ざぁざぁ、と木々が風で擦れる音がさとりの耳に届く。そんな自然の音が目立って聞こえてしまうくらいには、この場にさとりたち以外の生き物の気配がなかった。
岩の根本辺りに、近づかなければわからない、中に入ることができる穴があることは事前に聞いている。
難なくそこまでたどりつくと、意を決してその中に進んでいく。
「……いませんね」
そこに広がっていたのはほんの八畳ほどの空間と土の匂い。辺りが岩や土に囲まれているために薄暗く、昼間の今でさえ中が見えづらいが、中央に両手で抱えられる程度の大きさの丸い石がある以外は、どれだけ目を凝らしてもめぼしいものは見当たらない。三人以外の誰かの気配もなかった。
警戒を解き、きょろきょろと辺りを見渡すさとりとこころの合間を、緑髪の少女が抜けていく。そうしてこの小さな空洞の中心に不自然に置いてあった丸い石の前に立つと、思い切りそれを蹴った。
鈍い音がこだました後に、ぽうっ、と石に淡い黄緑色の光が灯る。そのおかげで空洞内をはっきりと見渡せるようになった。
周囲を石に囲まれ、床は整えられた土でできた、強いて言うなれば部屋の隅に寝床らしきものが二つあるだけの空間。やはり、入ってきた時に感じたように誰もいない。
「その石は……?」
「『感受光石』って言うみたいです。衝撃を与えると、しばらくの間、こうやって光源になってくれるんです」
そういう鉱石もあるのか、と感心する。持ち運ぶなら松明やランタンなどの方が安定するし、武器や防具の素材にもあまりならなそうだが、インテリアとしては少々神秘的で面白い。
緑髪の少女はその明かりをもとに辺りを見渡すが、さとりが確認したことと同じように、この空洞に誰もいないことを認識すると、がくりっと肩を落とした。
「でも、やっぱりあの子は帰ってきてないみたい……まだ逃げてるのかな。どこ行っちゃったのかなぁ」
「ここまで来たんです。見つかるまで探しますよ。とりあえず、いつまでもこの中にいると襲われた時に危ないですので、外に出ましょうか」
あまりここには魔物が近づかないとは聞いているが、今はこの緑髪の少女たちはカエルの魔物たちに目をつけられている最中だ。イレギュラーが起こったとしても不思議ではない。そうなった場合、出入り口が狭く、一つしかないこの空洞にいることは非常にまずい。
三人が外に出ると、爛々と輝く日差しと緑の匂いが出迎えてくれた。心地いい空気をこの身で感じるものの、反対に、緑髪の少女の雰囲気は少しどんよりとしている。
「……元気出してください。あなたがそんな風にしていると、私たちも落ち込んでしまいます」
「す、すみません……でも、もうあの子がいる場所に私には心当たりがなくて……もうこの森を片っ端からさまようくらいしかなくて」
そんなことにさとりたちを突き合わせるのは申しわけない、とそんなことを彼女は思っているようだ。
妖精も通常は妖怪と同じように大概自分勝手なものだが、この少女はそういうわけでもなさそうだった。
「構いませんよ。私もどうせ人を探してこの森に来たんです。もしもあなたに出会わなくても、今頃もその人を探して森をさまよい続けてたでしょう」
「あなたも……?」
もはやこの緑髪の少女がさとりの探している、〝シンクロシステム〟を自在に扱える使い手ではないことは間違いない。だとすれば、仮にここでこの少女と別れたのだとしても、さとりはこころを連れてまた他の誰かを探して森の奥へと進むだろう。
緑髪の少女はさとりの返答にほっと息を吐いた後、思い出したようにぱちぱちと目を瞬かせた。そして、もしかして、というような思いが、第三の目がなくともなんとなく垣間見えた。
「えっと、あの、その……それってどんな――」
「――さとりっ! 上っ!」
こころの咄嗟の声に、さとりは弾かれたように顔を上げた。そうして視界に入ってきたのは、空を埋め尽くすほどの数を持った尖ったつらら。
「わ、わわぁっ!?」
「『
すぐ近くにいた緑髪の少女を引き寄せ、自然落下を越える勢いで落ちてくるつららを、さとりは瞬時に構築した半透明の白い円盾で防いだ。
これまでのレベルアップぶんのポイントはほとんど『魔術』につぎ込んできている。たかが速度があるだけの氷の塊を防ぐ程度は造作もなかった。
ばきばきっ、と盾に衝突したつららは砕け散り、ぐさぐさっ、と残りのそれが地面に突き刺さる。つらら自体の落下速度が速かった関係上で一瞬しか見えなかったが、その尖り具合はまるでナイフのようだった。
辺りを見渡し、襲撃者を探すのと一緒にこころが無事かどうかも確認する。どうやら彼女はいち早くこの場から飛び退いていたようで、つららが刺さった範囲からは少し離れたところで、同じくこちらを窺ってきていた。
こっちは大丈夫。頷くことでこころにそのことを伝えると、彼女もこくりと頷き返してくれた。さとりは剣を、こころは薙刀を構え、未だ姿が見えない襲撃者を警戒する。
「襲撃です。カエルたちに見つかったのかもしれません。あなたはあの穴の中へ」
「は、はいっ! って、あれ? このつらら……」
足元に刺さっていたつららを見て、緑髪の少女は足を止めて困惑に顔を歪めた。どうしたのだろう。
また全体攻撃が来ても彼女を守り切れるとは限らない。さとりは少々焦り気味に言葉を続けた。
「早く! 相手はさっきまでのカエルたちとは違って魔法を使ってきます! 強さが同じとは限りませんよ!」
「っ、わ、わかりました……!」
ちょっと乱暴に言いすぎてしまったかもしれない。慌てて穴の中へ隠れる少女を眺め、さとりは少しだけ反省をした。
けれど、今はそんなことを気にしている時ではないことも確かだ。今の攻撃は、まず間違いなく魔法によるものなのだから。
相手は魔法を使う未知の敵。カエルの仲間か、それとも別の魔物か。どちらにせよこれまで以上に用心しなければならない。
次に攻撃を仕掛けてきたら必ずその居場所を割り出してみせる。そう意気込み、さとりは剣を構えたまま、空洞の出入り口を塞ぐように立った。
時間にして、数秒。それだけの静寂の時が続いたのちに、再びこの場に変化が訪れた。
「そこを、どけぇええええええええええええええ!」
その叫び声はさとりのものでもこころのものでもない。聞こえた方向は、真上――反射的に見上げてしまって、さとりは「しまった!」と思った。
見えた人型の黒い影の向こう側にある強烈な太陽の光のせいで、さとりはわずかに目を細めてしまう。それは致命的な隙だった。
一瞬視界が曖昧になったその瞬間を狙って、落ちてきた声の主だろう黒い影が、その手に握っていた長い棒のようなものを振り回してくるのがわかった。
「くっ!」
けれどさとりは間一髪、その場から飛び退くことに成功していた。それはデタラメに思い切り体を投げ出すだけの、距離は長くとも回避の中ではもっとも隙が大きい行動。
しかし正確に攻撃される位置がわからない今はそれが一番正しい選択だった。
さとりの背後から聞こえてきたのは、誰かがだんっと着地する音と、土を穿ったような音、ぱきぱきとなにかが凍りつくがごとき音。
さとりは一度地面を転がった後、その勢いを利用してすぐに起き上がる。そして体を反転させ、さきほどまで自身がいた場所を見据えた。
そこには、その瞳に敵意をたぎらせる一人の少女が立っている。
身長は歳が一〇にも届いていないんじゃないかないかというくらいに低く、髪は頭の後ろに大きな青いリボンを結んだ、薄い水色のセミショートヘア。髪よりも青い瞳をたたえた顔は童顔ながら強い意志のようなものを感じさせた。
着ているものは急所を軽く守る程度の革の装甲をつけた青いワンピースで、その手には白い冷気を放つ水晶の剣を握っている。
そこまで観察し、ちらり、とさとりは彼女の足元に視線を送った。
それはおそらく少女の剣が地面を切り裂いた結果によるもの。彼女がその剣で傷つけた場所は、刃による跡が残っていると同時に、傷跡の表面が氷によって固まっていた。
氷を操ることのできる、装備からしてスピード重視の剣士と言ったところか。つららを落としてきたことから、遠距離攻撃にも通じている。さとりのように剣を握っただけの魔術師ではなく、おそらく、本物の魔法剣士。
「なるほど……襲撃者は魔物ではなく、プレイヤーでしたか」
《恐ろしい波動》の時も初めは不意打ちで魔法を撃たれた記憶がある。まさかとは思っていたが、悪い予想が当たってしまったようだ。
この少女もプレイヤーキラーだろうか。だとしてもとりあえずは、彼女の攻撃からは《恐ろしい波動》ほどの脅威は感じられない。
だからと言って完全に冷静に対応できるわけではないというか、あれは完全に規格外だった。けれど、かつて相対したそれよりも弱いだろうという事実は幾分かさとりの心に余裕をもたらしてくれる。ふぅ、と小さく息を吐くと、剣を握る手に力を込め直した。
氷を操る少女は斬ったものが地面だけだったことをその目で確かめるとすぐに顔を上げ、鋭い目線でさとりを睨みつけてきた。
「お前ぇ、大ちゃんになにをしたぁ!」
水晶の剣の切っ先がさとりへと向けられる。さとりはひるまず、ただ、半眼で彼女を見つめたまま。
「なにをもなにも、聞きたいのはこちら。あなたは何者? なぜ私たちに攻撃を?」
「寄ってたかって大ちゃんをいじめてたくせに、なにを今更っ! あたいはお前たちを許さない! 二人まとめてこのあたいがぶっ倒してやる!」
「話は無駄、と」
大ちゃん、というのがなにを指すのかはわからない。もしかしたら、カエルのうちのどれか一つの個体が、あるいはカエル自体の総称を大ちゃんとしてこの少女が呼んでいるのかもしれない。それをさとりたちがいじめた、と。
なんでもいい。この会話でわかった重要なことはただ一つだけだ。すなわち、この少女が敵であるということ。
「あくまで私たちを殺すつもりなのね。いいでしょう、受けて立ってあげる」
「受けて立っても立たなくても、どっちだって関係ないわ! さぁ、このあたいの力で凍りつけぇ! おりゃぁあああああっ!」
少女がさとりに向けていた剣を両手で思い切り地面に突き刺すと、ばきんっ、と刀身の触れた地面が氷面と化した。
そして次の瞬間には、その剣の先端が中心として、まるで地を這うがごとく一気に大地が凍りつき始める。
「自分を中心に、足場をすべて……」
これでは近づくことができない。そして、このままここに立っていては足元から氷に侵食されてしまうだろう。
さとりはすぐに後ろへ下がると、一番近くにあった木に目をつけた。跳び上がり、乗っても大丈夫そうな木の枝の上に足をつく。
それでも氷は、木の根元まで広がってきた氷面は、さらにはその樹木の幹さえも凍らせてのぼってきた。このままではこの氷に飲み込まれてしまうか、この場を大きく離れなければならなくなってしまうだろう。
あの空洞の中には緑髪の少女がいる。こころと二人だけの時ならばともかく、今はここを離れるわけにはいかない。
少し離れたところでさとりと同様に木にのぼっていたこころと視線を交わす。それだけでやるべきことは決まり、互いに頷き合った。
「『魔弾』!」
「『真空斬』! 『仮面舞踏』エボリューションっ!」
あくまで氷が広がる中心にあるのは少女が地面に突き刺した水晶の剣。ならば、あれが抜かれればこの侵食は間違いなく止まる。
さとりとこころは地面に剣を刺したまま動かない少女へと、まったく同時になるように遠距離攻撃を仕掛けた。さとりは速度を重視した魔力の弾丸、こころは見えない真空の斬撃。
並の相手ならばこれだけで終わるだろう。見えるさとりの攻撃に注意を取られ、何本もの樹木を容易く切り裂く不可視の斬撃に引き裂かれる。《恐ろしい波動》ほどではないだろうこの少女が相手では、さてどうなるか。
彼女は――――その二つの攻撃を、微動だにせず受けた。
「ぐ、ぅぅ、ぅぅぁああああ!」
「なっ!?」
「え!?」
絶叫を上げながらも、決して動かない。右足の太ももに魔弾を受けて膝をつき、左肩から脇腹にかけて大きく引き裂かれ、大量の血を流そうとも、剣を地面に突き刺したまま氷を広がらせることをやめようとしない。
こころの真空の斬撃はともかく、さとりの放った攻撃は見えていたはずだ。つまりこの少女は、受ければ決して少なくないダメージを負うだろうことをわかっていて、受けることを覚悟して、避けなかった。
驚愕にほんの数秒だけ動きを止めてしまう。だが、それは氷が木の上にまでのぼってくるのにじゅうぶんな時間だ。
まずい。すぐに次の木に移動しないと……でも、これ以上離れたら正確に攻撃することが難しくなる。
そして瞬時にさとりはこれが彼女の狙いだったのだとも悟る。たとえどれだけの傷を負おうとも、その場を離れない。氷を広がらせ続ける。なにがあろうとも、必ず相手を追い払う。
絶対にぶっ倒してやる、なんて息巻いていた割に、やることはそれか。
――どうする? 二択だ。傷を負った相手にトドメを刺すために突っ込むか、このままこの場を離れるか。前者を選んで仕留め切れなければ、氷の侵食に飲み込まれる。後者を選べば緑髪の少女を見捨てることになる。
迷っている時間はない。すぐ足元まで氷は迫っている。
さとりは苦々しく顔をしかめつつ、けれど体を前へと倒しながら枝を蹴った。
「さとりっ!」
「わかってます! このまま空中から決めます!」
あの凍りついた地面に着地すれば、足元から凍らされて終わりだ。だとすれば、それよりも先にすでに瀕死の少女を仕留めるしかない。
同じくこころも相手の少女へと飛び出していた。互いに声を掛け合い、さきほどの焼き直し。さとりはもう一度〝魔弾〟の魔法陣を構築し、こころは薙刀を大きく振りかぶる。
氷を操る少女は、そんなさとりとこころを見据え、これを受けたら終わりのために撃退しようと思ったのか、剣を抜き放とうとしていた。だが、まともに受けた『魔弾』のせいで膝をつき、『真空斬』のせいで大きく傷を負っている体が行うその動作はあまりに緩慢だ。
これならいける――そう確信し、こころとともにトドメの一撃を放とうとした直後。
「やめてくださいっ!」
「なっ、どうして!」
「わぁ!?」
氷を操る少女を庇うように、緑髪の少女が躍り出てきた。さとりもこころも、さすがにそれは予想の範囲外だった。
すでに撃つ準備が完了していた魔法陣を、さとりは慌てて明後日の方向へとそらす。こころもすでに振り下ろし始めていた薙刀から手を離し、手から離れた薙刀は見当違いの方へと飛んでいった。
その後、空中で〝魔弾〟を撃った反動でさとりの体が反対方向に押され、そのせいで当たる軌道になかったはずのこころと衝突する。二人してもみくちゃになりながら、まったく受け身の取れない体勢で地面に激突した。
「いっ、つぁ……!」
「む、ぐぐぐぅ……」
ごろごろとぶざまに凍った地面を転がる。痛みを感じながらもすぐに立ち上がろうとするが、少し、頭でも打っただろうか。すぐにぐらりと視界が揺れては足元を滑らせ、この場に倒れてしまう。
それでもさとりは再度起き上がろうとしつつ、ばっ、と氷を操る少女と、それをかばった緑髪の少女へと視線を向けた。
「く、ぅ……いきなり、なにをするんですっ! 危ないじゃないですか! それも、あと少しでその襲撃者を倒せたというところで……!」
さとりが声を荒げると、緑髪の少女がぎゅっと目を閉じて怯みつつ「それは……」と答えようとする。
けれどそんな彼女を遮って、氷を操る少女が前に出てくる。その手には、大地から引きぬかれた水晶の剣。それを、起き上がろうとしているさとりとこころに突きつけてくる。
「はぁ、はぁ……! よくやった大ちゃん! これでこの二人を倒すことができるわ!」
「くっ……これじゃ……」
早く、とりあえず距離を取らなければ。そうは思うものの、視界が安定しない。こんな状態では凍った地面に立つことは絶対にかなわない。
こころは? こころはどうなった? すぐ近くに倒れたはずのこころに目を向ける。
「さ、とり。こ、これ……抜けないぃ」
こころはさとりとは違って頭を打ったわけではなさそうだが、違う問題が発生していた。こころとぶつかった時に手放してしまっただろうさとりの剣が、こころの服の裾を地面に縫いつけている。
普段なら比較的簡単に対処できただろうそれも、不用意な力を少しでも入れれば支えにした部分が滑ってしまう凍った地面のもとでは、瞬間的には非常に対処が難しい。剣を抜こうとしてもそもそも寝たままでは力が入らず、起き上がろうとしても、縫いつけられた不安定な状況からは、この氷面に立つことはできない。服を破ってしまおうにも、それだけの力を入れようとすれば支えにした部分を滑らせてしまう。
絶体絶命、というやつか。手加減はしなかった、油断はなかった。最初は確かに押していた。こうなった原因はただ単に、緑髪の少女の登場という不確定要素。
――せめてあと一人……いえ、少なくても二人でも仲間がいれば、いちいちこんなに精神をすり減らさないでいいんだけど。
今日、一度だけ思ったことが頭をよぎる。そう、さとりとこころの二人だけでは、こういう不祥事が起これば、格下だっただろう相手にもこんなに簡単にやられてしまう。あと二人でも仲間がいれば、きっともっと別の結果になっていたはずだというのに。
悔しげに顔を歪めるさとりを見下ろし、氷を操る少女は、この勝負はもらったと言わんばかりに片頬に笑みを浮かべていた。
そして、その手に持っていた水晶の剣を振りかぶり――。
「もうっ! チルノちゃんももうやめてよぉおおおおおおおお!」
後ろから思い切り緑髪の少女に頭をぶん殴られ。
顔面から凍った地面に激突し。
ぷぎゃっ、という小さな悲鳴とともに、ぴくりとも動かなくなった。
「…………あ、あれ?」
元々この氷を操る少女はさとりとこころの攻撃をまともに受けたせいでとてつもない重傷を負っていた。そこから全力で殴られて顔を硬い面に打ちつけようものなら、それはまぁ、死亡扱いになっても不思議ではないだろう。
ここまで来て、ようやっとさとりはすべての事情を理解していた。いや、遅すぎると言えばその通りなのだが、さとりからしてみれば突然攻撃されたのだから、氷を操る少女がプレイヤーキラーだと錯覚してもしかたがない。
きっとこの緑髪の少女が氷を操る少女が言っていた『大ちゃん』であり、氷を操る少女――『チルノちゃん』こそが、緑髪の少女が探していた友達なのだ。
すべては勘違いが招いたこと。だから、こうしてチルノちゃんとやらが友達によってトドメの一撃を加えられ、死体オブジェクトになってしまったことも、しかたがない……のかもしれない。
「……はぁ。『大ちゃん』さん、どうせそのチルノさんはまたすぐ現れるでしょうし、その時はきちんと私たちが敵ではないことを説明してくださいね」
「わ、わかりました……そ、その、本当にごめんなさい……」
「構いませんよ。そんなことより、こころさん……じゃなくて、こころを動けなくしている私の剣を抜いてきてもらえますか? 私はしばらく動けそうもないので」
「りょ、了解ですっ!」
彼女がこころを助けに行くのを見て、もう一度、さとりは二人に聞こえないようにため息を吐いた。
「ちゃんと探してる友達の特徴、聞いておけばよかったわ」
ごろんと半回転して、仰向けになる。さっきまでは体の前面が冷たかったが、当然、今度は背中が冷えてきた。
ちょっと気持ちがいい。しばらくは、このまま横になっているとしよう。
「なーんだぁ、あたいはてっきり大ちゃんがこの二人に『からあげ』でもされてるかと」
「そんなわけないでしょ! もう、さとりさんたちは私の恩人なのに……チルノちゃんはいっつもそうやって先走って!」
「うー、最近の大ちゃんは説教ばっか……そんなんじゃ口うるさい墓場の番人みたくなっちゃうよ!」
「わけのわからないことを言ってないで、ちゃんと謝って! チルノちゃんのことだって一緒に探してくれたんだから!」
軽くスルーがされているが、『からあげ』ではなく『かつあげ』ではないだろうか。呆れた目線で、さとりは二人を眺めている。
さとりはすでに動けるようになり、こころも自由を取り戻している。リスポーンしたのか、数分もすればチルノはさとりたちのもとへ戻ってきた。そうしてまた勝負を挑もうとしてきたのだが、そこで緑髪の少女が乱入。チルノを羽交い締めにしてから事情を説明し、今に至る。
すでに地面は溶けている。ただし、緑髪の少女と言い合っている新しいチルノと、さとりの足元に倒れている古い死体チルノがそれぞれ存在するという奇妙な状況ではある。
「別に、謝罪だとかはしなくてもいいですよ。私たちも勘違いであなたに大怪我を負わせてしまいましたからね。トドメを刺したのは、私たちではないですが」
「そうだよ! 大ちゃんのせいでぴちゅーんってしちゃったんだから、大ちゃんこそ反省するべきだわ!」
「そ、それは私も悪かったけど……元はと言えばチルノちゃんが話も聞かずに勝手に勘違いして攻撃したせいでしょ! そもそも最初のつらら落としって完全に私も範囲内だったじゃない! さとりさんたちが勘違いしちゃうのも無理ないわ! さとりさんが守ってくれなかったら、本当に危なかったんだからぁ!」
不毛な言い合いは続く。仲がいいほど喧嘩する、というよく聞く言葉は、こういうことを指すのだろうか。喧嘩と言えるかは微妙だが、なんだかんだ言って確かに仲はよさそうだ。
そういえば、こころとは喧嘩したことがない。なんとはなしに、こころに目線を向けてみる。言い合う緑髪の少女とチルノの二人を見て「どうしよう!?」と言わんばかりに、あわあわとしている彼女を。
……なんとなく、この少女とはきっとこれからも喧嘩なんてすることはないんだろうな、と感じた。
とりあえず、そろそろ二人の言い合いを止めなければならない頃合いだろう。でないとこころが可哀想だ。
「はいはい、そこまでです。今回は勝手に勘違いしたチルノさんも悪いですし、うまくチルノさんを止められなかった『大ちゃん』さんも悪いですし、迷いなく迎撃しようとした私たちも悪いです。ですから全員おあいこということで、この話は終わりにしましょう」
「うー……さとりさんがそう言うなら」
「なに偉そうに仕切ってんのよー。あたいの方が強かったのに」
「私が邪魔しなきゃチルノちゃん負けてたでしょ! 言い返さないの!」
言い合いを止めたはずなのに、また始まろうとしている。激昂する緑髪の少女を「どうどう」と落ちつかせ、さとりはチルノに向き直った。
「あなたも、私たちのことをどう思おうが構わないけれど、あまり『大ちゃん』さんを責めたりはしないように。この子は本当に、ずっとあなたのことを心配していたんですよ」
「むむぅ……大ちゃんは心配性だからなー。わかったわよー……」
ようやくチルノがおとなしくなる。これでようやく、まともな話ができる。
ふぅ、と一息ついたところで、しかし今度はこころが大声を上げだした。
「すごい! すごいわさとり! あんなに口喧嘩してた二人をこうもあっさりっ!」
「……ここは動物園ですか」
思わずそんなことを口にしてしまったことはしかたがない。動物園は、どちらかと言えば現実でのさとりの家の方だけれど。
なんのこと? とこころが首を傾げていたが、なんでもありません、とさとりは首を横に振った。
「とりあえず、これで一件落着と言ったところですかね。このチルノさんが、『大ちゃん』さんのお友達で間違いないんでしょう?」
「あ、はい! それから、えっと、私のことはさん付けしてくださらなくても結構ですよ。チルノちゃんみたいに、気軽に大ちゃんと」
「……あなたは私がこころさ、いえ、こころのことを呼び捨てで呼ぶ過程を見ていましたよね。そのうえでちゃん付けしろと申しますか」
「えっ!? いや、そのっ……ご、ごめんなさいっ!」
ちょっと冗談半分にからかってみただけなのだが、本気で頭を下げて謝られてしまった。さとりは内心少しだけ慌てつつ、ペットにするみたいに、彼女の頭を撫でてみた。
「ふふっ、冗談ですよ。では、あなたの言う通り、大ちゃん、と。そう呼ばせていただいてもよろしいですか?」
こころとは違って、この緑髪の少女とはまだ出会ったばかりだ。そもそもとして呼び方が確定していなかったのだから、別にどんなものでも構いやしない。
さとりの提案に、少女は撫でられる頭の感触に頬を緩ませながらも「はいっ!」と心よく頷く。なんとなく、人懐っこい犬みたいな印象を受けた。
「それでその、私を助けていただいたうえにチルノちゃんを探すことまで手伝ってもらって……なんとお礼を言ったらいいか……」
「構いませんよ。これもなにかの縁なのかもしれません。それに、私たちも人探しのついででしたから」
「あ、その人探しの件なんですけど――」
――げこぉっ! と。大ちゃんがなにかを言いかけた瞬間、そんな鳴き声がそう遠くない木々の奥から聞こえてきた。
それも一つや二つではない。三つや四つでもない。数え切れないくらい、それこそニ〇は軽く超えているだろうほどの鳴き声の数々。
……なんとなく、嫌な予感がする。というかなんとなくでも予感でもなんでもない。確実に嫌なことだ。
「……チルノさん、一つ聞いてもいいですか?」
「なに?」
「あなたを追っていたという大量のカエルの魔物たちは、いったいどこへ行ったんでしょうか」
「とりあえず全員適当に凍らせておいたけど。あたいにかかればそのくらい楽勝ね!」
「それは、どの辺りにでしょうか」
「あっち」
と、チルノの指差す先は、大量の鳴き声がこだまする方向。
「ち、チルノちゃんんんんんんん!」
「なっ、なになにっ!? いきなりどうしたの大ちゃんっ!?」
また言い合いを始める二人を見て、はあぁー、とさとりはこれまでで一番大きなため息を吐いた。間違いなくそのカエルたちは溶けて元に戻っている。
チルノの誤解を解いて終わりかと思っていたら、まだ厄介事は残っていた。大ちゃんの様子から察するに、おそらくはいつもチルノのこういうところに苦労をかけさせられてきたのだろう。なんというか、心中お察しします、と言った具合だ。
それに今は、さとりやこころも巻き込まれているわけだけれど。
「こんな数、まともに相手してられません。こころ、大ちゃん、チルノさん。さっさと逃げますよ」
「がってんしょうちだぜ!」
「わ、わかりましたっ! ほら、チルノちゃんも行くよ!」
「ふんっ、このくらいあたいの手にかかれば――」
「いいから行くの!」
確かにさきほどチルノが行った全方位への氷結ならばまとめて凍らせられるかもしれないが、おそらく、鳴き声に呼応してさらにカエルの魔物は集まってきている。さすがにそれだけの数を一気には厳しいだろう。
というかそもそも今はチルノだけではなくてさとり自身やこころ、大ちゃんもいるので、あの全方位凍結はこちらも被害を負ってしまう。やられたらこっちの方が困る。
「乗りかかった船ではありますが……ボロ船どころか、不運艦でしたか」
さとりはそんなことを呟きながら、他の三人とともに鳴き声とは反対方向へとの森の中へと駆け出した。