、そのおかげで、ハリーは私を意識するようになった。私はハリーにとって、親友の妹。だけど、その関係が変わりつつある。時折、苦悩の表情を浮かべる彼に、私はゾクゾクした。
私の中で芽生えていた未熟な恋心が、日々大きく成長していく。抑えきれない激情に、何度も呑まれそうになる。
週末、私はハリーと人気のない廊下を歩いていた。相談したい事があると言って、彼をここまで連れて来た。
「……ところで、ハリー。あなた、好きな人っているの?」
自分の大胆さに驚く。
「えっ!? あっ、いや、それは……、その……」
ハリーの目が泳いでいる。
その目を私はまっすぐに見つめた。
「……ハリー。私……、あなたの事が好きなの」
ハリーの目が大きく見開かれた。
「ジ、ジニー。でも、君は……」
「ロンの妹。だけど、私は私なの……。ねえ、ハリー。私の事を……、どう思う?」
ハリーの頬が赤くなっていく。きっと、私も同じ。
「……ハリー」
不安で胸が落ち着かない。振られたらどうしよう……。
だけど、これ以上は我慢の限界だった。
だって、こんなにも近くにいる。
「ハリー……」
魔法生物飼育クラブで、私は彼と接する機会に恵まれた。
彼を知れば知る程、私は彼を好きになった。
二人の時間が増えれば増える程、私は彼を愛するようになった。
「……ジニーは、僕でいいの?」
ハリーの瞳は揺れていた。
私に負けないくらい、彼は不安そうにしている。
「ハリー」
彼は闇の帝王を滅ぼした英雄。クィディッチの名選手。勇猛果敢で、とても優しい人。
だけど、……同時にとても繊細な人。
「もちろんよ、ハリー」
私は彼を抱き締めた。
壊れやすいガラス細工を柔らかく包み込む。
「好きなの、ハリー。愛してる」
「ジニー……」
ハリーの腕が背中に回る。
強い力で、私は抱き締められた。
その幸福感に、私は酔い痴れた。
「ハリー……、大好き」
世界が光り輝いて見える。
幸せで、幸せで……、幸せ過ぎて、怖くなる。
もしも、この幸福が壊れてしまったら、私はどうなってしまうのだろう。
その不安を押し殺すように、私は彼の唇を奪った。
ママの購読している女性誌で読んだ、大人のキス。ハリーがあたふたしている。すごく、かわいい。
ああ、ハリー。ハリー。愛してる。とても素敵だわ。
「ハリー。私を恋人にして……」
「……う、うん。その、ジニー! 僕も君が好きだよ。だからその……、付き合おう」
「はい!」
◆
歴史を紐解いてみよう。この世界には、様々な支配の形があった。
ある男は、支配した民からすべてを取り上げた。はじめに財産を徴収し、知識ある者を処刑し、恋愛を禁じ、大人である事を禁じた。
結果として、男の支配は成功した。外国からの介入が無ければ、永遠の理想郷を実現出来ていた。
ある男は、支配した民に共通の敵を定めた。あらゆる憎悪を、あらゆる憤怒を外敵に向けさせ、内に対する鬱憤を晴らさせ続けた。
結果として、男の支配は成功した。外国からの介入が無ければ、永遠の理想郷を実現出来ていた。
ある男は、支配した民に飴を与え、代わりに牙を奪った。そして、敵に対しても寛大な措置を取り、忠誠を勝ち取った。
結果として、男の支配は成功した。少なくとも、彼が生きている限り、彼の国は彼の物であり続けた。
ある男は、支配した民に夢を与えた。侵略戦争を続ける事で、敵から物資を奪い、国を潤わせ続けた。
結果として、男の支配は成功した。少なくとも、彼が生きている限り、彼の国は彼の物であり続けた。
「ポル・ポト。アドルフ・ヒトラー。趙匡胤。始皇帝。彼らは四者四様に支配を成功させた」
趙匡胤はこのような言葉を遺している。
――――仲間を無闇に信じるべからず。敵はうまく利用せよ。
成功者達に共通する事は、決して仲間を信じなかった事だ。
「……しかし、彼らは成功者であると同時に失敗者でもある」
結局、彼らの支配は、彼らが生きている間しか機能しなかった。
「学ばなければいけないね。死後も続く支配を……」
幸いな事に、学ぶ手段はある。それは失敗者達の伝記だ。
アメリカ合衆国第三十二代大統領フランクリン・ルーズベルトの妻、エレノア・ルーズベルトの遺した言葉に、こういうものがある。
――――他人の失敗から学びなさい。あなたは全ての失敗ができるほど長くは生きられないのだから。
成功とは、闇の中にある。失敗とは、闇を照らす光だ。光が多ければ多いほど、成功は見えやすくなる。
「だが、単純に彼らの逆を行けばいいというものでもない」
ビザンティン帝国の若き皇帝ミカエル三世は、仲間を信じ過ぎる事のリスクを後世に遺してくれた。
彼も他の支配者達同様に、あまり味方を信じてはいなかったが、バシレイオスという馬番の男の事だけは信頼していた。
気の置けない親友として、ミカエル三世はバシレイオスを信用し、地位と名誉、軍隊を惜しみなく与え続けた。
「人間は慣れる生き物だ。それは、恩義という感情でさえ例外じゃない。見返りもなく尽くされる事に慣れると、人間はやってもらって当たり前と思うようになる」
与えられる事に慣れた人間は、更に多くを求めるようになる。結果、バシレイオスは感謝の念を忘れ、ミカエル三世を殺害し、その地位を簒奪した。
「奪い過ぎては続かない。与え過ぎても続かない。なぜなら、支配者は人であり、被支配者もまた、人だからだ。まずは、人というものを知らなければいけないね」
ドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェは人間を二種類に分けている。
ルサンチマンとオーバーマンだ。
「ルサンチマンは、強者に縋り付いて依存し、自分では考えも、行動もしない者を指す。オーバーマンは誰にも依存する事なく、自己の判断で行動する事が出来る者を指す」
大抵の人間はルサンチマンだ。自分よりも上位の者に依存して生きている。だからこそ、支配そのものは容易い。
けれど、彼らは強者に従っているだけだ。強者が力を失えば、別の強者に頭を垂れる。
不特定多数の衆愚を集める事に意味はない。彼らは裏切るものだからだ。
「求めるべきはオーバーマン。僕の理想を理解し、自分から僕を選んでくれる存在……」
まずは、身近な所から攻略していこう。