キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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02:診察の終わり

 マンションから出て都心部に入り込み、高速道路に入って行くと、やはり休日である事と、絶好の行楽日和ともいえる気象条件が関係していたのだろう、ぐんと車の数が増えた。

 

 まるで行列に並ぶ人々のようだと詩乃が言うと、本当にその通りだと愛莉が返す――そんな傍から見れば姉妹にも見えるような会話をしながら、車の群れの中を進んでいくと、あっという間に都心部を抜けて、海が見えてきた。

 

 

 そこで愛莉の車は高速道路を下りて下道に出て、いくつかの信号を潜り抜けていく。そうしているうちに海沿いの公園に辿り着き、車が沢山止まっている駐車場に差し掛かったが、愛莉はそこを無視して走り続け、公園から少し遠くにある、車が全く止まっていない第二駐車場へと入って、尚且つ他の車から遠い場所に駐車した。

 

 少しだけ高い丘の上にあるためか、少し遠く感じられるものの、フロントガラスの外には真っ青な空とそれを映し出している穏やかな海が広がっていた。

 

 

「海、綺麗ですね」

 

「あぁ。そしてここなら、誰にも聞かれる心配はないだろう。駐車場の端に止めてある車の声を聞こうとする物好きなんて、いやしないしね」

 

 

 そこで、詩乃はシートベルトを外して、身体を軽く愛莉へ向ける。元々ここに来た理由は、愛莉から大事な話というものを聞くためであり、遊びのためではない。本人もそれを理解していたのか、愛莉の表情は少しだけ険しいものに変わっていた。

 

 

「それで愛莉先生、大事なお話ってなんですか」

 

「……落ち着いて聞いてくれ、詩乃」

 

 

 愛莉はシートベルトを外して、身体ごと詩乃へと向けてから、そっと唇を開いた。

 

 

「今週で、私は精神科医を辞める事になったんだ。勿論、今いる病院からも退く事になる」

 

 

 愛莉の桜色の唇から紡がれた言葉を耳に入れた途端に、詩乃は一瞬、風に煽られて揺れる波も、草木も、揺れる事をやめて眠ってしまった世界へ飛ばされたような錯覚を覚えたが、その世界からすぐさま戻ってきて、口を動かして言葉を紡ぎ返した。

 

 

「え、え? どういう事ですか」

 

「だからつまり、君の専属医師から退かなきゃいけなくなったって事。同時に、君への治療も終わる事になる」

 

 

 愛莉と初めて会って、専属医師と患者の契約を交わした時に、教えてもらった期間の事を詩乃は思い出す。確かあの時は、高校生活と同じ3年という契約であり、経過を診て治療が遅れた場合はそれ以上にするという話だった。

 

 愛莉の治療を受け始めたのが、SAOに囚われる前の9月。12月にSAOに閉じ込められて、そこで診察開始から一年目を迎えており、11月にSAOを脱して、今現在は年を越して4月。まだ3年どころか2年も経過していない。

 

 

「ちょ、ちょっと待ってください先生。急にどうしてですか」

 

「そう、急な出来事があってね、私もちょっと焦ってしまっている。だけど君の事は和人君が――」

 

「そうじゃなくて、何で急にそんな事になったんですか。だってまだ、3年も経ってませんよ!?」

 

 

 詩乃が慌ただしく言うと、愛莉は軽く溜息を吐いてから、運転席のチェアの背もたれに寄りかかり、正面を向いた。

 

 

「嗅ぎつけられたのさ。いや、ばれたって言った方が正しいか」

 

「嗅ぎつけられたって、何をですか」

 

「詩乃。私が元アーガスのスタッフであり、SAO開発者の一人で、リランやユピテル、ユイやストレアを作り出した人間であるというのは知っているよね」

 

 

 愛莉はこの仕事を始める前はプログラマーをやっており、あの悪魔のゲームとも言われたSAOを作り出して、世に産出したアーガスの元スタッフだ。SAOに閉じ込められていた時には、自分と和人、明日奈、里香達と言ったごく一部の人間だけが知っている状態であり、本人も自分達以外には話していなかった。

 

 

「わかります。愛莉先生から直接聞きましたから」

 

「この、私がSAO 開発者であり、AI技術者だっていう事実を誰かが見つけたみたいなんだ。ネットの力を使ってアーガスのスタッフのリストを見つけ出して、AI開発者が私である事を突き止めた連中は、私をあるゲームの開発者に加えたいとアプローチして来たんだ」

 

 

 確かにマーテル、ユピテル、ユイ、ストレアはAIだけれど、これまで見た事がないくらいに高性能かつ心豊かで、もはやネット世界で誕生した生命体と言っても過言ではないくらいの存在だ。

 

 そしてそれを作り出した愛莉は間違いなく茅場晶彦に並ぶ天才AI科学者。――ゲーム会社やソフトウェア会社なら、喉から手が出るくらいに欲しいと思える存在だ。

 

 その事実を隠しながら、全く別に仕事に取り組んでいた評判高き美人精神科医は、深い溜め息を吐いた。

 

 

「しかもそこで作られているゲームとやらは、ALOだとか、そういう市販のゲームを遥かに超えているものらしくてね、実物を軽く見せてもらったけれど、本当にそう思えるものだった。

 

 そしてその開発者達は、このゲームにあなたの作ったAIを組み込みたいと言って、頼み込んできたのさ。協力してくれるならば、あなたがやっている仕事よりも遥かに高額の報酬金を毎月支払おうってね。

 

 ちなみにその会社の名前は、他言無用でね、そもそもこの情報そのものも、他言無用だって釘を刺されたものだったんだ」

 

「だから……お医者様を辞めるんですか」

 

「あぁ。私の他の患者であるシュピーゲル……新川(しんかわ)恭二(きょうじ)君にもこれは伝えてある。彼は別に大丈夫だと言ってくれた。あとは君だけなんだ、詩乃」

 

「……先生は、このお仕事よりも、そっちのお仕事の方がいいんですか」

 

 

 専属医師の鼻から、すぅぅという息を吐き出す音が聞こえてきて、車内全体に広がる。その後すぐに専属医師は、下腹部の前で手を組みながら、専属患者の方へと向き直った。その目つきは、どこか寂しげかつ穏やかなものだった。

 

 

「……わたしはね、詩乃。勿論、あなたを診る事が嫌いだったわけじゃないし、寧ろ好きだったけれどね、AIを作る事の方が何よりも大好きだった()()

 SAOを作っている時も、マーテルとユピテルを作っている時も、ユイとストレアを作っている時も、とても楽しくて生き甲斐を感じていたわ。まさに、自分がやるべき事をやっているような感じがしてね」

 

「……」

 

「これがわたしの使命なんだ、わたしの運命なんだって感じる仕事が、AIの研究と開発、発育だったのよ。おかげでわたしはあの子達のような存在を作り出して、あなた達の元へ行かせる事が出来た。わたしのやりたい事は、やっぱりAIの開発と研究、それなのよ」

 

 

 精神科医をやっている時とはあまりに違う、優しげな雰囲気と、非常に女性らしい喋り方。まるで慈母のような暖かさを感じる愛莉を目に入れた詩乃は、これこそが真実の芹澤愛莉、AI研究者として活動する時こそが、本来の彼女である事を無自覚に察する。

 

 

「確かにあなたには悪い事をするわ。寂しい思いをさせる事にもなるだろうし、不安にさせているかもしれない。わたし自身も、突然こんな事になってしまって戸惑ってる部分もあった。だけど、やっぱり私のやりたい仕事っていうのは、AIの研究なのよ」

 

 

 主治医は、きょとんとしてしまっている専属患者の方へと身体を向け直す。

 

 

「だからね、詩乃。わたしはもう一度AI開発と研究の仕事に戻れるっていうのは、とても嬉しく感じる事なのよ。わたしが、本当にやりたい事をやれる仕事だから。だからね、詩乃。どうか、わたしにこれをやらせてほしいの」

 

 

 彼女に診察され始めてから、3年も一緒に居られる事に詩乃は喜びを感じていたし、愛莉に見てもらえるというだけで、病院に行くのも辛くはなかったし、愛莉と一緒に出かけた時なんかはとても楽しくてたまらなかった。

 

 その瞬間が今この時を持って突然終わると心の中で思うと、胸がぎゅうと縮まって、苦しさと悲しさが一気に込み上げてきた。それが胸から首へ、喉へ、顔へ、そして目元まで行って涙として出てくる前に、詩乃は愛莉へと飛び込み、柔らかくて暖かい胸の中に顔を埋めた。そこでようやく涙が溢れてきて、愛莉の胸に染み込まれる。

 

 

「私……先生とお別れするなんて、嫌です。ずっと、一緒に居たいです」

 

「……わたしも正直そうは思う。こんな事を言うのもあれだけど、わたし、詩乃の事大好きだったのよ。詩乃がいたから、精神科医としての仕事を頑張ろうって思えたくらいだったし、和人君っていう人が出来た事、明日奈みたいな友達がたくさんできた事も、すごく嬉しかった」

 

「私だって同じです。和人も明日奈も大好きですけれど、それと同じくらいに、愛莉先生の事も大好きなんです」

 

 

 愛莉は軽く戸惑っているような表情をして、詩乃の背中に手を置き、後ろ髪を撫で始める。直後に、詩乃が愛莉の胸の中で拳を握る。

 

 

「……わたしの事、好きって言えるの、詩乃」

 

「勿論です。私には兄弟とか姉妹とかいませんでしたし、母だって遠くに居ます。愛莉先生と過ごしている時、愛莉先生が私のお姉さん、時にはおかあさんのように感じられました」

 

 

 愛莉の言葉は止まったが、すぐさま愛莉の手が詩乃の身体に周り、和人のようにぎゅうと抱き締め始める。その声に、どこか涙が混ざった。

 

 

「……そんなに大事に思われたなんて……そんな事言われて、こんな事されてたら、あなたから別れられなくなっちゃうじゃない」

 

「……先生、行かないで……」

 

「そんなわけにはいかないわ。もう契約も結んじゃった。だからわたしは、あなたから離れなきゃいけない。あなたもまた、わたしから別れなきゃいけないけれど……その思いは、本当なの。そして、続けられるの」

 

「え……」

 

 

 顔を上げずに、詩乃は愛莉の胸の中で問うた。すぐさま、涙が引っ込んだ声による、愛莉の問いかけが帰ってきた。

 

 

「あなたがわたしが大好きっていうのは、本当なの。そして、その気持ちは、ずっと続いているものなの」

 

 

 愛莉の言葉を耳に入れた詩乃は、今一度、自らの胸の中へ問をかけた。

 自分はここまでよくしてくれた愛莉の事は大好きだし、和人ほどではないけれど、大きく信用しているし、自分の中では姉のようなもの、時には母のようなものだ。

 

 こんな人を大好きだなんて思わないわけがないし、そして、その気持ちをそんな簡単に、忘れられるわけがない。

 

 

「当然です。私は愛莉先生が大好きです。ずっと、ずっと、大好きです」

 

「そっか……そっかぁ……わたしの事、そこまで大好き、なのね……」

 

 

 まるで予想外の事に出くわしたような愛莉の声だったが、詩乃は構わずその胸の中に顔を埋め続けた。それからほとんど時間を置かないうちに、愛莉の手が再び後ろ髪に回って来て、慣れた優しい手つきで撫で始めたのがわかった。

 

 

「詩乃。わたし、ここまであなたに大事にされて、大好きって言ってもらえて、とても嬉しいわ。だから、わたしも暇を縫ってALOであなた達と一緒に遊ぶわ。何も、永久の別れなんかじゃないんだから。でも、あなたの事だから、現実世界の方で会いたいって思ってるでしょうね」

 

 

 図星だった。確かにALOでアバターを作っているから、アミュスフィアを使ってALOを起動すれば、愛莉とまた会える。だけど詩乃が求めているのは、ALOの中のアバター《イリス》ではなく、芹澤愛莉なのだ。

 

 

「だからね、詩乃。仕事がなんとかなったら、わたしのやりたい事が何とかなったその時は、現実世界でまたあなたの元に来ようと思う。ALOのシノンのところじゃなくて、現実世界の詩乃のところに。だからそれまで、わたしの事、好きで居てくれる」

 

 

 その言葉に軽く驚いて、詩乃は顔を上げた。そこには、まるで母親のような雰囲気と温もりを漂わせている、これまでにないくらいに優しげな愛莉の顔があった。

 

 

「本当、ですか」

 

「わたしはあなたに対して、嘘を吐くつもりはないわ。だから、もし、あなたがずっとわたしに会いたいって思ってくれるなら、わたしはいつの日か、その望みをかなえてあげたいと思う。その時まで待っててもらえる、かしら」

 

 

 確かに愛莉とはALOでまた会う事が出来るかもしれないが、その時にこうして愛莉の温もりに触れる事は出来ないだろう。今までからすれば奇跡のようにも感じられる、幸せで暖かな時間。和人がくれる幸せとはまた違う、暖かくて優しい幸せを与えてくれるのは、ALOのイリスではなく、芹澤愛莉ただ一人だ。

 

 またこの幸せを与えてくれる瞬間が、しばらく我慢すればまたやってくる――そう考えるだけで、詩乃は不思議と、愛莉と別れるのが辛いとは思わなくなった。いや、あえなくなるのは寂しいし、辛いけれど、また愛莉と会える日が来ると考えるだけで、驚くほど辛さや寂しさがその強さを小さくしていったのだ。

 

 

「本当に、また会えるんですか」

 

「会えるわ。詩乃が待ってくれるなら、また会いに来るわ。だから、その時まで……」

 

「待ってられます。一年でも三年でも、十年でも、ずっと、和人と一緒に待ってます。だから先生、もう一度、会いに来てください」

 

 

 即答すると、愛莉は一瞬驚いたような顔をしてから、優しく微笑んで、詩乃の髪の毛に顔を埋めてきた。同時に、詩乃の顔も愛莉の暖かな胸の中に埋められる。少し呼吸が苦しくなるけれど、しばらくこの暖かさを感じられなくなるとわかっていた詩乃は、ぎゅうと顔を愛莉に押し付ける。

 

 

「……ありがとう、詩乃。あなたがそう言ってくれるなら、わたしも頑張るから。しばらくの間、和人君と仲良くね。

 最後まで診てあげられなくて、ごめんなさい。でも、また会った時には、またあなたの事を診るから……その時まで、ね」

 

「……はい」

 

 

 あの事件を起こすまで感じる事の出来た母の温もり。それを今、詩乃に与えてくれるのが、愛莉だった。その愛莉に会えなくなると知ったつい先程までは、詩乃の心には辛さと寂しさがあったのに、今は全くと言っていいほどなかった。

 

 自分には既に明日奈達、里香達と言った仲のいい友達もいるし、学校も変わったし、ALOに行けば皆と遊べるし、そこには我が子であるユイもいる。

 

 そして、学校にも現実にも、ALOにも、愛する人である和人がいる――これが詩乃にとっては、一番大きな安心感だ。

 

 それに何より、ALOを経由する必要があるものの、愛莉はイリスとして会いに来てはくれるし、一緒に遊んでくれる。そして現実世界の愛莉に会う事が出来る日が、また来る。そう思えるようになった今は、何一つ寂しさも悲しさも、辛さもなかったのだ。

 

 

 やがて、詩乃は愛莉の胸から離れて、身体を愛莉に向けたまま、助手席に座り直した。そこで、詩乃の中にある疑問が出てきて、それが気になった詩乃は愛莉に問いかけた。

 

 

「ところで愛莉先生」

 

「なぁに」

 

「その喋り方、どうしたんですか。なんだか、いつもと違って」

 

「あぁこれ? これはね、職業ごとって言えばいいのかな、喋り方を分けてたのよ。

 わたしはね、精神科医をやる前はこういう喋り方を()()()()()

 

 

 そこで愛莉はすんと笑んだ。

 

 

「それで、今やってる精神科医の時は、こういう喋り方を()()()()()()()()()。全く違う仕事だから、喋り方も変えてみようかと思ってね。()とは普段、この喋り方でしか接してなかったね」

 

 

 声色こそ同じなものの、喋り方が途中で変わった事に、詩乃はきょとんとしたものの、心の中で奇妙な納得感が出て来たのを感じていた。

 

 今まで愛莉の喋り方――まるで茅場晶彦のような――は、精神科医としての芹澤愛莉のものであり、先程聞いた喋り方――普段の自分のような――は、AI研究・開発者としての芹澤愛莉のものだったのだ。そして本当の愛莉の喋り方は、後者なのだ。

 

 

「君にはずっとこの喋り方で接して来たから、急にあの喋り方で違和感を与えてしまったかな」

 

「いいえ、そんな事はないです。とても優しくて、暖かかったです。まるで、本当におかあさんみたいでした」

 

「……おかあさん、かぁ。おかあさん……おかあさん……かぁ……」

 

 

 その時、詩乃は気付いた。愛莉の言葉に答えた次の瞬間に、愛莉は急にフロントガラスの外に広がる、穏やかな波が打たれている海を見つめ始めたのだ。その目つきは優しさと穏やかさ、そして若干の虚無のようなものを感じさせるものであり、その手は下腹部を頻りに触っていた。

 

 海や空を目の中に入れてはいるけれど、まるでどこか違う世界を見ているかのような愛莉。今まで見た事のないその姿に、詩乃は思わずきょとんとしてしまったが、すぐさま首を傾げつつ尋ねた。

 

 

「……先生?」

 

「あ、あぁ、あら、ごめん。なぁに?」

 

「先生、どうしたんですか。急に――」

 

「あっ、詩乃、見てごらん」

 

「えっ」

 

 

 急に話を吹っ掛けられて、詩乃は愛莉の目線の先に視線を向けた。空と海、青く染まる世界の中、海の方に何かが浮いている。かなり遠くてその形がぼんやりとしているが、まるで、ピラミッドのような三角形になっているのがわかる。

 

 

「海の、ピラミッド?」

 

「ガメラだ」

 

「が、ガメラ?」

 

 

 愛莉はふふんと鼻で笑って、海を眺める。その目は、いつもの芹澤愛莉のそれに戻っていた。

 

 

「正確にはオーシャンタートル。最近開発されて竣工された、海上移動型研究施設(メガフロート)だ。私達がSAOに閉じ込められる前から開発は進んでいたようだが、完成して運行が開始されたのは本当につい最近だ。多分海洋関連の研究をやってるんだろうね」

 

「でもなんでガメラって」

 

「オーシャンタートルだから。昔の怪獣映画に、陸空海を制した地球の守護神ともいえる怪獣が出てきてね、その怪獣のモデルが亀で、名前がガメラだったんだ。だから、私はウミガメの名前を持つあれをガメラって呼んでるんだよ。形は全くガメラには似てないんだけれどね」

 

 

 確かにかなり昔にそのような怪獣映画があったような気がするのを、詩乃は感じていた。そして、その怪獣の名前をあの施設に当てはめているのが、なんだか愛莉らしいとも感じる。

 

 やがて愛莉は、もう一度チェアに深く座り込んだ後に、詩乃へと向き直った。やはりその顔は、いつもの愛莉の顔に戻っている。

 

 

「さてと、重要な話はこれで全部終わった。まだまだ時間はいっぱいあるわけだけど、君は何したい、詩乃。どこ行きたいとか、ある?」

 

「……愛莉先生と一緒に居たいです」

 

「全く、君は思っていたより甘えん坊だな。それじゃあ、この近場をぐるっとドライブした後に、ショッピングモールとか行ってみて、買い物でもしようか」

 

「はい」

 

 

 詩乃が笑むと、愛莉もまた静かに笑んで、車のキーを差し込んでエンジンを付けて、音楽が始まったのと同時にアクセルを踏んで、駐車場を出た。

 

 その日は詩乃にとって、奇跡のような優しい時間の最後だったが、これまで愛莉と過ごしてきたどの時間よりも充実して、楽しくて、優しい時間だった。

 


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