キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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14:戻り来て

           ◇◇◇

 

 シノンの看病を始めてからわずか一日で、俺とシノンは第22層の自宅へ帰って来れた。理由は、シノンの容体が予想を超えてよかった事、トラウマのぶり返しが無かった事、そして俺が傍にいる事の三拍子。

 

 この三つの事柄を受けたイリスは、もう教会に入院している必要はない、22層の家に戻った方がシノンのためになるだろうと言って、俺達が22層の家に帰る事を許可してくれたのだ。まぁ、何かあった時には即座に第1層の自分の元へ戻って来いと言う条件を付けられはしたけれど、俺が想定していたよりも遥かに早い時間で、帰って来る事が出来た。

 

 まだ一週間も経ってないと言うのに、まるで一ヶ月ほど開けていたように感じる、俺達の自宅。数日前にも見たはずなのに、懐かしく感じる家具達に見つめられながら、俺はその一つであるソファに腰を掛ける。

 

「何だか久しぶりに帰ってきたような気がするな」

 

 俺の対岸側にあるソファに、同じようにシノンが腰を掛ける。その服装は、この家にいる時の、薄緑色を基調としたパーカーと、膝上周辺まで切り詰められている白色のズボンだ。入院している間の服装は寝間着だったから、シノンのこの服装を見るのも久しぶりな感じがする。

 

「そうね。でも、こんなに早く帰らせてもらえるなんて、思ってもみなかった。最短退院記録を更新だわ。今までは、一度入院させられたら、最低でも一週間は出てくる事が出来なかったから」

 

「確かに、入院する事になれば、大体一週間はいなきゃいけないもんな。ところが、イリスさんの教会にいたのはおよそ三日だ。そんなに早く退院できる病院なんて、早々ないよ」

 

 その時ふと、俺はある事を思い出した。シノンはこうして教会から家に帰って来る事が出来たわけだけど、本当に大丈夫なのだろうか。シノンの心は今、すごく不安定だから、何があってもおかしくはないとイリスさんは言っていた。

 

「なぁシノン、本当に大丈夫なのか。不安な事とか、ないのか」

 

 シノンは少し下を向いた。

 

「正直なところ、ちょっと不安。私の症状って、本当にいつぶり返すかわからないから……現実にいた時もそうだった。何度も突然思い出しちゃって、何もわからなくなって……入院してた時、本当に辛かった」

 

「……」

 

 何も言葉を返せずにいると、シノンは顔を上げて俺に声をかけてきた。

 

「でもね、今はすごく調子がいい。全然辛くない。現実で入院してた時は、誰もいなかった。だけど、今回はイリス先生も、ユイも、アスナも、ユピテルも、リランも居てくれて、そして、あなたが居てくれたから」

 

 シノンはそっと、俺に微笑んだ。

 

「だからね、今回こうやってすぐに退院出来たのはあなた達の……あなたのおかげだって思ってる」

 

「……そっか。そう言ってもらえると、嬉しいよ」

 

 俺はシノンに笑んだ後に、周囲を見回した。そこには俺達以外の人間やモンスターなどの姿はどこにもない。

 

 それもそのはずだ。シノンが退院する際、攻略に向かっているアスナを突然呼び出し、ノーリランデーの時と同じように、ユイとリランを預かってほしいと頼み込んだ。「せっかく家に帰れるっていうのに!」とユイとリランは反対したが、そこにシノンを診ていたイリスが入り込んで来て、「一日だけ、君のママはパパとだけ居たいんだ」と二人とアスナを説得。

 

 結果、ユイとリラン、そしてアスナは渋々呑み込んでくれて、俺とシノンだけを22層に代えさせてくれたのだった。ちなみにユイとリランだが、いつもどおり56層のアスナの家に宿泊する事になり、明日の朝に迎えに行く予定だ。

 

「それにしてもシノン、俺と二人でよかったのか。ユイとリランが居ても、良かったんじゃ……」

 

 シノンはまた下を向き、少し言い辛そうに声を出した。

 

「だって……二人じゃなきゃ、出来ないじゃない……」

 

 シノンから紡がれた言葉に思わずごくりと唾を飲み込んでしまった。確かに今日まで俺達はずっとユイとリランと離れなかったし、様々な異変が起こっていたせいでそれどころではなかった。

 

 そのせいで鬱憤が溜まっていたというのだろうか――今のシノンは、月一の()()()()()()()だ。

 

「そ、そういう事だったのか……えっと、わかった……夜になったら……」

 

 自分でも顔が赤く、そして熱くなっているのがわかったが、同時にシノンの顔も、少し赤くなっていた。

 

「……うん」

 

 直後、シノンは何かに気付いたように、ハッと顔を上げた。

 

「も、勿論、そのためだけにあなたとの時間を作ったわけじゃないわ。あなたと、二人きりになって、散歩とかしたかったのよ」

 

 顔の赤いシノンが、戸惑いつつ口から出した言葉で思い出す。確かに、最近は攻略が大詰めになってきたおかげで、攻略ばかりに力を入れるようになり、シノンと過ごす事も少なかったし、羽を伸ばす時にはユイとリランが必ずいた。

 

 シノンは時折、俺とだけ過ごしたいっていう時があるのが、これまで過ごしてきてわかったけれど、それは最近叶わぬ願いになりつつあった。

 

「そ、そうだな。確かに君とだけ過ごす日はなかったもんな。よし、どこに散歩に出かける?」

 

「だから、この層だって言ったでしょう」

 

「あ、そっか。わかった。今から出かけるけど、大丈夫だよな」

 

 シノンが頷いたのを見てから、俺はソファから立ち上がり、シノンに近付いた。

 

「シノン、辛くなったら言ってくれよ」

 

「大丈夫よ。本当に、大丈夫なんだから」

 

 シノンはそう言って、俺の手をそっと握った。シノンだけが持つ心地よい暖かさがじんわりと手から身体へ伝わって来ると、いつもならばシノンと出かけられる事わかって、楽しみやわくわく感が心に広がって来るけれど……。

 

 本当に、何事もなく終わるのだろうか。シノンの身に何も起きないまま、この家に帰って来る事が出来るのか。まるでボス戦に挑む前のような、異様な緊張感と不安が、心の中で渦を巻く。

 

「キリト、ねぇキリト、どうしたのよ」

 

「あっ……」

 

 シノンの声で我に返る。声の呼ぶ方に顔を向ければ、そこにあるのは不安そうなシノンの顔。

 

(しまった)

 

 多分、今の俺の顔が不安そうなものになっていたのだろう――シノンの事は不安にさせないと思っていたのに、いきなりシノンにこんな顔をさせてしまった。

 

「もしかして、出かけるの、嫌?」

 

「いえいえ、そんな事はありませんよ姫様。さぁ、参りましょうぞ」

 

 冗談交じりに言ってやると、シノンは苦笑いしながら、俺の手を少しだけ強く握り締めた。こうやって少し強く手を握ったりするのは、シノンが甘えたい時だっていう事を、俺は今まで過ごした中で把握している。

 

 俺はそんなシノンを横に見ながら、家を出て鍵を閉めた。わずか三日しか経ってないと言うのに、家と同じようにひどく懐かしく感じる22層の風景が、家の外には広がっており、シノンは早速釘付けになった。

 

「なんだろう、家とおんなじだね。ここに来たのは、そんなに久しぶりでもないのに、すごく懐かしく感じる」

 

「ほんと、変な感じがするよな。住みなれない教会に長い事居たせいかも」

 

 俺達が教会にいる時間は長くても一日程度だった。しかし今回に至っては三日もいたし、シノンの看病もあって、街の中から出る事はほとんどなかった。というよりも、イリスに出るな、シノンの傍から離れるなと言われていたのだ。

 

 その理由は、《壊り逃げ男》が捕まって早々脱獄を果たし、アインクラッドのどこかへ消えてしまったという極めて簡単であったものの、非常に衝撃的な事情によるものだった。シノンが目を覚ました直後に来た客人はシンカーとアルベリヒであり、その二人にイリスが応じたところ、シンカーの管理する黒鉄宮から《壊り逃げ男》が姿を消しているという話をして来たそうだ。

 

 元からシンカーが嘘を吐くような人ではない事、そしてシンカー自身が非常に慌てていた事から、イリスはシンカーが真実を言っている事をすぐさま把握して、シンカーを黒鉄宮に、アルベリヒを血盟騎士団本部に向かわせた後に、俺の元へ戻ってきてその話をしてくれた。

 

 その時はアスナも一緒に聞いたのだが、二人揃って驚いて、アインクラッドから危機が去ったわけではない事を認識する運びとなったのだけれど、アスナはすぐさま冷静になって血盟騎士団や聖竜連合と言った大ギルドのメンバー達にメッセージを送り、《壊り逃げ男》の追跡や《壊り逃げ男》の拠点の捜索を依頼した。

 

 俺はこの事をシノンのいない場所で聞いたため、すぐにシノンにこの事を伝えようと思ったけれど、そこでイリスが、《壊り逃げ男》はシノンが寝込む原因を作った張本人、それが再びアインクラッドで自由の身になった事を知れば、シノンはまた狙われると勘違いしてパニックを起こしてしまうかもしれないとストップ。俺はその指示に従って、《壊り逃げ男》が脱走した事をシノンに話してはいない。

 

 一応、その対策として攻略を急ぐという方法を、俺達はイリスの提案で行っている。攻略が100層に辿り着き、ゲームクリアが果たされれば、《壊り逃げ男》は何も出来なくなると言うのが前からわかっているからだ。

 

 そして今の階層は96層、あと4層であいつの目的を完全に潰せる100層に辿り着くし、100層に辿り着けば俺達はこの世界から解放されて、元の現実世界に帰る事が出来る。

 

 今、俺はシノンの事もあって攻略に行く事は出来ないから皆が攻略をしてくれている。今の皆の役割が攻略を担う事なのだとすれば、俺の役割はシノンの心を治療して、攻略に戻れるようにする事だろう。そのためにも、シノンの心の負担をできる限り減らして行ってやらないといけない。

 

「さてとシノン。本当に散歩でいいのか。他に行きたいところとか、あったりするんじゃないのか」

 

 シノンは何かを思い出したように、軽く空を眺めた。シノンの真上にあるのは、秋を迎えているためか、かなり高く感じる、蒼き空だった。

 

「……そういえば、あなたと二人きりで買い物とか行った事、無かったわよね」

 

 確かに俺は買い物に出かける事は結構あったけれど、そういう時は大体装備やアイテムを買い揃えるため、攻略のための時がほとんどだったし、そういうときじゃない場合はユイとリランが必ずと言っていいほどいた。考えてみれば、俺はシノンと二人きりで買い物をした事はなかった。

 

「そういえばそうだな……よし、じゃあ買い物に行く? コルは攻略しまくってたせいであまりまくってるし、ちょっとやそっとの事じゃなくなりそうにないしさ」

 

「どのくらい、あるの」

 

 俺はステータスウインドウを呼び出して、所持金を示す欄を確認したが、そこに出ていた数字は125000000コル。すぐ傍にある家が25000000コルだから、この家と同じクラスの家が、四つほど買えるくらいの金が貯まっていた。

 

 これまで俺が金を使う時は、家を買ったり装備を買い揃えたりする事がほとんどだったけれど、家を買う事は流石にもうないし、装備の方は血盟騎士団に入団させられた時に茅場から贈られた装備に勝る装備を見つけられていない。

 

 それに、ダンジョンや迷宮区に潜り、山賊の如くモンスターをぶちのめして宝箱を開けてみれば、性能は今使っている武器に勝らないけれど、高く売れる武器がごろごろと出てくる時が多かった。出費をほとんどせず、手に入れた武器をアイテムストレージ整理のために片っ端から売り捌いたおかげで、今のこの金額に到達していたのだろう。

 

 ちなみにエギル曰く、俺が上層から手に入れてきてエギルの店で売り捌いた装備は、中層プレイヤー達が買って、喜んで使っているそうだ。

 

「ざっと125000000コルくらい」

 

 呟くように言うと、隣から少しぎょっとするような声がした。見てみれば、目をまん丸くしているシノンの顔があった。

 

「そ、そんなに貯まってたの!?」

 

「あぁ。最近は攻略して、高い金を落とす敵をぶちのめしても使う事が無かったからな。それに、異変がたくさん起こってくれたおかげで使う暇そのものが無かったからな。

 だから、思いっきり豪遊しても別に大丈夫だぞ」

 

「ご、豪遊ねぇ……豪遊ってどういうものの事を指すのかしら。そもそも、この世界でそういう事が出来るの?」

 

 俺は咄嗟に頭の中を回転させる。このゲームは純日本製フルダイブMMORPGであるためか、カジノやパチンコみたいなギャンブルは存在していないので、ギャンブル関係の豪遊は出来ないだろう。

 

 ならば買い物で高いものを買いまくるっていうのがこの世界の豪遊になるんだろうけれど、多分シノンはそういう事を好まない娘だろうから、これも出来ないだろう。

 

「出来るっていえば出来るね。何か欲しいものはないのか。例えば、滅茶苦茶高い服とか帽子とか」

 

「別にそんなものを欲しいとは思わない。正直なところ……あなたと一緒に歩いて、話したりできれば、それでいい」

 

 シノンからの言葉を受けた俺は、思わずドキッとしてしまった。今、シノンが言ったのは、高い服や帽子よりも俺という男子ならば一度は恋人に言われてみたい台詞だ。

 まぁ俺自身はシノンやユイから似たような事を結構な回数言われてるので、慣れているはずなのだが……何故か、今の俺の身体の中は嬉しさというか恥ずかしさというか、そういうものを感じて熱くなっていた。

 

「そ、そっか。じゃあ、高いものを買わない買い物に出かけようか。やっぱり、20層か?」

 

「そっちよりも、80層の方に行きたい。ほら、あの大きくて広い港町」

 

「そういえばそっちは賑わってるけれど、あんまり行った事なかったな。よし、80層に出かけようか」

 

 俺はしっかりとシノンの手を握ったまま、青々と生い茂る草地を踏みながら、第22層の転移門を目指して歩いた。攻略でも《ムネーモシュネー》殲滅戦でもない、愛する人との散歩――デートの足取りは、これ以上ないくらいに軽く、楽しげだった。

 


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