ジェレミア・ゴットバルトは、暗く静かな牢の中で一人考えに耽っていた。
ブリタニア帝国でも大貴族と言われるゴットバルト家。その長男として生まれ、周囲の期待に応えるように軍学校時代から優秀な成績を残してきた。
その努力も相まって軍へ入隊後、初めに就いた任務は、敬愛すべきマリアンヌ様の護衛という実に名誉あるものだったと言える。
マリアンヌ様はブリタニア帝国皇妃のお一人であられたが、出は庶民。功績を挙げられ騎士侯を賜り、陛下よりご寵愛を受けたと聞く。
当時、そのシンデレラストーリーに憧れる者は多くいた。
そしてそれと同じくらいにマリアンヌ様を羨む者、妬む者もまた数多くいたことは、口に出さないだけで誰もが知っていたことだろう。時には、過激な手段に及ぶ輩もいた。
しかし、マリアンヌ様にはその一切が通用しなかったのだ。無論、優秀な護衛がいたということもある。だがその最もたる理由は、マリアンヌ様が皇妃であると同時に帝国最強の騎士「ナイト・オブ・ラウンズ」の第六位。
ナイト・オブ・シックスであり、戦場では「閃光のマリアンヌ」という二つ名で呼ばれるほどの実力者であったからであろう。
味方からは敬意を、敵からは畏怖を抱かれる存在。私もまたマリアンヌ様に憧れを抱いた者の一人だった。
そんなマリアンヌ様だからこそ、多少の無茶は許される。例えば私が護衛についたあの時、マリアンヌ様はおっしゃられた。
「少し一人になりたいの。下がりなさい。護衛は必要ないわ。あなたたち、私を誰だと思っているの?」
他の皇妃が言ったのなら絶対に護衛を解くことなどしない。しかし、マリアンヌ様のその言葉に反論できる者はいなかった。なにせ、ここにいる精鋭の護衛全員が束になってもマリアンヌ様には敵わぬからだ。
「ナイト・オブ・ラウンズ」は、帝国最強はそれほどまでに圧倒的だ。
だが私はその日、運命の残酷さを痛いほど思い知らされることとなった。
事件が起こったのだ。マリアンヌ様がテロリストの襲撃に遭い、御隠れになるという事件が。
私はあの時ほど後悔したことはない。あの時ほど自身の無力さを、浅はかさを嘆いたことはない。
事件以降、私はマリアンヌ様をお守りすることができなかったが故に、今後自身の全てを捧げ皇族を必ず守り抜くと誓ったのだ。
皇族をお守りするためのブリタニア人で編成された部隊結成のため、純血派という派閥も作った。このエリア11に来たのも、第三皇子クロヴィス殿下をお守りするためだ。
それがまさか、殿下を殺された挙句に犯人として連行していた名誉ブリタニア人、枢木スザクをテロリストに強奪されるなど。あまつさえ私が枢木スザク強奪時、テロリストに加担し味方機のサザーランドを攻撃しかけたというではないか。さらに私がテロリストに加担した理由が「オレンジ」なるものを公表すると脅されたかららしい。
何を馬鹿な、私にはテロリストに加担した記憶もなければ、オレンジなる物の心当たりもない。私はあの時を境に自らの全てを皇族へ捧げたのだ。裏切りなど、不実など働くわけがない。
しかし、カメラの映像には自身がテロリストに加担する様がありありと記録されていた。何かの冗談かと疑いたくなったくらいだ。
私はこんなところで終わるわけにはいかない。敬愛すべきマリアンヌ様へ報いるため、こんなところで立ち止まっているわけにはいかないのだ。
それからというもの尋問のたびに私は、正直に自らに記憶がないことを訴え続けた。そう、その姿は皮肉にもクロヴィス殿下が殺害されたとき最も近くにいたバトレー将軍を私が尋問したときの姿そのものだった。
「記憶がない」しかし、記録はあるのだ。
そして枢木スザクを強奪したテロリスト、ゼロ。あれは一体何者なのか。そもそもなんなのだ、あの仮面とマントという奇妙な格好は…と徐々に思考がズレていくのはもう何度目のことか。
何にせよ、まずは無実を証明し隊に戻る他あるまい。テロリストのことはその後だ。そうして私が結論に至ったところで、コツコツと音を立てこちらへ近付いてくる者がいる。
「出ろ、ジェレミア」
檻の外から聞こえたのは聞き覚えのある、しかし記憶にあるものとは正反対のとても冷たい声だった。
「ギルフォード卿!分かって頂けたのですね!?」
ギルバート・G・P・ギルフォード。
帝国の先槍と呼ばれ、王位継承権第四位にして第ニ皇女コーネリア・リ・ブリタアの騎士でもある男だ。真面目で実直、誠実な印象を受けた当時の面影はそのままだが眼鏡の奥に見える目はただ、ただ冷たかった。
「謀反の疑いに関してはな、オレンジ君。位を三つほど下げることにした」
「あ…?あ…?」
頭が真っ白になった。
彼が何を言っているのか、さっぱり理解できない。
いや、脳は理解しているがそれを受け入れることができないのだ。
そんな私にギルフォード卿は畳み掛けるように選択を迫る。
「君には選択肢が二つある。一パイロットからやり直すか、オレンジ畑を耕すかだ」
そんなもの選択肢と言うのだろうか。
私が今まで、皇族の方をお守りするために築き上げてきたものがボロボロと崩れ去る音が聞こえた。遠くから小さく笑い声すら聞こえてくる。
人生の全てを捧げ築き上げたものが、記憶がないとは言え自身の手で塵と化したのだ。笑えてしまう。もう笑うしかない。なんと滑稽だろうか、ジェレミア・ゴットバルト。
そうして私が惚けていると先ほどの笑い声は徐々に大きく、明瞭なものになってきた。
幻聴にしてはあまりにもリアルすぎるそれは、どうやら私が生み出した幻などではなく、本当に現実の出来事のようだ。
……待て。そこで私は冷静さを取り戻した。
今ここには私とギルフォード卿しかいないはず。
ならば、この笑い声はいったい誰なのであろうか。
はっきりとした意識を向ければそれは、鈴を鳴らしたような美しい少女の笑い声だった。
「誰だッ!」
ギルフォード卿の鋭い声が響く。
「いや、失敬。しかし、ふふふ。くふっ、ははは。ダメだ、笑いが止まらん。卿は顔に似合わず面白いジョークを言うのだな、ギルフォード卿」
とても親しい間柄のように話す少女。そう、少女だ。顔はちょうど陰に隠れ見えないが、声や背格好からして少女で間違いないだろう。
しかし、ここは仮にも軍の収容所だ。どこから入ったのか、いやそもそも外にいるはずの看守は何をやっているのだろうか。
私と同じ疑問を抱いたであろうギルフォード卿がすかさず詰問する。
「ここは許可なく立ち入ることは禁止されている。早々に立ち去りたまえ!」
優しげな顔をしているとは言え、ギルフォード卿は騎士なのだ。
それなりの覇気を声に込めれば、年端もいかぬ少女ならすくみ上がって逃げ出すだろう。
しかし、その少女はあくまで自然体のまま。まるで何も恐れることはないというような、いや違う。これは自身が絶対の強者であると、あらゆるものを統べる王者であるという圧倒的自信。
それを裏付けるように少女は口を開く。
「許可、だと?この私が許可を取らねば入れぬところなど、皇帝の寝室くらいだよ。第一、私が誰か分からないのかギルフォード卿。失望したぞ」
「なにを…」
戸惑うギルフォード卿を他所に少女は一歩。また一歩とこちらへ近付いてくる。そうしてついに少女の全貌が明らかとなる。
腰まで届くであろう長く美しい烏の濡羽色をした髪と、アメジスト色の瞳。そして何より目を引くのは私が敬愛して止まなかったマリアンヌ様に瓜二つの顔立ち。
「リリア皇女殿下!?」
そう、そこにいたのはマリアンヌ様の実子にしてヴィ家の長女。
王位継承権第22位、第四皇女リリア・ヴィ・ブリタニア、その人であった。
「気付くのが遅い…が、まあいい。久しぶり、とはいえ今日はギルフォード卿に会いに来たわけじゃないのでね。私は卿に用があるのだ、ジェレミア・ゴットバルト」
「リリア皇女殿下が、私に…?」
「そうだ、ジェレミア卿。ギルフォード卿から掲示された選択肢は確か、二つだったね。しかし、それではあまりにも可哀想だ。そこで私が君にもう一つ選択肢をあげよう」
あまりの急な展開に着いて行けず、戸惑うギルフォード卿と私を置いてリリア皇女殿下は続ける。
「一パイロットからやり直すか、オレンジ畑を耕すか、あるいはこの私に。リリア・ヴィ・ブリタニアに絶対の忠誠を誓うかだ」
「お待ちください!」
見るに見兼ねたギルフォード卿がすかさず、リリア皇女殿下の発言に待ったをかける。
「証拠はなかったとはいえ、彼が枢木スザク強奪の際テロリストに加担したことは事実!そのような男をリリア皇女殿下のお側に置くなど!」
ギルフォード卿が必死に説得するも、リリア皇女殿下はまるで聞く様子がなく、終始自信に満ち溢れた笑顔をしていた。
それはまるで、自身の選択に一切の迷いや躊躇がないように見える。
「では、聞くがな。ジェレミア卿」
「はっ」
「卿はブリタニアに対し謀反を企てているか?」
「まさか!そのようなことは一切考えておりません」
「では、テロリストとの繋がりは?」
「それもありえません」
「ならオレンジとは何だ?」
「私には皆目見当もつきません」
「最後に私に忠誠を誓い、騎士になる気はあるか?」
「…それがもし許されるのであれば、全身全霊を持ってお仕えさせていただきたく」
私はただ、ただ正直に答えた。決して嘘をつくことは許さない。リリア様からはそのような雰囲気をひしひしと感じたのだ。
「ふむ、どうだ?ギルフォード卿。彼もこう言っているし、問題はあるまい?」
ギルフォード卿に対してさもそれが当然といった風に聞くリリア皇女殿下。
「やましいことがあればそれを正直に言うはずがありません!リリア皇女殿下、どうか今一度お考え直しください!」
尚も説得を続けるギルフォード卿。しかしそれは無情にもあっさりと切り捨てられる。
「姉上から聞いていないのか?私は他人の嘘を見抜けるんだ。そして先ほどの質問。ジェレミア卿は一つも嘘をついてはいない。故に私は彼を信じる。ギルフォード卿、もし君が彼を信じられないのならそれはそれでいい。だが代わりに私の直感を信じろ。ん、鍵はこれか。どれ、よし開いたな。ジェレミア、いつまで膝をついている。私の騎士が安々と地に膝をついてくれるな。早く立て、時間は有限だ。私に着いてこい。ふむ、その服のままでは些か品がないな。よし、私のコートを貸してやる!卿には小さいだろうがその服より大分マシだろう、さあキビキビ歩け!」
暴君、そこにいたのはまさに暴君と形容されるに相応しい存在だった。
唖然とするギルフォード卿から鍵を引ったくり、牢を開け、私の襟元を掴んで無理矢理引き起こし、颯爽と歩いて行く。
それは誰にも止められない王者の行進。
しかし、と私は思う。こんなにも素敵な暴君ならば、どこまでもお供させていただきたいと…
「イエス、ユア、ハイネス」
その日、私は出会った。
私が生涯仕えることになる絶対の王に。
いずれ世界すらも敵に回す黒の魔女に。
そして誰もが愛する優しい王様に。
私はけしてこの日を忘れることはないだろう。
運命の歯車が動き出した、この日のことを。
NEXT STAGE『忠義 の 橙 騎士』