https://www.youtube.com/watch?v=57UfvGvDmCY
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「…………私は《インフェルノ》に追われている。―――――もし今ここに追手が来たら……あなたは組織と私、どっちに銃を向ける?」
「……決まっている。組織を撃つ。僕は、僕の意思で引き金を引く」
「……どうして、どうしてそうまでして、あなたは生き抜くの?」
「…………」
「………………そういう生き方を、私にもしろっていうの?」
「……嫌なのか?」
「………だって私、もう、誰でもない…………なにもない。生きてる理由も………役目も」
「アイン………。いや、アインはやめよう。
「………っ」
「きみには新しい名前が必要だ」
「名前?」
「《ファントム》でも、数字でもない。きみが、きみとして生きていくための名前」
「…………エレン。今から僕は、きみをエレンと呼ぶよ」
「……どうしてエレンなの?」
「理由なんていい。僕がそう決めた。殺し屋でも人形でもなく、きみがきみとして生きていくための名前」
「エレン………エレン。……なんかヘン」
「………そうか。………エレン、探そう。きみが無くした過去を」
東の空に昇る太陽。その朝焼けが次第に朝の風見野を赤く染めていく頃、佐倉杏子はむっくりと起き上がった。
「やべ、早起きしすぎちまった……さぶさぶ」
どうやら寝ている間に毛布を蹴飛ばしていたらしい。足元につくねられているそれにくるまろうと、猫の如き柔軟性にモノを言わせて横着に手繰り寄せる。
「………」
寝ぼけ眼の端に止まった人影を追って、ふとそちらを見やる。すると、曇ったガラス窓から朝焼けに染まる風見野を睨む、吾妻江蓮の姿があった。
「早いのね」
「そっちこそ……。っつーか、眠くねえのかよ。あんたひょっとして、前世は目覚まし時計だったんじゃねえか?」
「いいえ、ヘタなそれよりも正確な体内時計を持っているわ」
「ははっ、そいつはすげえや……」
呟きながら、少女は打ち寄せる睡魔というさざ波に飲み込まれ、そのまま眠りに没していった。
「………まるで、妹みたいね。……………彼も、こんな気持ちだったのかしら」
キャル・ディヴェンス。
数年前の記憶が頭をもたげる。彼女はもうこの世のどこにも存在しないし、彼女が慕っていた“彼”もまた、モンゴルの地に果てた。
今頃天国で、二人は出会えているのだろうか。
……………いや、それはありえないだろう。
自分も、“彼”も、そしてキャルも、あまりに人を殺しすぎた。
彼らはきっと、地獄に堕ちたに違いない。
そして自分も、いつか――――
「え、江蓮さん?」
ハッとして振り向くと、そこには昨夜出会った、あの記憶喪失の青年が立っていた。一応、男性である彼には上の階で寝ていてもらったのだが、彼の見た目にやつれた様子は無い。どうやら一人でも寝られたようだ。
「おはよう……」
「おはよう。……江蓮さん、なんだかすごく遠い目をしていたよ。なんだか、そのままどこかに消えてしまいそうな……そんな目をしていた」
澄んだ瞳で語る青年が、心配そうな表情でこちらを覗いてくる。幼いゆまにも劣らぬその澄みきった瞳は、しかし江蓮にとっては辛いものだった。
「…………そういえば、あなたの名前を決めなくてはね。そのコートに縫ってあったりしないのかしら」
露骨な話題転換。我ながら酷いセリフ選びだと江蓮は自嘲したが、しかし眼前の青年にはそれで十分だったらしい。
「うわあぁ……! どんな名前にしてくれるのか、楽しみだなぁ!」
「………!」
青年の言葉に、江蓮は再びハッとした。
細かい事情こそ異なるが、このシチュエーションは以前、“彼”に『エレン』の名を与えられたあの時と酷似しているのである。
まっさらな、何ものにも染まっていないシーツに、汚れを落とす感覚。江蓮は眼前の青年の純粋無垢さに、躊躇と恐怖を覚えた。
…………ならば、彼を自分の管理下に置いてしまおう。
帰るところも名前も分からぬ、赤子同然の彼を、ならば、自身の分かりやすいカタチに当てはめてしまおう。
ここにきて、江蓮は“名付ける”ことによってヒトとヒトとの間に生じる関係性というものを肌で感じ、そして理解した。
「…………ウォレス。あなたの名前は、ウォレスよ」
「へぇえ………かっこいい! ウォレスかぁ、ウォレス……ウォレス……」
新しい名前が、どうやらたいそう気に入ったらしい。
「でも、どうしてウォレス?」
きょとんとした表情で首をかしげるウォレス。だが、江蓮は続く言葉も既に知っていた。
「理由なんていい。私がそう決めた。あなたが、あなたとして生きていくための名前」
取り返しのつかないことをしている自覚はある。名前とは、すなわち呪いなのだ。しかし江蓮は、万感の想いを込めて名を呼んだ。
“彼”の記憶を、遡るように。
「…………そう。あなたは、今日からウォレスよ」