デート・ア・ライブ 士道デイリーライフ   作:サイエンティスト

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 リザルト = 結果、結末。
 「七罪ストライヴ」の後編です。本当はリザルトではなく別の単語にする予定でしたが、よくよく考えると明らかなネタバレだったので止めました。投稿に異様に時間がかかったのは、プライベートが忙しくなったせいと、自然にイチャつかせる展開を考えていたせいです。まあ結局はさほどイチャつかせることはできませんでした。もっと私に文才と感性があって、七罪が折紙並みに積極的ならなぁ……。



七罪リザルト

「お待たせしました。ご注文のフルーツパフェでございます」

 

 七罪の目の前にフルーツ満載のパフェを置くと、店員は一礼して去っていく。

 映画を観終わった士道と七罪は、近くのレストランへと昼食をとりにきていた。一応映画館ではジュースとポテトを口にしたが、それだけでは少々物足りない。かといってたくさん食べられるほど空腹ではなかったので、軽くデザートでもということになったのだ。

 ただし席に座るに当たり、七罪はまたも映画館と同じような席を希望してきた。今回の希望は隅のテーブル席、窓側ではない場所。ちょうど店の奥に希望通りの席があったため、今回はそこに座っている。更に壁を背にしているため、安心感は抜群のはずだ。

 しかし向かいでパフェをもそもそと食べる七罪の表情は、どこまでも深く沈んでいた。沈み具合を物理的に表すなら、地球の内核あたりまでといった所か。もう気の毒になるほど沈んでいる。映画館で目標を達成できなかったことを、いまだに引きずっているようだ。

 

「なぁ、大丈夫か七罪? ずっと元気ないみたいだけど」

 

 流石にこれ以上見ていられず、士道は声をかけた。だが七罪の目標について知っていては不審に思われるので、知らない風を装うしかなかった。

 

「え? へ、平気よ。ただちょっと疲れてるだけだし」

 

「ならいいけど、きつくなってきたら言ってくれよ? 早めにデートを切り上げるからさ」

 

「それは駄目よ! だって、まだ……」

 

 声を荒げたかと思うと、顔を赤くして突然黙り込んでしまう七罪。口振りから察すると、目標達成はまだ諦めていないらしい。

 普通ここは理由を尋ねる場面だが、続く言葉は分かっているし、何より尋ねれば精神状態や感情値を乱すだけである。士道はあえて追求せず、何事もなかったようにお冷をあおった。

 

「……ねえ、聞いてもいい?」

 

「ん、何だ?」

 

 こちらが尋ねないでいると、逆に七罪が尋ねてきた。ただしその視線は士道には向けられていない。目を合わせるのが恥ずかしいのか、完全にそれている。

 

「そもそも何で私とのデートをオーケーしたの? 別に断っても良かったのに……」

 

「何でって言われても、断る理由もなかったしな。それにお前がごほうび欲しいって言ったから、一応お礼のつもりだよ。あの時お前がいなかったらどうなってたか分から――いや、分かるな……」

 

 四糸乃の姿をした『よしのん』に襲われたあの時、もし七罪が助けにきてくれなければ、士道は間違いなく尊い何かを失っていた。その最悪の結果を想像してしまい、士道は恐怖に身震いした。

 

『まあ、めでたく性犯罪者の仲間入りだったでしょうね。ちなみに子供に対しての性犯罪は、刑務所でも嫌われるらしいわよ』

 

 なるほど。とてもためになる情報だ。一応こちらが被害者にあたるのだが。

 

「ふーん……なら、ずいぶん高いお礼になったわね。四糸乃みたいな可愛くて性格の良い子ならともかく、私とのデートなんて苦痛でたまらないでしょ」

 

「あーもう、お前いい加減その卑屈な考え方止めろよな。別に苦痛なんかじゃないし、今日のお前は誰から見ても可愛いぞ」

 

 自虐的な笑みをもらす七罪に、士道は多少強く言って聞かせた。もちろんこれは本音である。デート自体は大変だが苦痛には感じていない。それに今の七罪は、間違いなく四糸乃にも引けを取らないほど可愛い。死んだ魚のような目をしていなければ。

 

「……そりゃ士道はそう言ってくれるでしょうね。でも、誰の目から見てもなんてありえないわよ」

 

 だが素直に誉め言葉を受け入れるほど、七罪は前向きでも自信家でもなかった。

 

「もっと自信持てよ、七罪……」

 

『本当筋金入りのネガティブ思考ね……』

 

 もう呆れるしかなかった。間違いなく今の七罪は可愛いというのに、七罪自身がそれを否定してしまっている。

 今七罪に必要なのは自信だ。もっと自信を持たせることができれば、目標達成に一歩近づくはずだ。しかしその方法が思いつかない。一体どうすれば――

 

「お待たせしました。ご注文のチョコレートケーキでございます」

 

 士道が頭を抱えていると、ちょうど注文したケーキが運ばれてきた。一ホールの八分の一程度にカットされたケーキを置き、店員は再び一礼して去っていく。

 その姿が見えなくなってから、士道は小声で琴里に知恵を求めた。せめてこのデート中だけでも、七罪に自信を持たせることはできないかと。向かい合った状態で虚空に呟くのは怪しさ満点だが、七罪はそもそもこちらを見ていないので不審には思われない。

 

『んー、そうね。私に考えがあるわ。こっちで準備を進めるから、指示するまでそのままデートを続けなさい』

 

「ああ、頼んだ」

 

 士道は小声で頷いた。琴里の方で作戦があるのなら、今士道がすることは何もない。とりあえず今は食事をしておこう。

 皿を引き寄せ、ケーキにそえられたフォークに手を伸ばす。すると何故か七罪の視線がその手に注がれた。いや、どちらかといえば視線はもう少し横、つまりケーキに注がれているようだ。それに若干物欲しそうな表情をしている。

 

「……よかったら少し食べるか?」

 

「……まあ、くれるなら」

 

 七罪は多少迷っていたが、結局は頷いた。フォークと皿を差し出すと、それを手元に引き寄せ、ケーキの端の部分を少し切り取り口にした。

 

「ん、割とおいしいわね」

 

 そんな感想をもらし、皿をこちらに戻してくる。それを受け取りいざ食べようとした時、士道は気がついた。食べるために使う肝心のフォークがない。何故かまだ七罪の手に握られたままだ。テーブルには割り箸は備えられているものの、フォークやスプーンは見当たらない。とりにいくのも面倒なので、七罪が持っているフォークを使うのが一番だろう。

 

「七罪、そのフォーク使うから貸してくれよ」

 

「えっ? や、やめた方がいいわよ? これ私が使ったやつだから」

 

 若干顔を青ざめながら、七罪は首を横に振る。

 

「あ、悪い。俺が使ったら間接キスになるよな」

 

 顔を青ざめているのはそれが理由だろう。七罪も女の子だ。気にするのは当然のことである。

 

「いや、それは構わないんだけど……私が使ったから汚いし……」

 

 その呟きを聞いた瞬間、士道は確信した。間違いなくこの卑屈な考え方が、目標達成の障害となっている。七罪が自分を汚いと決めつけているせいで、映画館でも行動できなかったに違いない。自信を持たせるのも大事だが、まずはこの考えを改めさせる必要がある。

 

『……士道、分かってるわね』

 

 言われるまでもない。士道は身を乗り出して七罪の手からフォークを奪い取った。

 

「えっ、あっ、ちょっ――」

 

 不意を突かれて反応が遅れる七罪。奪い返そうとこちらに手を伸ばしてきた時には、すでにフォークの先端は切り取ったケーキと共に口の中にあった。もう手遅れと悟ったのか、困ったような顔で手を引っ込めていく。

 

「……別に汚くなんかないぞ。お前が卑屈に思ってるだけで、誰もそんな風には思ってねえよ。むしろ喜んで間接キスしようとする奴の方が多いんじゃないか?」

 

「そ、そんなことある訳……」

 

 俯きながら七罪は否定する。行動で示して見せたというのに、まだ信じられないらしい。まあ一筋縄ではいかないのは最初から分かっている。こうなったら効果も刺激もより強い行動を取るしかない。

 

「……実はさっき、その、ちょっと興奮した」

 

「はあっ!?」

 

 ぽつりと本音を呟くと、七罪の顔は一瞬にして耳まで真っ赤に染まった。もうどんな反応をすればいいか分からないようで、ただただ目を白黒させている。

 

『大胆なカミングアウトね、士道。まさか本当にロリコンだとは思わなかったわ。神無月といい酒が飲めそうね』

 

『何故話してくれなかったのですか士道くん! 同好の士として、是非後ほど語り合いましょう! 特に司令の未成熟な肢体の描く、緩やかな曲線美について――』

 

『黙れ変態!』

 

『ぎゃいんっ!』

 

 何か騒がしいが、とりあえず無視しておくべきだろう。今は混乱している七罪への対処が最優先だ。仮に一つだけ言うとすれば、士道は断じてロリコンではない。

 

「あー、えーと、つまりだな……それくらい今のお前は可愛いってことだ。だからもっと自信持てよ」

 

「そ、そう……一応、努力はしてみるわ」

 

 目をそらして呟くと、七罪はぐいっとお冷をあおった。その冷たさによるものか、顔から赤みが引いていく。

 否定しなかった所を見ると、少しは前向きに捉えているらしい。しかしまだ思う所があるのか、難しい顔をしてもくもくとパフェを食べている。

 無理にその原因を聞きだすのはよろしくないので、士道は一旦置いておくことにした。七罪と同じく、食事を再開する。そこからはずっと無言だったので、店内の喧騒がなければ非常に気まずい時間だったかもしれない。

 

「……ごちそうさま」

 

 数分もすると完食した七罪は、空になったパフェの器にスプーンを置いた。士道の方は運ばれてきたのが遅かったので、食べ終わるにはもう少し時間がかかる。少し待っていてくれるように頼もうと顔を上げた時、それは士道の目に映った。

 士道から見て左側の七罪の頬、そこに白いクリームが僅かについている。本人は気付いていないらしく、拭き取る様子はない。お冷を飲んで一息ついている所だ。

 

「おい、七罪。ほっぺたにク――」

 

『ちょっと待ちなさい、士道。選択肢よ』

 

 何気なく教えようとすると、士道の言葉は途中で琴里に妨げられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 <フラクシナス>のメインモニター。そこには二人用の席に向かい合って座る士道と、七罪の姿が映っている。その映像に被さるように、本日三度目の選択肢が出現した。

 ①頬にクリームがついていることを普通に教える。

 ②優しく指で拭い取り、それを舐める。

 ③ダイレクトに舌で舐め取る。

 

「司令、ここは③しか考えられません」

 

 琴里がクルーに指示を出す直前、神無月が口を開いた。常に直立不動の神無月だが、今は右足に体重をかけ、左の膝を曲げて立っている。左足を踏まれすぎたせいで両足では立てないようだ。いいざまである。

 

「聞くまでもないことだろうけど一応聞くわ。どうして?」

 

 琴里は艦長席の椅子を回し、神無月の方を向いて尋ねた。

 

「舐めるという行為は愛情表現の一種。まして相手は未成熟な子猫ちゃん。頬といわず、全身くまなく舐め回すのが、究極かつ至高の愛情表現かと」

 

「……ふっ!」

 

 浅い呼吸と共に、琴里は変体の鳩尾に捻りを加えた拳を叩き込んだ。渾身の一撃を食らった神無月は、声すら上げずに崩れ落ちる。

 突っ伏して痙攣する神無月は無視して、琴里はディスプレイに視線を戻した。すでにそこには有能なクルー達による選択結果が表示されている。②がもっとも多く、①が僅か。ここまでは予想通りだったが、不思議なことに何故か③に二票入っていた。

 

「③の一票は神無月よね。もう一票は誰なの?」

 

 琴里が問いかけると、艦橋下段から恐る恐るといった様子で手が上がった。手の主は<次元を超える者(ディメンション・ブレイカー)>中津川だった。

 

「わ、私でござります、司令……」

 

「びくついてないで理由を言いなさい。真面目に考えた上での選択なら、神無月のような目には合わないわ」

 

 琴里は無意味に暴力は振るわない。振るうのは隣で悶えている救いようのない変態や、腑抜けな義理の兄に対してだけだ。

 中津川はほっと胸を撫で下ろし、口を開いた。

 

「やはりここは嬉し恥ずかしなラブコメ的展開が一番かと存じます。好きな相手にこれを

されて、喜ばない女の子はいません! 二人の距離もぐっと縮まり、目標達成に大きく近づくことでしょう!」

 

「いえ、それで喜ぶのは漫画やアニメの中でだけだと思いますよ? 実際にやられたらたぶん引きますけど……」

 

「なん……ですと……!?」

 

 力説する中津川だったが、<藁人形(ネイルノッカー)>椎崎の言葉に驚愕を露にした。更に艦橋の女性クルーのほぼ全員が頷き、追い討ちをかける。ただし令音だけは我関せずといった様子で、全く反応を示さなかった。もしかすると嫌ではないのかもしれないが、琴里にもいまいち判断がつかない。

 驚愕に打ちのめされる中津川を、<早過ぎた倦怠期(バッドマリッジ)>川越が呆れを含んだ声で笑った。

 

「全く、女心が分かっていないな中津川くん。そんなことでは結婚できないぞ?」

 

「四回も離婚した川越さんが言う台詞じゃないと思います。あ、五回でしたっけ?」

 

「うぐぅ……」

 

 あんたが言うな、と言おうとした琴里だったが、<保護観察処分(ディープラヴ)>箕輪が代弁してくれた。痛い所を突かれたであろう川越は、中津川以上に打ちのめされている。今に限って言えば、七罪よりも<フラクシナス>の男性クルーの方が精神状態は悪いだろう。

 不意に鉄を叩くような音が艦橋内に二、三度響いた。その重厚な音は士道がインカムを小突く音だ。長く待たせたせいで痺れを切らしているらしい。琴里を急かすとは随分と偉くなったものだ。

 

「ああ、②よ士道。指でクリームを拭い取って、さもおいしそうに舐めてあげなさい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「な、何よ士道。私の顔に何かついてる? それとも顔そのものが気に入らない?」

 

 じっと見つめていたせいか、七罪はしきりに頬の辺りに触れ、何かついていないか確認している。クリームのついている側とは反対側の頬を探っているが、早く行動を起こさなければすぐに自分で拭ってしまうだろう。

 七罪のためとはいえ、恥ずかしいことばかりさせられるのはどうにかならないものか。

 

「ああ。頬っぺたにクリームついてるぞ。ほら、ここに」

 

「ひゃっ!?」

 

 たぶんどうにもならないので、士道は諦めて七罪の頬に手を伸ばした。曲げた人差し指の外側でクリームを拭うと、思いのほか柔らかい頬の感触にどきりとさせられる。もちろん七罪はそれ以上にどきりとしたようだ。触れられた頬を手で押さえながら、目を白黒させている。

 気の毒だがこれで終わりではない。士道は指についたクリームを舐め取った。

 

「なっ!?」

 

 顔を赤くして目を見開く七罪。気持ちは分からないでもないが、いちいち過剰に反応していて疲れないのだろうか。

 

『んー、感情値は乱れまくってるけど、それ以外の数値は割と安定してるわね。もっと積極的にいってもよかったかしら』

 

「おい、何させる気だ」

 

 士道は疑惑に満ちた声を投げかけた。これ以上積極的な行動といったら、ラブコメで良くある展開しか思い浮かばない。年端も行かない少女に対して、人前でそんなことをする勇気など持っていない。映画館前で行った額へのキスが限界である。

 七罪は何か言いた気に顔を歪めていた。主に羞恥と混乱が見え隠れしていたが、結局何も言わずにお冷に手を伸ばした。ごくごくと一気に飲み込み、熱を持った顔を体の芯から冷却している。

 本当に感情の浮き沈みが激しい。こんな調子でこの先大丈夫なのだろうか。士道はそう思わずにはいられなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目つきが問題なのか、七罪は常に不機嫌そうな表情に見える。だがそう見えるだけで、実際に不機嫌であることはほとんどない。大抵は自己嫌悪やネガティブ思考に陥っていて、機嫌以前の問題だからだ。

 しかし今こちらを睨みつけてくる七罪は、普段よりも数段不機嫌そうな顔をしていた。程度は不明だが間違いなく機嫌が悪い。

 

「……で、何でこんな所につれてきた訳?」

 

 その声もどこか刺々しく感じられる。まあそれも仕方のないことだ。外見にコンプレックスを抱えた七罪を、説明もなしにこんな所へつれてくれば。

 

「ここブティックじゃない! ここで一体何するつもりよ!?」

 

 目と鼻の先にそびえる大き目のブティックを指差し、七罪は語気を荒くする。

 ここへきたのは琴里からの指示だ。ここで七罪を更に可愛くきれいに変身させ、もっと自信を与えるというのが琴里の考えらしい。要するに以前実行したことを再現するつもりなのだろう。

 七罪が若干怯えているのは、店先から漂う圧倒的なオシャレ感のせいに違いない。ショーウィンドウに飾ってあるドレスやスーツ等は、結婚式で新郎新婦が着ていても違和感がないほどだ。正直士道も一人では入りたくない。

 

「そりゃあお前に似合う服を選ぶに決まってるだろ。それ以外何するんだよ。冷やかしか?」

 

 七罪は何度も首を横に振った。その顔は世界の終わりがきたかのように青い。

 

「む、無理よ。無理無理。こんな所に私に似合うようなボロ布ある訳ないわよ。他の所行きましょ」

 

『駄目よ。ここじゃないと意味がないんだから』

 

 そのまま逃げるように後ずさりしていく。七罪が怖がる気持ちは多少理解できるが、琴里に指示された以上ここに入るしかない。何とか引き止めなくては。

 

「そんなの見てみないと分からないだろ? とりあえず入ってみようぜ」

 

 できる限り優しく促したものの、七罪は頑として首を縦には振らない。

 

『予想はしてたけど面倒くさいわね。士道、首根っこ引っつかんででも店に入りなさい』

 

 心の底から面倒くさそうに琴里は言う。いくら何でもそんな乱暴なことはしたくない。とはいえ多少強引な手段を用いなければ難しいことなのは確かだ。

 

「なぁ七罪、どうしても嫌なのか?」

 

「嫌よ! こんなとこ入るくらいなら、トイレでぼっち飯してた方がまだまし――」

 

 叫ぶ七罪だったが不意に言葉を切り、何かを考えるように目をそらす。心底嫌そうな顔をしていたのだが、こちらに視線を戻した時にはその表情は消えていた。代わりに浮かんでいたのは、どこか恥ずかしげな表情。

 

「いや、まあ……うん。後で私の頼みを一つ聞いてくれるっていうなら、我慢してもいいけど……」

 

 そのまま歯切れ悪く呟く。

 恐らくは手を繋いで欲しいと頼む気なのだろう。七罪には再びチャンスが巡ってくる上、士道は琴里の言いつけ通りブティックに入ることができる。断る理由は一つもない。

 

「分かった。俺にできることなら何でも聞いてやるから、入ろうぜ?」

 

「う、うん……」

 

 士道がブティックの入り口へ向かうと、七罪は怯えながらも後についてきた。背後にぴたりとくっついてくる様子は、お化け屋敷で怖がる子供のようでどこか可愛らしい。

 店内に足を踏み入れた瞬間、士道は七罪が怖がる理由を理解した。店内にはオシャレの化身のような衣服が所狭しと並び、ある種の重苦しい空気を作り出していた。デートのために気合の入った服装をしている七罪はともかく、ただの私服の士道には耐え難い空気である。自分がとんでもない場違いに思えてきて、冷や汗が出てくるほどだ。というかどう考えても場違いだった。

 

「いらっしゃいませー。本日はどういったご用ですかぁ?」

 

「うぉっ!?」

 

 不意に横から声をかけられ、士道は飛び上がりそうなほど驚いた。声の方向に目を向けると、そこにはエプロンドレスに身を包んだ一人の女性が立っていた。恐らくはここの店員なのだろう。腰まである長い黒髪と、大きな茶色の瞳、店の制服が窮屈そうに思えるほど大きな胸が特徴的だ。

 だが何よりも特徴的なのは、その声質だった。聞いただけで脳の奥深くまで浸透し、中毒にさせられそうな危険な感覚を覚えてしまう。声自体に聞き覚えはないのだが、士道はこの感覚に心当たりがあった。この女性、まさか――

 

「お客様ー?」

 

 考えを巡らす士道の顔を、その女性が覗き込んでくる。それも二十センチあるかないかの超近距離から。明らかに客と店員の距離感ではないし、見知らぬ異性との距離感でもない。

 ほぼ間違いなく、この女性は変装した美九である。声自体が変わっている所を見るに、以前士道も使用した<ラタトスク>製の変声機を装着しているらしい。重要な声質が変わっていないのであまり意味はないものの、その変声機を使用している時点で<ラタトスク>が一枚噛んでいるのは分かる。つまりこれは琴里の差し金ということだろう。色々と聞きたいことはあるが、それは今触れるべきことではない。

 

「ああ、えっと……こいつに似合う服を探しにきたんですけど――って、あれ? どこいった?」

 

 ひとまず客と店員の関係を装うことにして、士道は美九に答えた。しかし肝心の七罪の姿が、背後から消失していた。周囲を見回すとやや離れた場所にある柱に身を隠し、こちらを不安気に覗く姿が確認できる。

 恐らく七罪も声質で美九だと分かったのだろう。七罪はやたら美九に絡まれることが多いので、苦手意識を持っているのかもしれない。

 

「あららー、恥ずかしがり屋さんですねー。でも大丈夫ですよー。私が問答無用で着替えさせちゃいますからぁ」

 

 言うが早いか、美九は七罪の元へ駆け寄っていった。驚いて逃げ出そうとする所を強引に捕まえ、ずりずりと引っ張ってくる。

 

「は、離してよ! 離してってば! はーなーしーてー!」

 

「ふふふ、怖がらなくても大丈夫ですよ。私があなたにぴったりの服を選んであげますからねー」

 

「私にぴったりの服って何!? 刑務所の囚人服!? 精神病院の拘束衣!?」

 

 七罪は必死に足を踏ん張っているが、抵抗虚しく引きずられている。やがて士道の隣までくると、助けを求めるようにこちらをじっと見つめてきた。何だか今にも泣きそうな顔をしている。

 

「士道ぉ……」

 

「そんな顔するなよ……後でちゃんと頼みを聞いてやるから、少しくらい我慢してくれ」

 

「うううぅぅ……」

 

 恨みがましい声を上げながらも、七罪は抵抗を止めて自らの足で歩き始めた。しかし美九は解放する気などないらしく、掴んだ手首を離そうとはしない。

 

「うーん、どんなお洋服がいいですかねー。お客様、何かリクエストはありますかぁ?」

 

「んー、そうだな……可愛いの、かな」

 

「分かりましたー。それじゃあ、とびっきり可愛いものを選んできますねー」

 

 試着室の前でそう言い残すと、美九は店のどこかへと駆けていった。

 やっと解放された七罪は以外にも大人しくしている。もちろん乗り気ではないようだが、少なくとも逃げ出す様子はない。どうやら目標の優先度は何よりも高いようだ。

 

「……あれ、美九よね」

 

 美九の姿が見えなくなるなり、七罪は静かに尋ねてきた。流石にこれにはどう返答すればいいのか迷った。

 確かにあの店員は美九だ。それは間違いない。だが七罪が問題にしているのはそこではなく、何故美九がブティックの店員をしているのか、ということだろう。これが一般人ならアルバイトという理由で誤魔化せるかもしれないが、精霊であり今をときめく大人気アイドルでもある美九では不可能な相談である。

 

「何でこんな所にいる訳?」

 

 七罪は予想通りの言葉を続ける。

 しつこく粘ってこの店に入らせたのだから、知らぬ存ぜぬで通じるはずはないだろう。士道は何気ない動作でインカムを小突き、助けを求めた。

 

『んー、職業体験とでも言っておけばいいんじゃない? ちょっと苦しい言いわけだけど』

 

 ちょっとというか、かなり苦しい言いわけだ。しかし<ラタトスク>の指示と言うわけにもいかない。やむなく士道は言いわけすることにした。

 

「職業体験できてるらしいぞ。あの変装はたぶん客にバレないためだな。声質でバレそうな気もするけどな」

 

「ふーん、なるほどね」

 

 相槌を打ってはいるが全く信じていない。睨むとまではいかないものの、蔑むような目で見つめてくる。別に士道が美九を呼んだ訳ではないので、やましいことは一つもないのだが、こんな視線を向けられていると嫌な汗が出そうだ。

 

「お待たせしましたぁ。お洋服持ってきましたよー」

 

 気まずい空気を和らげるほんわかとした声と共に、美九が戻ってきた。安心した士道とは対照的に、七罪は恐怖としか思えない表情を浮かべる。

 

「そ、それは……っ!」

 

 激しく動揺しながら、少しずつ後ずさりしていく。その顔は貧血を起こしたかのように血の気がない。

 七罪の視線の先にあるのは、美九が手に持っている洋服。それは別に囚人服でも、拘束衣でもなかった。何の変哲もない、水色のドレスだ。しかし七罪にとってはよほどハードルが高いらしい。

 

「無理よ! それだけは絶対無理!」

 

「無理じゃありませんよー。きっとお似合いですから、着てみましょうよー」

 

 じりじりとにじり寄る美九。つめられた距離だけ後退する七罪。両者の睨みあいは数秒ほど続き、やがてどちらからともなく追いかけっこを開始した。

 

「あーん、どうして逃げるんですかぁ? 待ってくださいよー」

 

「待たないっ! ドレスなんか着るくらいなら、水着にエプロンの馬鹿っぽい格好の方がはるかにましよー!」

 

「いいですね、それ! じゃあドレスの次はビキニと黒のエプロンにしましょうね!」

 

「ちくしょおおぉぉぉぉ! 墓穴掘ったあああぁぁぁぁぁ!」

 

 悲鳴を上げながら逃げ回る七罪と、嬉々として追いかける美九。まばらにいる他の客や店員が咎めない所を見ると、どうやら全員が<ラタトスク>機関員のようだ。相変わらず無駄に大掛かりな作戦である。

 

「捕獲しましたー! それじゃあお着替えさせてきますねー」

 

「ぎゃあああああああぁぁぁぁぁぁ!!」

 

 やがて捕らえられた七罪は、美九の小脇に抱えられて試着室という名の檻に連行されていった。最後まで手足を振り乱して抵抗していたが、あまり意味はなかったようだ。

 

「……で、何で美九がいるんだ?」

 

 一人取り残された士道は、琴里に尋ねた。

 

『もちろん私が呼んだのよ。七罪が士道とデートしてるから、少し後押ししてやって欲しい、って言ってね。喜んで引き受けてくれたわ』

 

「だろうな……」

 

 士道は試着室に視線を向ける。

 

「ぎゃー!? ちょっと、どこ触ってんのよ!?」

 

「ふふふっ、ほーら脱ぎ脱ぎしましょうねー」

 

「あー、もうっ! 脱げばいいんでしょ!? 自分で脱ぐから変な所触んないでよ!」

 

「変な所ってどこですかぁ? こことか、こことか、こことかですかぁ?」

 

「きゃはははははははは! ちょ、やめ、くすぐるなあああぁぁぁぁ!」 

 

 七罪の後押しをするのが目的なわりには、美九はやたらに楽しんでいるような気もする。まあ趣味と実益をかねてやっているのだろう。

 

『最初は機関員に任せようとしたんだけど、七罪の性格を考えると美九が妥当だと思ったのよ。美九のペースに飲んじゃえば、七罪もネガティブする暇なんてないでしょ』

 

「うーん、まあ、確かに……」

 

 琴里の思惑通り、七罪は今の所ネガティブ思考に陥っていないようだ。精神状態が悪化していればインカムからアラームが聞こえてくるはずなので、それは間違いない。しかし感情値などはあまり芳しくないだろう。試着室から聞こえてくる二人のやりとりから、手に取るようにそれが分かる。

 

「あー、何してるんですかぁ? ちゃんと下着も着替えないと駄目ですよー」

 

「はあっ!? 何で下着まで着替えなきゃいけない訳!? あ、こら! 脱がそうとするなあああぁぁぁぁぁ!」

 

「心配しなくても大丈夫ですよー。ちゃんと可愛いの選びましたからぁ」

 

「そういう問題じゃ――って、どこが可愛いのよ!? ほとんど紐じゃないそれ!」

 

「まあとにかくつけてみてくださいよー……はあっ……はあっ……」

 

「息荒くしてんじゃないわよ! っていうかこっち見んな!」

 

 中の様子を想像しそうになり、士道は必死に頭を振って煩悩を追い出した。二人は声が外に届いていると知らないのだろうか。

 これ以上二人のやりとりを聞いていると精神衛生上よろしくないので、士道は試着室から数メートルほど距離をとった。それでも七罪の悲鳴染みた声は届いてくるが、断片的にしか聞こえないので先ほどよりはましである。

 

「はーい、お着替え終わりましたよー」

 

「お、やっとか」

 

 店内の服を見て時間を潰すこと数分。試着室から美九が出てきた。一仕事終えたような清々しい笑みを浮かべている所を見ると、結果は上々らしい。これはかなり期待できそうだ。

 

「それじゃあお披露目です。そーれ!」

 

「えっ!? ちょっと待って! まだ心の準備が――」

 

 七罪の制止も虚しく、美九は容赦なく試着室のカーテンを引いた。

 

「おおっ……」

 

 現れた七罪の姿を目にして、士道は息を呑んだ。驚きではなく、その美しさに。

 身にまとうのは高級感漂う薄手のドレス。細い腕には肘の上から指先まで包む純白のミトン。頭の上には黄金色に輝くティアラ。そのどれもが七罪を素敵なお姫様へと変身させていた。フリルで裾を彩られたスカートで見えないが、ガラスの靴を履いていたとしても違和感はないほどだ。

 しかし何よりも士道の心を掴んだのは、七罪の必死に恥ずかしさに耐える様子だった。真っ赤な顔で俯き、お腹の辺りで合わせた指を落ち着きなく蠢かしている。その様子が今の服装と相まって、恥ずかしがり屋のお姫様という一種の属性を作り出していた。そんな七罪の姿を見ていると、胸に心地よい痛みが走ってくる。何と素晴らしい姿なのだろうか。

 

『ちょっと士道。アホな顔で見惚れてないで、さっさと何か言いなさい』

 

「うおっ!?」

 

 右耳のインカムから琴里の冷めた声が聞こえてくる。その声に驚いてしまったことから考えると、見惚れていたのは本当のことらしい。ただしアホな顔をしていたかどうかは定かではない。

 

「あー、えっと……すごいな、七罪。本当のお姫様みたいにキレイだぞ」

 

 何か気のきいた言葉を探すものの、予想外の美しさに当てられたのか頭は上手く働かなかった。やむなく自分が抱いた感想をそのまま口にする。

 だがそれで十分だったようだ。士道の言葉を聞くなり、七罪は無言でカーテンを閉めた。表情は見えなかったが、僅かに口元が緩んだのはしっかりと見た。

 

『機嫌、好感度、急上昇。感情値は地震計みたいになってるけど、案外素直に受け入れたみたいね』

 

 それはそうだ。士道も見惚れてしまうほどの美しさだったのだから、七罪もその三分の一くらいは自分でも思ったに違いない。

 これで少しは自分に自信を持ってくれたはずだ。もう士道にできることは何もない。後は七罪が勇気を出すだけだ。

 過程はどうあれ結果を出したのは事実なので、美九にも礼を言っておくべきだろう。士道は隣に立つ美九の方を向いた。

 

「って、あれ? いないぞ?」

 

 しかしつい先ほどまで隣にいた美九の姿は、いつのまにか消えていた。もしかすると先ほど口にしていた水着とエプロンを取りにいったのかもしれない。

 

「だーりん、だーりん! 見て下さい! いっぱい持ってきましたよー!」

 

 興奮気味な声に振り向くと、そこには笑顔で駆けてくる美九の姿があった。もう正体を隠す気は毛ほどもないらしい。どの道七罪にもバレているので関係ないが。

 危惧した通り、美九の両手にはやたら面積の少ない水着とエプロンが抱えられていた。しかもそれだけには留まらず、メイド服やバニースーツといったおかしなものまである。これは明らかに美九が楽しむためのものではないだろうか。

 

「待ってて下さいねー、すぐにお着替えさせちゃいますからぁ!」

 

「うぎゃああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 

 返事を待たずに試着室へ突進していく美九。直後その中から七罪の悲鳴が上がったのは予想できたことだが、下着姿の七罪本人が飛び出てきたのは予想外のことだった。

 無論その肌色成分九割の姿は、士道の目にばっちりと映りこんだ。ただし直線上に立っていたためか体当たりをくらい、押し倒されて頭を打ち、幸か不幸か鮮明には記憶に残らなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はあっ……どっと疲れたわ……」

 

 それがブティックを出た七罪の第一声だった。

 注射を嫌う子供のように大暴れしていた七罪だが、結局は美九に無理やり着替えさせられていた。試着室の中から聞こえてきたやりとりは、思い出すだけで七罪が可愛そうになってくる。

 それだけのことがあって何も買わないというのも癪なので、恐らく着ることはないが最初のドレスだけは買っておいた。財布に会心の一撃並みのダメージを受けたが、そこは<ラタトスク>が何とかしてくれるはずだ。

 

「全く……何だってあんなもの着なくちゃならないのよ」

 

「機嫌直せよ。一応全部似合ってたぞ」

 

「ふん。そんなこと言われたって、嬉しくも何ともないし」

 

 不機嫌そうな顔でそっぽを向く七罪。しかし本心では嬉しがっていたことは、琴里からの報告で知っている。とはいえメイド姿はともかくバニー姿を似合っていると言われても、素直に喜ぶことはできないだろう。あれは得も言えぬ背徳感が漂う、危険極まる格好だった。

 

「ほら、早く次の場所に行きましょ」

 

 行き先を決めていないというのに歩き出す七罪。もしかすると照れ隠しなのかもしれない。

 後を追おうと一歩踏み出した時、士道はおかしなことに気がついた。先を歩く七罪の姿が、不自然にゆらゆらと揺れている。

 

「おい、大丈夫か七罪? 何かふらふらしてるぞ」

 

「別に何でもないわよ。それより次はどこに――わっ!?」

 

「七罪!」

 

 こちらを振り向いた途端、七罪は足をもつれさせてバランスを崩した。咄嗟にドレスの入っている紙袋を放り、駆けよって倒れる体を抱きとめる。

 

「ふうっ、危ねえ……」

 

 何とか間に合った士道は、安堵の息をもらした。もし七罪が顔面でも強打しようものなら、映画館前の時と同じ悲惨な結果になっていたかもしれない。とはいえそんな合理的な理由があって助けたわけではないが。

 あのふらつきようと転び方。恐らく七罪は疲労が相当溜まっているに違いない。考えてみれば当然のことだった。デートが始まる前から神経を張りつめさせ、デート中も極度の緊張状態で過ごし、あまつさえ先ほどは大暴れしたのだ。むしろ今まで疲れが出なかったのが不思議なほどである。流石にこんな状態ではもうデートを続けることはできない。

 

「なあ七罪、今日はもう帰ろうぜ? お前疲れてるみたいだしさ」

 

「だ、大丈夫だってば! まだまだ平気よ!」

 

 腕の中で真っ赤になって固まっていた七罪は、飛び退るように離れて声を荒げた。明らかなやせ我慢なのは、何もない所で転びそうになった点からはっきりと分かる。

 

「……駄目だ。もう帰るぞ」

 

「嫌よ! せっかくのデートなんだから! それに、それにまだ……」

 

 七罪の気持ちはよく分かる。せっかくの初デートをこんな不本意な形で終わらせたくないのだろう。精神をすり減らすほどの努力を行ってきたというのに、未だ目標を達成していないのだから。

 

「デートなんて、またいつでも何度でもしてやるよ。今はお前のことの方が心配だ」

 

 今は何よりも七罪の方が大切だ。その気持ちを素直に伝えると、険しい顔で反対していた七罪は胸を突かれたように押し黙った。

 

「ほ、本当……?」

 

 小さく開かれた唇から、震えた声が微かにもれてくる。

 

「ああ、本当だ。だから今日はもう帰ろうぜ?」

 

 士道は迷いなく頷いた。本当はどの言葉に対しての問いか分からなかったが、いずれの言葉にも嘘はない。

 たっぷり五秒ほど何か考えていたようだが、やがて七罪は無言で頷いた。

 

『さて、これが最後のチャンスね。これで駄目だったらせめて士道から握ってやりなさい』

 

 琴里の言う通り、今この瞬間が七罪にとって最後のチャンスだ。これから家に帰るのだから、この場か帰り道で手を握れなければもうチャンスはない。そして七罪の性格ではこの場を逃したらそれで終わりになるかもしれない。

 もちろんまた挫折するという可能性も十分にあるだろう。だが今の七罪には二つの後ろ盾がある。一つはブティックに入る前に交わした、頼みごとを聞くという約束。もう一つは、今の七罪は何もない所で転びそうになるほど疲れているという事実。転んでしまうから手を繋いで欲しい、という頼みは理由づけとしては十分のはずだ。

 

「あ、あのさ……士道……」

 

 不意に黙り込んでいた七罪がか細い声をもらした。頑張れ、と応援したいのを必死に抑えながら優しく答える。

 

「ん、どうした?」

 

 もじもじしながら、再び沈黙する七罪。どうやら後一歩が踏み出せないらしい。だが数秒後、意を決したように(あるいは自棄になったように)はっきりと口を開いた。

 

「その、約束してくれたわよね? 私の頼みを聞いてくれるって。あれは本当のこと?」

 

「おう。俺にできることなら、だけどな」

 

「そ、そう……じゃあ、一つ頼みたいことがあるんだけど――」

 

 その頼みを一体どれほど待っていたことか。

 七罪の努力がようやく実る嬉しさを、顔に出ないようにするのはとても大変だった。

 

「――別に強制はしないわ。約束でも嫌なら嫌で断ってくれて構わないし、断っても別に恨んだりしないし……でも私疲れてて転ぶかもしれないから、迷惑じゃなければ聞いて欲しいんだけど……」

 

『前置きが長い! さっさと言いなさいよ!』

 

 琴里の怒声が鼓膜を突き抜ける。気持ちは分かるが七罪にしては飛躍的な進歩なのだから、これくらいは大目に見てやってほしい。

 更に数秒ほど口をつぐみ、ようやく七罪はその言葉を口にした。

 

「手……繋いでくれない……?」

 

 たどたどしいながらもはっきりと聞こえたその言葉に、インカムから<フラクシナス>クルーたちの弾けるような歓声や拍手が鳴り響いてきた。無論士道も同じ気持ちだったが、流石に七罪の前で諸手を上げて喜ぶ訳にはいかない。そもそも七罪の目標は本人と四糸乃以外知らない秘密なのだから。

 

「ああ、いいぜ。ほら」

 

 士道はゆっくりと左手を差し伸べた。真っ赤な顔で不安気に視線をそらしていた七罪は、その手を見て驚いたように目を見開く。もしかすると断られると思っていたのかもしれない。

 やがて士道の左手に、おずおずと小さな手を伸ばしてきた。緊張のためか微かに震える指先が触れる直前、一瞬動きを止めてためらっていたものの、迷いを振り払い手を重ねてきた。

 これで目標達成である。本当は労いの言葉の一つもかけたい所だが、ここでそれを口にすれば秘密を知っていることがバレてしまう。

 

「それじゃ、帰るか」

 

「……うん」

 

 暖かいを通り越して熱い七罪の手を握り返し、士道は放った紙袋を拾ってから帰路についた。手を引いているせいなのか、重かった七罪の足取りは先ほどよりも軽く感じられる。

 

『士道、七罪の顔を覗いてみなさい。珍しいものが見られるわよ』

 

 どこか穏やかな琴里の声に従い、士道は横目で七罪の顔を見てみた。そして僅かな驚きを覚えた。

 七罪が、笑顔を浮かべている。満面の笑みというほどではないが、とても嬉しそうな笑顔を。七罪のこんな顔を見るのは、もしかすると初めてのことかもしれない。その笑顔はことによると、ドレスを着た姿よりも可愛らしい。

 

『士道と手を繋いでることがよっぽど嬉しいみたいね。私も七罪のこんな顔を見るのは初めてだわ』

 

 労いの言葉をかけることはできない。だが代わりにできることが一つだけある。それは少しでも長く、七罪が嬉しさを感じられるようにすること。

 士道は歩調を緩め、なるべく遠回りになる道を歩き始めた。

 

 

 




 七罪のお話はこれでお終いです。お疲れ様でした。
 できればキスの一つもさせたかったんですが、自然にそこまで持っていく展開は思い浮かびませんでした。ちくしょう、絶対にいつかキスさせてやる……。
 次のお話も今回と同じかそれ以上に時間がかかると思います。細々と続けていきますので、見かけたら読んで下さるとありがたいです。一応活動報告も書き始めたので、気になる方は冷やかし程度に読んでみてください。
 ちなみに次は美九か十香のお話を書く予定です。少なくとも七罪よりはイチャイチャさせられる……はず。
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