死後の世界なんて進んで想像したことは無かった。
想像しろ、と言われたら地平線まで続く花畑、溢れる光、三途の川、雲海や天使、白装束の人々、なんてものが思い浮かんで来る。
昔からそんな話を方々で聞いたことがあるから。
しかし今、目の前に広がる光景が死後の世界だとしたら、宗教や神話、おとぎ話で話された『あの世』なんて大嘘だということだ。
ベランダへ続く窓から見えるのは、東京タワーが中心に据えられた煌びやかな夜景。
その景色から高層マンションの一室と思われる、この部屋。
家具一つなく、壁紙も無地。
天井には丸い形をした室内灯が、無機質な白い光を放っている。
備え付けの空調が、快適な室温を保っているようだが、二人とも体感温度のことなど頭には無かった。
部屋自体はなんの変哲も無い、組み立てられたばかりの撮影セットのごとく殺風景な様相をしている。
奇妙なのは、その部屋の奥に金属製と思われる大きな黒い球体が置いてあること。
白い部屋にある直径1m程のそれは、まるで白紙に墨を一滴落としたような強烈かつ異質な存在感を放っていた。
玉は微動だにせず、部屋の明かりを鈍く反射している。
奇妙と言えば、部屋には真とやよいの他に、数えて十一人の男女がいた。
二人の周りには、スーツ姿で眼鏡をかけた中年に、中年とは違う柄のスーツを着ている壮年の男、色黒の若い女性が二人、普段着と思しきラフな格好の男性など、それぞれの服装をした人が五人。
ほか六人は黒い玉の周りに。
その姿を見て思わず凝視してしまう。
揃いも揃って六人とも、夏場には暑そうな真っ黒なウェットスーツのような服で全身を包んでいた。
あちこちに金属製と思しき銀色の分厚いボタンが付いたそれは、背後の白い壁と相反して、六人が囲む黒い玉と同じような強烈な異質さを放っている。
もしかしてコスプレかも。
だが見てくれだけでは真意はわからない。
六人は一見すると全員男性に見えたが、その中に一人、膨らんだ胸部から、短髪の女性が混じっていることが分かった。
他五人は全員男性で、肩口まで無造作に髪を伸ばしていたり、丸刈りだったり、粗暴そうな見た目をした者がちらほら。
中には頭にヘアバンドをした、真と同世代らしき少年が一人。
年齢で言えば、短髪の女含め他の五人は二、三十代に見える。
部屋では黒いボディスーツの人々と、普通の格好をしている人々で相対するように分かれていて、その真ん中に真とやよいがいた。
それらの要素を加味した上で現状を言い表すなら、ここは死後の世界と言うには余りにも日常的で、日常的と言うには余りに奇妙な場所だった。
因みに真もやよいも呼吸はしているし、触感も失っていなければ心臓も脈動している。
要するに生きている。
だが車に突進されたと思いきや、幻のように全てが消えて、気付けばこんなところに。
そんな現象を、死んでここに来たと説明する以外、合致しそうな事象が思いつかなかった。
でなければ何者かに特殊な方法で拉致されたという理由も浮かぶが、だとして誰が?何のために?
それに周りの人は?この東京の夜景は?あの黒い玉は?
異様で謎だらけの状況や光景、その情報の処理に頭が追いつけない。
加えて見ず知らずの他人と密室空間に詰め込まれた上に、その視線には妙な緊張感が漂っていて。
それを至近距離から一挙に受けている真とやよいは口を閉じることも忘れて、マネキン人形のように固まっていた。
ライブではあんなに大勢の人間を相手にパフォーマンスをするというのに、この緊張感の差は一体なんだというのか。
「あれ、もしかして菊地真?」
沈黙を破って、不意に真の名前が聞こえてきた。
発したのは二人のすぐ近くにいた化粧が濃く、色黒の若い女二人組。
二人が向ける視線が、思わず振り向いた真の視線とぶつかってから一拍、黄色い声が炸裂した。
「やっぱ菊地真じゃん!すげー!」
その声が室内に広がるやいなや、室内の空気が一変した。
周囲の視線が、興味のものへと変わる。
さすが現在、売れっ子のアイドラというだけあった。
本来はこの反応に喜ぶべきなのだが、今はそれどころではない。
「菊地真さん、ですよね?」
名前を呼ばれると、吃驚して肩が跳ねた。
サラリーマン、と思しきスーツ姿の壮年の男に声をかけられたことで、真は自身が現状に対して心底怯えていることを確認した。
真が恐る恐る男に振り向きつつ、周囲を伺うと、周りの人々は真の返答を期待しているようだった。
「は、はい」
半ば真っ白な頭で肯定すると、男は頬を綻ばせ、遠慮がちに「隣は高槻やよいさん、ですか」と聞いてきた。
「え、あ、はい」
やよいがたどたどしく頷くと、更に表情を崩した男が何かを言いかけた。
それを甲高い声が封じる。
「えーなんでこんなとこに真クンとやよいちゃんいんのー?」
「仕事じゃねーの?やっぱこれテレビだろ」
若い女二人組からだった。
「いや、あの、ボク達なにも知らないんですけど……」
「やっぱドッキリじゃね?モニタリングだとか、あんな感じのやつ」
ここは一体どこなんですか。
そう言葉を続けようにも、遮られて話を持って行かれる。
挙句「カメラどこかなー?」「端っこのほうじゃね」などとその二人は部屋を見回し始め、つられて周りの何人かも目を泳がせていた。
「結局、嘘なんじゃねーのか」
今度は普段着に身を包んだ若い男が、毒づくように呟くのが聞こえてきた。
見ると男は、黒い球周辺にいる黒いウェットスーツのようなものを着た六人へ、冷たい目線を投げかけていた。
嘘、嘘とは一体。
「嘘ではないさ」
その意味を考えていると、男の毒づきに誰かが答えた。
黒服の六人の中の一人、短髪の女だった。
言葉を発したかと思うと、おもむろに真達に歩み寄る。
「信じるか信じないかは、残念ながら君次第だけどね」
気のせいか、途端に真とやよいの周りにいた五人が、身構えるように姿勢を固くしたようだった。
それに釣られるように、自然と二人の中にも緊張の糸が張る。
床上を歩くブーツが、かつかつと音を立てる。
凛として自信に溢れた姿勢に、肉付きのいい身体、整理された短髪、薄く笑みを浮かべた整った顔立ちには、男装の麗人という言葉が似合い、独特の威圧感を放っていた。
女は腰に手をやり、真とやよいの前でモデルのように決まった立ち姿で立ち止まる。
長身のため、相対する真とやよいの視線が自然と上がった。
「アイドルが来たというのも驚きだが、やはり死は等しく訪れるということか」
死は等しく訪れる。
その言葉に空気が凍りついたような感覚を覚えて、真もやよいも、薄く笑う女の顔を食い入るように見つめた。
明らかに動揺した二人に、女は言い聞かせるような穏やかな口調で続けた。
「混乱しているだろうが落ち着いてくれ、君達はここに来る前に何かしらの理由で死んだ。そうかな?」
直球の質問に、胸の中を殴られるような衝撃を覚える。
死んだ?自分達が?
真は困惑、やよいは少し泣きそうな顔を、お互いに見合わせた。
車に撥ねられる直感をして、死ぬ、とは思ったが、死んだ、という実感は無かった。
しかし女が言うに、自分達は車に撥ねられて命を落としたというのが現実なのか。
例えそうだとしても、すんなりと信じられる筈はなかった。
「あの、私達、死んじゃったんですか?」
やよいが震える声で聞き返すと、「だから死んでねーじゃん」と小馬鹿にしたような声で、化粧の濃い若い女が呟くように言った。
思わずそちらを見返すと、若い女二人組こそ挑戦的な顔でせせら笑っているが、他のサラリーマンや若い男は不安を表情に滲ませていた。
その反応を見るに、六人の黒服とは違い、五人が置かれている状況は真とやよいと似たようなものらしい。
呟きを聞いた短髪の女は、口角を上げた。
「さっきも話しただろう。みんな死んだのさ、一度ね。」
さっきも話した、ということは自分達がここに現れる前に、説明が成されたということか。
それに「一度」という言葉に引っかかりを覚えると、やよいが狼狽した。
「で、でも、私達息してますし、心臓だって動いてるのに」
「それともこれが、死後の世界?」
横で、真が呆然と呟く。
すると、黒服側から「へへっ」と野太いせせら笑いが聞こえてきた。
玉の横で座り込んでいた、肩まで髪を伸ばした男からだった。
「あの世にゃ東京タワーがあんのかよ」
皮肉ともとれる言い方をして、男は無精髭の生えた口を歪ませる。隙だらけで黄色くなった歯をのぞかせ、汚く笑ってみせた。
爬虫類を思わせる獰猛さを孕んだ目が、長い髪の間から真とやよいを射抜く。
明らかに異常な男の風体に、真とやよいは怯んだ。
と、女が男に叱りつけるように言った。
「口を挟まないでくれるかな?石橋君」
石橋と呼ばれた長髪の男は、下卑た笑みを浮かべながらおどけるように肩を竦めた。
女はそれを見ると再び二人に向き直る。
「そうだ、生きてる。正確には一度死んで蘇らされたんだ」
女の説明は二人に了解を得るどころか、更に思考をかき乱した。
この人は何を言っているんだ、というのが率直な思いだ。
ファンタジーやゲームじゃあるまいし、命を落としたのに蘇るなんて、ありがたくも絶対にあり得ないことなのに。
「信じられないだろうが別に構わない。そこは大して重要じゃないんだ」
そんな二人の心中を見透かしたように女は言って、真とやよい、それと黒服でない五人を見渡す。
「新しく呼ばれたのが君達だけならもう一人、すぐに来る筈だ。そうすればあの玉から指令が出る。この状況に関する詳しい説明はそれからだ。そっちの方が話が早い」
呼ばれた、もう一人来る、玉からの指令。引っかかる言葉が幾つも出てくる。
それらに関しての疑問が新たに浮かぶが、なにより「重要じゃない」と片付けられた、蘇っただの死んだ生きてるだのの問題が全く手をつけられていなかった。
何も知らない自分達にとって、重要じゃないことなんて一つも無い。
再度質問しようとするが、それよりもあの長髪の男、石橋が女に声をかけた方が早かった。
「木場ちゃんよぉ、新参者を随分と構うじゃねえか。ほっときゃいいべ」
真達を『新参者』と称し、下卑た笑みを浮かべる石橋は、初対面でも良くない人柄であることが伝わってくる。
「君こそ随分とこっちのことを気にするじゃないか。お互いの勝手だろう?」
「勝手っつって足引っ張ってもらっちゃ困るべや。ま、確かに俺たちにゃ関係ねえことだけどな。
赤羽根と一緒に仲良くやってな」
「言われなくともそうするさ」と、木場と呼ばれた女は冷たく笑った。
一方、状況を掴めていない人々は、石橋と木場の会話のやり取りからも、頭の中でどんどん疑問が積まれていく。
その短いやり取りが途切れたところで、真は今度こそと口を開いた。
しかし今度は真ではなくやよいが、いつもからは考えられない程大きな声で「あの!」と、切り込んだ。
木場がやよいに目をやって、真は驚いて口を噤む。
やよいは慎むように声のトーンを落とす。
「帰っちゃ、ダメなんですか?」
集まる視線に身を竦ませながら、やよいは聞いた。
今まで誰も部屋から出ようとしなかったから真とやよいもそれに合わせて動こうとはしなかった。
だが考えれば窓もあるし、ここがマンションなら部屋から出れば玄関もあるのではないだろうか。
なぜ誰もこの部屋出ようとしないのだろう?
「ダメ、というかまだ帰れないな。今は玄関も窓も開かない。ミッションをクリアしさえすれば帰れるさ」
「みっしょん?」とやよいが繰り返す。
その『ミッション』とやらが『玉の指令』に関係しているだろうことは勘付ける。
だがそれも、『もう一人』が来なければ始まらないと言うことか。
とは言え分かることといえばそれだけで、ミッションとは何なのか玉がどういう役割なのか、謎も新たに増えた。
「混乱しているか?」
「当然ですよ!」
爽やかに笑う木場に、混乱と不安の余り叫び返す真。
その落ち着きように、この人達こそが自分達を拉致してきた張本人なのでは、という考えが頭によぎる。
「本当はあなた達が、ボク達をここに連れてきたんじゃないんですか?」
感情の昂りから、思ったそばから木場に疑念を突きつけていた。
しかし木場は、真の睨みに対しても整った微笑みで応えた。
「まさか、私達にそんな芸当はできないさ。私達に証明する術は無いがすぐに分かるよ」
木場は相も変わらず涼しい表情のまま、続けて何かを言おうとしたが、それをやめて、背後の玉を振り返った。
「あぁ、言ったそばからだな。もう来るよ」
そう言って木場は、部屋の中央を空けるようにそこを退く。
なんのことか分からない真とやよいの目の前の中空に、一閃のレーザーが飛んできた。
「うわっ!」
声を揃えて驚き、二人して後ずさった。
レーザーは黒い玉の中央から放たれており、空中の一点で途切れている。
そこから高速で横移動を繰り返しながら徐々に下降し、レーザーが通ったところから何かが現れていく。
まるでデータを書き出しているような無機質な印象。
書き出しに伴って、ジキジキジキと電気が迸るような小さな音を出して、レーザーは赤、青、黄とめまぐるしく色変わりしていく。
現れたのは、黒くて針のように細い物が無数に生えた、歪んだ半球状の物体。
それは毛髪を生やした人の頭だった。
レーザーの当てられた部分がスライスされたように綺麗な平面を形作り、そこから赤い断面が見える。
レーザーが下に降りるに連れ、脳天、顎、首が順々に現れ、CTスキャンの画像で見たような肉体の断面が絶え間なく変化していく。
ショッキングかつ、あまりに現実離れした光景に、真とやよいは目を見開き、口を開けたまま固まっていた。
他の人々も、レーザーに『誰か』が書き出されていく様子を黙って見守っている。
真とやよいには背を向けた形で書き出されているために顔は見えないが、その『人』は男性だった。
夏物のYシャツとスーツのズボンを着ており、その下に木場や石橋と同じ、黒いボディスーツのようなものを着ている。
レーザーは足先----黒いスーツの一部と思われるブーツまでいくと、音もなく消えた。
全身が書き出し終わったということだろう。
現れた男は、黒服の面々を見回してから、『新参者』達がいる背後へ振り向いた。
まだ衝撃から覚めない真とやよいは、夢を見ているような感覚の中、固まったまま男の挙動を見つめる。
振り向いた男は黒縁メガネを掛けていて、優しげな好青年という印象を受ける顔立ちをしていた。
微動だにせず、男の顔にぼんやりとそんな感想を抱いていると、二人と男の目が合った。
途端に男も目を見開き、口をぽかんと開いて呟いた。
「菊地真に、高槻やよい……?」
アイドル二人の存在に驚いているようだが、真とやよいの受けている衝撃は、その比ではない。
「今夜のオカズゲットってか赤羽根ー」
茶化すように眼鏡の男、赤羽根に声をかけたのは黒服の中、石橋の後ろで立っていた背の高い男だった。
石橋含め、周りにいる三人の男が汚い笑いを漏らし、近くにいた少年は逆に不快そうに眉間にしわを寄せた。
真とやよいには茶化したその意味が分かり兼ねたが、下品なことを言われたことは感じ取れた。
「そういうこと言わないでくれよ」
赤羽根は忌まわしそうに眉を潜めて、石橋達の一団を睨んだ。
若い女二人組も「サイッテー」「きめー」と非難の声を上げる。
「うるっせえ馬鹿女共」と、背の高い男が言い返すと、片方の女が「はー?テメー今なんつった!?」と甲高い声で噛みつき返す。
男が舌打ちをして、稚拙な喧嘩が始まろうとした。
その時。
あーたーらしーい あーさが きた
きぼーうの あーさーだ
大音量で流れ出した音楽に、喧嘩がもみ消された。
呆然としていた真とやよいは、突然のことに肩を跳ね上げて驚いた。
音楽を流しているのは、黒い玉だ。
よーろこーびに むねをひーらけ
おーおぞーら あーおーげー
それは耳に覚えのある曲だった。
今となっては聞く機会があまり無い『ラジオ体操の歌』だ。
古臭い朗らかな曲調にノイズがところどころ混じっており、人々の喧騒の代わりに部屋一杯を満たす。
そーれ いっち にっ さんっ
そこで曲は終わり、玉は再び沈黙した。
残された静寂の中、皆一様に玉を見つめている。
やがて、その黒い表面に文字が浮き出てきた。
なにかの文章のようだ。
「あー皆さん、ちょっと玉の前に集まってもらえますか」
それを確認した赤羽根が、新参者達へ手招きをした。
皆訝しげな顔をしながら、それに従って玉の前に集まる。
表面には変に改行された六行の文が表示されていた。
「てめえ達の命は無くなりました。新しい命をどう使おうと私の勝手です。という理屈なわけだす……」
眼鏡をかけた中年のサラリーマンが、小声で読み上げる。
敬語を使っているが、明らかに無礼な文面に加え、「り」や「す」が逆だったり、誤字混じりだったり、フォントがバラバラだったりとまるでやる気を感じられない、とぼけた文だった。
物騒な内容と相まって、かえって不気味ではあったが。
「なんですかこれは」
若いサラリーマンが赤羽根を見て聞いた。
「見ての通りです。信じられないでしょう、ですが事実、あなた達は一度死んだんです。それでこの黒い玉……俺達は『ガンツ』と呼んでますが、こいつに再生されて、ここに連れて来られた」
日常生活中に聞けば頭を疑う言動であったが、先程のレーザーから人が書き出される様子を見た真とやよいは、もう否定や疑いの言葉を言えなくなっていた。
「俺達とあなた達、ここにいる全員の命はこのガンツが握っています。この文通り、与えられた命をどう使おうと、ガンツの勝手だということです」
ひどく不安にさせるようなことを赤羽根は言った。
それは、命に関わるようなことをこのガンツという玉にやらされる、という風な意味にも取れる。
「そ、それはどういう……」
聞いた壮年のサラリーマンの声は、心なしか震えている。
と、聞きかけたところで、六行の文章が消えて、男は口を噤んだ。
命を握られていると言われて、玉の挙動に神経質にならない筈がなかった。
そして表面には新たに、顔写真のようなものと、そのプロフィールと思しき文章が、先程と同じようにバラバラのフォントや誤字で構成されて表示された。
てめえ達は今から
この方をヤッつけに行って下ちい
キリン星人
特徴 つよい きりん
好きなもの じゃがりこ
口ぐせ キリンがない
『キリン星人』という文字の下には、酷い馬面にやたらと目が大きく睫毛の長い男の顔写真が表示されていた。
きっちり正面から撮られており、まるで証明写真のようだ。
「おう、どけや」
石橋が立ち上がり、周りの三人の男を引き連れて新参者達に吐き捨てるように言った。
部屋にいる全員がガンツの前に来て、そのキリン星人の顔写真をしげしげと眺める。
そのことを見ても、この一見ふざけているような内容の情報が、自分達にとって重要なものであることがわかる。
「やっつけに行ってって……これからこの人を、その……」
真は、木場と赤羽根を見やりながら言いよどんだ。
「もしかして……殺すって、ことですか?」
自分自身何を言っているのかと疑問を持ちながら、背筋を何かが這うような感覚を覚える。
もしそうなら、要はこの玉は殺人を強要しているのだ。
木場が淡々と答える。
「キミは聡いな。そういうことだ。それに言っておくが、これから相手取るこいつは人間じゃない。怪物だ」
「正体不明の、ね」と赤羽根が付け足す。
と、新参者達が聞く間もなく、キリン星人の画像と情報が表示されたガンツの正面から見て、左右と背面に薄く線が入った。
直後、大きな音を立ててそこが飛び出し、左右には銃器の吊り下がったラックと、背面には何やらケースの入った棚が現れた。
突然変形したガンツに、呆気にとられる『新参者』の七人。
それを尻目に、石橋達が銃器をラックから持ち出して行く。
その銃は、武器に詳しくない真とやよいから見ても、特殊な形状をしているのがわかる。
ライフル型とピストル型の二つがあるようだが、銃口は存在しておらず、先端には窪みがあった。
SF風味のおもちゃの銃、にしては無骨でリアリティのあるデザインだった。
木場も、中からライフル型の銃を取り出す。
赤羽根はそれに加えて拳銃も取り出し、それを見届けて木場が再び説明を始めた。
「時間が無いから掻い摘んで話させてもらう。これから外に出てこのキリン星人と戦う事になるが、それには命の危険を伴う。
そこで私達の着ているこのスーツが、いくらか命を守ってくれる。ガンツの後ろに、これと同じものが入っている。君たちの分もあるはずだ」
木場は先程まで浮かべていた薄い笑みを打ち消し、真剣そのものの目で七人を射抜く。
その問答無用と言わんばかりの迫力に気圧されて、誰も木場に聞き返そうとはしない。
不安げにお互い顔を見合わせてから、まず中年のサラリーマンが、皆の顔を伺うようにしながら遠慮がちにガンツの裏へと回っていった。
それに引き続いて壮年のサラリーマンもケース棚へ。
動き出した一同に、赤羽根が指示する。
「ケースには必ずしも名前が書かれてるわけではないですけど、それぞれ個人が分かるような単語が書いてある筈です。必ず自分の分を着ていって下さい。
着替えは玄関の方で、よろしくお願いします」
取り出された白いケースには取っ手と、開くためのボタンが付いており、中央にはやはり腑抜けたフォントで名前か、個人に関係するらしい単語がプリントされていた。
若いサラリーマンは『大谷』と書かれたケースを、中年のサラリーマンは『おかだ』と書かれたケースを取り出す。
普段着の男は棚を覗き込んで、怪訝そうに眉を潜めた。そして取り出されたケースには、なぜか『笑いめし』と書かれていた。
男達三人は、ケースを抱えて赤羽根の指示通りに玄関へと消えていく。
「ミッションがどうとか知らねーしマジで……んなダサいの、マジメに着たくないんですけど」
「キツすぎっしょ」
若い女二人は、寄り添いながらお互いに愚痴を零している。
木場が「死にたくなければ着ることを勧めるが」と言うと、さっき長身の男に噛み付いた方の女が、木場を睨みつけた。
木場はため息を吐いて「やれやれ」と呟いている。
そのやり取りを背に、真とやよいもケースを取りに行った。
棚に残ったケースは四つ。あの女二人組と、自分達の分だろう。
真が適当に引き出すと『もやしっこ』と書かれたケースが出てきた。
誰のだろうと真が考えていると「あっ、それ多分、私のですー」と言って、やよいがケースに手を伸ばした。
「もやしっこってなんのこと?」
まさかガンツとやらに馬鹿にされているのでは、と眉を潜めながら、ケースを手渡す。
「いえ、たぶんですけど、私もやしが大好きで、よく家族でもやし祭とかするから……」
意外と朗らかな理由に気を抜いて「あはっ、もやし祭ってなに?」と真は棚に振り返る。
「毎週木曜に、やるんですよー。弟妹達といっしょにもやしをいっぱい食べるんです。
ホットプレートにマヨネーズをかけてその上にいーっぱいもやしを乗せて、その上にソースをかけてご飯といっしょに食べるんです。
すっごくおいしいんですよ」
「おいしそうだね。それにすごくヘルシーって感じ」
「はい!とってもへるしーです!この間、伊織ちゃんと響さんにも食べてもらったんですけど、二人ともとってもおいしいって言ってました!」
「伊織が?意外だなあ。高級って感じの料理で口が馴れてそうなのに」
言いながら引っ張り出したケースには『まこと王子』とあった。
こいつか、と真はやや複雑な気持ちになりながらケースを取り出す。
世間には王子様な女の子として売り出されていた真は、日頃からお姫様になりたいと夢見ている。
そこをこのガンツと呼ばれる謎の玉にまで『王子』扱いされるとは。
恨めしい気持ちで玉を見やると、玉の中が見えた。
そこには、裸でスキンヘッドの人間の丸まった背中があった。
「……うわぁ!?」
悲鳴をあげて飛び退いた真に、驚いたやよいが「うぇえ!?」と声をあげた。
室内にいる人々の視線が集まる。
「どうかしましたか?」
赤羽根が心配そうに聞いてきた。
「な、中に人がいますよ!?」
なぜそんなに冷静なんだ、と非難の意も込めて叫びながら玉の中を指差す。
釣られて中を覗いたやよいが「はわっ!?」と悲鳴をあげた。
室内の反応は様々だった。若い女二人組は「はぁ?」と素直に驚きの声をあげ、石橋の一団はくすくすと小馬鹿にするような笑いを漏らす。少年はただこちらを見ている。
そして赤羽根と木場は「ああ」と冷静に頷いた。
「その人なら気にしなくていいです。前からそこにいますし、目は覚ましません」
「気にするなって……そもそも誰なんですかこの人!?」
「残念ながら私達そいつに関しては何も分かっていないんだ。ただそいつを殺そうとしても無駄だぞ。一切の攻撃を受け付けないからな」
ということは、木場は前にこの人を殺そうとしたのだろうか。
涼しい顔で凶暴なことを言って退ける木場に真は戦慄して「は、はぁ」と曖昧な返事をするしかなかった。
ケースを持って玉を回っていくと、左右の武器が釣り下がったラックの付け根からも玉の中を覗くことができた。
少し遠目だが、見えた顔つきから、裸の人間は男だということがわかった。
「寝てるみたいですね」
「うん……」
男は眠っているように目を閉じ、体を丸めている姿は胎児を想像させる。
口元には呼吸器をつけられており、注意して聞くと、微かだが呼吸音が聞こえてきた。
一体この男は、どこの誰で、なんのためにこの玉の中にいるのだろう。
真とやよいが大きな疑問を抱えて、しげしげと玉の中を覗き込んでいると赤羽根に「おーい」と声をかけられた。
「興味持つのもわかるけど、早くスーツに着替えてくださいよー」
気付くと、中年と若いサラリーマンに部屋着だった男も、手荷物と自分の服を手に持ち、全身を同じ黒いスーツに包まれて部屋に戻っていた。
「着替えは玄関で」と赤羽根は指示を繰り返す。
「行こうか、やよい」
真が促すとやよいは頷き、バッグとケースを持って、部屋を出ようとする。
すると部屋の一角で集まっていた石橋の一団が、舐めるような視線を送ってきた。
なんだよもう、と強がって睨み返しながらも内心で怯える。
その視線から逃れるようにして、二人はそそくさと玄関へと向かっていった。
途中いくつか扉があったが開く気にはなれず、真っ直ぐに廊下を歩いていく。すると突き当たりに覗き穴や郵便受けが付いた扉があった。
どうせ開かないんだろうな、と思いながら真がノブに手を伸ばすと。
「えっ?」
「どうしたんですか?」
「いや、このドアノブ……触れない」
「へ?」
近付くやよいの前で、もう一度ノブを掴もうする。手はノブの周りで滑り落ちてしまった。
まるで、ノブと手の間に強力な磁力が発生して、それが反発しているかのようだった。
「無茶苦茶だよ……」
真の呟きを最後に、二人してどうしてもこの部屋から出られないだろう事実に言葉を失う。
出られないにしてもただ鍵が閉まっているなら分かるが、そもそも触れられないなんて。
とりあえず扉から離れて、玄関横にある備え付けの靴箱の上に荷物を置く。
ふと板張りの廊下と土間を行き来して、自分達が外履きを履いたままだったことに気付いた。
「やよい、信じられる?」
靴を脱いで、靴箱の上へ手荷物のバックと一緒に置きながら、真は聞いた。
「何がですか?」
「ボク達の置かれてるこの状況だよ。色々ありすぎて、なんだか夢の中にいるみたいだ……」
「私ももう、頭の中がごちゃごちゃってなってますよー……」
「さっきのあれ、レーザーから人が……やよいも見たよね?」
「もちろん、でもやっぱり信じられないです」
突然事故に遭って、死んだ筈が生き返らせられた。
誰に蘇生されたかは赤羽根や木場に聞いていないが、レーザーで現れた赤羽根の光景を見た限り、自分達もガンツにレーザーで書き出されたのだろう。
そう思うと、自分の身体が本物なのかどうか不安に思えてきた。
記憶が繋がっているのかどうか、自分は自分なのか、全てが不確かなもののように感じられる。
いや、もうやめよう。いっそ考えるな。
これ以上考えると、必要以上の恐怖を覚えて不安定になりそうだと、真は思考を打ち切った。
「ところでこれ、どうやって着ればいいんでしょうか」
やよいの困惑した声に振り向くと、ケースを開けて、中からスーツを取り出していた。
目の前で広げ、困った顔でスーツを見ている。
真もケースを床に置いて開くと中には、黒い生地に青白い水晶体のようなものがはめ込まれたブーツが入っていて、その下にぴっちりと折り畳まれた黒いスーツがあった。
ブーツをどかして、スーツを手にとってみると、上半身と下半身、両手分とパーツに分けられているのが見て取れた。
各所に付いた銀のボタンで接続する形らしい。
ボタンの中央の窪みには、ブーツと同じく青白い水晶体が埋め込まれている。
「……取り敢えず着てみよう」
と真はスーツを置いて、服を脱ぎ始めた。
「はい」と頷いて、やよいもそれに倣う。
取り敢えず上半身はブラジャーを残して衣服を脱ぎ去る。
少しの覚悟をして、不気味な黒いスーツ、その上半身部分に腕を通した。
ラバー状で、着るにはきつそうなスーツの生地は、驚くほど突っかからずに肌を滑って、腕と頭を通して行く。
一度頭を外に出し、胸上辺りで止まっているスーツを胸から下へ下ろそうとする。
しかしスーツはブラジャーに触れたところで、それまでの滑り具合が嘘のようにぴくりとも動かなくなった。
「あ、あれ?」
もう少しで行けそうなのに、と力を込めてスーツを引っ張るが、それ以上進まない。
仕方なくブラを外してスーツを着直すと、ラバー状の生地は、何事も無かったようにするりと胸を包み込んだ。
上半身が黒スーツに包まれたところでやよいを見やると、丁度ブラに引っかかるスーツに、顔を赤くして奮闘しているところだった。
「やよい、このスーツは下着があると駄目なのかも」
「え、そうなんですか」
聞き返してからやよいもスーツを着直し「ほんとうだ」と驚いている。
「ということは、パンツも……」
「多分、そうだろうね」と、真は少なからず不快な気持ちになりながらズボンに手を掛けた。
ふとポケットに入っていた携帯電話に手が触れ、そういえばと思って引っ張り出す。
「……ダメだ、電源が入らない」
「そう、ですか」
「うん」
画面は真っ黒なままで、操作しようとしてもうんともすんとも言わない。
どうせそんなところだろうとは思っていたが。
ため息を吐いて携帯を荷物と一緒に置いて、改めてズボンを下げる。
それから、一応廊下の向こうを気にしつつ、そそくさとパンツを脱ぎ捨ててスーツの下半身部分に足を通した。
目論見通り、スーツは心地いい肌触りを残して足を通し、下半身を包み込む。
上下を着終わり、双方に合致する位置にあるボタンを合わせると、小気味のいい音とともに上下のスーツが合体した。
手袋やブーツも同様に着用して、手首周り、足首周りにあるボタンをそれぞれはめる。
ひとまず着終わったが、真は姿見が欲しいなと思った。
見れる範囲で、スーツに包まれた身体を見回す。
ついでに癖で、腕を回したり、手を閉じたり開いたりと、動きへの影響を確かめる。
「……すごいな、この服」
思わず感嘆の言葉を漏らした。
真のサイズに寸分違わず合った黒いスーツは、吸着するように身体にフィットしている。
にも関わらず着ている感覚を忘れるほど肌触りに問題はなく、生地の食い込みも一切ない。
室温も、スーツを着た途端に無いもののように気にならなくなっている。涼しくも、暑くもないのだ。
やよいも着終わると、「うわぁ、全然着てる感じがしないですー」と声をあげた。
「だよね、不思議な感じ……こんな服、着たことないや」
今までスポーツ用品のPRやCMのために、色々な新発売のスポーツウェアを着てきたが、こんな服は初めてだった。
いや、地球上でもきっと類を見ないだろう。
そう思える、あり得ない着心地だった。
「やっぱり、普通じゃない」
そう言葉を漏らして、妙な気持ちになった。
それはそうだ。
考えれば普通じゃないことが普通、そんな場所なのだから。
今更、おかしいだのなんだのと、言うだけ無意味だろう。
「真さん、戻りましょう」
「そうだね、あの木場って人も時間が無いって言ってたし」
とは言え、一体なんの時間が無いというのだろうか。
まぁ、本人に聞けばいいことか。答えてもらえるかは分からないけれど。
心の中で納得しながら、畳んだ衣服をケースの上に乗せ、手一杯にバッグを持ち上げると、部屋の方から叫び声が聞こえてきた。
甲高い声から、あの色黒の若い女のどちらかであることがうかがえる。
真とやよいは顔を見合わせると、荷物を持って急いで部屋に戻った。
一体何事だろう、と若い女の姿を探すも、二人いた筈が一人しかおらず、その一人は口をぱくぱくとさせながら部屋の中を見回している。
それに気付けば、サラリーマン達やヘアバンドをした少年、石橋の一団もいなくなって、部屋にいるのは木場と赤羽根と若い女、それに真とやよいの五人だけだった。
皆どこへ行ってしまったのか。それに今の叫び声の原因は?
状況を掴めていない二人が、残ったもう一人の女の様子を見ていると、女の頭頂部が、突然消えた。
「えっ!?」「あっ!」
二人して声をあげる。
「えっ、なになに!?」と叫ぶ女は、なおも頭頂部から順に、目の耳、鼻、口と消えていく。
赤羽根がレーザーから書き出されたように、しかし今度は上から下へと、身体の断面を晒しながら女は消えていった。
あっという間に足だけになった女の横を、おもむろに木場が通り抜け、玉の裏に回る。
「なにしてるんですか」と赤羽根が聞くと、二人分のスーツケースを持った木場が答えた。
「結局彼女達はスーツを着てくれなかったからな。仕方ないから持っていくだけでもしよう」
「なるほど」
「な、なにが起きてるんですか!?」
頷く赤羽根に真が聞くと、赤羽根は「ああ、あれです」とガンツを指差した。
見ると、先程まで表示されていたキリン星人の写真とプロフィールは消えて、新しいメッセージが現れていた。
行って下ちい
メッセージの下にはデジタル表示で時間が刻まれている。
00:59:37
一秒、また一秒と時間は刻まれていく。
減っていく時間に無性に不安を覚えて、真は赤羽根に聞いた。
「あれ、なにをカウントしてるんですか?」
「制限時間ですよ。キリン星人を倒すまでの」
そう返してから、赤羽根は「あ、そうだ」と何か思い付いたのか、ガンツのラックから拳銃型を二丁取り出して、真とやよいに差し出した。
「これは武器です。使い方は向こうで教えるから、ひとまず持って行って下さい」
二人とも、言われるがままに銃器を手に取る。
銃器はおもちゃのような見た目をしているが、それに反し、武器として説得力のある重さがあった。
「いや、そうじゃなくて、いなくなった人はどこに行っちゃったんですか!?それに向こうって!?」
はぐらかされたようで、真はその手には乗らないと言わんばかりに強い口調で聞き直した。
「安心しろ、ただの外だ」
ケースを抱えた木場が答える。ケースにはそれぞれ『ギャルいずみ』『リカちゃん』と書かれている。
「ただの外ってどこなんですか?」
「俺達もそれは知らないけど、東京のどこかであることは確かですよ」
「東京のどこか?……あっ」
質問を重ねようとしたところで、真の額に風が吹きつけた。
外気のものだと、直感した。
「真さん!」
やよいが驚愕の表情を浮かべて、真の頭を見ていた。
「行った先で待っててくだ」
赤羽根が言った言葉は、途中で風の音にオーバーラップして消えていく。
同時に景色もガンツのある部屋から、どこかの暗い路地へと変わっていった。そこが一目にあの部屋から離れた場所であることが分かる。
この現象を『転送』と言うべきか。
ともかく真は何もできず、ただ身を固くして縋るように銃を握りしめた。
登場キャラ達の元ネタは次回解説したいと思います。