キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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何回かに一度はある、キリトが登場しない回。


16:立ち込める暗雲

           □□□

 

 

 

 アインクラッド85層 ユキノハナ 午後11時 宿屋

 

 灯りを失ってすっかり夜の色に染め上げられた宿屋の1室。今はすっかり珍しいものになってしまった、古来の和風の限りが尽くされた部屋に、アスナ、ユウキ、ユピテルは宿泊していた。

 

 せっかくこんな宿に来れたんだから、夜遅くまで話をしていようとユウキが言っており、アスナもすっかりその気になっていたのだが、灼熱のボス戦を乗り越えた後に吹雪の荒ぶ雪原を歩いて疲れ切り、温泉と美味な和食を堪能した事により癒されたユウキとユピテルはすぐさま眠気を訴えて、そのまま敷かれた布団の中に入って眠ってしまった。

 

 2人がさっさと夢の中に飛び込んで行ってしまった中、1人置いてけぼりにされてしまったアスナも、同じようにユピテルのいる布団の中に入り込んで、そのまま目を閉じたが、一向に寝付けなかった。どんなに眠ろうとしても、心の中がムズムズして、夢の中へ通ずる扉を開く事が出来なかったのだ。

 

「……」

 

 寝返りを打つと、すぐさまぐっすりと眠っている我が子の顔が見えた。耳を澄ませば、ユウキのそれよりも大きな音で、くぅくぅという健やかな寝息が届いてくる。

 

 皆は揃ってこの子が女の子に見える時があると言うけれど、一緒になって暮らしてみれば、ちゃんと男の子だという事がわかる顔をしている事がわかるから、もはやそんなふうには感じない。

 

 

 元々この子は、第1層の教会の主であり、このゲームのプログラムを開発した元アーガスのスタッフであるイリスが作り出した、プレイヤーを癒すために作り上げたメンタルヘルスヒーリングプログラムと呼ばれる存在。元々は、イリスが母親を務めていて、イリスの子供だった子。

 

 しかし、茅場晶彦がMHHPを正常に稼働できるようにしなかったせいで世界の歪に巻き込まれ、破損し、イリスを母親と認識できなくなってしまったが、今はこうして自分の事を母親だと認識して、共に暮らしている。

 

 たま に突拍子もない事を言い出して、こちらを困らせてくるような事あるけれど、アスナはそんな事になっても、なんとも思わなくなっていた。

 

「ユピテル……」

 

 アスナはそっと、ユピテルの顔に手を伸ばし、頬に掌を当て、そのまま軽く撫で始めた。

 

 

 現実世界で暮らしていた時、アスナはずっと鎖で繋がれている錯覚を感じ続けていた。両親が認めた者しか触る事も、話す事も、聞く事も許されない。透明な籠の中に入れられて、首に鎖を繋がれていて、常に両親の目に睨まれ続けているような錯覚。

 

 そしてそれは、きっとこの先も続いていくと、アスナは確信を得ていた。両親に認められた相手と無理矢理付き合わされ、無理矢理結婚させられ、無理矢理子供を作らされ、無理矢理生きさせられ続ける。まるで何かの機械のような生活、囚人や奴隷と変わらないような扱い。

 

 そんな生活から抜け出したくて、ほんの少しの間でも抜け出したくて、あの日ナーヴギアを被った。それが、アスナの全てが変わった時だった。

 

 最初はこのゲームからいち早く抜け出して、両親の下へ帰らねばと思っていたし、そのためになら何でもやると思ってもいたけれど、今はもうそんな事を少しも考えなくなった。

 

 というよりも、両親の事を考える事をやめさせてくれたのが、キリトのところにいるリランとの出会いだ。初めてリランの話を聞いた時には、リランはボスを狩ってこの世界を終わらせるにはこれまでないくらいに丁度いい存在と思って、引き入れようとした。

 

 しかし、その交渉は失敗に終わり……そればかりかリランは自分の鎖を噛み千切り、両親の奴隷でしかなかった《閃光のアスナ》を殺してくれた。

 

 

 全てが変わったリランとの出会い。もしもそれがなかったら今頃どうなってしまっていたかと、アスナは考える度に震え、同時にリランと出会えてよかったと心の底から思えた。

 

 その後もリランと過ごす日々をキリトに用意してもらったが、その時は本当に様々な事を話す事が出来た。現実世界で起きていた事、自分が育ってきた環境の事、そして、両親との付き合いに疲れを感じていた事。リランはその全てを聞いてくれて、全てを受け入れてくれて、そして、どうすればいいかを教えてくれた。

 

 そして、その中でさらに幸せな日々を与えてくれたのが、このユピテルだ。

 

 初めはどうやっていけばいいのかわからない事が沢山あったけれど、元育て親のイリス、既にユイを育てているシノン、そしてリランからさまざまな知識をもらう事によって、アスナはユピテルとの日々に困る事はすぐさまなくなった。

 

 そこから始まった、ユピテルとの生活。それを繰り返すごとにアスナは、何故もっと早くユピテルやリランに出会う事が出来なかったのだろうかと悔やむようになった。

 

 リランと出会った時には世界の色がわかって鎖が弾け飛び、ユピテルとの日々で暖かさを、母親になる事、そして真に幸せな日々というものを知る事が出来た。2人との出会い、渡りゆく日々は、現実に帰ったらもう手に入る事のないもの。だからこそ、その一秒一秒がまるで貴重な宝石のように思える。

 

「……うぅん」

 

 現実はもはやリランや皆、そしてユピテルと過ごしているこの世界そのものであり、あんな鎖で縛り付けられる現実に帰るくらいならば、このままこの世界での生活を続けていたい。たとえ現実にもう帰れなくなったとしても、死に至るその瞬間までこの暮らしが続くのであれば悔いはない。

 

 寧ろ、このまま攻略をやめてしまって、この世界での生活に浸り続けたいと、アスナは露天風呂に入った頃からずっと考えていた。もしこれを夢に例えるならば、ずっと死ぬまでこの夢の中に居たい――。そう思いながら、アスナは我が子の頬を撫でた。

 

「離れたくないなぁ……最後までずっと一緒に居たいよ……ユピテル」

 

 眠る我が子を起こさない程度の声で、小さく呟きながら目を閉じた。――その時だった。

 

「……ぐ、ぅぐぐ」

 

 耳元に届いた、まるで呻き声のような声にアスナはかっと目を開けた。そこにあったのは薄青い闇に染まりながら眠っている我が子ユピテルの顔だったが、浮かんでいる表情は先程のような安らかなものではなく、苦痛を感じて悶えているようなものだった。

 

「ゆ、ユピテル?」

 

「う、うぐ、ぐううううッ」

 

 声をかけてもユピテルは答えず、そればかりか顔を真っ青にして声を上げ始める。呼吸は何度も何度も吸って、数回にわたって吐くという非常に不安定なものに変わっていた。

 アスナは吃驚(びっくり)して起き上がり、ユピテルの身体を揺する。

 

「ちょ、ちょっとユピテル、どうしたの、ねぇ、どうしたのユピテル!?」

 

「はっ、あっ、あっ、ああ、あ、あ、は、あ゛、あ゛、あ゛、あ、は」

 

 ユピテルは答えずに悶えるが、やがて硬直した身体のあちこちが崩れるように激しく振動を始めた。普通の子供だったならば、何かの病気を発症してしまったとすぐにわかるが、ユピテルはAIであるが故にそんなものはない。今のユピテルに何が起きているのか、現実世界で続けた勉強は、答えを教えてはくれなかった。

 

「ユピテル、ユピテル、ユピテルぅッ!!」

 

 ユピテルはしばらく痙攣を続けたが、やがて糸が切れたかのようにその場に倒れ込んだ。見る見るうちに呼吸が元に戻ってゆき、弱弱しく瞼が開き、青色の瞳が姿を現した。

 

「ユピテル……ユピテル!」

 

 青色の瞳の中に母の姿を映しだしたユピテルは、何が起きたかわからないような顔をしていたが、すぐさま小さく母の名を呼んだ。

 

「かあ、さん」

 

「ユピテル……大丈夫……?」

 

 アスナがその頬に触れた途端、ユピテルの顔はみるみるうちに崩れ出し、ぐずついた。その事にアスナが驚く前に、ユピテルはアスナの胸元に飛び込んで抱きつき、そのまま大きな声を出して泣き始めた。

 

 薄暗い部屋にユピテルの声が鳴り響く状況の最中、アスナはユピテルの震える身体をしっかりと抱きしめて、その髪の毛を撫で続けた。

 

「……大丈夫だよ……大丈夫、大丈夫だから……」

 

 そのたった一つの言葉しかアスナは思い付く事が出来なかった。実際ユピテルは泣いてるだけで言葉を発さないため、効果があるのかわからないが、アスナはただただ、ユピテルに言葉をかけてその髪の毛を撫でた。しかし、それからあまり時間を置かないうちに、ユピテルの声とは違う声が耳元に届いてきた。

 

「あれ……どうしたのアスナ」

 

 声の方向にあったのは、上半身だけを起こして、眠そうに目元を擦っているユウキだった。自分とユピテルの声で起きてしまったのは明白だった。

 

「ユウキ……ユピテルが……ね」

 

「ユピテル? ユピテルがどうかしたの」

 

「なんというか、急に苦しみ始めて、そしたら、今度は急に泣き出して……」

 

 ユウキはそっとこちらに近寄り、抱き締められているユピテルに顔を向けた。

 

「ユピテル、怖い夢でも見たの」

 

 ユウキの声にもユピテルは答えず、アスナの胸に顔を埋めて泣きじゃくるだけだった。

 

 もしユピテルが悪夢に苛まれただけだったのであれば、きっとあのような苦しみ方をしないはず。あの時ユピテルは悪夢を見ていたのではなく、身体の中に異変を起こしていたのだ。

 

 今のユピテルはイリスとキリトによれば、このゲームの根幹システムであるカーディナルに繋がっており、カーディナルが異変を起こせばユピテルもそれに巻き込まれるようになっている。もしかしたら今のユピテルの異変は、カーディナルそのものの異変だったのかもしれない。

 

「大丈夫よ……大丈夫だからね、ユピテル……」

 

「そうだよ。大丈夫だよユピテル」

 

 2人で声掛けを続けたが、ユピテルは一向に泣き止む様子が無かった。仕方がないので、2人はずっとユピテルが泣き止んでくれるまで、付き添う事にした。

 

 

 

 

           □□□

 

 

 

 

 アインクラッド第1層 《始まりの街》教会

 

「先生、イリス先生――」

 

 戸を叩く音と子供の声で、イリスは目を覚ました。誰か中に入って来たのかと思って上半身を起こし、そのまま周りを見回してみたが、そこにあったのは闇に染まるアンティークな風貌の家具達だけで、子供達の姿はない。時間を確認してみても、夜の11時だった。

 

「なんだ……?」

 

 聞き間違いかと思っていると、入口の方からもう一度戸を叩く音と、子供の声が聞こえてきた。先程の音もそこから来たものであると理解したイリスは、装備を切り替えていつもの服装になり、ベッドから降りて入口へ向かい、戸を開けた。

 

 そこにいたのは寝る時のための軽装に身を包んだ茶髪の少年、ケインだった。よく見てみれば、ケインと同じ部屋に住んでいる銀色の髪の毛のギン、黒い癖のかかった短髪が特徴的なレンもいた。

 

「ケインにギン、レンじゃないか。こんな夜遅くにどうしたんだい」

 

 ケインは一瞬廊下の方に顔を向けてから、再度イリスに顔を向けた。

 

「なんか、隣から呻き声みたいなのが聞こえるんです」

 

「呻き声だって?」

 

 普通、宿屋や住宅の個室には防音効果が働いており、外からの音は聞こえないようになっているのだが、ここは本来住宅として使用するものではない教会であるため、そういった機能は施されていない。

 

 子供達の使っている部屋は全て音が聞こえるようになっているから、普段から子供達には(いたずら)に音を立てるなと言っておいてあるため、そんなに音は立てないはずだ。ましてや呻き声を上げる者など、この教会にはいないはず。

 

「何かの聞き間違いじゃないのか」

 

「いいえ、右隣から呻き声がずっと聞こえるんです。何だかお化けがいるみたいで……」

 

 ギンの不安そうな顔を目の当たりにしたイリスは、その頭に手を乗せた。

 

「お化けも幽霊も、モンスター以外は実在しない。真の意味でのファンタジー世界の住人だ。だけど君達の右隣の部屋って確か……」

 

 ケイン達の使っている部屋の右隣にある部屋は、ストレアの使っている部屋のはずだ。ストレアは子供達と大差ないくらいに天真爛漫であるが、子供達と比べて遥かに身体が大きいし、子供達の部屋を独占してしまいそうだったので、1人だけの部屋を使わせている。

 

「確か……ストレアの部屋だったな。ストレアが何か悪戯をしているのか……?」

 

 ストレアにも周りの子供達に迷惑をかけるなと言っておいたし、何よりストレアは理解力のある娘だからそんな事はしないはず。そんなストレアが呻き声を上げるなんて、あり得るのだろうか。

 

「イリス先生、おれ達あの声のせいで眠れないです……」

 

「確かに隣からの呻き声は気持ち悪くてたまらないな。よし、先生と一緒に見に行こう」

 

「本当におばけだったら……」

 

「『いーやっ!!』してやるから安心して。さぁ、行こう」

 

 イリスは子供達を裾に掴まらせて、ほんのわずかな光だけがともっている不気味な廊下を歩いた。やはり闇が怖いのか、震える子供達に何度も大丈夫だと聞かせながら歩き続けたところ、やがて子供達の使っている部屋の前に辿り着いたが、そこでイリスは立ち止まった。

 

「ぅ、ぅぅう、ぁぁぁう、ぁぁぁ、ぁ」

 

 耳を澄ませてみたところ、本当に右隣の方から呻き声のような声が聞こえてきた。声色からして、やはりストレアのものに間違いないのがわかった。

 

「本当だな……なんだか声がする」

 

「や、やっぱりお化け!?」

 

「いや待て……静かにして」

 

 イリスは更に耳を澄ませて、聞こえてくる声を感じ取った。

 

「は、あ゛、あ゛あ゛、あ゛、ぁあ、ああ、ぁはあ゛」

 

 違う。これは呻き声ではなく、苦悶の声だ。ストレアは何かしらの異変を起こして苦悶の声を上げていたのだ。

 

「ストレア……!?」

 

 イリスは少し吃驚して、音の発生源であるストレアの部屋の前に行き、戸を叩いた。

 

「おいストレア。どうした。ストレア、どうしたんだ」

 

 ストレアの部屋からは悶え苦しむ声がするだけで、返事はない。イリスは少し顔を蒼褪めさせて力強く戸を叩く。

 

「ストレア、開けろ! どうしたんだ、ストレア!」

 

 叫びながら部屋の戸を開けようとしたその時、がちゃりという音が鳴り、戸が開いた。まさか鍵をかけていなかったなんてと驚く前に、イリスは子供達と部屋の中に飛び込んで見回したが、すぐさまその目の中に飛び込んできたのは、ベッドの上で激しく痙攣しているストレアの姿だった。

 

「ストレアッ!!」

 

 産出したただのプログラムでしかなくとも、自分にとっては子供と変わりない――そう考えているイリスは我が子の1人の元へ飛び込むように走った。

 

「あ゛、あ゛、あぁぁ゛、あ゛ぁあ゛、あぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ」

 

「ストレア!」

 

 ストレアは身体をがくがく言わせながら、苦悶の表情を顔に浮かべてベッドの上をのた打ち回っているだけで、声をかけても全く反応を示さない。

 

「ストレア、どうしたんだ!」

 

 MHHPを開発し、その後も経過を見てきたイリスでも、今のストレアの動き、苦しみ方は見た事のないものだった。エラーの蓄積によるものでもなければ、演算回路の不調とも思えない苦悶。

 

 機器にアクセスしてストレアを取り込めば、原因がわかるだろうが、そんな事はこのゲームの中では出来ない。

 

「ストレア、おいストレア!」

 

 のた打ち回るストレアの肩を抑え込むが、かなりの力で反発してくる。ちょっとでも気を抜けばストレアの力に押し飛ばされてしまいそうだったが、イリスは歯を食い縛ってしっかりとストレアの身体を固定する。

 

「はぁ゛、あぁぁ゛、あ゛、あはぁ゛、あ゛」

 

「――――――――――ッ!!」

 

 我が子が危機に陥れば即座に対応できたというのに、今となってはどうすればいいのか全くわからない。イリスは何も出来ない感覚に悔しさを覚えつつただ、我が子の1人の身体をただ押さえ続けた。

 

 入口に子供達が見守る中、ただのた打ち回るストレアの身体を抑え込み、しばらく経ったその時、ストレアは突然苦悶の動きを止め、大きく息を吐いた後に、その場に崩れるように寝転んだ。

 

「ストレア……!?」

 

 いきなり動きが止まったストレアに驚き、イリスはその顔を覗き込むように見つめた。ストレアは弱弱しく呼吸しながら、ゆっくりとその瞳を開いて、開発者(ははおや)であるイリスの顔を赤い瞳の中に入れた。

 

「い……りす……」

 

「……そうよ、私がわかる、ストレア」

 

「わ、かる……」

 

 イリスは安堵の溜息を吐いた後に、ストレアの上半身をそっと起こした。

 

「……何があったんだ」

 

 ストレアはイリスに支えられながら、顔半分を手で覆った。

 

「わからない……ただ、皆の心が……苦しめられて……」

 

「皆の心、だと……?」

 

「……ここじゃないどこか……ううん……どこか、この中のどこかで……心が……苦しめられて……」

 

「この中のどこか、だと? それに皆の心って……まさか君、思い出したのか」

 

 ストレアは小さく頷き、イリスに顔を向けた。その顔は汗だらけではあったものの、落ち着いたものになっていた。

 

「思い出したよ……イリス」

 

 イリスはずっと、ストレアに悟られないようにしてきた名前を、口にした。

 

「メンタルヘルスカウンセリングプログラム試作2号機、コードネーム《ストレア》。それが君の名前だ。わかるか」

 

「……わかるよ。アタシ、プレイヤーじゃなくてそういうのだったんだっけ……」

 

「そうだ。君が余計に壊れてしまうかもしれなかったから、そういう事は伏せておいたんだ。だけど、まさかこんなに早く君が記憶を取り戻すとは……」

 

 イリスはそっとストレアをそのまま寝かせたが、ストレアはイリスを見つめたまま、その言葉に答えた。

 

「多分今のショックで……思い出したんだと思う……」

 

 イリスは振り返り、入口の方にいる子供達に声をかける。

 

「君達、お化けはいなくなったから、安心してくれ。それに、先生はここでストレアを診るから、君達は部屋に戻りなさい。いいね?」

 

 音の正体を掴んでも尚、どこか不安そうな顔をしている子供達はひとまずイリスに頷き、そのまま隣の部屋へと戻っていった。

 子供達の後ろ姿を見送ってから、イリスはストレアに向き直った。

 

「君の姉……ユイはカーディナルにアクセスする事で思い出したようだが、君はショックで思い出したのか」

 

「というよりも……カーディナルに、かなりの負荷がかかったみたいなんだ……その時のショックで、思い出した、みたい……」

 

 ユイによれば、今この世界に具現しているユイは義体のようなもので、本体はカーディナルから外れたキリトのローカルメモリの中にあるという。しかしストレアやユピテルは未だにカーディナルに接続されているのと同じような状態なので、カーディナルに何かあれば、その影響を受けてしまう。

 

「その負荷が君の中にも流れ込んできていたという事か……となるとカーディナルシステムは今、膨大なエラーの塊になって来てるって事だな。最近の不調も納得だ」

 

「それだけじゃないよ……エラーの原因の……とても強いプレイヤーの負の感情が……人為的に引き起こされてる……この世界の、どこかで……」

 

「なんだって?」

 

 プレイヤー達の負の感情というものは、実に恐ろしいものであるとイリスはよく理解していた。プレイヤー達が負の感情を抱くのはよくある事だが、それが対処されずに放置されれば、プレイヤー自身の精神に多大な悪影響を及ぼす。

 

 その事情を防ぐためにメンタルカウンセリングを行うプログラムであるストレア達がいるのだが、負の感情が余りに強大な場合は、ストレア達カウンセリングプログラムだったとしてもどうにもならない。

 

 役目を務める事の出来ないプログラム達はエラーを引き起こし、そのエラーはカーディナルシステムそのものへ流れ込む。そしてまた、プレイヤーの負の感情をプログラム達が対処できず、エラーを引き起こし、カーディナルへ流す。そんな恐るべきサイクルが繰り返されてしまう事が判明したため、イリスはMHCP達を強化するに至ったのだ。

 

「そこで繰り返されている負の感情を癒せなくて……他のプログラム達が苦しんで……エラーを起こして……」

 

「今こうしてカーディナルが不調を来したという事か……」

 

 一体何が起きているのか、この世界の仕組みに関する無数の知識の中から検索をかけても、答えの書かれた本は頭の中には出現しなかった。

 

 しかし、次にどう行動をすればいいのか、そしてこれを誰に話すべきなのか、イリスは既に分かっていたような気がした。

 

「君が自分を取り戻せたのは僥倖だが、その負の感情の発生源が気になるね。負の感情は日常的に起こされているものではあるものの、そこまで強い負の感情が出るなんて早々ないはずだし……ひとまず君はもう休みなさい。私は明日……いつもの《彼》に相談を持ちかけてみる」

 

 ストレアは力なく頷くと、そのままゆっくりと瞳を閉じて、穏やかな呼吸を繰り返し始めた。イリスは近くに落ちていた、ストレアが蹴落としてしまったであろう掛布団を手に取り、薄着になっているストレアの身体に被せた。

 

 

 

 

「……ここまでの事が起きてしまうなんて。どうやら、色々とやり過ぎてるみたいだね」




戻ったストレアの記憶。

次回、ついに事件起こる?

乞うご期待。

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