デート・ア・ライブ 士道デイリーライフ   作:サイエンティスト

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 ランページ = 暴れまわる
 「よしのんインターチェンジ」の後編となっています。
 次作はまだ執筆中なのでここから更新速度が低下します。なお、あらすじに書き忘れましたが「デイリーライフ」は「日常生活」という意味です。


よしのんランページ

 士道が色々な意味で危機に陥る少し前のこと、五河家隣の精霊用マンションでは、一人の少女がある人物の部屋の前で膝を抱えて座っていた。

 エメラルドのような色の瞳に、多少纏まりの無い同色の髪。そして、不機嫌そうな顔。

 考えるまでも無く、七罪だった。

 

「四糸乃、いないのかなぁ……」

 

 ぽつりと呟き、顔を上げる。そこにあるのは無骨な扉だけで、いくら待とうとそれが開かれることは無かった。最初に玄関のチャイムを鳴らしてから、既に十分以上が経過しているというのに。

 まあそれも仕方の無いことだった。七罪のような存在そのものが罪である者が訪ねてくれば、誰でも居留守を決め込んでしまうだろう。僅かでも言葉を交わして、ウィルスの如く罪をうつされては堪らない。

 とはいえこの部屋の主である四糸乃は、決してそのようなことはしない。七罪だろうと訪ねてくれば、少しはにかみながら嬉しそうに微笑んでくれる。

 だが今は四糸乃が出てくる気配は無かった。間違いなく居留守ではないので、部屋にはいないと考えるのが妥当だ。

 

「でも、どこ行ったんだろ……」

 

 七罪ほどではないが人と関わるのを苦手とする四糸乃が、一人で(『よしのん』がいるので正確には二人)出歩くというのは少々考えづらい。もしかするとすれ違ってしまったのかもしれないが、二つあるエレベーターの内一つはこの階、もう一つは一階にあるようなのでそれも違うだろう。四糸乃が四階から七罪の部屋のある最上階まで、階段で上がったというなら話は別だが。

 他に四糸乃が行きそうな所といえば、士道の家くらいだ。しかし今は平日の昼近くなので、士道は学校へ行っている。四糸乃が行く理由は無い。

 

「まあ、一応士道の家行ってみよ……」

 

 他に行くあても無いので、七罪はとりあえず行ってみることにした。ただ万が一ということもあるので、もう一度チャイムを鳴らして一分ほど待った後、最上階にある自分の部屋の前も確認してみた。結果は予想通りのものだったが。

 士道の家に足を運ぶと、七罪は玄関のチャイムを鳴らそうとした。しかしボタンを押す直前で指を止める。

 家の中に士道がいないのは分かっている。その代わり四糸乃がいた場合、チャイムを鳴らせば相当驚かせてしまうに違いない。他人の家に一人でいる時にチャイムを鳴らされれば、空き巣で無くとも間違いなく驚くだろう。少なくとも七罪なら死ぬほど驚く。

 七罪は手をポケットに引っ込めると、そこから鍵を取り出した。もちろん士道の家の鍵だ。約一名を除き、琴里から精霊全員に渡されている。一人だけ渡されないのは、持たせると確実に士道が危険な目にあうからだ。ただしこの場合危険な目にあうのは命では無く、もっと他の尊い何かである。

 玄関の鍵を開けると、七罪はなるべく音を立てないようにして扉を開けた。

 

「あ、四糸乃の靴……」

 

 扉の隙間から玄関の床を覗き見ると、そこには四糸乃の靴が揃えてあった。ただ四糸乃にしては珍しく、綺麗に揃っていない。yの字のように少々雑になっている。何か靴を揃える暇も無いほど、急いででもいたのだろうか。

 七罪がそんな疑問を覚えると、また新たな疑問が目に飛び込んできた。

 

「って、何で士道の靴もある訳? 学校に行ってるんじゃないの?」

 

 そう、何故か士道の靴もあった。恐らく学校を休んだのだろうが、理由は分からない。体調不良か、はたまた単なるサボりか。昨日見た限りでは特に体調が悪そうには見えなかったので、体調不良ではないだろう。とはいえ、一応真面目な士道が学校をサボるとも思えない。

 あれこれ考えを巡らす七罪は、やがて浮かび上がってきた一つの可能性に息を詰まらせた。

 

「ま、まさか……」

 

 平日だというのに家にいる士道。

 その士道の家に、靴も揃えず上がっている四糸乃。

 そして四糸乃達は二人っきり。

 判断材料は三つしか無いというのに、七罪の妄想は際限なく広がっていった。

 興奮した様子で士道の家に向かう四糸乃。靴を揃える時間すら惜しみ、自室で待つ士道の元をめざす。

 

『士道さん……私、もう我慢、できません……っ!』

 

 四糸乃は士道の胸に飛び込み、士道はそんな四糸乃の体を優しく抱きしめる。

 

『ああ、俺もだよ四糸乃。俺の、心のオアシス』

 

 甘く囁きかける士道を、四糸乃は恍惚とした表情で見上げる。

 熱く見つめあい、引き寄せられるように互いの唇を重ね、やがて二人は暗い部屋の中で体を――。

 

「いや無い無い。それは無い」

 

 そこまで妄想してから、ようやく七罪は我に返った。士道はともかく、四糸乃に関しては天地が引っくり返ってもありえない。だが念のために確認しておいた方がいいだろう。四糸乃の女神のような美しさに、士道が理性を失わないとも限らない。

 七罪は家の中に入ると、そっと扉を閉めた。脱いだ靴は隅に押しやって、リビングの入り口へ足音を殺して歩いていく。空き巣のような真似をしているのは、もしも見つかってしまった時、何を言えばいいか分からないからだ。それに七罪のような存在が許可無く家に上がり込んでいたことを知れば、黒光りする害虫を発見した時より嫌な気分になるだろう。

 細心の注意を払い、七罪がリビングを覗こうとしたその時――。

 

「た、助けてええええぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」

 

「し、士道!?」

 

 二階の方から、士道の悲鳴が聞こえてきた。どこか情けない悲鳴だったが、必死に助けを求める気持ちが感じられる。一体何があったのかは分からないが、相当危険な状況に違いない。

 考えるのは後にして、七罪は士道の元へ向かおうとした。

 だが、七罪が行って何か意味があるのだろうか。今の悲鳴を聞いたなら、きっと家のどこかにいる四糸乃が助けに向かう筈だ。助けられる人が七罪以外にいないならともかく、他にいるなら七罪は必要ない。行っても邪魔になりこそすれ、役に立つことは無いだろう。

 だが七罪の中にも士道を助けたいという気持ちはある。例え何もしてあげられなくとも、助けに行きたい。せめてその気持ちが伝わることを信じて、七罪は士道の元へ向かった。部屋の隅で石像のように大人しくしていようと、心に決めながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 自分の目算がどれほど甘く愚かだったか、士道は身をもって痛感していた。楽で楽しい一日になりそう。<ラタトスク>のサポートが無くとも問題ない。そう楽観的に考えていた自分を殴りたいほどに。

 眼前では四糸乃の姿をしたよしのんが、瞳を怪しく輝かせながら迫ってくる。逃げようにも既に部屋の隅に追い詰められ、両腕を後ろで封じられている状態だ。そう簡単に逃げられはしない。

 例えるなら折紙と二人で密室に放り込まれたかのような、絶体絶命の危機だった。

 

「叫んでも助けはこないよー? それともあれー? 悲鳴を上げるようなプレイがお好み?」

 

「どんなプレイだよそれ!? 俺そんな趣味無いからな!」

 

 必死の突込みを入れながら、士道は後ろへ下がろうとする。しかし背中は壁に張り付いていて、これ以上下がることはできなかった。

 

「もー、士道くんたら恥ずかしがり屋さんなんだからー。そろそろ覚悟と体位を決めて、既成事実作っちゃおうよー。それともいっそ形あるものも作っちゃう?」

 

「やめてぇ! これ以上俺の心のオアシスの声でそんなこと言わないで!」

 

 四糸乃の声で繰り出される品の無い言葉のオンパレードに、士道は少々泣きそうになった。

 

「よいではないかー、よいではないかー!」

 

 満面の笑みで悪代官のようなことを口にしながら、よしのんは上着を掴んで脱がそうとしてくる。

 もうおしまいだ。抵抗もできない上に助けもこない。このままでは確実に尊いものが奪われてしまう。

 絶望的な心地で諦めかける士道。だが希望は潰えた訳では無かった。階段を駆け上がってくる誰かの足音が、はっきりと聞こえてきた。助けがきてくれたのだ。

 

「士道! 大丈夫!?」

 

 乱暴に開かれた扉の向こう、そこに立っていたのは七罪だった。助けにきてくれるとしたら七罪しか考えられなかったが、まさか本当にきてくれるとは。精霊用マンションの核シェルター並みの防壁を通り抜け、声が届いたのだろうか。

 理由はどうあれ助けにきてくれたことが何よりも嬉しく、士道は涙さえこぼしそうになった。

 

「一体どう……した……の……」

 

 部屋の中の様子を見て、七罪は言葉を切った。まあそれも当然と言えば当然だ。七罪の目には四糸乃が士道を襲っているようにしか見えない筈だ。信じ難いというか、受け入れ難い光景なのは間違い無い。

 時間が止まったかのように誰も動かず、言葉も発しない。最初にその状況を破ったのは、士道とよしのんの視線を一身に受けていた七罪だった。

 

「……ごめんなさい。お邪魔しました」

 

 居心地悪そうに視線を彷徨わせ、扉を閉めて出て行こうとしている。これは明らかに正しく状況を理解していない。

 

「ま、待て七罪! お前誤解してるぞ!」

 

「だ、大丈夫よ、士道。誰にも言わないから……」

 

「だから違うってえぇぇぇぇぇ!!」

 

 悲鳴に近い叫びを上げる士道。流石にその様子に何か変だと気がついたのか、七罪は半ばまで閉めていた扉を僅かに開けた。頭上にクエスチョンマークが出そうな顔をしているが、この状況をどう説明すればいいのやら。

 

「誰かと思ったら七罪ちゃんかー。びっくりしたよー、もー」

 

 ほっとしたように胸を撫で下ろし、よしのんは七罪の元へ駆けていく。

 

「よ、四糸乃……?」

 

「ざーんねーん。よしのんはよしのんだよー」

 

 よしのんの言葉に、七罪はさらに困惑していた。事情を知らない七罪からすれば、突然四糸乃が饒舌になったように見える筈だ。その驚きは士道にも覚えがある。

 

「……え? 何これ? どういうこと?」

 

「理由は分かんねえけど、四糸乃とよしのんの人格が入れ替わっちまったんだよ! それで今俺はよしのんに襲われてる! だから助けて七罪!」

 

 少々混乱気味の七罪に、士道はざっくりと説明しつつ助けを求めた。かなり省いている気もするが、大体あっているので問題は無い。

 

「そ、そうなの?」

 

「えー、人聞き悪いなー。よしのんはただ四糸乃の体で士道くんと愛を育もうとしてるだけだよー」

 

 よしのんの答えに、七罪もやっと状況を理解したらしい。驚きを隠せない様子で士道とよしのんを交互に見つめ、やがてよしのんの方を向いた。

 

「え、えっと、こういうのは、その……よくないんじゃない? 士道もちょっと、困ってるみたいだし……」

 

「ありがとう、七罪。ありがとう……」

 

 何とかよしのんを説得しようと努力する七罪に、士道はただ感謝することしかできなかった。

 流石によしのんといえど、この状況では諦めるしかないだろう。これが折紙なら七罪を気絶させ、縛り上げて邪魔をさせないようにしてでもことに及ぶかもしれない。だがよしのんならそんなことはしないと、士道は信じていた。というよりも信じたかった。

 

「むぅ……」

 

 よしのんは悩んでいるようだった。士道からは後ろ姿しか見えないが、悔し気に顔を歪めているに違いない。

 きっとよしのんはすぐに敗北を認め、両手の戒めを解いてくれる。士道は勝利を確信していた。だが、よしのんは予想外の行動に出た。

 

「……七罪ちゃんさあ、士道くんの周りには大人っぽい女の子が多いと思わない?」

 

 七罪の首に腕を回し、引き寄せるようにして肩を組む。その状態でよしのんは七罪の顔を横から覗き込み、怪しく笑いながら囁いていた。

 

「へっ? ま、まあ、確かに……」

 

「そんな中で七罪ちゃんや四糸乃は不利だよねー。全体的にロリで、大人の魅力ってものが悲惨なほど無いもんねー」

 

 よしのんの視線が七罪の顔から胸の辺りへと向けられる。それにつられて七罪自身の視線も下へ行き、表情が暗く沈んでいく。

 士道はとてつもなく嫌な予感に見舞われた。七罪と肩を組むよしのんの姿が、何故か気弱な少年にタバコを勧める不良に見えたからだ。まるで少年を、悪の道に引きずり込もうとしているかのような。

 

「だけど、もしも有利になれるとしたらどうするー?」

 

「……有利、に」

 

 七罪は顔を上げて士道を見ると、すぐに恥ずかしそうにうつむいた。

 

「そうそう。ここで既成事実を作っちゃえば、七罪ちゃんも四糸乃も将来約束されたようなものだよー。士道くんとの将来を、ね」

 

「き、既成事実……っ!」

 

 その単語で七罪の顔は真っ赤に染まる。

 予感は確信に変わった。よしのんは間違い無く七罪を仲間に加えようとしている。

 考えてみれば簡単なことだった。障害を排除できないなら、別の方法で無力化してしまえばいいだけだ。例えば言葉巧みに心を惑わし、味方につけてしまうなどして。

 

「頼む七罪! お願い助けて! お前だけが頼りなんだ!」

 

 もしよしのんの企みが成功してしまえば、士道の末路は先ほどよりも悲惨なものとなってしまう。いざとなったら泣きながらすがりつこうと覚悟を決め、士道は七罪に助けを求めた。

 

「士道……」

 

「さあ七罪ちゃん、一緒に作っちゃおうよー。友達でしょー?」

 

「よ、よしのん……」

 

 明らかに七罪は迷っていた。だが七罪がよしのんと同じことを考える訳が無い。恐らく士道の味方をしたいが、大事な友達であるよしのんに嫌われたくないのだろう。それが分かっていて友達という言葉を使ったなら、よしのんは相当質が悪い。

 

「七罪!」

 

「ねえねえ七罪ちゃーん。友達だよねー」

 

 必死に呼びかける士道とは対照的に、余裕を感じさせるよしのんの呼びかけ。

 何かおかしい。常識的に考えれば七罪がよしのんの側につく可能性は低いというのに、何故よしのんは必死にならないのか。七罪を仲間に引き入れてまでことに及びたいのなら、もっと焦ってもいい筈だ。それなのによしのんは、余裕の笑みを浮かべている。

 

「う、うぅ…………」

 

 その理由を、士道は七罪の苦し気な呻き声によって理解した。

 今七罪は自分がどうすればいいのか迷い、選ぶことができずに混乱している。つまり精神状態が不安定になっているということだ。その結果、七罪にはある変化が起こってしまう。この状況ではそれだけは好ましくない。

 

「七罪! 落ちつ――」

 

 落ち着かせようと声をかけたが、遅かった。あるいはそれが引き金になったのかもしれない。

 突如七罪の体が光に包まれ、士道は眩しさに目を瞑う。光が消え去り目を開けた時には、七罪の姿は様変わりしていた。モデル顔負けの体つきと美しさを持った、大人の姿へと。

 

「それいいわね! 素敵な考えだと思うわ、よしのんちゃん!」

 

「ちくしょおおぉぉぉぉぉぉ!!」

 

 変身した七罪の第一声に、士道が抱いていた希望は粉々に打ち砕かれた。少年よ、これが絶望だ。そんな声がどこかから聞こえたような気がした。

 よしのんは最初からこれを狙っていたに違いない。生来のネガティブ思考から解放され、士道のベッドに下着姿で入ってくることもできるようになる、大人の姿の七罪へ変身させることを。実現してしまった今、もう士道に打つ手は無い。完全に詰みである。

 

「七罪ちゃんならそう言ってくれると思ってたよー。じゃあ早速始めよっかー」

 

 にこにこ笑いながらにじり寄ってくるよしのん。もういっそのこと全てを受け入れた方が楽になるかもしれない。

 抵抗を諦めた士道が半ば放心しながら考えている時だった。よしのんの背後にいる七罪が、人差し指を口に当てて片目を瞑った。任せて、とでも言っているかのように。

 

「待って、よしのんちゃん。その前にちゃんと準備はしたの?」

 

「んんー、何の準備ー?」

 

「もうっ、女の子なんだから体を綺麗にしておかないと駄目でしょう? 士道くんに見られちゃうのよ?」

 

 七罪の言葉に、よしのんは自分の頭を軽く叩いた。

 

「おぉーう、ミステイク! よしのんったらエロい服と下着のことしか考えてなかったよー」

 

「それ以前にもっと考えるべきことあるよな!?」

 

 七罪の助けによって少々余裕を取り戻した士道は、大仰な仕草で驚くよしのんに叫んだ。どうやら露出の多い服も計算の内だったらしい。

 

「ふふっ。それじゃ一緒にシャワーを浴びに行きましょ?」

 

「オッケーい! あー、でも士道くんが逃げ出すと困るなー」

 

 そう口にすると、よしのんは士道に歩み寄ってきた。目の前に膝をつき、両足首に手を伸ばしてくる。抵抗することもできるが、しても結果は変わらない。ここは大人しくしていた方が懸命だ。

 

「いぃっ!?」

 

 やがて足首に氷の足かせが現れ、士道はその冷たさに喘いだ。手足を封じられてもう完全に自由は無いが、七罪のおかげで一人にしてもらえる。逃げ出す方法はその時考えればいい。

 身動きの取れない様子を見て、よしのんは満足気な笑みを浮かべた。

 

「これでよしっと! すぐ戻ってくるから、大人しくしててね士道くーん。じゃあ七罪ちゃーん、行こっかー」

 

「ええ。私が背中を流してあげるわね」

 

 よしのんは七罪の手を引いて部屋を出て行く。扉が閉まる直前、士道は確かに見た。こちらに向けて、イタズラめいた笑みを浮かべる七罪の姿を。

 

「ありがとう、七罪……」

 

 士道はぽつりと呟くと、手錠と足かせを外す方法を考え始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結論から言うと、手足の戒めは正攻法で外すことはできなかった。ベッドの柱に手錠を打ちつけようと、柱がへこむだけで手錠には全く変化が無い。精霊の力で作られた氷のためか、そう簡単に壊れはしないようだった。一応手首と手錠の間には僅かな隙間があったが、引き抜けるほどの余裕は無い。士道の手首がもう少し細く無い限りは。

 だからこそ、士道は搦め手を用いた。自身に封印した七罪の力を用いて子供の姿となり、手首を細くするという荒業を。確実に成功するという自身は無かったものの、以前に一度変身したことがあるのでコツはある程度掴んでいた。

 

「よし! 抜けた!」

 

 思わず口をついて出た言葉は、普段と比べると声が高くなっていた。

 手錠を外し、今度は足かせを外す。この時点でもう子供の姿でいる必要は無いのだが、相変わらず戻り方は分からない。ひとまずそれは置いておくことにして、士道はポケットから念のために渡されたインカムを取り出した。まさか使うことになるとは思ってもいなかったが。

 

「令音さん! 令音さん! 令音さん!」

 

 耳につけたインカムを人差し指で連打しながら、何度も令音の名を呼ぶ。少し時間がかかるかと思いきや、すぐに令音の声が聞こえてきた。

 

『……聞こえているよ、シン。説明しなくとも大体の事情は把握している』

 

「へ? どうしてですか?」

 

『少し前から回線を繋いでいたんだ。機嫌や不安を指す数値に問題は無いのに、霊力が逆流しているのが気になってね』

 

 確かにそれは士道も気になっていた。ただ差し迫った身の危険に、半ば忘れかけていたが。

 

「それは俺には分からないんですけど、令音さんには分かりましたか?」

 

『……ふむ。よしのんは元々、四糸乃が自分の力を抑えるために作り出した人格だ。もしかすると力の扱いに長けているのかもしれない。それこそ封印された霊力を意図的に引き出すことができるほどにね』

 

「なるほど……」

 

 令音の仮説に納得する士道。ただこの状況ではあまり嬉しくない仮説だ。それが正しければよしのんは手錠や足かせ以上の拘束もできるということになる。例えば両手両足を完全に凍りつかせるなど。もう一度捕まったら二度と逃走のチャンスは無いだろう。

 

『……とりあえず、逃げたらどうだい?』

 

「……ですよね」

 

 もっともだ。一旦話を切り上げると士道は静かに部屋を出た。風呂場でシャワー中の二人には余程大きな音で無い限りは気づかれないだろうが、慎重になるにこしたことは無い。

 耳をすませて階下の様子を窺いながら、そっと階段を下りていく。下りてしまえばこっちのものだ。後は玄関に向かって全速力で走っても逃げられる。だが士道は、玄関に広がっていた予想外の光景に息を飲んだ。

 

「れ、令音さん!」

 

『……ん、どうかしたのかい?』

 

「そ、その……玄関が凍ってます」

 

 他に表現のしようが無かった。玄関の扉は、枠を含めて完全に氷に覆われていた。近寄って様々なことを試すものの、扉は開くどころか一ミリも動きはしない。もちろん壊せないのは、試す前から分かっていた。

 地獄からの出口が目の前にあるというのに、出られないというのは何とも歯がゆい。いっそ<鏖殺公(サンダルフオン)>を顕現させて扉ごと氷を破壊しようかという物騒なことも考えたが、それだけは止めておいた。仮に<鏖殺公(サンダルフオン)>を顕現させられたとしても、下手をすると振るった時に直線上の民家が吹き飛ぶかもしれない。

 

『……ふむ、裏口や窓はどうだい?』

 

 令音の言葉に、士道は一階をくまなく調べてみた。だが裏口は元より、窓も全て凍りついていた。一縷の望みをかけて二階も調べてみたが、結果は同じ。先ほどまでいた士道の部屋すらも、カーテンの下は凍りついていた。

 

「だ、駄目です……どこも凍ってます……」

 

 絶望的な心地だった。逃げ出せると確信した矢先に無理だと判明したのだから、上げて落とされた分ダメージも大きい。

 恐らくよしのんは部屋を出た後に、二階の窓を全て凍らせていたのだろう。そういえばよしのん達が階下へ向かう足音は、一分近く経過してから聞こえていた。てっきり部屋の前でこちらの様子を窺っているのかと思っていたが、まさか逃げ道を塞いでいたとは考えもしなかった。 

 

『……シン、まだ諦めるのは早い』

 

 声音から諦めを感じ取ったのか、令音の眠た気な激励が届いてくる。

 

『……考えてもみたまえ。君を逃がさないためなら、君の部屋の扉と窓のみを封じればいい。なのによしのんは家全体の扉と窓を封じた。そんな面倒なことをした理由が分かるかい?』

 

「えっと……外からの助けがこないように、ですか?」

 

『……それもあるだろうが、一番の理由では無いな。恐らくよしのんは楽しみたいんだ。君が部屋から逃げ出したら、かくれんぼのように君を探してね。簡単に見つけてしまってはつまらないだろう?』

 

 それを聞いた士道は、背筋に寒気が走るのを感じた。

 かくれんぼなどという楽しいものでは無い。何せ鬼に見つかったら終わりなのだから。今度こそ両手両足を氷付けにされ、強制バッドエンドを迎えさせられる。

 これは狩りだ。よしのんは狩る者。そして士道が、狩られる者。

 

「……余計に諦めたくなってきました」

 

『……まあ待ちたまえ、これはチャンスだ。実は検査結果の中に少々気になるものが見つかってね。それを調べれば人格が入れ替わった原因、延いては元に戻す方法も判明するかもしれない』

 

「ほ、本当ですか!?」

 

 喜びのあまり大きな声をだしてしまい、士道は咄嗟に口を覆った。

 よしのんと『四糸乃』を元に戻すことができれば、この地獄は文字通りオアシスへと早代わりするだろう。純粋で可愛らしい四糸乃が戻ってくれば、もうここから逃げ出す必要は無い。それにこれ以上四糸乃のイメージが壊れるような言葉を聞かなくてすむ。

 

『……ああ。だがそれにはもう少し時間が欲しい。三十――いや、十五分』

 

「じゅ、十五分……」

 

 家の中で十五分もの間隠れるなど、外国の大豪邸でも無い限りは到底不可能だ。相手が普通の人間なら鍵をかけたトイレに篭城する手もあるが、相手は水と冷気を操る精霊だ。下手をするとトイレ内を冷蔵庫のような状態にして、じわじわと追い詰めてくるかもしれない。かといってどこかに隠れるとしても、精々数分が限界だろう。

 難題を突きつけられ呻く士道だが、他に時間を稼ぐ手があるとも思えなかった。

 

「……分かりました。何とか十五分、隠れてみます」

 

『……頑張りたまえ、シン。回線は繋いだままにしておくから、何かあれば呼ぶといい』

 

「ありがとうございます、令音さん」

 

 礼を言うと、士道は早速隠れる場所を探そうとした。だがその前に、どうしても一つだけ聞いておきたいことがあった。

 

「でも、調べても何も分からなかった場合はどうすればいいんでしょうか?」

 

 仮に十五分見つからずにいたとしても、二人を元に戻す方法が分からなければ無駄な努力だ。やがてはよしのんに見つかり、ゲームオーバーを迎えてしまう。七罪が助けてくれる可能性はあるが、そうそう何度も上手くはいかないだろう。

 

『……頑張りたまえ、シン。幸運を祈っているよ』

 

「流した! 今流したよな!?」

 

 令音はたっぷり五秒以上沈黙して、何事も無かったかのように言葉を返してきた。要するに他に手立ては無いらしい。

 泣き言を言っても仕方無いので、士道は隠れる場所を探し始めた。十五分というのは相当きついが、ここは勝手知ったる自分の家だ。何度も場所を変えていけば、ぎりぎり時間を稼げるかもしれない。

 散々悩んだ末に士道が隠れたのは、一階のキッチンにある食器棚だった。正確に言えばその下側、戸棚になっている部分。本来ならどう頑張っても入れる筈は無いが、幸い士道は今子供の姿になっている。それでもかなり狭いものの、問題無く入ることができた。

 一見すぐに見つかりそうな場所だが、士道が子供の姿になっていることに気付かない限り、よしのんにも見つけられない。ただ気付かれていた場合は、終わったも同然なのだが。

 しばらく息を潜めていると、五分ほど経過した所で洗面所の方から音がしてきた。よしのんと七罪がシャワーを浴び終え、出てきたに違いない。つまりここからが正念場だ。

 

『……ああ、そうだ。シン、私も一つ聞きたいことがあったのだが、いいかな?』

 

 こっちが聞いた時は答えなかったくせに、という言葉は飲み込んでおいた。この状況で令音の機嫌を損ねるのはあまり好ましくない。

 

「何ですか?」

 

『……君の声が普段と違うように思えるのだが、気のせいかな?』

 

「遅っ! 今更かよ!」

 

 反射的に突っ込みを入れてしまい、士道は口を塞いだ。よしのんに聞こえてしまったかと肝を冷やしたが、幸い声は届かなかったようだ。戸を少し開けて耳を傾けると、二階へ上がる足音が聞こえる。

 

「……手錠と足かせを外すために、七罪の力を使って子供の姿になったんです。戻り方は分からないんですけど、そのうち元に戻ると思います」

 

『……なるほど、そういうことか』

 

 安堵のため息をつき、士道は令音に答えた。一瞬自分の言葉に、この狭い戸棚の中で元の姿に戻ったらどうなるのかという恐ろしい考えが浮かんだが、なるべく深く考えないようにしておいた。

 やがて三十秒も経たないうちに、階段を下りる足音が聞こえてくる。士道が逃げたことを知って、よしのんが狩りを始めたに違いない。せめて二階の方から探して欲しかった。

 足音はリビングにまで入ってくると、様々な物音を立て始めた。棚を開ける音。物を動かす音。それらの音が近づくにつれ、士道の心臓は鼓動を早めていく

 

「す、すごい緊張感だな……スニーキングミッションじゃあるまいし……」

 

『……音楽でもかけようか?』

 

 単なるひとり言だったのだが、令音の声が返ってきた。同時に何やら音楽が流れ始める。気分の落ち着くクラシックならともかく、今インカムから聞こえてくるのはどう考えてもスパイの大作戦的な曲だった。

 

「そんなのいいですから調べて下さい! てか逆に落ちつかねえし! 何でそんなのかけるんですか!?」

 

『……雰囲気を出そうと思って……』

 

「出さなくていいです! 十分出てます!」

 

 声自体は低くしたので、戸棚の外には聞こえていない。だが注意が薄れて足を動かしてしまい、桃か何かの缶詰を倒してしまった。

 

「あ……」

 

 缶詰は確かな重い音を発し、それは間違いなく戸棚の外に聞こえていた。足音がゆっくりと近づいてくるのがその証拠だ。

 終わった。士道が思い、戸棚が開けられ、偶然だろうが曲が終わるのは同時だった。

 

「あら、士道くん。こんな所にいたのね」

 

「な、七罪……」

 

 戸棚を開けて覗き込んできたのは七罪だった。その髪や肌は湿っていて、少々刺激的な色香を振りまいている。普段なら士道も顔を赤らめただろうが、今は青くなりそうな気分でよしのんの姿を探した。

 

「ふふっ、心配しなくても大丈夫よ。よしのんちゃんは二階を探してるから、しばらくは下りてこないわ」

 

「そ、そうか、よかった……」

 

 やはり七罪は味方のようだ。

 一瞬迷ったものの、士道はとりあえず戸棚から出た。冷静に考えれば缶詰や醤油の瓶で足の踏み場が無い所に隠れるというのは、少々無謀だったかもしれない。

 士道が戸棚から出るなり、七罪は目の色を変えて抱きついてきた。

 

「きゃー! 士道くん可愛いわー! お姉さんお持ち帰りしちゃいたいくらいよー!」

 

「ちょっ!? 七罪!」

 

 身長差のせいで上からのしかかられるような形になり、膨大な質量を持つ二つの物体が顔に触れた。その柔らかさと甘い香りに、流石にこの状況でも焦りを隠せない。

 

「あ、ごめんなさい、取り乱しちゃったわ。予想はしてたけど士道くんのその姿、とっても可愛かったから」

 

 離れてもなお、うっとりした目を向けてくる七罪。

 口振りから察するに、七罪は士道が子供の姿に変身していることに気付いていたらしい。変身能力を持つ七罪だからこそ気付いたのだろうか。

 

「なぁ、ひょっとしてよしのんは知らないのか? 俺が子供の姿になってること」

 

「うーん、どうかしら。たぶん気付いてないと思うけど……」

 

 それならまだ希望はある。子供しか入れないような場所に隠れ続ければ、よしのんの目を欺ける筈だ。

 

「そうか……ありがとな、七罪。お前が助けてくれなかったら、今頃……」

 

「いいのよ、お礼なんて。士道くんのためだもの。私、何だってしちゃうわ」

 

 口に笑みを浮かべ、片目を瞑る七罪。だが次の瞬間には申し訳無さそうに顔を歪めた。

 

「――って言いたい所だけど、これ以上の協力はできないわ。ごめんなさいね……」

 

「へ? な、何でだよ?」

 

 七罪に力を貸してもらえば、ここから逃げ出すことは容易い。よしのん同様、意図的に霊力を逆流させることができるので、氷を消すなり新しい扉を作り出すなりすることが可能になるからだ。しかし肝心の七罪が協力できないと言っている。

 

「だって士道くんを逃がしちゃったら、よしのんちゃんに嫌われちゃうもの。大切なお友達に嫌われたら、七罪泣いちゃうわ……」

 

「う……」

 

 世の中そう甘くは無いらしい。やはり令音が結果を出してくれるまで、隠れきるしかないようだ。

 残り時間は八分ほど。仮によしのんが後二分二階を探したとしても、残りは後六分。よしのんが下りてきたら隙を狙って二階へ行けば、何とか稼げるかもしれない。

 

「……分かった。けどその代わり、俺を見つけても見なかったことにしてくれ。もう少し時間があれば何とかできそうなんだ」

 

「そのくらいならお安いご用よ。でも士道くんがよしのんちゃんに見つかったら、その時は……」

 

 妖艶な笑みを浮かべ、舌なめずりする七罪。それ以上言葉は続けなかったが、何を言わんとしているのかは大体分かった。

 

「お、おう。じゃ、じゃあ俺はどっか別の場所に隠れるから……」

 

 士道は半ば逃げるように七罪から離れた。

 折紙によしのん、七罪。程度の差こそあるが、何故こうもある意味で危険な者たちが多いのか。唯一の安らぎをもたらしてくれる四糸乃が、恋しくてたまらなかった。

 隙をついて二階に上がるなら、なるべく階段に近い場所がいいだろう。とはいえ隠れられそうな場所は少ない。階段下の物置と風呂場のバスタブの中の精々二つしか無く、どちらも簡単に見つかってしまう。

 他の隠れ場所を探していると、士道は洗面所で最適な場所を見つけた。大人の体では入ることができず、そもそも人が入るとは思えない場所――洗濯機だ。横ドラム式で蓋は黒みがかった透明なため、外の様子も確認できる。タオルや上着を使えば、あたかも洗濯物が入っているかのようにカムフラージュできる筈だ。

 士道は脱いだ上着と大き目のタオル数枚を持ち、洗濯機の中に入った。中はかなり水垢臭い上に窮屈だが、贅沢は言っていられない。

 

「あと、七分……」

 

 無事に生還できたら掃除しておこうと心に決めつつ、携帯で時間を確認する。せめて後一分上にいて欲しかったが、無情にもよしのんの声が徐々に近づいてきた。

 

「痛い! 痛いって四糸乃ー! 自分の体叩くなんて自傷行為だよー!」

 

『士道さんに、変なことしちゃ駄目……!』

 

「あいひゃひゃひゃ! ほっぺらつねらないれー!」

 

 どうやらよしのんはパペットを付け直したらしい。『四糸乃』がよしのんの奇行を止めようと頑張っている姿が目に浮かぶ。

 

「ふぇーい! やっはりよひのにはほとなひくひててほらうよー!」

 

 その言葉を最後に、『四糸乃』の声は聞こえなくなった。恐らくパペットを外され、人格が発現できなくなったのだろう。

 

「全くもー、全ては四糸乃のためなのにさー。七罪ちゃーん、二階にはいなかったよー」

 

「あら、変ね? 一階にもいなかったわよ?」

 

「そっかー、じゃあ今度は二人で一階を探そっかー」

 

「ええ、そうしましょ」

 

 七罪の呟きが聞こえた所で、士道は洗濯機の中から外の様子を窺った。黒みがかってはいるが、視界は良好だ。洗面所の入り口から廊下もよく見える。

 階段との位置関係を関係を考えると、よしのんが最初に探し始めるリビングだ。万一リビングでは無かった場合、洗面所の方へくる筈なので注意しなければならない。

 

「でも、その前にこうしておかないとねー」

 

 よしのんが言った直後、士道の耳に何かが急速に凍りついていく音が届いてきた。だがもう扉も窓も全て塞いである。一体何を凍らせているのだろうか。

 

「さー、まずはリビング行こっかー」 

 

 足音が離れ、こちらでは無くリビングの方へ向かっていく。

 チャンスだ。士道は洗濯機から素早く、音を立てずに出て階段へ向かった。だがそこで待ち受けていたのは、今日何度目かの絶望だった。

 階段が、封鎖されている。氷のシャッターによって、二階への道は一部の隙間も無く閉ざされていた。

 

「……っ!」

 

 これは恐らく、一階にいる士道を二階へ逃がさないためのものだ。ただよしのんが士道は一階にいると確信しているかは分からない。念のためか、あるいは七罪を信用していないということも考えられる。いずれにせよ予定が狂ってしまったのは確かだ。

 だが対応に悩んだのは一瞬のことで、士道はすぐに洗濯機の中へ戻った。あの氷をどうこうできないのは確かめ無くとも分かっている。二階へ行けなくなった今、もうここに隠れて祈るしかなかった。

 あと六分。よしのんはリビングを探している。

 あと五分半。よしのんはまだリビングを探している。

 あと五分。よしのんが洗面所に現れた。

 

「さー、士道くんはどこかなー? 怖くないから出ておいでー?」

 

 あからさまな嘘だ。はっきり言って相当怖い。

 鼻歌交じりに士道を探す物音が、すぐ近くで聞こえる。タオルと上着で身を隠す士道は、未だかつて無い恐怖に震える体を抑えるのに必死だった。

 

「ここかなー?」

 

 呑気な声と共に洗濯機の戸が開かれ、士道は息を詰まらせた。だがろくに調べもせず、そのまま閉じる。どうやらノリで意味も無く開けたらしい。

 

「んー、いないなー。七罪ちゃん次行こー」

 

「あぁん、置いてかないでぇ、よしのんちゃん」

 

 やがて足音が遠ざかり、士道はほっと一息ついた。胸の鼓動はしばらく収まらないだろうが。

 狙い通りとは言い難いものの、よしのんは洗濯機を調べなかった。やはり士道が子供の姿に変身していることを知らないようだ。洗面所を調べ終えたからには、他の場所を探して一分は時間を無駄にするに違いない。その後二階へ探しに行ってくれれば、残り時間も消化できる筈。そうなれば令音がよしのんたちを元に戻す方法を突き止め――

 そこまで考えた時、士道は気付いてしまった。

 

「令音さん!」

 

『……何だい、シン?』

 

「その……よしのんたちを元に戻すのに、特殊な設備とか必要になると思いますか?」

 

 方法を突き止めたとしても、それがこの場で実行できるものだという保障は無い。仮に特殊な設備が必要になった場合、それをよしのんの元まで運ぶか、よしのんを設備の元までつれて行かなければならない。だが現在封鎖されている五河家では、どちらも可能とは思えなかった。

 

『……いや、それは無い。心理的な問題の解消に必要なのは言葉や行動だ。特殊な設備は必要無いよ』

 

「そうですか、よかった――って、ちょっと待ってください」

 

 令音の答えに安心しかけて、士道は何かおかしいことに気がついた。今、令音は何と言ったろうか。

 

「今、心理的な問題って言いましたよね? ひょっとして、もう原因が分かったんですか?」

 

『……ああ、ついさっきね。丁度今伝えようとしていたんだ』

 

 何と有能なのだろうか。感動を通り越して尊敬すら覚えた。最初に提示してきた時間を半分にし、更にその三分の二の時間で結果を出すとは、まるで映画か何かのようだ。

 

「ということは、元に戻す方法も分かったんですね」

 

『……原因から導き出したもので、絶対に戻せるという確証は無いが……聞くかい?』

 

 確証が無いというのは痛いが、仕方無い。よしのんたちの人格が入れ替わるということ自体、前例が無いことのだから。むしろ確証があっては有能を通り越して怪しさを感じてしまう。

 

「……お願いします」

 

 他に手段がある訳でも無い。士道は令音の言葉に耳を傾けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――よしのん!」

 

 二階へ上がろうと階段に足をかけていたよしのんに、士道は背後から声をかけた。自分から出てくるとは思っていなかったのか、振り向いたよしのんの顔には驚きの表情が浮かんでいる。まあ士道の姿を見た途端に、その表情は好奇に満ちたが。

 

「自分から出てくるなんて、ついに覚悟と体位を決めちゃったのかなー? おまけに四糸乃と体を合わせてくれるなんて、士道くんたら優しいんだからー!」

 

 さも嬉しそうに笑いながら、よしのんが歩み寄ってくる。その背後では、七罪が不思議そうな顔でことの成り行きを見守っている。

 

「じゃー、もう三人でベッドインしちゃうー?」

 

「……いや、その前に少しだけ四糸乃に話したいことがあるんだ」

 

 よしのんは考える素振りを見せたが、すぐに頷いた。

 

「オッケーい! 受け答えはできないけど、四糸乃にはちゃんと聞こえてるからねー」

 

 パペットを着けて会話をさせてくれないのは、『四糸乃』に邪魔されたくないからだろう。これでは会話できないが、今はそれでも問題ない。言葉が『四糸乃』に伝わればそれでいい。

 

「……四糸乃、聞こえてるよな?」

 

 よしのんの瞳を覗き込み、その奥の『四糸乃』に語りかける。恥ずかしくてたまらないが、一気に言葉を続けた。

 

「例え俺の周りにどれだけ女の子が増えても、四糸乃の代わりは絶対いない。無理に理想の自分にならなくたっていいんだ。俺は、そのままの四糸乃が一番好きだよ」

 

 恐らく誰が聞いても、士道が何故告白じみたことを言っているのか理解できないだろう。実際、七罪もそんな顔をしている。

 だがよしのんだけは違った。悔しそうな表情を浮かべて後ろへ下がろうとしている。やはりよしのんは人格が入れ替わった原因も、元に戻す方法も知っていたようだ。そしてこの反応から、今行っている方法が正しいものであると確信できた。

 士道は逃がさないようによしのんを強引に抱き寄せると、熱を込めて言葉を続けた。

 

「だってお前は、いるだけで俺の心を癒してくれる、特別な存在なんだからな。大好きだぜ、四糸乃」

 

「わー! 駄目だって士道くん! 駄目――」

 

 言い終えた士道は、体を振り乱して逃れようとするよしのんの唇を塞いだ。手や指ではなく、自分の唇で。

 四糸乃と『よしのん』の人格が入れ替わってしまった原因は、強い不安にあると令音は言っていた。その不安とは、士道の周りに増えてきた女の子たちのせいで、士道が自分を見てくれなくなるのではないかという不安。そして今の気弱で引っ込み思案なままでは、きっとそうなってしまうという不安。それらを解消するために四糸乃が無意識に行ったのが、理想の自分となること。自分とはまるで正反対で、どれだけ女の子がいようとも決して埋もれることの無い理想の自分――『よしのん』となること。その結果として、人格が入れ替わってしまったらしい。

 話を聞いた時には突拍子も無い説だと思ったが、令音は裏づけを取っていた。過去の四糸乃の不安感の推移を調べ、士道の周りに精霊――女の子が増える度に、数値が増しているという事実を。ただ増す度合いがそれほど大きく無かったため、今回調べるまでは四糸乃の高い不安感に気付けなかったらしい。

 二人の人格を元に戻す方法は、直前に令音が口にした方法と同じだった。言葉と行動で、心理的な問題を解消すること。つまり不安を言葉で取り除き、更に行動で安心させてあげればいい。

 士道は令音の指示通りに行動したものの、言葉は自分で考え口にした。ほとんど士道が原因なのだから、自分の正直な気持ちを伝えたかったからだ。ただ最後の台詞とキスだけは、特に恥ずかしかったが。

 やがて体に何か暖かいものが流れ込んでくるのを感じ、士道はキスを止めた。逆流していた霊力を再封印したからだろう。窓や扉を覆っていた氷も、限定霊装も消えている。

 

「……四糸、乃?」

 

 瞳を閉じているよしのんに、士道は恐る恐る尋ねた。人格が戻っていないなら、全力で後方へダッシュして外に逃げなければならない。いつでも走り出せるよう、腰を落として足に力を込めておく。

 だがゆっくりと開かれた瞳を青い瞳を見た時、それは杞憂に終わった。サファイアのように美しい瞳は、夢心地に揺れていた。よしのんのままなら、こんな純真な反応はしない。

 

「……士、道……さん……」

 

 小さく開かれた口から出てきた声は、大きさもたどたどしさも間違いなく四糸乃のももだった。

 

「本当……ですか? さっきの、こと……」

 

 顔を赤らめながらも、どうしても知りたそうに尋ねてくる四糸乃。その様子はとてもいじらしく、懐かしい。

 戻ってきた。俺の、心のオアシスが。

 

「ああ、本当だ」

 

 嬉しさを込めて笑いかけると、四糸乃も笑いかけてきた。本当に嬉しそうな、あどけない笑みを。やはり普段の四糸乃が一番だ。

 

「ふふっ。よかったわね、四糸乃ちゃん」

 

『よくないよー! もう少しで士道くんをものにできたのにさー!』

 

 七罪が何気無い動作で四糸乃の左手にパペットを着けると、『よしのん』は悔しそうに体を震わせた。だがひとしきり暴れると落ち着いたらしく、長いため息をついた。

 

『まー今回はこれでよしとしておくよー。士道くんの四糸乃に対する熱ーい気持ちが聞けたし。もっと熱ーいものも貰っちゃったしねー』

 

 表情は分からないが内心にやけているであろう『よしのん』の言葉に、四糸乃は真っ赤になってしまう。そんな顔を隠そうと額の辺りを探るが、帽子が無いのでただうつむくしかない。

 ここは普段どおりの四糸乃の可愛さに心洗われる場面だが、士道の心はむしろ邪な気持ちで満たされてしまった。何故なら四糸乃の服装はよしのんの選んだ、露出の多い黒のワンピースのままだからだ。その服と四糸乃の恥らう表情の組み合わせは、イケナイ魅力に満ち溢れていた。

 端的に言ってしまえば、犯罪になりそうなほどエロかった。

 

 




 よしのんの話はこれで終わりです。何というかおかしな終わり方になってしまいました。個人的に一番難しいのは書き出しと書き終わりだと思います。
 ちなみに構想段階では七罪ではなく折紙が助けにくるという展開もありました。ただ折紙は十香が良い子にするのを全力で邪魔しているという裏設定があるので、助けにはこれませんでした。こられれば話しがよりカオスになったのに……。
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