「ようやく気付いたのかい、
アルベリヒの事をアルベリヒではない名前で呼んだアスナと、アスナを明らかに違う呼び方で呼んだアルベリヒ。これまで滅多に出くわす事のなかった光景を目の当たりにした攻略組の者達は驚きながらこの二人を交互に眺める。
「須郷伸之……それがあいつの本当の名前なのか」
少し戸惑いつつ剣を構えているキリトの問いかけにアスナは頷く。
「今言ったように、レクトのVR研究部門の主任で、その開発力と技術力から、レクトの重鎮から特別視されている男よ。前にも何度か会った事があったけれど……まさか社会を騒がせた《壊り逃げ男》だったなんて……」
SAOに来る前に、現実世界で《壊り逃げ男》の活動を見てきたリーファが驚きの声を上げる。
「えぇっ、アミュスフィア作ったレクトの重役が、あの《壊り逃げ男》!?」
「そう。マスターアカウントを取得してたり、《疑似体験の寄生虫》やハッキング、そういった部分に秀でてる事から、まさかとは思ってたけれど、あの様子から察するに、間違いないみたい」
思わず、キリトは瞠目してしまう。レクトはアーガス程ではないが、様々な事業を拡大して社会を、国民の生活を支えてきた大手企業の一つであり、電化製品やゲームなどの雑誌やカタログを見てみれば、必ずと言っていいほどその名前を見る事があった。
まさかそのレクトの重鎮が《壊り逃げ男》であり、社会を混乱に陥れた元凶だったとは思ってもみなかった。
「アルベリヒ……いいえ、須郷。茅場晶彦に次ぐ実力を持つあんたが、どうして」
須郷という名の金髪の男は軽く舌打ちをする。
「茅場晶彦に次ぐ、ねぇ。酷い言い方だし、古い情報だ。確かに僕と茅場は研究関連で比べられる事も多々あったし、その都度あいつは僕の一つ上を行っていた。だけど、そんなものは昔の話だ」
「須郷、か。お前の目的は一体何なんだ。なんで社会を滅茶苦茶にして、こんな研究をしてるんだよ。人の感情を操るだの、戦争利用するだのいって、この世界を利用して……!」
キリトの問いかけを受けたアルベリヒは、キリトの言葉に驚く攻略組をぐるりと見回して、口を開く。
「それが神でさえ成し遂げられなかった所業だからさ。この研究を求める人間は沢山いるし、それが成功してしまえば歴史的快挙。僕は茅場晶彦を遥かに超える実力者として、この世界にその名を轟かせられる」
クラインが瞠目しつつ刀を構え、同じくディアベルが剣と盾を構えつつ言う。
「人の感情を、操るだって……!?」
「《笑う棺桶》は《壊り逃げ男》に操られていたと聞いていたが……まさか、その研究のためだったのか!?」
アルベリヒは二人に向き直り、得意気に言い放つ。
「あぁあの気違い連中か。彼らは実にいい働きしてくれたよ。あのリーダー、PoHだったかな? 彼が殺人鬼という普通の人間では成し得ない特徴を持っていて、それで仲間を集らせていたものだから、連れ去って感情採取ビーコンを打ち込んで、同時に疑似体験を注入してみたら特異な感情を僕に届けてくれた。
連中、自分では頭いいと思ってたみたいだけど、隙だらけだったから全員連れ去ってPoHと同じものを打ち込んで、疑似体験に浸らせてみたんだけど、どうだい。これ以上ないくらいに良い感情データを与えてくれたんだ」
アルベリヒはやがて、呆れたように溜息を吐く。
「だけど彼らはあまりに狂暴になりすぎた。最終的には僕にも危害を出してきそうだったから、そのまま自殺させてやるつもりだったけれど……まぁ、君達は知ってるだろう? 面倒が省けてよかったよ」
《笑う棺桶》を全滅させた狼竜・リランが歯を食い縛りながら《声》を送る。
《やはりあの時のあいつらは、お前の手駒だったのだな……!!》
そしてMHCPであるストレアが、険しい表情を浮かべながら、《壊り逃げ男》に問うた。
「じゃあ、じゃあ、マーテルはどうなの。あれだって、あなたが操って動かしたんでしょう」
アルベリヒは「んあ?」と言ってストレアに向き直り、やがて残念そうな顔をする。
「やれやれマーテルかぁ。あいつは本当に役立たずのプログラムだったよ。崩壊してしまっているところを拾い上げて、感情を採取するように設計し直してみたら、暴走を初めてボスや敵、NPCを片っ端から食べてしまう恐ろしい化け物になってしまった。
制御できるかと思ったらそうじゃないから、君達に倒させようと思って見たら、君達でさえ敵わない有様だったじゃないか。だから、わざわざクラッキングを仕掛けて弱点を作り出した。あの時は本当にまいったよ、マーテルのコアプログラムまで入り込まなきゃ出来ないような事だったからね。
でも、マーテルは様々なNPCの感情模倣機能を取り込んだりしてくれていたから、その部分は礼を言えたし、マーテルのおかげでマーテル達MHHPのコアプログラムの仕組みもわかった」
キリトはユイ、ストレア、リランと言ったAI達に顔向けしたが、その顔には大きな怒りを感じているような表情が浮かび上がっていたし、自分自身の中にも彼女達と同じ気持ちがある事を理解していた。
マーテルはエラーに苦しんでも尚、父親である茅場晶彦の元を目指して進もうとした。その途中で無数のモンスター達を取り込んでしまったりもしたが、マーテルの持つ茅場晶彦への思いは一途なものだった。
それをこの男は踏みにじり、自分のくだらない欲望のために利用したのだ。
「皆の事を散々苦しめて、実験に使って《笑う棺桶》の事は皆殺して……一体何が目的なの。その研究で、あなたは一体何をするつもりなの」
アスナに問われたアルベリヒはくるりと周囲を見回し、敵対する者達を軽く視野に入れた後に、手を広げた。
「今言っただろう。僕のやろうとしている事、いや、成し遂げる事の出来たこの研究は、神でさえ出来なかった事。即ちこの研究を完成させた僕は、現実世界の神なのさ。
神である僕に出来ない事はない。僕とこの研究データと技術があれば、この国の法を、仕組みを変えてしまうのも、理不尽な悪を裁き、死刑を下すのも、思いのままさ!」
「何が神だ! てめぇなんかマッドサイエンティスト、ただの犯罪者じゃねえか!!」
アルベリヒの疑似体験に苦しめられ続けた筆頭であるクラインが怒鳴りつけるや否、アルベリヒは首を傾げて、嘲笑うように言う。
「んん? 何を言っているんだい。確かに僕はマスメディアや警察にクラッキングを仕掛けて政治家達を、警察の連中を、マスメディアの首を切ってやった。マスメディアが自分達が不正をしている、不正な報道をしている、歪曲報道は当たり前だと言う事実をまとめた、音声ソフトと画像ソフトを使って作った動画を全国放送してやったりした。その結果、マスメディアは潰れて国民からの信用を完全に失ってしまった。
このクラッキングって時点で、電子計算機損壊等業務妨害罪っていうのが課せられるけれど……残念ながら、僕を犯罪者扱いする奴はいなかった。寧ろ、国民は僕を「ありがとう《壊り逃げ男》」「《壊り逃げ男》は府政に鉄槌を下した正義の神」「《壊り逃げ男》万歳」と大声を上げて称賛した。僕が何を仕出かしたところで、大多数の民衆は僕に敵意を向けないのさ。
そう、僕はもう既に、神なんだよ!!」
アルベリヒの宣言にピナが抗議の声を上げ、シリカが言い放つ。
「滅茶苦茶です! 犯罪者が称賛されるなんて、有り得ません!」
その言葉を横耳で聞いたキリトも、同じ事を思いたかったが、そうは思う事は出来なかった。
《壊り逃げ男》の行為が称賛されているという事は、大多数の民衆がそれを望んでいたという事だ。実際《壊り逃げ男》が破壊工作を行った場所である政治家、警察、マスメディアの報道機関などは賄賂や汚職が盛んで、民衆にとって都合が良くても、自分達にとって都合の悪い事が起きたりした時には、咄嗟に隠そうとするような行為を取る事もあったと言われているし、実際それが浮き彫りになっている事件も多々あった。
だが、そういった事件すらも、テレビでは肝心なところをわざとらしく一切報道しないでカバーストーリーを流している有様で、ネットの深いところのニュースまで行かないと本当の事がわからないなどという事がほとんどだった。
そういったところに怒りを感じる事はキリトもあったし、ネットでもニュースのコメント欄などでそんな声を毎日のように聞く事が出来た。
「いやシリカ。悔しいが、あいつの言っている事にも一理ある」
シリカだけではなく、その肩に乗っているピナも、周りの者達も一斉に驚きながらキリトに顔向けし、その中の一人であるリズベットが慌てながら声掛けをする。
「な、何言ってるのよキリト!」
「あいつがやっている事がほとんど批判されておらず、寧ろ称賛されているという事は、それを民衆が望んでいたという事に他ならない。民衆は、あいつが破壊したところを、元より破壊したいって思ってたんだよ。そしてそれをやってみせたあいつは、そんな民衆からすれば英雄や神に他ならないわけ……悔しいけど頭はいいな、あいつ」
アルベリヒがふふんと得意気に笑む。
「そういうわけだ。実際僕が手を下してやったところ、警察や政治家、マスメディアやその他さまざまなところで汚職や賄賂、権力を利用した不正行為は目に見えて激減したんだ。それについても、僕には称賛の声が上がっているよ。
しかし、それでも悪人と呼ばれる人達は存在しているが――彼らは人類最後の悪人だ。僕がこの研究を完成させて実装した暁には、そもそも悪人はいなくなるんだよ。文字通り、心と記憶を入れ替えてあげればいいんだからね」
途中で、アルベリヒは少し残念そうな顔をした。
「しかし、この素晴らしき研究の実験場を自ら消そうと考えたのが、茅場ことヒースクリフだ。まさかヒースクリフがあの忌まわしき茅場晶彦だとは思ってもみなかったけれど、同等の権限を持つ僕ならあいつを何とか出来た。今までの鬱憤晴らしを込めて攻撃してやったら、物の見事に消す事が出来た。あの時は痛快だったよ。何せ、僕の一歩先を行っていた茅場晶彦を消せたっていう歴史的快挙の瞬間だったんだからね!」
キリトとデュエルをして、勝ったならばこの世界を終わらせると言っていたヒースクリフ。しかしヒースクリフは突如として自分達の目の前から姿を消してしまい、キリトとの約束などをすべて無かった事にしてしまった。その原因もまた、この男だった事を知って、シノンは歯を食い縛る。
「やっぱりあの時は、あんたが手を下していたのね……」
だが、アルベリヒの計画は許されるものではないとも、キリトは思っていた。
確かにアルベリヒの計画や研究が上手く行けば、世界から悪人がいなくなり、組織から不正がなくなって、様々な人が平穏に過ごせるようになるかもしれないが、それは同時に全ての人類が統治者であり、神であるアルベリヒ――須郷伸之の下にひれ伏す事になる。あの、AIを命だと思わず、人の命すらも実験材料か何かとしか思っていないような――文字通りの魔王に。
恐らくこのゲームをクリアして現実に帰って、須郷が《壊り逃げ男》であり、人体実験を行っていたと警察や政府に報告しても、情報をかく乱されて身動きが封じられてしまうだろう。その際に、逃げられてしまう。というか、政府も警察もこの魔王の破壊工作に当てられて真面に動けなくなっている可能性の方が高いため、どうにもならない可能性すらある。
「なるほど、よくわかったよ、須郷」
キリトが俯きながら一言言い放つと、アルベリヒを含めた全員が視線を向ける。キリトはアルベリヒに向き直って、顔を上げた。
「確かにお前は神だ。茅場晶彦すらも超えた。人間じゃ出来ない所業を平気でやって、人間も世界も滅ぼそうとしてる神という名の恐るべき化け物だ!!!」
次の瞬間に、キリトは力強く指示を下した。
「攻略組全員に告げる! 目の前にいるアルベリヒ、こいつがこの100層のボス、アインクラッドのラスボスだ! このボスを倒せば俺達は現実世界に帰れる!!」
キリトの指示が紅玉宮全体に響き渡ると、攻略組の者達は何かを思い出したような顔をしてから一気に顔を険しく、戦闘の時のそれに代えて、武器を持ち直した。そして、その中の一人であるクラインが言う。
「そうだな……こいつがこの城の支配者なら、ここでこいつを倒せば、このゲームは終わるわけだ!」
エギルが両手斧を構え直して、得意気に言う。
「こんな悪魔みてえな奴がラスボスか……悪くねえシチュエーションだ」
ディアベルが剣を構え直す。
「こいつはもう放っておいてはいけない存在だ。もうここで、殺すしかない」
リズベットが片手棍を持ち直して言い放つ。
「あたし達に目を付けられたのが運の尽きだったわね、《壊り逃げ男》。あんたはここで終わりよ。いや、終わらなきゃいけないわ」
アルベリヒは周りの攻略組の者達を眺めた後に、おどおどし始める。周りを囲んでいるのは、サポート側と実戦側の全てが混ざり合った百人以上の攻略組の者達であり、百対一の状況だった。
「おいおい、待ってくれよ。こんなにたくさんの人間を相手にしなきゃいけないのか」
「あぁそうだとも。お前の相手をするのは攻略組全員だ。なんたって、お前がラスボスなんだから」
大軍勢を率いるリーダーであるキリトが言葉を発すると、アルベリヒは俯いた。しかし、それから数秒もしないうちに「くっひゃひゃひゃひゃ」という奇妙な笑い声を出しながら上を向き、大笑いを始めた。そんな光景を見つめたフィリアが首を傾げる。
「何を笑ってるのよ。絶望的過ぎて笑うしかなくなった?」
次の瞬間、アルベリヒはくっと顔を下げた。その顔には先程のような焦りの表情はなくなっている。
「絶望的? 絶望的なのは君達の方だよ。君達全員を一度に相手にするなんて、そんなの、想定の範囲内だよ。くっひゃひゃひゃ」
直後にアルベリヒはかっと腕を突き上げた。
「来いよ……《皇帝龍ゼウス》!!!」
高らかなるアルベリヒの宣言の直後、突如としてアルベリヒの目の前に半径10m以上はあろう広大な魔法陣のエフェクトが出現し、攻略組がそれに驚いた刹那に魔方陣を中心に暴風が吹き荒れた。
まるで一瞬で何かが爆発したような風圧に押されて、攻略組の戦士達は目を庇いながらその場に踏みとどまる。そして暴風が止んですぐさま目を戻したその時に、その場にいた一同は完全に言葉を失う事になった。
アルベリヒの目の前にあった魔法陣は消え果ていたが、アルベリヒを守るために呼び出されたであろう騎士の姿が代わりにあった。
その騎士は、黒銀の中に黄金のラインが入っている鎧のような鋼鉄質の甲殻にほぼ全身を包み、甲殻のない部分には黒銀の毛を生やし、その背中からは鎧に包まれた巨大な腕を生やしており、尻尾は巨大な剣と化していて、そしてその身体の周りに聖剣とも魔剣とも似つかない巨大な剣を六本泳がせている、頭の周辺から少し長い銀色の鬣を、額から虹色に輝く剣の角を生やしている、青色の瞳と狼の輪郭を持つ竜だった。
「あいつ、皇帝龍……!」
アルベリヒが無理矢理呼び出した、このゲームがまだ正常なゲームだった際に用意されていた裏ボスなる存在。突然の強大なモンスターの登場に攻略組の戦士達は瞠目して、そのうちのリーファがリランと目の前の狼竜を交互に見始める。
「えっ、えぇっ、リランがもう一匹!?」
《我のような崇高な存在がもう一匹いるはずもないだろう》
「あいつは皇帝龍。このゲームの裏ボスとして用意されてた奴だ。まさかあれと戦う事になるなんて……」
既に皇帝龍と交戦をしていたキリトは周囲にその情報を伝えるべく、見回そうとしたが、その最初のところで動きを止めてしまった。アスナが驚愕しきってしまっているような表情を浮かべながら、あの皇帝龍の姿を見ていたからだ。
「アスナ、どうした」
そういえば、アスナの家を襲ったのも皇帝龍だ。あの龍は突然アスナを襲ってユピテルを連れ去り、アスナに一種のトラウマを抱えさせた張本人ともいえる存在だ。それを見てしまって、硬直してしまったのか――そう思った瞬間に、アスナは小さく言葉を紡いだ。
「変わってる……でも、なんで……?」
咄嗟にユウキが声をかける。
「どうしたのアスナ」
「あの龍よユウキ。あの時わたし達の家を襲ったのは。でも、あの時と目の色が違うし、あんな鬣もなかった……それに、あの感じ……」
まるで信じられないようなものを見てしまって、言葉を美味く紡げなくなってしまったかのようなアスナ。一体何を思っているのか――尋ねようとした直後に、肝心なアスナが声をかけてきた。
「ねぇキリト君。あれって、このゲームの裏ボス、なんだよね?」
「あぁ、あいつが言うからにはそういう事らしい。自分の護身用に呼び出したらしいな」
「じゃあ、なんで……」
「え?」
アスナは小さくてもはっきりと言った。
「じゃあなんで、あいつはユピテルと同じ特徴を持ってるの……?」
その言葉を聞いて、キリトは茫然とした。しかし、すぐさま意識をはっきりとさせてアルベリヒの皇帝龍に目を向け直したが、そこでまた茫然とする。
あのアルベリヒが連れ去ったMHHPのうちの一つであり、アスナの息子だったユピテル。ユピテルの特徴は男子である事、長い銀色の髪の毛と青色の瞳である事だったが、あの皇帝龍の目もユピテルと同じ青色で、鬣もユピテルと同じ銀色なのだ。
何故アスナに言われるまで気が付かなかったのか、キリトは一瞬自分が不思議で仕方がなくなる。
「あいつ……本当だ。ユピテルと同じ特徴を……」
キリトが小言を漏らすと、アルベリヒは何かに気付いたような顔になった。
「あぁそうだ。マーテルは僕にMHHPのコアプログラムの事を教えてくれたけれど、それで消滅してしまった。再利用しようとしても出来ず、マーテルが教えてくれた事をどうすればもう一回使えるかと思ったんだけど、そこでユピテルなんてものがいたじゃないか。
しかもそれがアスナが持っていると来たもんだ。僕と結婚する予定のアスナには必要のない代物だったからね。僕が引き取ってあげたんだよ」
アスナの喉の奥から声が漏れると、アルベリヒは再び大手を振り上げた。
「そこで余計な記憶や感情を削除して、全てを戦闘用に組み替えて皇帝龍、96層から99層までのボスと融合させてみたらどうだい。裏ボスである皇帝龍のAIすらも超える処理能力と戦闘能力を持った最高の<使い魔>が完成したよ。今や僕の皇帝龍は完全なるアインクラッド最強のモンスター、一匹でアインクラッドを征服できる最強の龍だ。ユピテルは天空神の名前だから、同じ天空神の名前であるゼウスというのを付けさせてもらった」
キリトはアスナと一緒に、か細い声を出す事しか出来なかった。
なんという事だろうか。
アルベリヒはユピテルを連れ浚い、あの純真無垢な心を滅茶苦茶にして排除したうえに、マスターアカウントの権限を使ってアインクラッド上層を守る強力なモンスターとボスの戦闘データをいくつも注ぎ込んで、自らの<使い魔>に組み込んだのだ。
だからこそ、あの皇帝龍にはユピテルの特徴であった青い眼と銀色の毛が発現しているのだ。まさに、AIをモノとしか思っていない、悪鬼の所業。
それがかつて会った事のある人の手によって行われ、自分の息子が完全に奪われてしまったという現実を目にしたアスナは、顔面を蒼白にしてか細く声を出す。その身体の中で、ユピテルとの思い出ががらがらと音を立てて崩れ去っていく。
「あ……あ、ああ……!」
「だけど、僕が弱点を出してあげたとはいえ、マーテルすらも倒してしまった君達はこれすらも倒してしまいかねないからね、もっともっと戦闘能力を上げなきゃいけない。と、い、う、わ、け、で」
アルベリヒがもう一度腕を突き出すと、何の前兆もなく皇帝龍の周りに人影が八体現れた。何事かと驚きながら目を向けてみれば、人影の内の五つが少女と女性、二つが少年と青年だった。
それを視線に入れたユイが驚きの声を上げる。
「あ、あれは!?」
「ユイ、あれはなんだ!?」
「あれは、わたしとストレアと同じ、MHCPです。わたし達同様にカーディナルによって封印されていたはずなのですが、なんで……!?」
ユイの声を聞いたアルベリヒはははっと笑った。
「カーディナル? そんなものはとっくの昔に停止中だ。いや、今となっては僕がカーディナルさ。君達のような存在を取り出してくる事だって、何かを追加する事だって思いのままだ」
ストレアが大剣を構えて、険しい顔をする。
「アタシ達を呼び出して何のつもりなの!?」
「MHCPはプレイヤーの心を治療するために作られたプログラムであり、感情模倣機能を搭載している。だけどそれは同時に、それくらいの機能を搭載できるくらいの大容量と処理能力を持っているという事だ」
次の瞬間に、キリトは背筋に悪寒が走ったのを感じ取った。ユピテルは以前、壊れた自分を治すためにフィールドボスを捕食して自分のAIと融合させた事がある。
もし、アルベリヒがユピテルを皇帝龍に組み込んだ際、その融合進化能力が引き継がれているのだとすれば……!
「や、やめろ!!」
「さぁ皇帝龍よ、進化の時だ!」
キリトが叫んだ直後に、アルベリヒは皇帝龍はその口を大きく開き、近くにいた少女型MHCPの上半身にがっぷりと噛み付いた。仲間が突然皇帝龍に喰われた瞬間にユイとストレアがか細い悲鳴を上げると、皇帝龍は見せつけるようにそのまま上を向き、ばりばりと咀嚼して呑み込んだ。そしてまた、別なMHCP三人に噛み付いて口の中へ放り込み、喰らって行く。
「あ、あぁ……」
マスターアカウントに呼び出されたMHCP達が無残にMHHPの餌食になって行く地獄絵図。咄嗟にキリトはストレアの目を覆って、シノンはユイを抱き締めて胸の中に顔を埋めさせるが、その身体はいずれも小刻みに震えている。
「ユピテル……やめて……食べないで……」
アスナがその場に崩れ落ちて、何回も首を横に振る。あの優しくて暖かくて、甘えん坊で可愛かったユピテルがあのような化け物となって、ユイの仲間達を次々食い殺していく瞬間に、ユピテルの姿が、思い出が、声が、その全てが崩れ、壊れていく。
どんなに声をかけたところで、もうユピテルは答えないし、言う事を聞いてはくれない。皇帝龍となって、その本能の赴くまま、自分を進化させようと様々な物を喰らう。
「な、なんで、こんな……!」
リーファが小声を漏らすと、フィリアが同じように小声を漏らす。
「あ、悪魔……!!」
攻略組の者達が痺れたように動けなくなって、目の前の光景に釘付けになっている中、皇帝龍は七人のMHCPの最後の一人を喰らい、呑み込んだ。次の瞬間に、心音にも似た音が紅玉宮の中に響き渡り、攻略組の全ての視線が一斉に皇帝龍に集まった。
直後に、皇帝龍の身体が二回りほど大きくなって二足歩行へ変わり、身を包む宇宙のような黒き鎧は更に豪勢な形となり、腕と足が更に巨大となり、背中からは巨大な甲殻に包み込まれた腕がもう一対生えて、複雑に枝分かれしたものと太くて前方に湾曲した銀色の角を耳の上から、虹色の聖剣の角を額から、尻尾からは巨大な虹色の剣を生やして、周囲に聖剣と魔剣が混ざり合ったかのような巨大な虹色の剣を浮かばせている、全長30mはあるかと思われる巨龍へと、皇帝龍は進化を遂げた。
もはや、龍というよりも巨龍神だった。
まるで魔神が舞い降りて来たかのような光景に攻略組の者達は茫然としてしまい、アルベリヒは大きくジャンプしてその項に飛び乗る。そして、《人竜一体》を果たした皇帝龍は目の前に群がる小さき人間達へ咆哮する。
「もはやマスターアカウントの力を使う必要もない。君達はここで僕に倒され、輝かしい栄誉の礎になるんだ! 感謝したまえ!!」
アルベリヒの宣言と共に、皇帝龍は浮遊する剣を両手に構え、同時にボスモンスターにみられる特徴が発現する。緑色に満たされた<HPバー>が現れ、LVと名前が出現する。
《HPバー》は20本。
LVは250。
その名は《
攻略組の者達が完全に茫然とする中、最後のボス戦が幕を開けた。
最悪の最終決戦、開幕。