灰色の毛を持つ狼による突進を右にかわし、横薙ぎに剣を振るう。その刀身はちょうど狼の口から尻尾までを真横に裂いており、上下で真っ二つになった狼の死体が、どさりと背後で倒れ伏す音をさとりは聞いた。
だが、敵はそれで終わりではない。狼を一匹倒した瞬間を狙って、左右から同時に別の二匹の狼が飛びかかってくる。この狼たちが仲間の死に動揺したりと言った様子はなく、その目は狂気の赤色に染まっているように思えた。
今のさとりならば左右同時に襲われたところで対処はできただろう。ただ、その狼の目に、一瞬だけあの少女の姿を想起する。《恐ろしい波動》と対峙し、戦った際の感覚が全身を駆け巡り、一瞬ぴたりと体が止まってしまった。
「さとりっ!」
気がついた時にはもう攻撃を受ける寸前だった。もう避け切れない、と痛みを覚悟しようとした直後、さとりの耳に自分の名前を呼ぶ声が届く。それと同時に二つの斬撃がさとりの左右――さとりへと突撃をしかけていた二匹の狼へ刹那の間隔で連続に振り下ろされ、その首を絶った。
狼の死体がさとりの足元に転がり、飛び散った血が足の肌や靴、服などに少しかかった。
諏訪子によると、こういう汚れは装備に『祝福』さえしていれば、ごくわずかの耐久値を消費して時間経過で消えてくれるらしい。肌や髪に関しては元々時間経過でなくなるみたいだが、そうなると隠しパラメータの『清潔度』が下がってしまい、毒などの状態異常にかかりやすくなってしまうとのこと。血がついたらすぐに『タオル』等のアイテムで拭くことでそれを抑制できるとも言っていた。
辺りを見渡す。辺りには狼の死体が十数匹ほど転がっていた。
さとりは生き残りがいないことを確認すると、さきほど助けてくれた、自分の名前を呼んだ人物――頭の横に取りつけられたクマのお面と無表情な素顔が特徴的な少女、秦こころに向き直った。
「ありがとうございます、こころさん。少しぼーっとしてしまって……危ないところでした」
「ふふんっ、よいよい。これくらいはお安いご用!」
インベントリから『タオル』を取り出して、肌についた狼たちの血を吹いていく。実際には『清潔度』の減少率はほんのわずかのため、全身が血の海に浸かることほどのことがなければこういうことをする必要はあまりないみたいだが、ゲームの中と言えど汚れた状態でいるのはさとりには少し気分が悪かった。
血を拭き取りながら、さとりはあの時隙を作ってしまったことを頭の中で反省をする。
どうにも自分は《恐ろしい波動》のことを意識しすぎているような感じがしている。トラウマになるまでに恐ろしかったのかと問われれば、そうではないと断言はできる。彼女が最後に使った謎の力が気になるからか、それとも……。
なんでもいい。とにかく、こういう一瞬の判断が命取りになるかもしれない場面で頭をよぎることが危険なのは明確なのだ。おそらくはさきほどの攻撃を受けても生きてはいたし、こころに助けてもらったおかげで無傷では済んだが、次もそうだとは限らない。意識しすぎているというのなら、意識してそれを引き剥がすしかないだろう。
一通り吹き終えたことを確認して、『タオル』をインベントリにしまう。そして、今度は狼たちの死体を素材としてインベントリへ放り込み始める。
その狼は、どうやら『マッドウルフ』という
死体を素材として回収し終えると、さとりとこころは目的地のある方向へと向き直る。
木々の点在する緑に溢れた丘の道。その途中で、マッドウルフの群れに襲われたところだった。
さとりやこころが現在拠点にしている街の一番大きな門から続く道は、三手に分かれている。そのうち左の道がさとりやこころが出会った森に続き、右手の道の途中にゴブリンキングのいた洞窟があった。二人が進んでいるのはその道のうちの真ん中の道であり、それは左手の道とはまた別の森林へ繋がっていると言う。
「――それで、その『しんくろしすてむ』っていうすごい力の使い手っていうのは本当に森にいるの? 街じゃなくて?」
「みたいですよ。もちろん、いつもその森にいるというわけではないみたいですが、そこが一番会える確率が高い、と私の知り合いは言っていました」
二人して歩きながらのこころの訝しげな質問に、さとりは受け売りの言葉で返答をした。
最初、さとりは『シンクロシステムをほぼ自在に扱える使い手』とやらはどこかの街や村でも拠点にしていると思っていたので、森へ向かえと言われた時はこころと同じように驚いたりもした。ただ、実際にはそうして人のいる場所以外を中心に活動したり、放浪していたりするプレイヤーというのは意外と多いらしい。
アイテムの補充や装備を整えたりと言ったことが難しくなるのに、なぜ?
その現象のわけは諏訪子から聞いていた。さとりの返事を聞いても、うーむ、と唸っているこころに、さとりはそのことを話してみることにする。
「街や村に滅多に立ち寄らないプレイヤーのほとんどは元が妖怪のようです。というのも、妖怪は古来から自分の力に絶対の自信を持っているような者が多いですから、他人を頼ることに抵抗を覚える者が多いんです。それから、他のプレイヤーと馴れ合うような街の雰囲気が合わなかったりするそうですよ」
「そうなの? 私は別に抵抗を覚えたりとか、そんなことないけど……元の世界でもたまにお面の修理を頼みに行ったりするし」
「こころさんは付喪神ですからね。そういう種族や弱い妖怪、妖精などはもちろん違います。あくまで多いというだけです」
こころはある程度は納得したように「ほーほー」と声を上げた。こころが妖怪としての意識を確立したのはごくごく最近だというし、彼女の知り合いには『普通の妖怪』が少ないようだから、こういう妖怪の事情は意外と知らなかったりするのかもしれない。
しかし、その事情が示すことはつまり、これから会おうとしている相手もそういう『自分の力に絶対の自信を持っており、協調性が低い妖怪』だという確率が高いということでもある。あまり、気難しかったりしなければいいのだけど。
「そういえば」
さとりはこころの薙刀に目を向ける。こうしてこころと一緒にゲームをすることが日常となってからしばらく経つが、それは未だ『鋭き右の柔熊』の素材で作った薙刀だった。
「これまでの戦いでも、さきほどの狼との戦いの時もそうだったのですけど……こころさん、振り下ろしの間隔がずいぶんと短くありませんか? こう、片方の狼が真っ二つになったと思ったら、次の瞬間にはもう片方も……重い武器を振り回しているにしては不自然に感じたのですが」
「あ、気づいた? ふっふっふ、それこそ『奇術師』としての新たな我がスキル、『
「なるほど、それで振り下ろした直後の体勢から即座に攻撃を準備する体勢に戻って、もう一撃を別の狼に加えた、と。『奇術師』は奇抜なことが得意なんでしたね。なかなか面白い効果のスキルです」
「でしょでしょ」
体勢を戻す。一見すれば特に強力とは思えない効果だけれど、こころのように薙刀などの重量のある武器を扱うプレイヤーにとっては有用なスキルになりそうだ。敵の意表をつける上に、威力のある斬撃を連続で繰り出すことができるのだから。
お面をつけることで特定の属性攻撃を強化する『仮面舞踏』に、攻撃の動作を巻き戻して同方向からの連続攻撃を可能とする『攻撃逆行』。『奇術師』は奇抜なことが得意と説明に書かれていただけあって、王道から少し外れたようなスキルやアビリティが多いらしい。
「さとりもその剣の切れ味、あいかわらずすごいわ。すれ違いざまに軽く振っただけで狼を、こう、すぱっ! と斬れてたでしょ?」
「ふふっ、そうですね。最初は私も驚きました。これを作れたのもこころさんのおかげです。ありがとうございます」
「ふふん。我にかかればあの程度のこと、造作もないわー!」
むんっ、と無表情で胸を張るこころが少しおかしくて、さとりはくすりと笑った。
薄く金色がかった刀身や鍔、柄頭に、焦げ茶色の包帯が巻かれた柄。さとりが今持っているショートソードは、『鋭き左の剛熊』というモンスターからドロップした鉤爪から作り上げたものだった。
ただ、その鉤爪はどうにも激しい使用の連続で大分劣化していたようで――諏訪子によると、剛熊は柔熊と違って強い相手に近づいていく傾向にあるため、倒しやすく、ドロップ品も質が低いものが多いとのこと――、こころの薙刀と違って、武器スキルという装備している間だけ習得できるスキルというものはない。
それでもその切れ味だけは折り紙つきで、こころのそれと遜色はなかった。
あの剛熊との戦いではこころがずいぶんと気合を入れて、頑張っていてくれたように思う。きっと、あの洞窟でのレアドロップ品がなくなって落ち込んでいたさとりを立ち直らせようと奮起していてくれたのだ。
切れ味以外は突出した部分がない、ちょっとレアな程度のランク四の装備であるが、こころのおかげで作ることができたこれは、さとりにとってはとても大切な武器だった。おそらく、これよりも多少性能がいい程度の剣を手に入れたところではそちらに装備を移すことはないだろう。
「――そろそろですね」
適当に話をしながら歩いていると、前方に古びた看板が見えてきた。
途中から木々は少しずつ増えてきていたが、その看板を越えた辺りから樹木の数が急増し、まさしく森と言った様相と化している。
さとりとこころは看板の前で立ち止まると、そこに書かれている文字を読み込んでみた。
「『この先、《蛇蛙の森》』ですか」
「よくこの看板無事に立ってるね」
「まぁ確かに、こんな道の真ん中に立ってる看板なんて邪魔ですからね。誰かが折ってでもいそうなものですけど」
看板が古くて今にも折れそうなことよりも、そちらの方が原因で折れる可能性の方がはるかに高いことはさとりもこころも理解している。人間を除く幻想郷の住民、つまりは妖怪や妖精と言った面々ならば、こんなものが道の真ん中に立っていれば蹴飛ばしそうなものだった。さとりの知り合いでも、思いついたことをすぐさま実行しようとする妹のこいしなどならば、即座に折りにかかりそうである。
というか、この森にはこれまで結構なプレイヤーが訪れたはずだから、誰かが壊しにかかっていなければおかしい。おそらく看板は時間経過で修復されるように設定されているのだろう。
どことなく看板を壊したくてうずうずしているようなこころに苦笑いを浮かべつつ、その手を取って森の中に足を進めた。
看板から続く道は人の手が入っているかのように整えられており、進むことで苦労することはない。森の風景もそこまで樹海じみたものではなく、枝と葉のすき間から漏れる日差しが自然をなんとはなしに美しく魅せている。
緑の匂い。いや、草と木と土の混じった、森の匂い。
「……ふふ」
「さとり? どうかした?」
「いえ、初めてこの世界に来た時のことを思い出しまして。最初、私は海岸に流れ着いていた……という設定だったんです。海沿いに進むか近くの森に入るか迷って、どういうわけか、どう考えてもいい方向に転ぶはずがない森の方を選んで……いつもの私なら絶対にしない判断でしたね。たぶん、浮かれていたんでしょう」
「浮かれたりとか、さとりでもそういうことあるのね」
「ありますよ。私だって、いつも冷静なわけではありません。嬉しいことがあれば浮かれますし、楽しみなことがあれば落ちつきがなくなったりしますし、恥ずかしいことは恥ずかしいです。気づかないうちに、無意識のうちに、いろんな感情が表に出てきてしまうこともあります」
「そうなんだー。ふっふっふ、その点我は感情を操る力を持つからな! 感情のことならばなにもかも自由自在っ!」
「え? …………あ、はい。そうですね」
「え? なんでそんな微妙な反応なの? もっとたたえてもよいのだぞー!」
無表情のくせに、こころほど感情が豊かな生き物はそうは存在しない。あるいは、自分の感情に素直だと言った方がいいのかもしれない。
今だって、褒めて褒めて! と不満げにさとりに詰め寄っている。こころは感情を操っていると思っているようだが、完全に感情が先走っていた。
「たたえてもよいのだぞ! よいのだぞーっ!」
「わかりました、わかりましたから。肩を揺するのをやめてください。ちょっと痛いです」
「ごめんなさい……」
痛い、と言った途端にしゅんっ、とこころが小さくなる。あいかわらず感情の浮き沈みが激しい。
以前こころは『ちょっとした事故が原因で自我を確立した』と言っていた。その事故が起きるより前は、おそらくこころの言う通り、自身の感情さえ完全に支配することができていたのだろう。けれど自我を得てしまったことで、こうして感情が先走るようになってしまった。
想像してみる。こころの心がその表情と同じように本当に無の色に染まっていて、完全に感情を制御しているさまを。
――それは完全なる『道具』の化身だ。一つの付喪神として、感情を操る幻想として『完成』された姿だった。
なんとなく、嫌だな、と感じた。心を読める力を持つがゆえに、あるいはともに過ごした『友達』として。
「大丈夫ですよ。自分の思いに素直な今のこころさんは、とっても魅力的です。誇ってもいいです」
「……褒められたの?」
「はい、褒めてます。たたえてはいないですけどね」
「なにっ!? 褒めることとたたえることは一緒ではないのかっ!?」
「どういう理論ですか、それ。仮にたたえたのだとしても、自分の思いに素直な、という時点で感情を制御していることをたたえてはいませんよ」
「なんとっ! むぐぐぐぅ。いつか必ずさとりに我をたたえさせてやるぅ……」
どことなく支離滅裂な会話、不満げなこころの言葉。
けれどその実、彼女が褒められて嬉しがっていて、それに気づかれたくなくて突飛な理論を持ちだしたことは丸わかりだった。
なにせ、普段よりあからさまに声音が浮ついている。
ふいとこころのことを、動物みたいだ、と思った。なんとなく彼女の背中に、忙しなく左右に動くふさふさの尻尾を幻視する。
少しだけ、冗談を言ってみたくなった。
「ふふふ、こころさん。こころさんは可愛いですね」
「う、うん? 急にどうしたの? ありがとう?」
「うちの
「え、ぺ、ペットっ!? 待って待って、どういうことなのだっ!?」
「いえ、私、動物がとても好きなんです。こころさんはなんだかちょっとやんちゃな小動物みたいで可愛いので、お試しにどうです? 私のペットになってみません? 歓迎しますよ」
「まるでわけがわからんぞっ! むむっ、もしやお前はさとりの姿をしたモンスターだなっ! さとりをどこに隠したーっ!」
表情はないくせに顔を真っ赤に染めて、さとりから後ずさって薙刀に手をかけるこころがおかしくて、さとりはくすくすと笑う。
それから、こころに小さく頭を下げた。
「すみません、からかいすぎましたね。あまりにもこころさんの反応が面白くて、調子に乗ってしまいました」
「む、むぅう……? ほ、本当に本物のさとりか? 騙そうとしてたりしてない? こう、近づいた瞬間にがぶーっ! と来たりとか!」
「しませんしません。私は生涯嘘なんて吐いたことはありませんよ。嘘っぽいですけど本当です。ああいった冗談はつきますけど」
こころはしばらくじっとさとりを見つめた後、そろりそろりと近づいてきた。それからなぜかさとりの視界の前で手をぶんぶんとさせた後、その手をさとりの口の前に持ってくる。
「食べない?」
「……? 食べませんけど」
なんのことだ、と一瞬思いかけたが、そういえばがぶーっと来たりだとかどうだとか言っていた。モンスターならこの瞬間を狙って食べようとしてくるかもしれないと思ったのかもしれない。もしかして本気でモンスターだと疑っていたりしたのだろうか。なんというか、アホっぽい。
変なやり取りをしたせいで足取りが止まってしまっていた。こころが横に並んだのを皮切りに、再び歩き始める。
どことなく、こころがじとっとした目線で見つめてきている気がした。
「さとりでもあんな冗談つくんだね」
「こころさんの反応が面白いからいけないんです。でも、嘘ではありませんよ。こころさんは、もしも動物だったならすぐにでもペットにしちゃいたいくらいに思ってます」
「む、むう。嬉しがればいいのか、残念がればいいのか……困るぞー」
「残念というのは、自分が動物ではなかったことですか?」
「ペットにしたいって思われてたことっ!」
こころがぷんぷんと怒り出す。それがやっぱりおかしくて、小さく笑いながらさとりは謝った。
会ったばかりの頃と比べて、ずいぶんと仲良くなったように思う。
こころと会って、さとりは自分が意外と冗談好きだということを知った。というか、人をからかうのが面白いのだ。元が
心の底から慕ってくれるペットたちや、逆にこちらを振り回してくる妹が相手では、こんなことはできない。心の読めない世界で初めてできた友人という存在が相手だからこそできることだった。
だから本当のことを言えば、こころが動物だったら少し困る。
その場合にペットにしたいことは本当だけれど、きっとその時は、今のように冗談を言えるような仲にはならなかったことだろう。
「……それにしても」
さとりは呟くと、少しその場に立ち止まった。
こころとともに森に入って歩き始めてから、しばらく経つ。
後ろを振り返れば、これまで通ってきた道がずっと続いている。前に向き直っても、同じような道が続いていた。
「この森にいることは聞いてきたんですけど、思っていたよりも広いですね」
「森だもの。しかたないしかたない」
「目的のプレイヤー以外でも、誰か他の人を見つけるだけでも結構苦労しそうです。ここはどうやら、あまりモンスターが出てこないようですし……」
魔物が出現しないならばレベル上げ以外の目的で訪れることになりそうだが、街からは柔熊のいた森の方が近かった。それにあちらの方が森としても深い。レベル上げにせよ別の目的にせよ、わざわざ遠くのこの森まで足を運ぶ必要性はあまりなさそうである。
どこか人の集まりそうな場所でもあればいいんですが、とさとりは呟いて、歩くことを再開した。
「平原を歩いている時もそうでしたが、徒歩で長い道を進むのは少しめんどうですね。近いうちに馬でも買いますか? この世界では値段もお手頃で、もしも乗れる技術があるなら移動には便利だと、贔屓にしているよろずやの店主さんが言っていました」
「でも私、馬なんて乗ったことないわ」
「大丈夫です、私が教えてあげられますから。馬のペットもうちにはいますし」
現実では動物と心を通わせることができるから、乗ることの苦労が幾分か減少する部分もある。この世界で完全に乗りこなすのならば、多少なりとも訓練が必要となるかもしれない。
ただそれでも、ある程度ならこころに教えることができるのは本当だ。
こころは「ほほぉー」と関心したように息を吐くと、わずかに憧れのような色の秘められた眼でさとりを見つめた。
「さとりはやっぱりいろんなペット飼ってるのねー。いいなぁ、ペット。私も欲しいわ」
「ふふっ、そうですね。でもこころさん、もしもペットを飼うのだとしても、動物だって私たちと同じ感情を持つ生物なんですから、きちんと向き合って接しないとダメですよ。たとえば、家族と接するような気持ちで、とかですね。自分たちと違う姿をしているからと言って理解を放棄することはもってのほかです。動物たちは、そういう私たちの言動をよく見ているものですから」
「ぬぅ、ちょっと難しい……?」
「いえいえ、簡単なことですよ。こころさんならきっとできます。優しいですから」
なんとなく、いつもペットたちにするように微笑んでみせる。
こころはこれまでさとりのことを何度も守ってくれていた。クマの時しかり、《恐ろしい波動》と戦った時しかり、今日に至るまでのこの世界でのさまざまな冒険でもそうだ。ゲーム的に言えばこころが前衛、さとりが中衛という立ち位置上、役割的にこころがさとりを守ることが多いのは当然のことなのだが、そんなことはさとりにとっては関係がない。
なにせ、きっとこころはそんなゲーム的な理屈なんて知らないだろうから。ただ単に、純粋にさとりに痛い目にあってほしくなくて、守ってくれているはずだから。
こころはそんな風に思っているさとりをしばらく見つめた後、さっと視線を逸らした。
こころのその頬は若干の赤みを帯びていた。優しいなんて言われて、照れくさかったのかもしれない。
しかしその後すぐに、どういうわけか不満そうに歯を食いしばり始めた。そのくせして無表情なので、なんというか変である。
「……ぬぐぐぐ。もしも自分が動物だったらさとりのペットにならなってもよかったかも、なんて思いかけたのがちょっと悔しい……」
「こころさん?」
「はっ!? さ、さとりっ! 私は動物じゃないわ!」
「いえ、それはそうでしょうけど、急にどうかしました?」
「や、やー……えっと、な、なんでもない?」
「疑問形……? まぁ、なんでもないならいいんですが」
こういう時、心が読めれば、なんて考えかけてしまうことがある。それでも、すぐにそれを振り払う。この世界での自分にはそんな力がないからこそ、こうしてこころと仲良くなることができたのだから。
そもそも、どうせこころのことである。きっとそんなに重要でない、どことなくアホっぽいことでも考えていたに違いない。
こころはまるで言及されるのを避けるように、「そ、そういえば」と話を切り替えにかかった。
「さとりは『調教師』だったよね? わざわざ馬を買わなくても、なにか乗れるモンスターをペットにした方がよくない?」
「ふむ、なるほど。それはそうかもしれませんね」
戦闘で利用する力はほとんどが『魔術師』のものである。『斥候』には相手とのレベル差を知覚できるようになる等の便利なスキルやアビリティがあるため、近いうちに取得していきたいと思っていた。
しかし『調教師』の力はどうにも、普通に冒険しているぶんには役に立たないものが多い。基本的に、モンスターの調教や配下のモンスターのサポート関連の技ばかりなのだ。それらは当然、どれもこれも直接的にさとりを助けてくれるスキルやアビリティではない。
だから、『斥候』もある程度育て終えて、本当に余裕ができた時にでも改めて手をつけてみようかと考えていた。
けれど、確かにこころの言う通りでもある。ジョブのおかげでモンスターの調教が比較的簡単に行えるのに、馬を買う必要があるのか。それならばモンスターをペットにした方が『調教師』としての力も有効活用できるようになって、一石二鳥なのではないか。
さとりは右目を閉じた。それは心を読む時、それから考え込んだ時に無意識でしてしまうさとりのくせだった。
――そうね。私が乗れるくらいの大きさがあって、敵対的ではないようなモンスターに出会ったら、それをペットにしてもいいかもしれない。
ただ、そのためにはもっと『調教師』のことを理解する必要がある。ペットにしたモンスターはどのように管理するのか、この世界ではどのように扱われるのか。この世界でペットを手に入れるにしても、もう少し調べてからにしよう。
さとりはそう結論を出すと、瞼をゆっくりと開いた。
「――――あれ? さとり、今、悲鳴みたいなの聞こえなかった?」
「悲鳴、ですか?」
こころとの話を再開しようとした途端に、そんなことをこころが呟いて、立ち止まる。
その真相を確かめるには足音が少し邪魔だった。さとりも同様に足を止め、耳を澄ましてみる。
「――――――――――ぁぁ――――――」
確かに聞こえてきた。甲高い、怯えているような少女の声音が。
こころと視線を合わせ、頷き合う。
ここまで歩いてきたある程度整えられていた道からそれ、道なき道へと足を踏み出した。
「こころさん、この森で薙刀は振り回せますか?」
人の手が入っていない森の中。当然、木の間隔が安定しているわけがない。かつてのクマと戦った森はそれぞれの木がとても大きかったために木々の間隔がそれなりにあったが、今回は広かったり狭かったりとさまざまである。
「できるけど、ちょっと使いにくそう……だから今回は」
進行上の樹木を避け、できるだけ最短のルートを進みながら、こころはすっと懐に手を入れた。そこから見えたのは、白い花弁が描かれた緑青色の扇子。
「なるほど、わかりました。ではこころさん、準備は」
「もちろんいいわっ!」
植物に足を取られて少々走りにくいにせよ、足元が不安定であったクマのいた森ほどではない。
悲鳴の主がいる場所は近かった。
さとりも背につり下げた剣の柄に手を添えて、やがて、声が発せられただろうほんの少しだけ開けた場所に出ると、その剣を抜き放った。