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それでは第九話、どうぞ。
昔、僕とぼくは空に憧れていた。
まだISが世間に公表される前、星空を見るのが趣味だという父さんに連れられて、森の中で星を見た。それがどこかなんて覚えちゃいない。
でも、その時に見上げた空の美しさだけは今でも色褪せないで記憶の中にある。
だから、ぼくは空を、宇宙を目指してみたいと思った。願った。
そして、挫折した。
ISが作り上げた女尊男卑の煽りは男性の地位だけでなく職に就くことにも影響を及ぼした。
<白騎士事件>での現行軍事兵器の敗退に端を発し、陸・海・空軍はその規模を縮小。新しい人間を受け入れるだけの余裕が無くなる。
宇宙開発はIS操縦者が担当することになり、それに伴って宇宙に行くメンバーは極一部のベテランを除き女性に限定された。
男が空を飛べるのは、最早航空士ぐらいになり、それすらもある出来事から断念するしかなかった。
これが僕の最初の挫折で今のところたった一回の、本当の意味で諦めた出来事。
一つの出来事から、夢を失い、それでも技術者や研究者になるという道だけはかろうじて残っていた
それ自体、航空士や宇宙飛行士よりも適性があったらしく、僕自身、それを楽しんでいた。
そしてあの日、何時ものように倉持技研に行った時に出会ってしまった。
倉持技研から運び出され、厳重な警備がなされたトレーラーに積まれる<黒鉄>に。
◇◆◇◆◇◆◇◆
蝉の鳴く声が聞こえる。都市部から離れているとは言え、こんな所に虫がいたのかと素直に驚く。
窓から強烈な太陽光が降り注ぐ。ベッドの上から見上げる空は、一点の曇りもない青。その空に浮かぶ太陽は、白ではなく鉛白の色に染まっていた。
汗でベタついたシャツが肌に張り付く。身体の温度が上がり、体温調節のために体外に排出される水分が増えたからだ。
自室のベッドの上で寝転がりながらパタパタと白いシャツを扇いだ。
「ふぅっ……」
IS学園が夏期休暇に入ってから一週間ちょっとが過ぎた。
期末テストで赤点を取った生徒は例外なく毎日登校だ、と織斑先生に脅され(あの時の目は本気だった)、我が一年一組は一人の例外もなく赤点を取らなかった。あの歌穂でさえも。
そんな訳で普通に夏休みが始まったのだけれど、”世界で唯一ISを使える男”である僕にはまともな休みなど訪れるはずもなかった。
約三十日の夏期休暇期間の内、半分以上がISの運用試験(早い話がデータ取り)に回されることになったのだ。
当初こそ技研の人たちに抗議しようとしたのだが、あっちも国のお偉いさんやらなんやらに色々と言われて
なまじ彼らとの付き合いも長く、さらにそんな姿を見せられたら流石に何も言えなくなり、昨日を含め、既に八日間もクロガネを乗り回していた。
「もうそろそろ12時だし、何か作ろう」
IS学園の寮よりも、中学時代まで住んでいた家の方が倉持技研に近く、僕は初日から実家に帰っていた。
家主は共働きであるので基本的に家に居らず、日中は僕以外にこの家には誰も居ない(もっとも、僕もほとんど家に居ないんだけどね)。
「ふわぁぁぁ~~……」
僕は仕事人である家主の代わりにこの家の家事の一切を任せられている。そのため一日目と二日目の休みは(この場合は何もない日を指す)家の掃除で潰した。
三日目の休みである今日は特にやることもない。さっき(11時過ぎ)までは寝ていたけど、午後からは何をしようか。
「御馳走様でした」
二人分用意した昼食を半分食べ、使った食器を片付ける。
IS学園での騒がしい昼食に慣れすぎたのか、誰も居ない、誰の言葉も聞こえない空間がとても寂しい。
なんとなくテレビを点けてみたりしたが、何が面白いのかも分からず、三十秒も経たずに消した。
機械いじりでもしようかと思ったが、今手元に必要な工具が何も無いのに気がつき、断念。
昨日までの疲労が貯まり続け、今は走りたくもない。
夏休みの宿題を少しでも終わらせようと教科書を広げたが、文字の羅列を見た瞬間、頭痛を感じて中止。
この場には僕の精神力をガリガリと削っていく女子の姿も、今の状況を作り上げた
「……はぁ」
ソファーの上に寝転がり、手の甲を額に当てて顔の上部を覆った。
一人でいるのが嫌だなんて、まるで寂しくなったら死んでしまうなんて迷信を持つ兎のようだ。
昔なら、たとえ一人でも、何も思わなかったのに。なんとも、なかったのに。
IS学園でのぬるま湯のような毎日が、僕を弱くしてしまったのかもしれない。
「いや、違うな……」
元から僕は弱かったんだ。
一人称を変え、言葉遣いを変え、内心を誤魔化し、自分を偽って動いてきただけなんだ。
ISに乗れても、国家代表候補生に勝てても、自分という存在の芯は全く変わっていない。昔から、何一つとして変わってない。全く進歩していないんだ。
暗澹たる思いがこみ上げ、心の中で渦を巻き、思考を鈍らせ始める。
カチャカチャ
ソファーの背。食卓の方から食器が動く音がした。
回転の遅くなった頭でも、誰が現れたのか、なんて、見なくてもわかる。
玄関に付けた風鈴が鳴った音はない。
僕以外の人間には絶対に理解できない手順を踏んで窓を開けないと、家に入ってきた瞬間に仕掛けておいた十重の対人用トラップが発動して相手を無力化する。たとえ手順を踏んでから窓を開けても警報が鳴るようになっている。
そのどれもを起こさず、音もなくこの家に侵入できる人間など、知っている限りあの人以外にいない。
「────」
「…………」
囁きのような問いかけ。返答はない。
ただ一心不乱に食べる音だけが聞こえてくる。
そのまま五分、十分と時間が過ぎ、漸く物を食べる音が止んだ。
「今日は何の用で来たんですか?」
「…………」
「あの子は置いてきたんですか?」
「…………」
「博士?」
「…………」
なんとなく用意しておいた昼食を平らげてしまった博士からは何のリアクションも返ってこない。まるで、僕の言葉が届いていないかのように。
顔の上半分を手で覆ったまま嘆息する。
この人の僕に対する反応は、初めて会った時から何一つとして変わらず、終始一貫として一方的に喋るか、質問をする程度。そうでないときは、僕に見向きもしない。ずっと何かを構っている。
いつだったか、博士が自分で言っていたことだが、博士の見ている世界は非常に狭い。
幼馴染だという織斑千冬といっくんと呼ばれる誰か、ほーきちゃんと呼ばれる誰か、そしてあの子、辛うじて両親を認識出来ているが、それ以外は全員似たりよったり。誰一人として興味を持たず、道端の小石と同じ扱い。まともに会話をすることすらない。それは大企業のオーナーだろうと、軍隊の元帥だろうと、国家元首だろうと変わらない。
性格破綻者、人格破綻者、存在破綻者、社会不適合者。
博士を見た人は、皆そのようにあの人のことを表すが、僕はそのどれもが相応しいとは思えない。
あの人の本質は子供だ。
自分の気に入ったもの以外は何もいらない。それ以外は全部どうでもいい、ただ自分の欲望を満たすためだけの駒と考え、事実その通りに動いている子供。
どうすれば物質を量子分解できるのか。どうすればどんな攻撃からも身を守れる盾を作れるのか。どうすれば空を飛べるのか。どうすれば世界に力を示せるのか。
そんな疑問を持ち、それをアッサリと解決できてしまうだけの頭脳と環境を持って生まれた異端の子供。
僕は自分を進歩していない人間だと評したが、博士は違う。進歩する意味のない人間なんだ。
今の世界で学ぶことは存在せず、今の自分に足らないと思うものは何も無く、必要なものは、全て揃ってしまっている。感情を持つ生命体が決してたどり着いてはいけない極地。そこにたどり着いてしまった人間。
それが博士────篠ノ之束という人間なんだと僕は思う。
博士の中で僕という存在は
という、凄くあやふやな位置付けになっているらしい。
あの子から聞いただけだから、本当なのかどうかはイマイチ分からないが、それでも興味のない人間ではないというだけましな方だと僕は考えている。
ボーッと益もないことを考えていると、突如博士は僕に対して問いかけてきた。
「どれぐらい無くなった?」
「嗅覚と熱感、冷感、あと触覚もほとんど働いていません」
無くなった。
僕がISを動かしてから、より正確に言うならクロガネを動かしてから、僕の感覚器官は少しずつ機能しなくなった。
最初に匂いが無くなった。世界で一番臭いと言われた缶詰でも何も感じれなかった。
次に温度が無くなった。誰が触っても、火傷を負うぐらい熱されたものに触れても、凍るように冷たいものに触れても、この体は終ぞそれを痛みとしか認識しなかった。
そして今、触覚が消えようとしていた。明確な症状が現れ始めたのは六月の終わり。学期末の試合トーナメントが終わった直後だった。
まるで、あまりの冷たさに麻痺したかのように、体に触れるあらゆるものが感じられなくなっていった。
「予想より早いね」
「僕としては予想よりも遅いんですけど」
僕がこの症状で完全に何も感じれない植物人間状態になるまで掛かる時間は約4ヶ月と予想していた。
しかし、三ヶ月ちょっと経った今でも、僕の五感は半分以上残っているし、それ以外の感覚器もまだまだ働いている。
意外と言えば意外だが、それでも僕が僕を失うまでの時間はあまり多くはないだろう。
別にそれ自体は恐れることではない。死ぬかどうかなんて、そんなことどうでもいい。
何もなせずに死んでしまうこと。それが怖いだけなんだから。
「…………」
「……博士?」
ソファから上半身を起こして食卓を見ると、そこには誰の姿もなかった。博士は、イキナリ現れて、何をするでもなく忽然と居なくなってしまった。
結局何がしたかったのか。
相変わらず、あの人の行動はわからない。
いや。
常人にはわからないからこそ、天才なんてものでであり続けられるのかもしれない。
「たとえなれても、
食器を片付けようと僕は体を起こした。
誰にでもあって僕にはない、感じることもできない熱に包まれて夏は続く。
8月1日 土曜日
篠ノ之束。
世界最高峰の頭脳と技術を持ち、世界最強の幼馴染を持ち、そして自分の理解者を手に入れることだけはできなかった人間。正直、今でもなんでこの人が僕の前に現れたりするのか未だに理解できない。
僕がISに、いや、クロガネに乗れる理由はとっくの昔に判明している。
あの日、僕はクロガネに呼ばれ、そして触れてしまった。
当時博士が言っていたことが正しいなら、クロガネの声は僕と博士にしか聞こえない。
他のISコアとのコアネットワークが繋がっていないクロガネは、先に造られた<白騎士>のコアとも繋がらず、後から作られた465のコアとも繋がることが出来なかった。
だからクロガネは、僕を求めた。
自分に対して然したる関心も持たない
男がISに乗れない理由は単純にコアが男を拒絶しているかららしい。理由はわからないが。
僕がクロガネに乗れる理由は、ただ単にクロガネが僕を受け入れているから、それだけなんだ。まあISのコアに意識が宿っているなんて話、どうせ誰も信じないだろうけど。
コアNo.002<■■>(仮称)。
十全であることが当たり前であるはずの博士の製作物の中で、唯一十全とは言い難い存在。
いくつもの独自進化を経て、結果、他の同胞たちとの繋がりが壊れてしまったコア。
このコアが使われているクロガネも、普通のISではありえないことを起こし続けている。
操縦者への過負荷。
この現象の正体は、僕の限界を見極めるためのものだったのではないか。僕はそう考えている。
一次移行で僕に合わせた最適の型に変化したクロガネだが、それはつまり、僕の限界ギリギリまで戦えるISになったと言う事なのではないだろうか。
近距離戦闘を避ける為の機動力に、万が一近接戦闘になった際、攻撃を回避出来るだけの機能、遠距離戦闘に特化した武器群。この時点で、このISは異常過ぎるほど僕に馴染んでいた。僕自身が未熟だったために苦労してばかりだったが。
武装の名前。
初期段階で入っていた三つの武装、タイラント、タイフーン、サーペント。これらは、僕が昔怖いと思った存在の名前だ。
民を虐げ死を招く暴君。
空を飛ぶものを全て吹き飛ばす嵐。
海を行く者を喰らう海蛇。
それだけではない。開発段階では別の名前を持っていた武装の名前を強制的に書き換えることもした。すべて、ぼくが怖いと思ったものに。
産みの親を死に至らしめる原因を作った
なまじ現実に生きている生物に限りなく似ているがためにその異質な部分が目立っていた
人を喰らう鬼神と言われている
それらに始まり、クロガネ内に格納した武装名は、全部ぼくの恐怖で構成されている。
そして、僕以外の人間が乗ることを拒絶していること。
昔から、クロガネのコアが使われていたISは一度も動かなかったらしい。
誰が乗っても。どんな機体にコアを搭載しても。ただの一度も、反応しなかった。
あの日だって、僕が触れなければ黒鉄は動かなかったのだろう。
これらが何を意味するのか。
推測は立ててあるが、そんなものに意味はない。
それを証明するすべは何処にも無いからだ。
よしんば見つけられたとしても、検証する気などどこにもない。
結局のところ、僕はこれからもISに振り回されるしかないからだ。
鬱々とこんな事を書き連ねていても意味はない。
明日からはまた運用試験が始まるんだし、今日はもう寝よう。
今日のまとめ.博士を捕まえる罠を構想中
◇◆◇◆◇◆◇◆
一度夢を失って、それを叶える機会を手に入れて、そして、何も出来ずに世界に飲まれている。
ぼくなら愚直に突き進んでそれらを弾き返すこともできるのだろう。
でも、僕はぼくじゃない。
ぼくは九年前に死んでいる。もうどこにもいない。
思えばあの日。
あの声を聞くことがなければ僕は此処に居なかっただろう。
多分、あの炎の海で身を焼かれ、何もできず、何も手に入らず、何も救えないまま死んでいっただろう。
だから、あの出来事には感謝するべきなんだ。感謝、しなければいけないんだ。
でも、たとえ、どんなことがあったにしても、僕はあの日、公園に向かったことを後悔している。
だって、あの時に死んでしまえれば、
こんなに苦しまずに済んだのに。
いかがでしたか?
これから先、この小説は主人公の異常性がちょっと強くなっていきますが、
よろしければ、次も彼の物語にお付き合いください。