デート・ア・ライブ 士道デイリーライフ 作:サイエンティスト
本当はチェンジにしたかったのですが、大人の事情により変更しました。
記念すべき(個人的に)デート・ア・ライブの一作目は、前編後編の二部構成となっています。一本にまとめることも可能でしたが、長々と駄文を見せられるのもどうかと思い、そのままにしておきました。
『――さんっ……士道さん!』
「起きてよー士道くーん! 四糸乃とよしのん一大事だよー!」
乱暴に体を揺すられ、士道は眠りから引きずり起こされた。一瞬琴里の仕業かと思ったが、どうやら違うようだ。琴里ならパンチやらドロップキックやらで起こしにくる筈である。少なくとも揺するだけという優しいことはしてこない。それに士道を起こした何者かは、ご丁寧に自分達の名前を言っている。
「ふわあぁ……どうしたんだ、二人とも?」
眠気に欠伸を漏らしながら体を起こし、ベッドの隣を見る。そこにいたのはやはり、ウサギのパペットである『よしのん』と、それを左手に着けている四糸乃だった。
予想していた光景だが、何故か士道は言いようのない違和感を覚えた。
『そ、それが……その……』
「ん、どうしたよしのん? 何かいつもと違うな」
何か言いた気にもじもじする『よしのん』。普段ならやたらに高いテンションで答える筈だが、今の『よしのん』の様子はまるで四糸乃のようだった。
『えっと……私、よしのんじゃなくて……四糸乃、です』
「……えっ?」
『よしのん』の口から出てきた言葉(実際には腹話術だが)を、士道は上手く理解できなかった。
「よしのんはこっちだよ士道くーん!」
『よしのん』のような口調で、四糸乃が自身を指差しながら言う。
悪い冗談かと思えるが、自称『よしのん』の四糸乃の顔には、焦りと困惑の色が浮かんでいる。大体四糸乃ならこんな悪戯はしないだろう。ならばこれは一体何なのだろうか。
「……は?」
状況が全く理解できない士道は、再び呆けた声を上げるしかなかった。
「……簡単に言えば、四糸乃とよしのんの人格が入れ替わっている状態だね」
<ラタトスク>の解析官である令音は、相変わらず眠た気な顔で答えた。
朝のあのやりとりの後、士道は琴里と共に四糸乃を<フラクシナス>へ連れてきた。最初は琴里も冗談か何かだと思っていたようだが、信じられないほど明るくはきはきと喋る四糸乃――いや、よしのんの姿に、異常事態だと気付いたらしい。今は原因の究明と解決方法を探るため、別の場所でよしのんに様々な検査を受けさせている所だ。
「い、入れ替わっている?」
「ああ。つまり今は体の支配権がよしのんにあるんだ。恐らくパペットを外すと、四糸乃の人格が発現できなくなるだろう」
普段の四糸乃なら、パペットを外せば発現できなくなるのは『よしのん』の人格だ。その人格が今は入れ替わっているのだから、恐らくそうなる筈だ。確証がないのは試していないからだが、わざわざ確かめる必要はないだろう。
「一体何でそんなことに……」
「だからそれを今調べようとしてるんでしょうが。このオオアリクワレ」
士道が困惑して頭をかいていると、琴里が医務室に入ってきた。当然ながらその髪を結っているのは黒いリボンだ。朝食前だというのに好物のチャッパチャプスを口にしているが、もう言うだけ無駄だということは分かっている。
琴里はチュッパチャプスの棒の部分を持つと、口から出して飴玉の部分を突きつけてきた。
「士道、あなた今日は学校休みなさい」
「おいおい、いきなり何だよ?」
唐突かつ理不尽な命令に、流石に士道も呆れを覚えた。せめて先に理由を説明して欲しいものだ。
「こんなことになって四糸乃は不安がってるでしょうし、士道以外のだれがそれを和らげてあげるっていうのよ」
「そ、そうか……そうだよな」
琴里の言うことには一理ある。こんな状況になって不安にならない方がおかしいだろう。実際<フラクシナス>によしのんを連れてくる時、今はパペットを介して発現する人格である四糸乃――『四糸乃』の声は不安気に震えているように思えた。
「よしのんがいれば大丈夫だろうけど、万一四糸乃の精神状態が不安定になったら、精霊の力が逆流しちまうしな」
「ああ、そのことなんだが……」
士道の言葉に、令音は思い出したように口を開いた。
「二人の人格が入れ替わっていることを考えると、恐らく力が逆流するのは四糸乃ではなくよしのんの精神状態が不安定になった時だろう。まあ、だからと言って四糸乃をないがしろにしていい訳ではないがね」
「ふぅん、なるほど。よしのんなら四糸乃より精神状態は安定してるだろうし、意外と心配ないかもしれないわね」
「まあ、確かによしのんなら大丈夫そうだな」
思い出してみると<フラクシナス>に連れてくる時、よしのんからは不安が全く感じられなかった。士道の所へきた時は慌てていたようだが、その後はむしろ普段より上機嫌に見えたほどだ。
士道の言葉が意外だったのか、琴里は少々驚いたように目を見開いていた。
「随分と余裕じゃない。それなら<ラタトスク>のサポートが無くても問題ないかしら」
サポート無し。その言葉に一瞬不安を覚えた士道だが、良く考えれば確かに問題は無さそうだった。今回は精霊をデレさせようとしている訳ではない。ただ『四糸乃』とよしのんの傍にいて、安心させてあげればいいだけだ。それほど難しいことではない筈だ。
「ああ、たぶん大丈夫だろ」
お気に召す答えだったらしく、琴里は口の端に笑みを浮かべた。ただし司令官モードの琴里であるため、人を見下すような笑みだったが。
「なら一人で頑張ってみなさい、士道。元に戻す方法が分かったら、令音から連絡がいくから」
それだけ言うと、琴里は身を翻して医務室から出て行った。
よしのんと『四糸乃』、二人の不安を和らげ、安心させること。それが今日の士道の役割だった。しかし『四糸乃』はよしのんがいれば、余程のことが無い限りは大丈夫な筈だ。当のよしのんに至っては不安を感じているかどうかすら怪しい。
例え『四糸乃』が不安で堪らなくなろうと、安心させるのによしのんが協力してくれるだろう。<ラタトスク>のサポートが無くとも心配はない。
士道はそう楽観的に考えていた。
「じゃあ行ってくるね~お兄ちゃ~ん。他に誰もいないからって、よしのんに変なことしちゃ駄目だぞー」
玄関で靴を履きながら、白リボンの琴里がからかいを入れてくる。その顔もその声も、司令官モードの時とは違って可愛い妹のものだった。相変わらず二重人格なのではないかと疑いたくなるほど、強力なマインドセットだ。
「そんなことしねえよ……いってらっしゃい、琴里」
からかいをいなし、士道は登校する琴里を見送った。
時刻は既に八時近く。よしのんの検査が始まってから一時間以上経過しているが、訪ねてこない所を見ると、まだ検査は終わっていないようだ。よしのんは朝食をとっていない筈なので、きっと今頃お腹を空かせているだろう。
よしのんの朝食を用意しようと、士道はリビングを抜けてキッチンへ向かった。一応朝食の残りはあるが、どうせなら作りたてのものを食べさせたい。
「シードーー!」
士道がキッチンに入ると、突然聞き覚えのある声が玄関の方から聞こえてきた。何事かと思いリビングに戻った途端、廊下への扉が吹き飛びそうな勢いで開けられる。
そこに立っていたのはやはり十香だった。士道は切羽詰ったようなその表情に何事かと尋ねようとしたが、口を開く隙は与えられなかった。一瞬で駆け寄ってきた十香に、がっしりと両肩を掴まれる。
「どうしたのだシドー! 具合が悪いのか!? 病気なのか!? 何か私にできることはないか!?」
心配でたまらないといった表情で、十香は顔を覗き込んでくる。
「お、落ち着け十香! 俺は元気だって!」
恐らく十香は家の前で士道を待っていて、出てきた琴里に士道は休むという話を聞いたのだろう。ただこの反応から察すると、どうも話を最後まで聞かずにきたようだ。
心配してくれるのは嬉しいが、精神状態に影響しそうなほどだとこちらが心配になってしまう。
「ほ、本当か?」
「ああ、本当だ」
「本当の本当か?」
「本当の本当だ」
強く頷いて見せると、十香はようやく両肩から手を離した。
「そうか、よかった……士道に何かあったらどうしようかと思ったぞ」
安心したようにため息をつき、見る者の心を癒す可愛らしい笑顔を浮かべる。しかし数秒後には、その笑顔は何かに気付いたような顔へと変わった。
「む? 待て、シドー。ならば何故学校を休むのだ?」
「ああ、実は<フラクシナス>でやることがあってさ。ちょっと行ってこなきゃならないんだよ」
士道は十香の問いに、あらかじめ考えておいた嘘をついた。本当は正直に言ってしまいたいのだが、それは琴里に止められている。四糸乃のことを話して他の精霊を心配させてしまうより、秘密裏に問題を解決して無かったことにしようと考えているらしい。確かにそれが可能なら話す必要は無くなる上、心配させることも無い。
「私も一緒に行っては駄目か?」
どこか寂し気な表情で、十香はじっと見つめてきた。拾ってくれと訴える子犬のような目に、士道の心に鋭い痛みが走る。特に悪いことはしていない筈なのだが、軽い罪悪感を抱いてしまう。
「悪い……できれば一人できてくれって言われててさ」
それでもこれは十香のため。十香に余計な心配をかけさせないため。自分に言い聞かせつつ、士道は再び嘘をついた。
「そうか……ならば仕方ないな……」
「げ、元気出せって十香!」
予想通り、十香は目に見えて落ち込んだ。十香のためとは言いつつ、どうも嘘が裏目に出てしまっている気がしてならなかった。
このままではまずい。何とか元気付けなくては。
「そ、そうだ! 今日一日学校でいい子にできたら、何でも一つだけ言うこと聞いてやるぞ?」
小学生のご褒美レベルだが、暗く沈んでいた十香の表情は、その言葉を聞いた途端に眩しいほど明るくなった。
「ほ、本当か? どんなことでもいいのだな?」
「ああ。ただし、折紙とケンカするのも駄目だぞ?」
こんな約束をするのは少々不安だが、背に腹は替えられない。これが折紙なら士道の想像もつかない要求をしてくるに違いないが、十香ならその心配は無いだろう。
「むうっ……それは難しいが、何とか頑張ってみるぞ。だからシドー! 約束だ!」
「おう、約束だ」
士道が頷くと、十香は心底嬉しそうな笑みを浮かべた。
話も一段落したので、そろそろ学校へ行かせるべきだろう。士道はテーブルに置いておいた弁当を十香に手渡した。
「ほら十香。今日の弁当だ」
「おお! シドー、今日は何が入っているのだ?」
「それは食べる時のお楽しみだ」
「むぅ、とても気になるぞ……」
十香は穴が開きそうなほど手の中の弁当を凝視していたが、やがて割れ物を扱うような手つきでバッグにしまった。
「ではシドー! 私は学校へ行っていい子にしてくるぞ!」
「ああ、頑張れよ。いってらっしゃい、十香」
既にリビングから出て廊下にいる十香に、士道は軽く手を振った。
「うむ! いってきますだ、シドー!」
元気に答えると、十香は廊下を駆けて行った。靴を履いたのかと疑いたくなるほど早く玄関の扉が開けられ、足音が遠ざかっていく。扉の閉まる音が聞こえると、家の中には物足りなさを感じるほどの静けさが訪れた。
「さてと、よしのんの朝食を作らないと……な?」
キッチンへ向かおうと体の向きを変えた時、士道は視界に映った何かに気がついた。
リビングにあるソファー。これ自体は何もおかしな所は無いが、そこから目だけを覗かせてこちらを見つめる人物がいた。その隣には同じようにこちらを見つめる、ウサギのパペットの姿もある。
「……何してんだ、四糸乃――じゃない。よし、のん?」
分かっていた筈なのだが、言い間違えてしまう。ひょっとするともう元に戻っているかもしれないという考えから、よしのんという言葉自体が疑問形になってしまった。
「おぉう、バレちゃったよ。さっすが士道くん、目ざといねぇ」
士道の問いに答えたのは、四糸乃の姿と声をしたよしのんだった。どうやらまだ元には戻っていないらしい。
よしのんはソファーから顔を出すと、四糸乃の声では違和感のありすぎる口調で続けた。
「やー、何か十香ちゃんといい雰囲気だったじゃない? 邪魔しちゃ悪いかなーって思って、隠れてたんだよねー」
その表情も、四糸乃がするとは思えないニヤニヤ笑い。
士道の心のオアシスのイメージが、音を立てて崩れそうな光景だった。
「ま、まあ、それは置いといて。ここにいるってことは、もう検査は終わったのか?」
『は、はい……今は結果を調べたり、原因を探ったりしてるみたいです……』
今度は『よしのん』の姿と声をした『四糸乃』が、遠慮がちに答えた。こちらは高い声と口調のギャップが凄まじく、非常にむずがゆい。
「そんなことよりこれ見てよ士道くーん!」
よしのんは大事な話をそんなこと呼ばわりして、ソファーの横に躍り出る。
そこで初めて、士道はよしのんの服装に気がついた。今までソファーの向こう側にいたため見えなかったが、その装いは普段とはまるで違った。普段四糸乃は白を基調とした明るい色の服を着ていることが多いが、今その身に纏っているのはまるで正反対のものだ。ほとんど黒を主体として、紫などの暗めの色を申し訳程度に使ったワンピース。おまけに袖無しな上スカートも相当短く、膝上十センチあるかどうかも怪しい。そのため今四糸乃の白い肌はかなり露出している。
普段見ることのできない露出の多いその姿は、士道を魔の道に引きずり込みそうなほどの危ない魅力に満ち溢れていた。端的に言えば少々エロかった。
「ねえねえどう思う? 似合ってる? 似合ってるっしょ?」
その場でくるりと一回転し、よしのんは期待に輝く眼差しを向けてくる。
「え、あ、えっと……」
士道は言葉に詰まった。
似合わないという訳ではない。むしろ目が釘付けにされそうなほど似合っている。ただ先ほどスカートの裾が翻り下着が見えそうになっていたため、士道は胸の高鳴りを抑えるのに忙しかった。
「おんやぁ~、どったの士道くーん? ひょっとして黒で決めた大人な四糸乃の姿に、湧き上がる劣情を抑えきれないのかなー?」
士道の反応をどう取ったのか、少々品の無いことを口にするよしのん。その言葉は四糸乃の声で紡がれたため、士道は一瞬耳を疑った。四糸乃の声でそういったことを口にするのだけは勘弁して欲しい。
「ち、違うぞ! その、何ていうか……すごく似合ってるぞ」
何の捻りも無い褒め言葉だったが、それは紛れも無い真実だった。実際目を奪われるほど似合っている。
よしのんはそんな稚拙な言葉でも満足してくれたらしく、満面の笑みを浮かべて喜んでいた。
「イェーイ! やったね四糸乃! 言った通りでしょー!」
『………………っ!』
これは意外とありかもしれない。純真にはしゃぐよしのんと、恥ずかしさからか顔を隠している『四糸乃』を見て、不謹慎ながら士道はそう思った。元気いっぱいで明るい四糸乃の姿は新鮮であるし、気弱で引っ込み思案な『よしのん』の姿は中々に可愛らしい。
見た所よしのんはともかく、『四糸乃』もさほど不安そうには見えなかった。やはりよしのんがいるからなのだろうか。この調子なら、思っていたよりも楽しい一日になるかもしれない。
そんな予感に浸っていると、どこからか控えめな空腹の知らせが聞こえてきた。
『……っ! …………っ!!』
士道は既に朝食を食べ終えているので、当然ながらそれはよしのんのお腹から聞こえたものだ。しかし『四糸乃』からすれば自分のお腹がなっていることになる。見た目は先ほどと同じく顔を隠しているだけだが、内心では顔から火が出そうなほど恥ずかしがっているに違いない。
「やー、そういえば何にも食べてなかったんだよねー。士道くーん、何か食べるものが欲しいよー」
『四糸乃』とは対照的に、全く恥ずかしげのないよしのん。やはり性格が反対と言うか、妙な豪胆さが感じられる。
「分かった。朝食の残りならすぐ出せるけど、待てるって言うなら新しく何か作るぞ?」
『の、残りで、いいです……あんまり士道さんの手を、わずらわせたくないですから……』
ああ、何ていい子。流石俺の心のオアシス。
自分が大変な状況だというのに、他者を気遣うその美しい心。姿は変わっても相変わらずな『四糸乃』の優しさに、士道は胸を打たれた。
「そうか。それじゃ、座って待っててくれ。すぐにできるからな」
「オッケーい! なるべく早くお願いねー!」
よしのんは親指を立てて爽やかな笑顔で答えると、椅子に座って『四糸乃』と話し始めた。その光景は二人の人格が入れ替わっていることを除けば、普段と何ら変わらない。別に士道がいなくとも大丈夫なのではないかと思えるほど、いつも通りの光景だった。
二人の微笑ましいやり取りに穏やかな気持ちを感じながら、士道はキッチンへ向かった。用意にはそれほど時間はかからない。味噌汁や目玉焼きは温め直せばいいだけであるし、サラダなどはそのまま出せばいいだけだ。
朝食をよしのんの前に並べるのには、五分とかからなかった。
「お待たせ、よしのん。できたぞー」
「イェーイ、待ってましたー! いっただきまーす!」
言うが早いか、よしのんはパクパクと食べ始めた。することも無いので向かいに座り、士道はその様子をじっと見る。おいしさからか笑みを浮かべるよしのんの姿は、どこか十香に似ていた。
「いやー、本当士道くんって料理上手だよねー。きっといいお嫁さんになれるよー」
「ほ、褒めてるんだよな、それ……」
女装のことを思い出してしまい、士道は複雑な気分だった。よしのんの言葉は受けを狙った純粋な褒め言葉で、他意は無いと信じたい。
不意によしのんは箸を止め、じっと士道を見つめてきた。その視線は自身の左手で茶碗を持ってくれている『四糸乃』にも注がれ、数回行ききした後にイタズラを思いついたような笑みを浮かべた。
「ねえねえ士道くん。悪いけどよしのん、士道くんに食べさせてもらいたいなー」
『よ、よしのん……! わがまま言っちゃ、駄目……!』
よしのんの言葉に驚いたのか、『四糸乃』は白米の入った茶碗を落としてしまった。幸い低い位置から落ちたため中身はこぼれることなく、茶碗も割れてはいない。
「いや、まあそれくらいなら……」
別にわがままというほどでも無いし、無理難題という訳でも無い。それに断ればよしのんの機嫌を損ねるかもしれないので、士道は大人しく箸を受け取った。
箸で目玉焼きを少し取り、それを白米の上に乗せたものをよしのんの口の前まで持っていく。
「ほら、よしのん。あーん」
「あー――んっ!」
ハエトリソウの如くパクリと口にすると、よしのんはこれ以上無いほどおいしそうに頬張っていた。
「ありがとねー、士道くーん。お礼によしのんも食べさせてあげるよー」
箸を返すと、よしのんは士道と同じように目玉焼きを乗せた白米を突き出してきた。その左手では、何故か『四糸乃』が落ち着かない様子であたふたしている。
「いや、俺はもう食べ――」
「食・べ・さ・せ・て・あ・げ・る・よ」
士道の言葉に被せるように、よしのんは一言一言を強調して繰り返す。表情は満面の笑みであったが、有無を言わせぬ強い圧力が感じられた。
「お、お願い、します……」
「はい士道くん、あーん!」
大人しく従い、士道は口を開ける。
よしのんの左手では相変わらず『四糸乃』があたふたとしているが、パペットの表情は読めないので理由は分からなかった。身振り手振りで何となく慌てていることが分かる程度だ。しかし士道の口に箸が入った時、今度は恥ずかしそうに顔を覆った。
「……さっきからどうしたんだ、四糸乃?」
『か、かんせ……い、いえ! 何でも、ないです……』
前半部分はよく聞こえなかったが、『四糸乃』が何でもないと言うのなら信じない訳にはいかない。少々気になるが、深く追求しない方がいいだろう。
もっとも、今はそれよりも気になることが目の前にあった。やたらにゆっくりとした動作で食べ物を口に運びながら、意味あり気な笑みを向けてくるよしのんだ。何というかその様子は刀を舐める狂人のようで、士道は寒気を抑えられなかった。
時刻は九時近く。
遅めの朝食を食べ終えたよしのんは、満足気な笑みでお腹をさすっていた。その左手の『四糸乃』はハンカチを使って、よしのんの口の周りを拭っている。きっと食べかすでもついていたのだろう。『四糸乃』からすれば自分の体なのだから、恥ずかしい姿は見せたくない筈だ。
「さぁーて、何しよっかー士道くーん」
「うーん、そうだな……一緒にテレビでも見るか。平日の朝だし、あんまり面白いのはやってないかもしれないけどな」
士道が答えると、よしのんは顎に手を当て何やら考え始めた。それがろくでもない考えだというのは、ニヤニヤと笑っている顔を見れば明らかだ。できれば四糸乃の顔でそんな表情をしないで欲しいのだが。
「オッケーい! 四糸乃もそれでいーい?」
先ほどまでとは真逆の清々しい笑みを浮かべるよしのんに、『四糸乃』はこくりと頷いた。
「ほーら、早く行こうよー」
「ちょっ、引っ張るなって、よしのん」
よしのんに手を握られ、士道は強引にソファーの所まで引っ張られていく。
当然と言えば当然だが、よしのんの手の感触は四糸乃と同じだった。思わずどきりとしてしまうほど滑らかで、暖かい小さな手。その持ち主であった『四糸乃』は、口元を押さえて恥ずかしがっているように見えた。
「よっと……」
テレビのリモコンを取り、士道は腰を下ろした。柔らかいソファーに体が沈み込んでいくのを感じながら、リモコンの電源ボタンを押そうと指を動かす。しかし途中で士道はその指を止めた。
『……っ!!』
「……あの、よしのんさん」
「はいはい、どったの士道くん」
「……何で俺の膝の上に座るんですか?」
そう。電源を入れようとしたその時、何故かよしのんは膝の上に座ってきたのだ。それも気付くのが一瞬遅れてしまうほど、ごく自然な動作で。
「んー、そこに士道くんが座ってたからかなー。四糸乃も座りたがってたしねー」
『よ、よしのん……!』
よしのんの言葉に、『四糸乃』は再び顔を隠す。
そこに山があるから登ると言う登山家のような、ある種哲学的な一つ目の理由は理解し難いが、二つ目の理由には納得できた。ここ一時間の間に四、五回は恥ずかしさで顔を隠している『四糸乃』が、自分からそんなことを口にしたりはしない筈だ。そのため代わりによしのんが行動に移したのだろう。とはいえ、今は四糸乃の体を動かしているのはよしのんなので、代わりという言葉が適切かどうかは分からなかった。
背負うと首筋を舐めてくるような誰かはともかく、四糸乃なら膝に座るくらいは構わない。しかし今回ばかりは事情が違った。
「と、とにかく、下りてくれないか?」
「何でー? 何か駄目な理由でもあるのー?」
顔だけこちらに向けながら、よしのんはさらに深く腰かけてくる。
「ちょっ!?」
分かっててやってるだろ、と士道は心の中で叫びを上げた。
今よしのんが着ている服は生地がかなり薄く、露出も多い。そんな状態で密着されれば、よしのんの体の柔らかさがはっきりと伝わってきてしまう。士道も健全な男子高校生なので、何も感じないでいるなど到底不可能だ。現に士道の<鏖殺公(サンダルフオン)>は霊力を高めつつあった。
「それとも四糸乃にくっつかれるのは嫌だったりするー?」
『……っ』
よしのんの言葉に、今まで顔を隠していた『四糸乃』がつぶらな瞳を覗かせた。無表情かつ無言の視線が士道に注がれる。
これは誘導尋問だ。返すべき言葉は分かっていたが、口にしてしまえば今の状況から逃れられなくなってしまう。だからこそ他の言葉を必死に探したが、何一つ見つかることは無かった。
「……そんなことないぞ。嫌なんかじゃねえよ」
半ば自棄になり、士道は答えた。
『ほ、本当……ですか?』
「ああ、本当だ」
頷いてみせると、『四糸乃』は僅かに口を開けた。恐らく笑みを浮かべたのだろう。
何にせよこれでよしのんを下ろす理由が無くなってしまった。無理やり下ろすことはできなくも無いが、それはあくまでも最終手段だ。嫌ではないと言った手前、実行すれば二人の精神状態に影響を与えるのは目に見えている。
「嫌じゃないなら下りなくてもいいよねー。さーて、何か丁度いいのはやってるかなー」
できるのは限界まで耐え忍ぶことだけなので、士道はリモコンをよしのんに渡して延々フィボナッチ数列を数えることにした。
よしのんはテレビの電源を入れ、番組を変えていく。
『ジャンジャジャーン! 今明かされる衝撃の真実ぅ~!』
『それは人の心を読み、暗示にかける者。思考と行動を、操作する者のことである』
『筋肉モリモリマッチョマンの変態だ』
『奇人? 変人? だから何?』
『抹殺せよ! 抹殺せよ! 抹殺せよ!』
『腕の骨が折れた……』
順調に数を数えていく士道。正直テレビは見ていなかった。
「おぉーう、これなんかいいんじゃなーい?」
やがてよしのんは気に入った番組を見つけたらしく、リモコンを置いた。そして何故か士道に寄りかかり、背中を預けてきた。膝に乗っている状態でそんなことをすれば、当然よしのんの頭は士道の顔近くへくる。
「……っ!」
漂ってくる仄かな甘い香りに、士道の心臓は鼓動を速める。恐らくは四糸乃が使っているシャンプーの香りなのだろう。それが分かったところで状況はよくならないが。
数学的思考を乱された士道は、何とか落ち着こうとテレビに目を向けた。番組によっては自分を抑えることができるかもしれないという、淡い期待を持って。
しかしそれは粉々に打ち砕かれた。今テレビに映されていたのは、どう控えめに見てもお楽しみの場面だった。もちろん公共の電波で放送できる程度のものだが、士道にとっては何の慰めにもならない。
ただでさえ危険な状況だというのに、この上濃厚なラブシーンを見せられるというのは、ある種の拷問に等しい仕打ちだった。
「よ、よしのん……番組、変えないか?」
「えぇー、どうしてー?」
そう返すよしのんの口調は、明らかに面白がっていた。何が目的でこんなことをしているのかは不明だが、楽しんでいるのは間違いない。
「い、いや、俺はもっとこう、面白いものが見たいなーって。よ、四糸乃もそう思うだろ?」
『は、はい!』
突然同意を求められたせいか、『四糸乃』は驚いたように体を震わせた。
流石に『四糸乃』も番組を変えて欲しいなら、よしのんも従ってくれるだろう。しばし悩んでいたが、案の定よしのんは頷いた。
「しょうがないなー、もー」
不機嫌そうに頬を膨らませ、よしのんは軽く睨んでくる。
割と危険な状態にあるにも関わらず、士道はその顔を可愛いと思ってしまった。
「じゃー、これでいっかー」
『二ページ目で、計算間違いをしていたよ。ひっどい凡ミスだ』
よしのんは番組を変えてくれたが、膝から下りる気もよりかかるのを止める気も無いらしい。
よしのんのソファーにされながら、士道は再び数列を数え始めた。自分の理性を抑え、【最後の剣(ハルヴァンヘレヴ)】を顕現させないために。
「……やっぱり作戦Bでいくしかないかなー」
よしのんの不穏な呟きは、修行僧の如く瞑想する士道の耳には届かなかった。
「はぁ……何だってんだよ、一体……」
あれから二時間後、士道はソファーに力無く沈んでいた。肉体的な疲労は無いが、精神的な疲労は相当なものだ。まあそれも悟りが開けそうなほど瞑想していれば当たり前のことだろう。
一体よしのんは何が目的なのだろうか。ただ単にふざけているにしては、少々度が過ぎる。もしも士道の理性が崩壊してしまえば、よしのんもただではすまないと分かっている筈だ。にも関わらず、それを促そうとしているようにしか思えない。
これが折紙ならいつものことだと納得してしまうが、相手はよしのんだ。折紙と違って無条件に納得はできない。一体、よしのんは何故――。
「士道さーん! 助けて下さーい!」
士道が頭を抱えていると、突然二階から助けを求める声が聞こえてきた。
「っ!? 今の、四糸乃か!?」
反射的に立ち上がり、上を見上げる。
今の叫びは声も口調も四糸乃のものだった。もしかすると二人は元に戻ったのかもしれない。しかしそれなら助けを求める必要は無い筈だ。まさか今度は何か別の問題が発生してしまったのだろうか。
いずれにせよ考えるのは後だ。今は一秒でも早く四糸乃の元へ行かなければ。
「士道さーん!」
「待ってろ、四糸乃! 今行くからな!」
士道は二階へと全速力で向かった。何故四糸乃が二階にいるのかは分からないが、今はそんなことはどうでもいい。四糸乃が助けを求めているのなら、くだらない疑問など二の次だ。
階段を一段抜かしで駆け上がり二階に着くが、四糸乃の姿はどこにも無い。その代わり士道の部屋の扉が僅かに開いているのが見えた。恐らく四糸乃はここにいる。
「大丈夫か四糸乃!?」
突き飛ばすように扉を開け、士道は四糸乃の姿を探す。しかし部屋の中にも四糸乃の姿は見当たらなかった。部屋の様子も、朝開けた筈のカーテンが閉じられている以外は特におかしな所もない。では四糸乃は一体どこに――。
「いらっしゃーい、士道くーん」
「――はっ!?」
そんな四糸乃の声が聞こえた瞬間、士道は両手を掴まれ後ろに回された。そして触れ合った両手首に冷たい感触が走ったかと思うと、手錠でもかけられたかのように動かせなくなった。
「な、何だぁ!?」
振り向いた士道が見たのは、満面の笑みを浮かべた四糸乃――いや、よしのんの姿だった。しかもスカートの裾をよく見ると、薄い光の膜に彩られている。ほんの僅かだが、霊力が逆流しているのだ。恐らく士道の両手を戒めているのは、よしのんによって作り出された氷の手錠だろう。
「とーうっ!」
「うわっ!?」
よしのんは扉を閉めると、何の前触れも無く飛びついてきた。押し倒される数瞬の間に、士道はようやく悟った。自分は騙され、罠に落ちたのだということに。
「さっすが士道くん。引っかかってくれると思ってたよー」
仰向けに倒された士道の胸の上で、よしのんは両手で頬杖をついて笑う。
その笑顔はとても可愛らしい筈なのだが、今の士道にはどう頑張ってもそうは思えなかった。むしろその笑顔の裏に隠された不穏な何かに、不安と恐怖を煽られる。
「な、何する気なんだ、よし、の……ん?」
恐る恐る尋ねる士道だが、途中で何かおかしいことに気がついた。
よしのんは両手で頬杖をついている。そう、両手で。右手と、本来パペットを着けている筈の左手で。
「お、おい、よしのん。パペット、どうしたんだ?」
「よしのんのプリティボディなら置いてきたよー。四糸乃に邪魔されちゃ困るしねー」
その答えに士道は、令音の仮説が正しかったことを知った。だが今問題なのはそこではなかった。パペットが無ければ『四糸乃』の人格は発現できない。そして今、よしのんの左手にパペットは無い。それはつまり、よしのんを止められる唯一の人物がいないということだ。
自分が逃れようの無い危機的状況に陥ったことを、士道はやっと理解した。湧き上がってくる異様な恐怖から、ごくりと唾を飲む。
「邪魔されちゃ困るって……一体、何しようとしてるんだ?」
「やー、最近士道くんのまわり女の子が増えてきてるじゃない。こんなチャンスもう二度と無いかもしれないし、今の内に四糸乃の立ち位置を固めとこうかなーって」
世間話でもしているかのような軽い調子で、笑いながら答えるよしのん。
凄まじく嫌な予感に、士道は体中に冷や汗をかきそうだった。
「つ、つまり……?」
「やーん。女の子にそんなこと言わせようとするなんて、士道くんたらイケナイ子なんだから~!」
過剰に恥ずかしがるふりをしながら、よしのんは鼻の頭を軽く指で弾いてくる。これが四糸乃本人なら、胸が痛くなるほど可愛いと思えただろう。しかし実際に士道が感じたのは、恐怖による寒気だった。
「でもまー、言って欲しいなら言ってあげるよー。四糸乃の体で、士道くんと既成事実を作っとこうと思ってねー」
「はあっ!?」
よしのんのぶっ飛んだ答えに、士道は度肝を抜かれた。しかし同時に納得もできた。
士道の理性を崩壊させようとしていたのは悪ふざけなどでは無く、こちらから襲わせようとしていたのだろう。それに失敗したため、こんな強硬手段を取っているに違いない。
全ては『四糸乃』のためだったらしいが、どう考えても方法に問題がある。常識を踏みにじるよしのんの考え方は、どことなく折紙と通じるものを感じた。
「だってそうすれば四糸乃はもう安地じゃなーい。士道くんのことで悩んだり不安になったりすることも無くなって、いいことづくめだよー」
「お、落ち着け、よしのん。ま、まずはれ、冷静に、話し合おうな?」
笑みを浮かべ、何とか説得を試みようとする士道。しかし身の危険に笑顔は引きつり、声は裏返ってしまう。情けないことこの上無いが、それを気にするほどの余裕は無かった。
「怖がらなくても大丈夫だよ、士道くーん。痛いのは最初だけですぐに気持ちよくなるからさー」
「普通その台詞言うのって男じゃねえの!?」
よしのんがシャツのボタンに手をかけてきたため、士道はよしのんを振り落として後ずさった。
「細かいこと気にしちゃ駄目だよー。さぁ士道くん、こっちおいでよー。よしのんと一緒に気持ちよくなろー?」
立ち上がったよしのんは、両手の指を蠢かしながらゆっくりと迫ってくる。その姿はさながら獲物を見つけたゾンビで、士道は捕食される恐怖に息を詰まらせた。
説得は無意味。<ラタトスク>のサポートも無し。家には誰もいない。考え得る限り最悪の状況だ。
希望が無い訳ではないが、それはあまりに遠く儚い。だがもう他に頼れるものは無かった。
「た、助けてええええぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」
希望に届くことを願って、士道は叫ぶ。その声は家の中に、虚しく響いていった。
前編終了です。いるのかどうかは分かりませんが、最後まで読んでくださった方はありがとうございます。作品中に変なネタを仕込むのは遊び心というか趣味です。テレビの台詞は実在の映画やドラマの台詞ですが、半分以上分かる人がいるでしょうか。
本当は四糸乃と士道のデート話を書こうとしていたのですが、気がついたらこんな話になっていました。何故そうなったのかは自分でも分かりません。すごく不思議……。