キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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14:少年達の時間

 アインクラッド第85層 ユキノハナ 午後7時

 

 

「おいお前ら、結局俺と同じタイミングで入るのかよ!」

 

 今、俺のいる場所は第85層の街にある大型温泉旅館、そこの目玉である大露天浴場だった。

 

 旅館そのものが30階まであるほど大きいためか、設備の温泉もまるでプール施設の様に巨大だったのだ。しかも、露天浴場だけではなく室内浴場もあるので、温泉部分だけで物凄い広さを誇っているので、大勢入り込んだとしてもかなりのスペースが空き続けている。間違いなく、この層の宿屋はこれまで見てきたどの宿屋よりも、大きくて広い。

 

 そこに宿泊する事を決めた俺は、シノンにリランとユイを預けて別れ、1人でゆっくりと温泉を堪能しようとしたのだが――何故かその時には、街を廻っているクライン、ディアベル、自宅に帰っているはずのエギルが姿を現して、共に温泉にやって来たのだ。

 

 その中で、脱衣所でバンダナ一枚になっているクラインが、同じく風呂に入る格好になっている俺の肩を叩く。

 

「いいじゃねえかよ。街を廻ってたら風呂が一番だって話が何度も飛んできたんだ。そんな話の砲撃を受け続けたなら、この風呂に入るしかないだろ」

 

「いや、その理屈はどうなんだよ。ディアベルも同じなのか」

 

 特徴的な青い鎧を脱いでいる珍しい格好のディアベルが、俺の言葉に頷く。

 

「あぁ。皆疲れてるみたいだったし、早く浸かりたいって言ってたからな。そのとおりにしてやったんだ」

 

「なるほど。確かに他の聖竜連合の皆もいるな。まぁ全員ディアベルを放置して飛んで行ったけど。

 んで、自宅に帰ったはずのエギルは何故ここに?」

 

「自宅に帰っても店に客はいなかったし、しばらくしても来なかったんだ。それに、あんな良さそうなところを見た後じゃ、自分の風呂には入れないって思ったんだよ。だから改めて来させてもらった」

 

「なら最初から泊まるって言えよ。それで、俺の入浴時間にタイミングを合わせたように現れた理由は」

 

 クラインとエギルはふふんと笑った。

 

「そりゃもちろん、普段リランやシノンさんと一緒に居るキリトが、男湯で一人寂しそうにしてそうだったからだ!」

 

「リランのいないお前と話が出来るからだよ。リランが近くにいると、頭の中にツッコミが来まくるからな」

 

 確かに俺の近くにはいつもリランがいるから、大事な話もリランが聞いてしまう。今、俺は完全にソロの状態だから、俺と密談をしたいなら、とてもいい状況なのかもしれない。

 ただ、露天風呂に1人で浸かるという俺の目的は完全に頓挫されてしまったけれど。

 

「わかったよ。それじゃあ、さっさと入るぞ」

 

 俺は3人を引き連れる形で露天風呂へ向かった。外へ続く戸を開けた向こうに広がっていたのは、いくつもの照明に照らされて輝き、深い霧を思わせる湯気に包まれた、整備された岩に囲まれている巨大な湯池だった。

 

「す、すげぇ」

 

 そのあまりの大きさに俺達は思わず目を見開き、立ち尽くしてしまった。湯池の中を見てみれば、40人近くものプレイヤーとNPCの姿があったが、それでも尚湯池のスペースは余りまくっている。

 

 とても現実では表現できそうにないが、この世界はゲームの中の世界。ゲームの中だからこそ、表現できてしまえる超巨大浴場。

 

「すげぇ広いとは聞いていたが……まさかここまでの大きさだったなんて……」

 

 まるで超巨大ボスモンスターを見てしまったかのような反応をしているディアベル。確かに超巨大モンスターに匹敵するのではないかと思えるくらいに、この湯池は滅茶苦茶広くて大きい。多分だが、泳いでしまっても大丈夫なくらいだ。

 

「よ、よし、入るぞ」

 

 俺達は驚きを隠さないまま外に出て、広がる湯池の中に入り込み、空いているスペースまで行って、そこで腰を下ろして湯に浸かった。今まで見て来た温泉の中で間違いなく一番の大きさであろう、その湯に浸かった途端に、身体の中に蓄積されていた疲労が瞬く間に消えていったかのように、心地よさが込み上げてきた。

 

 それをまざまざと感じとったクラインが、さぞかし幸せそうな顔で湯に沈みゆく。

 

「ふぇあー、いい湯じゃねえかぁ……」

 

 現実世界にいた時と同じように、身体中の疲労感が取り除かれ、全身が内側から心地よい温かさに包まれていく。どんな人間もリラックスせざるを得ない感覚を与えてくれる湯は、俺の2年分の疲労感を溶かしてゆく。

 

 そのあまりの心地よさに、クラインもエギルも、ディアベルもこれ以上ないくらいにリラックスした表情を浮かべている。もちろんそれには、俺も含まれている。

 

「本当だな……2年分の疲労が一気に消えていくような感じだ……」

 

「こんなにいい湯に浸かったのは何年ぶりだっけなぁ……」

 

 周囲を見回してみれば、そこにあるのは同じようにリラックス全開になっているプレイヤー達と、それに紛れ込んでいるこの街の住人達の姿。この湯の効力には、NPCもプレイヤーも問わず、リラックスしてしまうのだ。

 

「皆リラックスしてる……こんな光景初めて見たような気がするよ」

 

「あぁ……ボス戦の後と極寒の寒さの後だから、格別だな……」

 

 俺の言葉にディアベルが答える。あの火山とそこの守り主の戦いを経て汗だらけになった後に、極寒の地の吹雪を受けてぼろぼろになった身体も、この湯は瞬く間に修復していく。多分この温泉に浸かって幸せな表情をしないプレイヤーは存在しないだろう。

 

「これだけいい湯だと、日本酒か何かが欲しくなるな」

 

 エギルは俺と違って大人だから、こういう時に酒が欲しくなるんだろう。だが、どうやらこの温泉にはそう言った機能は搭載されていないらしい。実際そういうサービスがある温泉も、現実ではあまりなかったような気がする。

 

「そういえば、よく日本酒を飲みながら露天風呂に入るっていうのあるな。でも、この大きさがある分なのかな、そういうサービスはないみたいだぜ」

 

「ちぇ。こういう時こそ日本酒が欲しくなるのによ。やっぱ大衆がやるゲームだから駄目か」

 

「そういう事だな」

 

 エギルからクラインに目を移したその時に、俺は少し驚いた。クラインが、何かを探しているように辺りをきょろきょろとしているのだ。その様子はS級食材モンスターを索敵している感じに似ている。

 

「クラインは何をしてるんだ」

 

「いやさ、男湯と女湯が隣接してるってパターンってよくあるだろ。どっかにそれっぽいところがないかなーって」

 

 その場の全員でクラインに呆れる。確かに男湯と女湯が隣接しており、壁を超えれば女湯がのぞけるなんて言うシチュエーションがよくある。しかし、この旅館はしっかりとそういう行為への対策が練られた仕組みで出来ているのを、俺は理解していた。

 

 旅館の1階の中央でチェックインを済ませて、シノン達と別れたけれど、その時俺は壁に張られている旅館の見取り図を見ていた。旅館は30階まで客室階があり、1階に目玉である温泉があるのだが、男湯は旅館の最西端、女湯は最東端にあったのだ。

 

 それにここまで来るのにかなりの距離を歩いてきたから、男湯から女湯までの距離は100m以上ある。たとえ壁を乗り越えて、索敵スキルや望遠スキルを使ったとしても、流石に100m以上も離れている女湯を視認するのは困難極まりないうえに、外は真っ暗で雪が降っているから、余計に見えない。クラインの言う覗きは、ほぼ確実に不可能だ。

 

「残念だったなクライン。女湯はここから100m以上はなれた旅館の東端にある。まぁ諦めるんだな」

 

 クラインはひどく驚いたような顔をして、やがてがっかりした。

 

「ちくしょー……そういう対策まで練られてるのかよ……残酷だぜ」

 

「いやいや、お前の行為そのものがいけない事だって自覚しろよ」

 

 俺は軽く溜息を吐きながら視線を戻したが、その時に思わず目を半開きにした。……ディアベルまでも、クラインと同じように周囲を見回していたのだ。

 

「ま、まさかディアベル。お前もクラインと同じクチか」

 

「いやそうじゃない。なぁキリト、確かお前ってシノンさんやアスナさん達と一緒にここにきて、男湯と女湯で別れたんだよな?」

 

 ディアベルの言う通り、俺はここに来る前に22層にユイとリーファを迎えに行ってこの85層まで戻り、転移門付近でアスナ、ユウキ、ユピテルの3人、リズベット、シリカ、フィリアの3人、合計6人と落ち合い、この温泉旅館に入って男湯に来た。

 

「あぁ。皆女湯の方に行ったぜ。というか当然だろ」

 

()()()()、全員女湯に行ったのか?」

 

「そうだよ。だってリランもあぁ見えて雌だしさ」

 

「違う、そうじゃない」

 

 何が言いたいのかよくわからないまま、周囲を見回してみると、クラインとエギルも何やらひどく驚いたような顔をしていた。

 

「おい、お前らどうした」

 

「なぁキリト……アスナさんの連れてるユピテルって……性別どっちだったっけか?」

 

 クラインの問いかけに俺は首を傾げる。ユピテルはMHHPでイリス曰く男性型であり、ユピテルっていう名前もローマ神話に登場する天空を司る男神の名前から来ている。性別を分けるとしたら、ユピテルは歴とした男だ。

 

「ユピテルは男だぜ」

 

「そうだよな。ここは男湯。でもこの場にユピテルはいないよな?」

 

「そうだな。俺達だけだな」

 

 ディアベルが静かに言う。

 

「なぁキリト。お前がここに来る前、ユピテルは誰に連れられてた?」

 

 俺は顎に手を添えて空を見上げ、ここに来る前の事を思い出した。確かあの時、ユピテルは「迷わないように、しっかり手を握っててね」と言われながら、アスナと手を繋いでいた。

 

 ユピテルは成長したとはいえ、まだユイよりも精神年齢が低いし、ここはかなり広く作られているから、何かあったらすぐに逸れてしまうだろう。ユピテルを迷子にさせないためにも、アスナの行動は適切だったと言える。

 

「アスナと手を繋いでたな」

 

「それでそのまま?」

 

「女湯に……向かってったな」

 

 その時ようやく気が付いた。ユピテルは――男性でありながら女湯に行ってしまっている。

 俺の言葉を聞いて疑問が事実に変わったであろうクライン、エギル、ディアベルは大きな声を上げて驚いた。

 

「ま、ま、マジかよ!? ユピテル先輩マジぱねぇっす!!」

 

「ユピテルの奴、お、女湯に行ったのか!?」

 

「た、確かシノンさん達も一緒だったよな!? って事は……」

 

「す、すげぇぇぇ!! うっは、ユピテル先輩の視界ジャックしてぇ!!」

 

 ユピテルが女湯に行ったという事実に驚きふためく目の前の男達。それを目の辺りにした事によって、俺はユピテルが何故女湯に連れられて行ったのかわかったような気がした。

 

 男湯に入れば、俺の友達という事でクライン達にも絡まれる。そして今の様にこんな話をして、ユピテルに阿呆な知識を与えてしまいかねないし、下手すれば阿呆な知識を得たユピテルがMHHPとして正常なものではなくなってしまうかもしれない。

 

「なるほどな……」

 

 アスナはそれを防ぐために、ユピテルを自分達と同じ女湯に連れ込んで行ったのだ。ユピテルは母親であるアスナと、友達であるユイやリランとも一緒だから喜んでいるだろうから、ユピテル本人の問題はなさそうだ。

 

 女性のカウンセリングやヒーリングを行うMHHPであるためなのか、ユピテルの見た目はとても中性的で可愛げがある容姿なうえに、女の子並みに髪の毛が長いため、胸元までバスタオルを巻いたのを傍から見れば、胸のない女の子にしか見えない。

 

 これらからして、ユピテルを見た女性プレイヤーは、ユピテルが男の子である事には気付かないだろう。もし話し方を聞いたとしても、ユウキのようなボク少女だと勘違いするだけで済むはず。

 

「ちくしょー、ユピテルと代わりてえ!」

 

「あいつめ、自分が子供である事を利用してるのか……?」

 

「む、むぐぐ。何なら、戻って来た時に感想を聞いてみるか……?」

 

 あからさまにユピテルを妬んでいる男共。こういう男共の影響を受けさせないために、アスナは自らのところにユピテルを置いた事を、下心全開の男共は全く気が付く気配を見せつけない。

 

「こいつら……」

 

 俺は風呂の端にある岩場に目を向けた。冷たい湧水が竹を通じて流れ込み、溜められている小さくて少し深い水たまりがあった。近くには冷水を掬って呑むための尺と桶があるのも確認できる。恐らく、のぼせそうになった時のためのものだろう。

 

 俺は下心全開で騒いでいる男共に見つからないように桶を取りに行き、桶で冷水をくみ取ってから湯の中に戻り、いつもは頼れる仲間、今は馬鹿な事を言いまくっている男達に狙いを定めた。

 

「おいお前ら、俺はアスナが何でユピテルを連れて行ったのか、わかったような気がするぞ」

 

「えっ、なんだ、なんだ!?」

 

 男達が振り向こうとした瞬間に、俺は桶の中身――雪が溶けて途轍もなく冷たい水を、男達目掛けてぶちまけた。ばしゃっという大きな水音と共に、男達は一瞬にして頭の先からずぶ濡れになり、すぐさま凍え始めた。

 

「お、おわあぁぁぁ!!」

 

「つ、つ、冷てぇぇぇ!!」

 

「な、なんだ、モンスターかぁ!?」

 

 ようやく正気に戻ったであろう男達は一頻り慌てた後に、俺の方へ顔を向けた。

 

「お前らみたいな下心全開の男達に、変な知識を吹き込まれないようにするためだよ」

 

 そう言われた3人はハッとし、やがてしょんぼりとしながら湯の中に軽く沈んで行った。その中で、顎まで湯に浸かったクラインが呟くように言った。

 

「でもよぉ……ユピテルだけ羨ましいぜ……」

 

 確かに女の子達が風呂に入っている姿というものを見たいと言うのは、男としてわかるけれど、流石にそれをユピテルに吹き込みたいとは思わないし、もし吹き込んでしまいそうならば自重したいと思う。

 

「でも、ユイとユピテルが揃うと結構やばげなんだよな……女湯がカオスになってないといいんだけど」

 

「えっ、そうなのか」

 

 ディアベルの言葉を聞きつつ、俺は空を眺めた。ユイとユピテルはAIであるが故に人間の事などをあまりよく理解できていないうえに、それを埋めるための知識欲がとても豊富だから、突拍子もない事を言い出して周囲をびっくりさせる事もしばしばだ。

 

 それに、ユイとユピテルは二足歩行型天然爆撃機と言えるイリスの子供達であり、彼女の影響をかなり強く受けている部分がある。ユイとユピテルという2機の天然爆撃機により、女湯が爆心地(グラウンド・ゼロ)になってないといいんだけど……。

 

「そういえば、イリス先生はいないのかよ、キリト」

 

「えっ」

 

「ほら、こうやって何かあるとイリス先生も来てるじゃんか。今日はイリス先生も一緒じゃないのか」

 

 クラインの問いかけを受けて、俺はイリスの事を3人に話した。それを聞き終える頃には、クラインは少し残念そうな顔をした。

 

「なんだ。イリス先生はやっぱ子供達の世話で忙しいのか……」

 

「何でそんなに残念そうなんだよ」

 

「だってイリス先生って綺麗じゃんか。だからよぉ、覗く事が出来たら格別だったろうなーって……」

 

「だから、覗きは出来ねえだろが。またイリスさんにソードスキルぶちまけられて飛ばされるぞ、お前」

 

 クラインは首を横に振った。

 

「あぁ、それはノーサンキューって奴だわ」

 

 クラインの言葉の直後に、エギルが下顎に手を添えつつ言った。

 

「それに、子供達が来るなら貸し切り状態にしなきゃいけないから、俺達と違って手続きが必要になるな」

 

「そうだ。だから今日イリスさんは無し。でも、シノンが一緒に入りたいって言ってたから、そのうちイリスさんも入るチャンスが――」

 

 その時、俺の目の前にウインドウが突然姿を現した。何事かと驚いてみれば、宛先にあったのは、話に出てきていたイリスの名前だった。

 

「噂をすれば……」

 

「イリス先生からのメッセージか」

 

 ディアベルの言葉に、俺は頷く。

 

「あぁ。でも何でこんな時に……?」

 

 クラインが苦笑いする。

 

「多分、85層解放おめでとうのメッセージだろ。イリス先生って結構お前のところにメッセージ送ってるみたいじゃんか」

 

 確かに、ボス戦が終わった時には必ずと言っていいほど、「○○層解放おめでとう。かくかくしかじか」と書いてある、メッセージをイリスが送ってくれた。恐らく今回も85層の解放を祝って、メッセージを送ってくれたのだろう。

 

「多分そうかも。見るのは後でもよさそうだ」

 

「そうだぞキリト。いつもギルドを引っ張っていくのはお前なんだから、お前こそしっかりと休むべきだ。ほら、ゆっくり温泉に浸かろうぜ」

 

 俺はディアベルに頷き、メッセージウインドウを閉じて湯の中に腰を下ろした。考えようとすると、そのまま考え事の世界へ沈んで深く行ってしまうため、女湯の事も今後の事もあまり考えないようにして、俺はただ湯に浸かる事にした。

 

 

 


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