キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

124 / 563
キリト不登場回。


17:災厄の萌芽

           □□□

 

 

 

 アスナ達は今、自宅でユイとリラン、そしてユピテルを見ていた。日中はユイもリランもキリトとシノンのところへ行けない事に不満を散らしていたが、なるべく彼らと遭遇しないようなルートをイリスに計画してもらい、そこに三人を連れていったところ、不満を垂らす事もなくなり、こうして何事もなく家に帰って来る事が出来た。

 

 本来ならば今日は、ユウキや他の血盟騎士団の者達と共に攻略に出かける予定だったが、キリトの頼みを断る事も出来なかったし、何よりユイとリランがいるとユピテルが喜んだ。これらの事から、アスナは今日の攻略を休んだ事に悪気を感じる事はなかったのだった。

 

 そしてその中でも、着々と攻略が進んで行っている事を、アスナは他の団員達から送られてくるメッセージで把握していたため、余計な心配をする事もなかったのだ。

 

 ほぼほぼいつもどおり夜を迎えて、夕食を終えた後、ユピテルはアスナの膝に頭を乗せ、ユイはユウキに膝枕をしてもらいながら眠りについていた。そんな子供達の頭を撫でつつ、アスナとユウキは軽く話をしていた。

 

「攻略も随分といいところまで進んだよね」

 

「うん。わたしが居なきゃ進まないんじゃないかなって思ったんだけど、ちょっと他のみんなを甘く見過ぎてたみたい」

 

「別に無理にボク達が出る必要はないみたいだよね。他のみんなもすごく強くなってる」

 

 アスナはユウキに頷いた。ユイとリラン、ユピテルの面倒を見ていた時に送られてきたメッセージはクラインやディアベルと言った血盟騎士団以外の精鋭ギルドの者達によるものであり、その内容は決まって「フィールドボスの攻略に成功」」、「迷宮区を発見、突入中」、「迷宮区を突破完了、明日ボス戦に備える」といった、攻略の成功を教えるようなものばかりだった。

 

 自分達が参加しない事により、攻略が遅れ、プレイヤー達に余計な被害が出てしまうのではないかと思っていたが、それが杞憂に終わっていた事をアスナは自覚し、大きな安堵を感じていた。

 

「攻略を進められるのは血盟騎士団が中心だって思ってたけれど、みんなだってちゃんと強くなってる。ひょっとしたらわたし達抜きでボスも倒しちゃって、そのうち100層に辿り着いてしまうかもしれないわね」

 

「それはどうかなぁ。100層のボスってこのゲームのラスボスじゃないか。流石にそんなのをみんなだけで倒すのは難しいんじゃないかなぁ」

 

「確かにね。その時にはきっとキリト君もリランも戦わなきゃいけないような大変な戦いになるでしょうから、しっかり気を引き締めないといけないね」

 

 ユウキが苦笑いしたその時、近くのテーブルに座っていたリランが急に顔を向けてきて、《声》を送ってきた。

 

《ま、待つのだ。100層に辿り着くのはいつになるのだ。本当にお前達は、100層に辿り着こうとしているのか》

 

「そ、そうだけど? だってわたし達の最終的な目的は、100層に辿り着く事だし」

 

《そんなに早くいく事もないだろう。もう少し遅らせたっていいではないか》

 

 少し戸惑っているような仕草を見せるリラン。まるで見た事のないその様子を目の当たりにしたユウキが、首を傾げつつ尋ねる。

 

「リラン、どうかしたの。リランだってガンガン攻略する事を楽しんでたじゃないか」

 

《そ、そうだが……だがな、今はその時とわけが違う。出てくるモンスター達はこれまでのそれと比べ、極めて強い連中ばかりだ。あまり先を急ぐと、良からぬ事が起きるかもしれんのだぞ》

 

 アスナは首を傾げてしまった。リランは自分達の事を思ってこういう事を言う事がこれまで多々あったが、今のリランの言っている事は、まるでこれ以上攻略を進めるなと遠回しに伝えているように思える。これまでこの城を登り詰める事こそが、自分達の目的であると言っていて、それに励む攻略組の者達の背中を押していたというのに。

 

 一体何故か――そう考えたその時に、アスナはある事に気が付き、ハッとする。

 自分達は確かに96層まで攻略を進めていて、もうすぐ100層に辿り着く。そして100層のボスを無事に討ち倒す事が出来れば、自分達はこの世界より解放されて、現実世界へと帰る事が出来るのだ。

 

 しかし、その後のこの世界はどうなってしまうのだろうか。ユイはイリス曰く、キリトのローカルメモリの中に本体を置いているから持ち帰る事が出来るらしいが、ユピテルやリランはそうではないし、第1層にいるユイと同じMHCPのストレアもユイとは違う。

 

 この世界からプレイヤー達が居なくなった後、本体をこの世界に置いている住人達は、AI達は、いや、この世界はどうなってしまうのだろうか。プログラマでも制作者でもない自分では何も理解できないと察したアスナは、咄嗟にリランに声をかける。

 

「ねぇリラン……この世界がクリアされたその時、貴方達はどうなるの」

 

 リランは酷く驚いたような顔をして、アスナに向き直る。

 

《この世界が……クリアされた……時……?》

 

「そうよ。わたし達は100層に辿り着いた時には、現実世界に帰る事が出来るのよ。でも、その後この世界はどうなるの。わたし達が居なくなったら、この世界はどうなるの」

 

《お前達が、居なくなった後……》

 

「あなたはユイちゃんみたいにこの世界がゲームの世界である事を認識出来てる。いつの間にか認識が出来るようになってる。だから、この世界がクリアされた後の事も知ってるんじゃないかって……」

 

 その時の蒼褪めたリランの表情を見て、ユウキは酷く驚いたように言う。

 

「そ、そっか。アスナ達は現実世界に、ボク達はALOに帰る事が出来る。だけど、リランとユピテルは元からこの世界にいる人達だから……ボク達が解放されたら、どうなるの……?」

 

 リランは口ごもり、小さな声を漏らすが、その仕草を目の当たりにして、アスナは背筋に冷たい風が当たったような錯覚を感じ取った。リランが口ごもったという事は、間違いなくリラン達にとっては幸せではない事が起こるという事、そしてその幸せではないという事は……。

 

「まさか……このゲームがクリアされた時、貴方達は死んじゃうんじゃ……!!?」

 

 ユウキとリランの蒼褪めた目線がアスナに集まる。――リランにとって図星だった事がわかった途端、アスナは心の底から強い感情が押し寄せてくるのを感じ取り、それを口に達させたその時に、言葉にして紡いだ。

 

「そ、そうなの。そうなのリラン!? このゲームがクリアされた時、リラン達は死んじゃうの!?」

 

 リランはおどおどしつつ首を横に振る。

 

《い、いや、知らぬ。この世界がクリアされた時の我らの事など……いや、そもそも我は……》

 

 リランが俯くと、アスナは少し声を荒げつつ、もう一度黙るリランに声をかける。

 

「教えてリラン。この世界がクリアされたら貴方達はどうなるの。攻略を急がせないようにしてるのは、貴方達が死んでしまうからなんじゃないの」

 

 ユウキは悲しげな表情を浮かべて、呟くように言う。

 

「ボク達は確かにこのゲームをクリアするためにここまで進んできた。だけど、ゲームをクリアすればリラン達が死んじゃう……リランも、ユピテルも、ストレアもみんな……」

 

 アスナは膝元で眠る息子に顔を向ける。

 100層に辿り着き、この世界がクリアされれば、今、膝元にいるユピテルにはもう会えなくなる。――ユピテルは、死んでしまう。そう考えた途端、涙が押し寄せてきて、目の前が歪んだ。

 

「わたし、わたし嫌だよ! せっかくここまで一緒に居られたのに、これからもずっと、現実世界に帰っても、ユピテルと一緒に居たいって思ってたのに、100層に辿り着いて、この世界がクリアされたら死んじゃうなんて、そんなの、嫌だよ……」

 

 泣き出したアスナを横目で見つつ、ユウキはリランに声をかける。

 

「さっきから攻略を遅くした方がいいっていうのは、やっぱり、リランでも死ぬのが怖いから? 消えちゃうのが、嫌だから? そうだよね、そうじゃないはずないよ」

 

 悲しそうにしている両者を、狼竜は挙動不審とも取れるような動作で交互に見つめる。

 

《ち、違う。我は死ぬのは怖くない。死ぬのが怖いのではない、我は何も怖くないぞ、我は怖いものなどない、いや、寧ろ怖いのは、ははは、こわいのははは》

 

 いきなりおかしくなった言葉を聞いたアスナは涙を止めて、挙動不審のリランに顔を向ける。リランは何度も口をぱくぱくさせながら、《声》を送った。

 

《我が恐ろしいのは、怖いのは、我の死、わたしの死、じゃない、わたしが恐ろしいのは、怖いのは、お前達の、キ、リト達の、キリ、トが、わたし、の》

 

「り、リラン!? どうしたの!?」

 

「ちょっとリラン、ば、バグってない!?」

 

 現実世界にいた時には、ゲームなんてものを全くと言っていいほどやらなかったから、バグというものがよくわからなかったが、バグは時折ゲームに致命傷を与えてしまう事もあるという事は知っていた。そんな危険なバグがリランの中に起こっているのか――アスナは驚きながらもう一度リランに声をかけ直す。

 

「リラン、ねぇリランってば!」

 

《……ッ!!》

 

 リランはぐっと歯を食い縛ると、そのままぐるりと身体を回してアスナ達に背を向けた。今度はどうしたのか――アスナがそう聞く前に、両者の頭の中に《声》は響いた。

 

《……そうだ。我は死が恐ろしいよ。だが、我自身の死ではない》

 

「えっ」

 

 急に挙動を治したリランに二人が驚くと、リランはもう一度身体をアスナ達の方へ向けた。その顔は先程とは違って、非常に落ち着いたもの……いつものリランのそれに戻っている。

 

《我が恐ろしいのは、お前達の死だ。お前達がこの先で死んでしまう事が、我は恐ろしいのだ。お前達にはいつも以上に気を付けて、いつもより何倍も警戒しながら進んでほしいのだ。だからこそ、我はあぁ言ったのだ》

 

「そう……なの……?」

 

 アスナの問いかけに応じるように、リランは頷いた。

 

《そうだとも。我は自身が死んでしまうよりも、お前達に死なれる事の方が辛いのだ。

 だからこそ、100層までの道も、そして100層も、しっかりとした準備と心構えの上で挑んでもらいたいのだ。我があんなふうに言った理由は、それだ》

 

「違うよ、リラン」

 

 ユウキの澄んだ声を耳にして、リランとアスナはそこへ顔を向けた。ユウキは少し険しい表情をしながら、リランを見つめていた。

 

「リラン、論点をすり替えてる。ボク達が聞きたいのは、リランが死を恐れてるとかじゃなくて、この世界が終わった後のリラン達なんだ。もし、この世界がクリアされた後に君達の死が確定するなら、ボク達は」

 

 ユウキが言いかけたその時に、リランは咄嗟に声を割り込ませた。

 

《怒るぞ、ユウキ》

 

「えっ」

 

 リランは驚くユウキに向き直り、先程のユウキと同じように、険しい表情を顔に浮かべる。

 

《お前達がそのような事を気にする必要などないのだ。お前達は現実世界に帰るためにここまでやってきた。この城をここまで、犠牲を踏み越えながら登り詰めてきた。

 せっかくここまで来たというのに、お前達は攻略をやめるというのか。我らの命を優先して、自分達の努力を全て無に帰すというのか?》

 

「別にそういうわけじゃ……」

 

 リランはきっとアスナの方に向き直った。

 

《我らの事をそういうふうに思ってくれているのはとても嬉しい事だよアスナ。しかし、お前達はここで止まってはならない。最後の時まで生き続け、やがてはこの世界より脱し、自分達のいるべき世界へ戻らなければならないのだ。我はお前達にそうしてもらうためにここまで手を貸してきたのだぞ》

 

 それまで険しかったリランの表情が穏やかなそれに変わる。

 

《だからな、我らの事よりも、まずは100層に辿り着き、最後の敵を倒す事を最優先に考えろ。我らの事は、その後、もしくはその直前に考えればいいのだ》

 

 アスナは口の中でぐっと歯を食い縛る。確かに今はリラン達の事よりも、攻略組――自分達を含めた――が最終目的地である100層の紅玉宮に辿り着く事を最優先に考えるべきだとは分かっている。

 

 しかし自分達がここまで来れたのは間違いなく、リランやユピテルの導きがあったからこそだ。

 

 リランが自分達の仲間になり、その主であるキリトが血盟騎士団の団長になったからこそ、血盟騎士団を中心とした攻略組は、75層の戦い以降どんな異変に晒されたとしても犠牲者を出す事なく、ここまで上がって来る事が出来たようなものだ。

 

 その命が、自分達を支え続けたかけがえのない存在が、100層に到達してゲームをクリアした時に失われてしまうかもしれないならば、自分達の現実世界への帰還は、リラン達この世界の住人への死刑宣告となる。

 

 ここまで戦って来てくれた仲間に死刑宣告を言い渡し、死刑を執行するくらいならば……こんな自分を母親だと思って懐いてくれている息子を殺す事になるくらいならば、攻略などやめてしまいたい。

 

 いやむしろ、攻略をする事よりも、リランとユピテルを生かす方法を、この二人も生きて現実世界へ帰らせる方法を最優先に探すべきだ。きっとそれは、100層に辿り着いてからではもう遅い。

 

「わたしは諦めないよリラン。わたしは、絶対に貴方達と一緒に現実世界へ帰る。苦しんでたわたしを助けてくれたのは、間違いなく貴方達なんだから」

 

 リランが驚いたようにアスナを見つめると、アスナは続けて言う。

 

「明日の日中にイリス先生のところに行きましょう。イリス先生はこのゲームを作った人で、ユピテルやマーテルを作った張本人。どうにかしてリラン達を現実世界にも帰らせる方法を教えてもらうわ」

 

 ユウキが少し戸惑ったように言う。

 

「だ、だけどアスナ。イリス先生もリランのやった事はわからないって言ってたんでしょう。それじゃあ駄目なんじゃないの」

 

 正直なところ、ゲームの全てを知っているのは茅場晶彦だから、茅場本人に尋ねたかった。しかし茅場はあの時突然消えてしまい、そのまま自分達の前に現れなくなってしまったため、もう茅場に問をかける事も出来ないし、そもそも茅場がそういう事に答えてくれるとは思えない。

 

 だけどそんな茅場の側近にイリスはいて、ゲームのプログラムを誰よりも理解しているであろう人だ。この前、イリスに尋ねた時には自分にもわからないといわれたけれど、きっとリラン達をどうすればいいかを知っていて、それを隠している。尋ね続ければきっと教えてくれるはずだ。

 

「駄目じゃないわ。あの人は時々何かを隠そうとしたりする時があるし、今言ったようにイリス先生はこのゲームのプログラマよ。この世界のプログラムに関してわからない事があるとは思えないの。だからこそ、明日問いかけてみるわ。本当に知らないのかって」

 

 その時、リランが何か気付いたような顔になり、アスナとユピテルを交互に見つめた。

 

《そういえばアスナ、お前はユピテルをイリスのところに連れて行って、何をしているのだ》

 

「えっ? さ、さぁ」

 

《お前、イリスがユピテルに何をしているのか、知らぬのか》

 

 イリスはある時から、層を一つ越える毎に自分のところへユピテルを連れて来いという指示を下すようになった。その指示に従ってユピテルを連れていくと、イリスは教会の中にユピテルを連れ込んで、自分の事は追い出してしまう。

 

 イリス曰くユピテルのメンテナンスだと言っていたが、具体的にどういう事をやっているのかわからないし、ユピテルに聞いても、教会のベッドで寝て来ただけと答えるだけだった。ので、イリスがユピテルに何をしているのかは、全くと言っていいほどわからない状態にある。

 

「それはちょっとわからないの。ユピテルを連れていくと、イリス先生は教会の中に入って行っちゃって、わたしには攻略に戻れって……教会の中に入ろうとしても内側から鍵をかけられちゃって、入れないのよ」

 

《それは、何か邪な事をしていると疑わざるを得ないのだが》

 

 ユウキが軽く腕組みをする。

 

「イリス先生はボク達でもわからない事の多い人だからねぇ。でも、ユピテルやボク達が倒したマーテルとかの製作者だし、ユイちゃんの真の意味でのママさんだから、きっと事情を話せばわかってくれるよ。少なくとも、悪い人じゃないんだから」

 

《そうだな……少なくともイリスは信頼における。ひとまず明日、キリトと合流して――》

 

 そう言いかけたその時に、リランは突然動きを止めた。《声》がいきなり中断されてしまった事にアスナは少し驚き、声をかける。

 

「どうしたの、リラン」

 

 リランはじっと天井を眺めていたが、やがて顔面蒼白になって、アスナとユウキに向き直る。

 

《何か、何か来てるぞ!!》

 




本日中にもう一話更新。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。