北条綱成の野望 作:織田上総介信長
今川を仲介に北条・里見との和議が結ばれてから幾日が過ぎたろうか………
結局は、今川家でも軍師を務める太原雪斎というジジイがまた話を纏めるのが上手くて俺が今まで上総と相模の大名と交渉を進められたのも裏で雪斎ジジイが先代の氏親公が病にかかってた頃から裏で書状を通じて話を進めてたらしく
今回の手柄のほとんどをジジイの物にされたせいか今川家中じゃ意外と存在感が薄いのもあり
興国寺城を拠点に北条相手に戦を仕掛けずに済んだ代償なのだろうか………次は遠江の掛川城主で今川家でも猛将格で尚且つ宿老が立場でもある朝比奈泰能(アサヒナヤスヨシ)殿とかいう見た目こそは、胸元まで伸びている顎髭や鍛えられた体なんかに加えて六尺(約180cm)ほど巨体な体格をした中年の男が下で三河挙兵の狼煙を上げられた。
「………松平広忠もまた"尾張の虎"と組まんとする家臣を抑えられなかったそうですな」
「ふん。その"尾張の虎"も未だ一国を統一しきれて無いらしいと聞く。松平広忠とて向こうと組んだところで我が今川には敵わぬくらいは容易に解るだろう」
「とはいえ、氏親様が亡くなられた今となっちゃ今川が松平領を傘下に加えるという形で東海三ヶ国を統治しておけば斯波に刃を向けている"尾張の虎"と美濃が"蝮"という壁も越えられない訳ではないでしょうけど………現当主が御体調が保たれるかが刻の要というのが厳しいですがな」
朝比奈殿もまた今の今川家当主今川氏輝(イマガワウジテル)様という姫大名が当主として器量が些か不安なとこもあるものの
一応、政務には優れてるという点と家臣達を纏めんが為
周囲の意見に耳を傾けてくれている。
だが、後者に関しちゃそれが仇となってるんだろうが
太原雪斎というジジイが本隊の指揮権を握りつつも今川家で執政を行える立場についてる事というのがまた気に食わんという者が密かにいたりもし
こっちも現状況に関しちゃ仕方ないと片付けたいんだが
三河を完全に制圧しちゃえば東三河が要である吉田城主を任されるという形で駿河から離れさせたい狙いがまた気に食わんと言いたいとこでもある。
「………所詮は俺も捨て駒か」
「ん?何か申したか?」
「いゃ、何でもありません。それより抵抗する割には思った以上に弱いですな」
「申し上げます!岡崎より参った松平広忠が家臣鳥居忠吉なる者が我が今川傘下に加わりたいと申しております!」
吉田城へ挙兵せんが為、掛川城から向かっている最中に伝令の兵から伝えられた情報によれば三河の松平広忠自身は今川と抵抗したところで父清康公みたいに家臣達を束ねられる程の器量が小さいにしろ家中の殆どの者と意見が一致したきっかけが
俺と朝比奈殿が挙兵したのに対し織田信秀がこれを機会に鳴海城を越えて三河侵攻に目を向けていた事が大いにあり
広忠もまた今川の傘下に加わる条件として今からでも西から侵攻してくる織田勢を阻止するのに助力を求めんと松平家が家老職を務めし鳥居忠吉(トリイタダヨシ)なる老将からは今回の今川に対しての挙兵には元々、今川と対立し広忠からすれば大叔父にあたる松平信定なる者が織田を通じて岡崎城を乗っ取られた上に
織田勢と合流し三河を制圧せんと動きだしているので協力して貰いたいとの事らしく今じゃ吉田城付近まで二千五百余りの手勢で向かっているらしい。
「ふむ。吉田城を松平殿に献上させては如何でしょうかな?」
「…………だが、松平の小僧に城を譲るというのは気に入らん。それに、駿河へ帰還なさる際、返答次第では家中で信頼を得られぬぞ?」
「まぁ、タダで城を受け渡す気はありませんよ。この戦にて織田の手勢を三河から追い返した際、松平殿には駿河へ御越し下さるよう伝えなさるのならば構いませんが如何ですかな?」
「我が殿に今川の姫大名の下へ向かわせると………この吉田城が織田の傘下へ落ちれば困るのは貴公等ですぞ?」
「とはいえ、今の松平殿がこの様では幾ら三河を統治しても織田に侵攻されるか我が今川傘下に加わるかのどちらかを選ぶのには変わり無いでしょう。それに我が今川へ傘下として加われば三河を安堵なさるよう姫に頼んでみても良いのですぞ?」
此方の話に鳥居忠吉は、少し俯いちゃいたがこれもまた仕方無いと言わんばかりに俺の話に乗ってくれた。
まぁ、そうでもしてくれねば尾張の織田勢を三河の地から無償で追い返したなんて報告すれば無駄に兵を失うだけでもあるから此方としては助かるし
その上、雪斎めが増援を繰り出せば確実に戦で手柄が立てにくいのもあったせいか
陣を去る鳥居忠吉を見送って暫く経った後にて松平勢が吉田城へ入城し
追ってくる織田勢を相手にまだ戦えそうな大久保忠世とその弟にあたる忠佐という槍使いの猛将に今川の兵を幾らか増援に向かわせ左翼に千の兵と対象的に七百五十もの槍隊を率いて右翼で陣を率いる事を任された俺は、中央に千五百もの兵を率いて隊を率いて鶴翼の陣で構える朝比奈殿の隊を眺めつつも
既に岡崎城から出陣し、五百近くの騎馬隊がここ吉田城付近まで接近してるという報せが伝令の者から伝わったのだが
此所へ数日かけて来た敵兵がいきなり此処へ来ては、まるで陽動でも仕掛けんが為に動きだしてるんじゃないかとも考えられるかのよう撤退し始め
それに釣られんがの如く大久保兄弟の部隊が追撃に動きだしたせいもあって我が隊の鶴翼の陣が崩れていき
追撃していた大久保隊が向かう先より"バーン"と空に響くような轟音とそこから見える狼煙みたいな物が幾らか上がっているのに対し
我が今川でもまだ実戦に使われてない鉄砲を向こうが既に所有してるのに対し
左翼ががら空きなところにいきなり中央の朝比奈隊へ攻め込まんとする齢十二〜三歳余りの茶色い髪を後ろに束ねてる少女が"我こそは柴田権六勝家也"と馬を走らせ槍を振るっているのが聞こえて来たが
それよりも厄介なのが、五尺六寸(約162cm)の身長で己が背丈の二倍はある十文字槍を振るう四十過ぎの猛将が槍を振るいながらも二百に充たない兵を率いて此方に仕掛けて来た事だ。
野郎は、"我こそは、森可成(モリヨシナリ)である!我が頚、欲しければかかって参れ"と軽装な甲冑を着込んだまま此方の兵を次々と殺めていくもんだからと我が手勢も士気が下がる一方だったんだが
それよりも、厳しかったのが派手な紅い甲冑に虎の皮で縫ったマントを羽織っている大将らしき者が騎乗で火縄銃を片手に朝比奈隊へ攻め込んでいる柴田隊と合流せんが為に幾らか兵を率いている事だ。
このせいで朝比奈隊はほぼ壊滅状態に陥るわ我が隊も森可成なる者が暴れるものだからと渋々愛用の太刀を携えて相手になったのだが………
「(腕力じゃ敵わんにしろ…………あの十文字槍。槍は突くもんばかりと思って敢えて奴の穂先を地面に叩きつけようかと思ったが………)尾張をただの小国と侮っていた己を憎く感じる戦だわな………」
「ほぅ、我が槍を地面に叩きつけようなどと面白い事を考えた者よ………だが、主の頚は我が手の内にあるも同じ。最期に名だけは聞いてやろう」
此方の首筋に穂先を向けられもう己の命も此処までと察しつつも
最期の最期まで抵抗してやろうと太刀を投げ捨て咄嗟に十文字槍の左側の穂先に左脇腹へと突き刺すよう振り落とし
それを見て唖然とした奴を相手に右手で脇差しを鞘から抜き出し間合いを詰めようとした瞬間だった。
我が隊に今川側が駿河から挙兵し松平勢の増援として向かうという報せが響き渡り
織田の隊もこのまま勝ったところで今川本隊と相手をする余裕も無いと察してか
森可成なる者より"敵ながら見事な覚悟よ"と言われながらも奴の手勢が撤退していくのを見届けた俺は此処にて思ったほか浅い傷だからという理由で出血部位を抑えつつも未だ戦っていた朝比奈軍と合流せんが為
兵達に戦うよう指揮を振るうものの無理に駆けつけた頃には朝比奈殿が火縄銃で肩を討たれて負傷しながらも撤退していった織田の隊を見届けていた姿が俺の目に映っていた。
因みに、この戦で勝手に陣を崩してしまった大久保兄弟が処遇を見届けんが代わりに松平広忠自ら文に後継ぎ娘の竹千代を今川の人質へ向かわすという条件を交わし
今川本隊を含め我が隊と朝比奈隊を遠江・駿河へ帰還させたは良いが
その竹千代が織田の者に連れ去られまた広忠が暗殺された事により三河の治安はより悪化への一歩を辿りかねんだろうと
そん時、駿河に居た俺はいよいよ三河の地で前線へと戻されるのを覚悟で駿府館へ向かい
目の前で上座に座る黒い髪をそのまま伸ばし十二単の着物を着こなす大人しい雰囲気を漂わせながらも玉のように綺麗な白い肌にかの大和撫子と謂われてもおかしくない程の慎ましき姿で優しく笑みを浮かべし茶を差し出す姫大名今川氏輝様とこの時、初めて御会いし
まだ歳も十代後半と自分と歳の近いと前々から聞かされちゃいたが
この時、目にした氏輝様から差し出した茶を頂きながらも生まれて初めて"大儀でしたね"とお褒めの言葉を差し出されたせいか
俺は涙を溢してしまった。