「『L.S.-09』……いったいどういう意味なんだ?」
錠前に書かれた型番号を訝しげに眺めるが、どうやらこの錠前が機械であるらしいことぐらいしか分からなかった。
「そういえば、そのベルトどうしたんです?」
きょとんとした表情で、ほむらが首をかしげながら光実の腹部を見やった。思い出したように、光実がベルトに手をかける。
「さぁ……。さっき向こうに行った時に拾ったんだけどね。このケースの中に入ってたんだよ」
「勝手に持ってきちゃって良かったんですか?」
「使えるかもしれないじゃないか。どうせ落し物なんだし、ここに交番があるとは思えないけど」
「それもそうで………………光実くん」
「あぁ」
会話を打ち切り、背中合わせになる。
彼らの周りは、既に数体の《森の魔獣》に取り囲まれていた。
「私が、全力の矢を撃って道を拓きます。そしたら光実くんはすぐに離脱してください」
「でも、そしたら暁美さんが………」
張り詰めた声で耳打ちをしてくるほむらにただならぬモノを感じ、光実は彼女の方を振り向いた。
「私は、魔法少女ですから。心配、無いですよっ」
引きつった笑顔。
当然だ。怖いに決まっている。
――――――だというのに
「……分かった」
――――――――――だというのに。
「それじゃあ行きます………やぁッ!!」
―――――――――――――――だというのに、僕は。
「うっ、うわあぁあぁあああ!!!」
――――――――――――――――――僕は、震える女の子を独り置き去りに、逃げ出した。
※※※※
自分の荒い息遣いと破裂しそうに高鳴る心臓の鼓動音で、耳が潰れそうになる。
やがて流れてきた汗に目を潰されると、光実はバランスを崩して沼地に崩れ落ちた。
「うぐ………」
白い見滝原の学生服が泥に汚れ、整った顔立ちが苦悶に歪む。
だが、本当に痛いのは。苦しいのは。
破裂しそうな心臓でもなく、擦りむいた膝小僧でもなく、打ち付けた額でもなく、《森の魔獣》を蹴たぐって痛めた足首でもない。
――――――本当に痛いのは、心だ。
あの、無垢で幼い、三つ編みの少女を置き去りにしたことだ。
幼い頃から、金持ちの家の息子だというだけで数多くの人間が自分に擦り寄ってきた。
そこに呉島光実としての存在は介在する余地など無い。あるのはただ、“呉島のおぼっちゃん”という己の立場だけだった。
誰も彼もが、欺瞞と猜疑に満ちた瞳を向けてきた。
――――――ヒトというものに対する絶望を覚えるには、十分すぎるほどに。
だが、暁美ほむらは違う。
見滝原に来てからというもの、友達の一人も作らず孤高を気取っていた自分に対し、彼女は今までに見たことのない無垢な瞳でこちらを見つめてきた。
ヒトというものに愛想が尽き、何もかもが嫌になっていた時、そんな自分にヒトの純粋さを見せてくれたのは、紛れもなく、あの暁美ほむらだ。
出会ってからほんの僅かな時間しか過ごしていない。
交わした言葉もごくわずかだ。
だが、あのバス停裏で出会った時から、彼女の存在は心の中で大きくなっていくばかりであった。
そして、彼女は魔法少女という非日常の存在となり、日々、想像を超えた狂気の世界に挑んでいるという。
それも、幼い正義感だけで。
「ッ……………!」
何かを悟ったような気になって、彼女のことを愚かと今の今まで思い込んでいた。
だが、暁美ほむらは違う。
自分のように、諦めてはいない。
自分以外の誰かのために、一生懸命に戦って、傷ついている。
気がつくと、呉島光実は元来た道を引き返していた。