「しまった…………!!」
まだ日の出ている時間帯ではあるにも関わらず、巴マミは魔法少女に変身した状態で家々を屋根伝いに駆け抜けていた。
『ごめんなさい、私のミスよ。……《森の魔獣》への対策に気を取られるばかりに、《魔獣》の対応がおろそかになっていたわ』
「謝る必要なんてないわ美国さん。こればっかりはどうしようもありませんでしたもの。……でも病院と《魔獣》、これ以上ない最悪の組み合わせね。パトロールをしていた頃はこうなる前に《魔獣》発見して被害を予防できていたんだけど……」
口惜しさに眉をひそめながら、魔法によるテレパシーで織莉子と会話を続ける。その一方でマミは、今動けるはずのもう一人の魔法少女にもテレパシーを飛ばしていた。
「暁美さん? 《魔獣》の存在は感知できるわね? すぐに来てもらえるかしら?」
『こちらでも感知したところですっ。今急いで向かってるところですけれど……どう頑張っても15分以上は確実にかかりますっ』
切迫した声色でほむらが自身の到着予想時刻を告げているその頃、マミの視界の中には見滝原市民病院のシルエットが飛び込んできていた。
「それじゃあ美国さん、後方からのサポートをよろしくお願い。暁美さんは無理しすぎないスピードで来てちょうだい。体力が尽きた状態では、いくら《魔獣》の脅威度が《森の魔獣》に及ばないとはいえあまりにも危険だわ。……くれぐれも慎重に、ね」
後輩に念を押すと、マミは魔法で自身を衆目から見えにくくした後、さらに自身に魔力のブーストをかけて加速した。魔力を多大に消費してしまう移動方法だが、《魔獣》に襲われている病院にいち早く向かわなければならないことを思えば、マミにとってはこんな加速など、むしろ遅すぎるくらいである。
「お願い、間に合って……!」
※※※※
病院内は、さながら地獄であった。
院内がそのまま《魔獣結界》と化しており、患者も医師も無差別に《魔獣》らに襲われている。
「くっ………来るなァ――――――!!」
恐怖と絶望に叫び声をあげながら、ブンブンと松葉杖を振り回す男性患者。だが《魔獣》に対して魔力のこもらない一撃などというのはあまりにも効果が薄い。物理的に干渉してくる以上、こちらの攻撃がまったく通らないわけではないのだが、そもそも生命体ですらない《魔獣》に対して常識的な攻撃手段は通用しない。
相当に武を修めた武道家ともなれば拳による《魔獣》の撃退も不可能では無いが、しかしそんな人物がよしんばいたとしても、ここは病院だ。健康な人間は、医師と看護婦、そして見舞い客だけである。
先程の男性患者の上半身がノイズに飲み込まれて赤い噴水を吹き上げだした頃、一方健康体でありながら病院にいるイレギュラー、すなわち見舞い客としてやって来た美樹さやかは、眼前に広がる血の海に戦慄していた。
「なんでこんな化け物が……?! 恭介、恭介は無事なの?!」
上條恭介を探す―――――その行為にのみ専念することで、美樹さやかはその精神をギリギリ安全域に保ち続けている。“上条恭介はとっくの昔にこの血だまりの一つになっている”という可能性を、必死で何度も何度も否定しながらではあるが。
しかしそうしたパニックに陥る一方、さやかは頭のどこかが急激にクールダウンしていくのを感じていた。―――――
病院内に突然現れ、内部構造すら歪めてしまったあの影法師たちを、さやかは既にして知っている。以前、病院から帰る途中に体験した自分の周りの世界が歪んでいく感覚や、おぼろげながら視認した全身ノイズだらけの長身の男のような影法師たちのシルエット……。それらはまさに、今さやかを襲う事象とそっくりそのまま合致しているのである。
「――――――あの声の人は――――――?」
そして、それら影法師の魔物たちから自分を救ってくれたあの声の主も同時に想起される。周囲を見渡して彼らしき痕跡を探すが、そのようなモノは影も形も見当たらない。
「あの人が、あの人さえいてくれれば――――――!」
モノクロと鮮血に染まる地獄の中で、さやかは必死に希望を求めて駆けずり回っていた。
※※※※
「こいつらが《魔獣か》……。これが初めてだけど、試運転にはちょうどいいかもね」
美樹さやかが病院内で七転八倒し、巴マミと暁美ほむらが現場に急行する中、最も早く現場に到着していた光実は《魔獣結界》に飲み込まれた病院のロビーで生身でつっ立っているというのにも関わらず、あくまでも自然体を崩さなかった。
呉島光実は愚か者では無い。
魔法少女のような異能の存在でもないただの人間の力で、彼らのような異形を打倒するのは不可能であることは、先日の《森の魔獣》との相敵で十分に理解している。
ならば何故、少年は《魔獣》の巣窟に足を踏み入れたのか。
無数の《魔獣》がロビーに集結し、光実をジワジワと取り囲んでいく。質量を感じさせない文字通りの“影法師”たちだが、その圧迫感はあまりに冷たく、重い。
だが今の光実には、そんな圧迫感を跳ね返すだけの自信に満ちていた。
「既にテストは完了している……。この《武器》の使い方は完璧に把握した!」
見滝原中学校の制服である白い学生服の腹部中央に、黒い小型の機械をあてがう。それはまさに、数日前に《森》で拾ったあのベルトであった。
ベルトが展開し、光実の体に合わせてぴったりと装着される。尋常ならざるその気配を感じ取ったのか、《魔獣》包囲網が一瞬蠢いた。
「――――――――――――変身」
『BUDOU』
ポケットから取り出した紫色の錠前のスイッチをいれると、合成音声が錠前の機動を告げた。同時に光実の頭上に《森の裂け目》が現れ、葡萄を模した金属塊が出現する。
だが、上空に謎の金属塊が現れても光実は動じない。律動するたびに鈍く発光する錠前を、バックル中央の凹みにはめ込む。
『LOCK・ON!』
錠前とベルト、二つの機能が噛み合ったことを告げる物々しい機械音声が鳴り響くと、古代中国のそれを思わせる勇壮なメロディが奏でられ始めた。
垂れた前髪の奥で、光実の双眸がぎらりと煌めく。
その瞬間、光実はバックルに装備されたナイフ型のプレートを操作、錠前はナイフで切られたかのように割れ、断面から拳銃を思わせる形状の文様が浮かんだ。
『ハイィ―――ッ!!』
果実の錠前が両断された直後、合成音声が高らかに鳴り響き、滞空していた金属塊が光実の頭に突然覆いかぶさった。
金属塊から燐光が迸り、光実の体躯は緑色のボディースーツに包まれていく。
かなり出遅れたものの、ここに来て《魔獣》たちは眼前の少年を“獲物”ではなく“脅威”と認識した。感情を持たぬ彼らではあるが、一般人を相手取る時とは異なる獰猛な挙動を以て、一気に襲いかかる。
だが、時既に遅し。
光実に覆いかぶさっていた金属塊が駆動音と共に展開すると、それは上半身を防護する堅牢な鎧へとその形状を変化――――――否、変形した。
『BUDOU・ARMS!
けたたましく鳴り響く銅鑼の音と共に、呉島光実は紫色の鎧武者へとその変身シークエンスを完了した。