珍しく、ラケルの表情には笑顔がなかった。本当に珍しい話だ。何故なら何時だって彼女には周りの顔色をうかがうクセの様なものがあった。それはおそらく、社会に溶け込む為に必要なものだからだ。自分が異端、異常であると知っているからこそ普通に装う、溶け込む必要がある。となると相手に対して良い印象を与えなくてはならない。そういう事もあり、笑顔は良いものだ。ラケルの様に整った容姿をしている者が笑みを浮かべれば、それだけで他人を魅了する事が出来る。
実際、中身の事を考慮しなければ間違いなく美女だと評価できる。
だけど問題は中身だ。この女はアラガミとしての本能を、考えを肯定した。だからフライアで何かの研究を続けて、そして今の様に終末捕喰を引き起こす側として働いていた。だからこそ断固として認めない。認められない、殺したい相手として存在していたが、自分がこうやって動けなくなれば出てくるのは当たり前の話だったか。ただ笑顔を浮かべないのは珍しいと思う。こんな状況だから思惑は達成された、筈なのだが。
「遅―――」
「―――これで満足でしたか?」
どこか、若干おこったかのような色がラケルの声にはあった。予想外だった。怒り、そんな感情自体がラケルの中に存在したことが。今まで見た事がないだけに驚いた。それを察したのか、ラケルが言葉を続けてくる。
「意外ですか? 私がこういう風に感情を表に見せる事が」
「というかそういう感情自体ある事が意外すぎる」
今までラケルがそう言う類の感情を他人に見せた事がある様には思えない。自分でさえないのだから、そういうのは焼き切れてしまっているのかと思ったが、どうやら違うらしい。いかにも”怒っています”というのを解りやすく表情で表現してくれている。こんな女だったか、という軽い驚愕に包まれつつあると、ラケルが言う。
「私、怒っています」
「驚愕の事実だがな、そうらしいな」
「で、満足できましたか?」
そうだなぁ、とラケルの問いに対して言葉を置く。ラケルがどう動いたとしても常に対処できるように警戒は止めない。たとえ瀕死の状態でも全力の拳が叩き込める程度の生命力は確保している―――どんな状況理由であれ、全力の一撃を放てるだけの備えをしておくのがプロだからだ。なのでラケルがアクションを起こした際、それに直ぐに対応できるようにしつつ、答える。
「割と満足している。いや、超満足した。考えていた理想的な流れだよ。本気で殴り合う事が出来て、それに応える様に本気で戦ってくれた。だからもう思い残す事は―――」
「それです」
と、そう言ってラケルが此方の言葉を遮った。
「勝手に満足しないでください」
「まさかの満足禁止令」
「好きなだけ満足して先に死なれると困るんですよ―――私の目的が達成できませんから」
ラケルのその言葉に姿には見せなくても、内心で警戒度を上げる。見えない様に残った右腕と右眼に力を籠め、何時でも殺せるように動く。オラクル細胞の侵食によって、自分もラケルも心臓を撃ち抜かれた程度では死なない。確実に殺すなら頭と心臓を両方とも破壊する必要がある。だから何時でもラケルの心臓と頭を粉砕できるように準備を、力を練りつつも、ラケルの言葉を聞く。
「―――話し合えないじゃないですか」
「……え?」
「いや、話し合えないじゃないですか。死んでしまっては」
ラケルのその言葉にぽかーん、と力を抜いて呆けてしまう。普通なら戯言と評価する言葉だが、今に限ってはそうとも言えない。いや、言えなかった。こんな状況になってまでラケルが嘘をつく理由、嘘をつく必要性が存在しなかった。忘れてはならない。人間ではどうにもならない終末捕喰が始まるのだ。ラケルも自分も、そして自分を倒したリンドウでもどうしようもない。こんな状況で嘘をついて目的を隠す意味なんて存在しないのだ。
普段なら疑えただろうが、この状況では疑う意味も、そして必要もない。だからラケルの言葉がストレートに受取れた。この女は、
本気で話し合いたいとしか思っていない。世界が終わりそうなこの状況で。
「……俺が知っているお前と違うんだけど」
「逆に聞きますけど、貴方が知っている私ってどうなんですか? あの時のままの姿ですか? フライアからの姿のままですか? 新しく極東にやってきて、それで変わった子がいるというのに、私が変わるとは一切思わなかったんですか? ―――思うはずもありませんよね。知る事もできませんよね。だって、貴方は一度として私とまともに向き合ってくれないんですから」
ラケルの言葉に絶句し、頭を通常モードへ戻す事に数秒を要する。そして頭でまとめた事を口に出して確認する。
「……つまり、俺と話し合いたかったから終末捕喰に協力したの……?」
「あ、いえ。最初の方は無難に人類消し去ろうかと思っていたのですが、極東で生活しているうちに少々腹が立ってきたんです。”こんなに近くにいるのに無視されている”って事に。だとしたら何よりもお互いに話し合うのが優先ですけど、普通に話すだけだと警戒されますし、何を言われても疑うでしょうし。だから嘘の通じない状況を用意したんですよ。あらゆる虚偽や虚栄が意味をなさない状況を」
―――簡単に纏めると、終末捕喰を嘘を付けない話し合いの場を作り出す為に利用したのだ。
人類だとか知った事ではない精神もここまで来ると凄まじいものが来る。
「あの、俺達この後滅ぶんですが」
「そうですね。ですけど私は満足できそうなのでもうそれでいいです。途中からアラガミの意識が煩いので壊しちゃいましたし、今は頭の中がスッキリ、楽しく話し合えそうな気がします。大変でしたよ? 此方へと少しは意識を向けて欲しいですから、アピールしても振り向いてくれないんですから」
スケールや発想で完全に敗北してた。終末捕喰を逢瀬の為に利用するとか人類とかアラガミとか、そういうスケールを超越する考え方で敗北を認めるしかなかった。この女、本気で人類とか地球のこの後とか、今から死ぬとか気にしていない。本気で自分の事を知ってもらいたい、話し合いたい、そうとしか思っていないのだ。こんな状況で世界の推移よりも自分の恋を優先している最強の恋する乙女だった。
もう、これは、敗北を認めるしかない。笑い声しか口から出なかった。胸に穴が開いて、左腕と左眼がなくて、血は流れて生命力がドンドン失われて行く。だけど久しぶりに、何もかもどうでも良くなっていた。それだけ面白く、そして自分の価値観を覆す様な大事件が今、目の前で発生していた。正直な話、ラケルに捕食されるのを予測していた―――こう、ヤンデレ的な展開で。しかしこうなるとは。一体誰が予測しただろうか。
「ひ、ひひひ、ひっひっひっひ―――負けた負けた。一日で二回も負けたわ。あー、駄目だ。こりゃあゴッドイーター引退するっきゃねぇな」
「そうですか? そんな事よりも、少し近寄ってもいいでしょうか?」
いいぞ、と言葉を返すとラケルがでは、と言葉を置き、
「えい」
そう言って車椅子から体を投げる様に倒れ込んできた。そうやって壁にもたれかかり座る此方の上に倒れ掛かるラケルを残った右腕で抱き留め、そして腿の上に座れる様に寄せる。こんな日が来るなんて思いもしなかった。今までだったら違和感しかない状況だったが、負けて、そして考えを完全に打ち砕かれた今となってはどうでもいい事だった。
やけっぱちになっていると言ってもいい。
ラケルが飛び降りた反動で後ろへと下がり、炎の中へと入って行く車椅子を見てから腿に座るラケルへと視線を向ける。ラケルは満足そうに座り場所を決めたのか、此方の腰に手を回す様に近づき、体を固定する。終末捕喰が始まっているのか壁の向こう側から震動が伝わり、そして遠くへと向ける視線の先では白い、触手の様なものがエイジス島を防護するアラガミ防壁を捕食しながら外へと広がって行く。
それを他人事の様に眺める。
「終末捕喰始まってるなぁ」
「そうですね、アレを通して生命の再分配が行われるので、荒れてしまった大地は緑に包まれ、という風に地球が自ら正しいと思う形へ再生するでしょう―――全く興味のない事ですが。そんな事よりもヤコブ、実はこっそりと支部長から好物がおでんだと聞いたのでこっそり練習していたんですけど、万が一終末を乗り切れた場合一緒におでんを食べませんか?」
「おう、ヤコブって呼ぶな。お前のメンタルの強さに俺は驚きだよ。いや、まあ、おでんが好きというかあのだらだらとした時間が好きなんだけどさ」
「成程、私も今の様なだらだらとした時間が好きでしょ、ダーリン」
「お前のキャラが面白すぎて今まで一切まともに見なかったことが超悔やまれる。俺もお前もあと少しこういう状態になるのが早ければなぁ……」
そう呟くと、近くの壁が爆発する様に粉砕される。そこから白く巨大な触手が出現し、此方へと向かって一直線で加速してくる。アルダノーヴァとは段違いの強さを持つノヴァの終末捕喰。地球で生まれた生物である以上は絶対に勝利する事も抗う事もできないそれが迫ってくる。故に拳を握り、迫ってくる触手を片目だけで捉え、ラケルと自分を捕喰しようとするその触手を裏拳で、
「うるせぇ」
殴り飛ばした。
殴った結果、神機が捕喰されて裸の拳がそこに見え、その拳も軽く捕喰されて抉れている。ただ、触手を殴り飛ばす事に成功はしたので、時間は増えた。それを認識して、もう力が入らない右腕を下ろす。
「世界の終末かぁ……」
「いえ、それはどうでもいいので。それよりも何年間も合わなかったから埋める事の出来なかった情報を埋めましょう。好みに関しては支部長から報酬代わりに色々と聞きだしたのでいいのですが、それ以外に関する日常生活等の情報に関しては色々と不足しているんです。捕喰された後で振り返る時間はありそうですし、その時の為にも情報を」
「ホント羨ましいぐらいブレないな、ラケル」
「あ」
名前で呼んだ。その事にラケルは羨ましそうな笑みを浮かべ、体を寄せてくる。体の凹凸が貧相なのがちょっと悔やまれる。まぁ、それでも馬鹿をやって好き勝手暴れた男としては十分すぎる終わり方なんじゃないかと思う。視線を前方へと向ければ、ノヴァの触手が部屋を取り巻く様に出現しているのが解る。もう、捕喰されるまではそう時間もない。
馬鹿な男の馬鹿な人生だったな、と口に出す事なく呟き、
今度は口にする。
「―――次があるのならさ、お互いにもうちょい素直に生きてみるか。俺はもうちょい信じてみるって事で。そしてお前は信じさせる努力をするって事で」
「……?」
「いや、何だよその疑問のある顔は。お前だよお前! もっと手段選べよ! 終末捕喰以外の手段をよぉ! お互い理解し合ったとしてもこれ、最終的にデッドエンドじゃねーか!」
「大事なのは結果ですよ、ヤコブ」
「その結果がデッドエンドなんだよ!!」
なんか、何時ものノリになったな、なんてことを思っていると部屋を取り囲む触手が一気に加速し、その姿を寄せてくる。ついに終わりか、と思考する。流石に殴り返すだけの気力も体力も残っていない。だからせめて、目を閉じ、互いに体を寄せ合う。次があるならもうちょっとだけ、素直に生きてみる。その考えを宿しながら。
―――そうやって祈り、目を閉じる。
一秒、十秒……そして二十秒、と時間が経過する。
しかし覚悟していた捕喰の時は来ない。
目を開く。そこに映るのは眼前まで迫った白い触手の姿だった。しかしそれは触れようとする瞬間に停止したように完全に動きを停止し、そしてそこからゆっくりと、しかし確実に離れる様に距離を離して行っていた。
「どうやら次が早く来たようですよ?」
「ノーカン。次が早すぎるんでノーカン」
苦笑しながらノヴァの触手が部屋から、そしてエイジスから引きはがされる様に消え、空へと向かって消えて行くのを砕かれた壁の向こう側に見る、ラケルと共に無言で、空の彼方へと消え去って行く終末を眺め続け、人類が、そして自分が今、完全に救われたという事を理解する。
「かくして人類は最後の審判を乗り越えた、か」
「まだまだ最後の審判がやって来そうですけどね」
ノヴァが人工的に生み出されたことを考えると天然性ノヴァが何時か、この世界に生み出されそうで納得のできる言葉だった。ただその考えを振り払う様に頭を振り、そして聞こえてくる足音に耳を向けながらも口を開く。
「なんというか……」
「はい」
「しまらないオチだったなぁ……」
「世の中、想像したように、計画されたようにいかないという事なのでしょう。人に限った事ではなく、星が生み出したプランですら否定されるのですから」
「そっか」
人類は終末を乗り越えた。
しかし、アラガミは消えたわけでもなければ地球が再生されたわけでもない。
問題はまだ多く残っている。
しかし、
―――目下の悩みはこの光景を目撃したリンドウをどうやって腹パンするか、だった。
ラケルたん
発想のスケールで全人類に勝利した大勝者。終末捕喰の最中だったら嘘偽りなく話し合えるからその時にコミュろうという発想で計画を手伝っていた人。そりゃかてねーや。
ホムラくん
事件の後は死んだ扱いにしてキグルミを被った極東の腹パン大妖精にジョブチェンジする。極東に来た偉い人に辻腹パンする事を生きがいにする。
という事で、これでおしまい! 終わりったら終わり! お疲れ様でした! アフター? この後どうなったか? それは読者の想像に任せます! 敗因はコミュら無かった事な!
主役というよりは脇役というポジの方が強いので、”シナリオにはかかわってもシナリオは変えられない”というポジションのキャラでした。影響力はあっても最終的には何も変わらない。準主役級ってやつですな。ネタする時が楽しかった。
とりあえずアレコレあるので、それは後日あとがきにて。とりあえずほぼ1か月の間ありがとうございました。
次回作に関しては活動報告とツイッターで連絡させていただきます