八雲パープル   作:生パスタ

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04_理論上で最強の紫様

「……私が紫様だというのか、八雲藍に化けた八雲紫だと?」

 

 藍は、己の式が大興奮で叫んだ言葉の意味を理解するのに、幾ばくかの時間を必要とした。

 彼女がまず初めに思ったことは、この猫おそろしく馬鹿げた事を言い出したな、であり。その数瞬後に思ったことは、だがこれは思いのほか核心を突く指摘なのかもしれない、であった。

 神妙な顔つきの藍に対して、強制だっこ状態を保持する式はニコニコとしている。

 

「アハハ、やっぱり似てますね。でも、もういいですよ。紫様のお芝居がとても上手なのは、もうじゅうぶん分かりましたから」

 

 目の前の存在が八雲紫で決定したかのような言い回しをする橙。猫妖怪の笑顔は、いつの間にやらニコニコからヘラヘラに変わっていた。

 その様子を見て、藍は近ごろ感じていた疑念が確信に変わる。

 猫の式は小賢しくなってきている。しかも生意気になってきている。いや、違う。元に戻りつつあるのだ。こいつは本来、もっとお転婆な猫だったはずだ。それを式としてからは、そのはねっかえりは鳴りをひそめ、素直でおとなしい猫となった、と思っていたのだが、それは勘違いだったらしい。猫かぶりだったのだ。

 

 狐の少女は、つい先刻の猫の里での事を思い返す。あれもまた猪口才な手口だ。

 競走しようなどと可愛げのあることを言っておきながら、その実やったことといえば、腐った油揚げを放り投げるというキツネを馬鹿にしているとしか思えない所業である。

 訪ねて行った際の熱烈な歓迎振りや、昼餉のもてなしまでも、油断を誘うための罠だったとは思わないし思いたくない。ただ、ともに楽しく焼き魚を食べながら、実は式の胸の内では主を引っ掛ける計画が進行中だったのかと思うと、何ともたくましくなったものだ、と感心せずにはいられなかった。

 

「私は紫様ではない」藍は冷たく言い放つ。「紫様の式、八雲藍だ。それ以外の何者でもない」八雲紫に式神を憑けられる前は何者であったのか、それを振り返ることはない。

 

「お前は、主が何者であるかも分からないのか?」

「もちろん分かっていますよ。私の主は藍様で、主の主は紫様です。そうですよね、“紫”様?」

 

 橙は、主の冷徹な声に若干しり込みした。だが、引かなかった。目の前にいる八雲の色が、藍色なのか紫色なのかを確かめる前に引いてしまっては、己の行動がまったくの無意味となってしまう。

 とにかく何らかの成果を得るまで初志を貫徹するしかない。もう後には引けないのだ。

 猫少女は決意を新たにすると、小さな体躯にあらん限りの力を込めて藍を締め上げた。

 

「……橙。一旦離れてくれないか?」

 

 猫妖怪は加減というものを知らなかった。捕らえた獲物を逃してなるものかとばかりに主にしがみ付き、長く鋭い爪を藍の背に深々と抉りこませている。

 だが、開放を訴える藍の声に、苦痛の色は一切なかった。

 

 橙は、主の言葉を聞いて拘束をますます強固なものとする。そして、疑惑の目を10cm先の狐の目に向けた。

 

「……どうしたその目は。拘束を解いた途端、私が逃げ出すのではないかと疑っているのか? だが安心しろ。ここで私が逃げるようなことがあれば、それこそ確実に私が紫様だということになる。その場合、命は果たしたということになるじゃないか」

 

 橙には、その言葉を信じる理由がなかった。

 

「……もし、その言葉が嘘であったなら、私はもうあなた様――八雲のことを何ひとつ信じないということだけは、それだけは、憶えておいてください」

 

 橙は囁くように自らの意思を伝えると、華麗に後方宙返りして飛び退いた。化け猫は、足の爪で蓮(ハス)の花柄の絨毯を引き裂きながら着地する。猫少女の濡れた指先から、藍の赤い血が滴り落ちて、白桃色の蓮の花びらを鮮やかな緋色に染める。

 そして、橙は、ゆっくりと顔を上げる。その目に宿った強烈な意思が、藍を射抜いた。

 獣の眼光を受け、狐の少女は薄く笑う。

 

「おや、我が式は知らぬ間に成長していたようだ。一体、いつの間にそんな目ができるようになったんだ。橙よ――我が式よ」

 

 剣呑な様子の式に、妖狐は大げさな態度で驚きを表明してみせる。

 

「しかし、残念ながら私は紫様ではない。八雲の式、八雲藍だ。八雲紫であるわけがない。どうして私を紫様の変化だと疑ったんだ? お前がそれを説明しない限り、その可愛らしい脅し文句は何の効力も持たないのだぞ」

 

 橙は、その問いに対する明確な答えを持ち合わせていなかった。八雲紫の変化を主張してはいるが、証拠など皆無。まったくの勘なのだ

 しかし、彼女は、“八雲紫を見つけなさい”という命を受けて、紫様は今何処にいて何をしているのだろう、式の式が使命をちゃんと果たすことができるのか見守っているのだろうか、と考えたとき、ビビっときた。

 今、目の前で八雲紫の命を伝えた八雲藍が、実は八雲紫だとしたら――なんて、これはもう実に八雲紫が好みそうなやり方ではないか。狐が化けるのではなく、狐に化ける。その上で猫を化かす。こういった含みのあることは、いかにも八雲紫っぽい。

 だから、橙はとりあえず藍を紫だと言い張った。本当のところ、言ったモン勝ちを狙ってのことだ。証拠不十分でもとにかく主張を曲げず強行して、相手の反応を引き出すというごり押しだ。

 

「まずは、その言葉を証明してください。あなた様が紫様ではないと言う証拠を見せてください。それからでないと話せませんから」

 

 うかつな事をしゃべると、生体量子コンピュータ八雲に速攻で完全論破されるに違いない。それは、相手が主だろうが主の主だろうが変わらないだろう。

 橙は、沈黙という賢い選択をした。

 

「それは無理だ」

 

 答えは間髪いれずに帰ってきた。藍は考える素振りさえ見せていない。見せていなくても、橙と同じ思考時間で100倍は考えているに違いないが。

 橙は、己の問いが瞬時に否定されるとは思ってもおらず、間抜けな声を出して驚いた。

 

「へ? あ、えっ……と? もしあなた様が紫様であれば、変化の術を解いてもらえればいいだけですけど……?」

 

「それは、私が紫様であるということを証明する方法であって、紫様でないことを証明する方法ではない。私は先程、自身を藍だと言った。八雲藍である私が八雲紫でないことを証明するには、この場に紫様を連れてくるしかないわけだが、肝心の紫様の居所が不明な今、それは不可能となる」

 

「あ、なるほど。……じゃなくて! それはですね、それは……」

 

 橙は言葉に詰まった。どのようにすれば、外見八雲藍が中身八雲紫ではないと証明できるのかが分からない。

 主の言っていることは、一見して正しいことのように思えるが、その実、訳の分からない屁理屈で煙に巻こうとしているようにも思える。どうにも、おかしい。化け猫は頭が混乱してきた。

 うんうんと唸る妖猫にかまわず、妖狐は微笑を湛えながら話を続ける。

 

「だが、もっとよく考えてみろ。この私が紫様であってもそうでなくても、どちらにせよ紫様の存在を完全に証明する方法などないんだ。お前が変化の術を見抜く目を持っていない以上、目の前の存在が八雲藍であるのか八雲紫であるのか、あるいはまったく別の者であるのか、それを知る術はないのだからな」

 

 話が段々とおかしな方向に向かい始めていた。

 

「ちょ、ちょっと待って。藍様。ちょっと――」

 

 それを化け猫が慌てて止めに入る。しかし、妖狐は子猫のことなどこれっぽっちも意に介さない。

 

「だが、己の未熟を嘆くことはない。紫様の虚偽を見抜くことなど、たとえどこぞの覚(さとり)のように心を読むことができたとしても無理な話。看破できるのは、あの厄介な閻魔どもくらいのものだ」ここで藍の言葉が途切れる。彼女は、道士服の袖口に両の手を通すと再び口を開いた。「“死して閻魔の国に至る”だ。真実は冥界で明らかにされる。顕界において、虚と実に違いはない。だからこそ言葉を信じろ。私の言葉を信じるということは、私自身を信用するということ。式が主の言うことを疑っているようでは、生ある者の世に信用できることなど何ひとつありはしない。さらに――」

 

 話はまだ続くらしい。猫の女の子には、もう主の御言葉を止める気はなかった。

 

「――さらに言うなら。紫様の存在証明について、問題はより根源的なところにある。紫様の、我ら妖怪の存在証明は、ヒトの手によって、暗闇に恐怖を抱く者達によって、行われなければならない。幻想の生き物が幻想を肯定することはできない。妖怪の在り方とは、そういったものなんだ」

 

 藍が口を閉じ、場に沈黙がおちる。暫くの後、彼女は、呆けた顔で棒立ちになっている橙に問い掛けた。

 

「私の言いたいことが分かるか、橙」

「あ、はい。分かります」

 

 分かるわけがない。

 橙は考えなければならなかった。主が急に支離滅裂なことを言い出した理由を。先程から少しずつ主の様子がおかしくなり始めている。この不自然さこそ、目の前の八雲藍が実は八雲紫であるという証拠なのではないか。

 

「“分かるわけがない”か、当然だな」

 

 藍はそう言って、倒れていた椅子を元の位置に戻して座り直す。橙は、“分かるわけがない”などと言った憶えはなかった。

 

「とりあえずお前も座れ。そして飲み物でも飲んで気を落ち着けろ。まだ半分も飲んでないじゃないか」藍は、ガラステーブルの上に置かれたコップを指し示した。

 

 橙は、飲みかけの白い液体をチラ見した後、藍の方に顔を向けてこう言った。

 

「……ソレ、やっぱり水で薄めてもいいですか? 甘すぎて飲みにくいです」

 

 

 

「それで、結局私は何を信じればいいのですか?」

 

 椅子の上で胡坐をかいた猫は、水で薄めた乳酸菌飲料を一気飲みしてプハーッとした後、勢いよくコップをテーブルに置き、お向かいの狐さんに尋ねた。

 自身の信じるべきものが何であるかを他者に尋ねることが、果たして正しいことなのか。そんなことが一瞬化け猫の脳裏をよぎったが、捨て置いた。

 

「“言葉”を信じろ」

 

 藍は静かにそう言った。

 

「結局、最後に残るのは言葉なんだ。だから、もう一度だけ言う“私は紫様ではない”」

 

 信じるしかない。橙はそう思った。

 たとえ、自分の100倍嘘が上手い狐の主と、そのまた100倍嘘が上手いスキマの主を相手にしたとしても、信じることが大切なのだ。

 

 橙は、信じることで真実の追究をあきらめた。思考を放棄した。こんなの、分かりっこない。

 スキマ隠れできる八雲紫を物理的に見つけることは、ほぼ不可能であり、さらにその上、八雲紫の変化の術を見抜けないのであれば、スキマ妖怪を発見することは“ほぼ”ではなく完全無欠の不可能となる。

 橙は、大きなため息をついた。これから先、何をどうしたらよいのか、まったく見当がつかない。

 

「“藍”様」

 

 橙は、主、八雲藍に呼び掛けた。

 目の前にいるのは八雲藍だ。八雲紫の変化を見抜けないのであれば、八雲紫は変化の術を使っていないという前提で行動するしかない。

 

「紫様は、何を考えているのでしょう?」問い掛ける橙の声色には、微かな疲労が混じっていた。

「そんなことは、私がいつも思っていることだ」なぜか嬉しそうに言う藍。「紫様の思考など“分かるわけがない”そうだろう? あの方の行いは、気まぐれなようで計算されている、ようにみえて気まぐれなんだ。どうしようもない。まったく、どうしようもなく素晴らしいお方じゃないか」そう言って、藍は小さく声を出して笑う。

 橙は、藍の喜色に満ちた表情を見て、今の主の言葉が偽りのない本心から出たものなのだと分かった。八雲藍は、八雲紫という“問題”を解き明かそうとしているのかもしれない。化け猫は、何となくそう思った。

 

「橙。お前は紫様のことをどう思っているんだ?」

 

「最強」

 

 即答だった。

 思い掛けない答えに不意を突かれて、藍はキョトンとする。

 

 紫様最強。

 それは、橙が昔からずっと思っていたこと。

 橙は、今日という特異な日に、己の本心を包み隠さず全て表に出すべきだと考えた。八雲紫の部屋で主とふたりきりという奇異な状況のなか、主と今までにしたことのない会話を交わして不思議な高揚感を感じている最中(さなか)、己の中の真実を言明しなければならないと橙は確信したのだった。

 

 藍は困惑する。自身の問いに、特に深い意味はなかった。ただ、自分が主、八雲紫のことをどう思っているのかを言葉にしたとき、そういえば我が式は紫様のことをどう思っているのだろうと、何気なく聞いてみただけのことだった。

 言葉を失った藍に、橙は熱く語り出す。

 

「紫様は最強です。紫様は誰よりも強いお方です。“境界を操る程度の能力”は、何だってできる無敵の力です。幻想郷には妖怪とか人間とか神とか幽霊とか色々いますけど、そんな奴らは紫様と比べればミジンコ以下です。だってそうでしょ? そんな連中はスキマひとつでサヨナラなんですから。……それを分かっていない奴らが多すぎると思うんです。私は」

 

 言い終わってから、橙は“最強”という言葉を軽々しく口にしてしまったことを少しばかり後悔する。猫少女は最強という言葉から、いつも最強最強言っているお馬鹿な氷精を連想してしまい、これは少し稚拙なことを言ってしまったかと心配になったのだった。

 

 対して、藍が“最強”という言葉を聞いて思い起こす記憶は、満月の夜の竹林。

 絶対だと信じていた主の能力が捻じ曲げられて、月から地上へと、迷いの竹林へと誘われたあのときのことが、藍の脳裏に鮮明に蘇る。なす術もなく拘束され、地に伏して許しを請う主の姿を目の当たりにしたときに沸き起こった激しい感情は、あれが振りだったと分かった今もなお、藍の心に深く刻まれている。ただ、それが怒りであるのか、悲しみであるのか、あるいは喜びであるのか、その感情の正体だけは、今でも分からなかった。

 

 狐と猫、両者の意識レベルには月とすっぽんほどの開きがあったが、結論は一致していた。

 すなわち、“八雲紫は最強”である。

 

 藍は、一際大きな声を上げて笑った後、こう言った。

 

「分かっているじゃないか、橙。紫様が最強とは。よく分かっている」そう言う狐の口元は、円弧を描いていた。「そうか、それならば、全世界で2番目に強いのはこの私で、3番目はお前ということにもなるな。これも面白いじゃないか」

「えぇ……? さすがにそこまでは言ってないです」あまりにも飛躍した論理展開に、橙は戸惑った。

「何もおかしな事はないさ。紫様が最強で、なおかつ我らが式としての命を忠実にこなすのなら、それはまさしく真実となる。式神の力は使役する者の力による。紫様が最強であれば、その式も最強に決まっている」藍は嬉しそうに言って、再び大きな声で笑う。

 

「アハハ、それは面白いですね。私達が最強だなんて」橙もつられて笑い出す。「いやぁ……最強。最強かぁ……。うん、最強! ハハハ……。紫様は最強、そして私達も――」

「そうだ。そう――そうか。ああ、そうか。そういうことか」藍は、何度何度も頷いた。そして、消え入るような声でこう呟いた。

――私は、納得していなかったんだな――

 

 橙は、静かな興奮を感じると同時に微かな恐怖を覚える。思考が渦を巻いて深みへと向い、底から抜け出せなくなるような焦燥感。八雲の主人を差し置いて、式がふたりで一体何を話しているのだろうという疑問を感じる。あまりにも勝手で分相応なことを考えているのではないか。

 彼女は主人に目を向ける。藍もまた、式に視線を向けていた。その瞳には僅かな躊躇いがある。

 猫と狐は、未だ互いの真意を計りかねている。

 

「あー……。でも、式に忠実でなければ式神の力を完全に発揮できないのが、正直言って面倒ですよねー」未知の空気感に耐え切れなくなった橙が、思考の矛先を反らした。

 

 藍からの反応はない。狐の少女は黙り込んでいる。

 「と言っても私、式神が憑いていなければ言葉も分からない化け猫になっちゃうんですけどねー。あはは……」橙は取り繕うように続けた。だがやはり藍は黙ったままだった。

「……。……あ、そういえば」と、猫ちゃんがわざとらしい声を上げる。

 

「さっき私に打った新しい式は、具体的にはどんなのなんですか?」

 

 橙は、新たな式に忠実となれるのかを確かめたくなったので、そのような問い掛けをした。のだが、そう言いながら心の片隅で、そういや肝心要の紫様探しについて何の方針も定まっていないなあ、とぼんやりに考えていた。

 

「そうだな……」藍が口を開いた。声がかすれている。「式を言語化するのはとても難しいが、簡単に言えばこんな命令だ。“あらゆる手段を講じて、八雲紫を見つけ出せ”」

 

「ふぅん、“あらゆる手段”ですか……?」橙のネコミミがピコピコと動く。「それは例えば――」

「その質問の前に言っておく」藍は、猫少女の発言を遮った。「私は、お前が、やっていい事と悪い事の判断ができる妖怪だと信じている」

 

 八雲紫を見つけ出すためには、どのような手を使ってもよい。それを文字通り解釈するなら、本当に何をしてもよいことになり、橙はそこに光明を見出したのだが、事前に釘を刺された格好となってしまった。

 橙はこう考えた。八雲紫を見つけ出すことがかなわないのであれば、あちら様から姿を現すように仕向けるしかないと。スキマ妖怪をおびき寄せる方法は、少し考えてみればすぐ分かることで、化け猫はわりとすんなりいくつかの妙案を思い付いていた。

 すなわち、人里で人間に危害を加える。人里で八雲紫の恥ずかしい秘密を暴露する。博麗大結界を損傷させる。自らの喉元に刃を突きつけて「紫様出てきてください、出てこなければ死んじゃいますよ!」と絶叫する。などなど、である。

 なんでもありならそれらを実行してもよさそうなものだが、今、橙は主から“常識”を問われている。たとえ、幻想郷自体が非常識の内側の世界であり、橙自身妖怪という非常識の権化であったとしても、非常識を保つルールというものがある。八雲が定めたルールを八雲自身が破るわけにはいかないし、洒落にならないこともやらないほうがいいに決まっている。

 

「アハハ、も、もちろん信じてもらってダイダイ大丈夫です!」猫少女の顔はこわばっていた。「えっと、ええっ……と、うぅ……。あっ! あのですね、実はひとつ良さそうな案を思いついたから聞いてもらおうかなぁと。えへへ」

 

「聞いてもいいが、お前がまだ私の正体を紫様だと疑っているのなら、それを私に話すのは早計ではないのか?」藍の口調には、からかいの響きが多分に含まれていた。

 

「うゎ、それはもういいですよ。疑ってないですから……ちょびっとしか」いたずらっぽく言う橙。「よく考えてみたら、紫様ほどのお方なら私の考えなんてすべてお見通しでしょうし、今ここで私たちがお話していることもスキマかどこかで聞いているに違いないです。だから、紫様相手に作戦を練るとか裏をかくとか、そんなのはやるだけ無駄なんで全部気にしないことにしました」

 

 壁に耳あり障子にメアリー。

 とはいえ。八雲藍には分かっていた。さしもの八雲紫といえども、寝てたら何も見えないし聞こえないだろうと。夢の世界については分からないが。

 

「案というのはですね。宴会を開くんですよ!」

 

 橙は自慢げな顔でそう言った。

 その案というのは、要するにこういうことだった。連日連夜、博麗神社あたりで宴会を執り行い、大いに盛り上がる。もちろん、八雲紫抜きで。宴に招待されなかった妖怪の賢者様は、皆が楽しく飲めや歌えやの大騒ぎをしているのを、うらやましそうにスキマからこっそりと覗いていたが、いつまでもぼっちが耐え切れるわけもなく表に出てきてしまうのであった。そう、天の岩戸開神話の天照大神(あまてらすおおみかみ)のごとく。

 

「そうか。では試してみればいいだろう」

 

 気のない返事の藍。

 橙は、とっさに思いついたにしてはなかなか良さげな作戦ではないか、とそれなりに自信があったので、主の素っ気無い反応は期待通りのものではなかった。

 

「……先ほどから、お前と話をしていて、本当に楽しい思いだった」突然、脈絡のないことをしみじみと言い出す藍に、橙は怪訝な顔を向ける。「私は己の気持ちを再確認できたよ。あのお方のことを、紫様のことを、本当はどう思っていたのか、そして私の望みも――」

「式神が、主に使役されること以外に望みを持つのですか?」橙はニヤつく笑みを浮かべて、問う。

 

「お前はどうなんだ?」

「もちろん藍様と同じですよ」

 

 化け猫と妖狐は顔を見合わせ、大笑いした。

 ふたりは笑いながら、こころがひとつになり、精神が同化していくのを感じていた。八雲の式と八雲の式の式の望みは同じ。

 結局、すべては八雲のため、行き着くところは紫様。

 

「やっぱり言ってよかったです。最強なんですよ。紫様は! 紫様のあの魔力を感じて平気な顔をしている奴らが信じられないです。何なの、鈍いの!? 特にあの紅白とか!」

「あの巫女は頭が常春だからな」藍は、感が鈍くて勘が鋭い巫女をさして頷いた。

「そう、おつむがおめでたい巫女さんを筆頭に、みんなみーんな分かってない! 人間も妖怪も神も、分かってない、紫様の凄さを!」

 

 身振り手振りしながら熱弁をふるう橙。

 井の中の蛙大海を知らず。生まれも育ちも幻想郷の化け猫は、外の世界を知らない。彼女が生まれたときには既に、虚実結界と大結界は張られていた。彼女は非常識の内側しか知らない。

 月の都のことも知らない。自分にとって都合が悪いことを、紫様最強伝説を否定するものを、あえて知ろうとはしなかった。歪んだ真実にしがみ付いていた。

 

「ようやく分かりました」

 

 “分かってない”。非現実の住人、化け猫の橙は現実を分かっていなかった。

 

「強さの証明をします。最も強き者が紫様であることを、私は証明します!」

 人ならざる少女が立ち上がり、握りこぶしを振り回しながら叫んだ。

 

 幻想郷という狭き世界で、卑しき妖怪の身でありながら、神の真似事をしている八雲紫という妖怪がいる。

 そのお山の大将は、式神を使役し、その式神もまた式神を使役する。

 

「私は紫様から命を受け、その命を私はお前に下した。今、お前は式神の力をかつてないほど引き出せる状態にある。八雲の意思をその身に宿し、八雲の願いを果たすがよい。わが式よ」

 やたらと抑揚のある、芝居じみた口調だった。

 

 八雲の獣達は、朗々と笑い出す。まるで、新しく憶えた遊びに夢中になっているかのように。

 

「強さの証明が果たされたとき、紫様は私達の前に姿を現すでしょう」猫が言う。

「ああ、その時が楽しみだ」狐が言う。

 

 化け猫が、喉も裂けよと咆哮する。

 

「私は! 見つけ出します! 最強の、紫様を!」

 

 その声が、異界の座敷にこだまする。

 

 

 境界に潜む者が、笑った。

 

 

 

 

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