Touhou NET-GAME   作:にゃっとう

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五.店主蛙(shopkeeper frog)

 ――――遮断(cutoff)――返還(return)――調和(harmony)――――ログアウト完了(log-out completion)

 ゆっくりと瞼を開く。映るのは、仮想世界へ意識を接続する直前と同じ、明かりの灯っていない真っ暗な自室。

 ベッドから体を起こし、床に足をつけると、まずは部屋の電気をつけた。わずかでも月明かりさえあれば妖怪は暗闇でも目が見えるが、さとりの住む地霊殿は地底なんかに建っているので、仮に窓を開けたところで部屋が暗ければ普通に見にくい。

 

「……少し」

 

 さとりは、自分の体を見下ろしてみた。第三の目(サードアイ)はあるし、服もいつもと同じフリルのついた水色の服とピンクスカートである。きちんと現実の体だ。

 続いて、右手を握ったり開いたりと、肉体を動かす感覚を確かめてみた。

 

「かたい」

 

 仮想世界では激しく体を動かしていたというのに現実ではまったく動いていない。そんなギャップのせいか、どうにもひどく動かしづらく感じる。たった二時間眠っていただけなのに、まるで全力で運動をした翌日のように体が重い。

 ここまで実感できると、ゲームを始まる前にあった『できるだけ二時間ごとにログアウトをし、休憩をお取りください』という注意事項の真の意味合いがおぼろげながら見えてくる。

 現実とあまりに長時間離れすぎると体をろくに動かせなくなったりだとか、そもそも意識が戻ることができなかったりだとか。最悪の場合、そういうことさえ起こり得てしまうのかもしれない。

 

「このルールだけは、ちゃんと守らないといけないわね」

 

 ひとまず体感的にいつも通りに動けるようになるまではゲームに接続しない方が賢明だろう。

 さて、今からなにをするか。

 地底はいつも薄暗く、昼も夜も大して変わらない。ただ、行動の目安にはなる。今はおそらく夕方と言ったところで、なにをするにも微妙な時間帯だ。

 夕刻ではあるが夕餉(ゆうげ)にはまだ早いし、仮想世界で肉体を動かした直後だから、読書のような少なからず頭を使うことをやる気は起きない。こんな時間から仮眠を取るというのもだらしない気がするうえ、夜に寝られなくなる可能性がある。

 右目を閉じ、腕を組む。そうした時に右の眼に浮かび上がるのは暗闇ではなく、くっきりと色を出したデスクトップだった。さきほどから半透明状態で映り込んでいたが、瞼を閉じたことでより明瞭に捉えられるようになっている。

 その右上の部分に、メールの着信を知らせる手紙のアイコンマークが出ていた。

 タッチしてチェックする。差出人は『秦こころ』、内容は。

 

「『すごく楽しかった! もしよかったら、明日一緒に遊ぼう!』、か」

 

 光の粒子に包まれ、目を開けた時にさとりとこころがいたのは街の中だった。観光もほどほどに、さとりは名残惜しさをどうにか振り切って、こころにまた会うむねを話してから警告に従ってログアウトをした。そうして、さきほど目が覚めたところである。

 こころはさとりよりも遅くゲームを開始したために警告はまだ来ていない。現在、武器を作ってくれる場所を探して街を探検していると追伸の方に書かれている。

 すぐに返信の画面に移行し、森から出ることを手伝ってくれたことの感謝や、自分も楽しかったこと、明日の遊びのお誘いへの返事等を入力していく。

 

「ふふっ」

 

 自然と頬が緩む。こんなたわいもないやり取りで、自分がひどく嬉しがっていることが理解できる。

 そうだ、私はこういう関係を望んでゲームを始めることにしたんだった。心を読めない世界でなら(サトリ)の自分でも人並みの付き合いができる、友達を作ることができる。そう思い、願って。

 返信完了。さとりは、メールの機能を閉じた。

 

「やること、決まったわね」

 

 さとりの脳裏によみがえるのは、こころとともにクマへと挑んだ時の光景だった。

 最後は賭けじみた相手の行動の誘導やこころとの連携で仕留めることに成功したけれど、最初の方は確実にさとりが足を引っ張っていた。

 クマから咆哮まじりにさとりが狙われた時、さとりがいなければこころはクマへとなんらかの攻撃的アクションを取ることができていただろう。鉤爪の飛ぶ斬撃が迫ってきた時、さとりを突き飛ばさなければこころはクマから目を離さず、クマが上から襲いかかってくることも容易に感知できたはずだ。

 こころは薙刀を手に入れた時、目を輝かせて喜んでいた。だからこそ思う。自分がいなければそれが折られることは、あの喜びが無為にされることはなかったかもしれない。クマの右前足の素材を譲ったのは、わずかながら密かにそんな負い目を抱いていたからこそでもあった。

 明日、今のままこころと行動をともにすれば足手まといになる確率が高い。それは嫌だ。嫌だから、それまでにできるだけ強くならなくてはならない。

 そのために必要なことは、理解している。

 

「うろおぼえじゃなくて、深くまで見通さないと。本気で能力を使おうとするのは久しぶりだけど……」

 

 机の前のイスに腰をかけ、ちらりと一瞬だけ第三の目を見やった。自身の両目と同じく半眼で、見る人によっては不気味だと怖がられるようなデザインをしている。

 ――少しとは言え、まさかこの力があることをよかったと思うような日が来るなんてね。

 さとりはデスクトップからインターネットのアイコンを選ぶと、動画の検索に移った。

 この短時間で爆発的にパワーアップするなんてことは普通に考えればできやしない。ましてや仮想世界では仮想世界での強さがあり、現実世界でどんな妖怪だったとかはまるで関係がなくなる。現実から持ち込めるものは非常に限られていた。

 しかしその限られたものの中に、重要視すべきものが詰まっている。

 

「始めましょうか」

 

 目的の動画を見つけて、さとりはそっと深呼吸をした。

 集中する準備はできた。

 最後に肺の空気をいっぱいまで吐き出すと、普段通りのぶんだけ息を吸って、再生ボタンを押すと、流れ出した動画にじっと三つの目を凝らした。

 

 

 

 ――――遮断(cutoff)――投入(throw)――接続(connect)――――進入完了(access completion)

 存在そのものが世界を飛び越えたような、たった一歩で宇宙の果てまでたどりついてしまったような、どうにも表しようのない逸脱した感覚ののちに、とんっと地面に足がつく。

 瞼を開けた時、さとりの目に入ってきたのは、本で見たことがある古い西洋に酷似した街の風景だった。

 地面には平らな石が敷き詰められており、それのないそこかしこの箇所には木が植えられている。建物は主には石造り、いくらか木造のものが混じっていた。その建物の壁からつり下げられたランタンが夜の光源となっているようだが、現在は天高くで太陽が爛々と輝いているため、ランタンに火は灯っていない。

 

「さて……」

 

 動画は一通り見終わる頃には体の調子もいつも通りとなり、ついでに夕食を食べてから、またこうしてログインをしていた。

 今回仮想世界にやってきた目的は戦闘ではなく、装備の新調が主だ。なにせ視線を下げれば、こころを助けた時や森での猿との連戦でついてしまった土や血の汚れが、簡素な布の服に付着している。今はインベントリにしまっていて手元にはないが、ショートソードもちょっと刃こぼれしてしまっているし、研ぎ直すか買い換えるかしなければならない。

 前回すぐにはログアウトせず、ほんの少しこころと見回っていたためにちょっとだけなら地理を把握している。自分のいる場所がログアウトする前と同じであることを確かめてから、さとりは街の中を歩き始めた。

 さとりの歩いている通りの人の行き交いはまばらだ。こころとともに転移してきた直後は表通りにいたためにそれなりに人の往来も多かったのだが、ログアウトはできるだけそれの少ないところを選んで実行した。

 これまで地霊殿(自宅)に引きこもっていたさとりからしてみれば、どうにも人が多く集まるという状況には慣れなかった。ペットの動物たちにならいつも囲まれているにせよ、人型の生き物となれば別である。

 表通りの側面には数多く露店が並べられ、そこかしこで商売が行われていたのに比べ、そこからいくらか外れた道であるさとりの歩く通路にはそれらは見受けられない。

 

「ま、当たり前よね。人のいない場所で商売なんてしたってしかたがない」

 

 しばらく歩き続けてみたが、武器屋や防具屋、あるいは鍛冶屋や服飾店と言ったものはあまり見つからなかった。たまにあったと思っても、店の外観が今にも潰れそうだったり店員がよぼよぼのおじいさんだったり、正直入るのが戸惑われる店ばかりだ。

 やはり人の多い表通りに向かうのが確実なのだろう。わざわざ横道でよさげな店を探すということがそもそも無理があったのだ。

 小さくため息をつく。それでも明日にまたこころと遊ぶためだと考えて、重くなりかけた足を持ち上げた。

 と、その時。

 

「ちょっとちょっと、そこの桃色の」

 

 誰かを呼び止める幼げな声が響き、さとりは足を止めた。

 桃色?

 さっと周囲を見渡し、それらしい人物が近くにいないことを確認する。それならこの声が話しかけてきているのは、髪が桃色の自分ということになるのだろうか。でも、勘違いで反応してしまうのも恥ずかしいから、もう一度だけ辺りを観察してみて……。

 そんなさとりを見かねたのか、幼げな声が呆れたような感情が含まれたものに変わった。

 

「あー、そこの桃色の髪の人。今立ち止まった人ー」

 

 これはもう確実に自分に声をかけてきている。そう判断したさとりは、ゆっくりと後ろに振り返った。

 

「私ですか?」

「そうそう。もう、二回も周り確認しなくたっていいのに。桃色って特徴が当てはまる人が二人いたら普通目的の方だけに当てはまる別の呼び方にするしさー」

 

 そこにいたのは、蛙の着ぐるみを身に纏い、蛙座りをしているおかしな少女だった。

 蛙の着ぐるみの配色は当然ながらほとんどが緑色で、胸からお腹にかけての部分や手元だけが白色となっている。蛙の口の中に当たる部分から少女の顔が見え、金髪のショートボブやまん丸とした桑染(くわぞめ)色の瞳が窺えた。そして、どういうわけか着ぐるみの目玉がぎょろりとこちらをまっすぐに見つめてきている。

 

「なんでふらふらしてるの?」

「いえ、なんでもありません」

 

 右に行っても左に行ってもついてくる不可思議な視線に小首を傾けつつ、改めて目の前の少女と向き直った。

 

「私に、なにかご用でしょうか」

「うーん、用って言うか、たぶんあなたの用が私なら叶えられるかもってお誘いかな」

「お誘い?」

「ふふんっ、これ見てみてよ」

 

 着ぐるみの少女が左腕で彼女の左側を指し示す。特に逆らうこともなく視線をその方向に向けると、そこには『よろずや』と書かれた木製の看板が立てかけられた、石で造られた小さな建物があった。

 扉は開かれており、その直線上に蛙の着ぐるみの少女がいる。そしてこうして店の紹介をしてきている。それだけの情報があれば、目の前の少女がこのよろずやの店員であることには察しがついた。

 よろずやという名称には、確か二種類の意味があったと覚えている。一つ目がいろいろな商品を売っている店のことで、二つ目が頼まれればなんでもする店や職業のこと。

 はてさて、いったいどちらなのだろう。そんな風に思考を巡らせようとしたさとりの手を、少女が取る。

 

「まぁまぁ、とりあえず入ってみてよ」

「はぁ」

 

 されるがままに店の中へとついていく。店内は窓もなく薄暗かったが、着ぐるみの少女が壁にかけたランタンに火を灯していくと内装が明らかになった。

 ところ狭しと棚や長机が並べられ、その中や上には剣や盾などの武具類からタオルやコップ等の日用品など、多種多様な商品だろうものが見て取れる。どうやらよろずやとしての意味は『いろいろな商品を売っている店』の方が正しかったらしい。

 奥の方には一段上がったのちに畳の敷かれたスペースがあり、さとりは着ぐるみの少女に手を引かれてその手前まで移動した。少女が着ぐるみの靴を脱ぎ始めたのを見てさとりも同様にし、畳床の上に足を乗っける。

 

「はい、どうぞ」

「ありがとうございます」

 

 着ぐるみの少女の敷いてくれた座布団の上に座り、ちゃぶ台を挟んで向き合った。

 店内を見渡して、思う。

 目の前の少女の言う通り、確かにここでなら自分の用も果たせるかもしれない。武具も服も売っているようだし、一目見た限りでは不良品というわけでもなさそうだった。問題は、専門店ほどの性能や見た目は期待できないというところだけれど……。

 少女が宙で指を動かしていたかと思えば、ちゃぶ台の上に急須と二つの湯呑みが出現する。すでに急須にはお湯が入っているようで、注ぎ口からは白い湯気が立ちのぼっていた。

 お茶の淹れられた湯呑みを差し出され、再度お礼を口にする。一口だけ飲んで、現実とまったく変わらない味と満足感に目を見開きつつ、湯呑みを置いて少女の方に目を向ける。

 

「それで、どう? これならあなたの望みも叶えられそうでしょ?」

「そうですね……でも、どうして私が剣や服の新調を求めているとわかったんですか?」

「いやだって、服がぼろぼろだしねぇ。剣は知らなかったけど」

 

 肩を竦める少女の目線の先にあるのは、さとりの着ている血や土で汚れた薄汚い布の服だ。

 好きでそんな恰好で居続けるやつはいない、なんて。ごもっともだと納得をする。

 

「それに別になにを求めたってとりあえず案内すればいいしね。よろずやなんだからその人の目当ての品はたぶん大抵あるし」

「確かにそうですね」

 

 現実のよろずやなら武具なんて置いてないと思うのだけど、やはりそこは仮想世界だからこそか。店内を再度見渡してみる限り、冒険に必要そうなものはとりあえず一通り揃えていると言った具合だった。

 

「それで、えーっと、新しい服と剣が欲しいんだっけ? 選びやすいようにまとめて並べてみようか?」

「お願いします。あ、剣は新しく買うのではなく、研ぎ直すだけでもいいんですが……できますか?」

 

 指を鳴らし、インベントリから鞘に入ったショートソードを取り出すと、ちゃぶ台の横に置く。対面する少女はそれを手に取ると、柄を持って慎重に鞘から刀身を抜いて、しげしげと刃こぼれしている刃を眺めた。

 

「んー、こんな程度の傷なら全然大丈夫だよ。確実に成功させられる。ただ……」

「ただ?」

「これ、初期装備だよね。しかも『祝福』をしてない」

 

 初期装備なのは当たりだが、祝福? たぶんしていないので、ちょっとだけ戸惑いつつも頷いてみせた。

 対面の少女はそんなさとりの様子を確認すると、口元を緩めながら肩を竦め、鞘に剣を収める。

 

「『祝福』って言うのはこういう刃こぼれとか……つまり耐久値の減少を抑制するスキルの一種だよ。『祝福』してれば武器が使い物にならなくなる速度も目に見えて遅くなるし、研ぎ直したりする時も最大値が減少する確率が小さくなる」

「最大値の減少、ですか?」

「武器でも防具でもなんでも、この世界での修理には耐久値の最大値の減少っていうデメリットが伴うの。基本的にそうなる確率が高い店は値段が安くて、確率の低い店は値段が高いようになってるんだ。基本的には、だけど」

 

 ちゃぶ台の横からショートソードを返してくるので、それを受け取って自分の横に置いた。

 

「私みたいなプレイヤーが経営してる店だとそうと限るわけじゃない。さすがにNPC(ノンプレイヤーキャラクター)……あ、NPCの意味はわかる?」

「現実からログインしているわけではなく、そもそもからプログラムでできた仮想世界だけの生き物……ですよね?」

「そうそう。さすがにそのNPCの店よりは安くしないと話にならないからねぇ。プレイヤーの店は確率が同じだとしても、値段はどこもまちまちだよ。NPCのその値段に限りなく近かったり、あるいはそこそこ遠かったり、常連さんだけには安くしてるところとかね」

 

 目に見えた稼ぎが欲しい人はNPCの値段よりほんのちょっと安い程度にし、とりあえずたくさんの人に知ってほしいという人はもっと安くする。固定客が欲しい人は常連だけへのサービスをつけたりと、いろいろな戦略が繰り広げられているようだ。

 

「あー、あと武器とか防具とかのランクが高いと修理も失敗しやすくなるから、ランクの高いものの修理は必然的に成功確率が高いところに行かなきゃならなくなるね。さっきあなたが出した初期装備だとランクは三、石の武具で二、木の棒で一ってところ。ランクが一ならどこでどう修理したってまず失敗しないわ。あとはー、直すものの状態がひどくても失敗しやすくなるかな」

「ランク、ですか。最高はいくつなんですか?」

「さぁ? 一応、私が聞いた限りでのランクの一番上は七だけど、そんな中途半端な数字で終わるとは思えないし、まだまだ上はありそうだね」

 

 そこまで言うと、着ぐるみの少女は湯呑みを口元に傾けた。そうして満足そうに顔をほころばせ、「話を戻すよ」と宙に指を置いてなにかを操作し始める。

 

「装備の新調だったっけ? まぁ、とりあえずこんなところかな」

 

 少女が手を下ろすと、さとりと少女の座っている横に一瞬にして大量の服や鎧などの装備が並べられた。いくらか見覚えのあるものが、と店内の棚や長机の上に目を向け、そこにさきほどまであったはずのものがいくつか消失していることを確かめる。

 

「自分の店の中にいると、店に置いてあるものは全部インベントリに入ってるのと同じ扱いになるんだ。建物から出たらそういう機能はなくなるけど」

「そうなんですか」

「それから剣だけどね。修理と一緒に『祝福』もどうかな? 一応私も『祝福』のスキルは持ってるし、お安くしとくよ」

「あ、お願いします。でも……」

 

 メニューを開き、ステータスの欄から所持金を確認する。森で魔物を倒してきたからか、ログイン直後よりは増えているものの、決して多いと言えるほどではない。

 表情の具合からさとりの悩みを察したのか、少女が考え込むように顎に手を添えた。

 

「えーっと、まぁ今更だけど、お客さんって初心者だよね? 武器も防具も初期装備だし、祝福してないし」

「はい」

「だからまぁ、お金をあんまり持ってないなんてことは見た時からわかってたし、そう心配しなくてもいいって。でも、んー、そうさねー……血がついてるってことは、魔物かなんかと戦闘したんだよね? それなら素材をいくらかインベントリに入れてると思うけど、それをここで売ってみない?」

 

 猿の素材は回収する暇がなかったから、クマのものしか入っていない。しかたがないにせよ、せっかく倒したのにインベントリに入れることができなかったことを悔やみつつ、さとりはクマの素材を取り出して着ぐるみの少女の目に入るところに置いた。

 着ぐるみの少女が、ほほう、と感嘆の声を上げる。

 

柔熊(じゅうゆう)の毛皮に耳に牙に……へえ、あれと戦って生き延びるどころか、よく勝ち星を拾ったね」

「防御力はそう高くありませんでしたから」

「そんな簡単な話じゃなかったでしょ? あのクマ公って自分より強い敵の匂いを察知するとすぐ逃げるから、自分より弱い敵の前にしか姿を現さないんだよ。一応こっちの方が強くても逃げるより先に捕らえる方法もあるけど、それができる頃には別の魔物狩った方がいろいろと効率いいし……で、出回ってる絶対数が少ないからあのクマ公の素材って一部の人は結構欲しがっててね、たまに高値で買い取ってくれたりするんだ」

 

 右の前足の爪はないの? と目を輝かせて問いかけてくる少女に、さとりは首を横に振ってみせた。

 

「そっちは一緒に戦ってくれた人に上げちゃいました。すみません」

「ありゃりゃ。ま、素材の少なさからもう一人一緒に戦ってた人がいたってのはわかってたけど……うん、でもこれだけあれば十分だよ。全部売るってことでいいの?」

「そうですね……その素材で武器や防具を作れたりはしませんか?」

「作れるけど、右の前足がないから武器を作るなら初期装備と同じランク三になるよ。牙とか右の前足以外の爪じゃ大したものはできないもん」

「むぅ、防具はどうですか?」

「そっちもランク三。あ、ちなみに今あなたが着てるのがランク二ね。一はぼろっぼろの布きれとかそういうの」

 

 木の棒とかぼろぼろの布とか、なんというか、使い道がほとんどないものがランク一ということなのだろう。

 

「ただ、ランク三ならここに並べてる防具の中にもいくつかあるし、無理に毛皮のやつしなくてもいいんじゃない? さっきも言ったけどクマ公の素材って一部じゃ高値で取引してくれるから私もそれなりに高く買い取ってあげられるし、そのお金でこの並べた中から選んだ方が残るお金は多いわよ」

「ふむ……そうですね。では、そのようにお願いします」

「はーい、まいどー」

 

 トレード機能を利用し、そこにさとりはクマの素材を提示した。着ぐるみの少女は素材の数を確認しながら徐々に金額を増やしていき、やがてすべてを数え終わると上昇はなくなった。

 これくらいでいい? と首を傾げる着ぐるみの少女に対し、さとりは頷く。ほぼ同時にOKの項目をタッチし、最終確認も同じようにする。

 トレード完了。そんな告知が自分にしか見えない画面に表れたのち、『ステータス』からきちんと所持金が増えていることを確かめた。

 

「今のぶんのお金だけでもここに並べた防具の値段には十分に足りるし、さ、どれでも好きなの選んでよ」

「ありがとうございます」

「これは商売なんだからそういうのはいいって。ぎぶあんどていくだよ、ぎぶあんどていく。あ、選んでる間にさっきの剣の『祝福』と修理も済ませちゃった方が早いし、これちょっと借りてもいいかな」

「どうぞよろしくお願いします」

 

 着ぐるみの少女がさとりの横に置かれる鞘に入ったショートソードに目を向けていたので、さとりは快くそれを受け渡した。

 少女がインベントリから透明な液体の入った小瓶や白い石を取り出すのを横目に、さとりはさきほど少女の並べてくれた防具を眺め始める。

 会話が途切れ、着ぐるみの少女が作業をする音だけが響くようになった静寂に近い空間の中で、服の吟味とはまた別にさとりの思考は加速していく。

 初心者だということでぼったくられている可能性がなきにしもあらず、だ。しかも自分は表通りを歩かずに人目を嫌うように脇道を歩いていたのだから、世間知らず――仮想世界知らずとでも言い直すのが正しいか――で情報をろくに手に入れていないことも丸わかり。それ以前に、『祝福』という比較的基礎的らしい知識を知らなかったという時点で、相場なんて熟知していないのは明白だった。なんというか、今の自分はネギをしょったいいカモなのかもしれない。

 でも、今はとりあえず装備をどうにかできるのなら別にいいともさとりは思っていた。仮に本当に騙されていたとしても、いくらか有用な情報も教えてもらえたのでそれの対価と考えれば特に気にする必要もない。

 第三の目(サードアイ)があれば相手の真意もわかるのだけど……と、そんなことを考え始めた自分にはっとし、さとりはぶんぶんと首を横に振った。

 ダメだ、心が読めればなんて考えては。私はこの能力を嫌って、それがない世界を望んだからこそ今ここにいる。それなのに都合のいい時だけ欲しいなんて思うのは傲慢がすぎる。

 

「どう? 決まった?」

 

 着ぐるみの少女に声をかけられ、弾かれたように顔を上げた。不思議そうに見つめてきている少女の顔がさとりの瞳に映る。

 

「そう、ですね。では、これとこれと、これとこの靴のセット……」

 

 ついさっきまでの考えごとをまとめて頭の隅に追いやり、さとりは気になっていた服飾を示していく。

 

「それから、この赤いリボンをお願いします」

「ふむふむ」

 

 着ぐるみの少女はさとりが指定した防具を抜き出し、ちらりとさとりにこれで合っているかという裏づけの視線を送る。さとりが首を縦に振ると、しばらくして少女がさとりにトレードの申請をした。

 

「金額はー……そうだねー。さっき渡したぶんの二分の一……いや、四分の三くらいでお願い。ランクは三で特に珍しいものでもないけど、デザインがそこそこいい感じだしね。ちょっと高値で」

「わかりました。でも、四分の三くらいと言われても……なんというか、曖昧ですね」

「あー、うん、まぁね。四分の三程度の金額ならちょっとの増減は気にしないから好きにしてー。私は別に、お金が欲しくてこの世界で商売やってるわけじゃないし」

 

 少しだけ悩んで、ちょっと多めにお金を提示しておいた。最終確認も含めて互いにOKを二回押すと、トレード完了の告知が出現する。

 

「はいまいどぉ」

 

 着ぐるみの少女が持っていた、さとりの選んだ服や靴、リボンが消えた。さとりが『インベントリ』へ画面を移行させると、きちんとそれがそこに入っている。

 

「こちらこそ。それでその、話の続きというか、興味本位なんですけれど、お金のためじゃないならなんのためにお店を?」

「暇潰し、かなぁ。正直に言っちゃうとあなたが初のお客さんなんだよねぇ。こんな場所だから人なんて全然来ないし」

「暇潰しでお店を、ですか」

「そうそう。暇だし神奈(かな)……じゃなくて、私の知り合いの真似してみようかなって。その知り合いもお店持ってて、そっちは結構人気みたいだけど……真似って言っても私はもうちょっとのんびりしたかったから、こんな辺鄙なところの建物を買ってみたのよ。それで今に至る感じかな?」

「なるほど。でも、この世界に入れるようになってからそんなに経ってませんよね。それなのに、どうしてそんな暇潰しするほど暇に?」

 

 口にしてみてから、踏み入りすぎた質問かもしれない、なんて危惧を抱く。気づかれないように着ぐるみの少女の顔を覗き込んでみると、あちらはまったく気にしていないことようで、ほっと息を吐いた。

 

「まぁ確かにー、私が見てない景色とか行ったことない場所もまだまだたっくさんあるけどさー」

 

 ぱたんっ、とつまらなそうに少女が背中から後ろに倒れ込んだ。

 

「飽きちゃった」

「ゲームに……ですか?」

「ううん。強者として戦うことに」

 

 ゆったりと、少女が体を起こす。その顔は見ている者にどこか薄ら寒さを覚えさせる不可思議な笑顔をたたえており、試すような視線がさとりを貫いた。

 

「だからこうやって暇潰しをして待つことにしたのよ。周りがいっぱい強くなって、いつか私を越えて……そしてその時、私が戦って楽しめるように」

 

 ざわり、と一瞬にして全身に怖気が駆け巡り、鳥肌が立つ。ほんの刹那にして放たれた圧倒的な威圧感に、さとりは完全に飲まれてしまっていた。

 口の中が乾く。頭から血の気が引いていく。どうしても、笑みを浮かべる目の前の存在から目が離せない。

 くすり。

 着ぐるみの少女がまた種類の違う子どもらしい微笑みを見せた瞬間、さとりは正気を取り戻した。

 胸に手を当て、少しだけ荒くなっていた息を整える。

 

「ごめんごめん。まだ初心者のあなたには刺激が強かったね。大丈夫?」

 

 心配げな声音の少女に、さとりはなんとか笑顔を浮かべてみせた。安心させるために浮かべようとしたそれは、引きつった苦笑いになってしまっていたが。

 理解したのは、この着ぐるみの少女は間違いなく、それこそ自分とこころの戦ったクマと比べ物にならないくらいに強いこと。何度も何度も命を奪い奪われの応酬をしてきたような――MMOのサービス開始からそんなに日数は経過していないので、おそらく現実でもそういう経験がおびただしいほどにあるのだろう――歴戦の風格は、まさしく格が違いすぎる。暇潰しにお店を持ち始めたというのも間違いはないような気がした。

 

「んー……まぁでも、こうやってのんびりしてると、なんだか戦いたいって欲求もなくなってきちゃうわねー」

 

 着ぐるみの少女がお茶を口に運ぶ。さとりも同じようにした。やはり現実と変わらない味がする。

 さとりは開きっぱなしだったインベントリの画面から、さきほど少女から買った服を選択した。しかしそこで指が止まる。どこにも装備するという選択肢がなかった。

 

「あー、そうそう。装備を外すのはステータスから一瞬でできるけど、着るのは具現化して自分でやらないとダメだからー」

 

 さとりの悩みを看破した着ぐるみの少女から助言が漏れる。

 

「敵によってすぐに装備を変えられないようにする処置みたい」

「なるほど……」

 

 さきほど買った服や靴などをインベントリから出したところで、半ば無意識にちらりと着ぐるみの少女に視線が向いてしまう。目ざとくそれに気づいた少女は、なに? と不思議そうに小首を傾けていたが、すぐにその意図に気がついた。

 

「別に目の前で着替えくらいしても私は気にしないよ?」

「目を背けるとかはしてくれないんですね……やっぱり誰も見てないところでします」

「その様子だと外じゃしないでしょ? 室内で誰も見てないところって言うと宿だけどさー、あそこお金かかるよ? どうせ私しかいないんだし、ここで着替えちゃった方がいいと思うわよ」

「でも……」

「別に防具全部外しても下着はデフォルトで装備してるし、それ他人からは破壊不能に設定されてるし、そんなに恥ずかしがらなくていいってば」

 

 少々逡巡して、さとりはしぶしぶ頷いた。引きこもって生きてきたからか、他人に必要以上に肌を見せるのはなんというか……結構、恥ずかしいけれど。その羞恥心を理由に着替えのためだけにお金を使うと言うのも少女の言う通り、憚れる。ここは着ぐるみの少女がいるのは我慢して、ここで装備を変えることにした。

 立ち上がり、土と血だらけの布の服を脱ぐと、さきほど買った服に素早く手を伸ばす。見られているのかも、と意識すると顔が熱を持つのを止められない。服を取ると同時に盗み見るように着ぐるみの少女に目線を向けてみれば、彼女は特にこちらを気にした様子はなく、両手で持った湯呑みの中に入ったお茶を幸せそうに嗜んでいた。

 なんだかこっ恥ずかしく感じていたこと自体がちょっとバカらしくなってきて、多少は平常心を取り戻したさとりは、焦らず自分のペースで新しい服に袖を通していく。

 最後に赤いリボンをカチューシャのようにして巻くと、改めて自分の姿を見下ろした。

 白に近い水色をした長袖のブラウスの上から、淡い紺色の線や模様、装飾がところどころになされた藍色のワンピースを着用している。ブラウスは手元の辺りだけは藍色の革で装飾がなされていた。

 ワンピースは動きやすさと防御力を両立させるために布ではなく革で作られており、横幅の広い肩紐のほかに激しい動きをしても脱げないようにと薄い桃色の革ベルトのようなものを腰に巻いて、それを背中のホックでしっかりと固定していた。

 スカートの丈は(すね)までガードできるほど長くありながら、動きやすさも重視して、前後それぞれの真ん中に膝の高さほどまで切れ目が入っている。またスカートは革の硬さも相まって、あまり垂れることなく下に行くにつれてドレスのように全体的に広がっていた。

 

「うん、似合うじゃん」

 

 いつの間にか着ぐるみの少女がお茶を置いてさとりの方を向いていた。さとりは照れくささを隠し切れず、こほんと咳払いをする。

 これオマケ、と着ぐるみの少女がさとりに紺色のアームカバーを投げ渡してきた。

 

「所有者権限……えーっと、お店の商品とか自分の装備してる武器とかに発生する権限ね。それは破棄してあるから、そのままつければあなたのものになるよ」

 

 袖をまくり、アームカバーをつけるとブラウスを元に戻した。布地は腕の大部分のほか、手の平や甲まで及んでいる。

 

「それで剣を取りこぼしたりってことはなくなるでしょ? 素手だとたまにすっぽ抜ける人がいるからね。ほら、いざという時それじゃ大変じゃん」

「なるほど……重ね重ね、ありがとうございます」

「いいっていいって。私も初めてのお客さんで嬉しいんだもん」

 

 無邪気な笑み。さとりもつられて笑顔になった。

 

「はい。あと剣」

 

 古い服をインベントリにしまい、再度座ったさとりに、着ぐるみの少女が鞘に入ったショートソードを差し出した。

 

「『祝福』完了、修理も完璧。耐久の最大値減少はないよ。ついでにその服の背中につり下げられるようにしといたから」

「ありがとうございます」

「お礼ばっかりだねぇ。悪い気はしないけど」

 

 インベントリに入れているといざという時に大変だし、かと言ってずっと手に持ち続けているのもめんどうだ。背にかけられるようになったというのは本当に大きい。

 剣を背負うという初めての作業にちょっとだけ苦戦しつつ、なんとか成功して顔を右に動かすと、右肩から剣の柄がはみ出して見えた。

 

「さて、これでもう用事は終わりかな?」

「んー……回復アイテムのようなものはありませんか?」

「うちはなんでもあるよー」

 

 着ぐるみの少女にアドバイスを受けつつ、あまったお金で今後の役に立ちそうなものを買い揃えていく。なんの準備もなしに魔物の出没する森を彷徨うとどうなるかは先日思い知ったばかりなのだ。

 クマの素材ぶんのお金がなくなる頃には冒険前の最低限の準備は終え、今はもうこのよろずやで買うものはもうなくなってしまった。

 

「それじゃ、そろそろ今日はお別れ?」

「そうなりますね」

 

 さとりの湯呑みはすでにからになっていた。さとりが湯呑みに視線を注いだのに気づいた着ぐるみの少女は、急須から新しいお茶をそこに淹れる。

 

「まったく、そんな顔しないの」

「……そんなにお茶をもの欲しそうにしたつもりはありませんけど」

「そっちじゃなくてさー」

「でも、美味しくいただきます」

「うんうん。それから、まぁ」

 

 と、さとりの目に入ったのは【『洩矢諏訪子』からフレンド申請が届いています。承諾しますか?】という文字。

 思わず目を見開いて、さとりは着ぐるみの少女――諏訪子を凝視する。諏訪子はそれに、ただ肩を竦めてみせた。

 

「お客としてじゃなくても、またいつでもお茶しに来てもいいよ。ほら、私ログインしてる時はいつも暇だからね」

「……ありがとうございます」

「違う違う。こういう時はそうじゃないでしょ?」

「えーっと……よろしくお願いします?」

「はい、よろしくー」

 

 互いの選択はYES。

 

【『洩矢諏訪子』をフレンド登録しました】

 

「古明地さとり、か。ふぅん……」

「どうかしましたか?」

「いんやー。なんでも。素直そうな名前だなーって思っただけ」

 

 お茶を一杯分。さとりは諏訪子と雑談を続け、二人の湯呑みがからになったところで、今度こそお開きとなった。

 ただ装備を新調するだけだったつもりが、とんだ誤算で二人目の『友達(フレンド)』ができた。無意識のうちに口元に笑みが浮かぶ。

 また必ずこのよろずやを訪れよう。そんな思いとともに、店の外に出ると、さとりは仮想世界からログアウトをした。

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