「……私とステイルは、かつてあなたのように彼女の隣にいました」
神裂は怒りを抑え、静かに語りだした。
「あの頃は、毎日が幸せでした。でもそれはすぐに消えてしまいました。インデックスが倒れたのです」
「倒れた?」
こくりと神裂は頷いた。
「人は忘れることで生きていける。いらない脳に記憶されたものを忘れることで、脳を整理し、人は生きていける。ですが、彼女にはそれができない。街路樹の葉の数、通勤で行き交う人の顔、雨粒一滴一滴。そんなどうでもよい記憶で、彼女の頭は埋め尽くされてしまうのです。現在彼女の頭の85%は十万三千札の魔道書の記憶のために使われています。つまり、残りの15%しか、彼女は脳を使えません。そんな僅かな容量の中に、彼女は全てを記憶をし続けている。それが限界に達すれば、彼女は……死んでしまいます」
そこで神裂は一旦切り、太公望の方を見る。太公望は口を片手でおおい、神裂を見ていた。
「私たちも八方手を尽くしました。それでもどうにもならなかった。……そのために、私たちは彼女の記憶を魔術によって消去しました。そうしなければ彼女が死んでしまうから。そう、ちょうど一年前に。そして一年後の、今日から四日後午前0時に再び記憶を消去します。彼女の敵として彼女を捕らえ、そしてまた繰り返す。何度でも……何度でも……」
記憶を消す直前の、インデックスの苦しむ表情が浮かんだ。
――忘れたくない――。
そこで神裂は顔を上げた。視線の先の太公望の肩は震えていた。良かった、自分の思いが通じた。そう神裂は解釈していた。
「だから、彼女を引き渡してください。彼女を死なせないために。お願いします」
「……」
太公望は震えている。その震えはどんどん大きくなっていく。今知った真実に狼狽え戸惑い、そして無力感を感じているのだ――と神裂は思った。そう、自分たちがそうだったように。だが。
「くくくく……」
まず押し殺したその声が聞こえた。そして一気に爆発した。
「だはははははは……はーっはははは!!!」
太公望は口を大きく開けてバカ笑いをし始めた。デフォルメされたような顔で笑い始めた。
「ブフゥ、ブーッフフフフフ……ブ!! バハハハハハ!!」
その笑い声はエスカレートしていき気が触れたのかと思えるくらいに太公望は笑い転げていた。神裂は一瞬フリーズした。しかしハッと我を取り戻し、そしてみるみるうちに顔を歪めていく。
「な、何がおかしいッ!!」
予期したことが瞬く間に裏切られ、神裂は頭に血が上り思わず刀に手をかけた。
「ハハハハハハハハ!!!」
ガタガタと震えながら絶叫し、笑っていた。神裂は鞘でタコ殴りにしてやろうと思って一気に跳躍し、鞘を振り下ろした。が、太公望はのらりとそれをかわして笑いをなんとか抑えようと少し頑張った。
「けけけ……おぬし、そんなことを真面目くさった顔で言われても……のう。おつむの方なのか、経験が足りないのか……」
「――うるっせぇんだよ、ド素人が!!」
キレた。ついに神裂は抜刀し太公望に斬りかかろうとする。それに合わせて太公望は尋ねる。
「……おぬしらその話をどこから聞いたのだ?」
「イギリス清教からですよ!!」
「ふむ、ならばそのイギリス清教はおぬしらを騙しておるわ」
その一言が、閑かなその場にこだました。
「騙して、いる?」
「おぬしら魔術師というのは、そういう方面に疎いのかのう」
ピッと人差し指を上げながら少し神裂に近づいていく。
「もし仮に、おぬしの言うとおりインデックスが15%しか脳が使えないとしよう。脳の15%=一年分だ。とすると、6~7年での100%に達する。かなり粗く単純に言えば、生まれてから数年で死んでしまう、ということになるか。しかしのう、おそらく世界中、探せば何人もそんな体質の者はおるであろう。この世界のテレビというものにたまに映りはせんかの? あるいは調べてみても良いが。その者たちに年齢の一貫性はなかったと思うがのう」
「え……?」
「6、7歳で脳のパンクで百%死ぬ体質。んなもんあるかい!」
その言葉を聞いたとき、神裂わずかに震えた。
「インデックスの語学の勉強、いつから鮮明な記憶があったのか、いつ魔道書を記憶させられたのか。それは問題ではない。要は、記憶が脳を圧迫するなどということはないということだ」
「で、ですが! イギリス清教は確かに!」
「だから騙しておる、ということだ。そもそもインデックスが脳が圧迫されて死ぬという論理が破綻しておるのだからのう。もしわしの言うことが信用できぬと言うならば、他を当たれば良い。ここは科学の街『学園都市』。こんなことなど大勢の人間が知っておるだろうよ」
その言葉を聞き、神裂はひどく動揺した。
「し、しかし! この街の……」
「学園都市が信用できぬ、生かすためにとりあえず記憶を消そう、などと子供のように吐かすなよ。それは己の無能をあやつに擦り付けることにほかならぬ」
今度はビシッと神裂に人差し指を突きつけた太公望。
「……そ、それでは……私は……私たちは一体……」
刀を地に落とし、神裂はその場に崩れ落ちた。うつむき、目に涙すら浮かべる彼女に、太公望の影が差した。神裂が太公望を見上げる。その童顔は、今回は威風を備えていた。
「地に膝をつくのはまだ早い。まだわしらはおぬしらの組織の術中よ。そこを抜け出すために、共に行かぬか?」
太公望は神裂の顔の前に己の手を差し出す。かつて幾度となく差し出してきたその手だった。
――なぜこんなに信用しようと思えるのだろう。こんな、自分よりも、ステイルよりも歳のいっていなさそうな子供なのに。
でも……。
「……私たちはさんざんあの子を怖い目にあわせてきました。今更共に、などできるはずが……」
「ダアホ。わしはインデックスの過去を知らんしあやつ自身も知らん。おぬしらが奪ったそれを、おぬしらは補完してやる義務がある。すべて話してやることだ」
「……」
「あやつには寄る辺がない。一人でも二人でも、そのような人物ができることは、あやつにとってとても心強いことであろう。そうなるためには、まず会って、『ごめんなさい』だ」
「……私たちは、もうあの子の寄る辺には……」
「いい加減にすることだ。要は、あやつにはおぬしらが必要だと言っとるのだ。それに、わしにとっても今後のためにおぬしらは必要だ」
グッとさらに太公望は手を突き出す。その手に、神裂は己の手を近づけ、そして少し逡巡し、そして確かにその手を取った。
「決まり、じゃのう」