半年以上何をやってたのかと聞かれたら、仕事に殺されそうになってました。すいません。
感想・評価・批評・誤字脱字の報告、その他諸々がありましたら、よろしくお願いします。
それでは第二十四話、どうぞ
「────ハァ、ハァ、ハァッ…………!!」
深夜。
自分以外誰も居ない寮の部屋で、更識楯無は意識を覚醒させた。
いつもの夢、いつもの悪夢の残滓から荒い呼吸を繰り返し、冬の冷気の中にも拘らず膨大な汗を流していた。
布団に包まれた肉体は寒さに震え、心は訪れるはずのない死に怯えていた。
「……また、あの夢」
毎晩、毎晩、少女は夢を見ている。
黒鉄に倒され、自分の大切な誰かに責められる夢。
言葉で責め立てられ、最後には肉体を壊され、殺される夢。
短い短い、されど少女にとっては無限に等しい時間に感じてしまう責め苦の夢。
この夢を見ないようにすることは、きっと誰にも出来ない。
そう、彼以外には。
「…………拓人くんッ」
四宮拓人がIS学園を去ってから、およそ二ヶ月が経った。
たった一人の生徒が起こした(とされている)事件によって、休校状態まで追い込まれたIS学園は、紆余曲折あったものの無事再開。
事件の際に発生した重傷者もほとんどが傷を癒し終え、学園に復帰。
事後処理もあらかた済み、半分以上の生徒・教員があの日に起きたことを、ただの記録として片付けようとしていた。
普通に平穏を享受していた。
だが、そうすることができない人間もいた。
彼を信じた者。
彼を想い慕う者。
彼を許せなかった者。
殆どが大なり小なり彼を好いていた生徒たちであり、たった半年にも満たない時間で拓人が残した絆と言い換えてもよいものであった。
そういった者ほど、彼が居なくなった影響を強く受けていた。
誰も居ない、そして誰も座ることがない席を見続けてしまう者。
時折上の空になって、何にも集中できなくなる者。
無理をして笑いながら、日に日に憔悴の色を強くする者。
彼が消える前と同じようにと振舞おうとして、違和感を振りまく者。
一人の生徒が消えようと普通は僅かな違和感以外何も残らないものだろうが、拓人は存在そのものが特殊且つ特異すぎた為、あまりにも多くの人間に消せない傷痕を残してしまったのだ。
ここまでが一般の生徒、職員の話である。
更識楯無やアイリス・ブルートンといったある程度”裏”に通じている人間、裏の事情を知ることができる人間には、更に大きな傷が残っている。
なぜか?
四宮拓人がIS学園を去ったその日に、何が起きたのかを知っているからである。
護送中に<愛する国を憂う民の会>、通称<愛国会>の襲撃を受けた拓人は、どういう訳かその時になって精神崩壊から回復し、自力で敵を排除した。
しかし代償は大きかったらしく、現場に散らばった無数の<黒鉄>の装甲片と襲撃者の死体、地表に残った拓人の多量の血痕、そして何処にも無い彼の姿がすべての結末を物語っていた。
生存は絶望的であり、彼の肉体は愛国会以上に強力な組織の手に落ちている。
それが”更識”をはじめとした暗部の人間が出した結論であった。
何も無いのだ、拓人の手がかりが。
何処にも見当たらないのだ、拓人の痕跡が。
まるで、
もう”四宮拓人”という人間が、この世界のどこにも居ないかのように。
◇◆◇◆◇◆◇◆
楯無の駆るミステリアス・レイディの蒼流旋の四門の銃口から撃ち出された銃弾を、アルストロメリアに身を包んだアイリスは左腕に装備した大盾で防ぎつつ、瞬時加速による接近を試みた。
「オラァっ!」
「…………」
年頃の少女に似つかわしくない気合の声と共に振り抜かれた袈裟懸けの一撃は、彼女と対称的にどこか冷めた目をした楯無の槍によって刀身を虚空に流され、空振りした。
体勢を崩されながら、なおもアイリスは逆袈裟での返す一撃を楯無に放とうとするが、それより早く楯無が横薙に振り抜いた蒼流旋が少女の側頭部を殴打した。
流石のアイリスもこれには堪らず、崩れ切った体勢のまま慌てて距離をとる。
彼女が距離を取った瞬間、今まで彼女がいた空間に蒼流旋が振り下ろされた。
「あ、危な……」
試合が始まってから続くまるで容赦のない楯無の攻撃に、アイリスは翻弄され、肝を冷やし続けていた。
隙が少ない、などという次元ではない。
場の空気は常に張り詰め、幾重にもクモの巣が張り巡らされている上に、それを全て避けきっても、その先にあるのは1m先を見ることすらままならない深い霧。
霧が晴れれば、今度は掴むことすら許されぬ幻が立ちふさがる。そんな状態である。
つまり何をしようと無駄。
一手先を読めば二手先を打たれ、三手先を動いても四手先で潰される。
隙という概念そのものがまるで存在していないのである。
「…………」
武器を蒼流旋から蛇腹剣<ラスティー・ネイル>に持ち替えた楯無は、試合開始時から一切変動していない冷めた目の無表情のまま瞬時加速でアイリスに接近し、アルストロメリアの武器の間合いの外から剣を振るった。
ワイヤーによって伸びた刀身を、アイリスは最初こそ剣で切り払っていたが、合間合間に剣ではなく高圧水流の一撃が交じるようになると盾で防がざるを得なくなった。
「ならっ……!」
このままでは埒があかないと考えたアイリスは多少のダメージ覚悟で大盾を捨て、大剣を構えて楯無に突進を仕掛ける。が、楯無はラスティー・ネイルを蛇腹状態から剣状態に戻し、アイリスの足元をすり抜けるように大剣の一撃を避け、更にすり抜けざま白のISの脚部装甲を切りつけた。
「クッ!」
「…………」
二人は直ぐに振り返り相手へと剣を向けた。
だがアイリスの振るう大剣は、峰のブースターによって通常よりも早く降る事が出来る物であっても至近距離では大変取り回しが効きづらく、反対に楯無の蛇腹剣は鞭から片手剣に戻っているため、至近距離で振るうのに適していた。
もう避けるのも防ぐのも無理だと悟ったアイリスは、振る前の大剣から左手を離し、胴体を逆袈裟に切り裂かれる寸前に槍剣を呼び出し始めた。
そして楯無が剣を振り抜いた直後に現出したソレを、逆手で突きこんだ。
かなり無理のある体勢で繰り出された大分無理のある攻撃は、結果としてミステリアス・レイディの装甲を掠め、僅かながらダメージを与えるのに成功した。
が、アイリスに出来たのはそこまでであった。
瞬時加速で楯無が離れた瞬間、アルストロメリアの機体各部で小規模な爆発が連続して発生し、トドメとばかりに起きた大爆発が残っていたシールドエネルギーを一気に削りきった。
『試合終了。勝者、更識楯無』
エネルギー切れで飛べなくなりアリーナの地面に落ちたアイリスは、敗北への悔しさに唇を噛み締めた。
そして、自分のことを振り返りもせずにピットへと入っていく少女を、憐憫の念が篭った目で見つめた。
◇◆◇◆◇◆◇◆
自分のピットに降り立った楯無はISの装着を解除すると、一番近い壁へと寄りかかった。
無表情が崩れ、苦痛と苦悩、怯えと恐怖を混じえた表情が浮かぶ。
一分前に蛇腹剣を握っていた右手が震え、それを抑えるように右手を握り締める左手も同様に震えていた。
「…………っ」
楯無はそのままその場に座り込むと、額に握り締めた両手を当て、誰も居ないのに、他人に自分の表情を見られないよう俯いた。
恐怖症。
フォビア、恐怖神経症とも呼ばれる精神疾患。
それが現在、楯無の心を蝕むモノの正体だった。
強くなること、自分の大切な何者も守れる者であることが、今代の更識楯無が己に課した絶対事項。
だがそれが、楯無にとって堪らなく辛いものとなっていた。
強くなれば、それだけ自分の大切なものが消えていく。
勝とうとすればするほど、守ろうとしたものが失われていく。
叔父が死に、妹に拒絶され、いつしか意識の外──無意識に小さく根付いていた思い込みは思い込みのまま消えてはくれず、拓人の失踪を期に表に出てしまった。
そして、これらは転じて、戦闘及び戦闘で使用される武器への恐怖に繋がってしまった。
言うなれば、今の楯無は戦闘恐怖症、武器恐怖症だろう。
戦闘中は強靭な意志、或いは現実逃避の念からソレを封じることができる楯無であるが、ひとたび戦闘が終わってしまえば、そこには恐怖に震えるただの少女しか居なかった。
「楯無」
「…………っ! 拓──」
そうして座り込んだままどれだけの時間が経っただろうか。
ピットの出入り口に人の気配が現れ、楯無の名を呼んだ。
この学園において、楯無の名を敬称無しで呼ぶ人間は、拓人を含め数少ない。
楯無は弾かれるように音の発信源に振り向いた。
そこに居たのは当然拓人──
「あっ……」
などではなく、IS学園で手に入れた親友の一人で恋敵でもあった少女、松本幸貴だった。
虚を突かれた楯無は、最近ずっと隠している素の表情を友人に向けてしまい、しまった、と俯いて表情を隠そうとするが時すでに遅く、幸貴はその顔をハッキリと見てしまった。
怯えと恐怖、苦悩が入り混じった■■の素顔を。
「……楯無? その──」
「なんでもないわ」
「でも……」
「なんでもないからッ!!」
「…………っ!」
”楯無”の表情に半ば呆然としながらも気遣う目で声をかけた幸貴を、少女は今までにない強い言葉と殺気混じりの怒気を以て拒絶した。
二十に満たない歳ながら、暗部出身の”楯無”が放つソレを正面からモロに浴びせられた幸貴は、驚き、硬直し、青褪めた。
”楯無”と違って幸貴はただの十六歳の少女に過ぎない。
拓人や歌穂の所為で(おかげで?)多少の事に動じない精神力は身についているものの、流石にその道の人間に殺気など向けられれば、この反応は当然の事態であった。
すぐに”楯無”は自分が親友に殺気を向けてしまった事に気づいたが、謝ろうとして開いた口から言葉が出ず、俯いたままになった。
「ぁ……た……楯、無?」
「──今は、一人にして。お願いだから」
何を言えばいいのか分からず、それでも呼びかける親友に、殺気を抑えた”楯無”は必死に懇願した。
誰とも話したくない、誰にも今の自分を見せたくない、と。
幸貴はなおも呼びかけようと口を開いたが、結局何も言えずに泣きそうな顔でピットを走り去った。
顔を上げずともそれを察知した少女は膝を抱え、膝頭に顔を埋めた。
「…………ッ!」
握り締めた拳が壁を打ちつけ、”楯無”以外誰も居ないピットに虚しく音が響いた。
◇◆◇◆◇◆◇◆
「……寒い」
学年トーナメント優勝パーティーを早々に切り上げ、楯無は制服から着替えることもせず、ジャンバー一枚だけ羽織って学生寮の屋上へと登った。
未だ雪は降っていないがそれでも十二月の夜。
夜の帳がおりた世界を寒気が包み、一切の例外なく熱を奪いとる時間。
制服と学園指定のセーター、ジャンバーの三枚を着込んだ程度では、その影響を防ぎ切ることは当然できない。
ましてや今日の冷え込みは、ここ数年でも特に酷いモノ。
正常な人間であれば、すぐにでも屋内へと引き返すこと間違いなし。なのだが、
「ハァッ……」
楯無は冷えた手に息を吹きかけた。
白い息は手の表面を温めたが、すぐに冷え切ってしまった。
かつて拓人が、走るという行為に亡き双子の妹との繋がりを求め、ある種の安らぎを得ていたように、楯無はこの屋上に来ること──正確にはこの場所で拓人のことを考えること──で精神の安定を保っているのだ。
この行為を現実逃避と言われればそれまでなのだが、そうでもしないと今の楯無は自己を守ることすら危ういのである。
妹──更識簪の存在が、今代の楯無にとってどれだけ大きかったのか、今更語るまでもないだろう。
楯無は良く言えば妹思い、悪く言えば
四宮拓人という少年は、半年にも満たない時間の中で楯無にとって妹に匹敵、或いは凌駕すると言っても過言ではない程大きな存在となっていた。
妹に拒絶されただけで軽く発狂する楯無であるが、もし妹を亡くしてしまえばその時どんな狂乱っぷりを見せるか想像に難くない。
確実に妹を死なせた原因を、ありとあらゆる手段をもってこの世から抹消するだろう。
では、彼女より大切な誰かを失ったとしたら?
その答えが、今の彼女だ。
「…………」
屋上のフェンスにもたれ掛かり、ゆっくりと座り込んだ。
全身から力を抜いて手足を投げ出した少女の姿は、死に行く者、死体のソレであった。
夜空を見つめる瞳に光が無いのであれば、誰もがそう錯覚するだろう。
自己を律するタガが外れ、ふとした拍子に本来の自分、更識■■の姿が表に出てしまうようになった。
拓人を■そうとした愛国会の殲滅を指示しているとき、武器・戦闘行為に恐怖しているとき、日常の中に四宮拓人の幻像を探してしまうとき。
決まって、その表情は更識■■のモノとなっていた。
それだけではない。
”更識”本家で植えつけられた恐怖への耐性が弱まり、暗部の人間としては致命的な恐怖症を発症してしまった。
本調子の”楯無”であれば恐怖症程度、発症直前に意志の力で抑えるなど容易いことだった。
が、自己コントロールすら上手く行えない現在の不安定な彼女には、そんな容易い当たり前の事すら出来なくなっていた。
一時は抑えきれる。が、それは本当に一時凌ぎでしかなく、事が終わった後は、必ず弱い自分が表に現れる。
更識楯無という人間は弱くなった、IS学園入学以前の強さを持っていない、おそらく更識家で一番の役立たずだ。
少女が自分に下した評価はこれ以上ない程自虐的で、同時に、疲弊しきった彼女の心理を表しているものであった。
「…………」
私はこの二ヶ月、平日三日と休日二日の週五日を”仕事”に注ぎ込んでいた(勿論夜は、かなり無理をしてでもこの場所に来ていた)結果、出席日数その他諸々、簡単に言えば進級に必要な単位がかなりマズイ事になってしまった。
私の事情を知る轡木学園長や織斑先生が最大限便宜をはかり、知らないながらも何か事情があると察してくれた歌穂たちが、可能な限り詳しく授業内容をノートに残してくれたおかげである程度はどうにかなっていたものの、やはり限界は有り。
これ以上欠席をするようであれば、留年させると通告されてしまった。
折しも三日前、<愛国会>及び愛国会に属する下部組織全ての殲滅が確認されたところであったので、私は学業への専念を”更識”本家に言い渡された。
だがそれは、戦力外通告にも等しいものだった。
暗部の一つを潰したとは言え、まだ”更識”としてやらなければならない事は残っている。
愛国会に並んで謎の多い組織<亡国企業>の調査。
ここ二ヶ月の騒動でわずかに尻尾を出した各国の暗部の全容把握。
そして、行方不明の拓人くんの捜索。
私はその全てに、事実上関わるなと言われたも同然なのである。
彼を、拓人くんを見つけていないのに、学生などやってられない。
どれだけ弱くなっていようと、私に出来ることはまだある。
だから残りの仕事にも参加させて欲しい。
色々と言った気がするけど、要約するとそういう内容を私は”更識”本家に訴えたが、ごく自然に却下された。
「………………」
心にポッカリと空いた穴には虚しさと、苦しさと、行き場のない憤りが溜まりこんでいた。
昼間、学年トーナメントの対戦相手全てに、八つ当たりで随分と乱暴な戦いをしたが、結局は恐怖症の症状が出て、私を苦しめただけだった。
抑えられない、耐えられない。
感情が、孤独が。
心が、体が。
人は自分の知る世界、認識に縛られる。拓人くんはこの場所でそう言っていた。
危険と判断すれば、それがなんであろうと排除し、表の人間を守る影の役割を果たす。
それが”更識”という家に縛られた、楯無という人間にとって当たり前の
先代も、そして
それでも私は、更識■■としての
名を継いだ時から、それ以前の自分を消した先代のように、自分の全てを殺していなかった。
叔父のことも、簪ちゃんのことも、友達のことも、拓人くんのことも。
色んな人への、色んな想いを。
誰にも触れさせない、犯させない、大切な大切な、私の世界を。
でも、もう私の世界は崩れてしまった。
彼は居ない。
拓人くんは、もう居ない。
その事実に、私の世界を守る何かが壊れた。
戦うことが、怖くなった。
武器を持つことが、上手くいかなくなった。
当たり前のように表情を取り繕うことが、出来なくなった。
更識楯無になりきれず、更識■■が表に出ようとする。
「……………………」
でも、それはダメだ。
弱い
私は強がって、強がって、強がって。
その果てに更識楯無という
弱い自分を封じ込め、生きるための私を得た。
自分を誤魔化し、世界を誤魔化す自分を、得た。
今更、その殻を脱ぐことはできない。
こんな私を、誰かに見せることなんて、できない。
拓人くんの様に、誰かに話すことなんて、できない。
打ち明けられると思った人は、もう居ないから。
「…………」
当たり前が無くなり、明るかった、温かかった世界が、崩れ壊れ。
自分が、自分でありたくない。
苦しみを、悲しみを、嘆きを、自分じゃない”自分”に押し付けてしまいたくなる。
……双子の妹が死んだとき、彼も、こんな気持ちだったのかな。
今ならこれ以上ない程理解できる。
彼が二重人格じみた精神構造を作った理由も。
彼が味わった絶望も。
見上げた空には物言わぬ星々が輝き、夜の帳が下りたIS学園を照らし続けている。
「…………ああ」
──このまま、夜が私を、溶かしてくれればいいのに。
「…………?」
屋上を訪れてから時間が経ち、随分と体が冷えてしまった。
そろそろ戻ろうかなと立ち上がろうとしたその時、ジャンバーのポケットに入れておいたケータイが二、三度振動した。
確認してみると、見覚えのない番号からの着信を知らせていた。
「…………」
普段なら迷わず無視するソレを、何故か私は無視できず、その番号にかけ直した。
八度、九度、十度とコール音が鳴り、誰も電話に出ない。
無意味だったか、と軽い落胆を覚えて通話を切ろうとした瞬間、それまでのコール音が切れ、電話が繋がった。
「……誰、ですか?」
『…………』
「貴方は誰ですか?」
『…………』
電話の向こうの”誰か”は沈黙したまま答えない。
十秒、二十秒経っても何も喋らない。
でも私は、相手が喋るのを待った。
今の私には、時間だけは腐る程あるから。
そして、電話の向こうの”誰か”はしゃべりだした。
『……久しぶり、楯無』
「…………………………拓人、くん?」
◇◆◇◆◇◆◇◆
今は、朝なのだろうか。
それとも、昼なのだろうか。
或いは、夜なのだろうか。
昼夜の感覚はない。
自分は今、立っているのだろうか。
座っているのだろうか。
倒れているのだろうか。
平衡感覚はない。
僕の体は、動いているのだろうか。
止まっているのだろうか。
視覚も触覚もない。
護送中の襲撃で死にかけていた僕は、(偶然なのか、必然なのか)その場に現れた博士に拾われた、らしい。
四肢欠損、体内に残留した無数の弾丸、出血多量など、死人一歩手前の状態で拾われた僕を博士とクロエ(くーちゃんと呼ばれていた少女の本名)の二人は一週間かけて治療した、らしい。
その後一ヶ月間、意識を覚醒させては痛みに暴れ、その度にクロエに鎮圧されていた、らしい。
らしい、などと曖昧に言っている理由は、その間の現実の記憶が僕には無いからだ。
眠っている間、殆どがロクでもない、僕じゃない”四宮拓人”の知識と情報を刻みつけられていたのだ。
で、ようやく暴れずに目覚めてからの一ヶ月は、現状の把握と、自分の中の情報が正しいのか博士に確認してもらい、場合によっては情報の中のロクでもないモノを世界から消してもらうのに費やした。
まあ現状の把握といっても、IS学園で起きたことの顛末、自分が既に取り返しのつかないレベルの異常をきたしている事、延命措置を行っても一年は生きられないという事。
そして延命措置というのがクロガネ、<Snow White>の破壊ということしか分からなかったけれど。
「もういいんだね?」
「はい。もう、いいんです……」
明けることのない闇の向こうから、冷たく作業的に、しかしどこか優しく問いかける博士の言葉に肯定の意を返す。
「そう。ま、それが君の選択っていうなら、私は何も言わないよ」
「ありがとうございます、博士」
「お礼を言われる筋合いはないよ。ただ私は私自身のために君を利用しただけだし」
「それでも、ありがとうございます」
「…………」
返答はない。
もう話は終わりなのだろう。
足音と共に、博士の気配が離れていく。
これで博士と話すのも最後だと思うと、少し寂しくなる。
何だかんだでこの十ヶ月、いろんなことでお世話になっていたから、余計に。
「…………さよなら、四宮拓人」
「……っ!」
扉が開く音がして、また閉じる音がする直前、辛うじて聞き取れるほど小さな声で、博士は
博士も僕と同じ、神様という奴に運命を縛られ、自己を塗り固められた存在だと博士本人が言っていた。
僕は十八歳までに必ず死に行く運命を。
博士は天才であり天災であり奇人であり非人であり狂人である運命を。
それぞれ押し付けられていた。
博士は、親友や妹など一部の例外を除いた人間の顔、名前を覚えることができず、さらにそういう人間に対してはどうしても冷たい態度しか取れないようになっていた。
そんな人として狂っている博士は、しかし根底では誰よりもそんな自分を嫌い、変えたいと願っている普通の人間でもあった。
そして、その願いは少しだけ叶ったみたいだ。
(さよなら、篠ノ之束……)
どんな事情があるにせよ、恩人である人の悩みが少しでも解決したって言うなら、それは喜ばしいこと以外の何でもない。
前述の事情を知ってからは少しだけ博士のことが心配になっていたけど、ちょっとでも良くなっているのなら、これからだって良くなっていくはず。
うん、心残りが一つ解消された。
と、博士といえば、
「君は行かないの、クロクロ?」
「…………」
クロエ・クロニクル。通称くーちゃん、またはクロクロ。
博士からは娘扱いされている少女で、この一ヶ月、僕の身の回りの世話を全て行い、僕の我が儘を、どんな手段を用いてでも達成してくれた子だ。
でも、僕の面倒を見てくれていたのは博士からのお願いがあったからだ(あと料理を教える約束があったから)。
もう博士は僕を放っておくことを決め、これ以上の干渉はしないと言った。
つまりクロクロが僕のそばに居る理由は、もう無いのだ。
「博士だってもういいって言ったんだし、君も僕のことは放っておいてイイんだよ?」
「いえ、まだ、恩を返してません」
……恩?
僕が彼女にしたことで彼女が恩に感じるようなこと、料理を教えたことと…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………他に何かあったっけ?
「別に恩義を感じてもらうようなことは何もしてないよ?」
「料理を、教えてもらいました」
「いや、アレは……」
ヘドロ状だったり炭化してたり劣化ウランじみた何かに変異を遂げていたりする料理に、流石に命の危機を感じたというか、あんなもの食ってたら流石に死ぬというか、そんな死に方はごめん被るというか。
かなり打算と身の危険を感じたからの行動だったんだが。
「人間について、教えてもらいました。
世界について、教えてもらいました。
誰かと話すことの喜びを、教えてもらいました。
私に無かったモノを、たくさん貰いました」
「…………」
「貴方がどう思っているのかは分かりません。
ですが、貴方と過ごす時間、話す時間は私にとって貴重なものでした。大切な体験でした」
「…………そっか」
この子は僕と話しているとき、何時も無表情で、無感情といった様子だった。
唯一博士の話題の時だけは感情を発露させていたが、それ以外は完全に何も思っていない、何も聞いていないという風だった。
それだって、たかだか一ヶ月程度の短い間の事だったのに、まさかこんなに感謝されているとは思わなかった。
でも、ちょっと納得だ。
この一ヶ月、僕の我が儘を、どんな手段を使ってでも果たしていたのは、そういう理由か。
「本当なら、一生かけてでも貴方にご恩を返したいのですが……」
「僕はもう、死ぬからな…………」
「……はい」
死ぬ、といえば語弊がある。
博士の言葉を借りるなら、還るのだ。
博士が言うには、一連の事件で僕は雪白──<Snow White>と繋がり
その所為で今の僕は人間ではなく、白騎士や雪白達、インフィニット・ストラトスに近しいモノと成りつつあるそうだ。
自分の体に戻るまでの一時でも、僕は存在がISと同化していた。
その影響で精神だとか魂だとか、つまるところ僕という人間を成り立たせている半分が、人間のソレとは違うものへと変わってしまったのだ。
人の肉体という器から切り離され、形を変えた精神が元の身体に馴染むはずもなく、その結果、拒絶反応による衰弱が起きている。
そして僕の変質が続けば続くほど拒絶反応は強くなるらしく、衰弱が始まってから一ヶ月の段階で、もはや人の手に負える現象ではなくなってしまった。
<Snow White>を破壊すれば、僕の変質を止められるらしいのだが、それでも一時的処置にしか過ぎず、一度アチラのモノになった四宮拓人の存在は、常にアチラに引き寄せられているのだとか。つまり変質する速度が下がるだけで、止まるわけではない。
まあややこしかったり長ったらしかったり面倒な話を無視して結論だけ述べるなら。
僕の死はもうどうあっても避けられない。一年以内に必ず死ぬ、だ。
この事実を博士に説明されたときは流石の僕もかなり取り乱したけど、今となってはちょっと笑う余裕も出てきた。
「私としては、どんな手段をとってでも貴方に生きて欲しいです」
「それについては何度も言ったけど、NOだ」
「……なんで、ですか」
でも、クロエはそうでもない。
僕の世話をしている時どんな顔をしているのかは見えないし、相変わらず声から感情を読み取ることは出来ないが、きっと悲しそうな顔をして、表情のとおり悲しんでいたのだろう。
時折、言葉に詰まったり、僅かに語尾が強くなっている時があったし。
そんな風になるくらい想ってくれている、というのだから、僕としては嬉しい限りだが。
「だってさ、雪白を、あの子を殺すなんて、許せるわけ無いじゃないか」
”あの子”に復元された雪白は、僕と話すときは、相も変わらずはしゃぎまわっているというかハイテンション絶頂中というか、とりあえず以前の彼女から黒い(又は闇な)部分がかなり削れている事以外は変な部分はない。
だが時折、妙に落ち着いた、あるいは達観したとでも言うべき顔になり、それまでの彼女からは考えられないような言葉を発してきた。
まだ、生きたいのか、と。
楯無に、IS学園の皆に会いたいのか、と。
以前と同じように僕をお兄ちゃんと慕いながら、その精神は幼い子供のそれから成熟した女のモノに成長し、僕への極度の依存を脱していた。
多くを語りはしなかったが、彼女も僕と同じように多くの誰かの記憶や経験を見て、そこから学んで、悩んで、考えてを繰り返したらしい。
まるで人間のように。
四宮拓人の人生は、四宮芽生という少女の人生を犠牲にして続いてきたモノだ。
これ以上、誰かの未来を壊してまで生きるなんていう事は、とてもじゃないが出来ない。
「あの子にはまだ未来がある。僕の時間なんかよりも、ずっと長く続く未来が。
それを奪ってまで生きるなんて、僕には出来ないよ」
そう締めくくって、クロエに笑いかけた(つもり)。
この問答も、実は何回も行われてきた。
その度にクロエは理解出来ないと言って去っていった。
「……やっぱり、理解できない?」
「…………ッ!」
クロエは何も答えず、黙り込んでしまった。
やっぱり、最後まで理解されなかったか。
まあ今のこの子に理解しろっていう方が、無理なんだろうけどさ。
「なら……」
「ん?」
「ならせめて、何か我が儘を仰ってください。まだお返ししてない恩を、ちょっとでも返させて下さい」
「いや、だから……」
別にそんな、恩なんて気にしなくてもいいのに。
僕としては、どれもこれも(一部例外はあるけど)当たり前の事しかしてないんだし。
そう言おうとした僕の言葉を遮って、クロエは続けて言った。
「今日で最後なんです、これで最後なんです。今貴方への恩を返すことが出来なければ、私はこれから先、ずっと後悔することになります!
だからお願いです。何か、何か命令してください……!」
………………………………クロエが叫んだ!?
あ、いや、今はそんなこと気にしている場合じゃないな。
落ち着け、僕。うん、落ち着け。
…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………よし。
気を取り直して。
こうまで言われて何もお願いしないのは、鬼畜の所業だ。
それで彼女の気が済むというなら、少しでも心が軽くなるというなら、一つお願いしようじゃないか。
でも、何をお願いしようか?
「何でも良いのかい?」
「何でも良いです。どんなことだって、必ずやり遂げてみせます」
……何でも、か。
IS学園のみんなや陽子さんに健介さん、大和屋たちへの手紙は託した。
四宮の家に封印してあるヤバイモノの後処理も済んだし。
僕の遺体とクロガネの、<Snow White>のその後も博士が(勝手に)引き受けてくれた。
もう自分がやらなければいけないこと、やりたいことなんて何も──
『…………拓人くんッ』
「……………………」
ふと、誰かの悲鳴に近い声が聞こえた、気がした。
……うん、そうだな。
彼女には手紙なんかじゃなく、自分の口から別れの言葉を言おう。
そうしないといけない気がする。
「クロエ、頼んでいいかな?」
◇◆◇◆◇◆◇◆
「…………………………拓人、くん?」
「うん、拓人くんです」
疑心と驚愕、そしてそれ以上に願望が篭った楯無の言葉に、拓人は常以上に軽いノリで答えた。
「……貴方、本当に拓人くん?」
少なくとも、楯無の知る少年はこういう時にこんな茶目っ気を見せる相手ではなかった為、楯無は少々呆気にとられた。
一応、声は記憶の中の彼のものだった為、十中八九電話の向こうに居るのは拓人だと楯無は認識しているが、念のためもう一度確認した。
「なんだよ、その如何にも疑ってますって声は」
「だって貴方ねえ……」
「む、変に暗い空気にならないように、僕なりの茶目っ気を出してみたんだが、お気に召さなかったか?」
「要らないから! そんな気遣い要らないからね、拓人くん!?」
先までの落ち込みよう──と言うべきか壊れ様と言うべきか──が嘘のように楯無は叫んだ、と言うか吠えた。
電話の向こうの少年はえー、と不満げな声を出し、しかしすぐに軽く笑い声を上げた。
「拓人くん?」
「いやぁ、なんか落ち込んでるって聞いたけど、意外と元気そうだなって」
どこから聞いたのか、どうやって知ったのか、など楯無は拓人に幾つも言いたいことがあったが、それ以上に何時もの様子で話す彼に大きな安堵を感じた。
消えてなかった。彼は居る。
(電話の向こうだけど)此処で、こうして話せている、と。
「ところで今、時間大丈夫?」
「……ええ、大丈夫よ」
そんな楯無の胸中など露知らず、拓人は消える前、IS学園で事件を起こす前と同じ調子で楯無に長電話は大丈夫かと聞く。
拓人は、自分の現在地が日本ではないと詳細な位置はボヤかして束とクロエに教えられていたので、楯無が寝る前ぐらいの時間ではないかと気にしていた。
幸いにも日本はまだ二十一時を過ぎた頃。
楯無はこの二ヶ月で、どころかこの半年あまりで一度もなったことがない様な穏やかな心でそれに応じた。
「久しぶりだから話したいことは一杯あるのに、何を話せばいいのか分かんないや」
「そうね、私も分かんないわ」
「何を話そうか?」
「何を話しましょう?」
何を言おう、何を話そう。
電話の向こうにいる人との、誰にも侵されないこの時間を、どう使おう。
知らず、二人は全く同じことを考え、同じ表情を作っていた。
即ち、笑顔を。
「みんな、元気?」
「ええ。以前と全く同じとはいかないけど」
ポツポツと、よくある定型文から二人の会話は始まった。
最初は二人共、遠慮がち──踏み込もうとしないとも言う──に言葉を選んで喋っていた。
「十三歳で大人顔負けの格闘能力、か」
「ええ。十四歳の時には、有名どころは全部使えるようになってたわ」
「はぁ~、石動以上の才能の塊だな」
が、次第に話は弾み、二人は今まで互いに話そうとしなかったこと、相手に遠慮して聞こうとしなかったこと、話さない方が良いと思っていた事柄を口にするようになった。
堰を切ったように、止まらなかった。
「名状し難き生物って何よ……」
「いや、そのまんまでさ。なんか触手みたいな器官と、目がびっしりと付いた腕みたいな何かが暗闇から出ていて──」
「ごめん、それ以上言わないで。想像したくないから!」
嘘っぽいが本当な体験談。
世間には知られていない事件の裏側。
それぞれがそれぞれ、相手が知ることができないだろう話を幾つも話し、談笑を続けた。
「……話を聞けば聞くほど、拓人くんの交友関係が分からなくなってくるわ」
「そんなに変か? 陰陽師に極道にハッカー、オカルトマニアに伝承マニアにミリタリーマニア、格闘家剣術家剣道家馬鹿、あとは……」
「うん、最初の三つでもうおかしいからね!?」
全部、全部、吐き出すように。
今の穏やかな時間を破壊する致命的な問いを避けるように。
いつか訪れるその時を拒絶して、苦しそうに、されど嬉しそうに。
「対暗部用暗部『更識』ねぇ。君もトンでもない生まれなんだな」
「そうよ…………私のこと、怖い?」
「いや全然。むしろその程度かって拍子抜けしてる」
自分の隠してきた過去も、出自も、まるで何かに取り憑かれたように二人は相手に語った。
だが終わりは訪れる。
時間にも、人にも、どんなものにも。
楯無は全て語った。
『更識』という家のことも、己が名の意味も。
ただ一つ、彼が消えた後、自分に起こった変化を除いて。
拓人は全部伝えた。
襲撃されて右腕を失ったこと、中学時代に体験した世界の【裏】の出来事を。
かつて妹を見捨てたことを隠して。
「……………………」
「……………………」
そして、互いに黙り込んだ。
少年も、少女も、気がついていた。
残りの伝えなければならないこと、聞かなければならないことは、今の時間を終わらせることを意味すると。
だから言えない。
これ以上は、何を言おうと必ずソレに行き着くと分かっているから。
電話の向こうの相手と話すのは、これが最後になると薄々感じているから。
「僕は、幸せだったんだ……」
「……何が?」
それでも拓人は言葉を紡いだ。
別れを告げること。それが、今の彼の目的だから。
無言であること、彼の言葉に反応しないことが一番行ってはいけない事だと悟っている楯無は、ただ静かに先を促した。
「心配してくれ人達がいた。友達だって言ってくれる奴らがいた。仲間だって言ってくれる人達がいた。好きだって言ってくれる子がいた。実の兄のように慕ってくれる子がいた。競いあえる相手がいた。こんなに弱い僕を、ただあるがままに受け止めてくれる娘たちがいた。
僕は……僕はそれだけのことが幸せだったんだ」
四宮夫妻をはじめとした倉持技研の職員たち。
大和屋、石動、槙島の三人と、中学時代の無数の出来事で関わりを持った多種類の人たち。
一年一組生徒を筆頭にしたIS学園生たち。
無機質と無関心と哀れみとホンの少し優しさをもって彼に接した天災とその娘。
事あるごとに喧嘩ばかりしながらも、(内心では)ライバルと呼び合う間柄だったアイリス。
入学してすぐに友人となって、文字通り自分を曝け出すことができる間柄にまでなった歌穂たち。
もう何も見えない拓人の目に、彼ら彼女らの姿が、浮かんでは消える。
「だから、皆に直接お別れを言えないのが、心苦しいんだ」
「…………ッ!」
楯無の手で強く握り締められた携帯電話が軽く軋んだ。
少女が何となく想像していた、理解していた事だった。
四宮拓人は今日、この電話を最後に世界から消えてしまう、と。
どうにもならない、どうにも出来ないんだ、と。
「どうして……」
「ん?」
「どうして、私なの? どうして私に、お別れを言うの……?」
だからこそ、聞かずにはいられなかった。
叔父夫婦や中学時代の親友たち。
事件・騒動の中で知り合った有力者や【裏】の住人。
そしてIS学園の友達。
別れを告げるのは楯無でなくとも良かった。選択肢はいくらでもあった。
関係の深い人間など幾らでもいただろうに、拓人はその中から楯無を選んだ。
楯無一個人としては嬉しくないわけがない。
だがそれでも、何故? どうして? と聞かなくてはいられない。
「なんで、か……」
が、問いかけられた方はその質問が意外だったのか、はたまた明確な答えを持ち合わせていないからか、困ったように唸りだした。
楯無が静かに待つなか、拓人は唸るのをやめて苦笑を漏らした。
「あんまり変に思わないでくれると助かるんだけど……」
「うん」
「好きだから」
「え?」
「だから、好きだから、君が」
「……………………………………ゑ?」
固まった。
何がと言われれば、場の空気と楯無が。
(彼は今なんて言った?)
(好きだって言ったよね?)
(誰のことが?)
(君がって言ったよね?)
(つまり、私?)
(でも彼のことだから、特別な好きとかじゃないよね?)
(どうせ友達としてって意味での好きよね?)
「ああ、誤解の無いように言っておくけど、友愛とかじゃなくて特別な意味での”好き”だからな。ハッキリ言えばI LOVE YOU」
(………………I LOVE YOUってどういう意味だっけ!?)
楯無の暴走しまくった思考を読んでか、それとも無意識にか、無駄に流暢な英語で追い討ちをかける拓人。
ただでさえ混乱と羞恥と喜楽とその他諸々の感情で暴走していた楯無は、さらに暴走してまう。
具体的に言うと、一時的に呼吸活動そのものが止まり、異常なまでに顔面を真っ赤に染め、釣られるように(主に顔面周りの)体温が上昇し、思考が明後日の方向に向いて走る。
「……楯無、大丈夫か?」
「!”#%&@?!(全然、全然大丈夫じゃない!?)」
「あ~、とりあえず落ち着け。人間の言葉を喋れ」
電話越しに少女の尋常ならざる様子に気づいた拓人は、恐る恐る大丈夫かと聞くが、楯無は日本語どころか言語という体を成さない声を上げる。
呆れと苦笑いを湛えながら拓人は彼女に落ち着けと言うが、それでも少女が落ち着くのには相応の時間がかかった。
「で、いい加減落ち着いた?」
「……………………ごめんなさい」
先程までとはまた別の理由で、楯無は真っ赤になっていた。
拓人は直接見てもいないのに、羞恥のあまり、穴があったら入りたい状態の彼女が想像できてしまい、その姿がおかしくて、微笑ましくて、笑みを浮かべた。
「というかさ、僕が君のこと好きだって言うの、そんなに変かな?」
「え、いや、だって、それは、その、えと…………拓人くんだし?」
「どんな理由だ、オイ」
「だって……拓人くん、今までそんな素振り見せなかったし。誰が色仕掛けしても、無反応だったし」
「あー、うん、それは、まあ、なあ……?」
ハニートラップやら楯無からの誘惑やらの週一ペースで起きていた色仕掛け各種を素でスルーしたり、他人を呼んできて逆に相手の羞恥心を刺激して追い払ったり、最後の手段として寮監に秘密裏に連絡したりなど、据え膳何それ食えるの? と性欲も色気も恋愛感情も皆無の人間として周りに認識されていたなー、そういえば。
と自分の行動を振り返って、拓人は少々落ち込んだ。
「やっぱり、僕の言葉は信じられない?」
「ええ、正直に言うと」
「そっかぁー」
どうしたもんかな、と少年はしばし考え込む、フリをする。
どうするか、そんなものは決まっていた。
「九年前、僕は妹を見捨てたんだ」
「……え?」
「炎に包まれた家で、燃える部屋の中で動けずにいる芽生を、たった一瞬だったけど、助けられないって諦めて見捨てたんだ」
「…………っ!」」
「だけど芽生は、僕にありがとうって言ったんだ。自分が一番辛いはずなのにね。
その時のことが原因で、僕は誰かに諦めろと言われると、その事柄を諦められなくなるんだ」
突如拓人が語ったのは彼にとって最大級のトラウマ、家族全員を失った日のこと。
四宮拓人という人間の根底にある諦めへの拒絶、その理由だった。
本人は出来る限り軽く言ったつもりなのだろうが、その声は震え、僅かに恐怖と苦悩、後悔が混じっていた。
「今僕が語ったのは、今まで僕が誰にも話せなかった事なんだ。誰かに話して、芽生が死んだのはおまえのせいだって言われるのが怖くて、目を逸らそうとしていたこと」
「なんで、今それを?」
「それはね、君になら話してもいいかなって思ったから、かな?」
「私になら?」
「うん。寮の屋上で、君が『更識』のことを僕に打ち明けようとしたのと同じ理由」
「あっ……」
はたと楯無は気づいた。
私なら、”更識楯無”ならこんな自分でも受け入れてくれるんじゃないかという期待。
それはかつて自分も拓人に行った、精一杯の信頼と好意の表し方だった。
拓人は楯無と同じ、不器用な表現方法しか知らないのだろう。
だから、少女と同じ方法で、自分の思いを伝えようとした。
ただそれだけのことが、少女にはたまらなく嬉しかった。
「私の本当の名」
「ん?」
「私が”楯無”の名を継ぐ前に使っていた本当の名は
「……変な名前だな」
約三ヶ月前、拓人に打ち明けようとした自分の本当の名を、少女は静かに告げた。
女の名前とは思えない名に、拓人はついついツッコミを入れてしまうが、彼の口元は笑みを形作っていた。
互いが電話の向こうの相手にだけ打ち明けた秘密。
他の誰にも踏み込めない、特別を共有しているという今が嬉しくて、少年と少女は破顔した。
そして互いに、終わりだと悟った。
もう彼は戻ってこれない。
──もう彼女には会えない。
「好きな人に好きって伝えるのって、結構難しいんだね」
「……そうね」
もっと話したかった。
──もっと声を聞いてたかった。
「ねえ拓人くん、人って、どうすれば強くなれるのかな。強く、いられるのかな」
「別に強くなくていいんじゃないの?」
「……なんで?」
もっと他愛もない悪戯に呆れる彼の顔を見たかった。
──もっと僕をからかって楽しむ彼女の顔を見ていかった。
「人間って弱いから人間なんだよ。自分だけじゃどうにもならない事があるから、誰かに頼る、誰かに助けてもらう。そうじゃない人間は、本当の意味で人間じゃないか、孤高を気取った馬鹿だろ」
「馬鹿……」
「……? どうした、なんか落ち込んでるみたいだけど」
「はぁ、なんでもないわ……」
もう全てが叶わない。
──もう全てが望めない。
「なあ、楯、いや、刀奈」
「……なに」
それでも私は、
──なのに僕は、
「人と人とを繋ぐ、一番強くて深いモノってなんだと思う?」
「人と、人とを繋ぐ……」
これで終わりだとは思えない。
──これで終わりだと思うことが出来ない。
「小学生の頃からの腐れ縁だった子が、転校する前に僕に残していった宿題なんだ……答え、分かる?」
「パッとは思いつかないかな」
「そっか。じゃあ、これは宿題だな。僕にはもう、答えを探す時間がない。だから、僕から君への宿題にするよ」
「ええ」
「僕の代わりに、君が答えを出してよ」
「……ええ」
きっと、
──いつか、
「君が居たから、僕は今日まで生きていられた」
「ううん。私の方こそ、貴方が居たから、私は……」
きっとまた、何処かで会えるんじゃないかと信じている自分がいる。
──いつかまた、僕と彼女の道が、交差することを願う自分がいる。
「実はずっと考えていたんだ」
「何を?」
「こういう時、もし僕の言葉を聞いてくれる誰かがいたら、その人になんて言うのか」
ただの願望でしかないのは分かっている。
──ただの夢想でしかないのは分かっている。
「そしたら、芽生の言葉が自然と浮かんできた。”ありがとう”っていう言葉が」
「……そっか」
「死の間際に”ありがとう”ってなんで言えたのか、今なら分かるんだ」
だけどこの望みがあれば、
──だけどこの夢があれば、
「出会ってくれて、一緒に居てくれて、想ってくれて、ありがとう、刀奈……」
「……っ! 私の方こそ、ありがとう、拓人くんッ……」
私は、これからも”楯無”として戦える。
──僕はどんな存在になっても、僕のまま在り続けられる。
◇◆◇◆◇◆◇◆
四宮の家。
九年前に全焼した筈の家の一室で、齢十にも満たないであろう少女は自分の膝の上で眠る少年の頭を撫でながら、儚げに笑った。
少女の周りに浮かぶ二つのモニター。
片方には、真っ白なベッドの上に横たわり、携帯電話を握り締めながら事切れた少年──四宮拓人の姿。
もう片方には、通話の切れた携帯を耳に当てたまま、星明かりが照らす夜の中で声もなく泣き続ける少女──更識刀奈の姿。
互いに相手を想い、慕い、そして今、どうすることも出来ない運命に引き裂かれた二人だ。
「悲しい、お兄ちゃん?」
存在がコチラの世界に馴染んでない所為でかまだ目を覚まさない少年は、涙を流していた。
もう会えない少女を想って、唯々静かに泣いていた。
「悲しいなら、いっぱい泣こ? いっぱいいっぱい泣いて、悲しみを吐き出そ?」
辛いだろう、苦しいだろうと意識が目覚めない少年の心を慮り、少女は優しげに語りかけた。
拓人が目覚めた時、その心が少しでも楽になっていればいいなと願いながら。
彼の物語はこれで終わりです。
しかし、彼でない誰かの物語が一つだけ残っています。
下らなくとも、最後までお付き合い頂けると幸いです。