それは、大学入学記念パーティーの夜だった。
「貴虎さま、お疲れですか?」
「そうだな………。どうも、こういった席は苦手だ」
半歩横に控えた藤果と語らいながら、会場ホールの角で少しだけ疲れた様子でため息をつく貴虎。ハイスクールをたった一年で卒業し、サウスハービー大に進学したはいいものの、慌ただしい日常は貴虎に少年らしい心のゆとりを与えてはくれなかった。
「ですが、今夜のパーティーには天樹様も出席なさっておいでです。お疲れであるとは思われますが、せめてお父様にご挨拶をなされてはいかがでしょう」
「父はクレシマグループの米国展開の商談のついでで来ているだけだ。私のことなど、気にもとめてはいまい」
「そんな……血の繋がった親子ではありませんか」
「どうかな。あの人の考えていることは、私にはよく分からない」
憂いを帯びた表情で、疲れたように微笑む貴虎。それが十七歳の少年がしていい顔ではないことは、藤果にもすぐに分かった。
「貴虎さま……」
「たかとらにいしゃん!」
不意にかけられた声に、思わず目を見開く貴虎。そこには、久しぶりに会った弟、呉島光実の姿があった。
「光実!」
疲れも忘れて駆け寄ると、貴虎は一年ぶりの再会を祝すように、幼い弟を抱きすくめた。
「にいしゃん、痛い」
「ああっ、すまない光実。………それにしても大きくなった。こんなに重くなって……こっそり隠れてだっこやおんぶをしてやっていたのが、嘘のようだ」
「にいしゃんも、大きくなりました」
「ははっ……そうかな。俺はあまり、変わっていないよ」
仲睦まじく語らう二人は、一見するとどこにでもいる普通の兄弟にしか見えない。当たり前の幸せの尊さを、藤果は二人の抱擁に垣間見た。
「良かった……。貴虎さまも、まだあんな風にお笑いになられるのですね」
「いやー、それにしても貴虎の光実くんに対する溺愛ぶりには凄いものがあるね。あの鉄面皮が一瞬でユルユルじゃないか」
音もなく忍び寄り、背後から声をかけて来たその少年に、思わず驚きながら振り返る藤果。声の主は、果たして戦極凌馬であった。
「………あなたですか。後ろからだなんて、趣味が悪いのではないですか」
パーティーにおよそ似つかわしくないシャツと半ズボンという、さながらバカンスの如き装いに身を包み、壁にもたれたその姿は、まるでこのパーティーの出席者、ひいてはクレシマグループの全てを斜め上から見下しているかのような不快感を見る者に与えてくる。
「それは失礼。だけど、ボクに背後をとられているようでは、きみのアサシンとしての能力には少々問題がありそうだね。そんなことで、この先も貴虎を守れるのかい?」
「なっ………!」
表情と声色をころころと変えながら、一方的に言葉を投げかける凌馬。その瞳の奥には、かつて藤果と共に過ごした地下施設の壁のようなくすんだ色が沈殿していた。
「きみに一つ忠告しておいてあげよう。さっき、表のSPたちが噂しているのを聞いたんだが………」
言いながら、藤果の肩に手を置くと、凌馬は彼女の耳元に顔を近づけてあざ笑うように囁いた。
「このパーティー会場に、《ファントム》が忍び込んでいるらしい。天樹氏の命を狙っていると見て間違いは無いだろうね。そしてその御曹司である貴虎と光実くん……。今のうちに、避難させたほうがいいんじゃないかな?」
瞬間、朱月藤果に電流が走った。
米国最強の暗殺者、ファントム。
それが、このパーティーに忍び込んでいる――――!!
「………確かなの?」
「嘘だと思うなら、表に出て警備をチェックしてみるといい。素人のボクから見ても、あれは異常だよ。まるで襲撃を恐れるように、大量のSPが警備にあたっている。………それにしても、天樹氏もバカだよねーホント。《インフェルノ》が動いているこの東海岸に来ちゃうなんてさ。それもわざわざ御曹司とセットになる、このタイミングで」
どんどんと青ざめていく藤果とは正反対に、耳元で囁く凌馬の顔には自信に満ち溢れた表情が浮かんでいる。彼がその心中で何を思うのか、それを知る人間は恐らくこの星には存在しないだろう。
「…………どうした、凌馬、藤果。何をしている」
二人の異常を貴虎が察するのに、それほど時間はかからなかった。
「ああ。実はね貴虎。これはさっき表のSPたちが話していたことなんだが――――」
凌馬が口を開くと同時に、響く轟音。
「―――何だ?!」
「爆発?!」
「天樹氏の方だぞ!!」
「余興にしちゃ派手すぎないか?!」
突然の爆発に、騒然となる会場。どよめく招待客たちが口々に漏らす言の葉は、どれも不安に駆られていた。
光実を庇いながら振り返ると、さっきまで天樹が立っていた場所からもうもうと炎と煙が立ち込めている。
―――――――暗殺だ。
「父さん………!」
貴虎は、混乱する頭のどこかで、父の死を直感的に感じた。
「さすがファントム。手際もいいが、演出というものを分かっている。さ、貴虎。ボクらまで殺されちゃかなわないからね。すぐにここから―――」
サイレンサーで抑えられた銃声が鳴り響く。
―――無言の暴力が、続く凌馬の言葉を止めた。
「がっ…………。どうやら遅すぎたようだ。藤果クン、貴虎を、頼む、よ」
弾丸に胸を貫かれ、血泡を吹きながら微笑む凌馬。
「―――――りょう、ま、?」
貴虎は、何が起こったのかさっぱりわからなかった。
がっくりと膝から崩れ落ちる凌馬。そして彼の背後には――――
「………ファントム………ッ!!」
仮面をつけた、黒髪の男が拳銃を構えていた。
「逃げてくださいッ!!!」
スカート裏に忍ばせた拳銃を取り出しながら、藤果が叫ぶ。
彼女の声に我に返った貴虎は、促されるまま、弾かれたように光実を抱えて走り出した。
混乱しきった意識に、周囲の怒号と悲鳴、更なる爆音と銃声が鳴り響く。だがそれ以上に、今の貴虎の世界は抱えた光実の泣き声と、後ろに置き去りにしてしまった藤果と凌馬の亡骸のことに支配されていた。
※※※※
「ハッ―――ハッ―――ハァッ―――く、くそっ――――!!」
出口に雪崩込む人々の波に飲まれるようにして、外へと脱出する。
泣き叫ぶパーティー客たちの中に紛れつつも、貴虎の意識は未だ会場内にあった。
「にいしゃん、大丈夫?」
「俺は問題無い。それより藤果だ。あいつ、たったひとりでファントムに――――!」
合衆国全土を震撼させた、マフィア幹部連続殺害事件。その実行犯と目される謎の暗殺者が《ファントム》だ。手口といい、藤果の言葉といい、今回の暗殺の下手人が《ファントム》であることは明白である。
考えるまでもなく、一介の使用人風情が叶う相手ではない。
「光実はここにいろ。………俺は藤果を助けに行く!!」
「そんな、待って、たかとらにいしゃぁん!!!」
誰よりも自分に尽くしてくれた、少女のために。
呉島貴虎は、死を顧みずに走り出した。