キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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2015年最後の更新。


04:判明された真実

 急に、景色が変わった。

 

 シノンの目の前には今の今まで、11歳の時の自分自身がいて、いや、自分自身によく似た姿をした恐るべき存在がいたが、それはいつの間にか消え去っており、代わりに紅色の中に金色の装飾が施されている壁が広がっており、自分の影が映って黒くなっていた。

 

 一体何が起きたのか――そう思った次の瞬間、シノンは項に何かが当たっているような感覚を感じ取って振り向いたが、そこにあったものに思わず驚く事になった。

 

 いつの間にか背後に現れていたのは、巨大な狼だった。いや、狼というよりも、狼の顔を持っているが、顔と腹部を除くほぼ全身に鎧のような白金色の甲殻を身に纏っており、背中から四枚の翼を、額からは大剣のような形の、耳の上には複雑に枝分かれした金色の角を生やしている竜が、自分の背後に立っていた。

 

 その名を口にしようとした次の瞬間に、頭の中に《声》が響いてきた。

 

《気分はどうだ、シノン》

 

 ひどく聞き慣れている、初老の女性のような声色の《声》。その《声》に、か細い声を出しながらシノンは答える。

 

「わたし……私……いった、いった……い……?」

 

 狼竜――リランはその赤色の瞳でシノンの事を見つめる。

 

《疑似体験だ。お前とキリトは疑似体験の迷路に閉じ込められそうになっていたのだ》

 

 キリト――その名を聞いた刹那に、シノンは両肩に軽い重みがある事に気付いて、その根元を探り当てた。この世界の人間達の中で最も愛する人、キリトの姿が右横にあり、シノンの両肩に手を乗せていた。

 

「大丈夫か、シノン」

 

「キリト……あな……た」

 

 恐らく自分と同じような目に遭っていたのだろう、その顔は酷く青白かった。

 

 如何にも具合が悪そうな顔をしている主人の事を軽く心配そうに見つめた後に、<使い魔>である狼竜は部屋の中央付近へと顔を向けた。

 

 一緒になって顔を向けてみれば、そこにあったのはここで偶然出会わせた血盟騎士団の団員の一人、アルベリヒの姿だった。

 

《大方ここへ出向いてきたプレイヤー達を疑似体験の迷路に引っ掛けて意識を喪失させ、ここではない実験場に運び込む。そういう算段だったのだろう、アルベリヒ》

 

 直後、リランは身構えてぐるぐると唸り始めて、がうと吼えた。

 

《いや、全ての元凶《壊り逃げ男》!》

 

 その言葉を聞いたキリトとシノンは酷く驚いて、アルベリヒに向き直った。《壊り逃げ男》といえばこのアインクラッドにて、プレイヤー達を拉致して人体実験を行い、様々な異変を引き起こしてきた、所謂すべての元凶だ。

 

「アルベリヒが、《壊り逃げ男》!?」

 

 お前が全ての元凶だ――そんな事言われれば、普通の人間ならば焦るか怒るかのどちらかの反応を示す。しかし、リランに疑いをかけられたにも拘らず、アルベリヒは平気な顔をしており、そればかりか、まるでそう言われる事を待っていたかのように口を開いた。

 

「ほぅ、僕が《壊り逃げ男》、全ての元凶、ですか。どうしてそう思うんですかね、リランさん」

 

《最初に変だと思ったのは、お前が血盟騎士団に入った頃にマーテルが現れて暴れ回った事。そしてマーテル戦でお前が抜けてちょっとした時に、マーテルが突然弱点出すようになった事だ。この時はまだただの思い過ごしかもしれないと思っていたが、この前の《ムネーモシュネー》の討伐戦の時に確信に変わった。

 あの時、お前だけが討伐隊に加わっていなかった。そして《壊り逃げ男》が脱走したという話が出たのとほとんど同時に、お前は我らの前に再び姿を現した。あの戦いの時に我らの前にお前がいなかったのは、お前が《壊り逃げ男》であったからだ。違うか》

 

 これまで起きた《壊り逃げ男》の異変とアルベリヒの共通点。それがリランの口から述べられたその時に、キリトとシノンはハッとする。リランの言う通り、アルベリヒは《壊り逃げ男》が関わって居る戦いの時にはきまって姿を現さず、その異変や事件、戦いが終わった後に姿を現す事が多かった。

 

 それによくよく考えてみれば、アルベリヒは全プレイヤーが集められた中で行われた演説の時にも、プレイヤー達の中に含まれていない。

 

「お前なのか……アルベリヒ。《壊り逃げ男》は、お前なのか」

 

 アルベリヒの所属しているギルド、血盟騎士団の団長であるキリトが恐る恐る問をかけると、アルベリヒは「くっひゃひゃひゃひゃひゃ」という奇妙な声を上げて笑い始めた。

 

 その不気味にも思える笑い方をするアルベリヒを目にして、キリトは妻であるシノンを守るべくその身体を抱き寄せる。そしてしばらく笑った後に、アルベリヒはその顔をキリトへ向け直した。

 

「君もつくづく馬鹿だね団長、いや、キリト君。今まで僕が《壊り逃げ男》であると気付かないでいたなんて」

 

 キリトはぐっと歯を食い縛った。アルベリヒは腕前は確かな上に、ディアベルのように作戦を練る事も出来るような優秀なプレイヤーだったため、一緒にこのゲームをクリアして、現実で再会したいと純粋に考えていた。

 

 だが、その願いは最初から叶う事のないものであり、自分とアルベリヒには遠い隔たりが存在していたのだった。何故なら、アルベリヒは《壊り逃げ男》という、自分達プレイヤーの天敵ともいえる存在だったのだから。そしてアルベリヒこそが、あの時シノンの身体に銃弾を撃ち込んで、心に大きな傷を与えた元凶だ。

 

「やっぱりお前が……《壊り逃げ男》だったのか……!!」

 

 激しい怒りを込めた声をキリトが発すると、アルベリヒは呆れたような顔をして見せた。

 

「怒りたいのは僕の方だよキリト君。君達が荒らしに荒らしてくれた実験場と、膨大な実験データ。あれを集めるのにどのくらいの時間を使ったと思ってるんだい。まぁ、データ自体は既にバックアップしてあったから、どうでもいいんだけどね。転送には時間をかけられてしまったけれど」

 

 血盟騎士団の団員という存在から、《壊り逃げ男》という得体のしれない存在と化したアルベリヒ。今までの異変の元凶を目の前にしたシノンは、心の中に嫌悪感を抱きつつ、口を動かす。

 

「あんた……なんでこんな事をやってるのよ。何のためにこんな事を、やったっていうのよ」

 

「なるほどねぇ、僕の偉大な研究を邪魔したのは、こんなにも低能な連中だったってわけか。全く腹立たしい限りだけど……団長と団長夫人、そして団長の<使い魔>って事で、特別に教えてあげようか、僕の偉大な研究を」

 

 アルベリヒはふぅと溜息を吐いた後に、顔を上げた。

 

「人は悲しいと思ったり、辛いと思ったり、楽しいと思ったり、怒ったりと、実に様々な感情というものがあるだろう。だけどそれが鈍ってしまう事だってある。

 たとえば戦争だ。戦争は恐ろしいよね、怖いよね。その恐ろしさに勝つために、そこに身を置く兵士達は訓練を積むわけだけど、どんなに訓練を積み重ねた兵士でも将軍でも、死を目前にしてしまうと全く動けなくなっちゃうんだよね、怖くて。勿論身体だけじゃなくて、思考も一緒に止まってしまう」

 

 実際の戦争を経験した事はないが、ネットやゲームなどでその話を聞いた事がキリトにはある。

 

 その話によれば、戦場に赴いて敵軍を相手にし、銃声、爆発音、戦闘車両の音などを聞き、戦友達や民間人達が無残な死体になって行く光景を見てしまうと、大体の兵士は恐怖に支配されて全く身動きが取れなくなってしまったり、逃げ出したりしてしまうという。

 

 勿論、そんな兵士が役に立つかと言われたら勿論ノーであるし、軍にとってはこれ以上ないくらいに使えないものであると言える。 

 

「そこで、だ。その恐怖に見舞われてしまった兵士の感情を、喜びに変えてやって、どんな時でも戦闘中毒状態(コンバット・ハイ)にする事が出来たら? 飛び交う銃弾の中に身を置き、敵を撃ち殺し、民間人に残虐行為を働く事を何よりも喜びと感じ、危険な任務や戦いに進んで参加し、敵を撃ち滅ぼすようになるだろう。軍にとっちゃ、これほど使える兵士はいないよね」

 

 そこでアルベリヒは掌を上げて、人差し指を立てた。

 

「し、か、し。それでは冷静さを欠いてしまい、死亡率が上がってしまうわけだ。どんなに強い兵士も、頭に銃弾当たればそれでおしまいだからね。無駄死に、犬死だ。

 そこで、戦闘中毒状態の攻撃力を保ちつつ、冷静さを保つ事が出来るようにしたら? 圧倒的な攻撃力で敵を捻じ伏せるうえに、機械の流れ作業のように統率された動き取る事も出来る。これこそ軍の望む最高の兵士と言えるだろう」

 

 アルベリヒの説明が一区切りついたところで、キリトは思考を回す。アルベリヒ――《壊り逃げ男》がやってきた実験は、《疑似体験の寄生虫》などの感情に関連しているものばかりだったし、今も尚アルベリヒはそのような話をしている。そこから導き出される答えは、一つだけだった。

 

「つまり、お前のやっている研究っていうのは、人間の感情を操る研究って事か。これまでの研究データから考えるに」

 

「そういう事だよ。そして実際、こういったものを欲しがって、接触してきている国も沢山あるわけだ。だけど現実世界(むこう)じゃ人体実験なんか早々出来る物なんかじゃなくてねぇ。どうすればいいかヤキモキしてたところで、この世界を見つけ出したのさ。プレイヤーの全員が、脳に接続するデバイスであるナーヴギアを装着しているこの世界をね。

 この世界はこの研究をするための最高の実験場だったわけさ。どんな事をしたところで、全部茅場晶彦のせいに出来るしね」

 

 キリトは抱えているシノンに顔を向けた。シノンは元々トラウマ治療のためにメディキュボイドを使用し、ネット世界に飛び込んだところを《壊り逃げ男》の手によってこの世界へ拉致されてきてしまった。

 

 本来ありえるはずのない来訪者である少女――今は妻であるシノンから目を逸らして、アルベリヒへ再度向き直る。

 

「そして、わざとこの世界に飛び込んで、そこでまた細工をして、シノンやリーファ達をこの世界に呼び寄せた……」

 

「そうだよ。外部からじゃわからない事も沢山あったからね。結局のところ、ダイブするしかなかったのさ。でも僕が持っているのはマスターアカウント。その気になれば全ての数値をカンストさせる事だって出来るわけだ。

 

 そうなればこのゲームをクリアする事なんて余裕だし、場合によっては敵の出現率や強さも変えれる。96層から99層までのボスが居なくなったのもそのおかげだ。流石にゲームクリアの可否を決める事は出来ないし、ラストボスの強さを弄る事も出来なかったけれど、ラストボスを倒せばこのゲームは終わる。

 

 そうすれば僕は、感情でしか動かないお馬鹿な大衆達に、自らデスゲームに飛び込んでクリアをした英雄としてさらに注目されるようになるだろう」

 

 淡々とこの後の話をするアルベリヒの姿に、キリトは殺意にも似た感情が溢れ出てくるのを感じた。この男は、最強の存在であるにもかかわらず、自分達の中に紛れ込んで同じステータスにし、攻略組が攻略に励む様子を、喜怒哀楽する様子をじっと眺めていただけだったのだ。

 

 しかも、この男は自分達が倒すはずだったラストボスの撃破、自分達の悲願だったゲームクリアまでも奪い取ろうとしている。全く持って、許されざる行為だ。

 

 そのキリトの強い感情を感じ取ったかのように、シノンがアルベリヒに言う。

 

「そんな事、許されるわけないじゃない。あんたはただの犯罪者よ。現実帰った途端、あんたは正体をばらされて、逮捕される」

 

 直後、アルベリヒは何かに納得したような顔になった。

 

「あぁそうか。君達は知らないのか。僕のやった事で慌て犇めくマスコミや警察、政治家達と言った理不尽な悪達のその断末魔を、命乞いを。

 あれは傑作だったね。今まで高みの見物をしまくって胡坐を掻き、汚職しまくって天狗になってた愚か者達が、一斉に慌てて唖然として、何かにしようとする度に「《壊り逃げ男》が来る、死にたくないぃぃ」と叫んでるみたいな顔してたあの映像。たまんないね。それに、警察の情報機関に入り込む事だって僕が出来てるわけだから、その気になれば警察を滅茶苦茶に引っ掻き回す事だって出来るんだよ」

 

 思い出し笑いをするアルベリヒを少し離れたところから見ているキリトの頭の中には、リーファから聞いた現実世界の話が蘇っていた。アルベリヒ――《壊り逃げ男》は様々な情報機関にクラッキングを行い、報道機関、警察や政界を機能不全に陥らせた。

 

 例え逮捕に踏み出そうとしたとしてもクラッキングを仕掛けられて国民の反感を買うような報道をされ、更に情報機関を弄繰り回されて、滅茶苦茶な場所に捜索に出かけたりする事になるだろう。

 

 もう、《壊り逃げ男》を捕まえなければならない機関は、()られている。

 

「用意周到だなおい」

 

「用心深いと言ってもらいたいね。さてと、僕はあの時、プレイヤー達に99層に来てはならないと忠告をしたわけだけど、それを破って君達がここへやってきてしまった。しかるべき制裁を、与えなければならないわけだけど……」

 

 傲慢なる《壊り逃げ男》は、忠告を無視したプレイヤー達を眺める。しかし、それに付き添う形で身構えている最大の脅威、狼竜が答えた。

 

《お前の罠ならば既に破った。もう疑似体験は効かぬぞ。観念するのだな》

 

 《壊り逃げ男》が仕掛けていた罠の正体は、やって来たプレイヤーの意識を喪失させてしまうくらいの疑似体験。この疑似体験に当てられたプレイヤー達は意識を失い、《壊り逃げ男》が再び立てたとされる巣に運ばれていき、《壊り逃げ男》の研究の材料にされる。

 

 《壊り逃げ男》だけがこの世界で実行する事の出来る最強の罠。だがそれは、罠を破る事の出来ない存在がいる場合のみであり、それを解除してしまう存在がいた場合は、実に簡単に破る事が出来てしまう。もはや《壊り逃げ男》の切り札は無効になった――その事を既に察しているキリトは剣を抜き放ち、かつての仲間であったアルベリヒに刃先を向ける。

 

「お前に剣を向ける日が来るなんて思ってもみなかったけれど……狩らせてもらうぞ、《壊り逃げ男》。お前は、やりすぎたんだ」

 

「はっ。僕を殺そうっていうのかい。そうはいかないよ。だって僕の研究はもう最終段階に入って、大詰めなんだ。それに、この世界でまだまだ実験したい事が山ほどあるんでね。そのお願いは聞けないなァ」

 

 アルベリヒは目元を覆いながら笑い始める。その笑い方はいかにも自分が悪人である事を主張しているかのように思えて、キリトとシノンは心に強い嫌悪感を抱かざるを得なかった。それにアルベリヒは誰に教えられたのか、攻略組の中でもエリート級の実力を持っているようなプレイヤーだったため、戦いになれば苦戦を強いてくる危険性さえある。

 

 次にどう出てくるか……そう思いながらキリトが剣を構え直したその時に、アルベリヒはその傲慢な笑いをやめた。

 

「だけど驚いたよ。まさか君の連れているそのリランとか言うチートモンスターが、僕の組んだ疑似体験迷路すらも破ってしまうなんて。流石にこれは読めなかった。それに、そのリランと来たら、《笑う棺桶》の連中も皆殺しにしてしまうんだから。番狂わせもいいところだよ。おかげでプランにはなかったプランを新しく立てる事になってしまったよ。多分、僕の実力をもってしても、リランに勝つのは難しいだろうね」

 

 キリトは相棒の狼竜に向き直る。確かにリランは実に様々な特徴を併せ持ち、時には考えられないような特性を発揮して自分達の事を助けてくれた。それが、まるでこの世界を掌握しているかのような《壊り逃げ男》の予想さえも上回っているとは、キリトはあまり考えていなかった。

 

「リランはお前も恐れる存在なのか」

 

「そういう事だね。だから僕は君のリランを傍から見て、研究して、そしてこの世界のデータを漁った。そして、リランの種族である《女帝龍》が何なのかを探り当てる事に成功した」

 

 その言葉を受けたキリトは思わず驚く。リランのそのあまりの強さから、何故このようなモンスターがこの世界に存在しているのかと、ずっと気になっていたのだ。それを、マスターアカウントを持つ目の前の男は探り当てたと言っている。悔しいが、聞きたくてたまらない。

 

「なんだと……お前は何を探り当てたっていうんだ」

 

 アルベリヒはキリトの問いかけに答えず、突然何かの号令をするかのように腕を真上に突き上げた。その数秒も経たないうちにみしみしという何かが軋むような音が鳴った次の瞬間、突然アルベリヒとキリト達の間の天井が轟音と共に崩れ、紅色の瓦礫となって降ってきた。

 

 アルベリヒとキリト達の間に分厚い土煙のエフェクトが包み込み、余りに唐突な出来事にキリト達が驚いた直後に、大きくて重いものが床に落ちたような衝撃が部屋中を駆け回った。キリト達は数歩後退して互いの安否を確認し合ってから、分厚い土煙の向こうにいるアルベリヒに顔を向ける。

 

 一体何が起きた、何が現れた――そう思いながら索敵スキルを発動させてアルベリヒと自分達の間に現れたモノを確認しようとしたその時に、分厚い土煙の壁が突如として打ち払われ、その中に隠れていたものが自ら、その姿を見せつけてきた。

 

「な……」

 

 主を守るべく現れた騎士。その正体は、黒銀の中に黄金のラインが入っている鎧のような鋼鉄質の甲殻にほぼ全身を包み、甲殻のない部分には黒銀の毛を生やし、その背中からは甲殻と同質の鎧に身を包んだ人間のそれに酷似した巨大な腕を生やしており、尻尾は巨大な剣と化していて、そしてその身体の周りに聖剣とも魔剣とも似つかない巨大な剣を六本泳がせている、狼の輪郭を持ち、頭の周辺から少し長い銀色の鬣を生やしている、青色の瞳を持つ竜だった。

 

「り、リランと同じ……竜……!?」

 

 色と背中に生えているものを除けば、ほとんどリランと差のない竜。初めて見る、リラン以外の、狼竜。ぐるるると狼のそれらしい唸り声を喉元から発しつつ、リランと同じように身構えている狼竜の横には、いつの間にかアルベリヒが姿を現しており、キリトはすぐさま声をかける。

 

「アルベリヒ、そいつは!?」

 

 《壊り逃げ男》は黒銀の狼竜の首元に手を置いて、白金の狼竜とその主人に答えた。

 

「教えてあげよう、キリト君。君のリランの正体は、このゲームの裏ボスとして用意されていた、没モンスターのつがいの一匹だ。このゲームがデスゲームになった際に、カーディナルシステム管理下の倉庫に封印されたんだよ。だけどマスターアカウントを使ってカーディナルシステムを麻痺させてみれば、簡単に引っ張り出す事が出来てしまった」

 

「リランが、このゲームの裏ボスの一匹……!?」

 

「そうさ。片方が君の持つ《女帝龍(エンプレス・ドラゴン)》。そしてもう片方がこの黒銀の狼竜、《皇帝龍(エンペラー・ドラゴン)》。しかもそいつら関連のクエストは五回制の実に凝った作りのものでね、一回戦う度に進化をして強くなっていくように出来ていたんだ。だけど、マスターアカウントを使えば、最終形態の奴を最初から呼び出す事が、簡単に出来てしまうのさ」

 

 《壊り逃げ男》からの話を聞いて、キリトは全ての線がつながった事を頭の中で感じ取った。リランと出会った時から、どうしてリランは進化などという事が出来るのかずっと気になっていたが、それはリランが最初から進化を遂げていく存在として設定されていたからだったのだ。

 

「そしてこの《皇帝龍》と《女帝龍》は全てのモンスターの中で最強の存在としてこの世界に君臨している。だけど、君が引いたのはハズレくじだよ、キリト君」

 

「何?」

 

「何故なら、君の《女帝龍》を倒したプレイヤーの目の前に登場する最強の裏ボスが、この《皇帝龍》なんだからねェ!!」

 

 次の瞬間、アルベリヒは黒銀の狼竜の項に飛び乗り、主の搭乗を認識した黒銀の狼竜はその場に身構える。その姿がリランがブレスを吐く際の姿勢に似ている事にキリトが気付いた直後に、黒銀の狼竜の口元に赤黒色の電撃が走り、徐々にその色に顔が染められていくのが見えた。明らかに、何かを放とうとしているのがわかり、そしてそれは回避できそうにないと把握したキリトは、咄嗟にシノンに顔を向ける。

 

「拙い!」

 

 キリトが叫んだ次の瞬間に、黒銀の狼竜はその力を口内に集めきり、銀色の毛を赤黒く染め上げながら口を大きく開いた。その刹那に、黒銀の狼竜の身体の奥からは、リランの灼熱光線を思わせるブレス光線が照射される。

 

 しかしその色は赤黒く、そして光線本体と同じ色の電撃が纏われている事から、属性というものが異なっている。――その事を理解したキリトはシノンの身体をしっかりと掴んで、遠くに向けて投げ付けた。それと同時に、リランがキリトの目の前に躍り出て盾になる。

 

 そしてシノンが遠く離れた床に転がったその時に、リランに赤黒い電撃の光線は直撃したが、それから一秒も経たないうちに赤黒い電撃のドームがリランとキリトを呑み込む形で作り出され、黒銀の狼竜が光線を吐くのをやめたのと同時に、キリトとリランは赤黒い電撃に襲われ始め、悲鳴を上げる。

 

「ぐああああああああああああああッ」

 

《ぐおおおおおおおおああああああッ》

 

 その中で一人だけ助かったシノンは、床に倒れつつも上半身を起こし、赤黒い電撃のドームに閉じ込められて、拷問のような電撃に襲われている夫とその相棒に叫ぶ。

 

「キリト、リラン――――――――――ッ!!!」

 

 激しい電撃音と焼かれるような痛みに晒されながら、キリトはシノンへと叫んだ。

 

「来るな、シノン、逃げろ――ッ!」

 

 キリトの言葉は聞こえなかった。

 

 助けなきゃ、助けなきゃ。

 

 心が張り裂けそうになりながら、シノンは立ち上がって、苦しんでいる愛する人の元へ走り出そうとしたが、突然大きな音と強い縦揺れに襲われて、再び地面に倒れ込んでしまった。鈍い痛みに似た不快感を感じながら音のした方に顔を向けてみれば、そこには愛する人と大事な友達に苦痛を与えた張本人である黒銀の狼竜と、その項に乗っている《壊り逃げ男》の姿。

 

「あ……!」

 

「そうだよそうだよ。君だよ君。君が僕の偉大な実験の材料に一番相応しい存在だったんだよ。傷付いた心の人間、特異点、それをどうやってあのキリト君から奪い取ろうかヤキモキしてたんだ。でも、ようやくチャンスが巡ってきた」

 

 忌まわしき《壊り逃げ男》が微笑んだ瞬間、シノンは再び立ち上がって足に力を込めたが、そうはさせないと言わんばかりに黒銀の狼竜がその胴体にがっぷりと噛みついた。そしてシノンが暴れ出そうとするその直前に、黒銀の狼竜は牙を通じてシノンの体内へ強力な赤黒い電撃を送り込んだ。

 

 キリト達を拘束するものとはまた勝手が違う電撃は、シノンの意識を瞬く間に奪い去り、意識を失ったシノンの身体はまるで人形のようにぷらんと揺れるだけになった。

 

「シノン、シノン、しの、シノ、詩乃……ッ!!!」

 

 赤黒い電撃に包み込まれ、意識を奪われつつあるキリトは、ドームの外にいる愛する人へ手を伸ばすが、すぐ後に《壊り逃げ男》がこちらを見ている事に気付き、その声を聞きとった。

 

「僕はこれからも研究を続けさせてもらう。もし、僕を止めたいと考えているのであれば、100層に来るがいい。まぁ、そんな事は出来なくて、君は僕の実験台にされるだけだろうけれどね。さぁ行こうか、最高の実験素材さん」

 

 《壊り逃げ男》の声が途切れると、ドームの外の黒銀の狼竜が光の翼を広げたのが確認できた。

 

 待て、逃がすものか、詩乃を返せ。そう叫ぼうとしても喉を焼かれてしまったかのように声を出す事が出来なかった。そして、何も出来ないでドームに閉じ込められているキリトとリランを嗤うように、黒銀の狼竜はその翼を羽ばたかせて、現れた時と同じ天井の穴を通って消えていった。

 

「待てよ……まてぇ……し……の…………」

 

 指先の感覚がなくなり、やがて身体全体の感覚が消えたところで、キリトの意識は完全に暗転した。




いよいよ次回からはクライマックス。
それではみなさん良いお年を。

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