キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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11:戻ってきて

         ◇◇◇

 

 

「大丈夫か、シノン」

 

 

 サトライザーというインプ領の領主の男と遭遇した後に、俺達は喫茶店に戻ってきた。

 行きの時何もなかったシノンが顔色を真っ青にして、尚且つシルフ領とケットシー領の領主を連れて帰って来たという事に、喫茶店でクィネラを見ていたメンバーが驚いて出迎えて来たけれど、俺はとりあえずイリスの協力を得ながら、シノンの事を座らせたのだった。

 

 そこで俺は、SAOに居た時からシノンに何かあった時に手を貸してくれたリランに声をかけようとしたのだけれど、それよりも前に、リランどころかユピテルとクィネラもシノンに異変に気が付いたようで、すぐさまシノンの元へ駆け寄って、リランがその掌をシノンの項にあてた。

 

 その直後だったのだ、シノンの顔色が先程よりも良くなって、不安そうな感じが和らいだのは。しかし恐怖の感情が弱くなったのだろうけど、完全に不安感などが抜けきっていないのだろう、シノンは頭を片手で抱えてイスに深く腰を掛けていた。

 

 そんなシノンの様子を見て安心した皆に、サクヤとアリシャが自己紹介をした後に、ようやくリランは俺に声をかけてきた。

 

 

「このゲームはゲームオーバーが死に直結しているSAOのようなところではないから、あの時のような事は起こらないはずだ。なのに、シノンがこの有様というのは……お前達は何を見て来たのだ」

 

「インプ領の領主さ。あいつに睨まれた途端、シノンはこうなってしまったんだよ」

 

「それだけの事でこんな事になったのか。シノンはそんなに物怖じしないから、ただの人間に睨まれてそのような事になるとは思えぬが……」

 

 

 いや、実際あのサトライザーというのは普通じゃないんだ。

 

 あの時俺もシノンと同じようにサトライザーと目を合わせて話をしたけれど、あいつの顔自体は美貌を感じさせる整ったものだったけれど、あいつの目は茅場晶彦のそれのように無機質で、感情どころか生物感さえ感じさせないような冷徹なものだった。多分見方を変えれば、奈落の底のようにも思えるだろう……そんな瞳を普通の人間がしているわけがない。

 

 あのサトライザーという男は、普通なんてものを既に超越した、何か恐るべき存在だ――サトライザーの統治する領の住人であり、尚且つその事を熟知しているのであろうユウキが、その顔に険しい表情を浮かべてリランに声をかける。

 

 

「リラン、サトライザーは普通なんかじゃないよ。あいつに睨まれてシノンみたいになった人は、そんなに少なくない。あいつは、睨み付けただけで人を凍らせるような奴なんだ」

 

「人を睨んだだけで麻痺させるとは、蛇のようだな……」

 

「っていうか、どんだけその人って恐ろしい人なのよ」

 

 

 途中からリランの隣に並んで話に加わったリズベットの更に隣に、同じ領主を務めているサクヤが加わり、口を開く。その顔はユウキ程ではないけれど、どこか険しさを感じさせるものだった。

 

 

「サトライザーはインプ領の領主権を実力で勝ち取って見せた、インプ領最強のプレイヤーだ。そしてその強さ故に高いカリスマ性を持っていてな……一部のプレイヤー達からは《闇の皇帝》という名で敬われている。恐れられてもいるけれどな」

 

「や、闇の皇帝……如何にもカリスマ性を感じさせる名前ね」

 

 

 そこで、いつの間にかリズベットの右隣に並んでいたシリカが何かに気付いたような顔になったが、すぐに不安そうな表情になって、俺と目を合わせてきた。

 

 

「キリトさん、そのサトライザーさんって人……なんだか……」

 

 

 そう言われた時既に、俺はシリカの言いたい事がわかったような気がしていた。圧倒的な強さを以ってモンスターもプレイヤーも打ち滅ぼし、高いカリスマ性を持ち、その上美貌まで兼ね揃えている。――まるでSAOの時に《笑う棺桶》という殺人ギルドを作り上げた凶悪プレイヤー、PoHのような特徴を、サトライザーは兼ね揃えている。

 

 

「あぁ、そうは思いたくないけれど、サトライザーはPoH(あいつ)みたいだな」

 

 

 そこで、SAOの時からの付き合いであって、《笑う棺桶》の事も知っているイリスがシノンの隣に座ってその背中を撫でてやりながら、俺達の会話に参加してきた。

 

 

「確かにあれを思い出させるような奴だね。だけどあれはもういないし、あいつもそこまでヤバい奴ではないだろう。あまり心配し過ぎるのもよくないだろうね。まぁ注意すべきだろうけれど」

 

 

 サトライザーだけではなく、シャムロックという者達にも注意して攻略しなければならない。ようやくSAOというデスゲームから解放されて、何も心配する事無くALOというゲームを本腰入れてプレイできるかと思っていたのに、それは叶わないのではないかという気がしてきた。……まぁ、死に関わるような事ではないから、そこまで不安なわけではないのだが。

 

 

「……ところで、シノンさんは大丈夫なのかよ。とてもじゃないけれど、気分優れなさそうだぜ。全くそのサトライザーってのも余計な事をしてくれやがってよ」

 

「……私なら大丈夫よ、心配ないわ」

 

 

 クラインがぼやくように言ったその時に、シノンはその顔を上げた。目を向けてみれば、先程よりも血の戻った顔色の表情が浮かんでおり、見た感じ呼吸も出かける前とほとんど変わりが無くなっていた。だけど、俺に「無理をするな」なんて言っておきながら自分も無理をする事があるシノンだから、あまり楽観は出来ない。

 

 ――それをSAOの時から知っているリランが、シノンに歩み寄って声をかける。

 

 

「本当に大丈夫か、シノン」

 

「えぇ。リランのおかげで何とかなったわ。まだその力、残ってたのね」

 

「これは我の根幹にある能力だから消えはしない。だが無理はするでないぞ。今日はログアウトした方が良いのではないのか」

 

「平気って言ってるでしょ。私の事をそんなに見くびらないでほしいわ。それに、今日は待ちに待ったアップデートの日なんだから、楽しまないともったいない、でしょ」

 

 

 そう言って、イリスの視線を浴びながらシノンは立ち上がり、俺の元へと歩み寄ってきた。SAOに居た頃、リランに治療してもらった後のように、顔色も表情もすっかりよいものになっている。……無理をしている様子は感じられなかった。

 

 

「本当に大丈夫なのか、シノン」

 

「本当に大丈夫よ。心配かけてごめんなさい」

 

「いや、君が無事ならいいんだけどさ……無理だけはしないでくれよ」

 

「それはお互い様でしょ。この中で一番無理をする人はあなたなんだから。張り切りすぎて墜落したりしないでよ」

 

 

 やはり無理をしている感じもなければ、思い詰めているような様子もない。シノンは完全に元のシノンに戻っている事に、俺は軽く驚いてしまった。

 

 SAOに居た時は、あんな目に遭った後はしばらく動けなくなってしまって、立ち直る前で一日くらい必要になっていたというのに、今のシノンは僅か十数分で立ち直れるようになっている。これは、シノン自身の精神的回復力も上がっている事に他ならない。

 

 シノンはSAOに居た時よりも、本当に強くなっている。――それがわかると、自分の事のように身体の奥底から嬉しさが込み上げて来て、身体の中が暖かくなった。

 

 

「そっか、そうだな。張り切りすぎて落ちないように気を付けないとだな」

 

「そうしてよ。私もそうするから」

 

 

 二人で言い合い、頷き合うと、それまで椅子に腰を掛けていたシノンの専属精神科医が腰を上げて、俺の元へと歩いて来て、シノンの隣に並んだ。その表情は嬉しさを感じさせる穏やかなものだった。

 

 

「よぉし、私の娘のおかげでシノンがなんとなかったわけだし、これからどうするんだいキリト君。今日は一日ここに費やすつもりなんだろう」

 

「当然ですよ。今日はこの新大陸を遊び尽くすつもりで来たんですから」

 

 

 イリスに答えて、俺は周囲を見回した。帰って来たばかりの時は、皆心配そうな顔をしていたけれど、今はすっかりクエストに行きたそうな、攻略したいと言っているような表情がその顔に浮かんでいる。そして俺もまた、その一人だ。

 

 

「よぉし! 気を取り直したところで皆、クエストカウンターへ行くぞ!スヴァルト・アールヴヘイム、攻略開始だ!」

 

 

 勢いよく掛け声をあげると、皆が同じようにおおっと声を上げて手を突き上げてくれた。そんなやる気満々の皆を連れて酒場を出ようとしたその時に、皆の内の一人であるアスナがイリスの元に歩み寄った。

 

 

「そういえばイリス先生、クィネラちゃんはどうするんですか。ユピテルは私のナビゲートピクシーって事で同伴できますけれど」

 

 

 アスナの言葉を聞いて、俺は椅子に座ってきょろきょろしているMHHP三号クィネラに視線を向ける。俺の娘であるユイ、アスナの息子であるユピテルはリランの様に戦闘能力を持っていないため、SAOの時と同様に戦えないが、このゲームに搭載されているシステムの一つであるナビゲートピクシーという小さな妖精に変化して戦闘や攻略に随伴できるようになっている。

 

 クィネラもMHHPの三号というわけで、リランやユピテルと同じ存在なのだが、この中で最も身体が小さくて、精神年齢もまた幼い女の子のそれだ。とてもじゃないが、戦闘能力を持っているように思えない。戦闘に参加する事は、不可能と言えるだろう。

 

 

「あぁ、クィネラもユピ坊と同じで、私のナビゲートピクシーという事で随伴しているんだ。クィネラ、戻りなさい」

 

「はぁい、かあさま」

 

 

 クィネラは元気よく返事をすると、その身体を銀色の光に包み込んで小さな光球となり、そのままゆらゆらとイリスの服のポケットの中に入り込んだ。そして光が止んだ直後、ナビゲートピクシーの姿になった時のようにひょこっとポケットから小さくなったクィネラが顔を出した。よく見てみれば、ユイやユピテルのように銀色の半透明の翅を背中から生やしているのがわかる。

 

 

「クィネラは戦闘時はなるべく出てこないようにしているから、心配はいらない」

 

「そうですか。それじゃあ改めて――」

 

「あ、そうだ。姐はどうするの。これからシルフ領に戻るの」

 

 言いかけたその時に、今度はカイムがシルフ領の領主であるサクヤに声掛けをするものだから、話の腰を折られたような気を感じた俺はずっこけそうになったが、構わずサクヤはカイムに向き直った。

 

 

「私達もカイム達に同行する事にするよ。これからしばらくはフリーだしな。それに、お前の仲間達は、なんだか居心地がいい」

 

「そうなんだ。じゃあしばらくは姐もアリシャさんも一緒だね」

 

「そういう事だよ。ところで――」

 

 

 カイムとサクヤの会話が終わったかと思いきや、今度はケットシー領の領主アリシャが、白金色の毛並みの狼耳と尻尾を生やした金髪少女に歩み寄り、声をかけた。――まだ話は終わらないらしい。

 

 

「キリト君達のメンバーはケットシーが多いね。リランちゃんにシリカちゃんにシノンちゃんに」

 

「何を言うか。我はサラマンダーだぞ」

 

「えっ、リランちゃんってサラマンダーなの? でも尻尾も耳もあって……どう見てもケットシーだよ」

 

 

 リランがこのような見た目になっているのは、基礎になっているマーテルに、女帝龍や鳳狼龍といった狼型のモンスターのデータが混ざり込んでいるからだ。だけどそんな事を知っているのはこの中の者達だけだし、詳しい話を知っているは更にごく一部だけだ。

 

 それをリランとユピテルとクィネラ、ユイとストレアがAIである程度しか知らないサクヤやアリシャが理解するのは難しいだろうし、説明するにもものすごく時間がかかりそうだ。

 

 

「まぁあれですよアリシャさん、こいつはすげぇ特別アイテムを手に入れまして、それのおかげでこんな姿になってるんです。どこで手に入れたアイテムなのか聞き出そうとしても一向に口を割らなくて」

 

 

 そこに一応リランと同じサラマンダーであるクラインが割って入って来て釈明する。正直者のリランは咄嗟に「そのようなものは」と言いかけたが、そこで俺が入り込んで「お前の事を話すと長くなる」と小声で聞かせると、リランは渋々納得して、アリシャに向き直った。

 

 

「まぁそういう事だ。どんなアイテムなのかは言えぬぞ。言ってしまったら誰が本当のケットシーなのかそうじゃないのか、わからなくなるからな」

 

「このゲームって本当に色んなアイテムあるんだねぇ。今度探しに出てみようかな、それ。そしたらサクヤちゃんがケットシーみたいになって」

 

「おいおい、それはやめろ。というか、早くクエストに行かないか。皆行きたそうな顔をしているのだが」

 

「おっとそうだね。んじゃ、リランちゃんの詳しい話は、クエストの最中にでもしようか」

 

 

 そう言ってアリシャとサクヤが出ていくと、その後を追って皆が喫茶店の外へと出て行き始める。俺もその中に加わって喫茶店の外に出ようとしたその時に、ある人が立ち止ったままである事に気付いて向き直った。

 

 ――皆が次々出ていく中、一人だけ動かなかったのはイリス。その手はホロキーボードを出現させて高速で文字を打ち込んでいた。

 

 

「あれイリスさん、どうしたんですか」

 

「おっと、どうしたんだいキリト君」

 

「いやいや、それはこっちの台詞ですって。メッセージですか」

 

「あ? あぁ、そうだよ。ちょっとメッセージを送りたい相手がいたんでね。時間を取らせてしまって済まなかった」

 

 

 いつもどおりの笑みをその顔に浮かべて、イリスは送信ボタンをクリックしてウインドウを閉じる。その作業の様子もまるで光の速度を思わせるくらいに早いものだから、見慣れているはずの俺も思わず驚いてしまう。多分、ALOにいて長いプレイヤーもイリスの動作速度を見たら腰を抜かすだろう。

 

 

「相変わらず早いですね、動作」

 

「こんなの長らくパソコンの前に座って仕事をする人間なら朝飯前さ。君もその内、キーボードが身体の一部になる日が来るよ」

 

「イリスさんにとってキーボードは身体の一部なんですね」

 

「そうだよ。でも、身体のあれが欠けてなきゃ、こんなものを一部にする必要なんてなかったのに……」

 

「へっ? イリスさん今なんて……」

 

 

 明らかにおかしいと思える発言をした直後、イリスはハッとして俺に向き直り、その首を横に振った。

 

 

「あっ……あぁいや、何でもないよ」

 

「でも今、身体が欠けてるって……」

 

「何を言ってるんだいキリト君。君は現実世界の私を見て、五体満足だって知ってるだろう? 私の身体はどこも欠けちゃいない。つまり君のそれは聞き間違いだ。さぁさぁ、行こうじゃないか」

 

 

 そう言ってイリスは俺の肩に手を乗せて、そのまま押すようにして俺と共に喫茶店を出た。直後に俺とイリスは皆と合流してクエストカウンターに向かう事になったが、俺の胸の中は何だか曇っていた。

 

 確かにイリスの身体はどこも欠損している様子が無いし、現実世界で会った時も五体満足だった。だからイリスの身体はどこも欠けていないように見えるが……だとしたら何故、イリスはあの時あのような事を言ったのだろうか。

 

 本人は聞き間違いと言っているが、明らかにイリスの声でしっかりと聞き取れた。あの言葉の真意は何なのか――クエストカウンターに向かうその時まで、俺はその事が気になって仕方が無かった。

 

 

 


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