キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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―アインクラッド 09―
01:朝靄の三人


 《壊り逃げ男》討伐作戦開始の翌日、午前4時。

 

《良いのか、キリト》

 

「あぁ、これでいいのさ」

 

 俺とリランは、朝靄と冷たく透き通った空気に包まれている99層、《終わりの街》を訪れていた。99層という事は今まで通ってきた階層のどれよりも面積が無く、真上に100層である紅玉宮が聳え立っている状況であり、少し進めば100層に辿り着く事の出来る場所だ。

 

 だが、ここを解放したのは俺達攻略組ではなく、このゲームのマスターアカウントを悪用している《壊り逃げ男》。そしてその《壊り逃げ男》の罠があるかもしれないという理由で、攻略組には近寄らせないようにしているのがこの99層なのだが、そこに俺達はやってきている。

 

 周りにいるのは本当にNPCだけで、プレイヤー達の姿は一切確認できない。そしてその大きさだが、《始まりの街》の半分しかないようで、店も住宅地もまるでコロニーのように集まっている構造で出来ていた。というよりも、この層にはフィールドが存在していないらしく、街の中央区からも、迷宮区と思われる塔の姿が近くに見えた。

 

「流石は99層だ。街以外に何もないぜ」

 

《アインクラッドの頂上付近だからな。余計なものが一切存在していないのだろう》

 

 99層に来ているプレイヤーである俺。そしてその<使い魔>であるリランが、俺の方に向き直って言う。

 

《しかし、お前も随分と大胆な事をするものだな。まさか他のプレイヤー達が活動を止めているところを狙って、99層へやって来たのだから》

 

「仕方がないだろう。《壊り逃げ男》が潜伏していそうなところと言えば、もうここしかないんだからな」

 

 何故俺達だけがこの99層にやっているのか。その理由は、こここそが《壊り逃げ男》が活動している場所だと思っていたからだ。

 

 《壊り逃げ男》は99層には近付くなと宣言したが、それが挑発であるというのは誰でもすぐにわかる。そして、それを聞いた者達は99層には罠があると思って近付かなくなる。だけど、それでも行くプレイヤーもいるだろうから、そういう奴には罠に引っかかってもらう。

 

 その結果、99層でプレイヤーが失踪したという情報がアインクラッドを廻る事になり、尚更プレイヤー達は99層に近付かなくなり、99層以外の層で《壊り逃げ男》を探すようになる。つまりこのプレイヤー達が手を伸ばさない99層ならば、どんな暗躍も悪事も出来てしまうというわけだ。

 

 それを理解した俺はリランにだけこの事を話し、皆がいないところで作戦を練り、皆がまだ寝静まっているこの時間帯を狙ってここへやってきたのだ。

 

 皆には《壊り逃げ男》との戦いのために、早朝と夜はしっかり休むように伝えてあるため、この時間帯はほとんどのプレイヤー達が眠りに就いている。そのため、俺達を止めるプレイヤーはどこにも居ない。メッセージで居場所を確認して、そのまま追ってくる奴もいない。

 

「皆には悪いけれど、《壊り逃げ男》と戦うには《壊り逃げ男》の罠にわざとかかる必要がある。誰かがこの99層に仕掛けられている罠にいくしかないのさ」

 

《それを自ら進んで買って出たというわけか。だが、もしも上手く行かなかったら、どうするつもりなのだ》

 

 確かに俺とリランだけでは、《壊り逃げ男》には勝てない可能性だってある。だけど、それでも俺達がこうして99層に行く事によって、99層に《壊り逃げ男》がいる事を暴く事は出来る。

 

 攻略組には何人もの猛者達を遺してきた。例え俺が《壊り逃げ男》にやられたとしても、その情報を元にアスナも、ディアベルも、クラインも、皆で力を合わせて作戦を練り上げて、《壊り逃げ男》を討ってくれるはずだ。そしてそのまま100層へと行く事が出来るだろう。

 

 ちょっと得体のしれない不安を感じてはいるけれど、それは《壊り逃げ男》に殺されるかもしれないなんていうものではない。

 

 何故なら俺は《壊り逃げ男》に殺されない自信があるからだ。

 

「俺は死なないよ」

 

《何故だ?》

 

 俺は相棒の狼竜に向き直り、攻略の時の口癖を言った。

 

「お前が俺を死なせないからだ。そうだろ、リラン?」

 

 リランはきょとんとしたまま固まったが、やがて驚いたように言った。

 

《け、結局我頼みなのか!?》

 

「あぁそうさ。お前は事故に近い形とはいえ、《笑う棺桶》にも勝ってるし、どんなボスモンスターにだって連戦連勝してきた。お前が一緒なら、たとえ《壊り逃げ男》が相手でも負ける気がしないんだ。そうだろ、リラン」

 

 リランはじっと同じ表情のまま俺の事を見つめていたが、やがて軽く下を向いた後に、小さく笑った。

 

《全くお前という奴は……我がいないと駄目なのだな。最後の最後まで、我に頼っているのだから》

 

「いやいや、お前が俺の仲間になった時に言ったんじゃないか。俺の事は死なせない、俺と一緒に戦って、100層まで行くって」

 

《そうだったかな》

 

「そうだったよ。お前が忘れてどうするんだ。それに、お前との約束を忘れたわけじゃないんだぞ」

 

 リランは少し驚いたように、俺に顔を向ける。

 

《約束? 我は何か約束をしたか?》

 

「ほら、100層に着いたら大事な話をするっていう約束。あれ、お前から聞いてから、ずっと気になってるんだぞ」

 

 リランは身体をピクリと言わせた後に、小さく《声》を出した。

 

《そうか……そんな約束していたな……すっかり忘れていたな……》

 

 その時に俺は軽い違和感を覚える。リランは俺達よりも遥かに記憶力が良くて、約束などを忘れる事は皆無だった。だけど、今のリランは、様々な事を忘れてしまっているように思える。

 

「しっかりしてくれよリラン。なんか心配になって来たぞ」

 

《心配?》

 

 リランはまた俺の事を見つめる。その顔は、やはりどこか驚いたようなものになっている。

 

《お前は我を心配しているのか》

 

「えっ、あぁ、そうだよ」

 

《お前が心配をしているのは、シノンの方ではないのか》

 

 思わずリランの様にきょとんとしてしまう。確かにシノンの事が心配ではないのかといわれたら首を横に振るけれど、なんで今シノンの話が出てくるのか理解できない。それに、今一緒に戦おうとしているのはシノンではなくリランだ。

 

「そりゃあ、シノンの事だって心配だけどさ。今一緒に戦っているのはリラン、お前だぞ。お前に何か不調があれば心配するのは当たり前だろう」

 

《……お前は……》

 

 リランは急に俺から顔を遠ざけた。さっきからリランの行動が読めて来なくて、心の中に戸惑いが起こる。

 

「なんだよリラン。なんかお前、変だぞ」

 

《お前は、我とシノン、どっちが大事なのだ》

 

「えっ?」

 

 あまりに唐突な問いかけにまたまた驚かされる。

 

 シノンは俺の妻になってくれて、俺を受け入れてくれた唯一無二の女性。

 

 そしてリランは危険な戦いをする俺の傍にいてくれて、どんなモンスターからも守ってくれる狼竜。

 

 どちらも俺の事を今まで支えてきてくれた人とも<使い魔>だ。だけど、どっちが大事なのかと考えた事はないし、そんな天秤に二人をかけようと考えた事だってない。いやそもそも、二人とも大事のベクトルというものが異なりすぎているから、どっちが大事かなんてない。

 

 それでもどっちが大事かと尋ねられてしまうのであれば、答えは一つだけだ。

 

「何を言ってるんだよ。どっちも大事に決まってるんだろうが」

 

《どっちも、大事?》

 

「そうだよ。シノンは俺の妻だし、お前は俺の相棒。どっちも俺の支えになってくれてる。どっちも欠けてもらいたくない存在だよ。シノンも、お前も」

 

 リランはずっと驚いたような顔をしていたが、やがて顔を地面へと向けてしまった。

 

「どうした」

 

《という事は……我とシノンは……違うのだな……》

 

「違う? 違うって何がだ」

 

 それを最後にリランは黙り込む。一体何を口にしようとしていたのか気になって来て、俺は思わず、リランに再度声掛けをする。

 

「お、おい黙るなよ! 何を言おうとしたんだお前!」

 

 リランはそれにさえも答えず、更に俺の中の疑問を膨張させてきたが、もう一度俺が声をかけようとしたその時に、《声》を送ってきた。

 

「おいリラ」

 

《キリト、約束の内容を更新しようと思う》

 

 リランから帰ってきた言葉に、俺は思わず口を途中で止めた。リランは俺の肩からぴょんと跳ねて羽ばたき、俺の方に向き直ってホバリングを始めた。

 

《100層に無事に辿り着き、ラストボスを倒した時に、今、我が考えている事をお前に話そう。全てが終わったその時に全てを話す》

 

「全てを話すって……お前、やっぱり記憶が戻ったのか?」

 

《そういうわけではないよ。ただ、100層に辿り着けば我は全てを取り戻すと思うのだ。だからこそ、99層の《壊り逃げ男》を我らで倒すぞ》

 

 急に意志を硬くしたような事を言ってから、リランは俺の肩に戻ってきた。先程からあまりに唐突過ぎて、全くリランの話が読めてこない。

 

 いやそも、リランは最近おかしなところが出てきている。こうして俺との約束を俺に言われるまで忘れていたり、自分が竜である事を憂いたり、こうしてシノンと自分を比較したり。

 

 最近になって、急にこういう変な部分が見えるようになってきたわけだけど、リランの中で今何が起きているのだろうか。イリスやシノンやアスナに聞いてみても、理解できていないみたいで、わからないと答えるだけだから、全く何もわかってない。

 

 それに、例え100層に着いたとしても、リランはその頃約束を覚えているのだろうか。何だかそれさえも心配になって来ている有様だ。

 

「……わかったよ。だけどくれぐれもその約束を忘れたり、果たせない状態になるんじゃないぞ。お前は、俺の相棒なんだからな」

 

《わかっている。お前こそ気を抜かずにかかれよ》

 

 そこでリランの顔を見てみたところ、いつものリランの顔に戻っている事がわかった。とりあえずは、このまま戦いに挑んでも大丈夫な状態に戻ったらしい。

 

「さてと、いくぞリラン。皆が目を覚ました時には、99層の扉を開いていようぜ」

 

《承知した》

 

 俺は去年のクリスマスに届いた、ある意味クリスマスプレゼントともいえる相棒の温もりをしっかりと感じた後に、きっと顔を上げた。そして《壊り逃げ男》が待つ場所であろう塔を目指して、進み始めたその時だった。

 

「待ちなさい」

 

 酷く聞き慣れた声色による声が聞こえてきて、俺達は驚きながら振り返ったが、そこでまた大きく驚かされる事になった。俺達の背後に広がっているのは、始まりの街と比べて遥かに狭い、灰色の壁が特徴的な終わりの街の風景。

 

 その中に、ここにはいないはずの人が、俺達の方を向いて立っていたのだ。何故、この人がここにいるのだ――そう思うよりも先に、俺はその人の名前を呼んでいた。

 

「し……シノン……!?」

 

 その人は、血盟騎士団に入団した時にアスナから貰った血盟騎士団の戦闘服を身に纏い、背中に大きな弓矢を背負っているのが特徴的な、ショートヘアよりも長くて、もみあげの辺りで髪の毛を軽く纏めている、黒い髪の女の子だった。

 

 そう、今のリランとの話にも出てきていた、俺の妻であるシノンだ。

 

「やっぱり、こんな事してた……」

 

 シノンはそう言って、俺達の元まで歩いてきたが、俺は咄嗟に昨日シノンに言い渡した指示を思い出す。

 

 確か俺は昨日、シノンには《壊り逃げ男》が発見されて倒されるまでイリスのところに居てくれと頼んだ。だけど、俺の目の前にそのシノンはいる。

 

「なんで君がここにいるんだ」

 

 シノンは表情一つ変えずに、凛とした声で言い返してきた。

 

「ずっとあなたの動きがどうなってるのか、隠れてみてた。メッセージを送る時の追跡機能を使ってね。おかげで昨日の夜から寝てないわ。あなたが何か良からぬ事を考えていそうだったから。そしたら、この時間になった時にあなたの居場所は99層になった。だから、追ってきた」

 

「なんだよそれ……」

 

「キリト、わかっているんでしょう。この先に、この99層に《壊り逃げ男》がいるって」

 

 シノンの言葉にぎょっとしたが、もはや誤魔化せそうにはなかった。

 

「……そうだよ。あの時からわかってたんだ。あいつは99層に近付くなって言ってたからな。罠を張ってると見せかけて潜伏しているのが読めた。

 だから皆がいない内に行こうって、リランと一緒に考えてたんだ」

 

 シノンは俯いた。

 

「それでもし、あなたが《壊り逃げ男》に殺される事になったら? そうなったらどうするつもりだったの」

 

「そうなるつもりはなかった。だけど、もしそうなったら、アスナやディアベルに任せるつもりだった」

 

「つまり死ぬ気だった。そういうこと?」

 

 頷きたくないが、正直頷くしかない。《壊り逃げ男》は俺達攻略組を危険視して居るし、俺の事はもはやPoH並みに危険な存在として認知しているだろう。

 

 そんな俺が来たからには、《壊り逃げ男》はその場で俺をリランごと排除してくるかもしれない。

 

「……そうかもしれない」

 

 口元から小さく声を漏らしたところで、俺はシノンが俯いたまま震えている事に気付いた。そこへ声をかけようとした次の瞬間に、シノンの口元からの小さな声が耳に届いたのを感じた。

 

「なんでそんな事になりそうなところに、一人で行こうとしてたのよ」

 

「危険だからだよ。《壊り逃げ男》は何でもできる奴だ。だからこそ、皆を巻き込むわけにはいかない。皆に無事に100層に辿り着いてほしいから、俺はこうしてリランとだけ来たんだ。君に何も言わなかったのもそのためさ。

 なのにシノン、なんで君はここに――」

 

「……ふ、ざ……」

 

「え」

 

 次の瞬間、シノンは叫んだ。

 

「ふざけないでよ!!!」

 

 シノンが顔を上げた瞬間に、何か白いものが俺の左頬に飛んできて衝突。紫色のエフェクトと共に大きな衝撃に頭を揺すられた。飛んできた物が目の前の愛する人の掌だと、そしてその人がぼろぼろと泣いている事に気付いたのは、すぐさま顔を戻したその時だった。

 

「あなたは、あなたは何度約束を忘れれば、何度私との約束を忘れれば気が済むのよ!!」

 

 何度も見てきたシノンの泣き顔。そこには今、悲しみよりも怒りの色が強い表情が浮かんでいる。そんな顔のまま、涙を地面に落としながら、シノンは言葉を続けた。

 

「あなたは、約束したじゃない。一緒に現実に帰るって、現実世界に帰っても一緒に居てくれるって、自分が私の居場所になるって、言ったじゃない。

 なのにあなたはこんな事ばっかりやって、自分だけ、死に急いで……!!」

 

 シノンは急に俺の胸元に飛び込んできて、そこに顔を埋めてきた。

 

「私だって、私だって……あなたの事を守りたい。あなたの支えになり続けたい。現実世界に帰っても、一緒に暮らして、一緒に時間を過ごして、一緒に歳をとっていきたい。そう思ってここまで一緒に暮らしてきた。あなたと一緒に過ごしてきた、戦ってきた。なのに、あなたはいつも重要な時になると全部一人で抱え込んで……死にに行く……」

 

 確かに俺は、重要な事が目の前に迫った時には一人で行動してしまう時がある。だけどそれは無意味にやっているわけではなく、皆を危険に晒したくないからだ。

 

 そういったちゃんとした理由を話そうとしたその時、シノンはくっと顔を上げた。

 

 何度見たかわからない、涙でぐちゃぐちゃになった顔。基本、俺だけが見る事の出来る顔。

 

「あなたは……あなたは色んな事を私に教えてくれた。色んな事を私に与えてくれた。私の事を、全部受け入れてくれた。こんな事、あなたと出会うまで全然考えた事もなかった。

 私、あなたに死なれるのが一番怖い。今まで一緒に過ごしてきたあなたが、死んじゃうのが一番怖い。あなたが死んじゃったら、私はまたあの寒い世界に帰らされる、戻される……」

 

 シノンは俺の胸元をぐっと掴んで、またその中に顔を埋めた。

 

「もう嫌なの……戻りたくないの。あなたのいない世界になんか帰りたくない。もう一人は沢山なの、もう一人でいるのは嫌なの、もう忌み子扱いされるのは嫌なの……あなたのいない寒い世界なんか……いらない……あなたを守れないで、そんなのに戻るくらいなら……もう、死ぬ」

 

 最後に発した言葉に俺は思わず驚く。シノンは更に続ける。

 

「あなたが死ぬなら、私も一緒に死ぬ。あなたが死んだら自殺する。頭や首に矢でもナイフでも刺して、死ぬ。この世界のあなたが死んで、私の中のあなたも死んだら、私も一緒になって死ぬわ」

 

 シノンは更に俺の胸に顔を擦り付けた。

 

「だからお願いよ……一人で行かないで……私にあなたを守らせて……あなたと一緒に、戦わせて……私だって、あなたを守るために強くなったんだから……!!」

 

 シノンに発作を起こしてもらいたくなかったから。

 

 シノンに辛い思いをさせたくなかったから、俺はこの作戦にシノンを参加させないようにした。だけどそれ自体がシノンに辛い思いをさせてしまっているという事に、今になるまで気が付かなかった。

 

 もし俺が彼女の知らないところで死んでいたら、彼女は《壊り逃げ男》に発作を起こさせられるよりも遥かに大きな傷を負い、それこそ、イリスでも治療不可能なところまで行ってしまって、心を壊していたかもしれない。

 

 聡い彼女の事だ、それを既に予測していて、こうして俺の元へとやって来たのだ。俺に反対されたりする事も、勝手に飛び出した事をイリスに怒られる事、その全てを投げ出して。

 

「シノン、君は……」

 

「あなたは私を守ってくれる。私の居場所になってくれてる。あなたを守れないで死ぬ方が、銃を突きつけられるより怖くて、辛い。だから……守らせてよ、あなたの事……これまで生きてきた中で一番、大好きなあなたの事を……最後まで守らせて」

 

 シノンはしっかりと俺を抱き締めてくれており、既に全身に彼女の温もりが流れ込んできていた。だけどこのまま彼女を連れていったら、《壊り逃げ男》がきっとシノンを狙う。

 

 だから、連れてはいけない――そう思ったというのに、俺の身体はひとりでに動き、俺が世界で一番愛している人の彼女の身体をそっと抱き締め返していた。そしてその頃には、考えていた事が変わっていた。

 

「ごめんシノン。俺は君を守りたい一心で、君に第1層にいるように言って来たんだ。だけどそれでも、ずっと心のどこかで不安を感じてた。それが何なのかわからずにいたけれど、今ようやくわかったよ。君が傍にいない事を、不安に思ってたんだ」

 

「私だって同じよ。あなたが傍にいないのが怖かった。あなたの傍にいれないのが、不安だったんだから」

 

 今更になって、シノンをイリスの元に預けた時から感じていた不安の正体を察した。やはりシノンが傍にいない、大事な時にシノンの傍にいれない事に、俺は不安を感じていたのだ。

 

「……やっぱり、俺はシノンが近くいないと駄目みたいだ。大事なものは、自分の手で守っていたいんだな」

 

「え」

 

 シノンは顔を上げて、そのきょとんとしてしまったような表情を見せてきた。その顔を見つめながら、俺は答える。

 

「……来てくれてありがとう、シノン。やっぱり君の事は俺が直接守る。今度こそ、俺が《壊り逃げ男》から君を守るよ。だから、君も俺の事を守ってくれ」

 

「それって……それって……」

 

「あぁ。一緒に行こう」

 

 そう言うと、シノンは少しずつ顔を明るくしていき、やがてもう一度俺の胸元に顔を埋めた。

 

「ありがとう、キリト。勝手に出てくるようなことしちゃって、ごめんなさい」

 

「こっちこそ置いてきちゃってごめん。もうあの時のような事は繰り返さない。麻痺をかけられようが毒をかけられようが、動いて君を守るよ。本当、来てくれてありがとうな、シノン」

 

 互いに謝り合い、礼を言い合いながらしばらく温もりを感じ合ったところで、俺はシノンの身体を離した。その顔に目を向けてみれば、もう泣き顔はなく、いつものシノンの表情があった。

 

 そしてそれを、街の東の方から差してくる暖かい朝日が照らしていて、とても美しく思える――これを守りたいと思わない人間が、どこにいるというのだろう。

 

《済んだか》

 

 いきなり聞こえてきた《声》に俺達は少し驚きながら、その主であるもう一人の仲間の方に顔を向けた。シノンと同じように朝日を浴びて、その白金色の甲殻と毛を虹色に輝かせている狼竜・リランの姿がそこにはあった。

 

 先程までは俺の肩に乗っていたというのに、今は俺から離れてホバリングをしている。恐らくだが、俺がシノンに叩かれた時に肩から外れていったんだろう。

 

「リラン、役割をいきなり更新するけれど、いいか」

 

《お前だけではなくシノンも守れ、だろう。言われんでもわかっておるわ。いつもの事だしな》

 

 確かに、パーティの中にシノンがいる時は、リランはシノンも守ろうとしてくれる。だから、シノンを守る事もリランにとってはいつもの事なのだ。

 

「いいえリラン。あんたは今日、守るだけじゃないわ」

 

 シノンに声をかけられて、リランは俺からシノンへ視線を動かす。シノンは少し険しい表情を浮かべながら、宣言するように言った。

 

「あんたはあの時私を助けてくれた。だから今度は、私があんたを守る。一緒に《壊り逃げ男》を倒しましょう」

 

 リランはシノンの方を向いて驚いていた。そういえばシノンが《壊り逃げ男》に銃で撃たれた時に助けたもの、パニックを起こしたシノンを落ち着かせたのも全部リランだった。だからこそ、シノンはリランも守りたいと思っているのだろう。

 

《……シノン、お前は……》

 

 シノンの生真面目な瞳をしばらく見つめた後に、リランはフッと笑った。

 

《わかった。期待させてもらおうぞ》

 

 そう言って、リランは俺の肩に再び飛び乗り、前の方を向いた。

 

 今回は揃う事がないだろうと思っていた、いつもの攻略メンバーがこうして揃った事に奇跡のような感動を覚えながら、俺は朝靄に包まれつつも、朝日を浴びて輝いている100層へ続く強大な塔に顔を向けた。

 

「いくぞ。今度こそ、《壊り逃げ男》を止める」

 

 絶対に、シノンを《壊り逃げ男》から守ってみせる――そう思いながら、俺は守るべきシノンと共に歩みを進め始めた。

 

 




シノンさん、加わる。

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