八雲パープル   作:生パスタ

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07_設計上で最強の紫様

「え……? えぇっ!? すごいっ!」

 

「は? なに言ってんのよ」

 

 ネコとミコの反応は対照的だった。

 未来という素敵ワードに胸がときめいた橙に対して、霊夢の反応は疑念に満ち溢れている。

 

「題に永安と書かれているだけで未来の本になるの? 滅茶苦茶だわ」紅白巫女は肩をすくめる。

「まあ確かに、お前の言わんとすることも最もだが――」白黒魔法使いは仰々しく頷いた。「……ふむ、そうだな。まず、この本が未来の本ではないとする根拠を聞かせて頂こうじゃないか。博麗の巫女殿」

 何が巫女殿よ、と疲れた表情の霊夢。彼女は、魔理沙の芝居じみた口調から、今後の展開が物凄く面倒になりそうだと感じているらしく、早くもウンザリとした様子を見せていた。

 

 霊夢は、「根拠ねえ……。そんなの、なんとなく……」と囁く様に言ったあと瞑目して、茶を一口飲む。

 魔法使いと化け猫は、“なんとなく”の続きを、なんとなく待った。

 そして、霊夢は湯飲みを静かに口から離し、ぶっきらぼうにこう言った。

 

「なんとなくよ」

 

 橙は、この巫女ふざけたことを抜かしてるなあ、と呆れてしまう。

 “なんとなくなんとなく”とは何だろう、なんとなくになんとなくだと思う、ということだろうか。思い返せばつい先程、湯飲みの数の件でも紅白は“なんとなく”とか言っていた。適当にも程があるというものだ。

 どうもしっくりこない。妖猫は無意識に二尾を自身の体躯に巻きつける。

 巫女の言動は曖昧に過ぎ、猫少女は、博麗霊夢という存在に対して漠然とした拒否感を覚えた。

 霊夢という人間は、喜怒哀楽がはっきりしている。巫女は感情をすぐ表に出すので分かりやすいのだ。だが、それがどこまで本気なのかが分からない。おつむが常春で遊覧飛行していて、何をしてもされてもすり抜けていくような人間が、本気で泣いたり笑ったりするのか、その疑問が頭から離れずに、橙は、例えようのない気持ち悪さを感じてしまうのだった。

 

 対して、霊夢は平常通りの暢気さで、海苔せんべいの海苔だけを綺麗に剥がして食べていた。橙にどう思われているかなど知らないし、知っていたとしてもそれを気にするようなことは――ほんの少しはあるだろう。だがそれも、一晩寝て起きたらどうでもよくなっている程度のことだ。

 博麗霊夢にとって、世のすべてはそれ相応のものだった。

 

 だが、普通の人間にとっては――

 

 

 突然、

 

 はぁ~ぁ~ア~~!

 

 と、魔理沙が首を左右に振りながら盛大にため息をつく。

 そして、橙の方に振り向いて言った。

 

「この巫女、どう思う?」

「人としてどうかと思う」橙は正直に答えた。

 

「おい、聞いたか霊夢さんよ。今お前は、妖怪に人間性を否定されて、人格を疑われたんだぞ。巫女として――いや、人としてこれ以上の屈辱があるか? あるわけないよな」白黒少女は悲哀に満ちた眼差しを可哀想な巫女に向ける。「霊夢。お前はもっと思考を言語化する癖をつけるべきだと思うぜ。会話、対話、お喋り、誰が誰に何をいつどこでなぜどのようにしたのか、だ。分かるか? 分かるよな? よーし、分かったなら“なんとなく”以外の答えを聞かせてもらおうか」

 

 力強く言う魔理沙。

 橙は、自分がこの元気な魔法使いのことを段々好きになり始めていることに気が付いた。怠惰な紅白と違って白黒は能動的で知的探究心に満ち溢れている。やはり、人間は活力的でなければいけない。その方が、美味しそうだ。

 

「そう言われても、考えるのが面倒――」

「“面倒”も禁止な」

 

 霊夢のぞんざいな発言を魔理沙がすかさず遮り、巫女の少女はますます気だるげになっていく。

 橙は、巫女から“なんとなく”と“面倒”をとったら何が残るのか、純粋に気になった。

 

 霊夢は苦笑して、「あんたって、ホントこういう茶番が好きね」と、呆れていたが、ちょっとだけ楽しそうにも見えた。「未来の本じゃない理由なんて、わざわざ説明するのもおかしいんだけどね……」常識的に考えて、と巫女はぼやく。そして、お隣の猫妖怪についっと目を向けた。

 

「ま、あいつが出て来ないからでしょうね」

 

 橙は、巫女の言う“あいつ”が誰を指すのか一瞬分からなかったが、霊夢が発言の直前にチラリとこちらへ視線を向けていたことを思い出す。

 

「紫様のこと?」化け猫は尋ねた。

「ええ、そのヨーカイスキマサマことよ」霊夢は言った。「外の世界の道具の管理者であるあいつが、未来の本なんて物をほっとくわけないわ。それがここにあるという時点で、その本は未来の本でもなんでもないのよ」

「ほー。奴が、外の世界の道具の管理者だって? それは初めて知ったぜ」魔理沙は感心したように言い、それから、橙へ顔を向け「知ってたか?」と聞いた。

 知らなかった。橙は、苦い顔で黙秘するしかなかった。

 

「それに」霊夢は続けて言った。「外の世界の道具は〈幻と実体の境界〉によって郷に流れ込んでくるのよ。こっち側へ来るのは、外の世界で忘れられて幻想となった道具でしょ? 未来の物は、幻想にはならないわ」

 

 なあるほど、と橙は納得する。巫女の言うこともあながち間違いではなさそうだ。面白くはないが。

 

「極めて普通の答えだな」と、普通の魔法使いは言った。「それじゃあ、反論させてもらおうか。お前は、未来の道具は幻想にならないと言うが、未来の連中からすれば、私達の居る現在は過去じゃないか。未来の遺失物が、過去である現在に漂着したのさ」

 

 謎理論を展開する魔理沙。しばし、困惑と呆然の沈黙が場を支配する。

 

「何よそれ? いや、本当にあんた、何言ってんの?」

「確かに、意味分かんないよ。ソレ」

 

 戸惑い気味のミコネコに、白黒魔法使いはチッチッと人差し指を左右に振りながら言う。

 

「だからぁ、虚実結界は“幻想になったもの”に作用するんだろ? 幻と実体を分ける境界なんだろ? 結界が空間的に作用するなら、それはつまり時間的にも作用することになる。時間と空間は、実は同じものだからな。ここまで言えばもう分かっただろ? 未来で幻になった道具が結界の効力でこちら側に来ただけ、過去となった物が過去に来ただけなのさ」

 

 なあるほど、と橙は納得する。魔法使いの言うこともあながち間違いではなさそうだ。しかも面白い。

 

「……仮にそうだとしたら、幻想郷は、未来から来た忘れ物で溢れかえる事になるんじゃないの?」

 霊夢が当然の疑問を口にする。

「ならないって。さっきお前自身が言ってただろ。この郷には、“外の世界の道具の管理者”がいらっしゃるってな。その検閲官様が危険物を取り除いているんだから、私達の目に触れることはないのさ」

 

 なあるほど、と橙は納得「……ん? おかしくない?」しなかった。「それだと結局、巫女さんの言うとおりじゃないの? 未来の道具を紫様が回収してしまうとしたら、やっぱりその本が今ここにあるのは変だよ」

 

 話が巡り巡ったあげく、矛盾していた。

 

「ところで、八雲の式の猫殿は、本日はどのような御用件でこの寂れた神社に来たんだ?」と、急に脈絡のないことを言い出す魔理沙。化け猫は、彼女の頭の具合が少しだけ心配になった。

 寂れた神社とは何だ、と苦情を言っている巫女の傍で、橙は己がここに居る理由を思い出そうとする。自分は何をしに来たんだろう、遊びに来たんだっけか。いや違う、自分にはもっと重大な使命があったはずだ。そう、確か――

 あ、と橙は声を上げる。忘れちゃいけない、最強紫様探索だ。

「紫様を探しに来たんだよ」橙は答えた。

 

「ほら繋がった」

「何が?」

 得意満面の魔理沙に、仏頂面の霊夢が尋ねる。

 

「縁が」

 

「“縁”って、あんた仏教徒だったの?」

 

 想像を超えるところから返ってきた魔法使いの答えに、巫女も頓珍漢な事を聞き返している。化け猫は、なんかもうよく分からんので黙っていた。

 

「私は厳格な無神論者だぜ。ま、要は、たまたま私が香霖のところでこの本を見つけて、たまたまこの神社に来て、たまたま猫が居て、たまたまその猫が紫を探していたことには、縁も“ゆかり”もあった、ってことだ。……単なる偶然なんかじゃないのさ。スキマ妖怪がこの本を回収しなかった理由は、これが普通の本だからじゃない、本物だからこそ処分しなかったんだ。私は、神社に化け猫が居るのを空から見たときに気付いたんだ。あ、するとこの本は本物なんだな、ってな」

 そして、魔理沙は橙に向かってしみじみと言う。

「紫がこの本を見過ごしたのは、お前にこの本の存在を知らせるためだったんだろうな……」

 

「すごい……」

 

 橙は放心して呟いた。

 運命だったのだ。そう、すべては八雲紫の手のひらの上。橙が神社に訪れることも霧雨魔理沙が本を持って現れることも、なにもかもが予定調和。

 八雲の式の式は、そんな馬鹿な、などとは欠片も思わない。むしろ逆に、紫様が関わるのならそういう事だろうと確信する。この不可思議な現状そのものが、八雲紫の好みそうな展開に他ならないのだから。

 

 自信満々の魔理沙に向かって、橙が尊敬の眼差しを向けている。

 霊夢は、両者の様子を横目で見て小さなため息をついた。

 魔理沙は先程、八雲紫が外の世界の道具の管理者だと今初めて知った、というようなこと言っていた。今初めて知ったのなら、神社に居る化け猫を見たときに本と紫を結び付けたという彼女の主張は矛盾する。魔理沙がいつ頃あの謎理論を思いついたのかは不明だが、少なくとも神社に降り立った時点でないことだけは確かであった。

 博麗霊夢は、そうと知りつつもあえて齟齬を指摘しなかった。この妙な空気のなかで、今更そんな細かい話を持ち出したとしても手遅れ感は否めなかったし、そして、なによりも面倒臭かったからである。

 巫女は黙して、ただ茶をすするのみだった。

 

 

「よし! じゃあこの本は私が持ち帰って心いくまで研究することにしよう」超光速通信かーどんなモンだろーなー楽しみだなー、と魔理沙。

 

「ええっ! 私にくれるんじゃないの!?」

「何で私の物をお前にやらなきゃならんのだ」

 

 驚く化け猫に、魔法使いは真顔で返した。

 

「え、え? だって……そういう話だったんじゃないの……? 紫様がその本の事を私に知らせるつもりだって、さっきあなたが言ってたし……」

「そうだな、だからお前は今、本の存在を知ったじゃないか。目的はもう達成しているぜ。ほら、本はここにあるぞ。はい終了」

 

「…………」

 

 橙は、自身の感情の変化を明確に感じ取る。親しみが憎しみに変化して行く様をはっきりと知覚する。要するにクソムカつく。

 猫少女は、自分がこの騒々しい魔法使いのことを段々嫌いになり始めていることに気が付いた。自然体で揺るぎない紅白と違って、白黒は無駄に元気で詭弁を弄する気分屋だ。やはり、人間は落ち着きのある人物でなければいけない。

 化け猫は固いせんべいを鋭い歯で噛み千切り、がむしゃらに咀嚼する。そうこうしている内に、少しずつ冷静を取り戻してきたので、とにかく落ち着け、と己に言い聞かせながら白黒魔法使いに向かってこう言った。

 

「……あの、じゃあさ。せめて本を読ませてよ」

「え、何だって?」

「……? …… ……! あ、いや、だからさ、中身をね? ちょっとだけでいいから読ませて欲しいんだけど……?」

 

「え、何だって?」

 

「あぁ!? だから読ませろっつっただろうがぁ!!」

 

 橙は怒号を放って立ち上がり、魔理沙に掴みかかろうとする――

 

「やめろ」

 

 事象の間隙に割り込むように、霊夢がぴしゃりと言い放つ。

 その言葉は、何かを宿しているかの如き強制力を持ち、猫妖怪は金縛りにあったように身動きが取れなくなった。

 陸に上がった魚のように口をパクパクさせている化け猫の隣で、魔理沙は、面白いもの見た、とばかりに笑っている。博麗の巫女が、硬直している橙の腕を無造作に掴んで引っ張ると、猫妖怪は、わっと情けない声を上げて体勢を崩し、縁側にペタンと尻餅をついた。急に体の自由がきかなくなった事に驚いた橙が、何事かとまた立ち上がろうとしたとき、巫女が猫の耳元に顔を寄せて――おとなしくしてなさい――と囁いた。

 その真言は、橙の体中隅々にまで反響して妖怪の気魂を打擲し、精神を切り刻む。

 

 化け猫は震えあがり、涙目顔面蒼白で何度も頷き、巫女に従うという意思を必至になって表明するのだった。

 

 世界が急に静かになった。

 霊夢は、しかめっ面で自身のこめかみを指先で軽く叩きながら「魔理沙、読ませてあげなさいよ」と言って、それからこう続けた。

 

「っていうか、私に読ませなさいよ」

 

「お前かよ」魔理沙は念のため確認する。

「私よ」

 

 霊夢は返答も待たずに、魔法使いの持つ本へ手を伸ばす。魔理沙が抵抗らしい抵抗をしなかったため、本はあっさりと巫女の手に渡ることとなった。だが、彼女はすぐに読み始めるわけでもなく、しばらくの間、薄緑色で中途半端に大きい本の表面を探るように撫でていた。

 そして、数刻の逡巡の後、すっかり萎縮してカチンコチンに固まっている化け猫に、いささか歯切れの悪い声を掛けた。

 

「あー……、もっと近くに来なさい。見辛いでしょう?」

 

「……え? も、もしかして、私も見ていいの……?」

 

「あんたが読みたいって言ったんでしょ」

 

 今にも泣き出しそうな顔で尋ねる橙に、霊夢が、ほらこっちにおいで、と猫を手招きした。

 

 それを見た橙の表情が一気に晴れ渡る。

 化け猫は、いそいそとお尻をズラして巫女に擦り寄ってピッタリとくっつくと、あとはただおとなしく本が開かれるのを待ち構える。はねっ返り猫が、いつの間にか良い子になっていた。

 

「一件落着、だな」事態を引き起こした張本人が言った。対岸から火事を半笑いで見守っていた魔理沙は、やはり飴と鞭が猫の躾の極意という訳なのだな、と納得するのだった。

 

「よーし霊夢、まずは表紙を――」

 

 霊夢は何の感慨もなく本を開いた。

 

 呼び掛けをスルーされた魔理沙が、「あ、おいちょっと待て」とあわてて止めに入るも、巫女はそれも無視して、興味なさげに十数ページほどパラパラと流し読みすると、「意味不明な絵ばかりね」と言って、橙へ向かって本を放り投げる。

 至近距離から放たれたそれを、化け猫は上手くキャッチした。

 

 巫女のぞんざいな読書法では隣で見ていても中身をよく確認できなかったので、橙は、自分でじっくり読んでやろうと本を開きかけたところ、魔理沙が「見出しがあるか確認したい。まずは表紙をめくってみてくれ」と注文をつけてきた。

 猫少女は先刻の一幕において、今まさに話し掛けてきた人物のせいで酷い目にあったため、ソイツの事を胸糞の悪いあんぽんたんだと認識しており、そんなおたんこなすの言う事に従いたくはなかったが、人間に反抗してもう一度巫女からお仕置きされるのだけは勘弁であったために、渋々その通りにする。

 

 猫の指先が、手触りの悪い表紙をつまんでめくる。

 その先は、白紙だった。

「ん……? 今更だがこの本、和書なのに左綴じなのか、珍しいな。……で、次のページは?」

 魔理沙がさらに先を促してくる。橙は、再びページをめくった。

 

 

 図面目録

 全151葉之内M-1号 一般平面図 縮尺1/1,000

 全151葉之内M-2号 コントロールセンター全体平面図 縮尺1/500

 全151葉之内M-3号 コントロールセンター詳細平面図(1) 縮尺1/100

 ……

 全151葉之内M-151号 光子散乱装置収納箱詳細図 縮尺1/20,1/50

 

 

 縦横の直線で構成された表欄中に文字が並んでいる。その文字は非常に整然としており、手書きではなく活字なのだと一目で分かった。

 “図面目録”というのがおそらく小見出しなのだろう。その題字は見開き中央上側に記されており、通常の製本であれば見開きページの間は谷間となって読み難くなっていただろうが、この本については割れ目なく完全に開かれた状態にすることができたので、問題なく読み取れた。

 

 魔理沙は見開きページの間を指で触り、造りを確かめる。

「なるほど……、あーなるほどねえ、折ってあるのか」

「何が?」化け猫が、なるほどの中身を問う。

「図面がだ」魔理沙が答える。「“全151”ってことだから、全部で151枚の図面が横半部に折ってあるんだろうな。で、そいつらの背面どうしを糊かなんかで貼り合わせて製本しているから、見開きを新聞みたいに綺麗に開くことができるんだ。……が、そんなことは今どうでもいいな、目録の次はどうなってる? おそらく図面が一枚目から順に151枚閉じてあると思うんだが……」

 

 橙は、さらにさらにページをめくる。今の彼女は、魔法使いの自動ページめくり機だった。

 

 次が開かれた。直線や曲線が複雑に交差している白黒の図が見開きで描かれている。

 博麗の巫女曰く“意味不明な絵”とのことだが、それはまったくその通りだと化け猫は同感する。一応、図ばかりでなく文字も書かれており、とりわけ数字――狐の主の教えを思い出すに、漢数字ではなくアラビア数字というやつだ――が多く記されていた。だが、数字だろうが仮名文字だろうが図形だろうが、それらの意味するところを理解できないことに変わりはなく、要するに丸っきり分からないのだった。

 

「はんはん、なるほどなるほど、な、あ、る、ほ、ど。こりゃあすごい」

「分かるの?」

 こいつは何回“なるほど”と言うつもりなのか。橙は若干の苛立ちを感じながら尋ねた。

「いいや、さっぱりだぜ」

 “なるほど”やはりこの白黒はあんぽんたんで間違いない。橙は苛立ちをますます募らせる。しかし当の魔理沙は、わたしは何でも知っている、と言わんばかりに自信満々の笑みを浮かべている。

「さて、そろそろ返却期限だ」突然、魔法使いの少女はそう言って、猫妖怪の持つ本を横から掠め取る。橙が、ぅわ、と間抜けな声を出したときには、もう本は奪われたあとだった。

 

 魔理沙は、ページをパラパラと指で弾く。「そうさ、さっぱり分からないぜ……けどな」少女の言葉が続く。「だからこそ、知りたいんだ」魔理沙は橙へ顔を向けた。

「お前は、未知を知る喜びを知っているか?」

 橙は応えず、ただ見つめ返す。

「分からなかった事が分かるようになる。それが他のなによりも嬉しいと感じて、全てを知りたくなる」

「全てを、知る……」

――分からないことをひとつひとつ理解していけば、いずれ全てを知ることになるんだ――

 橙の脳裏に訴えかける者がいる。つい最近、誰かがそんなことを言っていたような気がする。

「魔法使いは、知りたがりなのさ。世の中を余すところなく理解するには、いくら時間が合っても足りはしない」限りない時間が必要なんだ、と魔理沙は零す。

 魔法使いは知りたがり。橙は今、未知を知った。だが、それを楽しい、面白いなどとは感じない、共感の念は一切沸いてこない。

 化け猫は思った。魔法使いとかいうのは変わった奴らだな、と。

 

「ねえ」霊夢が、おそらくは魔理沙に向かって声を掛ける。「“図面”っていうのは、建物とかの絵なのよね?」

 話が逆戻りするような、流れを読まない発言だった。巫女は今頃になって、そんなことを疑問に感じたらしい。

 橙は、不思議に思う。だから聞いてみた。「何で急にそんな細かいことを気にするの?」さっきまで万事どうでもよいみたいな死顔だったのに、などという余計な一言は付け加えない。怖かったから。

 

「何が“何で”よ? 気になるからに決まってるじゃない」何言ってんだこの猫、と霊夢。

 

 巫女は気まぐれなだけだった。

 

「どうやら、霊夢は未知を知る喜びに目覚めたようだな。どうだ、巫女を辞めて魔法使いになるってのは?」という魔理沙の誘いを、霊夢は「嫌よ」の一言で一蹴する。

「そうか」魔法使いの声は、ほんの少しだけかすれていた。

 

「まあ、その件についてはまた後でじっくりと話し合うことにしよう。さしあたり、図面とはなにか、だったな。まず、霊夢は“図面”と“絵”を混同しているようだが、図面と絵は……微妙に違う」

「つまり合ってるってことでしょ」微妙を是と捉える霊夢的解釈だった。

「ちょっとの違いが重要ってこともあるだろう?」魔理沙は言った。「そうだな……例えば、そこの猫妖怪がだな――」魔法使いが橙に注意を向ける。「木の枝で地面に博麗神社を描いたとしよう。それは“絵”なのか“図面”なのか、どっちかな?」

 

「そういうのはもういいから、普通に答えを教えなさいよ」

 

 霊夢の心は、冷え切っていた。

 わざわざ例え話まで持ち出したのに報われない魔理沙が滑稽で、橙は失笑する。

 

 だが、魔理沙はそれでも、

「さあどっちかな?」

 性懲りも泣くクエスチョンを繰り返した。

 

 橙は呆れ返る。そんな事をしてもこの巫女が折れるとは思えない――

「……ハァ。……絵、かしら。地面の落書なんかじゃ図面っぽくないし」

 

 あっさり折れた。橙はもう、色々と分からなくなった。人間という生き物が。

 

「ん~、微妙にハズレだ」

「じゃあ図面なの?」

「それも微妙にハズレだな」

「しばかれたいの?」

「それは完全にハズレだぜ」

 

 若干キレ気味の霊夢に対して魔理沙はそう言うと、残り3枚の海苔せんべいをすべて掻っ攫う。巫女と化け猫が、あっと声を上げたときには、彼女はもう豪快な音を立てながらおせんべいを噛み砕いている真っ最中だった。

 

「描かれた落書きの内容によるのさ」せんべいを食った少女はお茶をひとくち飲んだ。「ざっくり言うと、神社の位置、形、大きさ、材料の種類とかが記されていたら“図面”で、そうでなければ全部“絵”になる。“木の枝で地面に博麗神社を描いた”だけでは、絵を描いたのか図面を引いたのか分からないぜ」

 

 人を小馬鹿にするような、魔法使いの笑み。

 どうして、こんなくだらない引っ掛けでそこまで得意げになれるのか、橙には分からなかった。本当に、分からないことばかりだった。

 

「アー、ハイハイ」霊夢は億劫そうに調子を合わせる。「じゃ、設計っていうのは建物を作ったりすること、……だったっけ?」

「残念ながら不正解だぜ」魔理沙は言った。「建物を作るのは施工であって、設計とは違う。設計というのは、施工のために必要な資料を作成することだ。そして、その必要な資料の中に図面が含まれていたりするわけだな。だからこの本のタイトルにある“設計図面”ってのは――」

 

 ここで魔理沙は、本の題字を指し示す。

『永安15年度 宇宙航空研究開発事業 超光速通信機械設備工事 設計図面(縮小版)』

 

「――超光速通信機械設備とやらを作るための図面を意味する。……つまりこういうことだ、宇宙航空研究開発というおそらくは未来人が進めている仕事の中で、超光速通信機械設備という物を作る工事があって、その工事を……ああ、一応言っておくと工事と施工はほぼ同じ意味合いなんだが……ええと、だからその工事をするために必要な図面を纏めて、製本したものがこの本だということだ」

 

 今になって霊夢は月の都で読んだ本を思い出す。文字を自由に移動させたり拡大縮小可能だったアレの方が、コレよりも凄いのではないか。

 未来は、月よりも遅れているらしい。

 

「それじゃ――」過去を懐かしみ、また巫女が言う。

「お、まだなにかあるのか。よしきた! 何でも聞いてくれ」

 珍しく人並み以上の好奇心を発揮している霊夢に、魔理沙は嬉しそうに言う。

 知識の蒐集と知識のひけらかしこそが魔法使いの本分。彼女が唯一、胸を張って博麗霊夢より優れていると言える事こそ知識の量。だから魔理沙は、無知無学な巫女へ教えを説くことに、無上の喜びを感じるのだった。

 

「超光速通信機械設備って何?」

 

「知らん」

 

 これは仕方がない。知らないことは答えられないのだから。

 

「――が、ある程度の予想はできる」それでも知識は人を裏切らない。「機械設備は、文字通り機械の設備だろ。“機械”のあとに“設備”とわざわざ付けているから、超光速通信とやらには機械以外の設備もありそうだと考えられる。で、問題は“超光速通信”だな。まず、通信というのは情報伝達のことで、私達が今こうして会話していることも通信だし、他にも手紙でのやり取りとか、一部の妖怪が使う〈心に聞こえる声〉とか……ん? そういえば霊夢、お前の陰陽玉にも通信機能が付いてるじゃないか」

 以前、地底へ異変解決という名の温泉旅行に行った際、遠隔支援端末が必要だとかで霊夢の陰陽玉に地上と交信できる機能が付いたことを魔理沙は思い出す。

 

「付いてるというか、付けられたのよ。変な妖怪に」霊夢は橙に目をやった。「あんたのご主人様は、いつになったらこの邪魔な盗み聞き機能をとってくれるのかしらね」

「紫様がとりたくなったときだろうね」化け猫は答えた。ただ、いつになったらそのときが来るのかは分からなかった。

 

「話は逸れたが要するに通信とはそういうことだ」魔理沙は議会を進行する。「では、“超光速”とは何ぞや? 光速は知っての通り光の速度だ。光はこの宇宙で最も速く、かつ、あらゆる観測者から見て常に一定の速度を持つ……っぽいとされている、外の世界で一番有名な理論の上ではな。現実ではどうか知らんが。で、その、速度の上限であるはずの光を超えるスピードなのかもな、超光速ってのは。……しっかし、光を超える速度で通信して何か便利なことでもあるのか? 超えなくても秒速30万kmだ、一秒で幻想郷を10,000往復くらいはできる。元のままでもじゅうぶん速いぜ」

 

 カッコイイ。

 これは――橙は思った――はっきり言って、カッコイイ。

 魔法使いは存外に物知りだった。快活な口調で淀みなく語られる難解な言葉に、化け猫は素直に、スゲー! と感嘆してしまう。あんぽんたんという評価は即刻、撤回するべきだろう。

 人物評がめまぐるしく変化し続けていた。

 

「要は、すっごく速く話ができる機械なわけね」霊夢はそう理解したらしい。そして、「……でも」と続ける。

 

「絵に描いた餅ね」巫女は断じた。

「何でだ? 内容をよく読めば機械を作れるかもしれないじゃないか。幸いにして、この郷にはこういうのに精通している連中がいるわけだし、河童とか」

「そういう意味じゃないわ」霊夢は言った。「これは設計図面とかいうやつなんでしょ? あんた言ってたじゃない、設計図は物づくりのための図だ、って。設計しているときって物自体はまだできていないのよね? どっかのだれかが好き勝手に絵を描いて、この通り作れば機械は完成します、って言ってるのとなんか違うの?」

 

「うっ! それは鋭い指摘! ……なのか?」

 

 この図面はあくまで設計段階の図面であり、実際この通りに機械を組み立てたからといって、それがまともに動くとは限らないし、そもそもちゃんと完成する保障などどこにもない。

 答えに窮した魔理沙は、霊夢に対して何か反論できる材料はないかと、う~むと唸りながら本をめくり始める。そして、パラパラと数十枚ほどめくり――「あっ!?」急に素っ頓狂な声を上げた。

 

「おい霊夢」魔法使いは変な笑みを浮かべていた。「この図面を描いた奴は、少なくとも“どっかのだれか”じゃなさそうだぜ」

 魔理沙は、巫女と猫の前に本を突き出し、己の発見したものを指し示す。

 図面の右下にある表題欄のさらに下側、図面の枠線の外に、下側が少し文字切れした状態で、ある一文が記されていた。

 

 

 設計者 河城工機株式会社

 

 

 

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