一.双方世界(two world)
地霊殿。嫌われ者だらけと言われている地底でも、その住人たちからさえも群を抜いて避けられている、呪われた館である。当然、今日も来客はない。
そんな館の中、寝室と執務室を足して二で割ったようなとある一室において、半眼と心臓付近に浮かぶ
その少女の名を
「やっぱり、私には紙媒体の方があってるわね……」
第三者の視点から見れば、さとりはイスに座って右目を閉じているだけのようにしか見えない。しかし、さとりのその暗闇に包まれた右目の視界には、彼女しか見えない不可思議な画面が暗闇の中に浮かんでいた。
さとりはそこに書かれた無数の文字の羅列を見やり、つい今しがたのひとりごとを口にしたのである。
「電子書籍、か。こうして本を持ち歩かずに手軽に見れるのもいいけれど、どうにも本を読んでいるっていう実感がない。私には紙の本の方があってるわね」
とは言うものの、電子書籍そのものを否定しているわけではない。本に比べてかさばらないし、出かけた先でふとした拍子に読みたくなったり、本を持っていくのが煩わしくなった時、家に保管場所がない場合など、データの方が有用な場面もある。
もっとも、さとりは外に出かけることなど滅多になく、自宅も無駄に広いお屋敷のためにスペースは有り余っており、さとりとの相性は最悪なのだが。
電子書籍の文字列が映し出されていた画面を、バツ印のボタンを押して閉じる。すると端っこの方にアイコンが並ぶ、猫とカラスが背景のものに切り替わった。デスクトップというデフォルトの画面である。
そのいくつものアイコンの中の、山と森が描かれているそれに目を向けた。それはMMO、つまりオンラインゲームを始めるためのアイコンだ。
「……ずいぶんと変わったわね、私も」
手を伸ばしかけて、それを途中でやめる。
これを初めて起動する前は、毎日本を読んで、たまに書いてみたりすることだけが趣味の、なんの変わり映えのしない日々を送っていた。それが満足できる日常だったかと言われれば、半分は嘘で半分は本当になる。
他人の心を読むのが嫌だった――嫌悪感を向けられるのが嫌だった。他人の心を読んでいる最中、まださとりのことをどうとも思っていないその内心が、いつどこで嫌悪感へ変わるのかと思うと、心を読むのが億劫だった。そんな状態で他人とまともな交流なぞできるはずもなく、信頼できるのは自身を心から慕ってくれるペットたちだけ。
他人の心に振り回されないという点では、とても快適な日常だったように思う。けれど、そんな日々が鬱屈で物足りなかったことも確かだった。
「心を読めない世界に行けるだけで、ここまで変わるなんて」
いや、それも違うか。最初の森で誰とも出会わなければ、きっと二度とMMOを起動することもなかった。あの日あの時、秦こころという少女に会うことができたから、こうして楽しくゲームを続けることができている。
感謝している。頼っている。慕っている。そんな自分の心が理解できる。
それはひどく心地がいいとともに、さとりにとってはあまりにも抱かなすぎたものだから、それが失われてしまうかもしれない幻想を思うと、少し恐ろしい。
ずっと心を読んで、嫌われてきたから。他人に嫌われることが当たり前になってしまっているから。
もっとも、そんな不安を抱いてもしかたがないことはわかっているのだが。
「恐ろしいと言えば……」
もう片方の目も閉じると浮かぶ、美しい夜の草原で乱れ咲き誇る紅の狂気の光景。炎よりも紅く幻想的な光を放つ瞳が特徴的な、一〇にも満たない見た目の吸血鬼らしき少女。
あの少女の言っていた通り、レアアイテムたる〝
しかし今は向こう側の世界で彼女に殺されてから、すでにそれなりに時が経っている。あの日と比べればさとりもこころも強くなった実感はあるし、今ならばやりたい放題やられるということにはならないだろうということも、自信を持って思える。武器もこころとともに新しく倒した別のボスのもので新調していた。
ただ、一つだけずっと引っかかっていることがある。今日も電子書籍を読む前はずっと調べ続けていたのだが、どんなスキルやアビリティを探したところでそれに該当するものはなかった。
最後の、倒したと思った途端に《恐ろしい波動》が発現させた力。たったの十数秒で重傷の完治する超再生能力、赤茶色の枝のようなものに七色の結晶をぶら下げたような、おかしな形をした翼。
「いったいあれはなんだったのかしら」
やりたい放題やられるということにはならない自信はある。それでも、あの姿のあの少女に勝てるかと言われれば、口を噤まざるをえない。
それほどまでに圧倒的な存在感、肌で感じることのできる威圧感を放っていた。言うなれば、まるで本物の吸血鬼のように。
「……本物の吸血鬼、か」
ふとその時、扉の向こう側からかつかつと床を鳴らす音が聞こえてきた。落ちついたリズムの、靴を履いて床を叩く音。つまり、この部屋の近くを通ることに慣れている誰かの可能性が高いということになる。
それだけでその正体に大体のあたりをつけた。
さとりは視界に映っていた画面を消し、両目を開けると、肘をついて足音の主が来るのを待った。地霊殿のペットたちは不必要にさとりの部屋の近くを通ったりはしない。足音がするほど近くにいるということはつまり、ほとんどの場合がさとりに用があるということだ。
予想通り、足音は扉の前で止まり、こんこんこんとノックの音が響く。どうぞ入ってください、と許可を出すと、ぎぃ、と音を立てて扉が開かれた。
「失礼します、さとりさま」
真紅の髪を左右で三つ編みにし、ゴシックアンドロリータファッションに身を包む、黒い猫耳が特徴的な少女。名を
予想通りだ、とさとりの頬が緩んだ。
まぁ、もっとも、この部屋への来訪者自体が数えるくらいしかなく、お燐はその中でも一番回数が多いのだけど。
「どうかした? お燐。なにか問題でも起こったのかしら」
なんて聞いてみるものの、お燐の落ちつきようから、それがありえないことはわかっていた。お燐は自分の感情に素直なので、慌てていたりする時はばたばたと忙しなく動くものだ。
案の定、お燐は首を左右に振った。
「いえいえ、怨霊の管理はしっかりできてますし、おくうもきちんと灼熱地獄の管理をしてますし、他のペットたちも大人しく過ごしてます。なにも問題はありません」
「それはご苦労さま。あなたもおくうも、いつも本当にありがとうね」
「えへへ、滅相もないです。あたいもおくうも喜んでやってることですから」
なんて謙遜するものの、お燐の背後には垂直に立った二本の黒い猫の尻尾が見えていた。これまでの経験から、これが嬉しい時や甘えている時の仕草だということは理解している。そして実際、
さとりが微笑ましいものを見るような目で見つめていることにお燐も気がついたようで、お燐は顔を真っ赤に染め上げると、こほんと一つ咳払いをした。尻尾もさとりの視界に入らないように隠してしまい、あら残念、とさとりはこれ見よがしに肩を竦めてみせる。
「そ、それで、さとりさまのお部屋にお邪魔した理由ですけど……」
「……ええ。わかってはいるけど、あなたの口からお願い」
お燐はそんなさとりの様子を苦笑いで眺めながら、要件を告げる。
「こいしさまが、この『かきごおり』をさとりさまに渡してほしい、と」
お燐が取り出した、というより、ずっと後ろ手に回していた両手を前にして出てきたのは、かきごおりと表現するにはあまりにも無理がある赤色の液体の入ったグラス。というか完全に溶けている。
さきほどまではため息を吐きたくなる気分だけであったが、実際に目にすると「はぁー」と吐かざるをえなかった。
「これが、かきごおり?」
「地上から持ってきたものだそうです」
「そんなものが地霊殿まで溶けずに残ってるわけがないでしょうに……で、その当人たるこいしは」
「えぇと、あたいにあたいのぶんとさとりさまのぶんを渡したら、どこかに行っちゃいました」
「……あなたも苦労してるのね」
「いえ、まぁ」
完全に否定し切れないあたりから、お燐の苦労が窺える。
こいし――古明地こいし。それは、さとりの妹であり、この地霊殿に棲まうもう一人の
こいしは常に地霊殿にいるさとりとは違い、ほとんどの時は外出をしている。仮に帰ってきたとしても、それに誰も気づかないことなんて日常茶飯事で、会おうとして会えるような相手ではなかった。
そのくせして、いつもこうやって問題だけはきちんと押しつけてくる。こいしからすれば善意のつもりかもしれないけれど……。
「ほんっとうにあの妹は……まぁ、いいわ。お燐、それをこっちに持ってきてちょうだい」
「あ、はい」
お燐はさとりの方へ近寄ると、机の上に『かきごおり』を置いた。
さとりはその『かきごおり』を手元に引き寄せると、果てしなく微妙な面持ちでその中身を見つめる。しばらくするとグラスを動かした水面の揺れが収まり、そこに変な表情をしている自身の顔が見えてきた。
これを飲まなければいけないのか、と鬱屈な気分になりながら、さとりは肘掛けに肘をつく。
「……もう夏なのね」
「そうですねぇ。初夏ですけど、地霊殿と違って、地上はもうとても暑いです」
「へえ。そういえばお燐は、たまに地上に出かけたりしてるんだったわね」
お燐がびくんっと一瞬震えたのが視界の端に見えた。ただの世間話のつもりだったのに、あいかわらず変なところで怖がられてしまう。
さとりはお燐がなにを危惧しているのかを第三の目で探りながら、安心させるように首を左右に振った。
「別に、そんな暇があるなら怨霊の管理をしっかりしなさい、だなんて咎めてるわけじゃないわ。むしろお燐にはいつも尽くしてもらって感謝してるんだから。地上に遊びに行くくらいは自由にしてくれて構わないわよ」
お燐はほっと安堵の息を吐いた。
そもそも館の主たるさとり自身、起きている時は基本的にゲームをやっているか本を読んでるか書いてるかの三択なのだ。そんなさとりよりも何倍も一生懸命働いてくれているペットたちに文句を言う権利は、さとりにはない。
「地上はどう? 楽しい?」
「あ、はいっ。地底と違って人間の死体が手に入れやすいですし、異変の時はお祭り騒ぎみたいに賑やかで、こっちも調子が上がっちゃいます」
人間の死体が手に入れやすい――人間からすれば不気味な発言かもしれない。しかし、こうして人懐っこくさとりに地上での話をする姿からは想像しにくいが、お燐は火車の妖怪である。火車とは、人間の亡骸を奪うとされる猫又の妖怪だ。
MMOでは人間として立ち回ってはいるものの、さとりも現実では妖怪である。ゆえに、お燐の発言を特に問題だとは思わないし、咎めたりもしない。元来、妖怪とは人間の敵である存在なのだから。
「お祭り騒ぎ、ねぇ」
もしかしたらこいしは、いつも引きこもってばかりな姉に、そういうお祭り騒ぎの一端だけでも楽しんでほしくて、『かきごおり』をわざわざ地底まで持ってきてくれたのかもしれない。
そう思ってみると、この赤色の液体を少しは飲もうとする気力が湧いてくる……気がしなくもない。
微妙な顔ながら、改めてグラスと向き直るさとりの視界の隅に、お燐が不思議そうに自分を眺めている姿が映る。どうしたのだろうと、その理由を考えたり訪ねたりするまでもなく、
すなわち、『さとりさまから地上のことを聞いてくるなんて珍しい』という心を。
「……大して地上のことが気になったわけではないわ。ただ、最近は地霊殿以外の景色を目にすることが多かったから、自然とね」
心を読んでの発言に、お燐はまったく動じない。いつものことのようにさとりの言葉に対して首を傾げてみせる。
「地霊殿以外の景色、ですか? でもさとりさまは外出なんて滅多にしないはずじゃ……あ、もしかしてあれですか? えぇと、ふぁんたすてぃっくかんとりーさいど」
「ええ。あの世界じゃ私の能力も使えないから、心が読めない。それがまた新鮮でね」
さとりが自身の能力を煩わしく思っていることは周知の事実だった。さとりの言葉に、お燐は納得したように頷く。
「さとりさまもあれ、やってたんですねぇ」
「ええ。もしかしてお燐も?」
「はい! よくおくうと一緒にやります! ……あ、いえ。遊んではいますけど、その、あたいもおくうも、さとりさまに任された仕事は」
「きちんとやってるのよね。わかってるわ。あなたたちに限って、そんな心配はしてないから」
外に出かけていようと、ゲームで遊んでいようと、ペットたちが自分の信頼を裏切るはずがない。そんな思いが込められた迷いなき声色でのさとりの断言に、お燐は少し照れくさそうに頬を掻いた。
それからお燐は、逡巡したような声音でさとりに問いかける。
「その……さとりさま。あっちの世界は、楽しいですか?」
さとりはそれに頷くと、小首を傾けた。
「ええ。どうしたの? 急にそんなこと聞くなんて」
「い、いえ! なんでもないですっ」
なんてお燐が誤魔化そうとしても、そんなことは関係ないと言わんばかりに
――『久しぶりにさとりさまと一緒に遊びたいなぁ』。
「……ふふっ」
「え、あっ。い、いえ! 今の思考はほんの冗談ですから!」
「いえ、いいのよ。そうね……確かに、あなたが人型の姿を取れるようになってからは、仕事を任したりお礼を言うだけで、この手じゃ構ってあげられてなかったからね」
小さく微笑みながら、さとりは小さな自分の手のひらを見つめた。
それから、盲目になっていたのかもしれない、と少し反省をする。
こんなに近くにいたのに、今日までお燐の小さな欲求に気づくことができなかった。ずっと自分のためにがんばってもらっていたのに、彼女のためにしてあげられることを見つけようとしなかった。
以前までのさとりならもっと早く察することができていただろう。それができなかったのはきっと、MMOが楽しくて、そちらにばかり気が行ってしまって、現実でのペットたちへの対応を少しと言えど疎かにしてしまっていたから。
「お燐。また近いうちに、久しぶりに一緒に遊びましょうか」
「え? いいんですか? さとりさま」
「えぇ、もちろん。今日はもうあちらの世界での約束が先にあるから無理だけれど、明日以降ならいつでも」
そんなさとりの言葉に、お燐ははにかみながら「じゃあ」と頬を掻く。
ふいとさとりは、改めてお燐を見つめてみた。二つの瞳で見えるのは、彼女のアイデンティティとも言える人懐っこい笑みに、上機嫌に立った二本の尻尾。三つ目の瞳に映るのは、いつも感情がそのまま顔に出てしまう、誤魔化せない正直な心。
いくら心を読めない世界に焦がれようとも、忘れてはいけない。今日まで人の心を読めるという望まぬ力を抱えても正気を保って生きてこられたのは、心を読む瞳を閉じずに生きてこられたのは、心を読まれても一切気にしない
久しぶりに今度、放し飼いにしているペットたち一匹一匹のもとへ足を運んでみよう。相当な数がいるから大変だろうけれど、これまで一緒に過ごしてきた家族なのだ。たまにはそれくらいはしなければならない。
さとりはそんな風に思いながら、ずいぶんと久しぶりのお燐の我がままを聞き入れた。
「へえ。で、その『かきごおり』はどうしたの?」
「なんとか食べ切り……いえ、飲み切りましたよ。イチゴシロップの味しかしませんでしたけど」
「まー、そりゃそうだね。でも氷は全部溶けてたんでしょ? 水の割合も多いし、そこまで嫌がるほどでもないと思うんだけど」
「……妹のことです。どうせ、氷が全部が真っ赤になるまでシロップを振りかけていたんでしょう。とても濃かったですよ」
「……うん。ご愁傷さま」
仮想世界。人のほとんど立ち寄らない路地に開かれた小さなよろず屋の中で、さとりは一人の少女と向き合って座っていた。
少女は子どもらしいカエルの着ぐるみを身につけており、身長はよくて中学生ほどしかないさとりよりもさらに小さい。一見すると年端のいかない純粋無垢な幼女にしか見えないが、実際はそうではない。おそらくは現実ではさとりと同じく、いや、それ以上に長きを生きた畏怖を抱くべき魑魅魍魎の一匹。さとりはそれを、この少女――洩矢諏訪子と初めて会った時に浴びせられた威圧感から感じていた。
さとりはお茶を飲むと、つい数時間前に飲んだ赤い液体と比べての程よい濃度の美味しさに、満足そうに頬を緩ませる。
「それで、今日はどうしたの。聞きたいことがあるって言ってたけど」
「はい。どうしても気になることが一つ……」
さとりの頭によぎるのは、かつて自分とこころを狩った焔の悪魔の姿。枝のような赤茶色の翼が特徴的な、真っ赤な瞳の吸血鬼。
あれがどういうものなのか、あの日からずっと探し続けていた。しかし、彼女が使っていた他のスキル、『紅蓮弾』や『
「……重傷がほんの十数秒で完治する超再生能力に、急激なパワーアップ。そして不可思議な翼を生やす……それらを同時にこなすことができるスキルやアビリティの存在を知りませんか?」
「え?」
だからずっと聞いてみたかった。さとりよりもはるかにこの世界の事情に詳しいだろう、洩矢諏訪子という少女にそのことを。
諏訪子はさとりの質問に、まるでわけがわからないという風に首を傾ける。
諏訪子が腕を組み、うーん、と唸り始めた。しかし、しばらく待ってみても、困惑をその表情に浮かべているだけで答えは返ってこない。
どれだけネットで調べてもわからなかったのだ。やはり、諏訪子でも知らないのだろう。そう判断したさとりは、やっぱりなんでもないです、と言おうとして、その瞬間に諏訪子が「あ」と顔を上げた。
「もしかしてあれのことかな? 〝シンクロシステム〟」
「シンクロ、システム……?」
「そうそう。さとりは聞いたことないの、あれの噂。あのシステムなら確かに、さとりが言うようなでたらめなことも可能かもしれない」
「それはいったい、どういうものなんでしょう」
「コンフィグになかった? 〝シンクロシステム〟のオンオフがどうたらーって」
コンフィグなんてゲームを始めた直後くらいにしか開いていなかった。さすがにそこに書かれていたことをすべては覚えていない。
さとりは指を鳴らしてメニュー場面を呼び出し、コンフィグの欄を確認した。
「あ、本当ですね……確かにそんなものがあります」
「たぶんさとりが言ってるその現象の正体はそれだよ。まぁ、それって一応表向きはどういうものなのかまるでわからない謎システムって言われてるし、調べても見つからないのはしかたないかもね」
「謎システムって、どういうことなんでしょう。ヘルプにも載っていないんですか?」
「ないない。シンクロのシの字もないよ。ついでに言えばネットとかに書かれたその情報はどーいうわけか必ずすぐさま削除されるのよね。だから、表向きは誰も知らないし正体もわからない謎のシステムっていうことになってる」
それは、誰かが情報操作をしているということなのだろうか。簡単にその真相を知ることができないように、情報が出回らないようにしている。
ネット上すべてでそれを行えるなど容易な所業ではない。少なくとも人間ではないだろう。おそらく、相当に強大な力と知識を持った魑魅魍魎が後ろにいる。あるいは、製作者たる河童ならば情報操作も可能かもしれない。
「さとりが今考えてることは大体わかるけど、それが河童じゃあないことは確かだよ」
「どうして、そう言い切れるんです?」
「私が河童と身近なところに住んでるからさ。あいつらの動きは手に取るようにわかる。そもそもあいつらは自分たちの発明と
確かに、とさとりは頷く。しかしそれは逆に言えば、情報を隠すことによって得をする存在がいるということになるのではないか。ならば、それはいったいなんのために?
そんな風に考えようとしてみるが、あまりにも情報が少なすぎるせいで、さすがになにも思い当たらない。不毛だろうと判断し、話を先に進めることにした。
「では……その情報が隠されている〝シンクロシステム〟とやらの正体はいったいどんなものなんでしょうか。諏訪子さんは、それを知っているんでしょう?」
「あーうー、まぁ、知ってるけどねぇ……んー」
諏訪子はお茶の入った湯呑みをちゃぶ台の上に置くと、じっとさとりの目を見つめ始めた。
まるでそれが自分を観察しているように、その奥底を見据えられるように感じられて、さとりは少々身じろぎをする。
少しの間、そうやって見つめ合っていた。しかしふいと諏訪子は視線を外すと、再び湯呑みを口元に運んだ。
おかしな沈黙が過ぎ去ったことに、さとりは無意識にほっと息をはいた。
「残念ながら直接は教えられないね。今のさとりには、あれを正しく知るにはまだちょっと早いだろうから」
「……おめがねにかなわなかった、ということでしょうか」
「ま、ざっくばらんに言えば」
遠慮のない諏訪子の発言に、さとりは肩を落とす。
「でもまぁ、完全に教えることができないっていうわけでもない。せっかくあのシステムの力をその目で見て、その正体を知っている私のもとまでたどりついたんだ。私が知っているその真実にたどりつくための、いわゆるヒントを上げるだけならしてあげてもいいよ」
「ヒントですか?」
「そう、ヒント。率直に言えば、私はさとりに――そのシステムをほぼ自在に扱える使い手のことを教えてあげられる」
諏訪子はそう言って、不敵にさとりを試すような笑みを浮かべた。さとりはその中々の好条件と諏訪子の視線に、ごくりとつばを飲み込む。
「どうせ情報が隠されてるんだもん。せっかくだし、答えは自分で見つけるといいよ。その方が楽しいだろうし、真実にたどりついた時の達成感も相当ある。その間にさとりがそれを直接教えてもいいって判断してたくらいまで成長するかもしれないしね」
「実際にその目で見て、謎を解き明かせ、と」
「そう。私はただ、その真実へたどりつけるようにそこはかとなく誘導するだけ」
なるほど、と心の中で呟いて、さとりは湯呑みに入ったお茶を口に含んだ。
秘匿されているものを教えてもらうだけではあっけないというのは、なるほど理解できる。そもそも今日までずっと探し続けてきたのだ。他人から与えられるよりも、自分でたどりつきたいという気持ちは確かに、さとりの胸のうちにもあった。
「あぁ、一応言っておくけど、その使い手に『どうやってそのシステムを使ってるんですか?』なんて聞いても無駄だから。私が教える使い手は、真実を知ってたどりついた使い手じゃなくて、天性のそれだからね。どうすれば使えるかなんて……いや、たぶんそもそも、〝シンクロシステム〟を使ってるっていう自覚もないんじゃないかな。っていうか存在を知ってるかも怪しい」
「その、よくわからないのですが」
「つまり、たぶんそいつは、『なんか知らないけどパワーが上がった!』みたいに考えてるってこと」
「は、はぁ。それはなんというか……」
すごいと言えばいいのか、間抜けだとでも言えばいいのか。なんとも表現がしづらい。
……というか、システムの使い手がそんなだというのに、諏訪子にシステムのことを教えてもらえなかったということは、さとりはその頭の足りない何者かに及ばなかったと判断されたのだろうか。実物を見たわけではないが、地味にへこむ。
「あ。あと紹介はしないから。どの辺にいるー、とか、どんな特徴をしてるー、とかは教えるけど、あとは自分でどうにかしてね」
「え。その……知らない人に話しかけたりするのは、あまり得意ではないというか」
「うん、知ってた。だから言ってるのよ。さとりはそれくらいできるようになった方がいいもん。MMOっていうのは元々、そうやって知らない人と遊ぶためのものなんだから」
「それは……そうかもしれないですけど」
「そんなんだから、ゲームを始めてしばらく経つのに私を含めても二人しか知り合いがいないのよ。いい加減、自分から進んで人付き合いができるようになった方がいいわ」
「う、うぐ」
一切遠慮しないストレートな諏訪子の指摘がさとりの心にぐさぐさと刺さる。
さとりは現実では数百年を生きてきた妖怪ではあるものの、あいにくと人付き合い、とりわけ知らない誰かに自分から話しかけるということに関してはほとんどしたことがない。
『生まれて』すぐに、心を読むことが嫌われることとイコールであることに気がついた。だから傷つきたくなくて、自分から話しかけることはしなくなった。
他人と話す時は、「どうせ嫌われるから」とかけらも心は開かない。常に冷たく当たって、わざと心を読んでみせて相手を遠ざける。自分にとっても相手にとっても楽しくない会話をするようにずっと心がけてきた。
そうでもしなければ正気を保てなかったからだ。誰かと接することにほんの少しでも楽しさを感じたところで、すぐにでもそれは痛みに変わってしまう。数百年、そんなことを繰り返すことはごめんだった。
心を読まれても気にしない動物たち、そして同じ
ほんの少し前まではずっとさとりはそんなだったのだ。こんな心を読めない世界の存在を知らなかった。こんな誰にでも心を開いてもいい、
しかたがない。そんな一言で片付けることは簡単である。けれどさとりはそれを、諏訪子にそんな言葉は言いわけにならないと言外に告げられていると感じた。
さとりもいつまでもこのままではいけないことはわかっている。
一度大きく深呼吸をすると、さとりは湯呑みの中身を飲み干した。
「……わかりました。がんばってみます」
「うん、よろしい」
その後、さとりはその使い手がおそらくいるだろう場所を大雑把に教えてもらった。そうして残りの時間、いつもよろず屋に訪れた時のように、冒険での必需品を買ったり雑談を繰り広げたりと、のんびりと時間を過ごした。
明日か明後日か、こころを誘って早速その使い手を探しに出かけよう。そんな風に思いながら、やがてよろず屋を出たさとりはログアウトをした。