デート・ア・ライブ 士道デイリーライフ 作:サイエンティスト
よしのんの話の後という設定ですが、一応そちらを読んでいなくとも問題はありません。今回も二部構成となっていますが、後編はまだ真っ白です。
原作に近いノリで書けていればいいのですが……。
天気の良いある土曜日、士道は約束の場所へ向かっていた。天宮駅東口前にある犬の銅像、通称『パチ公』の所だ。本来の名前は別にあるのだが、士道も正式名称は覚えていない。というか近隣住民の間では『パチ公』で定着しているので、誰も正式名称など気にしないだろう。
「なぁ、本当にもう待ってるのか? 十時までまだ一時間以上あるぞ?」
『間違いないわよ、こっちでモニターしてるんだから。全く、何を思ってこんな早くにきてるのかしら……』
右耳に装着したインカムから、やや呆れた琴里の声が聞こえてくる。その気持ちは士道にも分からないでもなかった。
折紙でさえくるのは約束の一時間前だというのに、今回の人物はそれ以上だ。<フラクシナス>のクルーが気付いた時には、八時半頃にはすでにいたらしい。もしかすると八時頃から待っていたのかもしれない。
約束の時間の一時間半以上前から待っているというのは、琴里を信じない訳ではないが少々疑わしい。待ち合わせ場所に向かう間半信半疑の士道だったが、到着して自分の目で見れば信じない訳にはいかなかった。
「本当にいるし……」
待ち合わせスポットとして機能している『パチ公』の周りには、多くの人たちがたむろしている。その中の一人の姿を見て、流石に士道も呆れるしかなかった。
『パチ公』がお座りしている台座の隣、それも影になっている部分に、士道を待つ者の姿があった。周囲に油断無く視線を巡らせる、挙動不審な少女――七罪の姿が。はっきり言って今にも倒れそうなほど緊張しているように見えた。
「さぁ、私たちの戦争(デート)を始めましょう」
インカムから琴里の決め台詞が聞こえてきたが、その声は普段より張り詰めているように思えた。まあそれも仕方の無いことだった。すでにデレさせた相手とはいえ、今回はネガティブの塊ともいえる、七罪とのデートなのだから。
発端は三日前、夜九時頃のことだった。
「ん? 誰だこんな時間に?」
士道がソファーに座ってテレビを見ていると、玄関のチャイムが鳴らされた。隣で寝転がって本を読んでいる妹様(白リボン)は出てくれないので、やむなく士道がインターホンに向かう。
しかしインターホンの画面には外の様子が映っているだけで、訪問者の姿は見当たらない。通話のボタンを押して呼びかけても、答えは返ってこなかった。まさかピンポンダッシュだろうか。
念のため外へ確認しに行こうと、士道は玄関へ向かった。玄関の扉を開けて外の様子を確認するものの、誰の姿もない。やはりイタズラか。
「――わっ!」
「うわっ!?」
扉を閉めようとしたその時、突然横から一人の女性が現れた。扉の陰に隠れていたのだろう、大人の姿に変身した七罪が。
すでに逃げたと思っていたためまさか扉の陰にいるとは気付かず、士道は飛び上がりそうなほど驚いた。その様子が余程おかしかったのか、七罪はさも面白そうに笑う。
「あははははっ! 引っかかった引っかかったー!」
「七罪、お前なぁ……相当驚いたぞ、今の」
激しい鼓動を抑えるために、士道は心臓の辺りに手を当てた。こんな単純なイタズラに引っかかってしまうとは、少々悔しい。
「ふふっ、ごめんなさいね。じゃあお詫びに、士道くんも私にイタズラしていいわよ?」
誘うような笑みを浮かべ、胸の下で腕を組む七罪。ただでさえ大きな胸がより強調され、士道は思わず見入ってしまう。だがそれは男の子なら当然の反応だろう。きっと誰も士道を責めることはできない。
「い、いや、やめとく……それより、こんな時間にどうしたんだ?」
実に魅力的な提案だったが、士道は意思の力で断った。誘いに乗らなかったのが不満だったのか、七罪は唇を尖らす。
こんな夜更けに、それも変身した状態で訪ねてくるとはただごとではない筈だ。とはいえイタズラをする余裕がある所を見ると、緊急の用事という訳でもないらしい。
「実はね、士道くんにお願いがあってきたの」
「お願い……?」
少々拍子抜けして繰り返すと、七罪は頷き言葉を続けた。
「今度の休みに、私と――デートしましょ?」
「デ、デート!?」
お願いの内容に、士道は先ほどと同じかそれ以上の驚きを覚えた。まさか七罪がデートに誘ってくるとは。
変身しても人格が変わる訳ではないらしいので、今の発言は冗談でない限り七罪の本心だ。デートに誘いたくて変身したのか、変身したから誘ってきたのか前後関係は不明だが、デートをしたいと思っているのは間違いない。
「だって良く考えてみたら、私だけ士道くんとデートしてないんだもの。それってちょっと不公平じゃない?」
「は、はぁ……」
言われてみれば、確かに七罪とはデートをしていない。もっともデートの定義によっては七罪以外も含むかもしれないが。
「それに恩着せがましいでしょうけれど、私この前士道くんを助けてあげたわよね。七罪、ご褒美が欲しいわぁ……」
この前とは『よしのん』の一件のことだ。確かにあの時七罪が助けてくれなければ、士道は既成事実を作らされていただろう。
感謝してもしきれないのは事実であるし、デートくらいなら別に構わなかった。お礼らしいお礼もしていなかったので、丁度良い機会かもしれない。ただ不安要素があるので多少迷ったものの、ねだるような目でじっと見つめられては頷くしかなかった。
「……分かったよ。じゃあ次の土曜の朝十時、駅前にあるパチ公の所でな」
「きゃー! やったー! 何を着ていくか迷っちゃうわー!」
体を振り乱して喜ぶ七罪。やはり冗談などではなく本心だったようだ。しかし三日後の服装を迷うとは随分と気が早い。
ひとしきり喜びを表現すると、七罪は小指を立てた右手を差し出してきた。
「それじゃあ約束よ、士道くん。私とのデート、忘れないでね?」
「ああ、約束だ」
士道も右手を出し、互いの小指を絡めて指切りする。
七罪はデートに誘うためだけに訪ねてきたらしく、おやすみを言うと精霊用マンションへ戻って行った。部屋で元の姿に戻った時にどんな反応をするのか非常に興味があるが、そこには触れないでおくのが優しさというものだろう。
士道は家の中に入ると、一連の事柄を琴里に伝えるためにリビングへ向かった。
「誰だったのおにーちゃん。牛乳配達の人ー?」
リビングに入るなり、くつろぎまくっている琴里が間の抜けた声で尋ねてくる。
「普通こんな時間にこねえし、そもそもうちは牛乳取ってないだろ。七罪だよ、七罪」
「ふーん、何の用だったのー? まさかデートのお誘いだったりしてー!」
ソファーの横から顔を出し、琴里はへらへらと笑う。七罪がデートに誘ってくるなど、到底ありえないことだと思っているようだ。
「……そのまさかだ」
少々格好を付けて答えると、琴里の顔から笑顔が消えた。一拍置いて表情のない顔がソファーの向こう側に引っ込む。僅かな衣擦れの音が聞こえたかと思うと、すぐに黒いリボンに付け替えた琴里の姿が現れた。数秒もかけずにリボンを付け替えるとは凄まじい早業だ。
「……冗談のつもりだったんだけど、まさか本当だとは思わなかったわ。まあ変身した七罪から誘われたんでしょうけど」
「ああ。断れないからオーケーしといたけど……どうすりゃいいんだ?」
相手が十香や四糸乃なら、デートといえどさほど難しいことではない。だが今回は歩くネガティブとも言える七罪とのデートだ。多少はましになったとはいえ、まだまだ性格は改善されていない。正直デートができるような状態とは思えなかった。
「そりゃあデートするしかないでしょ。今更断る訳にもいかないし……」
「だよなぁ……」
今更誘いを断れば、当然七罪の精神状態に悪影響が及ぶだろう。とするとやはりデートするしかないが、果てしなく不安だ。
「……サポート、頼めるよな?」
そう尋ねると、琴里は自信に満ちた笑みを浮かべた。
「もちろんよ。<ラタトスク>が全力でバックアップしてあげるから、大船に乗ったつもりでいなさい」
口調から溢れる揺ぎない自信。<ラタトスク>と自分自身の力を全く疑っていないのだろう。
せめて七罪にこの十分の一でも自信があれば。士道はそう思わずにはいられなかった。
そして、デート当日に至る。正確に言えばまだデートは始まっていないが、七罪の様子を見ていると早くも先行きが怪しく思えてきた。
『それにしても、大人の姿でこなかったのには驚いたわ。てっきり緊張して変身してると思ってたのに』
「このまま放っといたら変身しそうだけどな。というかその前に気絶するんじゃないか?」
そう思えるほど、七罪の様子は悲惨だった。例えるなら大学受験を翌日に控えた受験生のように緊張している。傍から見ても心配になるほどだ。
ここで士道が声をかければ、緊張がピークに達する可能性もある。流石にこの場で変身させてしまうのはまずい。声をかけるよりも、七罪に存在を気付かせた方が良いだろう。
あえて視界に身を晒すと、七罪はすぐに気が付いて駆け寄ってきた。
「士道!? 何で、こんなに早く……」
「それは俺の台詞だ。何だってこんな時間から待ってたんだよ」
七罪に言われる筋合いはないので、士道は尋ね返した。驚きの表情を浮かべていた七罪だが、伏し目がちに頬を赤く染める。
「そ、それは、その……私から誘ったんだから、士道を待たせる訳にはいかないし……」
「ん、何だって?」
「な、何でもないわよ!」
後半は蚊の鳴くような声でほとんど聞き取れなかった。思わず聞き返すと、七罪は真っ赤になって顔を背けてしまう。これ以上は精神状態に影響しそうなので、深く追求しない方が良いかもしれない。
数秒迷って話題を変えようとした時、士道は七罪のおかしな行動に気が付いた。指で髪先を弄りながら、ちらちらとこちらに視線を向けてくる。その目は何かを期待しているように見えた。
『何やってんのよ士道。あからさまにアピールしてるじゃない。さっさと誉めてやりなさいよ』
「ああ、そういうことか」
琴里の焦れた声が聞こえ、士道は納得した。七罪はきっと服装や髪型の感想を言って欲しいに違いない。確かに今日の七罪はどちらにも気合が入っている。
「え、えーっと……」
士道は改めて七罪の姿を見た。
白いブラウスの上に深緑のカーディガンを纏い、膝下まである紺色のフレアスカートという服装だ。どれも女の子らしい意匠が施されていて、特にブラウスの襟元にある空色のリボンが可愛らしい。余程念入りにとかしたのか髪は滑らかに仕上がっており、それを首の後ろで一本に纏めている。
「その、なんだ……可愛いぞ、七罪」
「べ、別にお世辞なんか……」
「お世辞じゃないぞ。本当に可愛い」
それは紛れもない本心だった。七罪自身は絶対に否定するだろうが、どこかのお嬢様学校の生徒に見えるほど可愛らしい。ただし失神しそうなほど緊張していなければの話だが。
七罪は一瞬瞳を輝かせたように思えたが、すぐに俯いてしまったのではっきりとは分からない。やがてかろうじて聞こえる程度の大きさでぽつりと呟いた。
「そ、そう……あり、がと……」
「どういたしまして。さてと、少し早いけど行くか?」
少しというかかなり早いものの、七罪はこくりと頷く。
さて、まずはどこへ向かうべきか。
「ねえ……行きたい所があるんだけど、良い?」
琴里に指示を仰ぐべきか迷っていると、七罪が遠慮がちに尋ねてきた。行きたい所があるのなら、そちらを優先するべきだろう。
「良いけど、どこ行くんだ?」
「……映画館」
「映画館か。なら天宮クインテットの方だな。行こうぜ、七罪」
士道が歩き出すと、七罪は真横についてきた。士道の陰に隠れるように、妙に体を縮込ませながら。どうも人の目が気になって仕方ないらしい。
だが皮肉なことに、七罪はそこそこ注目を集めていた。明るい緑色というただでさえ目立つ髪と目を持つ上に、相当に可愛らしい格好をしているせいだ。良い意味で注目されているのだが、七罪自身は真逆の意味で捉えているに違いない。
「それにしても、まさか本当にきてくれるなんて思わなかったわ」
「……こないと思ってたのか」
「だって私とのデートなんて拷問と変わりないでしょ。マゾでもない限りくる訳ないし……」
「自分から誘っといてそこまで言うか。ていうか俺はマゾじゃないからな」
『え? 違ったの?』
答えは七罪ではなく琴里から返ってきた。そんな趣味は微塵もないのだが、どうも二人はそう思っていないらしい。とっても失礼だ。
「誘ったって言っても、あれは私じゃ……」
「変身してたって七罪は七罪なんだろ? デートしたかったんじゃないのか?」
図星だったようで、七罪は恥ずかしそうに顔を背けてしまった。それと同時にインカムから琴里のため息が聞こえてくる。
『ちょっと士道、あんまり七罪を辱めるのはやめなさい。さっきから感情値の振り幅がえらいことになってるわ』
「う……わ、悪い……」
七罪に聞こえないよう、士道は小声で答えた。別に辱めているつもりはないのだが、結果的にそうなっているのだろう。
『でも、機嫌や不安感の数値は七罪にしては悪くないわね。士道が約束通りきてくれたことに安心したのかしら。とりあえず今の所は問題ないから、この調子で続けなさい』
「おう、了解」
この調子と言われても普段通りなのだが、とりあえず士道は頷いておいた。
なるべく七罪の感情を刺激しないよう注意を払い、会話を続けて歩くこと数分。士道たちは天宮クインテットの映画館前に到着した。休日のためか映画館に入っていく人の姿はそこそこ見受けられる。
「ちょっと込んでそうだな。でも観る映画にもよるか。七罪、観たい映画はもう決まってるのか?」
「えっ……う、うん」
何故かかすかに頬を赤らめ、頷く七罪。
この反応からすると聞かない方が良いのかもしれないが、教えてもらわなければ映画のチケットは買えない。
「どんな映画なんだ?」
「……ホラー映画」
『ちょっと、それ大丈夫なの?』
琴里の心配はもっともだった。ホラー映画はものにもよるが、大抵は観る者を驚かし、恐怖させる類のものだ。その性質上、精神状態にも少なからず影響を及ぼしてしまうので、七罪にとっては危険ではないだろうか。
「その、大丈夫なのか? ホラーなんて観ても……」
七罪の精神を気遣って言ったのだが、どうも気に障ったらしい。むっとした表情で睨みつけてくる。
「馬鹿にしないでくれる、士道? いくら私でもホラー映画くらいで変身したりしないわよ」
ふて腐れたように顔を背け、一人で映画館の方へ歩いて行く。士道は後を追おうとしたが、その前に七罪の状態が気になった。
「琴里、七罪の機嫌どうなった?」
『数値が少し下がったわ。意外とショックだったみたいね。さっさと追いかけてフォローしなさい』
「あ、あれくらいで下がるのかよ……」
やはり機嫌を損ねたようだ。軟弱極まりない精神を自覚している七罪にも、一応プライドはあったらしい。
「おーい、待てよ。七罪ー」
琴里の指示通り追いかけ、声をかけたその時――
「ふぎゅっ!?」
何故か開かなかった自動ドアに、七罪は盛大に顔面をぶつけた。衝撃によろけて数歩後退し、顔を押さえてうずくまる。
「ちょっ、おい七罪! 大丈夫か!?」
士道は駆け寄り、七罪の様子を窺った。余程痛かったのか無言で体を震わせている。一部始終を見ていた通行人たちも、痛みを想像したように苦い顔をしていた。まあ中には面白がっている性格の悪い者もいたが。
何と声をかけるべきか迷っていると、七罪の口から念仏のような呟きが聞こえてきた。
「……七罪?」
「ははは、そうよね……どうせ私なんて赤外線センサーも反応しないくらい存在感ないわよ。完全に空気よ。出席とる時に私の名前だけ飛ばされたり、学校にきてるのに休日扱いにされたりなんて日常茶飯事じゃない。それなのにちょっと誉められたからって調子に乗って、ドアにぶつかるとか馬鹿みたい。せっかくのデートだったのに……もう駄目、死にたい……」
これはまずい。そう悟った時にはインカムからけたたましいアラームが鳴り響いてきた。当然ながらそれは非常事態を知らせるためのものだ。より具体的に言えば、精霊の精神状態が危険なレベルで乱れている時。
『士道! 七罪の精神状態が乱れてるわ! 早く落ち着かせなさい!』
「落ち着かせるって言ってもどうすりゃ良いんだよ!?」
肩を揺すっても、呼びかけても全く反応しない七罪。変わらず卑屈極まりないことを呟き続けている。七罪にとってはいつものことだが、今回はかなり重症のようだ。
一体、どうすれば――
『っ! 士道、選択肢が出たわ!』
士道たちの遥か上空、一万五千メートル。そこに浮遊する<ラタトスク>の空中艦<フラクシナス>の艦橋には、緊迫した空気が漂っていた。その理由は巨大なメインモニターに示されている。
モニターに映し出されているのは、顔を両手で覆ってうずくまる七罪と、対処できずにおろおろしている情けない士道の姿。その周囲には七罪の機嫌や好感度などの情報を数値化したものが表示され、一部の数値が目まぐるしく減少していた。このままでは士道の中に封印された七罪の霊力が、相当な量逆流してしまう。
だがその問題を解決できる可能性のある選択肢が、モニターに三つ表示されていた。
①「痛いの痛いの飛んでけー」額にキスする。
②「この野郎! 俺の七罪に何しやがる!」ドアに蹴りをいれる。
③「いつまでやってんだ! 置いてくぞ!」厳しい言葉をかける。
「総員、選択! 三秒以内!」
琴里が指示を出すと、クルーたちはすぐさま最善と思われる選択肢を決定する。指定通り三秒以内に全員が選択を終え、結果が艦長席のディスプレイに表示された。
結果は②が数票、残り全ての票が①に入っていて、③には一票も入っていない。皆、琴里と同じ考えのようだ。七罪には多少刺激が強いかもしれないが、今は精神状態を回復させるのが最優先だ。
「士道、①よ!」
マイクを通して琴里が指示を出すと、モニターの中で士道が苦い顔をした。そのまま視線を気にするように周囲を見回している。
『ま、まじかよ……』
「人の目なんて気にしてる場合じゃないでしょ! さっさとやりなさい!」
確かに白昼堂々は気が引けるだろうが、もうそんなことを言っている状況ではない。それに年端もいかない少女たち(琴里含む)の唇を奪っておいて、今更この程度で音を上げるなど許さない。
『あー、もうやけだ!』
士道はしばらく逡巡していたが、やがて行動を起こした。七罪の目の前に膝をつき、ぎこちなく指示を実行する。その様子ははっきり言って爆笑ものであったが、効果は想像以上だった。数値の減少が止まったかと思うと、一拍置いて瞬間的に急上昇していた。僅かではあるが好感度も上昇している。やはり少々刺激が強かったらしい。
「何とか危機は脱しましたね」
艦橋下部にいるクルーの一人が、ほっとしたように息をつく。
ドアに顔をぶつけた程度で精神状態が乱れるとは、やはり七罪のメンタルは問題だ。まあデートが始まった直後でないだけましと言えるだろう。むしろ七罪にしては良く持った方と言える。
「……ところで神無月、あなたどっちに入れたの?」
「無論①です。合法的に幼女にキスできる機会など、絶対に逃す手はありません」
艦長席の隣に直立不動で立つ神無月が、くそ真面目な顔でふざけたことを口にする。いつものことなので慣れているものの、相変わらずの変態である。
「③も考えましたが、叱咤するよりされる方が好きですので」
罵っても喜ぶだけ。かといって殴る蹴るといった暴行を加えても更に喜ぶだけ。一体どうすれば良いのやら。
「ああ! 司令の蔑みの篭った視線も堪りません!」
琴里が冷めた気分で視線を向けていると、神無月は恍惚とした笑顔で体をくねらせる。
「……ふんっ!」
「あふんっ!」
何もしないというのもむかつくので、とりあえず足を力いっぱい踏みつけておいた。もちろんピンポイントで小指を狙って。
床に倒れて痛みに悶絶する神無月であったが、その表情はこれ以上ないほど幸せそうだった。
こうなったらやるしかない。
やけくそになった士道は、七罪の前に膝をつくと顔を覆っている手をどけた。その下の瞳は生気を失ったように虚ろで、表情は果てしなく暗い。確かにこれは人の目を気にしている場合ではなさそうだ。
覚悟を決めて、七罪の両頬に優しく手を添える。どうやら肌の手入れもしたらしく、中々に瑞々しい。
ごくりと唾を飲み、士道は口を開いた。
「い、痛いの痛いの、飛んでけー!」
多少裏返った声で言い終え、ぶつけたために赤くなっている七罪の額へ口付ける。通行人からどう見えているかは、あまり考えたくない。
キスした瞬間、呪詛の如き七罪の呟きが止まった。まだ状況が理解できないらしく、凍りついたように固まっている。恐る恐る顔を覗き込むと、呆然としているのが分かった。
「な、なな、なななな――」
やがて七罪の頬に少しずつ赤みが差し、表情も恥ずかしそうに歪んでいく。
正直士道も恥ずかしい。七罪ほどではないが、赤くなっているのが顔の熱さで分かる。
「な、何するのよ士道!?」
素早く立ち上がり、自分自身を抱きしめる格好で睨みつけてくる七罪。変に顔が赤いせいか、慌てふためているように見える。
「いや、その、落ち着かせようと思って……」
「あんなので落ち着く訳ないでしょうが! 何考えてんのよ!?」
「す、すみません……」
落ち着きはしなかったが、少なくとも精神状態の低下は食い止められた。安定しているかどうかは非常に疑わしいが。
居心地の悪さに視線を逸らすと、こちらを見ている通行人たちの顔が目に入った。疑念や好奇に満ちた視線、あるいはにやけ顔を遠慮なしに向けてくる。こちらはこちらでかなり居心地が悪い。
「と、とりあえず中に入ろうぜ、七罪!」
「そ、そうね! 行きましょ!」
七罪も同じ気持ちだったらしく、力いっぱい頷いた。人々の視線から逃れるため、二人で迅速に映画館へと入る。ちなみに七罪は士道の背後にぴたりとくっついてきたため、今度はドアに顔をぶつけずにすんだ。
映画館の中はキャラメルポップコーンの甘い香りが充満していた。食欲を誘うその香りに、士道の胃袋は鳴りそうになる。とはいえ士道はポップコーン派ではなく、フライドポテト派なのだが。
「思ったより人いないな……で、観たい映画のタイトルは?」
何事もなかったように尋ねると、七罪は映画のパンフレットのある棚へ向かった。戻ってきた時には、その手に一枚のパンフレットが握られていた。
「これなんだけど、ちょっと問題があるのよね」
「問題? どれどれ……」
映画の内容は良くあるゾンビもののようだ。あまり詳しくは載っていないが、何やらB級の匂いがする。恐らく怪し気なウィルスが広まり、主人公たちが逃げ惑い、最後は爆発オチといった所だろう。内容はともかく、特に問題はないように思える。
不意に士道の頭の中に疑問が浮かんだ。大抵のゾンビものはグロいので年齢制限がある筈だ。となるとこの作品にも――
「……これ十五禁じゃねえか」
「そう、それが問題なのよ……」
士道の指摘に、七罪は顔を曇らせる。
精霊の年齢はあくまで外見から判断したものであり、本当の所は本人たちにも分かっていない。外見以上でも以下でもある可能性があるが、何も知らない一般人は外見で判断してしまうだろう。そして七罪の外見では、どう贔屓目に見ても十五歳には見えない。
『ゾンビものの十五禁ねえ……デートには適さないんじゃないかしら。士道、他の映画じゃ駄目か聞いてみなさい』
「七罪、他の映画じゃ駄目なのか?」
「だ、駄目よ。これじゃないと駄目」
頬を染めて首を振る七罪。何かどうしてもこの映画でなければならない理由があるらしい。
「けど十五禁じゃ七罪は入場口で止められ――」
そこまで口にして、士道は気付いた。四糸乃や琴里には無理だが、七罪には誤魔化す方法がある。入場口を通る前に、大人の姿に変身してしまえば良い。
「……ひょっとして、同じこと考えてるか?」
「たぶんね。必要な霊力はさっき戻った分があるから、それを使えば問題ないでしょ?」
やはり同じことを考えていたらしく、七罪は得意気に笑う。確かに先ほど逆流した霊力を用いるのなら、問題はないような気もする。まあ一応琴里に聞いてみた方がいいだろう。
「なぁ、良いのか?」
『良いんじゃない? どうしてもその映画じゃないと駄目みたいだし。ただし、バレない所で変身させなさい』
「分かった……七罪、変身する時は人気のない所でな。俺は先にチケット買っておくから」
「分かってるわよ、それくらい」
七罪は頷くと、希望の座席を口にしてからトイレの方へ向かった。希望したのは一番上の段の端で、映画の観やすさより位置的な安心感を優先しているようだ。
あまり人が並んでいなかったため、チケットはすぐに買うことができた。劇場の座席表を見るに、どうもこの映画はマイナーらしい。上映二十分前だというのに席は空きの方が多く、劇場そのものも小さい。まあ七罪にとっては人が少ない方が精神的に良いかもしれない。
「お待たせ、士道くん」
天井の巨大スクリーンに映る映画予告を観ていると、士道は後ろから声をかけられた。振り向くとそこにいたのは、大人の姿に変身した七罪。しかし本人の外見だけでなく、服装にも大幅な変化が見られる。
胸元の大きく開いた白いワイシャツに、その上から着込んだ黒いジャケット。体にぴったりした紺色のタイトスカートには深いスリットが刻まれ、タイツに包まれた太股が覗いている。変身前がお嬢様学校の生徒なら、こちらはセクシーなキャリアウーマンといった所か。相変わらず絵に描いたような美しさだ。
「あら、士道くんたら顔が赤いわよ? 私の魅力にあてられちゃった?」
「う、いや、まあ、そんな所だ」
頬を指で突つかれ、士道はどもりながらも答えた。その反応に満足したのか、にっこりと微笑む七罪。
「それじゃ、次は飲み物でも買いに行きましょ? もうすぐ映画が始まっちゃうから、急がないと」
そう口にしつつ、何気ない動作で左腕に抱きついてきた。
「ちょっ!?」
二の腕に触れる柔らかな感触に、士道の心拍は急上昇する。まるでぬいぐるみか何かのように強く腕を抱きしめられ、必然的に二の腕は七罪の両胸に包まれる形となっていく。
「お、おい、七罪! くっつきすぎだって!」
「良いじゃない、せっかくのデートなんだから。皆に見せつけてあげましょ?」
見せつけるまでもなく、士道たちは既に注目を浴びていた。この映画館の中にもカップルは何組かいるが、変身した七罪ほどの体つきと美貌を持った女性はいない。注目を浴びるのはごく当然と言える。
ただし視線の多くは七罪ではなく士道に向けられ、嫉妬や敵意といったほの暗い感情に満ちていた。これ以上見せつけたら殺意に膨れ上がりそうなほどだ。男の嫉妬はかくも醜い。
「な、七罪、少し離れような? その、当たってるからさ……」
「ふふっ。当たってるんじゃなくて、当ててるのよ?」
恥ずかし気もなく言うと、更に強く抱きしめてくる七罪。その豊満な胸の間に、士道の二の腕はほとんど埋まってしまう。動かすと余計に悲惨なことになるので、そのまま固まらせるしかない。かといって無理に振り解けば、七罪の機嫌が悪くなってしまうかもしれない。
殺意の込もった鋭い視線が注がれる中、士道はいたたまれない気持ちで売店の方へ歩き出した。
「んー、席はここね。お先にどうぞ、士道くん」
「ああ、それじゃ……」
何とか男共の嫉妬の眼差しを潜り抜け、劇場へと辿り着いた士道。七罪に促され、劇場の左端の席へと座る。
最上段の端だけあって、比較的スクリーンが良く見えた。劇場内の様子もほとんど見渡せる。見た限りでは人はまばらで、映画のジャンルが問題なのかカップルは一組もいない。そのためか最上段の端で仲良く並んでいる士道と七罪は、またしても注目の的になっていった。
「はい、士道くん。あーん」
しかしそんなことは全く気にせず、七罪はフライドポテトを食べさせようとしてくる。
「あ、あーん……」
当然断れないので、素直に口を開けるしかなかった。座席を探す若者のグループが凄まじい形相で睨んでくるが、決して士道は見せつけようとしている訳ではない。これは精霊の機嫌を損ねないためなのだ。断じて恋人のいない男たちを馬鹿にしている訳ではない。まあ傍から見ればそう見えるのかもしれないが。
「それじゃ、次は士道くんの番よ。私にもその長くて、硬いの、食べさせて?」
「や、やめろ! 変なこと言うな!」
何やら別のものを連想させる言葉を、七罪は甘く囁いてくる。確かにこのポテトは長いがどちらかといえば細長く、揚げたてなので表面は硬いというよりカリカリだ。間違っても何らいかがわしいものではない。
「ほ、ほら、あーん」
「あ――んっ、むぅ」
これはポテトだと心で念じながら、士道は七罪に食べさせた。七罪は半ばまでポテトを口にすると、残りの部分を指で口の中に押し込んだ。最後にその指を妙に艶かしく舐めると、にこりと笑う。
「ん、おいしい」
今の七罪は楽しんでいるようだが、元の姿に戻った時はどうならことやら。少なくともしばらくの間は羞恥と後悔に悶えるだろう。そのせいでまた変身するというループに陥らないことを祈るしかない。
「ほらほら、士道くん。そっちお願いね?」
その声に再び七罪に目を向けると、あろうことか口にくわえたポテトをこちらに突き出している。どう考えてもこれは棒状の菓子を使ったあれな遊びだ。
「いやいや、それは流石に……」
「もうっ、士道くんたらノリが悪いんだから」
『そうよ、いいじゃない。キスだってしたんだから』
頬を膨らませる七罪と、明らかに面白がっている琴里。食べさせあうくらいならともかく、これはノリ以前の問題だ。とりあえず話題を変えるべきか。
「そ、そういえば、そのままの姿で映画観るのか? それとも一度元の姿に戻るのか?」
「んー、そうね。このまま士道くんとイチャイチャするのもいいけれど、やっぱり一度元に戻るわ。だってこのままじゃ目標が達成できないもの」
『目標?』
士道と琴里の声が重なる。今のは口を滑らせたのか、七罪ははっとして口元を押さえた。
「な、何でもないわ。それじゃ私そろそろ元に戻らないといけないから、行ってくるわね!」
「あっ、ちょっと待てよ七罪――」
誤魔化すような笑みを浮かべて席を立ち、逃げるように階段を下りていく。大人の姿の七罪にしては珍しく、少し取り乱しているらしい。その姿が完全に見えなくなってから、士道は琴里に尋ねた。
「なぁ、目標って何のことだと思う?」
『普通に考えればデートの目標じゃないかしら。内容は分からないけど、たぶん元の姿でやらないと意味がないみたいね』
「うーん、内容が分かればそれとなく協力してやれるんだけどな……」
大人の姿の時にすら喋らなかったことを、本来の七罪が喋る訳はない。やはりここは自力で頑張らせるしかないのだろうか。
『ひょっとしたら四糸乃には話してるかもしれないわね。仲良いみたいだし。ちょっと聞き出してみるから、待ってなさい』
それは実に頼もしいが、四糸乃が知っていたとして聞きだせるかは疑問である。七罪が話したというのなら、間違いなく誰にも言わないよう念を押しているはずだ。『よしのん』はともかく、四糸乃がその約束を簡単に破るとは思えない。
『分かったわよ、士道』
「早っ!」
だがいかなる手段を用いたのか、琴里は三十秒もかけずに結果を出してきた。
『七罪は今日のデートで、自分から士道の手を握ることを目標にしてるらしいわ。もちろん変身せずによ。簡単すぎて欠伸がでそうだけど、七罪には難易度高そうね』
「そうか? 意外とできそうな気もするけどな……ていうか、どうやってこんな早く聞き出したんだ?」
『四糸乃は約束守るタイプでしょうし、面倒だからちょっとカマかけたのよ。おかげで簡単に聞き出せたわ』
「……最低だ」
清廉潔白な四糸乃を騙し、約束を破らせるとは最低の行為だ。せめて騙されたことに四糸乃が気付いていないのを願うしかない。
『どうしてもその映画を観たがってたのは、怖がるふりして手を握るためじゃないかしら。普通は恋愛映画にするべきだと思うんだけど……』
「回りくどいというか、七罪らしいというか……」
琴里と共に、士道は少々呆れた。別に無理に理由を作らずとも、手を握るくらい構わないのだが。
『とりあえず今は自力でやらせてみましょ。七罪がどこまで変わってきてるか、確かめてやろうじゃない』
「……了解」
士道は頷き、七罪を待った。今頃は元の姿に戻り、自分の発言や行動を思い出して現実逃避しているのかもしれない。
やがて劇場が暗くなり、新作映画の予告が始まる。それから二分ほどたった頃だろうか、階段を上がってくる小さな人影が見えた。その挙動はゾンビのようにふらふらとしていて危なっかしい。たぶん、いや間違いなく七罪だ。
「七罪、大じょ――」
「言わないで士道。何も、言わないで。お願い」
虚ろな目をした七罪が心配で声をかけたが、言い終える前に片手で制された。もう片方の手で自分の額の辺りを覆っている。これ以上傷をえぐられたくないのだろう。その気持ちは琴里に何度も古傷をえぐられた身としては、痛いほど分かる。
隣に腰かけた七罪に、士道は無言でポテトとジュースを差し出した。同様に七罪も無言で受け取る。
『その様子じゃしばらく放っておいた方が良いわね』
「……そうだな」
抱きついて胸を押し当ててきたことか、ポテトを食べさせあったことか、いわゆるポッキーゲームをしようとしたことか、あるいは全てか。いずれにせよ大人の姿の時にしたことを思い出し、精神的に相当なダメージを受けたに違いない。琴里の言う通り、しばらくそっとしておくべきだ。
映画本編が始まって二十分ほどたった頃だろうか。少しずつ怖めのシーンが出てきた。七罪が手を握ってくるとしたら、こういったシーンに乗じるはずだ。
士道は座席の肘かけに右手を置き、ひたすら待った。だがそこから十分、二十分、三十分と経過しても、手を握られることはなかった。横目でちらりと七罪を見ると、左手を右往左往させているのが分かる。士道の右手に左手を近づけ、すぐに引っ込めるのを何度も繰り返している。それなりに怖いシーンが出てきているのだが、未だ決心がつかないらしい。
『駄目っぽいわね』
「駄目っぽいな」
士道も琴里と同意見だった。かれこれ三十分、七罪はこの調子だ。心なしか呼吸も荒く、今にも倒れそうなほどだ。
一度キスしたことがあるのだから、手を握るくらい七罪にもできる。そう思っていたのだが、乙女心というものは複雑極まりないものらしい。
『これは少し後押しするべきかしら――あ、ちょうど選択肢が出たわ。グッドタイミングね』
<フラクシナス>艦橋のメインモニターに、再び三つの選択肢が表示された。
①何気なく手を握る。
②「ぎゃー! 怖い!」怖がるふりをして抱きつく。
③「すまん、怖くて駄目だ。終わるまで抱きしめさせてくれないか?」膝に座ってもらう。
「総員、選択!」
琴里が指示を出すと、数秒ほどで結果がディスプレイに表示された。僅差で①が最も多く、次いで②、③といった具合である。本来なら最も票の多い①を選ぶのだが、ここまで票がばらけると迷ってしまう。
「どうするべきかしらね……」
口の中で飴を転がしながら悩む琴里。艦橋下段ではクルーがそれぞれの意見を主張し始める。
「ここは①にすべきでしょう! こちらは手を握ることに抵抗がないとアピールするべきです!」
「いえいえ③ですって! ここは士道くんに大胆な行動を取らせて、手を握るくらい何でもないことだと思わせるべきですよ!」
確かにどちらも一理ある。士道の方に抵抗がないと分かれば、七罪もいずれ行動を起こすかもしれない。あるいは七罪の感覚を麻痺させ、手を握るくらい平気だと思わせるのも良い。
だがこれでは決められない。もっと的確な意見が欲しい。
「令音、あなたの意見は?」
「……ふむ、確かにシンに抵抗がないのをアピールするのは良い考えだ。だが七罪がためらっている理由は、恐らくシンではなく七罪自身にある。これでは①を選んでもあまり意味はない」
令音の言うことはもっともである。七罪が手を握れないのは、自分は汚いから人の手に触れるべきではない、などと卑屈なことを考えているせいに違いない。
「……その点②と③は期待できる。怖がるシンを安心させるため、という大義名分が得られるからね。これなら七罪も手を握るかもしれない」
「ふぅん、なら令音はどっちを選んだの?」
「……②だ。③も悪くはないが、七罪には刺激が強そうだ。それに終始膝に座っていたら、手を握りにくいだろう?」
「なるほどね……」
流石令音だ。相変わらず的確な意見である。それに比べて、自身の趣味全開の神無月はまるで役に立たない。どうせおかしな理由で③を選んだに違いない。
「で、あなたは③に入れたのよね神無月。全く……」
「それは誤解です、司令。私は今回②を選びました」
「ふーん、どうして?」
「村雨解析官と同じ理由です」
「へー、そう。本音は?」
「できれば膝ではなく私そのものに座って頂きたいからです」
すまし顔で答える神無月。毎回毎回ふざけているとしか思えない。琴里は隣にくるように神無月を促し――
「ぎゃうんっ!」
前回踏みつけた場所をもう一度踏みつけた。幸せそうにのたうち回る神無月を尻目に、マイクのスイッチを入れる。
「士道、②よ。怖がるふりして抱きつきなさい。あなたが怖がってるって知れば、七罪も手を握ってくるかもしれないわ」
「怖がるふり、か……」
具体的にどの程度怖がるふりをすれば良いのか分からず、士道は頭を抱えた。いっそ無言で抱きつくという手もあるが、表情だけで恐怖を表現できるほど演技力がある訳でもない。やはりここは恥ずかしくとも、悲鳴を上げながら抱きつくしかない。
「ぎ、ぎゃー!」
「きゃあああぁぁぁ!?」
タイミングを見計らい、士道は七罪に抱きついた。存外可愛らしい悲鳴が腕の中で上がる。七罪の体から微かに漂ってきた柑橘系の香りは、恐らく香水か何かだろう。間違いなく周りの人々から視線を向けられているが、劇場内が暗いため確認できないのは幸いだった。
極限まで気を張り詰めた状態で抱きつかれたせいか、七罪は尋常でないほど驚いたらしい。暗くともはっきり分かるほど顔は赤く、瞳には涙さえ浮かべている。
「す、すまん七罪! 怖くてつい……」
離れると七罪は動悸を抑えるように胸に手を当て、荒い呼吸を繰り返し始めた。ここまで驚かれると軽い罪悪感を覚えてしまう。
十秒ほど経つと落ち着いたのか、七罪はこちらを睨みつけてきた。だがその表情に怒りは感じられず、どちらかといえば士道を心配しているように見える。
「全く……私の心配しておいて自分の方が怖がってるじゃない。大丈夫なの?」
どうやら本当に心配していたようだ。怖がるふりで騙しているせいか、非常に胸が痛む。
「ああ、大丈夫だ……たぶん」
「自信なさげね。良く分かるわ……」
自分に自信を持てないせいか、七罪は深く共感しているらしい。
罪悪感で胸が痛むものの、士道が怖がっていると思わせることには成功した。映画は最低でも後一時間ほどあるはずなので、その間に七罪が手を握ってくることは十分考えられる。後は怖がっているふりをしつつ待つだけだ。
しかしいつまで待とうと、手が握られることはなかった。七罪の左手は相変わらず宙を泳ぎ、士道の右手には一度たりとも触れない。そのまま時間だけが無駄に過ぎ去り、ついに映画はエンドロールを迎えてしまった。
『駄目だったわね』
「駄目だったな。まあ努力はしてたみたいだけどな」
ただしその努力が無駄になったせいか、七罪はがっくりとうなだれている。インカムからアラームは聞こえてこないので危険ではないだろうが、かなり落ち込んでいることは間違いない。
「七罪。おい、七罪?」
「ふぇっ!? あ、何? どうしたのよ、士道?」
「もう映画終わったから、劇場が明るくなる前に出ようぜ」
「あ、ああ、そうね。行きましょ」
少々反応が鈍かったが、七罪は頷いて席を立った。しかしその表情は変わらず暗い。
本当にこんな調子で、七罪は目標を達成できるのだろうか。最初は簡単ではないかと思っていたが、今は疑わしいことこの上ない。とはいえデートは始まったばかりなので、可能性がない訳ではない。もっと後押ししていけば、きっと七罪も目標を達成できるはずだ。
七罪と共に劇場の出口へ向かう中、士道は次にどこへ向かうか考え始めた。
前編終了です。お疲れ様でした。
作中にあった自動ドアのくだり(目の前にいるのに開かない)は実体験です。子供の頃の話ですが、何度もぶつかりそうになったのをよく覚えています。
今回は服装を決めるのがとても難しかったです。わざわざ絵を描いて決めましたが、私の知識と表現力ではあれが精一杯でした。もっと女性の服装を勉強しないと駄目かな……。
※追記。ご感想にあった挿絵を投稿してみました。出来は酷いのでご覧になる方は心してください。髪の量が足りない? 仕様です。
【挿絵表示】