「《壊り逃げ男》は犯罪者だが、その技術力はすごいものだって、俺はつくづくそう思うんだ」
朝靄に包み込まれつつも、朝日を浴びて煌めいている、石造りの塔を目前にしたキリトが呟く。
この塔の正体は紛れもなく、100層と99層を繋ぐ一本道であり、最後の迷宮区と言えるものだ。この迷宮区を超える事が出来れば、攻略組は最後のダンジョンである紅玉宮へ到達し、ラストボスとの戦いが可能になる。
第1層から攻略を始めた時にはとても遠いものだと感じていたものが目の前にある事を、キリトは少し信じ難く感じていたし、これが現実ではないのかもしれないとも思っていた。
しかし、第1層から100層を目指す冒険の途中で出会ったシノンとリランの存在が、キリトに確かな現実感を与えており、それを強いものにするために、キリトはシノンに軽い話をしていたのだった。
「《壊り逃げ男》……名前の由来は確か、色んな物を壊してしまうから、だっけ」
「リーファによるとな。警察のインターネットもそれで逝ったらしいし、更にテレビ局やネットにもハッキングを行い、マスコミへの警察や政財界の重鎮達の癒着、賄賂、捏造、その他偽装工作などを全て全国放送させたらしいな」
実に様々な工作を行って、邪魔する者達を再起不能になるまで徹底的に破壊するやり口から、付いた名前が《壊り逃げ男》。その名前をSAOに閉じ込められる前からキリトは知っていたが、公共機関にまでその破壊工作を行っているという話は、SAO開始から二年が経過した今年、《壊り逃げ男》の工作によってやってきたとされるリーファから聞くまで知らなかった。
「リーファの話だと、SAO事件並みの報道がされてたらしいけれど……シノンは知らなかったのか」
「うん。テレビはほら、拳銃とか出てくる事が多いから、イリス先生に止められてたし、くだらない番組ばっかりで興味を示す事もなかったから……でも、ネットのニュースとかでだったら見た気がするかも」
キリトの近くを歩く、天の使いを思わせるような姿をした狼竜・リランがその頭の中へと《声》を送る。
《それを調べようとは思わなかったのか》
「興味を持てなかったのよ。あの頃は今よりも物事に興味を持ったりしなかったから。
でも、今や日本中を騒がせているサイバー事件の数々が、全部《壊り逃げ男》のやった事なのだとしたら、《壊り逃げ男》はとんだ大罪人よ」
もし《壊り逃げ男》を逮捕する話になったならば、株価操作、情報収集、政治妨害工作、テロ、電子計算機損壊等業務妨害罪といった複数の容疑がかけられ、終身刑や無期懲役が課せられると思われているが、警察もマスコミも、政治家達さえも後ろ暗いところを暴露されてしまう事を恐れて、《壊り逃げ男》逮捕へ漕ぎ付く事が出来ない。
現に《壊り逃げ男》の工作によって不正や賄賂、癒着を国民に知られてしまい、その職を追われる事になった警察の重鎮や政治家達は三ケタに及ぼうとしていると、リーファは言っていた。
「だけど、そういう話を聞くと、つくづく《壊り逃げ男》にはこう言いたくなる」
「なんて?」
「何でそれだけの抜きん出た技術力を持っているのに、平和活用できないんだって。
あいつの技術力があれば、色んな技術の発展に貢献できるはずなのに」
少し残念そうな顔をしている主人に向けて、狼竜は塔を見上げつつ言う。
《賢い者は力を見せびらかそうとはせぬ。だが、《壊り逃げ男》は自らの力を大衆に見せびらかすような奴だ。人並み以上に技術はあっても、人並み以上の賢さは持っていなかった。その結果として、そのような存在へと堕落してしまった――所謂愚か者だ。そんな奴には、負けたくないな》
狼竜の見つめる先に聳える石造りの巨塔。しかし、狼竜はその壁面を見ているのではなく、その中にいるであろうアインクラッド最大の異変の正体であり、自分達攻略組が100層に辿り着く事を邪魔しようとしている障害、《壊り逃げ男》に向けられている事を、キリトとシノンはすぐに理解できた。
「さてと、行くとしようか。蛇が出るか、鬼が出るか……」
《偉大なる狼竜に、蛇も鬼も勝てはせぬ》
「リランにも期待しているけれど、私だってキリトを守るんだから」
いつもならば何人もの仲間でレイドを組んでボスに挑むが、今ここにいる攻略組はキリト、シノン、リランのみ。圧倒的に戦力も突破力もないはずなのに、キリトは負ける気というものを一切感じておらず、そればかりか心の中に不思議な安心感が満ちているのを感じ取っていた。
「よし、いくぞ」
キリトの静かな号令と共に、僅か三人の攻略組は、最後の迷宮区を目指して歩き始めた。だが、フィールドそのものがもう迷宮区と言えるくらいに狭かったので、大して時間をかける事無くキリト達はその鬱蒼とした巨大な石扉の前に辿り着いた。
そこへキリトが手をかざすと、客の到来を察知したかのように石扉は轟音を立てながら開いていき、瞬く間に完全に開いてしまい、中身をキリト達に見せびらかしたが――それを見たキリト達は少し驚いてしまった。
100層と99層を繋ぐ塔。外から見た時にはこれまで見てきた迷宮区のそれとほとんど変わりがなかったが、その内装は赤一色に染められている宮殿のようなものだった。
壁を見てみれば金色の装飾が施されていたりするし、床をよく見てみれば大理石によく似た質感を持つチェック柄。けれど、どこもかしこも目が醒めて痛くなるような紅一色だった。
中を照らしている照明は全て金色の光を放っているけれど、周りが余りに強い紅であるためか、紅い光にしか見えてこない。
「今までと雰囲気がかなり違うな……」
「見渡す限りの紅一色ってところね……なんだか目が痛くなってくるわ」
シノンが眩しそうに目を擦る中で、人間よりも視力の優れている狼竜・リランは頻りに瞬きを繰り返し、床に俯く。
《我もこれはきついぞ。早く抜けてしまいたいところだ》
視覚や聴覚に厳しいダンジョンは早く抜けてしまおう――いつもならばそうするところだが、今現在のここは《壊り逃げ男》が潜伏場所として選んでいる可能性の高い危険なダンジョンだ。
いつ何か起きてもおかしくないから、用心しなければならないという考えを、キリトはダンジョンに挑む際に必ず持っていたのだが、今はそれがいつもよりも大きなものに変わっていた。
現に、この紅き宮殿に足を踏み入れてから、身体が重くなったような錯覚を感じている。まるで、ここには大きな危険が潜んでいる事を動物的な本能で察しているかのようだった。しかし、そのはずだというのに、いくら索敵スキルをかけてもモンスターの気配を察知する事が出来ない。
「目が痛くなるのはわかるけれど……問題は《壊り逃げ男》だ。リラン、何か感じないか」
主人の名を受けた狼竜は身構えて、人間の持つそれよりも強力になっている索敵スキルを展開する。しかし、それから数秒もしないうちに身構えるのをやめて、首を横に振った。
《何も感じぬ。《壊り逃げ男》どころかプレイヤーやNPCの気配も、モンスターの気配さえも感じないぞ》
「お前でも無理という事は……《壊り逃げ男》が全てを消し去ったと考えるべきか……障害がないのは好都合だけど、更に気を引き締めていかないとだな」
そう言ってキリトが進み始めると、シノンもまた音を立てないように、リランは大きな音を立てながら紅き宮殿の中を歩き始めた。
本来は金色の光が照らしているはずなのに、周りが紅いせいで光も紅に変色している、紅だけの世界。その中を靴音を鳴らしながら歩いているが、やはり音を聞き付けたであろうモンスターが姿を現す事も、宮殿を守るために配備されている警備兵の姿も見えてこないし、気配すらもない。静寂だけがそこに存在している、完全に無人の宮殿。
なのにその廊下を進んでみればいくつもの扉を見つける事が出来て、その扉を開けてみれば、中に広がっていたのは巨大な厨房だったり、寝室だったり、客間だったりした。
無人ではあるものの、生活をする事そのものは出来る――いや、もしくは人が住んでいたように感じられて、キリトはどこか不気味さというものを感じざるを得なかった。
出来る事ならば、こんな不気味な宮殿は早いところ抜けてしまいたい。そのためには早いところ《壊り逃げ男》を見つけなければ――そう思ってキリトはいつも以上に広域に索敵スキルを展開するが、《壊り逃げ男》らしき気配が捕捉される事は一切なかった。
「何もいないな……」
「えぇ。全く何も見えてこない。ここは真の意味で無人らしいわね」
聞こえてきたシノンの声に、キリトは軽く安堵する。《壊り逃げ男》は、音無く忍び寄ってプレイヤーを拉致するなんて事を、平然とやってしまえるような存在であるため、もしかしたら自分の気付かない間にシノンやリランが居なくなってしまっているなんて事があるのではないかと、無意識のうちに心配をしていた。
《実に面妖なところだ……かつての《壊り逃げ男》の巣を思い出させるな》
「あぁ。不気味だけど、潜伏するにはうってつけの場所だ」
しかし、未だに《壊り逃げ男》の言っていた制裁のようなものがくる気配がない。もし、あの言葉通りならば、今頃自分達にはこの領域に侵入したという罪状の下、何かしらの制裁のようなものがあるはずだが、未だにそのようなものが着そうな気配も、それをするための罠にかかったような感じもない。
「けれど、あまりに何もなさ過ぎて不気味だな……ん?」
目の前に広がってきたものを見たその時に、キリトはその足を止めた。まるで巨大な会場に繋がっているかのような、巨大な扉がいつの間にか姿を現してキリト達の前方に立ち塞がっていた。
その扉の質感は床のような大理石のそれに近いが、金色の刺繍にも似た模様が走っており、どこか豪華さを感じさせるようなものだったが――第1層からこの99層まで上がってきたキリトからすれば、その正体は安易に掴めるものだった。
「この扉は……」
「ボス部屋の扉によく似てるな。という事は……この先がボス部屋って事か」
宮殿の中が余りに生活感のあるものだったせいで忘れていたが、ここは100層と99層を繋ぐ塔、即ち迷宮区だ。迷宮区はどんな内装であろうとも必ず次の層への階段と、それを守るような形のボス部屋が設置されている。
そしてリランを連れてボス部屋の扉を見つけた時には、リランは中にいるボスの気配に身構えて喉を鳴らす。こんな無人の宮殿の中、孤独であろうともボスはいるかと思ってリランに顔を向けてみるが、リランの表情はボスを警戒しているようなものではなく、身構えている様子もなかった。
「リラン、何も感じないか」
《感じぬ。この先にボスはいないのではないか》
リランの反応を、キリトは不思議に思った。この塔を外から見た時には、まるで複数のフロアが重なって出来ているような構造に見えていた。これまで見てきた迷宮区とは全く違う構造――その事から、99層の迷宮区はボス戦を連戦して登り詰めていく、所謂ボスラッシュ制になっていると、様々なゲームをプレイしてきたキリトは予測していたのだった。
「俺はてっきり連続ボス戦だと思ったんだが……ボスの気配がないとなると……」
「《壊り逃げ男》がこの先に潜伏している可能性がある……そう考えてよさそうね」
これまで探してきた中に《壊り逃げ男》らしき存在は確認されなかった。この事から単純に考えれば、この大扉の先に《壊り逃げ男》がいるという結論に辿り着く。
ボス部屋の目の前にいるというのに、ボスの気配が感じ取る事が出来ないという事は、《壊り逃げ男》にボスが消滅させられてしまったからだろう。
「……リランがいるとはいえ、《壊り逃げ男》との戦いになるかもしれない。準備はいいか、シノン」
「そういうあなたこそ、準備はいいんでしょうね?」
シノンの強気な顔を見て、キリトは不安と安堵を同時に感じた。以前《壊り逃げ男》の巣に飛び込んだ時には、《壊り逃げ男》はシノンを執拗に狙い、発作を無理矢理起こさせた。あんな事になった後だ、シノンは間違いなく《壊り逃げ男》に強い恐怖を感じているはずだが、それを見せないように必死になっている。
その様子はまるで、張りつめて切れそうになっている糸のようだった。
「……本当に、行くんだな」
「いけるわ」
シノンの顔をしばらく見てから、キリトは目の前に向き直った。
「わかった。いくぞ」
キリトが音無く戸に手を当てた直後、この宮殿の入り口の時のように重い音を立てながら扉はゆっくりと開き、同じように内装を見せつけてきたが、それを目にしたキリト達は、驚く事はなかった。
荘厳なる扉の先に広がっていたのは、紅を基調とした壁や床に、金色の装飾などが施されている、それこそ
しかしその大きさはあまりに広大で、舞踏会などに使うものではなく、戦闘に使うものである事が一目見ただけでわかった。その中へと入り込んで、キリトとシノンはそれぞれの武器を構えてボスを探す。
あちこちに小さな階段や台があり、天井を見れば大きなシャンデリアが吊るされている。ボス戦の会場にするにはもったいなさすぎるくらいに、メルヘンチックな部屋だった。だが、広がっているのはそういう景色だけで、問題のボスや《壊り逃げ男》の姿は確認できない。
そして、キリトはある事に気付いて、ここでボス戦発生しない事を察した。――ボス戦になれば縮むはずのリランが、そのままの姿を保っているのだ。
「ボスはいないみたいだな……」
《あぁ。一切ボスの気配は感じぬ。ここにはボスはいないようだ》
武器を構えるのは止めたが手放さず、そのまま周囲に歩き出す。こつん、こつんという靴音が周囲に木霊するが、それを妨げるようなものもない。無人どころか無ボスの迷宮区。それは宛ら、暴走したマーテルによってモンスター達が完全に駆逐されてしまった層を思い起こさせてきた。
「ここまで何もないと、本当に不気味極まりないわね」
たとえボスが居なくとも、ここにはボスモンスターよりも恐ろしいものが潜んでいる。《壊り逃げ男》という、全てのプレイヤー達を狙っている悍ましき魔物。その姿を必死に見つけようとして、シノンは弓矢を構えつつ周囲を見回し続けるが、やはり広がっているのは舞踏会会場、そしてその中にいるのは自分とキリトとリランだけだった。
「あれ、団長!?」
急に部屋の奥から声が聞こえてきて、キリトとシノン、リランは飛ぶように驚き、声の方向に身構えた。舞踏会会場の奥、壁の近くに白と金色を基調とした鎧戦闘服を身に纏い、腰から細剣を下げて、頭に金色の装飾品を付けている金髪の男性の姿があり、それを確認した途端に、三人揃ってきょとんとしてしまった。
「お前……アルベリヒ!」
ある日突然血盟騎士団に入団し、その腕前で攻略組を支えてきた重鎮プレイヤーの一人、アルベリヒ。キリトがその名を呼んでやると、アルベリヒは靴音の木霊する部屋の中を小走りして、キリト達のすぐ傍までやってきた。
「何で団長達だけなんですか。ここは99層ですよ」
「いやいやいや、お前こそ何で一人でここにいるんだよ。ここはボス部屋だろが」
「団長は聞かなかったんですか、あの時の世界の総帥とか言う奴の話を」
「聞いたよ。だけどあいつは世界の総帥なんかじゃない。あいつの本当の名前は《壊り逃げ男》だ」
団長であるキリトから発せられた単語に、アルベリヒは驚いたように反応を示したが、すぐさま険しい表情に顔を変える。
「《壊り逃げ男》……確か、《ムネーモシュネー》の連中を率いていて、僕達プレイヤーに人体実験をやっていた奴、でしたね。そんな気はしてました」
「察しが良いようで何よりだ。そして俺達はあれを《壊り逃げ男》と断定した後に、99層にあいつがいると思ってここに来たんだ。お前は?」
アルベリヒは何かを探すように周囲を見回しつつ、言葉を紡いだ。
「ほら、あいつはあの時、99層に来たやつに制裁を下すみたいな事を言ってたじゃないですか。だけど僕達の目的地は99層を超えなきゃ辿り着けない場所にありますから、気になりまして。こうして仲間に何も告げないで、個人的推論に則って調査に来たんです」
「おいおいおいおい、そりゃ駄目だろ。いくらお前が強いからって、仲間に何も告げないで行くなんて……」
「そういう団長だって、連れている仲間はシノンさんとリランさんだけじゃないですか。僕はあくまで血盟騎士団の一端のギルド員ですけど、団長は血盟騎士団の団長。僕がここに来た事と、団長がここに来た事、どっちが重大な問題ですか」
アルベリヒはあくまで血盟騎士団の団員の一人でしかないから、何かあったとしてもそこまで大きな問題にはならないが、血盟騎士団の団長であるキリトに何かあったりしたならば、攻略組全体に問題が及んでしまう。アルベリヒの言葉にキリトは反論出来なかった。
「……悪かったよ」
キリトが頭を掻きながら謝ると、シノンがその隣に並んでアルベリヒに声をかけた。
「アルベリヒ、あんたは私達よりもここに長く居るのよね。私達はここに《壊り逃げ男》がいると思って来たわけなんだけど、何か見つけてないの」
アルベリヒはシノンの顔を軽く見た後に、身体全体を回して周囲に気を配り始める。
「すみません、僕もこの層に何かあると思って来たんですけれど……何も見つけられてないんです。モンスターにも遭遇しませんでしたし、こうしてボス部屋に入ってもボスはないしで……ここって一体何なんでしょうか」
「多分、《壊り逃げ男》がここにいたモンスター達を全部消したんだ。あいつは何でもできるような奴だからな。だけど、俺達よりも先にいるお前にも見つけられてないとなると……というか、この上はないのか」
「上、ですか」
この塔が五つの階層を重ねたような構造になっており、これはボスラッシュが用意されている事を意味する。ボスラッシュを切り抜けて、100層に辿り着く構造になっているのがこの迷宮区である――キリトはこの塔について考えていた事を全て、アルベリヒに話した。それが終わる頃には、アルベリヒは少し困ったような顔をしてキリトの方に顔を向けていた。
「所謂ボスラッシュって奴ですね。しかし、そのようなものは見当たりませんよ。そもそも、上に行く階段と言いますか、とにかく上に行く方法も見つかってませんし」
「なんだって。それじゃあ上に行けないのか」
「それはないでしょう。多分この上に続く道を開くギミックのようなものがどこかにあるはずです。一緒に探しましょう」
この塔は間違いなく100層と99層を繋ぐ迷宮区だ。必ずこの上に昇るためのギミックは存在している――そうでなければ、このゲームをクリアする事が出来なくなってしまうし、そのような構造に茅場晶彦が作っているわけがない。
「ボスを倒して、尚且つスイッチを探すギミックとして構成されてたのか? まぁいいや、とにかく探してみるとするか」
上に昇る手段は絶対にある――それを既に自覚していたキリトは、アルベリヒに頷き、シノンとリランに号令をかけて部屋の中を歩き始めた。そして壁や床にスイッチらしきものなどはないか探し始める。
よくよく考えてみれば、この部屋の中は様々な装飾が成されているため、スイッチなどを隠すのには最適な場所だった。まぁ、本来はボス戦を行うための部屋なのだが。
「それにしても広い部屋ね……こんな大きな部屋の中で小さなスイッチを見つけるなんて、骨が折れそうだわ」
「仕方がないさ。本当はボスを倒せばスイッチが出て来そうなものだけど、そのボス戦がないんだから、こうやって地道に探すしかない。というか、本来あるべきものがないっていうのも、なんだかやな気分だぜ」
本当ならば、今頃攻略組の者達と一緒にレイドを組んでボス戦をやっているはずなのに、肝心な迷宮区の中にはモンスターはおらず、ボスすらも存在していない。だけど上に昇る手段はあるだろうからそれを探す。いつもとは全く異なる内容の攻略に、キリトもシノンもリランも、どこか複雑な気分だった。
その中で、シノンは壁を中心にギミックを探していた。部屋の壁は目をじりじりと痛めつけてくる紅色だったが、そこには植物模様にも魔法模様にもよく似ている金色の装飾が施されており、豪勢さというものを醸し出している。
「……それにしても、豪勢な作りだ事」
キリトやアルベリヒはボス戦に使うための大部屋だと言っているが、こういった細かい部分を見ていくと、本当にそういう目的のために作られた場所なのかと疑問になってくる。それくらいにまで、この部屋の内装というものは、豪勢に作り込まれている。
「……ん?」
そんな事を考えながら壁を眺めつつ歩いたその時、シノンはあるものを見つけて足を止めた。紅い壁に施された豪勢な金色の装飾の中に、不自然なまでに突き出ている部分があった。まるで、如何にも押してくださいと主張しているかのように。
それこそ、見方を変えればスイッチにも見えなくもなかった。
「何かしら……これ」
もしかしたら何かのトラップを発動させるものかもしれない――普段ならそう考えて推すのを躊躇うのだが、シノンはそんな事は一切考えず、突き出ている奇妙な装飾品を壁側へ押し込んだ。
カチ、という如何にもスイッチを押したような手応えが帰ってきた直後、シノンのすぐ前の足元の床がスライドして開き、床の下から何かが生えてくるように出て来た。
シノンの身長くらいはある、細長い丸型をして、天辺に赤色の城のようなものが建てられていて、下の方は根っこのようなものが伸びている、全体的に金属の質感をしているミニチュアだった。その形を一通り見つめたところ、頭の中にひとつの単語が浮かび上がり、シノンはそれを紡ぐ。
「……アインクラッド?」
その形は、ニュースで取り上げられているこのゲームのパッケージに描いてあった、空を浮かぶ鋼鉄の城――まさかそこへ行く事になるとは思ってもみなかったアインクラッドの形に酷似していた。しかも、小さいのにかなり細かいところまで作り込まれている。
「……ん」
シノンは膝に手を当てて屈みこんだ。今自分達がいるこの城の模型に、小さな穴のようなものが開いており、その中に何かの影が見える。もしかして、階層の中までしっかりと作り込んであるのか――まるで小さな子供のような好奇心に駆られたシノンは、その穴を覗き込んだ。
中には街の模型があって、その外れには大きな塔があって、その街と塔の間に、米粒のような大きさの人影のようなものが二つ見える。それを注視したと同時に、声が聞こえてきた。
「だけどな。俺は《壊り逃げ男》の話を聞くと、どうも複雑に感じるんだよな。いや、感じるっていうか、思うんだよ」
「えっ、どんなふうにですか」