また、事務所には複数のPがアイドル達を担当している設定にしています。
目の前に、空が広がっている。
と言っても青くない。まるで霧が覆い尽くしているような、そんな白濁色に塗りつぶされている空だ。
だが曇りではなかった。薄暗いけれど、雲は一つも無い。
なのに、太陽も見当たらない。
曇天なのか、晴天なのか、それどころか昼なのか、夜なのかも判別できない。
不気味な空だ。
そんな空の下には、主を失った廃虚の都市が広がっている。
静寂に包まれた都市はところどころが崩壊し、瓦礫を広げ、黒煙をあげている。
その一角に散乱した瓦礫の上で、ボクは捨てられた人形のように、力無く横たわっていた。
喉はカラカラに乾いていて、おまけに歯が鳴るくらい寒い。
体感温度なんて全然感じないはずなのに。
寒くて寒くてしょうがない。
それに身体は自分のものじゃないみたいに重くて、ちっとも動かせやしない。
気だるくて、頭がぼうっとする。
疲れて果てて、全てが面倒臭いような感じがする。
こんなところで何をしているんだろう。
どうしてこんな目に遭っているんだろう。
考えがまとまらなくて、静かにボクは混乱していた。
混乱しながら、ぼうっと、不気味な空模様を眺め続ける。
そもそも、どうしてこんなことになってしまったんだろう。
ことの始まりは?
絡まった思考回路の奥からそれを無理矢理引っ張り出そうとする。
あれは、いつだ。
確か数ヶ月前、そんなに昔のことじゃない。
そうそう、思い出した。
あれはまだ暑くてしょうがなかった、夏の頃だ−−−
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午後9時過ぎ。
東京は今日も熱帯夜だ。
夜になると蝉も鳴き止んでいるが、今は八月中旬。
ヒートアイランド現象と言うのだろうか。
昼間、日光に晒されて温度を蓄えたコンクリートやアスファルトが、ヒーターのような機能を果たしているおかげで、東京の夜は茹だるような熱気に侵されている。
そんな暑さにうんざりしながら、菊地真は荻窪駅を目指して青梅街道を歩いていた。
街道を行き交う車のライトを横目に、ハンカチで額や首周りの汗を拭く。
ショートカットの自分はまだ首元が外気に触れているからマシだが、ロングヘアーだったらどうだったことだろう。
考えるだけで体温が上昇しそうだ。
女性らしさを求めて髪を伸ばしてはいたが、まだショートにとどめておいてよかったと、この時ばかりは自分の髪型に感謝する。
ハンカチで拭いたところを、街道を走る車の追い風が撫でていく。
その追い風に冷却効果は無い。
むしろ、排気ガスを伴った熱風が皮膚に吹き付ける感触が不快なぐらいだった。
事務所の765プロから荻窪駅までは歩いて15分程。
杉並区の青梅街道沿いに位置する事務所は、実際は荻窪駅よりも南阿佐ヶ谷駅の方が圧倒的に近い。
だが荻窪から帰った方が家までの電車賃が浮くため、真はいつも駅まで歩いて帰るようにしていた。
しかし、これなら電車賃くらい惜しまずに南阿佐ヶ谷から帰ればよかったと、少し後悔している。
だが引き返すのも体力の無駄だし、何より面倒臭い。
さっさと帰宅してシャワーで一日の疲れと汗を洗い流してからベッドに飛び込みたい。
真はただそれだけを考えながら、歩みを早めた。
菊地真、17歳。
所属アイドル数13人という小さな芸能プロダクション、765プロに所属する現役高校生アイドルである。
765プロは小さな雑居ビルの三階、狭いワンフロアに存在する。
事務所の大きさもさることながら、アイドル達の売れ行きも芳しくない、控えめに見ても冴えない事務所だった。
頼みの綱は、竜宮小町という三人組ユニット。
彼女達だけはテレビ出演を果たし、単独ライブをこなし、アイドルファンのみならず、世間でもそこそこの認知度を誇っていた。
しかし真を含めたその他のアイドルと言えば、ほぼ無名。
先に日の目を見ている竜宮小町に羨望のまなざしを向けながら、いつか同じように活動できる日を夢見て修練に励む。
そんな日々が続いていた。
それに変化が訪れたのは、去年の夏、東京ドームシティホールでのこと。
転機となったのは765プロアイドル全員で行なったライブだった。
もちろん、訪れていた客のほとんどが竜宮小町のファン。
他のアイドルは、その抱き合わせとしてしか見なされていなかっただろう。
しかし真達10人のアイドルは、そのプレッシャーを跳ね返して全員で精一杯のパフォーマンスをしようと誓った。
竜宮小町のファンだろうと、観客が自分たちに興味が無かろうと、その意識にちゃんと響くように。
結果的にライブは、大成功を収めた。
自分達の声と姿を、訪れていた人々の心へ焼き付けることに成功したのだ。
ライブは竜宮小町ファンの間で話題を呼んで、それが広まったのか諸々のイベントに呼ばれるようになり、やがてメディアで話題に挙がるようになって、トントン拍子に仕事も増えていった。
元々、アイドル同士で見事に個性が分かれていたため、一人一人がその個性を見出され、それぞれ独立して仕事を勝ち得るようになるまで時間もかからなかった。
あれから一年、今ではアイドル全員が各方面で活躍できるまでに成長している。
アイドル戦国時代と言われるほどアイドル達がひしめき合う現代日本の芸能界。
テレビで取り上げられることすら難しい時代に、765プロは見事に実力で日の目を勝ち取ったのだ。
そういった矜恃もあるし、なにより夢にまで見ていたアイドルの仕事だったから、仕事ずくめの日々はとても充実していた。
ただ最近は、学校の夏休みで空いた日々へ続々と入る仕事に、この夏の暑さ。
休日も適度にあるとは言え、少し疲れが溜まってきている。
とは言え、それは他のアイドル達も同じことだ。
それに売り始めて間も無い今こそ、まさしく頑張り時なんじゃないかと真は思っていた。
だから多少の疲れを我慢してでも、仕事をこなしていかなければならない。
更なる高みの未来を掴むため。
そう、そのためにも、さっさと家に帰って寝なければ。
暑さに負けないようという意味を込めて、胸の中で鼓舞したのは事務所から出て5分過ぎ。
見慣れた道のりは、もう半分まで来ているところだった。
「真さーん!」
突然背後から声を掛けられて、真は驚いて立ち止まる。
聞き覚えのある声だった。
振り返ると、二つに結った橙色の髪を揺らしながら、一人の少女が駆け寄ってきた。
「……あれ、やよい?」
765プロに所属する中学生アイドル、高槻やよいの姿を認めた真は、思わぬ仲間の登場に間の抜けた声を出した。
高槻やよいが仕事終わり、事務所へ荷物を取りに戻ると、残っていたのは事務員の音無小鳥と社長の高木順二郎だけだった。
小鳥いわく、他のアイドルは現地解散で帰宅したか、自分より早めに仕事を終えたか、遅くまで仕事をしているかだそうだ。
いずれにせよ事務所に他のアイドル仲間や、顔見知りのプロデューサーはいなかった。
仲間の誰かと会えるんじゃないかと淡い期待をしていたやよいは、小さく肩を落として帰路に就こうとした。
すると、ふと思い出したように小鳥がやよいを呼び止めた。
小鳥は、自分のデスクの上にあった水筒を手に取ると、
「これ真ちゃんの忘れ物だと思うんだけど、今さっき事務所から出てったばかりだし、まだ遠くに行ってないと思うから、悪いんだけど届けてもらえないかしら?」
断る理由も無かったので、やよいはすぐに承諾した。
小鳥はお礼をして、荻窪駅の方に歩いてると思うから、と付け足して、やよいを見送った。
そういうわけで受け取った水筒を届けるべく、やよいは真を追いかけてきたのだった。
「真さん、水筒の忘れ物、小鳥さんが」
息を切らしながら水筒を手渡すと、真は面食らいながらそれを受け取った。
「あれ、忘れてきちゃってたんだ。わざわざごめん、やよい」
「いえー、ちゃんと追いつけてよかったですー」
やよいは額の汗を手で拭いながら安堵した。
体力、運動全般に自信の無いやよいとは対照的に、真はスポーツ全般が得意な上、アスリート並みの体力を誇る。
歩いているとは言えど、人並み以上の速さで駅に着いて、会えないのではという心配があった。
真にそれを話すと、「そんなの、これだけ暑かったらしたくないよ」と苦笑いされた。
やよいは息を整え、真はそれに付き添うように、二人は並んでゆっくりと歩き出す。
「大丈夫?よかったらタオル貸すから、汗拭きなよ」
やよいの顔や身体を止めどなく流れている汗を見て、真は申し訳なさそうにバッグからタオルを出してきた。
「ありがとうございます」と頭を下げて、やよいは差し出されたタオルで顔や首元を拭く。
「それにしても、よくボクがこっち歩いてるって分かったね。それともやよいも荻窪が帰り道なんだっけ?」
「小鳥さんが、真さんはこっちの方に歩いてるからって言ってたんですよー」
「えー、ボクそんなこと小鳥さんに言ったっけな……」
「それに私、こっちの方がお金が安く済むんですー、それで真さんもそっち行くなら丁度いいかなーって」
「あ、それボクも同じだ。距離は南阿佐ヶ谷の方が近いんだけどね。
でも思ったより暑いし、近道しなかったの、ちょっと後悔してる。
やよいにも走らせちゃったしね」
「いえー!頼まれたけど、届けようと思ったのは私ですから。
それに最近、あんまり真さんとお話できてないなって思ってたから、追いつけてよかったです」
「そういえばそっか、生っすかサンデーでも共演する方が少ないよね、ボク達」
『生っすかサンデー』は、765プロアイドル全員が出演する、日曜昼の生番組である。
現在の765プロの人気を如実に表している証拠でもあった。
週一の打ち合わせでは全員で集まることもあるのだが、真とやよいは本番は別々のロケ企画に行かされることが多く、765プロ全員集合の番組とはいえ、なかなか顔を合わせることがない。
更にそれ以外の場、通常の仕事は竜宮小町に倣って組まされたそれぞれのユニットで挑むことが多く、言うまでもなく真とやよいは同じユニットでは無い。
どういうわけか真ともう一人、星井美希だけはユニットには組み込まれず、それぞれ単独で仕事をすることがほとんどだった。
なぜその二人だけ単独活動なのか。
実力がある故なのか、ただ単に組ませる相手がいなかったのか。
その理由をプロデューサーにちゃんと聞いたことはない。
兎にも角にも真は単独、一方のやよいは双海真美と『わんつ→ているず』というユニットを組んでおり、同じ仕事を受けることも少ない。
ましてや二人きりというのは本当に久方ぶりのことだった。
「前は皆とも、いくらでも会えたのにね」
「はいー。お仕事楽しいし、忙しいのもへっちゃらですけど、ちょっと寂しいかなーって」
「うん」
仕事が無かった日々もアイドルとしての寂しさがあったが、忙しくなると、汗水流した仲間と会うこともなくなり、今度はそれが寂しい。
「まあ、仕方ないことなんだけどさ。やよいが言うように仕事も楽しいし」
青梅街道を走り行く車を横目で見ながら、真は呟いた。
「でも私達って、同じプロデューサーが担当してるんですよね」
「そうなんだよね、実感無いから忘れがちだなー、そのこと」
会う機会がない癖に、やよいに真美、真、それに美希は同じプロデューサーが担当している。
事務所の取り決めだし、マネージャーが大して接点の無い複数のタレントやアイドルを担当していることなんてことは、他の芸能人からよくある事だと聞いているから、特に不思議に思うことは無い。
「でも、プロデューサーが同じなのに美希さんや真さんとなかなか会えないのは不思議な感じかも」
しかし変と言えば変な関係ではある。
因みにプロデューサーの仕事での付き添いは年少組であるやよいと真美が最も多く、次に美希、その中で年長である真は、付き添いが全く無いというわけではないが、やはり単独で仕事場へ向かうことが多かった。
「プロデューサーも大変そうだよね、あっち行ったりこっち行ったり」
「そうですね」
「今日はプロデューサー、やよい達の現場?」
「最初はいましたけど、ちょっとしたら真美のところに行っちゃいました」
「あ、今日は真美とも違う現場だったんだ?」
「はい!私、イベントのお仕事だったんですけど、一人だから緊張しっぱなしでしたー」
「あははっ、大丈夫だったの?」
それから話の方向は自然と、今日の仕事や最近の仕事、プライベートの近況へと移っていった。
二人きりなのは久々ゆえに話題には事欠かない。暑さを忘れる勢いで、話に花を咲かせる。
やがて大通りから外れて駅の南口へ通じる路地へ。
気付くと駅がだいぶ近くなっていた。
「やよいは帰り、どっち方面?」
「東京行きですね」
「じゃあボクは逆だね。立川方面だから」
「うー、もっとお話できたらよかったんですけど」
「ホントにね。でも一緒だとしても電車の中で話してたらボク達のこと周りにバレちゃうし...」
「あっ、そっか!」
そんなやり取りが途切れることもなく続く。
最近は仕事ばかりで雑談にふけることも無かったから、お互いにこの会話が名残惜しかった。
「このままご飯に行くのもありだと思うけど……今日はやよいも疲れてるでしょ」
「そうですねー、真さんは疲れてないですか?」
「さすがにボクも疲れてるねー。だから家に帰って早く寝たいかな。やよいとの話すのは楽しいけどね」
「えへへ、そう言ってもらえるとなんだか嬉しいかも」
もじもじするやよいに、小さく笑う真。
ぱぁん。
そんな二人の会話を、突如として鳴り響いた破裂音が中断した。
小さな爆発音とも取れるそれは、ビル街を反響して、やよいと真の鼓膜を叩いた。
直後に続いて、鉄がこすれるような甲高い音が辺りに響き渡る。
二人は驚いて、咄嗟に音の鳴っている背後へと目を向けた。
「うわっ」
途端に目の前が白く染まり、どちらともなく悲鳴をあげた。
目に飛び込んできたのは強い光。
視界が一瞬、白色に支配される。眩しくて、二人は反射的に顔を腕で覆おうとする。
そしてその前に、光の正体に気付いてしまった。
白い光源の向こうには、大型トラックのフォルム。こちら目掛けて、金属音を響かせながら突進している。
車輪部分からは火花が散っていた。タイヤがパンクしているのだろう。
あ、死ぬ。
トラックの存在を認めた瞬間、やよいも真も、そう直感した。
「危ない!」と誰かが叫ぶ。
そんなことわかっているがどうしようもない。
どこかで聞いた体験談通り、悟った途端に時間が遅く流れているように感じられた。
これから自分達の身体を砕くであろう巨大な凶器が、ゆっくりとこちらに向かってきている。
思考をする余地はなかった。
本能が守るよう身体に命じて、真は咄嗟にやよいの肩を抱いた。
やよいも真に抱きつくようにして縮こまる。
二人して身体を固くするようにして、目をぎゅっと閉じた。
身を守るための、最低限のモーション。それが現状、役に立たないことは一瞬の間でも分かっていた。
突進してくる塊の気配と予感に、全身が総毛立つ。
悲しみもやるせなさを感じる間もなければ、やり残したことに想いを馳せることもできない。
すぐさま「ごっ」という鈍い音と共に体の節々がちぎれるような衝撃が全身を襲った。
痛みを感じなかったことがせめてもの救いか。
二人はまるで巨大な底なし穴に突き落とされたように、唐突に、音も光も無い世界へと弾き飛ばされた。
自分達は死んだ。
そう思っていた。
暴走するトラックの走行音、周囲の悲鳴、ありとあらゆる環境音が無くなり、無音の中、時間だけが経過していく。
しかし、なぜか撥ねられる衝撃が来ない。
恐る恐る目を開けてみると、そこには突進してくるトラックも、ましてや夜の道路も街も無かった。
あるのは殺風景な部屋。無地の壁紙にフローリングの床。馴染みのあるありふれたマンションの一室。
窓からは東京の夜景。
空間としては何の変哲もないが、なによりこの状況、そして部屋の中にあるものが異常だった。
周囲には十人程の人々。
そして部屋の奥には、大きな黒い球体が、一際目立って鎮座している。
「……え?」
当然の反応。
それが、真とやよいがこの異常な部屋に始めて来た時の、第一声だった。