翌朝。
俺はゆっくりとした足取りで一年一組の教室に向かっていた。
窓から差し込む朝日に照らされながら、入学式から何一つ変わらない外の景色を見つめる。
しかし、そんな俺の思考の大部分を占めている存在は一つのみ。
(ゾディアック……)
恐らく、かなり特殊なルートを用いて入手した情報なのだろう。
あれから色々とこの組織について調べてみたが、俺の情報網に引っ掛かることはほとんど無かった。
どうにか入手できた情報も『ゾディアック』によるものと思われる未解決事件が7件見つかっただけで、その種類も要人の誘拐・暗殺といった物からテロ事件にまで関与している事から非常に危険な組織という結果だった。
もし、この組織の狙いが俺だとすれば、――――遠からずこの学園にも危険が及ぶだろう。
(……だが、その時は俺がこの手で――――)
――――潰す。
例え世界が違えども、やるべき事は変わらない。計画の障害となるものは排除する――――只、それだけの事だ。
「――っ!」
ほんの一瞬、自分が "あの頃" に戻っていた事に咄嗟に気付く。
(……どうやら俺も、戦いを渇望していたってわけか……)
壁にもたれ掛りながら、歪む視界に頭を押さえる。
今まで隠してきた自身の本質。『ゾディアック』という危険な存在に感化され、闘争本能を駆り立てられている事を実感しながら、なんとか気を取り直す。……気を付けなければ、衝動に飲まれてしまうだろう。
(世界が変わっても、俺自身は変わらない……か)
そう思いながら視線を前に向けると、ふと視界の端に少女の姿を捉える。
「……」
教室に入ることも無く一心不乱に中の様子を伺っている姿は、正直言って不審者にしか見えなかった。
(何だ、あの子は?)
声を掛けるべきかどうか判断に迷う。
少女によって塞がれた扉。奥の扉から入る選択肢もあるが、そんな配慮をしなければならない理由も特に無い。
よって、不本意ではあるが少女に声を掛ける事にした。
「……おい」
「何よ」
返事は返すが、一向に振り返る気配は無い。ただ一心に中の様子を伺っている。
「そんな所で何をしている」
「はぁ?見ればわかるでしょうが。 中の様子を伺ってるのが見てわかんないの……って、――男!?」
俺の存在が余程衝撃的だったのだろう。ようやく振り返った少女は俺を見て驚愕する。
良く手入れの行き届いた綺麗な黒髪は左右とも結んでおり、女子ばかりのIS学園でもかなり小柄な分類に入る少女は鋭角的な瞳から中国人と判断できる。
そしてその瞳は、今は訝しげな色を俺に向けていた。
「……あんた、誰よ?」
「俺は此処のクラスの生徒だが……お前こそ誰だ?」
『ゾディアック』の件もあって、俺が少女に対して多少の警戒心を抱いている事はわかった。反射的に『ダークミスト』待機モードの指輪に意識が向く。
しかし、そんな俺の質問に少女が答える事は無い。なにやら顎に手を当てると一人で考え事を始めだした。
「……一組にもう一人男子生徒が?……そういえば、テレビでアメリカがどうのって……」
どうやら少なからずは俺の事を知っているらしい。逆に、ほとんど情報が秘匿されていた為にその程度しか知らないとも言える。
「もう一度だけ聞く。……そこで何をしていた」
今度は多少の敵意を込めて問い掛ける。相手もそれを肌で感じ取ったのか、少々怖気付きながらも返答した。
「だ、だからっ……中の様子を伺っていただけだって、――――っ!そうだ、すっかり忘れてたわ!」
そう言うと、少女は思い出した様に再び扉に張り付く。
「……おい」
「しっ! 静かにして!」
そうして頃合いを見計らうと、扉を開けて言い放った。
「――その情報、古いよ」
突然の乱入者の登場に唖然とするクラスメイト達。少女は気にしないとばかりに得意げに続ける。
「二組も専用機持ちがクラス代表になったの。そう簡単には優勝できないから」
腕を組みながら片足立ちでドアにもたれ掛かる。
さすがにこれだけ注目が集まった中で問いただす事はできないと判断すると、少女の横を通り過ぎて席に向かう。
「……ユーリさん、おはようございます。……今日は随分と遅い登校でしたわね?」
席に着くなり、セシリアが少々棘のある言い方で話し掛けてきた。
多少疑問に思いながらも、思い当たる節が無いので正直に答える。
「色々と調べものがあってな。 ところであの子は誰だ?」
そう言って入口に居る少女に視線を向ける。
なにやら一夏と話しているようだが、――――知り合いなのだろうか?
「……気になるのですか?」
「まぁ、多少はな」
大方、先ほどの発言からして二組の生徒という事は予想できる。
しかし、そんな俺の答えが気に食わなかったのか、セシリアは一瞬驚いたように目を見開いた後、――――睨んできた。
「!?……ええ、そうでしょうね。 なにせっ!ご一緒に登校なされるぐらいなのですから!」
そう言ってそっぽを向くセシリア。如何にも不機嫌ですと言わんばかりに頬を膨らませている。
「……何を怒っているのかは知らないが、一緒に登校なんかしていないんだが……」
「えっ? で、ですが、先ほどあの方と一緒に居られたではありませんか!」
「……それがどうして一緒に登校してきたと言う根拠に繋がるのかはわからないが、あの子とは扉の前で偶然出会っただけだ」
「……」
俺の証言に、自分が勝手に勘違いをしていたのだと気付くセシリア。途端に顔が真っ赤に染まる。
「セシリアってホント、ユーリ君の事になると周りが見えなくなるよね~」
「ほんとほんと。 ユーリ君に対して独占欲全開って感じだよね」
「見ている分には微笑ましいんだけど、ライバルとしては見過ごせないな~」
「うんうん」
「……ごめんなさい……」
最後にセシリアに謝られた。
と言っても、特に気にしている訳でも無いので謝る必要性も無いんだが……。
「謝るほどの事でも無いさ。それで、あの子は誰なんだ?」
少々可哀そうに見えてきたので話題を切り換える。
セシリア自身も気を取り直したのか、一つ咳払いをすると質問に答えた。
「コホンッ! ……話によれば二組の転校生との事ですわ。なんでも、中国の代表候補生だとか」
中国の代表候補生。
一般受験よりも厳しいと言われる編入試験を通過した事を考えれば、相応の実力と言えるだろう。
視線を戻せば、織斑先生に怖気づいている中国代表候補生の姿が見える。
「またあとで来るからね! 逃げないでよ、一夏!」
そう言い残して教室を後にする中国の代表候補生。
当の一夏自身も、当然の再会に困惑気味の様子だ。
「それでは、朝のSHRを始める」
織斑先生の号令で始まる授業。
(『ゾディアック』との関連性は限りなくゼロに近い……。警戒対象から外しても問題は無いな……)
取り敢えずはあの少女が脅威では無いと判断すると、俺は授業に意識を向けた。
「ユーリ、学食に飯食いに行こうぜ」
昼休み。
いつも通り、一夏が俺を昼食に誘う為に席まで来る。
「ああ、構わないぜ」
そう言って食堂に向かおうと椅子から腰を上げると、タイミングを見計らったように篠ノ之とセシリアも席から立ち上がってこちらに近づいてくる。
「さて、今日は"学食"で何を食べようか」
「わたくし、いつも通り"学食"でランチにいたしますわ」
学食の部分をやけに強調して言う二人。遠回しに俺達の昼食について行くと言っているのがありありとわかった。
そして、その事に気付いていない一夏は多少疑問に思いながらも二人を誘う。
「なんだ、二人とも学食で食うのか? なんなら一緒に来るか?」
そう言った一夏に二人は満足そうに頷く。
「ふむ。 ならそうさせてもらおう」
「そうですわね。皆さんで一緒に食事をした方がおいしいでしょうし」
二人が付いてくると、他のクラスメイト達もそれに便乗するように加わってくる。結局、学食に着く頃には結構な人数になっているのが、最近の昼食状況だった。
学食に着いた俺達は券売機でそれぞれのメニューを選ぶ。今日の昼食はビーフストロガノフのパスタ。ロシア料理はあまり食した事が無かったので少々興味が湧いてくる。
「待ってたわよ、一夏!」
そうして食堂に向かった俺達を待ち構えていたのは噂の転校生、鳳鈴音。
トレードマークのツインテールが非常に目立つが、食堂前で仁王立ちされては周囲にとって邪魔でしかない。
「まあ、とりあえずそこをどいてくれ。食券出せないし、なにより通行の邪魔だぞ」
「う、うるさいわね。わかってるわよ」
そして一夏を待っていた為か、その手に持つラーメンからはのびてしまっている感じが否めない。
「のびるぞ」
「わ、わかってるわよ! 大体、アンタを待ってたんでしょうが! なんで早く来ないのよ!」
鳳の理不尽な物言いに、一夏は呆れ半分と同時にどこか懐かしそうな表情だ。よほど鳳との再会が嬉しかったに違いない。
「それにしても久しぶりだな。ちょうど丸一年ぶりになるのか元気にしてたか?」
「げ、元気にしてたわよ。アンタこそ、たまには怪我病気しなさいよ」
「どういう希望だよ、そりゃ……」
俺はそんな二人の他愛のない会話を聞き流しながら料理を待つ。後ろの篠ノ之が二人を睨んでいるが俺にはまったく関係の無い事だ。
それから待つこと一分。ビーフストロガノフのパスタが出来上がる。トマトペーストとデミグラスソースで煮込んだソースの香りが食欲をそそる。
「鈴、いつ帰ってきたんだ? おばさん元気か? いつ代表候補生になったんだ?」
「質問ばっかしないでよ。アンタこそ、なにIS使ってるのよ。ニュースで見たときびっくりしたじゃない」
久しぶりの再会にお互い質問を投げかけ合う二人。俺は無言でパスタを口に運ぶが、篠ノ之は違った。
よほど二人の関係が気になるのか、テーブルに置かれたきつねうどんには一切手を付けていない。……冷めるぞ?
「一夏、そろそろどういった関係か説明してほしいのだが」
「それについてはわたくしも気になりますわ。お二方はとても仲睦まじく見えますし、お付き合いなさっているのですか?」
そうして我慢の限界に達した篠ノ之と、興味本位といった感じのセシリアが二人の会話に入り込む。周囲のクラスメイト達も興味津々といった様子で二人に視線を向ける。
「べ、べべ、べつに私は付き合ってる訳じゃ……」
「そうだぞ。なんでそんな話になるんだ。ただの幼なじみだよ」
「…………」
「ん? どうかしたか?」
「なんでもないわよっ!」
いきなり怒り出してそっぽを向く鳳。対する一夏は訳が分からないといった様子で首を傾げる。
「幼なじみ……」
しかし、今の会話で篠ノ之が反応したのはそこでは無かった。
「あー、えっとだな。箒が引っ越していったのが小四の終わりだっただろ?鈴が転校してきたのは小五の頭だよ。で、中二の終わりに国に帰ったから、会うのは一年ちょっとぶりだな」
そう言って鳳の紹介を終えると、続いて篠ノ之の紹介に移る。
「で、こっちが箒。ほら、前に話しただろ? 小学校からの幼なじみで、俺の通ってた剣道場の娘」
「ふうん、そうなんだ」
興味なさげに返事をする鳳は篠ノ之に視線を向ける。
「初めまして、これからよろしくね」
「ああ。 こちらこそ」
あまり恋愛事に関心が無い俺でも、この二人が一夏を巡ってライバル関係にある事はわかった。しかし、当の一夏と言えば二人の顔を交互に見て、首を傾げるのみ。
……もしかして、コイツ……気付いてないのか?
「中国代表候補生の鳳鈴音さん、でしたね? 初めまして。わたくし、イギリス代表候補生のセシリア・オルコットと申します」
そう言って握手を求めるセシリア。
そのしとやかで上品な佇まいからは、入学式の時のような高圧的なものは感じない。
「ええ、知ってるわ。噂はかねがね伺ってるから」
「そうですか! ……まったく、わたくしほどになりますと色々と噂が立ってしまって困りますわ」
鳳の言葉にセシリアは上機嫌な表情を浮かべる。大方、良い噂でも立っていると思っているのだろう。
「そうね。――――なんでも、初心者の一夏に負けそうになったって聞いてるけど?」
ピキッ
鳳の一言でセシリアの表情にヒビが入る。
次の瞬間には、机を叩いて立ち上がる怒り心頭なセシリアと腕を組んで自身満々に立ち上がる鳳が、俺と一夏を挟んで討論を始める。
「なっ!? それは、試合の途中で一次移行があったからで……それさえ無ければ圧勝でしたわ!」
「ふぅん。 でも、そういった不測の事態にも柔軟に対応できてこそ代表候補生の器ってもんじゃないの?」
興奮するセシリアをさらに煽る鳳。こうなってはどうしようも無いと悟り、俺と一夏は無言で食事を口に運ぶ。
「い、言っておきますけど。わたくし、あなたにだけは絶対っ!負けませんわ!」
「そう。でも戦ったら私が勝つよ。悪いけど強いもん」
自信有りげに語る鳳。よほど実力に自信があるのだろう。少々、戦ってみたくなる。
「い、言ってくれますわね……」
拳を震えさせながらそう言い返すセシリアに興味が無くなったのか、今度は俺に視線を向けてくる。
「ところで一夏。 ソイツは誰なのよ?」
そう言ってラーメンの箸で俺を指す鳳。行儀が良いとは言えないが、目くじらを立てる程でもないだろう。
「誰って……ユーリの事か?」
「そう、ソイツ。 IS学園に居るってことは、一応はIS操縦者なんでしょ? まぁ一夏がクラス代表になるくらいだから、よっぽど弱いんでしょうけど。……どう?私が少しの間、アンタ達二人の訓練に付き合ってあげても良いわよ?」
………………カチャ、カチャ。
その言葉に食堂全体が静まり返る。唯一、俺がフォークでパスタを絡めとる音だけが食堂に響く。……うん、美味い。
「……なぁ、鈴」
「な、何よ……」
さすがにこの異様な静まり様に押されたのか、少々動揺しながら一夏の呼びかけに応じる鳳。
「今の言葉、撤回した方がいいと思うぞ」
「は? どう言う意味よ?」
本心から言っているのだろう。訳が分からないといった様子の鳳に、興奮が治まったセシリアが得意げに言う。
「鳳鈴音さん。 あなたはご存じないでしょうけど、彼はあなたよりも遥かに格上の方でしてよ」
「? 何言ってんの、アンタ? アメリカの男性操縦者如きが、中国代表候補生の私よりも格上な訳が無いじゃない」
「アメリカの男性操縦者如き、ね。 アメリカの代表候補生で、尚且つ、あのレイレナード社専属の操縦者とお聞きしてもですか?」
まるで自分の事の様に誇らしげに語るセシリア。ついこの間までは、今の鳳のような事をセシリア自身が言っていたように思うが……凄い変わり様である。
「…………はぁ!?」
「そういう事なんだよ鈴。 ついでに言えば、VISって言う最新鋭の専用機持ちでIS学園創設以来、初の推薦入学者。ちなみに俺はもちろんの事、代表候補生のセシリアも圧倒するほどの操縦技術も持ってるぞ」
「……じょ、冗談なんでしょ……?」
それ、なんてチートよ……と最後に付け加えた鳳は周囲の女子の反応を伺う。
「言っておくが、IS学園の生徒なら誰でも知ってる事だ」
うどんを箸で掴みながら、そう言って締めくくる篠ノ之。周囲の女子もうんうんと頷く。
「…………」
そうしてゆっくりとこちらに顔を向ける鳳。その表情からは畏怖の念すら感じられる。
……一体、俺にどうしろと……。
「その……なんだ。 俺についての紹介は今ので充分だよな?」
そう言って、手を差し出す。
「ユーリ・オブライエンだ。よろしく」
差し出した手をまじまじと見た後、諦めた様に握手を交わす鳳。
「……ええ。 こちらこそ、よろしく……」
あまりに規格外な俺の存在に、代表候補生としての自尊心が傷ついたのだろう。
「……それじゃあ一夏。 また後でそっちに行くから、ちゃんと予定空けといてね……」
そう言って食堂を後にする鳳の背中からは若干、悲壮感が漂っていた。
IS学園の一室。1026号室で俺は一人、読書にふけていた。
「……なるほどな」
そう言って閉じられる本。題名は『ファウスト 第一部』。
ドイツの文人ゲーテによって描かれた戯曲で、悪魔メフィストとの間で交わした契約によって人生を翻弄される一人の博士を描いたものだった。
「まぁ、人生なんて物はそう上手くはいかないよな……」
多少の感慨に浸りながら本棚に収める。
ふと外の景色を眺めると、日はいつの間にか沈んでいたようで夜景に街明かりが幻想的に映る。……どうやらかなり読みふけていたらしい。
(……カフェにコーヒーでも飲みに行くか)
そう考えると、椅子から腰を上げる。
食堂に隣接して存在する学園のカフェ。この時間帯は比較的空いている為、そこでアイスコーヒーを飲むのが最近の日課となっていた。
ハンガーに掛けた制服の上着を手に取ると木製の扉を開いて外に出る。――――と、そこで誰かとぶつかってしまう。
「きゃっ!」
ぶつかった衝撃で後ろに倒れそうになる少女。咄嗟に気付くと、腕を掴んで少女の体を支える。
「っと、すまない。 怪我は無いか?」
少女の無事を確認する為に視線を向けると、特徴的なツインテールが視界に入った。
「あ、アンタは……」
聞き覚えのある声。視線を更に下げれば、案の定驚いた表情の鳳鈴音が居た。
しかし、次の瞬間には廊下に座り込んでしまう。
「お、おい! 大丈夫か?しっかりしろ!」
これにはさすがに焦った。
咄嗟に体を支えた為、怪我はしていないはずなのだが。一向に返事は返ってこない。
「……グスッ」
だが、代わりに鼻を啜る音と共に廊下に滴が落ちる。……恐らく、涙だ。
これと言って外傷が見当たらない事から、精神面からくるものだろう。隣の部屋が一夏・篠ノ之の部屋という事からも、何等かのトラブルがあったと容易に想像がつく。
そして、さすがに泣いている女子を放ったままにしておくのも俺としては寝覚めが悪い。他人の面倒事に巻き込まれるのは本意では無いが諦めるしかないだろう。
「……はぁ。……これからカフェに行くんだが、一緒に来るか?」
俺の提案に鳳は無言のまま。大方、放っておいて欲しいのだろうが、さすがにそういう訳にもいかない。
こういった場合は無理やりにでも連れて行くべきだ――――そう判断すると、俺は鳳の手を掴む。
「……放しなさいよ」
「それは出来ない相談だ。 俺としても泣いたままの女子を放っておいたら沽券に関わる」
そう言うとカフェまで無理やり引っ張っていく。
鳳は掴まれた手を外そうとしているが、たかが女子の腕力でどうにかなるものでもない。
「っ!なんて馬鹿力なのっ!?」
鳳はビクともしない腕にそう言い漏らす。
代表候補生という事もあり、一般人よりも身体能力に自信の有る自分が指一本すら外せない。その事実に瞼を大きく開いて驚愕する。
「カフェに着くまでは放す気は無いからな。 どうだ?諦めてついてくる気になったか?」
そう言ってやると、最初は抵抗していた鳳もいくらやっても無駄だと悟ったのだろう。おとなしく後についてくる。
そうして、食堂横のカフェに到着すると掴んだ手を放した。
「何か奢ってやるよ。 何が良い?」
「……なんでもいいわ」
そうぶっきらぼうに言い捨てると空いている席に歩いて行く。
俺はやれやれといった感じに首を振ると、カフェのカウンターに向かって歩き出す。
「あら、ユーリ君じゃない。今日もアイスコーヒー?」
そう言って話しかけてきたのは、最近カフェに通っている為に顔見知りとなった従業員の女性。この時間帯に俺が来るのを見越してか、すでにアイスコーヒーを準備して待っていた。
「ええ、アイスコーヒーと……それから、アイスココアを一つずつ」
「な~に? まさか今日は女の子連れなの?ユーリ君もやるわね~」
いつもと違う俺の注文に、何を勘違いをしたのか肘で突いてくる。
俺はカウンターテーブルにもたれ掛りながらその言葉を否定する。
「そんなんじゃありませんよ。只、厄介事に巻き込まれただけです」
天井の照明をぼんやりと見つめながら溜息交じりに言うと、女性はクスッと笑ってアイスココアを準備する。
「せっかくモテモテなのに、そんな事言ってると皆から愛想尽かされちゃうわよ?」
「からかわないでください。それに、俺に関わっても良い事なんかありませんよ」
そう言うと周囲で談笑を楽しむ学生達の笑顔が俺の視界に映る。
まるで平和を具現化した様な光景が俺の目には唯々眩しく映ると同時に、俺がこの場には相応しくない存在だと思い知らされる。
「……本当に幸せを望むなら、俺みたいな奴は選ぶべきじゃない」
「あまり自分を卑下するべきじゃないわ。あなたはあなたが思ってる以上に周囲から慕われているわ」
俺の言葉に怒っているのか、女性の声からは若干の怒気が感じられる。
俺は他人の為に怒れる心優しい女性の顔を直視することができず、顔をそらしてしまう。
「……そう、ですかね」
「ええ、私が保障するわ。私もユーリ君を信頼している一人だしね」
そう言って笑顔と共にアイスコーヒーとアイスココアを手渡してくる。
「すみません。くだらない事を言ってしまって……」
柄にもない事を言ってしまった自分に後悔しつつ、ポケットから財布を取り出そうとすると、やんわりとその手を止められた。
「気にしなくていいのよ? 年下の相談に乗るのも人生の先輩としての義務だし、それにユーリ君の口からは滅多に聞けそうにない話を聞けて得した気分だもん」
そうして俺の手にアイスコーヒーとアイスココアを持たせると俺の背中を優しく押す。
「女の子を待たせてるんでしょ? お代はいいから早く行ってあげなさい」
女性は笑顔のまま、鳳が座る席に視線を向ける。どうやら鳳が俺の連れであることを最初から知っていたようだ。
俺は女性の好意を無碍にする訳にもいかず、一度会釈をすると鳳が待つ席へと向かった。
「これでも飲んで落ち着くと良い」
席に着くと持っていたアイスココアを鳳の前に置く。頬杖をつきながら外を眺めていた鳳は横目でそれを確認するとアイスココアにささったストローに口を付ける。
俺もそれを確認すると乾いた喉を潤す為にコーヒーの入ったグラスを傾ける。
「どうだ? 落ち着いたか?」
「……少しは」
「そうか」
それからはお互いに会話も無く、俺はアイスコーヒーを飲みながら外の夜景を眺め、鳳はグラスの中のココアを只じっと見つめる。
そうして五分ほど経った頃だろうか、突如鳳が話しかけてきた。
「……なにも……聞かないのね」
「別に。 言いたくない事なら言わなくていい。俺も無理に聞こうなんて思わない」
「……」
俺の言葉に黙って俯いてしまう鳳。その光景と同時に俺は先ほどの女性の言葉を思い出す。
――気にしなくていいのよ? 年下の相談に乗るのも人生の先輩としての義務だし――
(存外、俺もお人好しだな……)
そう自分に思いながら溜息を一つ吐くと夜景を見つめながら口を動かす。
「……自分を信じよう。そうすればどう生きるかがわかる」
「……え?」
いきなり喋り出した俺に、鳳は俯いていた顔を上げる。
「ドイツの文人、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテの言葉だ。 まぁ、意味としては自分の気持ちに従って進めば、おのずと答えは見えてくるって事だ」
茫然とこちらを見つめる鳳。俺も夜景から鳳に視線を移すと話を続ける。
「さっきも言ったように、言いたくない事なら言わなくていい。 だがな……何時までも落ち込んでいたって何も解決はしない」
「……」
「だからこそ、自分の正直な気持ちに従って、やりたい事をすればいいんじゃないか?」
自分でも柄にもない事を言っている自覚はある。だがコイツから話を聞けない以上、この程度の助言しか俺にはできない。
かなり安易な助言だったが――――どうやら鳳には結構効いたらしい。
「……そう、よね」
そう言うと徐々に鳳の表情に生気が戻ってくる。
「アンタの言うとおりだわ。 いちまでもうじうじしてても仕方ないし――――なにより、あたしらしくないわ!」
バンッ!
机を叩いて立ち上がると、ここがカフェである事を忘れたのか大声で宣言する。
「クラス対抗戦! そこで一夏の奴をボコボコにしてやる!」
そう言って、グラスを掴むと中のココアを一気に飲み干す鳳。
「ぷはぁ!ごちそうさま!」
周囲から集まる視線を気にする事無く、口の周りに付いたココアを制服の袖で拭き取る。……おいおい。
「ありがとね!これで心置きなくアイツを叩き潰せるわ!」
「あ、あぁ。それはなによりだ……」
この気迫に押された俺は、そんな返事と共にカフェを出る鳳を見送る。
その後に残ったのはテーブルの上に置かれたグラスと一気飲みした為に周囲に飛び散ったココア、そして周りから向けられる奇異の視線。
居心地の悪さに額を押さえていると、先ほどの女性が笑顔でこちらに近づいてくる。
「ふふっ、随分元気な子だったわね? ああいうのがユーリ君の好みのタイプ?」
そう言いながら、飛び散ったココアを布きんで奇麗に拭き取っていく。俺も慌ててポケットティシュを取り出すと彼女を手伝う。
さっきの事といい、この人には迷惑を掛けてばかりな気がする。
「……本当にすみません」
「あら?否定はしないの?」
この人のことだ。絶対わかっていながら聞いている。
「そんな訳ないじゃないですか……」
疲れた様子で返事を返す俺に、またしても彼女は微笑んだ。
そうして翌日、廊下に張り出され『クラス対抗戦日程表』。
一夏の初戦の相手は――――鳳鈴音だった。
……随分、時間が掛ったな。
次回はクラス対抗戦。主人公の隠された正体の一端が……見れるかもしれません。