背中に走る激痛に呻きながら、呉島光実は後悔していた。
妙な気を起こして、幼い頃に少し習った程度の格闘術などで怪物に立ち向かってしまうという、自分の愚かしい行動を。
言ってしまえば、非日常に酔っていたのだ。自分は特別な人間で、危なくなったとしてもすぐになんとかできる。
そんな中学2年生にはよくある妄想のせいで、たった今、自分は死にかけている。
自分が取るべき行動は、暁美ほむらと共に一刻も早くこの場から逃げ出すことだったのだ。
「くッ………」
羞恥心と悔しさで、涙がにじむ。呉島光実は今、間違いなく精神的に成長しようとしている。『分相応』という、万能感に溺れる少年にとって最も受け入れがたい、だがどうすることもできない現実を飲み込むことで。
――――――だがしかし。
彼に与えられたのはそんな“現実”ではなく、覚めることのない更なる“夢”だった。
「ふっ……く………」
「ぁ――――――暁美、さん?」
振り下ろされた怪物の爪を手にした黒弓で防ぎ、魔法で強化した腕力で必死に光実をかばう暁美ほむらの姿が、倒れる光実の瞳に飛び込んできたのである。
彼女の衣装は先程まで身につけていた見滝原中学の制服ではなく、黒と紫を基調とした、奇抜なセーラー服のような衣装であった。手に持った黒い弓のようなそれで怪物の爪を押し留める腕は相変わらずか細いが、対峙する怪物の腕の太さを見るに、恐らく信じられないほどの筋力が秘められているのだろう。少なくとも、あの怪物の腕力に拮抗しうるだけの力が。
予期せぬ事態に光実は混乱した。
だが、彼はそれ以上に高揚もしていた。
あの頼りなさげな少女が、大人ですら敵いそうにない恐ろしい怪物を相手に、それに負けない力を発揮している。
年相応の幼い万能感が、光実の中に再び蘇ってしまった。
「えぇいッ!」
《森の魔獣》の爪を押し留める弓を起点に、魔法で弦と矢を現出させてゼロ距離射撃を敢行すると、《魔獣》はあっけなくほむらの放った魔力矢とともに吹き飛んだ。
「やった……!」
マミの銃と違って、ほむらの弓矢にはバリエーションこそ無いものの、《森の魔獣》の硬い外殻にすら通用する高い火力を有している。
そんなものを至近距離で放たれれば、この結果は自明の理だ。それでも、ほむらは自分だけの力で初めて敵を仕留めた高揚感に、思わず胸の前で小さくガッツポーズをとった。
「暁美さん! まだ来る!」
背後の光実の声にはっと我に返ると、倒した《森の魔獣》の奥からわんさかと敵が押し寄せてきているのが見えた。すかさず、新たな魔力矢を弓につがえる。
次々とほむらが放つ矢が、怪物たちの群れを怯ませる。だが、そんな怪物たちの中の一匹が妙な挙動をとるのを、光実は見逃さなかった。
「なんだ……?」
見れば、他の丸っこい個体とは異なるフォルムをとった蒼い個体が混じっているではないか。しかもそいつは、ほむらの放つ矢を軽快な動きでかわし続けている。丸い個体があらかたほむらの矢に倒れたあとも、その蒼い個体は一撃ももらうことなく生き残っていた。カミキリムシのそれのような形状の口と思しき器官を震わせ、あざ笑うかのようにギチギチと音を立てている。
「暁美さん、気をつけて! こいつは素早い!」
光実が叫ぶと同時に、怪物は頭部から伸びる長い触角をなびかせつつ跳躍した。
「ぐっ―――!」
狙いをつけるべきか、回避行動をとるべきか。一瞬の判断の遅れが、致命的なミスにつながる。暁美ほむらは怪物の落下攻撃をその身に浴びせられ、血泡を吹いて膝から崩れ落ちた。
「暁美さんッ!!」
駆け寄った光実が、半ば引きずるようにしてほむらを抱いて怪物から距離を取る。
腕の中で荒い呼吸を続ける少女の肩に刻まれた深い切り傷が、光実に彼女がもはや戦闘不能であるという事実を冷酷に告げる。
「まずい……ッ?!」
手負いの獲物をむざむざ逃がしてくれるはずもない。蒼い怪物はすかさず触角をムチのようにしならせて光実とほむらを打ち据えようとした。なんとかそれを見切って回避を続ける光実ではあるが、ほむらを抱いたままでは限界があるのは明白だ。
「このままじゃ………死ぬ!」
しなる触角の隙間を縫って、敵の背後に飛び込む。
下手に背中を見せるよりも逃走の成功率が高いという光実の狙いは、ある意味功を奏した。
「しまった………! うわあぁああぁッ?!」
怪物の背後に、彼らの現れた空間の裂け目があることを、失念してはいたのだが。
今回のインベスはカミキリインベスです。触角で打つより噛み付いたほうがらしい気がします。