第四話『神の領域』
手遅れだと気付いた時、人は初めて大切な事に気付く。
エミーが死んだ時、私はとても後悔した。
だから、後悔しないように生きてきた……、つもりだった。
「……また、やっちまった」
マクゴナガルは私を庇って死んだ。彼女の遺体はシニストラやムーディの遺体と共に地下室へ運ばれ、私は気づけば寝室で横になっていた。
後悔の念が何度も襲い掛かってくる。
あの時、私が黙っていれば、マクゴナガルは死なずに済んだかもしれない。ヴォルデモートの意識をさっさと奪っておけば、マクゴナガルは今も元気だったかもしれない。
「ちくしょう……」
涙が溢れてくる。
今になって、話したい事がいっぱいあった事に気付いた。
「……ぅ」
生きている者は、やがて死ぬ。分かっていた筈なのに、忘れていた。
話したい事があるのなら、すぐに話すべきだ。
聞きたい事があるのなら、すぐに聞くべきだ。
やりたい事があるのなら、すぐにやるべきだ。
伝えたい事があるのなら、すぐに伝えるべきだ。
分かっていたのに、マクゴナガルがいなくなる事を少しも予想していなかった。
まるで、体の一部が欠けてしまったかのようだ。息苦しくて、いっそ死んでしまいたい。
「……エレイン」
「大丈夫?」
いつの間にか、朝になっていた。
レネとハーマイオニーが私を見下ろしている。
「……大丈夫じゃない」
「みたいね……」
ハーマイオニーはベッドに腰掛けると、私の頭を撫でた。
「マクゴナガル先生はエレインの事を気にかけていたものね」
「……どうしてなのか、聞きそびれた」
心が落ち着くまで、かなり時間が掛かった。それなのに、二人は文句も言わずに付き添ってくれた。
起き上がって、服を着替えた後、私は二人に言った。
「……お前らは死ぬなよ」
「ええ、もちろん」
「私も死なないよ、エレイン」
その言葉を聞いて、ようやく少し安心出来た。
「ありがとな、二人共」
「どういたしまして」
「いつもの事だし」
私は本当に良い友だちを持った……、ん?
「おい待て、いつもの事って、そんなにいつもの事じゃないだろ」
「いやいや、割りといつもの事よ?」
「うん。エレインって、実は結構繊細だよね」
「ハーマイオニーはともかく、レネまでちょっと酷いぜ……」
「私はともかくって、どういう意味よ!」
軽口を叩いていると、大分気分がよくなった。
「……ちょっと、安心した」
「ん?」
急に立ち止まって、レネが言った。
「エレインは、怒らないんだね」
「怒るって?」
「……復讐したくないの?」
驚いた。最近、レネは少々ヤサグレ気味のようだ。
「マクゴナガルが復讐を望むような人間なら、考えたかもな」
「なら、ヴォルデモートの事をどう思ってるの?」
ハーマイオニーに聞かれて、私は少し考えた後に言った。
「次は誰も殺させない」
あの時、判断を間違えなければ、誰も死なずに済んだかもしれない。
「それだけ?」
「それ以外に何があるんだよ」
「……だって、アイツはマクゴナガル先生を殺したのよ? それに……、ロンやムーディ先生、シニストラ先生の事も」
言いたい事は分かる。大切なモノを奪われたのだから、奪った相手に憎悪を抱くべきだって話だ。
だけど……、
「例えばの話だけどよ。家族がスズメバチに刺されて死んだとしたら、お前らはスズメバチを憎むか?」
「……なんの話?」
「アイツはそういうヤツだって話だ」
あの時、私はヴォルデモートと言葉を交わし、その目を見て、ヤツの本質に触れた。
「善人だとか、悪人だとか、そういう括りじゃない」
「どういう事……?」
レネが怯えた様子を見せる。
「……言ってみれば、アイツは――――」
◆
「……あやつは、神の領域に至っておる」
「神だと……?」
早朝にホグワーツへやって来た闇祓い局局長のルーファス・スクリムジョールは、アルバス・ダンブルドアの言葉に顔を顰めた。
「まさか、貴方の口からそのような世迷い言を聞く事になるとは」
「ならば、虫で例えようかのう。カマキリなどはどうじゃ?」
「……何が言いたいのですか?」
ダンブルドアは言った。
「あやつの目には、もはや世界は作り物のように見えておる筈じゃ。生きとし生けるものすべてが、まるでチェスの駒のように見えておる」
「……奴の残忍さを言っているのですか?」
「そうではない。残忍ならば、まだ、救いはあった。あやつは死を克服してしまったのじゃよ」
「死を……?」
「さよう。……以前までは、不滅なだけの存在だった。だが、賢者の石を手に入れた事で、擬似的な不死性を手に入れてしまった。それ故に、命を軽んじるようになった。さきほど、他者をチェスの駒のように見ておると言ったが、そもそもの話……、あやつの目に、世界はチェス盤として映っておるのじゃろう」
「……待て。なんだ、それは……」
スクリムジョールの額に汗が滲む。
「分かりやすく言えば、ゲームを楽しんでおるのじゃ」
「ゲーム……、だと!?」
「以前とは違う。ロナルド・ウィーズリーの遺体を検分して、確信を得た」
「……殺された少年か。その遺体に一体なにが?」
「あやつの方から遺体の場所を教えてきたから、何かあるとは考えておった。……腐肉は後から付け足した物に過ぎず、骨に呪詛が刻まれていた。おそらく、葬儀の場で腐肉が崩れ落ち、呪詛が暴走するよう仕掛けておったのじゃろう。それも、病魔に冒される類のものじゃ」
「……だが、病魔如きなら」
「病魔の中には、治癒を行う間も与えず、即時に命を奪うモノもある。遺体に刻まれておった呪詛は、そういう類のものじゃ。成人した魔法使いならばともかく、防衛力の無い子供達には抗えぬほど、凶悪な病じゃ」
「……子供達を狙ったと? だが、何の目的で……。まさか、ハリー・ポッターを狙う為に他をすべて巻き添えに……」
「そうであったのなら、まだマシと言える」
「マシ……? 何を言って……」
「ハリーを狙ったのなら、他にもやりようはあったという事じゃよ。あのような小細工をする暇があるのなら、同じ寝室で寝起きをしている間にいくらでもハリーを殺すチャンスがあった」
ダンブルドアは言った。
「あやつは、ただ悪戯をしただけじゃ。わしが気づけば失敗。気付かなければ成功。その時は、大勢の子供が死ぬ。ただそれだけのゲームじゃった」
「……なにか、企みがあったのでは?」
「なにもない。言ったじゃろう? あやつは神の領域におる。遥か高みから、世界というゲーム盤を使って、人の命を弄んでおる」
「ふっ、ふざけるな!! ゲーム、ゲームだと言うのか!! その為に、こんなに大勢の人間を殺しただと!? 大臣や副官だけではない!! 己の配下!! 幼い子供!! 老人!! それを遊び感覚で殺したというのか!? 冗談ではないぞ、ダンブルドア!! 私は嘗てのヴォルデモートを知っている!! だが……、だが、あの頃のやつには少なくとも理想があった!!」
スクリムジョールの怒声を受け流し、ダンブルドアは言った。
「……不死を得たからか、あるいは他に要因があったのか、それはまだ分からぬ。じゃが、今の我々の敵は、そういう存在だと心するのじゃ。思想無き愉快犯。それ故に、掴めぬ。何が起きてもおかしくはない。警戒するのじゃ!」
「警戒……、ッハ! 言ってくれるな、ダンブルドア! そもそも、貴様が賢者の石を奪われなければ……いや、奪われた後に隠さなければ、ここまでの事態にはならなかったのではないのか!? 何故、黙っていた!!」
「それに関して、わしには申し開きの言葉もない」
その言葉にスクリムジョールは顔を歪めた。
理解はしている。ダンブルドアが責任を負い、ホグワーツを退任すれば……あるいは、アズカバンに入れられるような事態が起これば、今より状況は更に悪いものになっていた筈だ。
たとえ、ダンブルドアが賢者の石をヴォルデモートに奪われ、ヴォルデモートが復活したと言っても、魔法省が信じなかった可能性もある。……いや、恐らくは信じなかった。
「……ダンブルドア。我々はどう動けばいい?」
「まずは結束を固める事じゃ。信の置ける者を集め、備えよ。わしの方も動き始めておる」
スクリムジョールは深く息を吐いた。
「一つだけ……、これだけは教えてくれ、ダンブルドア」
「なんじゃ?」
「……我々は、勝てるのか?」
ダンブルドアは髭を撫でて言った。
「わしにも分からぬ」
その言葉に、スクリムジョールは底知れない恐怖を感じ、必死に抑えつけた。
偉大なる魔法使い。ヴォルデモートが唯一恐れた男。アルバス・ダンブルドアの放った言葉は、それだけ重かった。