キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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19:創造者との再会

 これまで一緒に戦い続けてくれた相棒の喪失と共に、俺は100層のラストボスを撃破し、この二年間に渡るデスゲームに終止符を打つ瞬間を待ちわびていた。

 

 だが、その時に笑っている人間など一人もおらず、ここまで自分達を導いてくれた存在を失ってしまった事による悲しみに明け暮れる一方で、それと親しくしていた者達は泣き崩れている事しか出来なかった。特に、一番泣いていたのはアスナだった。

 

「こんなの……ひどい……ひどいよぉ……」

 

 今にも泣き出しそうな顔をしてユウキが、その場にうずくまるアスナの背筋を撫でてやっているが、やはり泣き止む様子はない。

 

 元々アスナは攻略の鬼と言われるほどの酷い攻略方法をやっていた人だったが、それを変えて、純粋に世界を楽しめるようにしたのは、今さっき死を迎えてしまったリランだった。

 

 ひょっとしたらリラン自身はMHHPの本能に従ってアスナの心を治療したのかもしれないけれど、アスナはずっとリランに救われてきたに違いないし、リランを心の拠り所にしていた。

 そんなアスナへの、元々はただのAIだったけれど、自分の事を母と呼んで慕ってくれたMHHPユピテルの消失、そしてリランの消失という現実は、これ以上ないくらいに酷い仕打ちだ。

 

「リラン……リラン……」

 

 そしてリランに救われていたのはシノンも同じだった。シノンも傷付いた心のままここへやってきて、そしてここまで様々な事を経験してここまで辿り着いたけれど、シノンをここまで導いたのは俺だけではなく、リランだってそうだったし……リランがいたからこそ、俺達ではどうにもならないシノンの発作を抑え込めたようなものだった。

 

 そんなリランの事を、シノンもまた心の拠り所にしていたのだろう。――咽び泣くシノンを俺は抱き締めながら、その頭を撫でてやっていた。そしてもう片方の腕で、リランの事を助けるのに失敗したであろうユイの身体を抱いていた。

 

「パパ……ごめんなさい……リランさんを……おねえさんを助けられませんでした……」

 

 ユイがあの時消えゆくリランの身体に飛び込んだのは、リランを咄嗟に取り込んで助けようと思ったからだったのだろう。だが、その寸前でリランの身体は霧散して、そのまま消え果ててしまった。恐らくユイが飛び込む直前でカーディナルが消去を完了してしまったのだろう。俺は何も言わずに、自分の行いを後悔する娘の頭を撫でる。

 

「これがゲームクリアか……なんでこんなに虚しいんだよ……」

 

 今までずっとリランのようなドラゴンを求めていたクラインが小さく呟く。確かに俺達はラストボスを倒す事に成功して、ゲームクリアを果たしたはずだった。そのはずなのに、誰一人としてその現実を喜ぶ事が出来ていない。――あまりに、代償が大きすぎた。

 

「ユピテルも、リランも死んで……何がゲームクリアだよ……」

 

 第1層の時からこの時までずっと攻略組を率いて戦ってきたディアベルの顔にも、喜びの表情などというものは浮かんでいない。ゲームクリアという目標も、リランの犠牲によって成り立ったというのが、よほど信じられないのだろう。

 

 周りの皆を見てみても、アスナと同じように泣いているか、その場で跪いて動けなくなっているかのどれかだった。リズもリランと仲良くしていたし、シリカも話が出来る<使い魔>としてよく話をしていたし、リーファもフィリアも普通の人間のそれと同じようにリランと良い友達関係を築いていたし、ストレアは同じAIだからという事でリランに親近感を持っていた。

 

 きっと皆、リランと一緒にこの世界を終わらせたいと思い続けてここまでやって来たのだろう。だが、それは叶わない願いになって、全てが終わってしまった。

 

 そして俺のステータスバーからは人竜一体ゲージが消えてなくなっており、リランが俺に与えてくれたであろうユニークスキルとやらも消失しているというのに、全くと言っていいほど喪失感というものを感じていなかった。いや、むしろなにも終わっていないという感覚に襲われ続けていると言った方が正しいかもしれない。

 

 リランは死に際に、茅場晶彦を止めろと言った。ゲームクリアを果たす事は出来たけれど、茅場晶彦を止めたわけではない。リランの死をかけた願いを叶えない限りは、終わる事など出来ないのだ。

 

 そして茅場は、あの時俺達を支援したから、俺達の戦いの全てを見ていたはずだ。自分の息子が皇帝龍に取り込まれて死んでしまったところも、自分の愛していた娘がカーディナルに消去されてしまった瞬間も、何もかもを見ていたはずなのだ。俺達の声が届くところに、いるはずだ。

 

「まだ、終わっちゃいないよ……」

 

 シノンとユイを抱き締めながら、小さく呟いたその時だった。

 

「いや、終わったのだよ」

 

 皆のものではない鋭い声が聞こえてきて、泣いていた者達は一斉に泣き止み、俺は驚きながら背後を振り向いた。紅い壁と床に金色の装飾が施されている宮殿の大広間、その最奥部に位置する紅色の玉座のすぐ前に、声の主を見つけ出して、俺達は完全に瞠目する。

 

 

 紅い鎧に身を包み、白銀の盾と剣を左手に持ち合わせて白いマントを棚引かせている――聖騎士とも呼べる風貌で、真鍮色の瞳と髪の毛が特徴的な男。俺が現在座っている椅子に、かつて座っていた男であり、俺が求めていた存在。

 

 

 それがまるで狙ったように現れてきた事に俺は驚きながら、その名を呼んだ。

 

「ヒース……クリフ……!!」

 

 俺がいきなり剣を振ってきそうだと思ったのだろう、ヒースクリフは首を横に振った。

 

「身構えないでくれよ。別に疲れ果てた君達を叩き潰しに来たわけじゃない」

 

 それまで泣いていたけれど、聖騎士の登場に涙を引っ込ませたアスナが小さく言う。

 

「今頃……何をしに来たっていうの……」

 

「詫びだよ。私はこれまで何の説明もせずに君達を放置していたようなものだからね。その詫びをしようと思って来たんだよ。何故そのような事になったのか、そしてなぜ私が生きているのかの説明をしなければならないだろう」

 

 確かにあの時茅場は突然俺達に声を送って来て、俺達の支援をして一緒に皇帝龍を倒してくれた。だけど何故あのような事になったのかはまるで聞いていないし、先程は完全に音信不通になったから、わからないままだった。

 

「そういえば、その辺りの話は聞いていなかったな……」

 

「随分と悲しみに明け暮れているみたいだけれど……私の話が聞けるのか」

 

「大丈夫さ。といっても、あんたが何であんな事になったのかは、あんたの部下から粗方聞いたけれどな」

 

 攻略組の代表、血盟騎士団団長として言ってやると、ヒースクリフは「ふむ」と言った。

 

「なるほど、張本人が話してくれたという事か」

 

「あんたは75層で戦っている時に、須郷にクラッキングされたんだ。そしてそのまま権限をはく奪されて消滅させられた」

 

 ヒースクリフは頷いてみせる。

 

「その通りといえばその通りだな。あの時私は須郷君にクラッキングを受けて、更にマスターアカウントの機能を封じられてしまうという出来事に襲われた。そして今の今まで、MHHP達を封印していたところとほとんど同じところで、意識を幽閉されていたんだ。

 そも、そのような事は出来なかったはずだけれど……技術を上げた須郷君がカーディナルシステムの一部を麻痺させてくれたおかげで、そのような勝手が許されてしまった。これはゲーム管理者としての私の落ち度だ」

 

 やはり何もかも須郷が原因――いや、須郷を躍らせていた《ハンニバル》が原因だったと思って間違いなかったようだ。そんな事を考えていると、ヒースクリフは続けた。

 

「いや、元々カーディナルシステムが麻痺をしたのは、MHCP達やMHHP達がプレイヤー達の抱える負の感情というものに対処しきれず溜め込んだ、膨大なエラーがコアプログラムに流れ込んでしまったのが原因なのだがね。完全に私からしても想定外の出来事だったんだ。

 一刻も早くこの事を君達に伝えたかったのだけれど、如何せん意識を幽閉されていたものだから、そのような事は出来なくてね。何がトリガーになったのかはわからないけれど、ようやく君達の元へ現れる事が出来たというわけだ」

 

「……」

 

 完全に聞き入って黙り込む攻略組を見つめながら、紅衣の男は顎に手を添えた。

 

「しかし、君達には本当に驚かされたよ。私が居なくなった後も勇ましく攻略を続けて、様々な異変に襲われながらもそれら全てを乗り越えていたなんて。特に、私が意識を取り戻した時、君達が《ホロウ・アバター》と融合を果たしたマーテルと戦闘を繰り広げていて、そして勝利を収める瞬間がモニタリングされていたものだから、実に驚きだったよ。恐らく君達がこの戦いを始める前にやった戦いが、私の意識を覚醒させる要因を作ったのだろうね」

 

 そこで、俺は思わず顔を上げて目を見開いてしまった。今、明らかにヒースクリフがおかしなことを言ったような気がする。気のせいだろうか――そう思いながら俺はヒースクリフに問うた。

 

「な、何を言ってるんだよヒースクリフ。お前はもっと前に意識を取り戻して、俺達と一緒に戦ったじゃないか。無敵だったユピテルを解体して、須郷を一緒に倒したじゃないか」

 

 ヒースクリフは珍しく目を丸くして、少しだけ首を傾げる。

 

 

「む? 何を言っているんだ、君は。私はマーテルと君達が戦っている時に覚醒を果たしてここに具現できたのだよ。君達は須郷君と戦っていたのかい」

 

 

 話が噛み合っていない。あの時ヒースクリフ/茅場は確かに俺達に《声》を送ってきて、回復アイテムなどの支援もしてくれて、尚且つ皇帝龍となったユピテルを倒すために、解体を行ってくれた。

 

 なのに本人は何も覚えてないというか、そもそもその時覚醒していなかったように言っている。明らかに、俺達の言い分と茅場自身の言い分が異なりすぎている。

 

「どういう事だ……お前は俺達の支援をしたんじゃなかったのかよ」

 

 クラインの言葉にも、ヒースクリフは顎に手を添えて不思議がる一方だった。しかしやがて、顎から手を離して小さな笑みをその口元に浮かべた。

 

「しかしまぁ、ラストバトルの展開は予想以上に面白いものだった。まさか君の<使い魔>になっていたマーテルが《ホロウ・アバター》となって君達に立ち塞がるなんて、まるでスタンドアロンRPGのシナリオみたいじゃないか」

 

 その言葉を聞いた瞬間、突然アスナが怒鳴った。

 

「何よその言い方は!! 貴方は、貴方はユピテルとマーテルのおとうさんなんじゃないの!? 息子と娘が殺されたっていうのに、貴方は何とも思ってないの!!?」

 

 あれはもはや感情模倣機能を搭載したAIなんかじゃない、あれはコンピュータとネットの世界で生み出された立派な命、人間と謙遜のない子供であると熟知していたアスナの口から飛び出す言葉は全て、これ以上ないくらいの真実性を帯びていた。

 

 しかし、当の父親であるはずのヒースクリフ/茅場晶彦は平然としているだけだった。その姿が流石に頭に来て、心の中に強い怒りが込み上げてくるのを感じて、それをぶちまけるように俺も怒鳴る。

 

「マーテルは……マーテルは須郷に利用されながらもあんたを止めようとしてたんだぞ! なのにあんたと来たら、そんな息子と娘が死んだっていうのに、それがまるでRPGのシナリオみたいだと? ふざけるなッ!!」

 

 ヒースクリフは真鍮色の瞳に何の光も携えない――いや、は今まで通りの光を浮かべながら、その口を開く。

 

「そうだった。君達は私達以上に彼女達と仲良くしたんだっけね。だとすれば今の言葉はあまりに酷なものだったか……すまない、今のは取り消そう。彼女達が死んでしまったのは、悲劇だった」

 

 言い直してもらっても、全くこの男から説得力というものを感じられない。須郷程ではないけれど、ここまで説得力のない言葉を吐く人間を、俺は見た事がない。

 

 これなら部下のイリス/芹澤の方が説得力がある。いや、ここまであの人の話を聞いて来れたのは、あの人がなんだかんだありながら俺達に協力をしていたからだから、説得力も関係ない。

 

 部下の方がましだったぞと思われているのもわからないように、ヒースクリフは言葉を紡ぎ続ける。

 

「だが、君達が無事にラストボスを撃破してみせた事だけは事実だ。君達は尊い犠牲を払いながらも、この世界をクリアしたんだよ。一番最初に約束したとおり、君達を現実世界へと送り返そう。ゲームクリアおめでとう、戦士達よ」

 

 神からの祝福を受けて、攻略組の者達は完全にそこから目を離す事が出来なくなる。確かに俺達は無事にラストボスを倒したから、ゲームクリアを果たした事に間違いないし、これから現実世界に帰る事になるのだろう。

 

 二年前のあの日から始まった長き冒険と戦い、その全てが今、創造者たる茅場晶彦によって終ろうとしている。願いに願い続けたその時がこうして目前まで来ているというのに、やはり攻略組は静かだった。あまりに突然の事で、どう対処すればいいのか、よくわからないでいるのだろう。

 

 そしてそんな攻略組の一人であり、いつの間にかその代表のようになってしまっている俺は、全くと言っていいほどヒースクリフの話を呑み込む気にはならなかった。いや、呑み込む事など許されないのだ。

 

 ここでゲームクリアなんて事になって、現実世界に戻されてしまえば、ヒースクリフ/茅場晶彦を止めてくれというリランの願いを叶える事が出来なくなってしまうし、そんな事になってしまったならば、俺は現実世界に帰ったとしても、リランと共に過ごしたこのアインクラッドに、心を置いてきてしまう事になるだろう。

 

 そんな状態になって現実に帰っても虚しいだけだし、リランの死をかけた願いを叶えられなかったという事を一生引きずりながら生きる事になってしまう。そしてここで茅場晶彦を止めておかなければ……今度また何を始めるかわかったものではない。

 

 リランの願いを叶える事は、俺が<ビーストテイマー>としての役割を終える事と、茅場晶彦のこれ以上の悪行を止めておくことに他ならない。

 

 例え先程の戦いでラストバトルとかいうものが終わっているのだとしても、引き下がる気になどならない!

 

「……茅場」

 

「む? なんだねキリト君。いや、血盟騎士団団長殿」

 

 元血盟騎士団団長に向かって、俺は顔を上げる。真鍮色のその瞳には、やはり何事にも動じない光が浮かんでいる。

 

「……そう何でもかんでも、あんたの思い通りになると思うなよ」

 

 意味がよくわからないのだろう、ヒースクリフは首を軽く傾げて顎に手を添える。

 

「どういう事だね。話がよく読めないのだけれど」

 

「俺は死に際のリラン……あんたの娘であるマーテルから聞いた。彼女は、あんたを止めたがっていた。自覚ゼロなんだろうけれど、あんたの暴走を止めたかったんだ。そしてその役目を、彼女は俺に託して死んだ」

 

「……マーテルの遺言、という事か」

 

「そうだ。彼女は、マーテルはリランになりながらも、須郷に利用されながらもあんたを止めようとしていたんだ。それくらいに、あんたへの思いは強かったんだよ。そして、あんたを止めてやりたいっていう思いもまた、すごく大きくて強いものだったんだ」

 

 紅衣の男はふむ、と小さく言う。

 

「それで?」

 

「ここでゲームクリアなんてされたら、あんたを逃がす事になる。現実世界のどこにいるのか知らないけれど、マーテルの願いを叶えられなくなる。マーテルの願いを放棄したままあんたを取り逃がして、世界を終わらせる事になる……」

 

 攻略組の者達が驚いたような顔になり始めた頃に、ヒースクリフは何かを思い付いたような表情に一瞬なって戻り、その口を開いた。

 

「つまり君は、無謀にも私ともう一度戦いたいと思っているのかい」

 

「そういう事だ。俺にとってのアインクラッドのラストボスは須郷でもマーテルでも、《ホロウ・アバター》でもない。俺にとって、この《ソードアート・オンライン>のラスボスは、ヒースクリフ、あんただ」

 

 その言葉を皮切りに、まるでヒースクリフが、自身こそが茅場晶彦であると宣言した時のような強いざわめきが起こり、俺の目の前にリーファが躍り出てきた。その顔には焦りの表情が浮かべられている。

 

「何を言ってるのおにいちゃん! ラスボスは倒したんだよ、このゲームを終わらせる戦いに勝ったんだよ! なのになんで、なんでそんな事言い出すの!?」

 

 リーファ/直葉の頭に手を乗せて、俺は答える。

 

「ごめんなスグ。あいつを止めるっていうのは、リランとの約束だ。やっぱり、リランとの約束を放棄したままこのゲームを終えるなんて事は、俺には出来ないよ。

 それに、もしあいつをここで放っておいたままゲームを終えたら、きっとこのアインクラッドに心を囚われたままになってしまいそうなんだよ。そんな状態で現実に帰ったって、虚しいだけだ。

 だからこそ俺は、あのヒースクリフを今度こそ倒すんだ。ヒースクリフを倒して、ヒースクリフを止めて、ヒースクリフの作った世界を完全に終わらせるんだ」

 

 そう言って俺はリーファを退けて前へ、ヒースクリフの元へ進み始める。それとほぼ同時に、攻略組の方から、俺を引き留める声が無数に鳴り始めるが、それの直後に俺は振り返った。

 

 気付かないうちに、俺は皆からかなり離れた場所に着いていた。いや、俺自身ただヒースクリフに近付いただけだから、そもそもヒースクリフが思っていたよりも遠い場所にいたらしい。

 

 叫んでいる仲間達の顔には、どれも心配と引き止めの表情が浮かべられている。出来る事ならばこの場にいる全員でこのまま帰りたいけれど、やはり俺はリランとの約束を果たさなければならないし、それは他のみんなを巻き込むわけにはいかない。

 

 いやそもそも、リランが願いを託したのは俺だ。他の誰かには、リランの願いを成就させる事など出来やしない。この場でヒースクリフと戦う事が許されるのは、俺だけのはずだ。

 

「全員、そこを動くな! 俺はこれからヒースクリフと戦う。その戦いには、誰一人として手を出すなッ!!」

 

 血盟騎士団団長――これまで攻略組という戦士達をまとめてきた一人の人間としての声を木霊させると、それまで声を上げていた者達が一斉に黙り込んだ。

 

 その中にはこれまでずっと武器をメンテナンスしてくれていたリズベット、同じ<ビーストテイマー>として助言をくれていたシリカ、素材探しを手伝ってくれたフィリア、別なゲームであるというのに、俺と一緒に戦ってくれたリーファ、流されてきたのに順応して、攻略組の戦力を大幅に引き上げてくれたユウキ、MHCPであり記憶喪失でありながらも戦ってくれたストレア、そしてユピテルを失いながらも戦い、血盟騎士団を支えてきてくれたアスナの姿もあり、どの者達の顔にも心配しているような表情が浮かべられている。

 

 だが、その中でたった一人だけ、心配の表情を浮かべていない人がいた。それは今まで俺の傍にずっといてくれて、こんな俺を愛してくれて、結婚までしてくれた唯一無二の少女、シノンだった。

 

 こんな事になった時には、真っ先に俺に飛びついて来るはずのシノン。しかし今、彼女はそのような様子は一切見せずに、ただ俺の事を見つめているだけだった。その顔には、一切の心配もみられない。

 

 そんなシノンへ声をかけようとした瞬間に、彼女の口が開かれた。

 

「血盟騎士団団長の夫人として命ずるわ、全員聞きなさい!!!」

 

 その高らかな声が紅玉宮全体に木霊すると、ヒースクリフも俺も含めたこの場の全員がシノンに向けられる。一体何事かと周りの皆が完全に言葉を失った最中に、シノンの声は再度響き渡る。

 

「血盟騎士団団長は、キリトは、絶対に負けないわ。これから茅場晶彦と戦うけれど、その戦いにも勝つわ。それにね、キリトはあの時唯一無二の相棒から願いを聞いたの。その願いは、彼にしか叶える事が出来ない。私達ではどうにもならないの。だからこそ、どうか彼に最後の戦いを、させてあげて!!」

 

 まさかの団長夫人からの指令。普段俺もしくはアスナが通達するような命令がシノンの口から飛び出してきた事に、この場にいる全員が驚きを隠せないでいる。しかもその声色は、これまでの彼女からは考えられないほどに強気なものだった。

 

 その高らかな指令が終わり、重さのわからない沈黙が紅玉宮を覆った数秒後、その静寂は一つの声によって破られた。その声の主は、ギルド風林火山のリーダーであるクラインだった。

 

「そうだな……リランはあの時キリトに願いを託したんだ。やっぱそれは、キリトにしか叶えられねえよな! みんな、大丈夫だ! キリトは攻略組最強のプレイヤーだ、茅場晶彦なんかに負けるほど(ヤワ)じゃねえ!!」

 

 続けて、聖竜連合のリーダーであるディアベルと、攻略組を支えていた一人であるエギルが声を張り上げる。

 

「勝て、キリト!! リランの願いを叶えてやってくれ! それが出来るのは、お前だけだ!」

 

「負けるなんて絶対に許されねえぞ! 例え死んでも勝ちやがれ!!」

 

 リーダーの声を受けた聖竜連合の者達もまた、俺に向けて声援を送り始める。それに煽られたかのように、リズベットとシリカも声を張り上げる。

 

「負けるんじゃないわよ、キリト! 絶対に勝って!!」

 

「キリトさん、リランさんの願いはあたし達の願いでもあります! 勝って、この世界を本当に終わらせてください!!」

 

 更に続けて、フィリアとリーファが叫ぶように言う。

 

「キリト、どうか勝って! リランとユピテルの死を、無駄にしないで!!」

 

「おにいちゃん、勝って!! 絶対に、絶対絶対、勝って!!」

 

 そこへ便乗するかの如く、もしくはそれを超えようとするかの如く、ストレアとユウキが叫ぶように俺に伝える。

 

「キリト、アタシの大お姉ちゃんの願いを、叶えて! それが出来るのは、キリトだけだけど、大丈夫、キリトなら出来るよ、絶対!!」

 

「ボクはキリトとALOでも戦いたいんだ! だから勝って、無事に帰ってきて、キリト!!」

 

 最後に、シノンの隣に並んでいるユイとアスナが、俺の事をじっと見つめたまま、力強く言った。

 

「パパ、これが最後の戦いです。どうかおねえさんの願いを叶えて……わたし達の創造者(おとうさん)を止めてください!! おねえさんと同じ願いを、パパに託します!!」

 

「キリト君、どうか、ユピテルとリランの願いを、叶えてあげて!!!」

 

 それを皮切りに、どっと声援が巻き起こる。それはまるで、ヒースクリフと初めてデュエルを行った時の事を思い出させるようなものだったけれど、あの時とは違って、ヒースクリフよりも、俺の事を応援する声がほとんどだった。

 

 その光景を見て、俺は皆からこれだけの信頼を受けている事と、この戦いは決して負ける事の許されないものである事を強く自覚する。

 

 いや、負ける事など許されるものか。

 リランと、約束をしたのだから。――リランの願いを、託されたのだから。

 

 そしてその声援の中、一人だけ何も言わずに、ただ俺の事を見つめている人に、俺は目を向ける。ある時俺の元へ落ちてきて、それ以来俺と一緒に居てくれて、俺がやった事を受け入れてくれて、こんな俺を愛してくれた唯一無二の人、シノン/朝田詩乃。

 

 その顔には、心配など一切感じさせない、強くて優しい微笑みが浮かべられている。

 

 ――心配なんていらない。あなたは絶対に勝つ。だからこそ、戦ってキリト。

 

 そう言っているのがその顔だけでわかり、俺は何も言わずに頷いて見せた。

 

 ――わかったよ。必ず君の元へ帰るから、待っていてくれ。

 

 言葉無くそう伝えると、俺は振り返り、創造者たる紅衣の男の元へ静かに歩いて近付く。紅衣の男――ヒースクリフは無機質な目つきのまま、軽く微笑んでみせる。

 

「随分と信頼されるようになったじゃないか、キリト君」

 

「あんたが突然開けた穴に俺が収まったんだよ。でも、この事に関しては感謝したいところだな、ヒースクリフ」

 

「だけど、私と戦う事が許されたのは君だけのようだから、妨害が無いように辺りに壁を配置しておこう」

 

 そう言ってヒースクリフが左手を動かしてウインドウを呼び出して、何かしらの操作をすると、後ろの方で大きな音が聞こえた。咄嗟に振り返ってみれば、かなり後方にいるみんなの目の前に、巨大な紫色の半透明の壁が出来ている。

 

 逃げ道を塞がれたと同時に、これで戦いに専念できるようになった。

 

 壁からヒースクリフへ顔を戻すと、俺は背中の鞘から二本の剣を引き抜き、構えた。リズベットがあの時作ってくれた魔剣クラスの性能を持つ最高傑作《ダークリパルサー》、ヒースクリフが落とした者を再利用して使い、黒く塗り替えた《インセインルーラー》。その《インセインルーラー》を見るや否、ヒースクリフは口角を少し上げる。

 

「なるほど、それは私のものと同じか」

 

「そうだよ。あんたが落としていったものを使ってる。まぁあんたはいくらでも呼び出せるみたいだけどな」

 

 ヒースクリフは何も言わずに、盾から一本の長剣を引き抜いた。その形は俺の右手に握られている剣と完全に同じで、白銀の刀身に赤い十字が刻まれている。同じ剣を持つ者同士であり、同じ血盟騎士団長同士の戦い。

 

「この前みたいに事前にHPを減らすのは無しだ。普通に戦って、どちらかのHPを完全に削り切った方が勝ちだ」

 

「全快からの完全決着式デュエルという事か。面白いじゃないか」

 

 そう言ったヒースクリフが長剣を右手に、左手に盾を構えたその時に、俺は深呼吸をしつつ身構える。

 

 ついに、俺はラストバトルに臨む。あの手の届かない場所にいたはずの茅場晶彦との戦いに、リランを生み出した父親に挑もうとしている。そしてその戦いは、絶対に負けられないのだ。

 

 これはこの前と同じ、デュエルなんかじゃなく、寧ろ単純な殺し合いに近いが……殺し合いなんかじゃない。そんな事をリランは望んでいなかった。

 

 そうだ。

 

 俺はこの男を、止める!!!

 

「来るがいい、最強のプレイヤーよ。正真正銘のラストバトルを始めよう!!!」

 

「いくぞ、茅場晶彦! 今度こそあんたを止めて、この世界を終わらせる!!!」

 

 

 その言葉を皮切りに、リランの願いをかけた戦いが開幕された。

 




次回、最終決戦。
そして今回の話で何か思いついた方がいるのでしたら、メッセージの方でお願いします。

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