新緑生い茂る森の中で目の前に聳え立つ大樹を見上げる。クチャクチャと口元から発せられる音はガムを噛む音。調達したガムは大木から漏れ出た樹液が原料、爽やかいちごおでん味。
手頃な岩場に腰掛け、膝を机のように見立ててノートを敷き、片手のペンで線を引いた。幾重にも重なる線はやがて一つの絵になり目の前の光景をまざまざと映し出す。ポン、ポン、と点を突けば赤青緑様々な絵が波紋のように広がっていく。
「どろーう」
発声練習、単語確認、もう一度。
「ドローウ」
イントネーションが記憶と違う。もう一度。
「Drow…Draw…? そうだ、Drawだ。『描く』」
「ここか、わが主よ」
背後で絵を覗き込むように見つめる者がいた。金と黒に覆われた鎧姿、至る所に迎撃用の突起物、顔の大半を覆う仮面、腰に中世の騎士のような
本来ここに人間などいない。
「仮面ライダー」
「違う! 私だローチだ!」
カシャンと仮面を上にずらせば、見覚えある風貌が伺えた。「ああ」と思い出したかのように呟いて、プクッと空気を送り込みガムを膨らませながら絵を描く手を止める。
「いつの間にコスプレなんかしたんだい? 儀式の一族もまた面白いものにシフトチェンジして昔の遺産をコスプレに使ってたけど」
「違う、その〝こすぷれ〟とやらは知らんが私のは星の加護を得て会得した物だ。一体多数の勝負でも負けはない」
「ああ、そういえば以前は一対一で下克上するのが精一杯だったね」
だいぶ昔の…もう自分が何年生きているか分からなくなるくらい気の遠い太古の話だ。テキスト上では素材一つで☆5以上を打倒出来る程度の力はあった気がする。シュッシュッと空を切り裂く刺突剣を振るう姿は歴戦の兵士だ。これが今は無き種族の下っ端歩哨とは思えない姿である。《アドバンス・ゾーン》は偉大であった。
「ところでキミが描いていたそれは…」
「あぁ、《ナチュルの神星樹》だ。元来この一帯は大戦からナチュルの棲む場所だったからね。さっきまで食虫植物…いや食人植物に喰われそうだったからヒヤヒヤしたよ」
パラパラとページを捲って追いかけてきた四人の襲撃者達の姿を見せる。《トリオン》《ティオ》《アトラ》《カズーラ》と名付けられたモンスター達。カテゴリーには《蟲惑魔》と銘打ってある。
「若い女の子に追いかけられるのは嬉しいけど、追いつかれたら骨までしゃぶり尽くされるのはちょっとなぁ…行き過ぎた愛情表現だったよ」
「それを愛情と表現できるお前も十分大物だ。ところで格好良くなった私にはなんと名付ける?」
「インヴェっ…ヴェッヴェヴェヴェ―――」
「ヴェ?」
「《ヴェルズビュート》」
新たな空白のページにペンを走らせる。瞬く間に目の前に立つローチと名乗っていた者の姿を描き出し絵にする。銘には《励輝士》と打った。
「《励輝士》とな?」
「以前のキミは
「なるほどな、命名感謝する。今日より《励輝士 ヴェルズビュート》を名乗らせて頂く」
ハハァーと名を賜った家臣のように礼するヴェルズビュート。こいつなんでそんなに戦国時代の武将みたいな態度を取るんだ。
「しかしわからぬものだな、元々この星を侵略しようとしていたインヴェルズの生き残りたる私が、この星を守る者達の力を得るとは」
「ホント人生ってわからないよなぁ」
かれこれこの世界に来て数百年。ビルが建ち並び自動車が走る日常はもう色褪せた記憶の彼方に追いやられている。
この世界に来て頼れる存在は無かった。目の前にあったのはノートとペンの二つだけ。今纏っている衣服に関してはこの世界の部族達から譲り受けたものばかりだ。息絶えてしまった部族も多く、彼らを忘れること無いように着れなくなってしまった衣服の一部をアクセサリーとして身につけている。
最後の一筆を刻む。するとビュートが膝を突いた。
「む…うむむむむむむ…久しく味わったぞこの脱力感」
「悪いね」
「問題ない、あと少し放置していたらこの一帯を吹き飛ばしたかもしれん」
「おい」
いかなる戦地であろうとも決して燃えることもなければ傷付くこともないノートと無限の色を生み出せるペンは、彼らモンスター達の力を封じ込める道具になった。というもの、今のビュートが良い例で新たに生まれた、もしくは復活したモンスター達は力を自分の意志で制御できないようで下手に放置してしまうと周囲に被害を及ぼすから厄介なのである。氷結界の連中が起こした三龍が良い例である。伝道師と鏡の力がなければこの星の生命は途絶えていたかもしれない。《ジールギガス》に関しても、あの場ですぐ描き起こさなければエミリア達含め四人纏めてあの場で即死していた。
でも一番やばかったのは、ボクをこの世界へ誘った本人であろう《神》の復活である。
〝森羅万象を描きなさい〟 〝そして私に伝えなさい〟
《ノート》と《ペン》。この二つ以外にこの世界で得られた恩恵というのが《声》である。この世界に来て以来歳を取ることもなければ若返ることもない不老の存在になってしまったのは《神》がくれた唯一の恩恵だ。ただし不老ではあっても不死かどうかは分からないため曖昧である。モンスター達と地上の世界を描くことで、絵を通して現状を伝えることが使命だったのかもしれないと今更になって思うのだが、すべては《神》の掌の内だ。
《神》無き今となってはもう聞こえなくなってしまったものの、最近たまにだが小声を耳にする。思い当たる節と言えば、
「ところで我が主よ」
下級インヴェルズであったビュートには名前がない。下級には名前は与えられず歩哨、斥候、門番など役割として呼ばれ、上級インヴェルズに捕食される立場にあった。
「昨今新勢力が次々に確認中だが、現状どうなっているのだ?」
「…あまり良い状況と言えないのが現状かな、また破滅の前触れみたいな気配がする」
「…それは、不味いな」
「ビュートも身の振り方を決めた方が良い、本来キミは用心棒でもなければ観測者などではなくこの世界の一部であるということを」
先ほど見かけたナチュルの森最強の守護獣ガオドレイクも、ビュート同様に神星樹から溢れた力がどういうわけかヴェルズ側に作用し過去のヴェルズモンスターのような強化を見せている。《神樹の守護獣》と銘を打たれた彼の名は牙の王《牙王》と名付けた。だがまだまだ進化の余地を見せそうである。ガスタの神裔ちゃんに手綱を取らせて貰おうか…そうでもしなければ暴走しそうだ。半身を絵として写し取ったとしても難しそうである。
ヴェルズ化といえば《ジェムナイト》の英雄《クリスタ》の亡骸も問題であった。世界各地に散らばったジェムナイトの戦士達の破片を無理に吸収しているらしく暴走状態のようだ。暴走とは言うものの危害を与えた様子は無いから放置しているが、何らかの意志を感じ取って行動しているのは間違いない。思い当たるのは最近確認された新勢力だ。
「《神》の撃退後に確認された新勢力はざっと5つ。
輪廻の運命から逃れ糸に操られた彷徨う地縛霊、
聖霊と共存するガスタの末裔、霊獣使い
《ソンプレス》による大自然の力を具象化された幻竜族、竜星」
ぺらぺらとページを捲ると姿形の異なるモンスター達が描かれていた。未だに各勢力全員と会った訳ではないからあとで歯抜けした箇所を補填すべく余裕を持ってページを空けている。もっとも、描かれたモンスター達は力の半分を封じ込めた証として《カード化》している。一枚のイラストがテキストを持ったカードになる光景はシュールで、初めこそ驚いていたが最近は慣れてきたのが事実だ。なぜそうなるか、テキストの法則性は不明だが小さくなって仕舞いやすくなるのは有り難い。《神》撃退前に描かれたモンスター達はすべて《カード化》し腰に付けたホルダーに傷付かないよう保管されている。たとえ本人が滅びようとも半分の力となったカードは生き続けているのだ、それこそ善悪種族問わず。不思議なものである。
「
「ノアー! ノーアー! いないの!? ノーアァアアアアアアー!!」
「呼ばれているぞ」
「これが風の噂ってやつか…いや、前振りかな?」
《ノア》――そう、ボクの名前である。
生憎、この世界に来た時点で昔の名前を思い出せなくなった。否、正確には奪われたと言っても差し支えない。どうやらボクを連れてきた《神》が名前に関する記憶をごっそり抜き取ってしまったようなのだ。理由としては《神》の末端たる存在に名前が邪魔になるからだそうだ、酷い。だがそれは前の世界に対する未練を断ち切り完全なる《神》の手足として従事して貰うためでもあったようだ。確かに前の世界に対する未練は欠片もないが、《神》の手足として従事するにしても結構な割合で怠けてはいた。それこそ大戦勃発時は無我夢中で絵を描き続けたが、それ以外は基本食っちゃ寝生活である。
《ノア》と名付けたのは単に名前を付けた方が呼ばれやすいと思ったためである。無いと何かと不便だったので、あれこれ考えるのも面倒なので単純な名前にした。
ご存じの通り《旧約聖書》の《創世記》に出てくる登場人物である。主の声を聞き箱船に乗り950歳まで生きるスーパーじじいであるが、長寿と名前が2文字だけであること、そして立場上似た存在なので名前を借りている。モンスターにそんな名前の奴がいないから間違えられることはないが、いつかちゃんとした名前を貰いたいものだ。
「ここだよ」
「あ――っいたいた!」
声の響く方向へ歩けばすぐに見つかった。ガスタの神裔ちゃんこと《ピリカ》である。マヌケげな精霊獣《ラムペンタ》を鷲掴みにしてこちらまで走ってきてる。生き物への扱い酷くないか。
「もー探したんだよノアー」
「悪い悪い、《神星樹》を一望できるところを探してたらこんな所へ来てしまった」
「それで何かあったのか?」
「あ、うん…ローチ? なんか見た目凄い変わってるね」
「あー…いまのこいつはヴェルズビュートね。クアンタムスーツで進化したの」
「励輝士 ヴェルズビュートだ! よろしくな!」
「ヴェルズビュートだね、よろしく! それでああええと…とりあえずついてきて!」
「え?」
がっしりと腕を掴まれて引っ張られた。そのままピリカは走り出すが体格的に考えてもボクの方が大きいのでおんぶさせて再び走る。頭上でラムペンタがグェッと啼いた。
「方向はこっちで良いんだね? 何があった?」
「
どうやら予想的中である。しかしウィンダ?
――思えば、これがすべての始まりだった。
ラムペンタさんなんでキリッみたいな顔してるんですかね