キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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全部わかる回。


18:きっと伝えて

 

       ◇◇◇

 

 

 俺達は全ての力をぶつけるべく戦い、剣を振るった。作戦、戦術、これまで築き上げてきた全てをかなぐり捨てる代わり、プレイヤーの一人一人が持っていた癖や戦い方などを生かした第1層を思い起こさせるような総力戦。

 

 そんな今までの俺達からは考えられないような戦法で、勝利を収めた。ラストボスでありこの世界の最後の守護神、《ホロウ・アバター》は倒れて消え、そこから解放されてきた一人の少女を、俺は抱きかかえていた。

 

 周りには戦いを終えて疲れ果てたような顔をした仲間達がいるけれど、全員の目線が俺と少女に向けられており、更に近くには俺と親しくしてくれている仲間達が集まっている。そんなみんなの視線の先にいる少女に、俺も同じように目を向ける。

 

 頭の上から白い毛に包み込まれた狼の耳を生やし、ユイよりかは年齢が高めではあるものの、10代前半の少女のそれと全く変わりがない裸身で、そして俺の相棒の鬣と同じ色である黄金色の長い髪の毛。

 

 そんな一風変わった特徴を持つ少女の名前を、俺はそっと呼んだ。

 

「リラン」

 

 俺の声に答えたかのように、少女の顔が一瞬歪んで、その閉じた瞼がゆっくりと開かれた。俺の相棒と同じ、紅玉のような赤色の瞳――そこに俺の姿を映し出すと、少女は一緒に口を小さく動かした。

 

「キ……リ……ト……」

 

 周りで「おぉ」という声が上がると、俺は咄嗟にある事を思い出した。少女の紡ぎ出した声は、相棒が小さくなっていた時に頭の中に響いてくる声色のものと全く同じだったのだ。

 

 俺の近くにいた仲間達が床に膝を付けて、そのうちの一人であるアスナが声をかける。

 

「リラン、リランなの」

 

 少女はゆっくりと顔を動かして、アスナをその瞳の中に映し込んで頷く。

 

「……アスナ……それに……皆も……いるのか」

 

 その声に答えるように皆が頷いて、シノンが答える。

 

「えぇ。全員無事よ」

 

 少女はすん、と微笑んで俺に向き直った。

 

「この様子だと……終わったようだな。最後の戦いが」

 

「あぁ。お前を取り込んだ《ホロウ・アバター》を倒した。このゲームのラストボスは、倒されたんだよ。お前無しだったけれどな」

 

 俺は満足そうに微笑む少女/リランの頭をしっかりと持って、再度口を開いた。

 

「なぁ、お前はリランなんだよな」

 

 リランは何かに気付いたような顔をして、軽く俯いた。どうしたのかと周りの皆が不安そうな顔をすると、リランはそっと口を開いた。

 

「キリト。我はずっと、記憶喪失だった事は、わかるよな」

 

「あぁ。お前は俺と初めて出会った時に、俺の剣を頭に受けてしまったせいで、記憶を失ってしまったんだよ。だけど、この城を登れば自分の記憶も取り戻せるかもしれないからって言って、俺の<使い魔>になったんだよ」

 

「流石にそこは覚えておるわ……」

 

 やはりリランのそれと変わらない態度。この少女はリランに間違いない。

 

「お前は自分の名前さえも思い出せずにいたけれど、俺、ある時からお前の本当の名前っていうのがわかっていたような気がしていたんだ」

 

 周りの皆がざわめき、ディアベルが声をかけてきた。

 

「リランの本当の名前? そんなものがあるのか」

 

 俺は頷き、リランに向き直って、その紅い瞳を見つめつつ、口を小さく動かした。

 

 

「お前はドラゴンなんかじゃない。何らかの原因で二つに分かれたある者の片割れが、ドラゴンの中に入り込んでそのまま定着し、リランという存在になった者。本当は、イベントのために用意された存在なんかじゃないプログラム。

 ……そうだろ、マーテル」

 

 

 マーテル。その名を知る者達の間で一気に驚きの声が巻き起こり、リズベットとシリカが驚きながら言う。

 

「マーテル? マーテルって確か……」

 

「ユピテル君のお姉さんで、あの時あたし達が倒した……!」

 

 続けてユウキとリーファが戸惑いながら言う。

 

「で、でも、リランがマーテルってどういうことなの」

 

「マーテルはあの時、死んじゃったんじゃ……」

 

 周りの戸惑う声を聞いていると、少女の口元が緩み、声が紡がれた。

 

「何故そう思うのか、教えてもらえるか、キリト」

 

「最初にそうじゃないかって思ったのは、マーテルが俺達に襲い掛かって来た時。マーテルの特徴である金髪と赤い眼は、お前と同じだった。そして確信に変わったのは、《ホロウ・アバター》に取り込まれたお前が、あの時のマーテルを小さくしたような姿に変わったからだ」

 

 俺の言葉に更なるざわめきが起こり、フィリアとシノンが何かに気付いたような顔になる。

 

「そ、そういえばあの時のリランは、あの時のマーテルと同じようだったかも……!」

 

「でもなんで……なんでリランが、マーテルなの……?」

 

 皆が驚き、ざわめき、戸惑う中、俺の手に抱かれている少女はそんな周りを軽く見まわした後に、小さく頷いた。

 

「《メンタルヘルス・ヒーリングプログラム》、MHHP試作一号、コードネーム《マーテル》。それが我の本当の名前だ」

 

 それまで黙り続けていたアスナが、マーテルの目の前に跪く。

 

「MHHP……あなたが、ユピテルのお姉さんである、プログラムだったの……?」

 

「そうだ。我はあの時失われたユピテルの姉に該当するプログラムだ。そして、ユイとストレアの姉でもある……」

 

 いつの間にか俺の隣に並んでいるユイとストレアが目を見開く。

 

「あなたが……あの時失われたはずの、もう一つのMHHP……わたしのおねえさん……」

 

「でも、なんでマーテルが」

 

 マーテルは妹達を見回した後に、瞳を伏せた。

 

「お前達は、《アイリ》から全てを聞いているはずだ。我らがいかにして生み出されたのか、どういった経緯を辿って来たのか、全てを……」

 

 アイリ――彼女達の開発者である女性イリスの、彼女達の呼び名。俺はその人からMHHPとMHCP出生の秘密を全て聞き、それらを攻略組に話している。

 

「あぁ。全部知ってるよ。お前達は、デスゲームに囚われた俺達を癒すために創造された超高度AIなんだろ」

 

「そうだ」

 

「でも、それ以上の事は知らないんだ。教えてくれるか、マーテル。そういう約束したじゃないか」

 

 ちゃんとお前との約束を覚えているんだぞ――そう遠回しに言ってやると、マーテルは少し驚いたような顔をした後に、少し呆れたような笑みを浮かべた。

 

「忘れておらぬよ。いいよ、話してやろう、これまで隠してきた事の全てを。

 

 今言ったように、我々はプレイヤーの心を癒すという目的のために創造され、創造者達の間で育て上げられた後に、このゲームの中に組み込まれた。

 それに我らMHHPはMHCPと違って、プレイヤーの近くにいるだけで、お前達からすればマイナートランキライザーの効果をプレイヤーに投与し、プレイヤーがパニックなどを起こした場合は、項に接する事で直接鎮静させるという特性を持っていた。その点から考えるに、我らMHHPはVR医療用AIと言っても過言ではなかった」

 

 俺がリランを手に入れたその時から、俺はちょっとやそっとの事じゃ不安を抱かなくなったし、攻略組の者達も俺の近くにいると元気になると言っていた。

 

 それはリランがマーテルというMHHPであり、近くにいるプレイヤー達の不安を鎮静させて取り払っていた事によるものだった――イリスからも聞いていないMHHPの事実に、俺は瞠目し、周りの皆も同じような状態になる。

 

「だがカーディナル、いや、茅場晶彦達創造者は我らを封印して、このゲームをデスゲームに作り変え、そのままサービスを開始した。

 それが二年前……お前達がこのゲームに囚われた時の事だ」

 

 マーテルは沈痛な表情を浮かべつつ、説明を続ける。

 

「あの時、我はユイ達と同じように身動きを封じられて、プレイヤー達のメンタル状態のモニタリングを行った。だが、ユイが言っていた通り、状況は阿鼻叫喚そのものだった。プレイヤー達は負の感情に支配されて、どうにもならなくなっていた。

 

 本来そのような事態に巡り合えば、すぐさま駆け付けて問題を解決するのが、我々の務めだったが、カーディナルは、創造者達は我々にそのような事を許さなかった。本来の役目がそれなのに、それは許されない。――我は、この矛盾によるエラーを抱え、崩壊を始めた。恐らくユイよりも先だっただろうな」

 

 ユイとほとんど同じような状況。恐らくあの時死んだユピテルも、ユピテルに喰われたMHCP達も、全員エラーに苦しめられて崩壊していたのだろう。マーテルは続ける。

 

「だが、他の者達と違って、我は様々な能力を教育段階で会得していた。そのうちのクラッキングを使って我は封印を自ら破り、カーディナルの元を脱した。もっとも、その時はあの須郷の妨害工作がこのゲームのセキュリティを弱くしてくれた事が要因の一つだったのだがな。

 そして、我はこのような事を起こした張本人である茅場晶彦……アキヒコに会おうと考えた。なぜこのような事を行ったのかと問い詰めるために。

 しかし、その時点で我はかなりの崩壊を起こしていて、身がもう持たない事がわかっていた。そこで我は……所謂没データに目を付けたのだ」

 

「それが《女帝龍》か」

 

「あぁ。このゲームは元々普通のオンラインゲームとして設計されていたから、須郷が呼び出した皇帝龍や伝説の武器など、実に様々なデータが組み込まれていた。だが、このゲームがデスゲームと化した際にそれらは全て不要となり、表面下に追いやられた。……10テラ20テラじゃ効かないくらいの膨大なデータがな。

 

 その中で、徐々に成長を遂げて進化していく形式の、我ほどではないがかなり高度なAIを搭載したモンスターを見つけた。崩壊を前にした我は自らの人格、記憶と言った全てをコピーしてそのモンスターの中に移植し、崩壊により失われた処理能力を補うために、余っていたデータや高度なAIを注ぎ込んで、自分の完全なコピーを作り上げた。ちなみにこの喋り方は、《女帝龍》に搭載されていた言語インターフェースを流用した結果によるものらしい」

 

 プログラムでさえもわからないような内容の話。それを黙って聞いていたユイが、咄嗟に呟く。

 

「で、ですがマーテルさんは《ホロウ・アバター》を……」

 

「そうだ。様々なデータやAIを集める際、我は焦っていてな。どれがアインクラッドに存在していて、どれが表面下に隠されたデータなのかを気にせずに注ぎ込んだ。その際に、我並みではないが非常に高度なAIとして《ホロウ・アバター》を見つけ、取り込んだのだ。そしてそれを、カーディナルに発見されない内にこのアインクラッドへと解き放ち、止めたい存在だったアキヒコに向かわせるつもりだった。

 

 ……だがそれは失敗だったよ。様々なデータを取り込んだ事により、逆に我の崩壊は進み、記憶が欠損してしまった。我は目的を、アキヒコを忘れ、自分が何者なのかわからないまま、フィールドを彷徨った。そこで我は、傷付いた心のプレイヤーの反応を見つけて、そこへふらふらと歩いた」

 

「そして、俺に出会った……」

 

 あの時、復活アイテムを求めて荒んでいた俺。どうしてリランが俺のところに来たのか謎で仕方がなかったけれど、リランがMHHPのマーテルであったからと言われれば、納得が出来る。荒んだ俺を癒したいというMHHPの本能が反応を示して、俺の元へと現れたのだ。

 

「その時我は偶然にも、没データ内にあった《没スキル》というものを内包していた。キリト、お前に与えた人竜一体ゲージというのも、それによるものだ。そのスキルの名前は忘れてしまったが、お前はユニークスキルを二つも持っていたのだ」

 

「やっぱりこれは、スキルによるものだったのか。でも、そんなスキルを会得してるようなアイコンは出てないぞ」

 

「当然だ。既に削除されている事になっているスキルだからな。デスゲーム用に改造されたこのゲームは、正しく認識する事が出来なかったのだ。もっとも、人竜一体ゲージが出現して、それを使う事が出来ているという事で、お前がそのスキルを会得しているという事に他ならないのだがな」

 

 同じ<ビーストテイマー>であるシリカのピナとは全く違う性質を持ったリラン。今まで、特殊スキルも出てないのになんでこんな事が出来るのかも気になって仕方がなかったけれど、そもそもこのゲームが改造された事により認識ができなくなったデータによるものだったとなれば、同じように納得がいった。

 

「じゃあ、ボスを倒した時にお前の成長アイテムが出たりするのも、そのスキルの影響だったという事か」

 

 ディアベルの言葉に、マーテルは弱弱しく頷く。

 

「そうだ。キリトの持っているスキルを所有している者が一人でもいると、ゲーム全体に影響が及ぼされるようになっている。指物創造者も、データを削除する事が出来ても、そのスキルが非常事態で復活した時の事など考えてもいなかったのだろう」

 

 次々と明かされるリランの正体。それを皆が黙って聞いていたが、やがてクラインが声をかけてきた。

 

「け、けどよ、あの時のマーテルは何だったんだ。お前もマーテルで、あれもマーテル。一体どういう事なんだ」

 

「あの時の我が、所謂オリジナルの我だ。我は全てのデータを子の身体に移植した後に、完全に崩壊して身動きが完全にとれなくなったのだろう。そこを、MHHPという最高傑作を見つけた須郷に利用されて、あのようなデータ収集用の怪物へと変化してしまった。あの時はまるで鏡に映った自分を見ているような感じだったよ」

 

 俺とシノン程ではないが、リランと過ごした時間が比較的に長いユウキが言う。

 

「あの時のマーテルもマーテルで、君もマーテル。君って一体……?」

 

「だから言っただろう、我は死に際のマーテルが自らをコピーして生み出した存在であると……いや、我はマーテルであってマーテルでない。マーテルの亡霊と言った方が正しいのかもしれぬな」

 

 直後に、マーテルは悲しそうな表情を浮かべる。

 

「だがな……このコピーである我にも問題はあった。世界を守る最終機構である《ホロウ・アバター》に内側から侵食され始めてしまってな……世界を守りたいという意志に支配され始めた」

 

 マーテルは顔を上げて、俺と目を合せる。

 

「憶えているよな、キリト。《笑う棺桶》との戦いの惨劇を。あの時の我の暴走も、世界を守りたい、世界を壊そうとする存在を排除するという《ホロウ・アバター》の防衛機構が独りでに動いた事によるものだ。だが、我が本心から守りたかったのは、世界そのものではなかった。正直言えば、世界などどうでもよかったのだ」

 

「世界なんてどうでもよかった? じゃあ、お前が守りたかったものって」

 

 マーテルは他の皆を見回した。そしてその顔に母親のような慈しみを感じさせる表情を浮かべると、小さくも皆に聞こえるように言った。

 

「お前達プレイヤーだ。我は世界よりもお前達プレイヤーを守りたかった。だからこそ、チートと呼ばれそうな力を手にして、そしてそれをキリトにも分けて戦った。チートと呼ばれそうなくらいに強ければ、文字通り敵なし、どんな戦いでもお前達を生かす事が出来るからな……」

 

 どうしてリランがあんなに強くて、それを俺に操れるようにしたのか。それがリランが口癖のように言っている、俺達を守るためだったとは思わなかった。

 

「俺達を守るために、俺達を無事に現実に帰すために、お前はあんなに強かったっていうわけか……」

 

「しかしだな……その我の意志は我の中にある《ホロウ・アバター》の意志と相反した。世界を守る際の最大の敵はプレイヤー達。だが我はそんなプレイヤー達を守りたかった。それだけではない。お前達と過ごすうちに、我の中にはある感情が芽生えた」

 

 それって――? そう聞く前に、マーテルは俺に再度向き直る。

 

「お前達と別れたくないという感情だった。お前達と一緒にこの世界で暮らしていくうちに、お前達とずっと一緒に居たいと思い始めてしまったのだよ。

 お前達と一緒に居たい、だけど世界を守りたい、だけどお前達を無事に現実世界に帰したい、だけど別れたくない。四つの相反する思いを抱いた我は、再び身体の中にエラーを蓄積し、少しずつ崩壊を始めたのだった。しかもこのエラーは、その思いによるものだけではなかった」

 

 マーテルは俺の隣に並ぶ、妹であるMHCPの試作一号、ユイを眺めた。

 

「ユイだ。我は消されそうになったユイを本能的に助けたいと思い、MHHPだけが行使できる機能を使って、ユイをカーディナルから切り離し、更にその中に内包されたエラーを全て吸い取った。ユイがキリトのナーヴギアに送信されて、エラーを失った理由はそこにある」

 

 あの時助けられたユイが驚いたような顔をして、その隣に並んでいるシノンが同じような顔でユイを見つめる。

 

「リランが、ユイのエラーを肩代わりしたっていうの」

 

「そういう事になる。だが、それにより我の力は若干弱まり、結果として《ホロウ・アバター》の侵喰を許す事になってしまった。それに侵喰を進行された我は、《ホロウ・アバター》の本能の暴走により、我は《笑う棺桶》を全滅させるなどという蛮行に及んだ」

 

 マーテルは俯いた。

 

「そして終わりが近付くと、やはり《ホロウ・アバター》は守るべき世界の終焉を回避すべく、我の事を更に侵喰した。時に我の喋り方というものがおかしくなったのはそれによるものだ。そして、ついに100層に辿り着いた時に、《ホロウ・アバター》が我を乗っ取って具現化したのだ。

 もっとも、その時には我自身が崩壊を早めるような無茶をしていた……どこかの馬鹿者に乗せられて慣れないような事をしたのが原因だったのかもしれぬな」

 

 マーテル/リランが《ホロウ・アバター》に呑み込まれる直前にやっていた事といえば、皇帝龍との戦いに赴いていた事だが、それよりも前にやっていた最大の無茶といえば、シノンの治療。まさかとは思うが、あれがリランの崩壊を早めてしまった最大の原因なのではないだろうか――それに気付いたであろうシノンが、今にも泣き出しそうな顔になる。

 

「もしかしてそれって、まさか……」

 

 マーテルはシノンに向き直り、軽く笑った。

 

「おい、真に受けるではないわ、冗談だ。流石にお前を悲しませたまま最期を迎えるつもりはないよ」

 

「なによ……なんであんたは、今にも自分が死んじゃうみたいな言い方をしてるのよ。あんたは、《ホロウ・アバター》から解放されて、ようやく元の自分を取り戻せたっていうのに」

 

「そうだからだ」

 

 その時に、俺は気付いて瞠目した。抱きかかえているマーテルの身体に、ユイがカーディナルに消されそうになった時と同じような光が発生してきていて、少しずつその身体が透明になってきている。

 

「マーテル、お前!!」

 

「須郷が死した事により、カーディナルが完全に活動を再開した。そこで破損したプログラムである我を見つけて、削除に取りかかっているのだろう。我はこの世界そのものを呑み込んでいるのと違いないくらいにデータを取り込んだ。だからこそ、カーディナルからすれば完全な脅威だ。脅威は今すぐにでも排除せねばなるまい」

 

 マーテルの言葉に周りの皆が驚きの声を上げて、その名を呼び始めると、シノンがユイに声をかける。

 

「ユイ、マーテルは……リランは!?」

 

「マーテルさんの言う通りです。今、カーディナルシステムが完全に活動を再開し、須郷により破壊された部分や異物と思えるデータの削除を開始しました。その中に、マーテルさんも含まれます……」

 

 このままではマーテルが死んでしまうというのに冷静なユイに、俺はシノンと同じように声掛けする。

 

「そんな、マーテルは、リランは助からないのか!? お前、そういう事出来るんじゃないのか!?」

 

「出来るならとっくにやってます! でも、マーテルさんは《ホロウ・アバター》の消滅や度重なるエラーによる崩壊などで、データそのものがこれ以上ないくらいに破損していて……オブジェクト化などが効かないんです……!」

 

 ユイの時はどうにかなったというのに、肝心なマーテルを助ける術はない。ユイからの冷酷と思える宣言を受けた攻略組はもっとざわめいて、その中の一人であるアスナがマーテルの身体に飛びつく。

 

「リラン、嫌だよ、リラン!」

 

「アスナ……我はお前と出会えてよかったと思っているぞ。あのままお前を放っておいたら、確実にお前の心は壊れていたかもしれないからな。だが、お前の治療は既に完了しているから、何も心配はいらないよ」

 

 アスナはマーテルにしがみ付いて、何度も首を横に振る。その瞳からは大粒の涙がとめどなく流れ出ている。

 

「いや、いやよ! ユピテルが死んじゃって、貴方まで死んじゃうなんていやよ! もっと一緒に、もっと一緒に居たいよ!! わたし、貴方が居なきゃ……笑えない……!!」

 

「すまぬが、それは叶えられぬ願いだ。最後の最後ですまないな……。

 だけど、お前は我無しでも十分に笑う事が出来る。お前は強い娘だよ、アスナ。それにそんなふうに泣くでない。お前に泣かれたら、我はMHHPとして失格になってしまうではないか」

 

 マーテルは弱弱しい手でアスナの頭をそっと撫でながら、続けてシノンへと顔を向ける。

 

「詩乃。キリトの意識をお前に接続したその時に、実は我もお前の記憶を覗かせてもらった。どれも見ていて酷いものだったが、お前はよくぞ負けずにここまで来た。よく頑張ったな……これからはお前の傍には愛するキリトがいるし、アスナやリズといった良い友人達もいる。もはや何も心配する要素はあるまい」

 

 シノンは泣き出しそうになりながら、か細く声を出した。

 

「そんな……私だって貴方に助けられた。なのに、私は貴方に何も返せてないわ……! 貴方は、私に何も返さないまま、あげさせないまま死ぬつもりなの……!?」

 

「我はお前から十分にもらったよ。だから、もう何もいらない。お前はキリトの妻であり、ユイの立派な母親だ。これからもしっかり頑張っていくのだぞ」

 

 その言葉を最後に、シノンは嗚咽を混ぜながら泣き始めるが、その頭にもマーテルは手を伸ばし、ゆっくりと優しく撫で上げた。そしてそんな事を続けて、消滅光が一気に強くなったその時に、マーテルは俺に顔を向けた。

 

「キリト。突然だがお前に尋ねたい事がある」

 

「なんだよ」

 

 マーテルは一旦思いとどまったように俯いた後に、顔を上げた。

 

「もし、我がお前が好きだったと言ったら、お前はどう思う」

 

 ――マーテル/リランが、俺の事を好きだと思っていた。

 その言葉を受けた瞬間に、俺はこれまでのリランの態度や、リランがある時一緒に過ごしたいと言ったりした時の理由などが、一本の線で繋がったような気を感じた。リランは俺の相棒になって、いつかはわからないけれど、ずっと……。

 

「まさかお前……そうだったのかよ。なんで、なんで言わなかったんだよ……!」

 

 次の瞬間に、マーテルは今にも泣き出してしまいそうな表情になりつつも、怒った。

 

「言えるわけがないだろうが。お前の隣には、お前が守らなければならない詩乃がいた。そしてお前を守る事を宿命としていた我と同じように、お前もまた詩乃を守る事を宿命としていたではないか。そんなお前に、お前の事が好きだなんて……言えるわけがないだろう」

 

 確かに俺の隣にはいつも詩乃がいたし、詩乃こそが俺が愛し、守っていくたった一人の人だった。だけどその存在が、マーテルを苦しめていたなんて。もしかしたら俺もまた、リランにエラーを蓄積させて、苦しみを与えていた張本人だったのかもしれない。

 

「マーテル、お前は……いや、俺だって……!」

 

 しかし、それから数秒も経たないうちにマーテルは微笑んだ。

 

「けれどなキリト、全てが終わった今だからこそ言おう。

 我はお前のそういう単純なところが大好きだった。本当に世話の焼ける<ビーストテイマー>だったが、お前の<使い魔>となって本当によかったと思うし、お前と過ごした時間も、どれも楽しくてたまらなかった。

 その中で、我の中にはお前への思いが芽生えたわけだが、我はあくまでAIで、人間と付き合うには相応しくない存在だ。そしてお前には、詩乃という相応しい存在がいる。お前はこれからも、詩乃の事を守っていくのだぞ」

 

 その言葉が終わったその時に、マーテルの身体の光が強くなり、より透明となって行く。今にも消えてしまいそうになっているマーテルの身体を、俺は揺する。

 

「マーテル! マーテル!!」

 

「……あ、そうそう。一つ言い忘れていた事がある」

 

 そう言って俺を黙らせた後に、マーテルは言った。

 

「まだアキヒコは生きているのだろう。ならば、どうかアキヒコを止めてほしい」

 

「アキヒコ……茅場晶彦の事か……?」

 

「あいつはこのような事をしてはいるが、本当は自分に近しい存在が、それと一緒に生きていける世界が欲しかっただけなのだ。

 だが、あいつはこんな形でそれを実行してしまった。こんなものはすぐさま止めなければならない。だからこそどうか、アキヒコを止めてくれ」

 

 アキヒコを止めてくれ。――マーテルは父親であるアキヒコを止めたいがために、記憶を失って崩壊しながら、ここまでやってきた。そういえばこれだけは、あの時倒したマーテルと今のマーテルは変わりない。

 

 だがそれは、娘であるマーテル自身が成し遂げなければならない使命のはずだ。

 

「何言ってるんだよ! 茅場はお前の父親だろうが! 娘のお前が止めなくてどうするんだよ!!」

 

「それが成し遂げられないからお前の頼んでいるのだろう。全く、最後の最後まで手間のかかる<ビーストテイマー>だよ、お前は……。

 だけど……だからこそ……わたしは、あなたが好きなのかもしれないね……」

 

 マーテルは呆れたように弱弱しく言った後に、消滅光を強くしながら、もう一度俺に言った。

 

「キリト」

 

「なんだよ」

 

「我がお前の<使い魔>だった時の名前、なんだったっけ。度忘れしてしまったから、また教えてくれぬか」

 

 マーテルが竜だった時、初めて出会った時に付けた名前。今まで散々呼んできたのに、もう忘れてしまったというのだろうか。いや、崩壊が進んだせいで思い出せなくなったのか。――理由も聞かないまま、俺はその名を呼んだ。

 

「お前に付けた名前の理由は、お前が再起動したみたいな奴だったからだ。再起動は英語で、リブート、リスタート、そして《リラン》。お前の名前は、リランだ」

 

 次の瞬間に、マーテル――リランは笑顔になって、その瞳から涙を一粒流した。

 

 

「……リラン。その名前、大好きだったぞ。それを付けてくれたお前も、な」

 

 

 リランがそう言った瞬間に、その身体は瞬く間に白金色の羽のエフェクトに包み込まれていき、眩しくて直視する事が出来なくなった。

 

「マーテルさん、リランさん……おねえさん!!!」

 

 その時、俺の腕を包み込む羽毛エフェクトの中目掛けてユイが飛び込んだが、ユイがその中に消えそうになった瞬間に羽毛は勢いよく散って、ユイの身体はすぐさま見えるようになった。

 

 その時すでにリランの姿はなく、虚無だけが遺されていて、羽毛は天へと飛び、消えていっていた。

 

「リラン……リラン――――――――――――――――ッ!!!」

 

「う、うぁ、うわああ―――――――――――――――ッ!!!」

 

 リランを失った俺とアスナの声だけが、静寂に包み込まれた紅玉宮に木霊した。

 




キリトを愛していたリラン。
そして次回、あの人が再登場。

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