人の歩いた跡のある道を進んでカエルの魔物たちを振り切れるわけがなく、さとりたち四人は、とにかくカエルの魔物と遭遇しないように鳴き声のしない方へと足を進めて行った。
とは言っても、鳴き声がしないからと言って、その先になにもいないとは限らない。当然、なんの発声もしていない魔物もうろついている。定期的にさとりが『既知探知』を行うことで多少は事前に戦闘を回避することができていたが、カエルの魔物にもいくらか種類がいたらしく、『既知探知』に引っかからないカエルの魔物と出くわしてしまうことが何度かあった。
そのたびにその魔物が「獲物を見つけた!」と言わんばかりに大きく鳴くものだから、すぐに倒しては、囲まれないようにするためにまた移動を開始していた。この世界に初めて来た頃、猿に襲われた時と同じパターンだ。
ただ、初めは新手の魔物と遭遇してしまうことが多かったが、逆にそのおかげで『既知探知』での探知対象が増えるにつれて、遭遇数は減少していってくれた。
もはやどれだけ逃げ続けたかはわからない。少なくとも、一〇分以上は道なき道をうろちょろし続けてきただろう。
「……もう声はしないわね。探知にも引っかかりませんし、どうにか逃げ切れたみたいです」
これまでずっと森のそこら中から鳴き声が聞こえたり、唐突に魔物と遭遇したり、さとりの探知に複数の魔物が引っかかったりということが多く、休める時間がなかった。さとりの逃げ切れたというセリフと事実に、さとりを含む全員がほっと息を吐き出した。
「た、大変だった……」
無表情のまま、こころは額の汗を拭うようなしぐさを取る。カエルと遭遇した場合は早々にそれを倒さなければ次のカエルの魔物が集まってくる危険性があったため、こころは狭い森の中で、扱いにくいと言っていた薙刀を使って積極的に敵を倒してくれていた。
この四人であれば、こころの薙刀による一撃が一番攻撃力が高い。避けられさえしなければカエルの魔物をほぼ一撃で仕留められる。この森ではできる場所が限定されるが、振り回したりと広範囲へ攻撃すれば複数匹へ一気に大ダメージを食らわせることも可能だ。
こころが先行し、さとりがそんな彼女の補助。チルノは勝手に遊撃隊として動いたり、大ちゃんの護衛をしたり。大ちゃんは……応援してくれたり。連携を取れているかはともかく、即席のパーティとしてはじゅうぶんに機能していると言えた。
「お疲れさまです、こころ。チルノさんや大ちゃんも、お疲れさまです」
「はぁ、はぁ……ふ、ふんっ、あたいにかかればこの程度、はぁ、造作も、ないわねっ!」
「チルノちゃん、無理に意地はらなくてもいいんだよ……」
このパーティの中で一番動いていたのはこころだが、次に敵をよく倒していたのはチルノだ。カエルの魔物を見つけるたびに雄叫びを上げ――そのせいでカエルの魔物が集まってきたこともあり、大ちゃんにはたかれたこともあったが――、敵に猛突進をしかけたり手加減なしの氷属性魔法を繰り出したりしていた。
チルノの一撃はこころの薙刀ほどの威力はないが、彼女の持つ水晶の剣は普通の剣よりも非常に軽いらしく、リーチに見合わない怒涛の連続攻撃が目につく。しかも見ていた限り少し切っ先をかすらせるだけでも、傷つけた箇所を凍らせることで徐々に相手の動きを鈍くすることができるらしい。さとりとこころと戦っていた時は全方位への凍結しか行わなかったが、本来の彼女は、近距離だろうが遠距離だろうが関係なく状態異常付加の攻撃を立て続けに繰り出すことで、相手を弱体化させつつ休める暇も与えず倒し切るスタイルなのだろう。
「ふぅ……」
さとりたち四人は敵がもういないということで、各々消耗した体力の回復に務めていた。さとりは木の幹を背に腰を下ろし、こころもまた、樹木へ肩を預けるようにして座り込んでいる。チルノは今いる少し開けた場所の真ん中で大の字で寝転がり、大ちゃんはそのそばであひる座りをしていた。
ここに来た時はもう敵の気配はなくなっていたとしても、時間が経てばどうなのかはわからない。さとりは他の三人には心労をかけないように、休みつつもこっそり『既知探知』を使用して魔物がいないかをチェックし続けた。幸い、荒れた息や体力が元に戻るまで、この近くにカエルの魔物が近づいてくることはなく、やがては全員が問題なく動き回れるくらいには回復する。
「……それにしても、ここはいったいどこなんでしょうか」
敵のいない方へいない方へと、やたらめったら進んでいたため、もはや森のどの辺りにいるのかがまったくわからない。どうしたものか。
嘆息するさとりに見えるように、おずおずと大ちゃんが手を上げた。
「あの、私たちはよくこの森で活動してるので、ここがどの辺なのかはわかるかもしれません」
「本当ですかっ? その割に初めに会った時は迷っていたような気がしましたけど」
「あ、あの時は見覚えがないところだったので……でもこの辺りなら……えっと、あっちにあれがあるはずだから……あっ。ここ、森の入り口のすぐ近くですね」
どうやら自然と森を出ようとしまっていたらしい。ただ、同時に納得もする。カエルは森に出現する魔物なのだから、森の外側へと進んでいれば、やがてこうしていなくなるのも当然だったということだ。
大ちゃんに、森の出入り口はどの方向にあるかと問いかけると、少し「うーん」と唸った後に、「あっちです」と指差してくれた。これが初めて会ったばかりのプレイヤーやNPCだったなら多少は騙されることも考慮するところだが、この短時間で彼女の人柄は十分に理解している。断言する彼女を疑うことはなかった。
もう少し森の中で〝シンクロシステム〟の使い手を探していたかった思いもあるが、同時に、出入り口が近いということは好都合だともさとりは感じていた。なにせ、そろそろ――。
【ゲームを始めてから二時間が経過しました。戦闘中の際は速やかに離脱し、ログアウト処理を行うことを推奨いたします】
ちょうどそろそろだと予想していたところに、そんな赤い文字が宙空に描かれた。そう、そろそろログアウトしなければいけない時間帯だ。
こころの方へ顔を向ける。今回、彼女とはほぼ同時にゲームをスタートした。こころもまたさとりと同様にメッセージが出現したらしく、こちらに目を向けてきた彼女と視線が合う。
「大ちゃん。私たちはログインの制限時間になってしまいましたので、今回はもうログアウトしようかと思います」
「あっ……あ、あの! えっと、ありがとうございました! さとりさんたちがいなかったら私はやられてたし、チルノちゃんのこともきっと見つけられなかったですっ」
「いえ、私たちも人探しのついででしたから。そう何度もお礼を言われることのほどじゃありません」
「人探し……そ、そうです! それなんですけど……」
大ちゃんは辺りを見渡し、チルノやこころがさとりの近くにいないこと、聞き耳を立てる様子がないことを確認すると、さとりへ唐突に歩み寄ってきては小声で言葉を続けた。
「その……それってどんな人なんですか?」
「……? そうですね」
どうして声を潜めるかはわからなかったが、彼女がそうしたいと言うのなら、さとりもそれに従う。同じように、こころやチルノに声が届かない程度に声量を小さくして答えた。
「私はとある知り合いから、この森に〝シンクロシステム〟をほぼ自由自在に操れる人物がいると聞いてやってきたんです。それでその人と会って、どうやって〝シンクロシステム〟を使っているか知ることができれば、と」
大ちゃんが〝シンクロシステム〟を知っている前提に話してしまっていたが、そういえばあの力は表向きはなんなのかわからない謎のシステムということになっているんだったか。さとりも詳細を把握し切っているわけではない。わからないから、学びに来たのだ。
とりあえず大ちゃんに〝シンクロシステム〟についてさとりの知っている範囲で軽く説明しようとしたところ、さとりは、大ちゃんがさとりの言葉を耳にして神妙な顔をしていることに気がついた。
「やっぱり、そうなんですね」
予想がついていたと言わんばかりの呟きに、さとりの顔は疑惑に歪んだ。
「やっぱり……?」
「さとりさんたちほどに強い人たちがこんな森に、それも人探しに来るなんて、それくらいしかないと思っていました」
「それは」
それはつまり、この大ちゃんはそのシステムの使い手が誰かということを知っているということなのか?
声にして出さずとも、そんなさとりの疑問が大ちゃんには伝わったらしい。彼女は静かに、こくんっ、と頷いた。
「その、信じられないかもしれませんけど……さとりさんたちが探しているのって、チルノちゃんなんです」
しかし次に彼女が吐き出した言葉を耳にして、さとりは一瞬思考が止まってしまう。
「……え? 今なんと」
「〝シンクロシステム〟の使い手というのは、チルノちゃんなんです……たぶん」
「えぇ……?」
思わず、未だ大の字で寝転がっているチルノへ胡散臭いものを見る目を向けてしまった。
大ちゃんと同じくらいの背で、頭がよさそうだともあまり思えない。無駄に騒がしいし、最強だとかなんだとか見栄っ張り。それに、大ちゃんが妖精だと言うのなら、まず間違いなく彼女も妖精であろう。現実での力もそれほど強くないという推測に至るのは必然だった。
そんな彼女が、さとりのずっと探していた〝シンクロシステム〟の使い手? しかも、大ちゃんはたぶんなんて言葉も最後に付け足した。さとりが困惑してしまうことも無理はない。
ただ、同時にさとりの頭の隅には、諏訪子から聞いていた使い手について断片的な情報がよぎっていた。
――どうすれば使えるかなんて……いや、たぶんそもそも、〝シンクロシステム〟を使ってるっていう自覚もないんじゃないかな。っていうか存在を知ってるかも怪しい。
「大ちゃん。その、チルノさんは……そのシステムを使っているという自覚はあるのですか?」
「や、絶対ないですね。でも、たまに私が魔物にやられたりなったりしそうになると、唐突にすごい力を発揮することがあって……チルノちゃんに聞いても『なんか知らないけどパワーアップした!』くらいしか言わないけど、チルノちゃんのスキルやアビリティにそんなものないはずなんです。だからたぶん、あれが噂でいろいろ言われてる〝シンクロシステム〟なんじゃないかって」
「……うーむ」
そのパワーアップ状態のチルノを目にしたことがないさとりでは、それが本当にシンクロシステムかの判断をすることができない。かつて《恐ろしい波動》のその力を見た自分ならば、もう一度同じような力を見ればそれが本物かどうかを判別することはできるとは思うのだが……。
このチルノという少女が、〝シンクロシステム〟の使い手。あまり信じられる話ではない。だけど、今は他に手がかりがないことも確かだった。できることならどうにか行動をともにして、そのパワーアップする瞬間をこの目で確認してみるしかない。
そんなさとりの考えを、またしても大ちゃんは察したらしい。一足早くこくりと首を縦に振ると、「『メニュー・コール』」と呟いた。さとりには見えず、彼女には映っているだろう画面を操作し始める。
なにをしているのだろう。聞いてみようかと思いかけた矢先、不意にさとりの視界に新たなメッセージが出現した。
【『大ちゃん』からフレンド申請が届いています。承諾しますか?】
「これは……」
「あの、いつでも連絡してきてください。そうしたら、チルノちゃんにさとりさんたちと遊ぶ約束を取りつけさせますから。さすがに連絡してすぐっていうわけには行きませんけど……できるだけ次の日以降までには一緒に冒険できるように取り計らっておきます」
それは願ってもない申し出だった。〝シンクロシステム〟がどういうものなのか暴くためには、現在唯一の手がかりかもしれないチルノと行動することが一番の近道だ。
「でも、迷惑ではありませんか? チルノさんがシステムの力を使うところが見たいというのは私たちの……いえ、私個人の好奇心や探究心にしか過ぎませんし、そんなことのために約束を取りつけさせるなんて、少し気が引けます」
「そんなっ、大丈夫ですよっ! 私はもっとさとりさんたちと冒険してみたいし、チルノちゃんだって……それに、私たちが得をしないというわけでもないんです」
「どういうことですか?」
「実は私たち、この森を中心に活動し始めてから結構経つんですけど、未だにこの森を攻略できていなくてですね……正直、森の奥の方は私とチルノちゃんの二人だけじゃ手詰まりだったんです。だから、さとりさんたちに手伝ってもらえたら森の奥のさらに先の方に進めて、もしかしたらボスだって倒せるかもしれないって、そう思ってるんです」
「なるほど、そういうことですか」
さとりだけに利益があるわけではない。チルノや大ちゃんにも、それ相応の理由がある。
そういうことならば是非もない。いや、そういう事情がなくともフレンド申請自体は承諾していたが、とにかくこれで、〝シンクロシステム〟の正体に近づくことができる。
フレンド登録しました、という機械音声が、さとりと大ちゃんの二人の耳に届いた。
「さて、それでは今日はもうお別れですね。また今度、一緒にこの森を攻略しましょう」
「はいっ! その時は、どうぞ宜しくお願いします!」
「ええ。こちらこそ」
大ちゃんとの会話を終えると、さとりは踵を返してこころの方へ歩み寄る。大ちゃんもまた、チルノの方へと戻っていった。
「なにを話してたの?」
「また一緒に遊びましょう、という約束です。その時はこころさんもお願いしますね」
そろそろログアウトしましょう。そうさとりが誘うと、こころはこくんと首肯した。
チルノという少女が本当にシンクロシステムの使い手なのかどうかはまだわからない。それを確かめるには、チルノがパワーアップしたという状態をこの目で見るほか、あと一つだけ方法があった。
次にこの世界に来た時には、それを行ってみるのが吉だろう。そう思いながら、さとりはこころとも「また会いましょう」と別れの挨拶を交わした。
翌日。今日も今日とてゲームの世界へ入り込んでいる。
昨日は森の中をふらふらと彷徨っていたものだが、今回さとりは一人で、街の方へと戻ってきていた。
というのも、本当にチルノがシンクロシステムの使い手なのかを確認するためだ。チルノに聞いてもわからない、大ちゃんも可能性は高いと思っているにせよ確信には至っていない、さとりもこの目で見ていないから判断がつかない。そうなると、実際にそのシステムの真の正体を知り、森にいる使い手がどういう姿かたちをしているかを把握している人物に尋ねるのが一番だ。
すなわち、洩矢諏訪子にチルノの特徴を説明し、本当に彼女がシンクロシステムを自由自在に扱える使い手なのかと確認を取る。それを目的に、さとりは街へと戻ってきていた。
「まぁ、もしもチルノって子がそうでなかったとしても、森の攻略は手伝うつもりなのだけど」
街の様子はあいかわらずだ。古い西洋を象った街並みで、その表通りには多くの人々が行き交い、数多くの話し声は他のそれらと混ざり合って雑音と化している。幻想郷では祭りの時以外はあまり見られず、見られたとしても地霊殿の外に出ないさとりには縁のないこの雰囲気は、どことなく新鮮であると同時に、多くの人がいるという状況で少し苦手でもあった。
諏訪子の店はこの表通りから外れたところにある。今は大通りを歩いているが、もう少しすれば路地に曲がらなくてはならない。
目的としてはチルノが使い手なのかどうかを問いかけることだけど、そんなものはすぐに終わってしまうだろう。だからその後はいつも通り、諏訪子とお茶でも飲んでだべっているつもりでいた。諏訪子とは、そうして一緒にのんびりしていることがそれなりにある。
ただ、あとでこころと遊ぶためにも時間を合わせる必要がある。いつもなら時間いっぱいまでゆっくりしているところだが、お茶を飲んでのんびりする時間は、今日はいつもよりも短くなりそうだった。
「……ん?」
ふと、後ろを振り返る。なにか、視線を感じたような気がした。
多くの人々が通りをあっちへこっちへ歩き回っている。それに加え、突然立ち止まったさとりに奇異な視線を向ける人もいた。そのせいで誰に見られていたのかわからず、さとりは首を傾げる。
気のせいだった? いや、それにしては。
さとりは視線を前に戻すと、その足を早めた。つけられているにせよ勘違いにせよ、こんな人の多い場所ではどうにもわかりにくい。一旦路地に入り、改めて後ろを確認してみる必要がある。
早足で進んでいる間にも、やはり、さとりをじぃっと観察するような視線を、さとりは背後から感じていた。
勘違い、ではないか。
すっ、と路地に入り込むと、さとりはすぐに全速力で駆け出した。後ろから追ってきているとするならば、建物の角が死角になってさとりが走り出したことはわからないはずだ。
すぐそばの分かれ道を左に曲がると、その角に身を潜めた。足音に耳を澄ませていると、やがて、慌てて路地にやってきたような不自然な足音がさとりの耳に届く。
さとりは左の手で『
やがて、その人物が姿を現したところで。
「動かないで」
「っ――」
さとりは素早く背後に回り込むと、左腕で軽く拘束しつつ、右手をそっと相手の首元へ添える。
さとりの行動に、ぴくりっ、と一瞬だけ反応するものの、相手は言われた通りに動きを止めた。たかが軽く首に触れられている程度で、なにができるわけでもない――そんな風に判断して拘束を振り払おうとしない辺り、どうやら『魔術師』の『
さとりは、追ってきたその人物の姿を観察し、訝しげに眉をひそめた。
全身にぼろぼろの灰色のローブを纏い、フードまでかぶって顔を隠している。そんな怪しさ満点の格好に加え、その背はほんの一〇にも届かない程度の子どものもの。自分を追ってきた者の姿がそんな人物であれば、誰でも困惑してしまうだろう。
それでもさとりは気を取り直し、引き締め直した。この人物が自分をつけていたことは間違いないのだ。なにか、よこしまな目的があったに違いない。
「あなた、私をつけていたわね。なにが目的なのかしら」
返答はない。さとりは、触れていた手をさらに強く押しつけ、スキルを発動させた際にもっと強く荷重がかかる状態にしてみせた。
「答えないなら、このまま思い切りやってしまうわよ」
「…………けた」
ぼそっ、となにかを呟いたこと。触れていた首元が、声を発したことでわずかに震えたことがわかる。
よく聞こえなかった。「なんと言いましたか?」と問いかけ直すと、少女の発する震えが段々と明確に、大きくなっていった。
けた、けた、けた、けた、けた。つけた、つけた、つけた、つけた――。
「やっと、見つけた」
「なっ――!?」
唐突に相手が振り返り、さとりの瞳をじっと見つめてきた。フードの奥に垣間見えたその人物の顔を目にし、さとりは思わず驚愕の声を漏らして体を硬直させてしまう。
その隙を見逃すような相手ではなかった。素早くさとりの拘束を振り切ると、軽くバックステップを踏んで距離を取る。そして、それをやめて立ち止まった時の反動で、その人物のフードが取れた。
金髪のサイドテール、炎よりも深く輝く真紅の瞳。狂気を内包する、恐ろしいまでに無垢で無邪気な笑顔の少女。
見覚えがあるどころの話ではない。この少女は、かつてさとりとこころをその圧倒的な力をもってして焼き殺してきた、史上最悪のプレイヤーキラー。
「《恐ろしい波動》……!? どうして、こんなところにっ……!」
右手を剣の柄に伸ばし、素早く抜き放つ。同時に左手で編んでいた『
臨戦態勢を取るさとりに対し、二つ名を持つにまで至ったプレイヤーキラーの少女は幽鬼のように立ち尽くすだけで、なにも構える様子がない。それを若干訝しく思いつつも、それ以上の警戒心を胸に彼女と対峙する。
「やっと見つけた、と言ったわね。まさか、また私を殺すつもり?」
まずい、とさとりは思う。今は隣にこころがいない。あの時奇跡的にこの少女を追い詰めることができたのはこころがともにいたからだ。
しかもここは表通りから路地に入ってすぐの場所。すぐに応援が来る可能性があると言えば聞こえはいいが、逆に言えばこの少女にはそれまでの間大量虐殺が可能であるということ。見知らぬプレイヤーのことなどさとりには関係ないと突っぱねることはできるけれど、だからと言ってその虐殺をみすみす見過ごすわけにもいかない。
諏訪子に助けを求める? 彼女が相当な強者であることはわかっている。おそらく、《恐ろしい波動》とまともに一対一で戦えるほどか、それ以上の実力がある。
ただ、諏訪子の店まではまだそれなりの距離があった。《恐ろしい波動》の超高威力広範囲の攻撃をこんな狭い路地でかわしつつそこまで移動するのは現実的ではない。
どうすべきか、と思考を続けるさとりへと、一歩、《恐ろしい波動》が歩み寄ってくる。それに呼応して、さとりも一歩下がってしまった。
それは、距離取らなければ危ないという理性的な判断から下がったものではない。ただこの少女と相対する恐怖ゆえに、本能が後退することを選んでしまった。それが屈辱だとわずかに感じるとともに、それほどまでにこの少女は危険なのだとも自覚する。
「ずっと、ずっとずっとずっとずっと……あなたと、あの変な無表情なやつにやられてから、ずっと探してた」
「やられた……? あなたは勝ったでしょうに。あのとてつもない力で、〝シンクロシステム〟の力で」
「……〝シンクロシステム〟?」
金髪の少女が、首を傾げる。まるで心当たりがない、と言った具合に。
どういうことだ? あれはシンクロシステムではなかったのか?
この少女がとぼけているようには、どうにも見えなかった。
……まさか、無意識だった? シンクロシステムのことを知らず、けれど無意識のうちに、あの時あの瞬間にシンクロシステムの力へと到達した?
そんな都合のいい話があるものか。そうは心の中で否定してみるものの、この少女の反応は、そうとしか思えないものだった。
「なんでもいいわ。最後に私が勝っただとか、お前らが勝っただとか、それこそどうでもいいのよ」
「なんですって?」
「消えないの……ずっとずっと、ずっとっ。あの日からずっとっ! お前の満足そうな笑顔が! もう一度私に挑んでみせるって言った、楽しそうなあの顔が!」
「なに、を」
胸の奥が強く痛むかのように、相対する少女は胸元で右手を握りしめる。一歩、二歩、三歩。ゆっくりと、けれど着実に少女が近づいてくるたびに、さとりも一歩ずつ下がってしまっていた。
「あの日から、誰を殺したって全然気持ちが晴れないっ……! どんなふうに苦しませたって、もやもやするだけでまったく楽しくなれない! 人が苦しむ顔が楽しみだったはずなのに、それを見るたびに、お前のあの顔を思い出すの! 怯えるんじゃなくて、笑って、私と戦うのがまるで楽しいみたいにっ! そのせいでぜんっぜん楽しめない! なんで邪魔するの? なんで、楽しくなろうとしたところでいっつも邪魔してくるのよ! お前は確かに私が殺したはずなのに、なんで私をこんなに苦しめ続けるの! ふざけないでよ!」
なんとも理不尽な罵倒だった。ふざけてるのはどっちだ、なんて言葉が頭の中には浮かぶのに、あまりの迫力に、口から出すことはかなわなかった。
あの時、この少女への意趣返しでしてみせた笑顔は、さとりの予想以上にその心に印象強く残ってしまっていたらしい。
別に、楽しかったわけじゃない。他人を玩具のように、自分やこころもその一つとでも言うように、もてあそんで殺そうとしてくる。そんな相手と進んで戦い合いたいとはとても思わない。
ただ、こころと一緒ならば話は別というだけだ。彼女はとても頼りがいがあるし、自分を頼ってもいてくれるのがわかる。初めての友達である彼女とであれば、たとえはるか格上の残虐なプレイヤーキラーが相手だろうとも、信じ合って挑んでいける。
「……だから、あなたをずっと探してた。この晴れない気分を、なにをどうしたってどうにもならないこむしゃくしゃを、終わらせるために」
少女が足を止めた。さとりもまた、自然と後退を止める。
「やはり、また私を……殺すつもりなのね。それで、あなたのその晴れない気分とやらを終わらせることができると?」
確かに、今この少女にいたぶられて、あの時のように笑顔でやられることができる自信はない。あれはこころが残してくれた、楽しかった、という一言があったからできたことなのだから。
笑顔の終焉ではなく、怨み憎む、もがき苦しむ断末魔。それを耳にし、目にすることができれば、彼女の気持ちが晴れる、と。彼女はそう言いたいのだろうか。
さとりの核心を伴っての質問に――けれどこの少女は、静かに首を横に振った。
「なら……いったいなにを目的に私を探していたというの。殺すのが目的ではないとすれば、いったい私をどうしたいと」
「……どうもしない。あなたをもう一度殺したって、あなた一人だけを、今度は本当に苦しませることができたって……この胸にあるもやもやってした気持ちがなくなるなんて、どうしてか、思えない」
「どうもしない? なら、どうして私をやっと見つけただなんて言ったのかしら。あなたはなにか目的があって、したいことがあって私を探していたはず。なら、それはいったいなんのために」
「……私は」
少女が目を伏せる。その幼き心で、深く、なにかを考え込んでいるような静かな表情。
やがて彼女が静かに意を決したように顔をあげると、すっと手を宙空にかざす。『紅蓮弾』かなにかが飛んで来るか、といつでも回避できるように意識しつつ剣を持つ手に力を入れたが、どうやらそういうわけではないらしい。
少女の手と、指が動く。魔法陣を描くわけでもなく、武器を握るでもなく。
まるでその手の動きは、まさに昨日、大ちゃんがさとりの前で見せたものと酷似していて――。
【『フランドール・スカーレット』からフレンド申請が届いています。承諾しますか?】
「なっ、ん……!?」
突如さとりの視界に出現した画面に映った文字を見て、さとりは目を見開かざるを得なかった。