キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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14:熱と病と暖かさ

「……あぁ、海夢(かいむ)か。よかった、まだログインしてなかったんだな。

 早速だけど俺、今日はログインできなくなったんだ。あと詩乃……シノンもだ」

 

 

 どこかに寝かされているような感覚があって、頭が妙に熱くてぼんやりする最中、耳元に届いて来た聞き慣れた声色。聞いていると安心するそんな声が、かなり近くから聞こえてくる。

 

 

「だからさ、今日の攻略のチームリーダーはお前がやってくれ。ギルドとかに出会ったら、お前が出てくれ。お前、今日はサクヤさんの傍に居なきゃいけないわけじゃないだろ。……そうだろ、だから頼むよ」

 

 

 何かを懇願しているような言葉。聞き慣れていて、安心できる声色だけど、何故その人が今、ここにいると言うのだろうか。というか、今自分はどこに居ると言うのだろう。自分はどうなったというのだ――そんな事を考えながら、詩乃はそっと目を開いた。

 

 

「えぇ、理由? 詩乃が熱を出したんだよ。ほら、お前とかはかあさんとかがいるから大丈夫だろ。だけど詩乃は一人暮らししてるから、看病してくれる人はいないんだ。だから俺が傍にいてやらなきゃなんだよ」

 

 

 自分の名前が聞こえてきたが、それも気にせずに詩乃はじっと目の前に広がる光景を眺めた。広がっているのは、白一色。それ以外は何もない、白。見慣れているような気もするけれど、見た事がないような気も薄らと感じるそんな光景から、目を離す事が出来ない。……というよりも、全身が(おもり)が付いているみたいに重くて、動く事さえ難しいような感覚だった。

 

 

「え、お礼? わかったよ。明日の夜辺りにクエストに行ってやる。それでいいだろ。なんならそこに精神的なお礼も加えてやる……あぁ、ありがとうな。それじゃあ頼んだぞ。あ、間違ってもエリアボスまで倒そうなんてするなよ。……あぁ、じゃあな。頼んだぜ親友。

 ……もし、ユウキが熱を出したら、その時お前が看病してやりゃいいさ」

 

 

 そう言ったのを最後に、聞き慣れた声は止まった。一体誰と話をしていたのかと考えようとしたその時に、今度は近付いてくる足音が聞こえてきて、詩乃は妙な重さを感じる首を右に動かした。その時に、自分が今いつもの部屋に居て、いつも使っているベッドで寝ている事がわかったが、見慣れた人影がベッドと一緒に目の中に映り込んだ。

 

 黒い長袖のTシャツに同じく黒いズボンを履いた、線が細くて、見方によっては女性に間違えてしまいそうな顔つきの、黒色の瞳の少年。全ての特徴をとらえてようやく、詩乃はそれが自分が愛する人だと言う事把握し、ほぼ同時にその人も少し驚いたような反応を示した。

 

 

「詩乃。起きたか」

 

「……和人……ぅ゛っ、ごほっ、ごほっ」

 

 

 唇を動かして声を出すと、喉に何かが絡まっているような感覚が走り、思わず咳き込んだ。直後に、脇の辺りに何かが挟まってるような感覚がある事に気付き、そこからぴぴぴという高い音が聞こえてきたのがわかった。

 

 動かしにくい手を動かして服の中に手をやり、脇に近付くと、硬くて細いものが当たった。それを掴んで閉じられた脇から引き抜き、目の前に持って来ると、挟まっていたモノの正体がわかった。

 

 いつも使っているベージュ色の体温計。文字盤にはデジタル文字で、38.9℃と表示されていた。

 

 

「……これ……」

 

「あぁ、やっぱりかなりの熱があるな。額触ったら熱かったから、思った通りだな」

 

 

 文字盤を見るなり、和人はそっと体温計を手に取った。そして既に持っていたケースの中に仕舞うと、テーブルの方に置いた後に、もう一度顔を向けた。その時に、詩乃は少し重い口を開いて、声をかける。

 

 

「和人……なんで……」

 

「それはちょっと、俺が聞きたい方かな。だけど、先に話しておこうか」

 

 

 和人は昨日襲われた自分の身を心配して、今日のALOへのログインや攻略を放棄してわざわざここまでやってきたらしい。そしたら、出迎えた自分が突然倒れてきたものだから、驚いて部屋の中まで運び込み、ベッドに寝かせてくれたそうだ。

 

 和人の話を最後まで聞いた辺りで、詩乃は頭の中が少しはっきりしてきて、何故自分がこのような状態になったのかもわかったような気を感じたが、ひとまず話さないで、和人の次の言葉を聞いた。

 

 

「驚いたぜ。いつもどおり君の部屋に来たら、いきなり君が倒れてくるんだから」

 

「……ごめんなさい。迷惑かけちゃったわね……」

 

「それは別にいいんだけれどさ、どうしたんだよ詩乃。急にこんなになって……昨日あの後何があったんだ」

 

 

 そう聞かれて、詩乃は昨日の夜にやってしまった事を思い出して、恥ずかしさが込み上げてきて顔が熱くなってきたのを感じた。きっと今、自分の顔は熱を出しているのもあるだろうけれど、真っ赤になっている事だろう。それを感じて、咄嗟に詩乃は和人からそっぽを向く。

 

 

「……聞いても、馬鹿って言わない?」

 

「俺、君にそんな事言った事ある?」

 

「……ない」

 

「だから大丈夫。それとも、そんなに話したくない事?」

 

 

 和人からの言葉を聞いて詩乃はすぐに首を横に振り、小さな声で言った。その時に、自分の顔がこれ以上ないくらいに熱くなっているのがわかった。

 

 

「……昨日の夜……服着ないで寝ちゃった……」

 

「えっ」

 

「……昨日の夜……お風呂入った後……髪の毛とか拭かずに……服も着ないで……寝ちゃったの……それで、朝起きたら……ふらふらして……身体、寒くて……そこでやっと服着たの……」

 

 

 恐らく、このような言葉が飛び出してくるとは思ってみなかったのだろう、和人からたどたどしい声が聞こえてきて、次にはっきりとした言葉が聞こえてきた。

 

 

「服着ないで寝たって……なんでまた」

 

「昨日の夜、とにかく眠かったのよ……そしたら……すぐに寝ちゃったのよ……自分でも馬鹿な事したって、思ってる……」

 

「……それは……まぁ確かに、あんな目に遭った後だもんなぁ……」

 

 

 詩乃はゆっくりと寝返りを打って、和人と向き直った。どこか困ったような顔をしている和人の目と自らの目が合ったところで、詩乃は小さく口を開いた。

 

 

「……それで、和人はなんで私の家に……?」

 

「君が心配だったからだよ。ほら、君は昨日PoHに襲われて、酷い目に遭ったじゃないか。だから心配で、ログインとか全部そっちのけて来たんだ」

 

「そんな……そんな事しなくたって……」

 

「でも、来てよかったよ。まさか君が風邪ひいて熱出してるなんて、想像もしてなかったんだから」

 

 

 和人は毎日のようにスヴァルト・アールヴヘイムの攻略を楽しみにしていたから、今日もまたログインする事を楽しみにして目を覚ました事だろう。しかし今日は、自分のところに行かなければならないという急な予定が出来たものだから、ログインする事は出来なくなってしまった。明らかに和人の楽しみを奪ってしまっているような気がして、詩乃は思わず眉を寄せた。

 

 

「ごめんなさい……私が馬鹿なことしたばっかりに……」

 

「別に気にしてないよ。きっと詩乃は疲れてたんだ。今日はゆっくり休まないとだな……後で飲み物とかも買ってこないと」

 

「え? ちょっと待って和人……あなた、帰らないの……?」

 

「帰るって、なんでだよ。詩乃が病気してるのに、放っておけないよ」

 

「別に、大丈夫よ……これくらい一人で……なんとかできるわ……」

 

 

 そこで和人は軽く溜息を吐き、いきなりその手を額に当ててきた。暖かさの中に少しだけひんやりとしているような心地よい感触に安堵感を抱いたが、直後に和人はどこか呆れたような表情をその顔に浮かべてきた。

 

 

「三十八度九分でふらふらの癖に、どうやって一人でなんとかするんだよ」

 

「……」

 

 

 思わず強がったけれど、どう考えても無理だった。和人を出迎えた時にもふらふらして頭が重く、上手く歩く事が出来なかったし、今も頭が錘になってしまったかのように重くて起き上がる事さえきつい。もう少しだけ熱が低かったならば一人でも何とか出来たかもしれないが、三十九度付近の熱がある今では、どうにもならなそうだ。

 

 

「……やっぱり、難しいかも」

 

「そうだろう。今日の詩乃は病人なんだ。だから、君は休んで。俺が、傍にいるから」

 

「本当に、傍に居てくれる……?」

 

「勿論。だってあの時約束したじゃないか。君が君一人でどうにもならなくなった時には、俺が助けるって。それに、妻が病気になったら、夫が看病するものだろ」

 

「……そう、ね」

 

 

 まだSAOに居た時、詩乃は和人と夫婦だった。システム上でしかないものの、結婚をして、モンスターがリラン以外一切いない第22層の湖畔のログハウスで、詩乃、和人、リラン、ユイの四人で暮らしていた時の事は、今でもしっかり覚えているし、いつでも思い出せる。その時の忘れもしないというのに、自分と和人は現実世界で恋人同士という認識が強くなってしまって、時々SAOでシステム上の結婚をしていたという事をころっと忘れてしまう時がある。

 

 病気の妻を看病するのは夫の務め。そう聞くと、心が穏やかさと暖かさに包まれるような気がしたが、同時に気恥ずかしさが出てきて、詩乃は顔がもっと熱くなったような気がした。

 

 

「さてと、それならまず熱を覚まさなきゃ、だ」

 

 

 そう言うと、和人はいつの間にかテーブルの上に置かれている白いビニール袋から、青い小さな箱を空けて、中のレトルトパウチのような袋を取り出してそれを開き、中にあった白いシートを一枚取り出した。その時にちらと裏面が見えたが、白い表側とは反対に濃い水色をしていて、青い粒のようなものがいくつも確認できた。薬局やドラッグストアに売られている、熱冷まし用のシートで間違いなさそうだ。

 

 

「それじゃあ、貼るよ詩乃」

 

「うん……」

 

 

 和人はシートの裏面の透明シートを剥がすと、詩乃の前髪を左手で除けながら右手に持ったシートをぺたりと詩乃の額に貼り付けた。まるで氷でも乗せられたかのようなひんやりとした感覚に、詩乃は一瞬だけ「んっ」と声を出したが、すぐさま心地よい冷たさがじんわりと広がって来て、大きく溜息を吐いた。

 

 

「気持ちい……」

 

「まぁ、三十九度付近もあるからな。あ、それとこれもあるよ」

 

 

 和人はテーブルの上のビニール袋にもう一度手を突っ込むと、同じ青い色をした袋のようなものを取り出した。それの中身が、風邪を引いた時によく使われる、冷やし枕である事に、詩乃はすぐに気付いた。

 

 

「冷やし枕、ね……」

 

「そ。俺も風邪引いた時とか、熱出した時とかによく使ってるんだ。使う?」

 

「使う……っていうけど、それ、冷凍庫で凍らせないと意味ないわ……」

 

「あっ、それもそっか。冷蔵庫、開けてもいいかな」

 

「いいわよ……」

 

 

 和人は軽く礼を言うと立ち上がり、そのまま冷蔵庫のあるキッチンの方へと向かって行った。和人の足音、冷蔵庫が開かれる音、そして少し重いものが置かれるような音が鳴った後に、今度は冷蔵庫が閉められる音と足音が聞こえてきた後に、和人が戻ってきた。

 

 あの冷やし枕を使えばもっと冷えるだろうけれど、正直なところ、額に貼られている熱冷ましシートだけで、熱が引いて行っている感じがある。だから無理に冷やし枕まで使う必要はないと思った矢先、きゅうううという何とも言えない音が腹から聞こえてきた上に、空腹感が突き上げて来たのを詩乃は感じた。

 

 詩乃は咄嗟に自分の腹部を見た後に、和人の方へ向き直ったが、和人は突然顔を向けた詩乃に首を傾げているだけだった。――どうやら、気付かれはしなかったようだ。だがそれは、同時に口頭で伝えないとわからないという事だった。

 

 

「和人……」

 

「ん、どうした」

 

「……おなか……空いた……」

 

「なんだ、そんな事か。何かと思ってちょっと吃驚(びっくり)したぞ」

 

「昨日のお昼から何も食べてなかったから……」

 

「そうだったか。それなら、今からお粥作るよ」

 

 

 和人はこれまで、SAOに居た時も、現実に帰って来た時も、料理なんかする事はなく、詩乃が作った料理を食べているだけだった。いや、SAOに居た時は簡易的な料理自体は出来ていたようだが、それは料理スキルが存在していて、尚且つSAOでの料理がシステムによるものだったからだ。現実に帰って来てからは、まるで料理などしていないはず。

 

 そんな和人の口から料理をするという言葉が出てきた事に、詩乃は素直に驚いた。

 

 

「和人、出来るの。料理なんて……」

 

「得意じゃないけど、出来ないわけじゃないよ。ちょっとスマホ見ながらやってみる」

 

「……そういう事ね」

 

 

 確かにそれならば、料理の出来ない和人でも出来るだろうと、詩乃は少し肩の力が抜けた。それに、そもそもお粥くらいならば米と水と卵があれば何とかなってしまうから、スマートフォンの料理サイトにあるレシピも必要ないのだが。

 

 ならばキッチンの設備はどうかとも思ったが、このマンションはSAO生還者達が使う事を想定して作られているため、キッチンも設備もかなり使いやすく出来ている。だから、和人が困る事もないだろう。

 

 

「それじゃ、ちょっと待っててくれ。すぐに作って来るから」

 

「うん。待ってる……」

 

 

 そう言うと、和人はキッチンの方へと向かって行った。このマンションに移り住む前のアパートは、キッチンと居間が隔てられていたけれど、今のマンションはキッチンも居間も一緒になっている。唯一隔てられているのは、玄関とユニットバス位だ。キッチンをベッドから見る事が出来るので、和人が料理をする様子を見る事が出来る。

 

 普段料理をしない和人が、どのようにして料理を作り上げるのか――詩乃はそれが楽しみで仕方がなかった。

 

 

「えぇっと、これはこっちで、あ、これはここにあるのか。へぇ、それでこれはこっちで……ふぅんー」

 

 

 耳元に届いて来る、愛する人の独り言。それを聞きながら詩乃はそっと目を閉じて、遠い日の事を思い出す。

 

 

 まだこの東京付近の地ではなく、生まれ故郷に住んでいた頃、まだあの事件を起こす前の事。突然母が自分を産んだ時の事を話し始めた時の事だ。母によると、母は詩乃を産む前、重い悪阻(つわり)に苦しんでいたそうだ。その時、母は自分一人でなんとかしようと思ったそうだが、そこで今は亡き父が仕事を休み、寄り添って看病してくれたという。

 

 そんな毎日が続いたからこそ、母は安心してその腹を大きくしていく事が出来、何も心配ごとのないまま、詩乃を産む事が出来たそうだ。その時には、母も父も、涙を流しながら喜んだらしい。

 

 

(もし……)

 

 

 自分が将来和人と結婚をして、SAOに居た時のようではなく、本気で身体を交えて子――ユイの弟か妹に当たる子――を宿した時に、悪阻などに苦しめられたりしたならば、和人が今みたいに傍に居てくれるのだろうか。かつての父と母のように、一緒に毎日を過ごしてくれるのだろうか。

 

 

「……」

 

 

 和人と出会って恋人同士になってからというものの、これまで一切考える事のなかった結婚の事とか、その後の事とか、出産、子育ての事を、詩乃は時折考えるようになった。しかし、あまりにそういう事を考える事がなかったためか、考え始めるとどこからともなく不安が来て、本当に自分にそんな事が出来るのかと心配になる。

 

 けれども、もしその時などに和人が寄り添ってくれているならば、なんでも乗り越えられそうな気がしてならない。そしてきっと、和人と一緒にその時を迎えられたならば、これ以上ないくらいに幸せだろうし、それはやがて現実となるだろう――詩乃はそんな気がしてならなかった。

 

 

 そういう事を自分が考えられるようになったのは、人の事を想えるようになったのは、他でもない、和人との出会いがきっかけだ。今の自分があるのは、全て和人のおかげと言っても過言ではないし、和人が今ある全てを与えてくれたようなものだ。

 

 勿論、この前まで専属医師であった愛莉のおかげもあるのだが、やはり和人が与えてくれたものの方が大きい。

 

 

(本当に、和人と出会えて、良かった)

 

 

 熱っぽい顔に微笑みが浮かんだのがわかったような気がした次の瞬間に、耳元にひときわ大きな音が聞こえてきた。ぐつぐつ、コトコトという、鍋の中で何かが煮えるような、料理の時に自分がいつも聞いている音。目を開いて音の方向を確認してみれば、クッキングヒーターに小さな土鍋を置き、腰に両手を添えている和人の姿。

 

 得意気な表情が浮かんでいるその顔を見て、詩乃は和人の料理が上手くいっている事を把握する。恐らく、現実世界に帰ってきて料理をするのはこれが初めてというわけではないのだろう。

 

 その時、和人は何かに気付いたような顔になって、目を合わせてきた。どうやら、視線を向けられていた事に気付いたらしい。

 

 

「どうした、詩乃」

 

「……なんでもない。ただ、料理してる和人の姿が、珍しいと思って」

 

「まぁな。SAOに居た時には料理はずっと詩乃が作ってたし、ALOじゃ料理する必要、そんなにないもんな。俺が料理する事、無かったなぁ」

 

「だから、和人が料理を作ってるのは、珍しいのよ。それで今、どんな感じなの」

 

「上手くいってるよ。あとは鶏がらスープと塩を少量入れて、卵を入れるだけだ。……この程度しか作れなくてごめんな」

 

「ううん、十分よ。そんなに色んな物食べれそうな気、しないし」

 

 

 「そっか」と和人は言った後に、もう一度鍋に向き直って何かに気付いたような顔になり、そこでヒーターの周辺に置かれている調味料を手に取って小さじにあけた後に、鍋の中へと注ぎ入れてから、小さなボウルを手に取り、鍋の中へと傾けた。ボウルから鍋へと移動したのは、解かされた卵だった。いよいよ、和人の作ったお粥が完成間近を迎えているようだ。

 

 

「あとは、これを掻き混ぜてっと……」

 

 

 小さく独り言を言ってから、和人は近くに置いておいたプラスチックのお玉杓子(たまじゃくし)を手に取って鍋の中を掻き混ぜていく。その時の動きが、自分が料理をしている時のそれによく似ていたものだから、詩乃は少し驚きながら、和人の事をじっと見つめていた。

 

 直後に、和人はクッキングヒーターを止めて、ミトンを付けて土鍋を手に取ると、そのまま近くに置いてある木製のトレーの上に乗せ、手をトレーに移してしっかりと持つと、詩乃の近くに戻ってきてテーブルの上に置き、すぐさま詩乃の近くまでテーブルを動かした。

 

 

「出来たぞ、詩乃」

 

「うん、ありがと」

 

 

 いつもと比べてかなり重く感じる身体に力を込めて、詩乃はゆっくりと上半身を起こした。一瞬ふらついたけれど、何もすぐに倒れたくなるくらいのふらつきではなかったため、起き上がったままになる事は出来た。そこで、和人がもう一度声をかけてきた。

 

 

「茶碗とか、必要だったか」

 

「ううん、このままでいいわ」

 

 

 答えると、和人はまたそっかと言った後に、土鍋の蓋をそっと開けた。良い匂いを含んだ暖かい空気がふわりと上がり、詩乃は土鍋の中を注視する。――あまり量の必要のない料理などを煮る際に使う小さな土鍋の中には、白と黄色が織りなす玉子粥が入っていた。その出来栄えはSAOに居た時にユイがアスナと一緒に作ったそれによく似ていたもので、それを和人が作って見せたのだから、詩乃は驚かざるを得なかった。

 

 

「すごい……初めてなのにこの出来栄えなの」

 

「あぁ。スマホでレシピをガン見しながらやったからな。だけど、上手くいってるかどうかはちょっと不安だな。不味かったら、ごめん」

 

 

 そう言うが、どう見ても土鍋の中の玉子粥は美味しそうにしか見えない。それに不味ければ匂いだってひどいものになりやすいけれど、漂ってくるのは至って普通の、いや、どちらかと言えば美味しそうな玉子粥の匂いだ。見て嗅いでいる今のところは、全くと言って良い程問題がない。

 

 

「どこからどう見ても、美味しそうなお粥よ。それじゃ、頂くとするわ」

 

「あ、それなら待ってくれ」

 

 

 和人は土鍋のすぐ傍に置いてあった木製スプーンを詩乃よりも早く手に取ると、土鍋の中の粥を少し掬い取り、ふぅふぅと軽く息を吹きかけてから、詩乃の口元に近付けた。

 

 

「ほら詩乃、あーんしてくれ」

 

「……また、それ?」

 

 

 まだSAOに居た頃、ユイと和人にこうしてもらった事はある。しかし、現実世界に帰って来てもまだそれをするとは流石に詩乃も想定しておらず、気恥ずかしさが込み上げて来て、ただでさえ熱い顔がもっと熱くなった。

 

 けれど、こうされる事が嫌かと言われたら、そうでもない。

 

 

「ん、嫌だったか」

 

「……嫌じゃない」

 

 

 そう言ってから、詩乃は口を開け、はむっと和人の差し出した木製スプーンを口の中に含んだ。ほのかな卵の香りと鶏がらスープと思われる出汁の匂い、米が本来持つ甘みと卵の風味が合わさったそれの味わいは、SAOに居た時にユイの作ってくれたそれにかなり近かったものの、それとはまた異なった美味しさを持っていて、じんわりと身体の中を暖めてくれた。

 

 そして、これほどまでに美味しいものを和人が作ってくれたというのを改めて理解して、詩乃はたまらなく嬉しくなった。

 

 

「どうかな、上手く出来てる?」

 

「……うん。上出来よ。とても美味しいわ」

 

「そうか? ならよかったよ。口に合わなかったらどうしよかって、不安だったんだ」

 

「たとえ口に合わなくても食べてたわ。だって、あなたが作ってくれたんだし。ありがとう、和人。嬉しい」

 

「……こっちこそ、食べてくれてありがとう」

 

 

 二人で礼を言い合った後も、詩乃は和人を経由しての食事を続けたが、和人が作ってくれたという事が一番効いているのか、土鍋の中の玉子粥がなくなる頃には、少しだけ身体の重さが取れてきた。

 

 ただ、その玉子粥を和人から貰って食べている最中、詩乃はどこか不思議な気持ちを抱いていた。和人が現実世界に帰ってきて料理をするのは、きっとこれが最初ではないだろうし、現に手際よく出来ていたのは、レシピを見ながらやったからだと和人自身は言っていた。

 

 だが、いくらレシピ通りにやったからと言って、ここまで正確に出来るものなのかは疑問だし、料理の回数が少ない者ほど、その過程に慌てたりする事が多い。なのに、和人ときたらまるで何回も料理をした事があるかのような手際の良さだった。

 

 そう、それこそ何回も料理をした事のある、明日奈や直葉、そして自分のようだ。

 

 

(……本当にレシピ通りだからって、ここまで手際よく出来るものなのかしら)

 

 

 それだけが、詩乃は疑問だった。

 


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