キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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13:記憶の断片

 いきなり悪夢に苛まれ始めたシノンに声をかけてやっても、シノンは起きる気配を見せてくれなかった。そこで身体を試しに揺すってやったところ、そこでようやくシノンは目を開いてくれた。

 

 

「シノン、無事か?」

 

 

 シノンは何が起きたのかわからないような顔をしつつ、俺の目を見つめた。

 

 

「キリト……?」

 

「あぁそうだ。大丈夫か? 酷く(うな)されてたみたいだけど」

 

 

 シノンはリランの身体から起き上がり、片手で顔を覆った。

 

 

「なんか、すっごく悪い夢を見てた気がするんだけど、なんだっけ、思い出せないわ」

 

「もしかして、君の記憶に関する夢なんじゃないのか」

 

「そうかもしれない。でも、夢の中では思い出せてたみたいなのに、起きたら思い出せなくなった。何の夢見てたんだっけ、私は……」

 

 

 ふと、俺はシノンを見つめつつ考えた。シノンが眠っている時の苦悶の表情は尋常なものではなかった。明らかに、これ以上ないくらいに恐ろしい夢を見ていた事が窺える。シノンはもしかしたら、それを夢に見るくらいに、過去に恐ろしい目に遭ったのかもしれない。

 

 ……シノンはそれが何なのか気になって入るみたいだし、俺も気になっているけれど、果たしてそんな記憶を取り戻すべきなのだろうか。シノンが本当に過去に恐ろしい目に遭っていて、その記憶を失っているのであれば、思い出さない方がシノンにとっていいんじゃないか。

 

 

「なぁ、シノン」

 

「なによ」

 

「もしかして、それが君の記憶なんじゃないのか。その恐ろしい夢が、君の記憶」

 

 

 シノンが頷く。

 

 

「そうなのかもしれないわ。だけど、駄目だわ。急に思い出せなくなっちゃった」

 

「思い出さなくていいんじゃないかな」

 

 

 言うと、シノンは片手を顔から話し、目を丸くして俺を睨んだ。

 

 

「何言ってるのよキリト」

 

「そう言うけどさ、君が魘されている時の表情は尋常じゃないくらいに苦しんでたんだよ。もしそれを思い出したら、君は想像以上に苦しい思いをするかもしれないんだ。だから、思い出さない方がいいんじゃないかって……」

 

 

 シノンはきょとんとしたような表情を浮かべて、しばらく俺の事を見つめていたが、やがて空を見上げて、深く溜息を吐いた。

 

 

「確かに、その通りかもしれない。私はきっとろくな目に遭ってないんだわ。そしてそれを夢に見て、苦しんでいた。思い出したら想像以上の苦しみに襲われるかもしれない……あんたの言う通り、思い出さない方が吉なのかもしれないわ」

 

 やはりシノンもそう思っていたらしい。わざわざ苦しむ道を選ばなくたって生きて行けるはずだし、シノンもシノンのままでいられるはずだ。……そう思ったその時に、シノンは顔を俺と合わせた。

 

 

「だけど、断るわ」

 

「えっ」

 

「そう言ってもらえるのは嬉しいけどね、思い出さない方が苦しいのよ、私は。

 心の中はずっともやもやしたままだし、自分が過去に何をしたのか、何があったのかが気になって仕方がない。

 そんな思いをして生きていくくらいなら、どんな苦しみが待っていようとも、思い出した方がいいに決まってる。だからあんたの言う事には従えない。私は、記憶を取り戻す事を選ぶわ、キリト」

 

 

 思わずごくりと唾を飲み込んでしまった。

 

 シノンは恐れなかった。普通の人なら、記憶の中に酷いものがあった場合、思い出す事を拒否するはずなのに、シノンは自分からその苦しみに飛び込もうとしている。そうしなければ、記憶を取り戻せない事により苦しむだけだからと言って。こんな判断は、常人に出来るような事なのだろうか。いや、多分できない。

 

 シノンは、強い。だから、こんな事を言い出せるし、強くなろうと思えるんだ。

 

 

「……君は強いよ。どんな苦しみが待っていようとも、立ち向かっていこうと思えるんだから」

 

 

 シノンの顔が穏やかなものに変わる。

 

 

「それはあんたもでしょキリト。あんただって苦しみに立ち向かう事を恐れてないじゃない」

 

「え、俺そんな事してたっけ」

 

「してるわよ。HPをゼロにされれば本当に死ぬゲームなのに、みんなを守ろうと思って、恐ろしい敵モンスターに果敢に戦っていってるみたいじゃない。それに、周りから見れば厄介者にしかならないはずの私を、最後まで守るなんて事も言い出した。多分だけど、普通の人じゃこんな事は出来ないと思う。キリトも強いと思うわ」

 

 

 俺は頷いて、空を見上げた。俺が皆を守るだとか、シノンと一緒に居るだとか、そういう事を出来るのは他の人よりも強いからと言われた。だけど、その強さはまだまだ発展途上なはずだ。シノンもそうだけど、俺ももっと強くならないと、他のプレイヤーも、シノンも、そしてリランも守れない。

 

 

「俺も強い、か。だけど、今の強さじゃ到底満足できそうにないな。君やリランと同じように、俺ももっと強くならないとな」

 

「それは私も同じ。私も、もっと強くなる事を選ぶわ。キリト、リザードマンはもういいから、次の敵がいる場所に行きましょう」

 

「そうだな。次は8層まで駆け上がろう。そこで剣と盾持ち、槍持ちのスケルトンと戦うんだ。そいつらは結構手応えあると思うし、戦えば腕が上達すると思うよ」

 

「わかったわ。休憩終了、8層へ向かいましょう」

 

「よし、行こうぜリラン。次は8層だ」

 

 

 リランは《承知した》と言って立ち上がった。そういえば、さっきからずっとリランは黙っていた。普通なら一言二言口を挟んでくるっていうのに。

 何だか珍しいなと思って立ち上がったその時、リランは俺達に《声》をかけてきた。

 

 

《キリト、シノン。辛くなったら我を頼れよ》

 

「なんだよ急に」

 

《なんでもない。ただ、辛くなっても一人で抱え込もうとするでないぞ。お前達には我がいる。その事を忘れるな》

 

 

 シノンがクスリと笑って、リランの身体を撫でた。

 

 

「忘れないわよ、あんたほど常識はずれな存在の事を。寧ろあんたを忘れるって事の方が難しいと思うわ」

 

 

 確かにリランは俺達プレイヤーと同じように喋るけれど、姿形は特徴的な部分をいくつも持っているドラゴンだ。他のプレイヤー達を忘れてしまったとしても、リラン程の奴ならば、忘れる事はそうそうないだろう。

 

 

「俺も同じ意見だ。リランを忘れるのは難しすぎる」

 

《そうか。ならば我も安心出来る》

 

「頼りにしてるぜ、相棒。それじゃあ、次は8層だ」

 

 

 俺はシノンとリランを連れて街へ戻り、8層へと進んだ。この調子ならば本当に5日で50層に辿り着いてしまいそうだ。いや、きっとシノン程意志の強い人ならば、本当に50層に辿り着けるだろう。

 

 

 

            ◇◇◇

 

 

 

 アインクラッド22層 ログハウス 午後7時

 

 俺達は修行を終えて家に戻ってきた。シノンの成長はやはり目まぐるしく、多彩な武器を装備したスケルトンさえも、あっさりと撃破してしまった。それでもなおシノンの強い者との戦いを望む意志は止まらず、その後も10層、13層、17層、21層、22層と上がってきて、ここまで辿り着いてしまった。

 

 その間にもシノンは多彩な敵と戦ってその動きや節、行動パターンや立ち回りなどを身に付けて行った。それこそ、まるで強さを求める事こそが全てのように。そうした結果、予想を遥かに上回ったこの層まで来てしまったわけだ。

 

 これなら明日明後日にでも50層に辿り着いてしまいかねないし、シノン自身も急成長を遂げたかのごとく、もう攻略組に居てもいいんじゃないかと思えるくらいに強くなっていた。レベルだって1上がって、56レベルになっている。

 

 俺とリランは75レベルのままだが、そもそも攻略組の中でこのレベルに達している物はディアベルやアスナと言った精鋭、本当に極少数で、他の者達を見てみても、最も高くて65レベル、低くてシノンと同じ56レベルくらいだ。

 

 シノンは既に攻略組に迫ってきているし、強さの方はもう攻略組の中層グループに追いついているんじゃないかと思えるくらい。

 

 

「すごいなシノン。まさか一日でここまで登ってしまうなんて」

 

 

 シノンが飲み物を口にしながら椅子に寄りかかる。

 

 

「低層の敵は手ごたえがないのよ。21層まで来たところでようやく若干の手ごたえが出てきたような感じよ。21層まで来たところで、敵のレベルは23くらいでしょ」

 

「まぁね。この城の層の数と、敵のレベルはほぼ同じなんだよ。一層上がる毎に敵のレベルも一つずつ上がっていくような感じだ」

 

「そうなると、私のレベルは既に56層の敵を相手にしてもいいくらいになっているわけね。じゃあ次はもっと高いところに行ってもいいんじゃないの」

 

 

 いや、そうでもないのが現実だ。実のところ、45層を超えた辺りから、敵の行動パターンにイレギュラー性が出てくるようになり、45層でしかないはずなのに敵のレベルは50とか52とかがざらになっている。

 

 層を上がる毎に、その層+1から7までの不規則な数字が敵のレベルになりつつある。だから自分のレベルが層の数よりも大きくても、その層の敵に苦戦を強いられる事も珍しくない。

 

 

「実はそうじゃないんだよシノン」

 

 

 シノンは目を丸くして、俺に目を向ける。そこで俺はこれまでわかっている事をシノンに話した。

 

 

「敵のレベルはその層プラス1から7までのどれかになってる、ですって?」

 

「あぁ。だから45層付近まで行ったところで、敵のレベルは君のレベルである56に追いつきかけ。目標の50層まで来たところで君は敵のレベルと同じになるんだ。だからあまり油断は出来ないんだよ。まぁ少なくとも40層までは君のレベルの方が高い計算だから、どうにかなるだろうけれど」

 

 

 シノンは溜息を吐いた。

 

 

「なら早く50層まで行かないとね。そこまでくれば、強くなったっていう実感が沸くでしょうし」

 

「君は怖くないのか。敵が強くなるんだぞ。下手すれば命を奪われるかもしれないのに」

 

 

 シノンは表情を険しくして、飲み物を口元から離した。

 

 

「怖いと言うよりも、見たいが強いわね。強い敵はどんなものなのか、見てみたい。それになんだか、怖くないのよ、そういう事を言われても」

 

「何故だ。普通のプレイヤーなら自分のレベルに敵が追い付かれる恐怖を抱くと言うのに」

 

 

 シノンはふっと鼻で笑って表情を和らげた。

 

 

「普通じゃない人と普通じゃないドラゴンに守られているからよ。あんたとリランのレベルは75レベル……56レベルの敵なんか相手じゃないくらい高いし、それにあんた達の戦闘技術は私よりもはるかに高いんでしょう。そんな人達が守ってやるって言ってるんだから、安心以外に何を抱けばいいのかしら」

 

 

 確かに、俺とリランのレベルは75レベル、50層の敵なんか目じゃないくらいに強いし、何より俺はシノンに何かあったらすぐさま駆け付けるつもりでいるし、そもそもシノンが修行をしている時は常に近くで監督をしている。

 

 もしかしてシノンの調子が良さそうにみえるのと、シノンが妙に軽やかに動いて力を振るえるのは、俺とリランという存在が近くにいるからか? 俺がシノンの立場にいるのであれば、確かに安心を抱いて戦う事が出来る。強い者が出てきても近くにいる仲間と手を合わせて戦う事が出来るんだから。

 

 

「もしかして君が恐れずに戦っている理由って……」

 

「あんた達が近くにいるからかもね。あんた達が守ってくれるって言ってるし、常に身構えてくれているから、私はどんな敵も恐れずに立ち向かっていけるんだわ。この調子なら、50層の敵も怖くない」

 

 

 思わず驚いてしまった。あの時、シノンの事は俺が守るって言ってやったけど、まさかそれがシノンに安心感を与えて、敵を恐れず戦う力を更に与えているとは思ってもみなかった。

 

 

「そうだったのか。だからシノンの調子は良かったんだな……」

 

「何よ、まるで私があんなふうに戦うのは予想外だったみたいに」

 

「予想外だったんだよ。まさか君があんなふうに戦うなんて、全然考えてなかったんだ。それに、俺とリランがいるって事、そんなに重要だったなんてのも、思ってもみなかった」

 

「それもこれもキリトとリランが近くにいてくれたおかげよ。これからもお願いね、二人とも。私はまだまだ進むつもりでいるから」

 

「了解ですシノン殿。しっかりサポートさせていただきますんで、ご安心下さい」

 

「よろしい」

 

 

 そう言って、シノンはぐっと飲み物を飲み干したが、その様子を見ながら、俺は心の中で考えた。

 

 そうだ、俺はこれだけのシノンを安心させる事が出来ている。もしかしたら社交辞令か何かかもしれないけれど、何も知らなかったシノンを守りつつ、力を付けさせる事が出来た。これからもっときつくなるだろうし、攻略の方の危なくなるだろうけれど、シノンの事は守っていかないと。

 

 心の中で決めたその時に、シノンは何かに気付いたような顔になった。

 

 

「そうだわキリト。今日はここまで付き合ってくれたお礼に、何か作ってあげるわ」

 

「え。何か作るって」

 

「料理よ。昨日少し思い出したんだけど、私は料理が作れるみたいなのよ。せっかくキリトがキッチンが付いている家を買ってくれたんだから、キッチンを生かして、料理を作りたいわ。キリト、何が食べたい?」

 

 

 思わず苦笑いをした。確かにこの世界で食材を使って料理をする事が可能だし、それを食べる事も出来るんだけど、この世界での料理は料理スキルに依存しており、料理スキルを上げておかないと料理したって「でろでろなもの」や「コゲ肉」みたいなものが出来上がってしまう。

 

 シノンは現実世界では料理が出来ていたみたいだけど、残念ながらこの世界では料理スキルが無ければどうにもならない。俺も少し興味を持ってあげた事はあるけれど、結局中途半端な90ポイントまでしか上げられず、途中でやめてバトル系統の方にポイントを回す事になった。

 

 

「気持ちは嬉しいんだけどシノン、それはちょっとかなわないんだ」

 

「え、なんで。私料理できるよ。それとも私の料理が食べたくないとか」

 

「いやいやそういうわけじゃない。この世界の仕組みの一つに、料理は料理スキルがないとできないようになってるっていうのがあるんだ。だから、シノンが料理を出来るかどうかは料理スキルがあるかどうかを見ないと何とも言えない」

 

「何よそれ……何その完全なるスキル頼みは。スキルなんて戦闘だけだと思ってたのに」

 

「とにかくスキル表を開いてみてくれ。そこに料理っていうのがあるはずだ」

 

 

 シノンは渋々了解してスキル表を開いた。椅子から立ち上がってシノンの背後に回り、一緒にスキル表を確認してみたところ、驚くべき数字がそこにあった。シノンの料理スキルの値に、300という俺よりも高い数字が現れている。300ほどあればとりあえず料理をする事は可能だ。

 

 

「何でこんな数値が……だけどこれだけあれば大体の料理は作れるな」

 

「そうなの。じゃあ試しにカレーを作ってみようと思ってるんだけど、どうかしら」

 

「カレーか。それなら300の料理スキルでも実現可能だ。やり方はわかるか」

 

「わからないわね。というか食材とかも、どう使えばいいかもわからないし。というか食材はあるの」

 

 

 俺はアイテムストレージを確認した。シノンと共にこの城を駆け上がる最中に、寄り道をしていくつかの食材を手に入れておいたのだ。今ある中でもカレーの食材は揃っているし、味を向上させる「+α」素材もいくつかある。

 

 十分に料理できそうだが、問題はシノンが料理の仕方を知らないうえに、俺自身も煮込み料理とかが出来るくらいにまで料理スキルを成長させる事が出来なかったから、どうすればいいのかわからない。気になるけれど、どうすればいいのかわからない……。

 

 

《いっその事マニュアルのようなものを探してみたらどうだ。料理のやり方とかもそこに書いてあるかもしれんぞ》

 

 

 リランの《声》が聞こえてきて、俺はハッとした。そういえば、一応ウインドウの中を探していくと、取扱説明書だとかそういうものがあるんだった。確かその中にスキルに関する分厚い説明書があったはずだから、それを捲れば見つかるかも。

 

 

「シノン、ウインドウを開いて説明書を探してみてくれ。スキル関連の詳細が書かれてる説明書があるはずなんだ」

 

 

 シノンは早速ウインドウを開き、その中を隈なく探し始めたが、すぐさま反応を示す。

 

 

「あったわ。スキル解説書……目次……料理スキルについて……調理……レベル上げ……ふぅーん」

 

 

 何やら勉強でもしているかのような雰囲気を醸し出してマニュアルを見つめているシノン。俺でも一番最初はあんな感じにマニュアルを眺めたものだが、その時の事を思い出せるくらいにシノンの様子は俺に似ていた。

 

 それから間もなくして、シノンは俺に振り返って来た。

 

 

「やり方わかったわ。あんたの言う通り、今の私のレベルならカレーくらい簡単に作れる。材料持ってるなら、キッチンに出しておいてくれないかしら」

 

 

 言われるままキッチンに向かい、ウインドウをダブルクリックして食材達をキッチンのテーブルの上に出現させると、一緒にトレーが付いてきて、食材達はトレーの上に載っていた。なるほど、SAO内で真面目に料理をする時はこんな感じなのか。

 

 テーブルの上の食材達をまじまじと見つめていると、シノンがウインドウを開きながら、片手に調理ナイフを持って歩いてきた。

 

 

「へぇーっ、現実世界のカレーの作り方は結構手順があるっていうのに、この世界のは随分と簡略化されてるのね。というか簡略化しすぎじゃないかしらコレ」

 

 

 シノンは調理ナイフを手に、俺が用意した食材達をぽん、ぽんと軽く叩いた。直後、食材達はまるで包丁で調理されたかのごとく、一口サイズと言える大きさに変わった。

 

 そしてシノンは近くにあった金属製の鍋を持ちこんで、水を張り、続けてトレーの中に入っている食材を鍋の中へ投入し、更にカレーの元となる香草などを適量放り入れ、このログハウスに搭載されていた薪オーブンにそそくさと運び込み、ウインドウをちらと見た後に、煮る時間を設定した。

 

 まるで川のような流れ作業にリランと二人で目を丸くしていると、シノンは一息ついた。

 

 

「つまらないわね。カレーを作るっていう作業も結構楽しいのに。やっぱり簡略化しすぎだわ」

 

 

 その口ぶりは本当に現実で料理をしていたような口調だった。どうやらシノンが記憶を若干取り戻しているというのは間違いではないらしい。

 

 

「キリト、カレーの食材はあったけれど、お米は? まさかカレーだけ食べるわけじゃないでしょ」

 

「あ、うん。米も大量に取っておいたから、使ってくれ」

 

 

 そう言って、俺は現実世界の米に該当する食材を呼び出した。直後にシノンは同じ金属製の鍋のようなものを持ってきて米をその中に流し入れ、水を張って、今度は竈の中へと入れて、調理開始ボタンをクリックした。その後で、両手を腰に当てて溜息を吐いた。

 

 

「お米も磨ぎいらずなんて、ずいぶんと簡単、というか簡単過ぎね。さ、これで準備が終わったわ」

 

「今のって、何をやってたんだ。全部マニュアルどおりか?」

 

「えぇそうよ。随分とご丁寧に書いてあったから、わかりやすくてよかったわ。でもこの世界の料理は簡略化しすぎててつまらないわよ。多分私以外に料理をしている人も同じ事をぼやいてると思う」

 

 

 そうなのかと苦笑いしてしまう。あの短時間でマニュアルを読み漁るなんて、何という読書力なんだろう。多分だけど、シノンは戦闘力だけじゃなくて、読書力と女子力も高い。色んなものが、とにかく高いんだ。

 

 

「あ、しまった。リランのご飯はどうすればいいのかしら。犬はカレーなんて食べられないけれど……」

 

《我は犬ではないから、お前達と同じものを頼む》

 

 

 シノンは驚いたようにリランを見つめる。

 

 

「あんたカレー食べるんだ、そのなりで」

 

「まぁさっき巨像の腕を食ってから驚く事でもないかな」

 

 

 リランはふんと鼻を鳴らす。

 

 

《でもまぁ、シノンの料理の腕に期待するとしようぞ。だが、どのようなものが出来上がるか不安ではある》

 

「そんなものは作らないから安心して頂戴。というか、ここでそんなものを出したら、せっかく修行に付き合ってくれるあんた達に申し訳が立たないわ」

 

「そうだな。シノンの料理は安心して食べられる。うん」

 

「わかったなら、食器を用意して頂戴」

 

 

 俺は頷いて、近くにある食器棚に手を伸ばした。

 


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