キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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18:圏内奇怪事件Ⅱ

「もしかして昨日の夜に、ユピ坊にも何かあったのかい」

 

 今から言おうとしていた事をイリスが言いだした事に驚いたアスナ。すかさずイリスに問いかける。

 

「えっ、どうしてそれを知ってるんですか」

 

「実はだな……」

 

 イリスはユリエール達に聞かれないように小声で話し始めた。

 昨日の夜、ストレアが痙攣のような症状を起こして酷く苦しんだらしい。その時のストレアによれば、カーディナルに何かしらの異変が起こり、それの影響を受けて症状を起こしたという。しかもその時のショックによるものなのか、ストレアは失われていた記憶を取り戻し、自らがMHCPである事を自覚したそうだ。

 

「ストレアが元に……?」

 

「あぁ。そして君達の話を聞く限りでは、ユピ坊もまたストレアと同じような症状を起こしてしまったようだね。私の開発経験から考えるに、可能性としては……」

 

 一番肝心な事を言おうとしたその時、俺達の事を不思議そうな目で見ていたであろうユリエールが突然声を上げた。

 

「あ、イリスさん! サーシャさんが!」

 

「なんだって!?」

 

 イリスと一緒になってその方に身体を向けると、瞼を開いて緑色の瞳を見せつけているサーシャの姿がそこにあった。もしかしてもう起きないんじゃないだろうかという不吉な考えをせずにいられなかった中に光が差したような思いになったのだろう、イリスは嬉しそうな顔をしてサーシャに声をかけた。

 

「サーシャ……サーシャ!」

 

「サーシャさん!」

 

 サーシャの瞳はゆっくりと動き、顔を覗き込んでいる俺達の方へ向けられた。そしてそのまま、口元が小さく動き、か細い声が漏れた。

 

「イリ……ス……先……生……?」

 

 まだ夢の中にいるかのような感じではあったものの、しっかりとイリスの事を認識できているらしい。その事がまた嬉しく感じられたのか、イリスは頷いて再度声をかけた。

 

「そうだ、そうだぞサーシャ」

 

 サーシャは周囲を確かめるように瞳をゆっくりと動かして、やがて呟いた。

 

「ここは……どこ、ですか……」

 

「ここはいつもの教会の中だ」

 

 そう言って、イリスはサーシャの身体に手を伸ばし、その上半身をゆっくりと起こさせた。まだ寝ぼけているかのような感じではあったものの、サーシャは誰にも支えられる事なく上半身を起こしたままに出来るようだった。

 

「私……一体……」

 

「君は街の隅に倒れていたんだよ。昨日の午前中から行方をくらまして……一体何があったんだ」

 

 サーシャは虚ろな目で前方に視線を向けた後に、首を横に振った。

 

「私……何をしてたんだっけ……確かミナちゃんと一緒に買い物に出かけて……それで……それで……」

 

「それで、何があったんだ」

 

「それで……あれ……思い出せない……?」

 

 サーシャから出て来た言葉に俺達は驚いたが、サーシャ自身も何やら驚いているような顔をしていた。

 

「思い出せないんですか」

 

 俺の問いかけにサーシャは頷く。

 

「……私、昨日の午前中にミナちゃんと買い物に出かけて……そのまま……何を……?」

 

 イリスが戸惑ったような顔をする。

 

「買い物をしていたんじゃないのかね」

 

「買い物に出かけて……そのまま……気が付いたら……ここで皆さんに……」

 

 サーシャの言葉に首を傾げているリランから、《声》が送られてきた。

 

《出かけた時からここに来るまでの記憶がないと言うのか》

 

 サーシャはイリスの方に顔を向ける。

 

「イリス先生……私は何をしていたんですか……買い物に出かけた時から、ここに来るまでの事を知りたいんです」

 

 サーシャから事情が聞けると思ったのに、逆に事情を聞かれてしまうという事態にイリスは眉を寄せたが、やがてひとまずと言わんばかりに口を開いた。

 

「君はミナを連れて教会を出た。そしたら昼時になっても帰って来ず、居場所の特定さえもできないなんて言う事態に陥った。私達が一日かけて探しても見つからなかったが……今日の朝になって、そこのユリエール達が街の隅で倒れている君達を見つけて、ここに運び来んだ。ちなみにミナは君の隣のベッドで寝てるから大丈夫だよ」

 

 ある程度イリスから説明を受けたサーシャが咄嗟に隣の方へ顔を向け、そこでまだ眠っているミナの事を確認してから、安堵したように溜息を吐いた。

 

「よかった……ミナは大丈夫だったのね……」

 

「そうなんだけど……まぁこの辺はいいか。なぁサーシャ。君は何も覚えてないのか」

 

 イリスの問いかけを受けて、サーシャはどこか困ったような顔をして俯いた。

 

「街の隅に……? 何でそんなところに私は……確かに買い物に出かけたはずなのに……」

 

「事情を聞きたいのは私の方なんだけど……その様子だと何も覚えてないみたいだね」

 

「はい。買い物に出かけてから今日ここで目を覚ますまで、何も思い出せないんです」

 

 難しそうな顔をしながら記憶を探ろうとするサーシャ。そんな彼女を見つめている俺の中では、既に明確になっている事があった。

 

 サーシャは間違いなく何者かによって拉致され、そこで何かされて、街の隅に置き去りにされたのだ。そうでなければ買い物に出かけてからここに来るまでの記憶が無かったり、裸にされていたりするはずがない。

 

 サーシャとミナは、間違いなく何かしらの事件に巻き込まれたのだ。

 

「そんな……でも、絶対何かあったはず……!」

 

 シノンの呟きに頷くが、サーシャは変わらず首を横に振る。

 

「……駄目です。やっぱり何も、思い出せません……」

 

 シノンの言う通り、何かあったのだけは確かなのだが、そもそも何故サーシャはされた事を覚えてないのだろうか。街中に入ったところで気絶させられてしまったというのを最初に思い付いたけれど、このSAOでは、脳を限界まで回転させたり、あまりに強い衝撃を受けたりしなければ気絶状態にはならない。

 

 そしてそれをプレイヤーの手でそれを引き起こすのは更に困難極まりない。強大なモンスターならば、プレイヤーを一撃で気絶させる事も出来るけれど、プレイヤーの手でやるとなれば、何度も衝撃を与え続けなければならない。

 

 そうだとすれば、気絶させられる前、即ち殴られる過程で、サーシャは自分を気絶させようとした相手を覚えているはずなのだ。――なのに覚えていないとなると、サーシャは何故気絶したのだろうか。もしくはどんな方法を使ったというのだろう。

 

「まぁいい。詳しい話はまた次にするから、今は休んでいた方が良い」

 

 イリスの声で考え事の世界から出てきて、サーシャに再度目を向けた時には、イリスがサーシャに手を伸ばしているような状況だった。そして、イリスの手がサーシャの額に触れたその時。

 

「きゃああっ!!」

 

 まるで熱いものか冷たいものを当てられたかのような悲鳴を上げて、サーシャはイリスの手から離れた。あまりに突然の行動に俺達は釘付けになり、イリスは完全にきょとんとしてしまっていた。

 

「……え……」

 

 イリスは手を伸ばしたまま硬直してしまっていたが、悲鳴を上げたサーシャもまた、イリスの掌をじっと見たまま硬直してしまっている。その表情はとても恐ろしいものを見ている時のような、恐怖に染まったものだった。

 

「さ、サーシャさん?」

 

 思わず声をかけた次の瞬間、サーシャはハッと表情を元に戻して、驚いている俺達の顔を見回して、最終的にイリスに軽く頭を下げた。

 

「ご、ごめんなさい……」

 

「ど、どうしたんだ。私に触られるのが、そんなに嫌だったか?」

 

 サーシャは首を横に振った。

 

「いいえ、そういうわけじゃないです。ただ……《手》がすごく怖く感じられて……」

 

「手? 手が怖いんですか?」

 

 ユイの問いかけがあっても、サーシャは答えなかった。しかしそのうち、顔を上げてイリスの掌を注視した。もう恐怖の表情は浮かんでいない。

 

「あ……でも、もう平気です……急に悲鳴を上げてしまって、すみません」

 

 その一言を受けて、イリスは手を下げながら溜息を吐いた。呆れたようなものではなく、安堵したものだった。

 

「なんだぁ……そこまで私の事が嫌いになったわけではなかったか……だが、なんでいきなり手が怖くなったんだ」

 

「わかりません……何だか急に……手が怖くなって……」

 

 その時、サーシャは何かに気付いたような顔になった。

 

「手……そうだ、手……沢山の手を見たような気がする……」

 

 今まで何も思い出せないと言っていたサーシャから出て来たその言葉に、アスナが首を傾げる。

 

「手? 沢山の手? 手が沢山あるものなんてあったっけ?」

 

《沢山の手と言えば、我とキリトが初めて戦ったボスも手がいくつかあるような奴だったな》

 

 確かにあの時戦ったのは多腕の巨像であり、掌が文字通り沢山あるものだったけれど、あれは既に倒されて消滅しているから再び出てくる事はあり得ないし、そもそもそんなものにサーシャとミナが襲われたとは考えにくい。

 

「そうだけど……あの巨像じゃないだろ。あれはもう倒したんだから」

 

 イリスは再度サーシャの額に手を当てて、そのままゆっくりとサーシャの身体を倒させた。

 

「その辺についても、後から詳しく聞く。だけど君は休んだ方が良い……」

 

 サーシャはイリスに頷くと、再び瞼を閉じた。もうそこに、つい先程まであった《手》に怯えるサーシャの姿はなかった。

 

 そしてそのままサーシャが寝息を立て始めると、イリスはじっと話を聞いているだけだったユリエールの方に顔を向けた。

 

「ユリエール、聞いていたね」

 

「はい。聞いてましたが……本人に何かされた記憶はないみたいですね」

 

「いや、あるよ。彼女は沢山の手に襲われたんだ。見当が付かないけれど、これだけは確かなはずだ」

 

「沢山の手……一体何の事でしょうか。彼女は街の中から出ていないはずですから、モンスターに襲われるなんて事はないはずなんですけれど……」

 

 ユリエールの言う通り、モンスターが街の中に入って来る事なんて出来ないから、街の中にいる限りはモンスターに襲われるなんて事はないはずだ。それにサーシャはミナと一緒だったから尚更フィールドなんて危ないところに出る事なんてないはず。

 

「沢山の手……モンスターじゃないなら、なんだって言うんだ」

 

 俺の呟きに答えるように、イリスは続けた。

 

「わからないけれど、彼女達は間違いなく何かの事件に巻き込まれたんだ。そしてそれを行った奴が、このアインクラッドの中にいるんだ。――次、誰を目標にするべきか考えている頃かもしれない」

 

「という事は、サーシャさんやミナちゃんのような事件に巻き込まれる人が、これから増えていくかもしれない、って事ですか」

 

 イリスはユリエールと、その他の者達の方へ顔を向ける。

 

「それだけじゃないよ。もしかしたらユリエール、君もその中に含まれているかもしれない」

 

「私も、ですか」

 

「あぁ。如何せん犯人が如何なる目的を持って、そんな行動に出ているのかわからないからね。どういった人物がターゲットになるのか、一体何をしているのか……全く何一つわかっちゃいないから、君が巻き込まれないなんて事もないんだ」

 

「そんな!」

 

 まさか自分さえもターゲットにされているなんて――予想外の言葉に驚きを隠せないユリエール。

 

 もしイリスの言葉が真実なのであれば、本当にユリエールもサーシャと同じ目に遭うかもしれないし、下手すればここにいるシノンも、ユイも、アスナも、ユピテルも、俺自身もその中に含まれているかもしれない。絶対安全な人物など、どこにも居ないのかもしれないのだ。

 

「一体、この街で、このアインクラッドで何が起ころうとしているんですか」

 

「私にもそれはわからないよ。もはやこの世界は完全に不安定、何が起きたって不思議ではない。だからこそ、何もしないわけにはいかないんだ」

 

 イリスはユリエールの方へ、凛とした声を出した。

 

「君達はこの街を守る組織だ。とりあえずは、戻ってシンカー辺りに相談を持ちかけて街全体に警戒を促しておいてもらいたい。それと、何かあったならば出来る限り私に報告してもらいたいんだ。いいかな」

 

「はい。これ以上の被害を出すわけにはいきません。私達も気合を入れて、街の警備に当たりたいと思います」

 

 《軍》にいた時とは比べ物にならないほど、覇気に満ちたユリエールの表情。それこそが、街を守る組織の姿であると俺は理解する。

 

「だけど、気を付けてください。ユリエールさん達も、狙われているかもしれないんですから」

 

 アスナの声掛けにユリエールは頷いた。

 

「そうですが、貴方方もです。貴方方でさえ、サーシャさんやミナちゃんのような目に遭わされない確率は、ゼロではありません」

 

「わかっています。わたし達も十分に気を付けた上で、行動します」

 

 俺達には攻略があるし、この先の強力なボス戦もある。ユリエール達と一緒になって、サーシャ達を襲った者達を見つけ出したいと思っているけれど、そうはいかない。

 

「手伝いたいのも山々ですが、俺達には攻略があります。この事件の解決に関しては、そちらに任せたいのですが」

 

「えぇ。任せてください。貴方方は我々の希望ですし、ゲームがクリアされれば、犯人は好き勝手出来なくなります。ゲームのクリアこそが、事件防止の最高策でしょう。

 貴方方は、今まで通り攻略の方をお願いします。何かあったならば、そちらにも報告いたしますので」

 

「わかりました」

 

 ユリエールは頷いて出口の方へ向かい始めた。

 

「それでは早速、シンカーに報告に向かいたいと思います」

 

「あぁ。今日は二人を見つけてくれてありがとう。くれぐれも気を付けていくんだぞ」

 

 イリスの言葉にユリエールは「わかりました」と言うと、軽く頭を下げてそのまま外へ出ていった。

 

 それを皮切りに全員が話をやめて、部屋に静寂を齎したが、やがてイリスが口を開いた。

 

「……これで、私達だけが知る話が出来るね。キリト君、君はユピテルとストレアの異常は何によるものかわかるかい」

 

 いきなり話を始めたイリスだったが、その内容に関しては頭の中にずっとあったものなので、すぐさま対応する事が出来た。

 

「わかります。二人はユイと違ってカーディナルに繋がれたままですから、カーディナルの不調に巻き込まれる形で、痙攣という発作を起こしたんじゃないでしょうか」

 

「ふむ、私の考えている事と同じだね。私も実際そう考えているよ。ユピ坊もストレアもいまだにカーディナルの下に繋がれたままだから、カーディナルが不調を起こせば必然的にその影響を受ける事になる。今回、カーディナルにかなり大きな負荷がかかってしまった事だろう」

 

 イリスは俺の方に顔を向ける。

 

「それと今回の事件。これが偶然によるものだと、君は思うかい」

 

「どういう事ですか、イリス先生」

 

 シノンの問いかけを受けて、イリスは腕組みをする。

 

「昨日の夜、ストレアが記憶を取り戻した際、こう言ったんだ。この世界のどこかで、とても強いプレイヤーの負の感情が人為的に引き起こされてる……ってね」

 

「この世界のどこかで、とても強い負の感情?」

 

「あぁ。わかっているだろうけれど、ここにいるユイとストレア以外にもMHCPはおり、それらは全てかつてのユイとストレアの様に封印されている。きっとユイと同じように苦しむプレイヤー達を監視して……何も出来ない事に苦しんで……エラーを起こしているだろう」

 

 アスナがユピテルを撫でながら言う。

 

「という事は、ユイちゃんやストレアさん以外のMHCPも破損したって事なんですか」

 

「いやそういうわけじゃない。その蓄積したエラーがどこに行ったかという事だ。ストレアによれば、蓄積されたエラーはすべてカーディナルの方へ流れ込んで行っているらしいんだ」

 

 カーディナルはこの世界の全てを支配するプログラム群。ストレアやユピテルはそこに無断でこの世界に具現しているけれど、未だにカーディナルに繋がれているまま。昨日の夜にカーディナルにエラーが流れ込んで行ったのであれば、ストレアとユピテル自体にもそのエラーが流れ込んで行ったという事になる。

 

「エラーがカーディナル不調の原因なんですよね」

 

 俺の問いかけにイリスは頷いた。

 

「そうだ。しかし、肝心なところはカーディナルが不調を起こすほどの膨大なエラーをMHCPがカーディナルに流し込んだ事、そしてMHCPにそれだけのエラーを引き起こさせるプレイヤーの負の感情の発生があったという事だ。キリト君、今までそんな事があったかね」

 

 イリスの問いに俺は考え込む。この世界には6000人ものプレイヤーが実に多種多様な生活をしている。当然その中で負の感情などを抱く事もあるだろうけれど、それによってMHCPが膨大なエラーを抱えてカーディナルが不調を起こした事例など確認されていない。

 

 もし普段生活している中で起こる程度の負の感情がMHCPに多大なエラーを引き起こさせるものならば、もっと早くから、そして頻繁にカーディナルが不調を起こしていたはずなのだ。

 

 しかし昨日になってストレアとユピテルが発作を起こし、それがカーディナルの不調によるものだと判明。時同じくしてサーシャとミナが行方不明になり、今朝発見された……。

 

「そんな事はなかったみたいですけれど。というかまさか、最初にこれが偶然によるものだとか言った理由って!」

 

 イリスは険しい表情を浮かべて、腕組みをやめた。

 

「私は、カーディナルの不調の原因が、サーシャとミナの身に起きた事によるものだとしか思えないんだ。いや、もしかしたら昨日、サーシャとミナだけじゃない、もっと多くの人が負の感情に晒されるような事が起きたのかもしれない」

 

 イリス、サーシャ、ミナ以外の全員が驚きの声を上げて、そのうちシノンが戸惑ったような声を出す。

 

「えぇっ。そんな事があったっていうんですか」

 

「あくまで私の推測ではあるものの、妙に現実味があって仕方がないんだ。そして内容はモンスターとかによって引き起こされたものではなく、完全に人為的に引き起こされたもの。誰かが何らかの目的のために、ね」

 

 ユイが悲しそうな顔をする。

 

「MHCP達がエラーを起こすくらいの負の感情を人為的に引き起こすなんて……ひどいです!」

 

《ユイの言う通りぞ。そんな事をやる連中など、間違いなくこの世界の敵だ。一体どこのどいつだ!》

 

 リランの怒りに満ちた《声》が頭に響いたその時に、俺はある集団の姿が思いついた。そう、血盟騎士団の仲間であるココアを誘拐しようとして、ハラスメントコードなどを完全に無視していて、イリスがレクトの連中だと推測した集団……。

 

「まさか、《ムネーモシュネー》……!?」

 

 イリスの顔がこちらに向くと同時に、リランの《声》が再度俺の頭の中に響いた。

 

《《ムネーモシュネー》だと!? まさか奴らが元凶だと言うのか!?》

 

「いや、わからないよ。実際《ムネーモシュネー》が出て来たところを見たのはあの時だけだし、本当に連中かどうかも分からないし……」

 

 リランの言葉に答えたその時、イリスが口を開いた。

 

「キリト君の言う通りだ。確かにこの前話してくれた《ムネーモシュネー》ならば、人目に付かずにプレイヤーを移動させたりする事は出来るかもしれないよ。でもね、それだと問題が一つ出てくるんだ」

 

「問題って?」

 

「例えそんな連中でも、記憶の抹消や改ざんは出来ないってところ。サーシャは明らかに何かされている間の記憶を抹消されてしまっている。こんな事、たとえスーパーアカウントの持ち主でも出来やしないよ。それに、サーシャが本当に記憶を消されているのかもわかってないし、そもそも本当に気絶してただけかもしれない。

 これだけわからない事が多いんだ、《ムネーモシュネー》のせいには出来ないよ。とっ捕まえて尋問して、実は全然違っていたなんて出たらどうするんだ」

 

 確かにサーシャの事を見て、二人が誰かに誘拐されて何かされ、街の隅に置き去りにされたと考えたけれど、それだって俺の勝手な考えであり、事実ではないかもしれない。この前見つけた《ムネーモシュネー》が怪しいからって、安易に決め付けるのはよくないのかもしれない。

 

「た、確かにそうだけど……でも、ならサーシャさん達の身に何が起きたんですか。何かされたのは間違いないんでしょう」

 

「間違いないだろうね。しかし、それが誰が行ったのか。そしてそれが君の言っている《ムネーモシュネー》の仕業なのか、調べを進めて見ない限りはまるでわからない。

 それに《ムネーモシュネー》がどこでどんなふうに活動しているのかもわからないしね。ひとまずは様子見にしておいて、攻略に専念するのがいいだろう。だが」

 

 イリスは途中で言葉を区切った。その続きが気になったのか、シノンが声をかける。

 

「だが、なんですか」

 

「もしこれが《ムネーモシュネー》の仕業だったと発覚したその時は、《笑う棺桶(ラフィン・コフィン)》の時と同じように、殲滅戦の覚悟を持って応じるべきだろう。

 サーシャだけではなく、まだ幼いミナすらも連れ去り、何かしらの行為を行い、カーディナルに多大な負荷をかけ、ユピ坊とストレアに苦痛を与えた。何にせよ、これだけの事を行った連中、もしくはプレイヤーには相応の報いを与えてやらないとね」

 

 イリスのとても険しい表情を目の当たりにして、俺は思わず息を呑んだが、その考えには賛成だった。

 サーシャだけではなくミナも事件に巻き込み、カーディナルに負荷を与えるくらいの負の感情を発生させて他のプログラム達を苦しめ、ユピテルとストレアに甚大な苦痛を与えた。これだけの許されざる暴挙に走るような奴らは、他のプレイヤー達に目を付ける前に、本気で殲滅しなければならないだろう。

 

「ひとまず、もう少しサーシャとミナから詳しい話を聞いてみる。君達も気を付けて帰りたまえよ。そして、アインクラッドの攻略完了を、出来る限り急いでくれ」

 

 この場に集まった攻略組の精鋭である俺達は、その言葉に頷いた。




騒動、ひとまず収束。

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