キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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キリシノ回。


20:お互いに

           □□□

 

 

 

 《砂丘峡谷ヴェルグンデ》。それが新たに解放された浮島の名前だった。

 

 砂丘という単語を耳にしただけで、キリトは「もしかしたら」ととある予感を感じたのだが、実際に転移してみた先に広がる光景を目にしたところで、その予感は現実となった。

 

 ヴェルグンデは、現実世界に存在している有名な砂漠地帯と砂丘地帯、鳥取砂丘やサハラ砂漠などといったものが目じゃなくなるくらいに広い大砂漠地帯だったのだ。

 

 

 降り注ぐ強すぎる日光により、まるでガラスのように光っている砂地。それらがもたらしてくるのは猛烈な熱気。

 

 砂漠はその容赦のない日差しとそれを吸った砂が出す熱により、溶岩地帯程ではないものの、かなり高温になっている事がほとんどだが、この島もその例に漏れてはいなかった。

 

 だからこそ、転移が完了するなり、全員が一斉に「暑い」と悲鳴を上げ始めたのだった。

 

 無理もない。まさか砂漠の島に踏み入れる事になるなんて予想していなかったものだから、暑さ対策など誰もしていなかった。そのため、キリト達はいきなり攻略を進める事は出来ず、暑さ対策をしてから来る事を決め、そそくさと街に逆戻りする事になった。

 

 

 街に帰って来るなり、平温になった気温に皆喜んで、一気に耐暑アイテムを求めて空都ラインのエリアに向かって行った。

 

 そこでキリトもその中の一人になろうとしたが、その前に先程アスナから聞いた話を思い出して立ち止まった。

 

 アスナの話は今は気にするべきものではないけれど、一応かかわったものには詳細を聞いておきたくなるような話であり、今すぐに答えが来ないと心の中にいつまでも残り続けて、攻略に集中させてくれないような不快な感覚を与え続けるようなものだった。

 

 

 これからの新大陸の攻略に余計な気持ちや不安を持っていきたくないと思っていたキリトは、それらを解消するべく、そしてアスナの話の詳細を聞きたいという欲求を叶えるべく、アスナ以外にその話を知っている人物に声をかけた。

 

 それは他でもない、自分が守ると誓った人であり、同時に愛する人であるシノンだった。

 

 キリトはリズベット達に連れられて、商店エリアに行こうとしているシノンを呼びとめて、「話があるから宿屋へ行こう」と声をかけた。その時には周りにいた仲間達が驚きの混ざった黄色い視線を送って来た。いつもならばそれに何かしらの反応を返すところであったが、その時のキリトは全くと言って良い程気にしなかった。

 

 そして、そんなキリトに声をかけられたシノンも同じように友人達が送ってくる黄色い視線を全く気にせずに、言葉を呑み込み、頷いたのだった。

 

 そうして二人は商店エリアへの道から遠ざかり、相変わらず沢山のプレイヤー達で賑わっている空都ラインの中を抜けて、目的地である宿屋へ入り込んだ。

 

 

 その一室――普段ログアウトする時などに使っている部屋に、キリトはシノンを招き入れた。ほんの少しだけ豪華な作りになっている洋風の内装の中、この妖精の世界から現実の世界へと戻る時に使っている素朴なデザインのベッドにシノンが座ると、キリトはその隣に深々と腰を下ろした。

 

 

「急に予定帰させてごめん。これからリズ達と買い物だっただろ」

 

「そうだけど、別にいいわ。あなたがこうして私をわざわざここに連れて来たって事は、あまり聞かれたくない話がしたいから。そうでしょう」

 

 

 そのとおりだった。一番最初の時はそうでもなかったけれど、最近は事前のちょっとした言動などで、シノンはキリトの話したい事だとか、話す内容だとかを当ててくる。

 

 これから話そうとしたことをぴたりと当てられた時には、ちょっと驚いてしまうけれど、それはそれだけシノンが自分の事を理解してくれているという事の現れでもあるので、キリトは驚きと同時に嬉しさを感じるのだった。

 

 

「それで、何の話なの、キリト」

 

「ひょっとしたら君に嫌な事を思い出させるかもしれない。そうかもしれないから、俺もあまり話したくないんだけれど、さ」

 

「……なに、その話。もしかして、私の昔の話、とか」

 

 

 急に不安な表情が浮かんだシノンの顔。これからこの顔をもっと深い不安のそれに変えてしまうのではないかという気がしてきて、心の中が軽く苦しくなったが、それでも吐き出さずにはいられず、キリトは口を開く。

 

 

「一応、そんな感じだな。なぁシノン。出来るだけ素直に答えて欲しいんだ。

 君はアインクラッドにいて、血盟騎士団に所属してた時、マキリっていう()とどういう関係にあったんだ」

 

 

 不安そうな表情の浮かんでいたシノンの顔に、今度は驚きの表情が浮かび上がる。明らかに聞きたくない名前を聞いてしまったかのような、キリトからすればわかりやすい反応だった。

 

 もう一度声をかけようとしたその時、シノンの方が早く言葉を紡いだ。

 

 

「な、なんでその話をするの。というか、誰からその話を聞いたの」

 

「アスナから聞いたんだ。俺はアスナから聞くまでマキリってプレイヤーは知らなかったし、同時にマキリがシノンと関係を持っていた事も知らなかった」

 

 

 キリトの言葉が届けられるなり、シノンの顔がどんどん曇っていき、俯いていく。

 

 自分の頭の中に異物として残っているシノン/詩乃の記憶には、アインクラッドの日々の記憶もちゃんと残っているけれど、その中を探し回ってもマキリという名前も存在も確認する事は出来なかった。

 

 けれど、シノンにマキリという名前を聞かせてみれば、それを理解している反応が出る。その事からキリトは、シノンがマキリという存在を忘却の彼方に消し去っておきたかった事を、なるべく記憶の中に留まらせておかないようにしておいた事を理解する。

 

 

「もしかしたら嫌な事を思い出させるかもしれないけれど、教えてくれないか。君はマキリと、どんな関係だったんだ」

 

「……どうしても、話さなきゃ駄目なの」

 

「どうしてもってわけじゃないけれど、出来れば話してほしいんだ」

 

 

 そう言われて、シノンは軽くキリトの顔を見てから俯くという動作を二回ほど繰り返した後に、ようやくその口を開いた。そこでキリトも、しっかりと話に耳を傾けるために背筋をしゃんと伸ばす。

 

 

「……マキリと出会ったのは、あなたと一緒に血盟騎士団に入ってからよ。ううん、血盟騎士団に入ってしばらく経った頃かな。突然、マキリは私に話しかけてきたのよ」

 

「まぁ、そんな感じだろうな。それで」

 

「その後、一緒にパーティを組まないとか、一緒にアインクラッドを冒険しないとか、そういう誘いを受ける事が多くなったわ。勿論、あなたと一緒に攻略したい時とか、アスナやユウキと出たい時もあったから、そんなに高い頻度でパーティを組んでたわけじゃない」

 

 

 話を聞いている限りでは、攻略仲間が出来ていたという話にしか聞こえないが、シノンの顔に浮かぶ表情はそんな話をしているようなものではなく、何か嫌な事を話そうとしているかのような不安を感じさせるものだった。

 

 

「マキリは強かったわ。片手剣を振り回して、どんなモンスターも軽々と倒してしまって……一緒に戦ってて、頼もしさを感じさせる感じだった。だけど……同時にちょっと怖かったわ」

 

「怖い?」

 

「うん。なんていうか、憎い敵を滅ぼすために戦っているような感じがあるっていうか、戦っているというよりも、打ちのめす事にこだわっているような感じがあったっていうか……それでおいて、私の事を無駄にやたらと褒めてくるっていうか、過大評価しているような感じだったのよ。

 それこそまるで、私を別の誰かと勘違いしているみたいで……」

 

 

 そこでキリトは顎に手を添えた。

 

 アスナから聞いた話では、マキリは血盟騎士団のナンバースリーと言えるくらいの剣の腕の持ち主だったそうだが、同時に情緒不安定であったという。そしてシノンの話もまた、マキリが情緒不安定だったという点を裏付けるものだ。

 

 

「別の誰かと勘違い……一体誰とだ……」

 

「わからない。だけど、マキリは私の事を強いとか、すごいとか、そんなふうに言って……寧ろ、あなたの知ってるように、私は弱いのに……なのに、マキリは一方的にそんな事ばかり言って……」

 

「それで、君はマキリに反論しなかったのか」

 

「勿論したわよ。でも、マキリは一向に聞いてなんかくれなくて……それで、やたらと私のところに来る事も多くて……だから、怖かった」

 

 

 普段は凛とした強気の表情が浮かんでいる、白水色の髪の毛と山猫の耳が特徴的な愛する人の顔に浮かんだ不安と恐怖が混ざり合った苦い表情を目にして、キリトは怒りや後悔に似た気持ちを抱いた。

 

 アインクラッドに居たあの頃、あんなに長い間一緒に居て、同じ時間を過ごしていたというのに、何故自分はこの人の不安や悩みを感じ取る事も、それを解決してやる事も出来なかったというのだろうか。

 

 どうしてこの娘の悩みをここまで深刻になる前に晴らす事が出来なかったというのだろう――そんな考えと思いが胸の中で渦を巻いて、キリトは口の中が苦くなったような気がした。

 

 

「ごめん、シノン」

 

「えっ、なんで謝るのよ」

 

「俺がもっとしっかりしてれば、君の変化にだって、その悩みだって気付けたはずなんだ。それなのに俺は攻略に(かま)けて、全然気付けないでいた。君の悩みを、深刻にしてしまった。……ごめん」

 

 

 急に謝られる事は予想外だったのだろう、シノンは驚いたような顔になって何度も首を横に振り、キリトに言葉をかけた。

 

 

「別にキリトは悪くないわ。そうよ、キリトは悪くないわ……もとはと言えば、何も言わなかった私が悪いわけだし」

 

「だけど……じゃあ、なんで話してくれなかったんだよ。俺に言えば、団長権限を使って君からマキリを離させる事だって出来たはずだ。なんで相談してくれなかったんだ」

 

「マキリは団長権限なんかで動くような人じゃないわ。キリト、アスナから聞いてない?」

 

 

 マキリのもう一つの特徴。

 

 それは二代目の血盟騎士団の団長となったキリトを一切認めておらず、尚且つキリトに恨みを抱いていたというもの。

 

 これを教えてくれたアスナによれば、マキリは一切キリトを頼ろうとはせず、寧ろアスナやその他の団員に指示を乞うようにしていたし、尚且つ血盟騎士団の団長にキリトが就いていた事にいつも批判意見を持っていたという。

 

 

「聞いてる。マキリは俺を恨んでいたみたいだし、俺の事を一切認めようとはしてなかったんだってな」

 

「だからよ。だからあなたに相談できなかった。もし、そんな事をしたら、マキリが逆上して、あなたを殺そうとするかもしれないって、本当に殺すかもしれないって、そう思ったから……」

 

 

 そこでキリトは「あぁ……」とか細い声を出す。最近ずっとALOの中にいるせいで忘れそうになると気があるけれど、SAOはデスゲームであり、ゲームオーバーになればそのまま死に至る世界だった。

 

 キリトに恨みを抱く上に情緒不安定なマキリの事だ、キリトが干渉するような事があれば勝手に逆上して、オレンジプレイヤーになる事も躊躇(ためら)わず、自分の邪魔をする怨敵キリトを殺害する事を平然と考え、行動に移しただろう。

 

 

「そういう事か……」

 

「確かに、マキリの事は怖かった。だけど、それよりもマキリにあなたを殺される方が私は怖かった。あなたを失う方が、何倍も、何百倍も辛くて怖かった。だから、ずっと黙ってた。……ごめんなさい。今までずっと隠してて……」

 

「俺こそ……もう一回謝るよ。今までずっと気付いてやれなくて、相談に乗ってやれなくて、本当にごめん。だけど、シノン」

 

 

 シノンが軽く「え?」と言った後に、キリトはその身体にそっと手を伸ばし、抱き寄せた。そしてそのまま、いつも抱き締める時と同じように、シノンの後頭部に手を添える。

 

 

「俺だって、出来るならいくらでも君の力になりたい。君に辛い思いをさせたくない。だから、出来ればもう、隠し事はしないでくれ。悩んでる事があるなら迷わず言ってくれ。どんな事でもいいから。そしたら、俺が力になるから。力になれなくても、力になれるように努力するから……だから、お願いだ」

 

 

 これまでずっとシノンの思いを気付いてやれなかった事、シノンに辛い思いをさせて来たという悔しさと悲しさのせいか、気付けばキリトはシノンの身体をいつもより強く抱きしめていた。きっと、シノンは少し苦しさを感じているかもしれないし、痛みも感じているかもしれない。

 

 しかし、シノンは一向にそんな声は上げず、ただキリトに抱き締められていて、次に発した言葉はそのようなものではなかった。

 

 

「……私こそ、ずっと黙っててごめんなさい。本当は余計な心配をあなたにさせたくなかったから、話さなかったんだけど……そっちの方が余計な事だったわ」

 

 

 そこで、シノンの言葉は止まった。キリトは特に何も言わず、ただシノンの言葉を待ち続けたが、中々シノンの口は開かれなかった。痺れを切らしてキリトが口を開こうとしたその時に、もう一度シノンの声が耳元に届いて来た。

 

 

「ねぇ、キリト」

 

「うん」

 

「私、これからは……ううん、これからも、色んな事をあなたに話そうと思う。出来るだけ、一人で悩まないようにしたい。悩んだ時はあなたを頼りにさせてほしい。でも、あなたに頼られてばっかりの私じゃない」

 

「え?」

 

 

 シノンはキリトの胸の中で顔を上げた。黒色の瞳と青水色の瞳が合わされ、互いの姿が映し出され合う中で、シノンは言葉を紡ぐ。

 

 

「あなただって、色んな事を一人で抱え込んで、どうにもならなくなるまで大きくさせちゃう。だから、あなたも隠し事をしないで、全部私に話してほしい。私だってあなたの力になりたい。あなたを、支えたいの。だからあなたも、一人で悩まないで。悩んでる事があるなら、私に言ってほしい。そしたら、私が力になるから」

 

 

 まるでSAOに居た時に受けた告白のような、心のこもった言葉。それが耳の中に入り、そして胸の中に落ちると、キリトは全身が暖かくなったような気がしたが、同時に何とも言えない冷たさと痛みも感じた。しかもそれはかなり大きなもので、表情を変えてしまうくらいに強いものだったが、キリトはなんとか痛みを呑み込んで、顔に笑みを浮かべた。

 

 

「……わかったよ。俺も隠し事はしないよ。それで、俺が悩んだ時には、たまに力になってくれ、シノン」

 

「たまにじゃなくて、いつでも力になるわ」

 

「うん」

 

 

 返事をすると、シノンは微笑んでからキリトの胸の中に顔を埋め、キリトもまたシノンの髪に顔を埋めた。

 

 今、自分はシノンに隠し事はするなと言った。そしてシノンはそれを受け入れて、呑み込んでくれた。きっとこれから、シノンはこれまで以上に様々な事を話してくれるようになるだろう。

 

 

 だけど、そんな事を言い出した自分の中には、シノンを確実に傷付ける、もしくはシノンの心を壊してしまうであろう事柄があり、未だに話せないでいる。もしもそれを離してしまおうものならば、シノンがどうなってしまうのか、簡単に想像がつく。だから、話すわけにはいかない。

 

 俺に隠し事をするな――そう言っておきながら自分の中には大きな隠し事がある。まるでシノンに一方的に――それこそシノンの話に出て来たマキリと同じような事をしている気がしてならず、キリトは胸の中がずきずきと痛み、隠している事が腹の奥底からせり上がって来たような錯覚を覚えたが、キリトはなんとか抑え込んで、腹の中に戻す。

 

 その時に丁度、シノンの声がまた耳に届いて来た。

 

 

「キリト」

 

「なに」

 

「私が良いって言うまで、こうしててもらえる? こうしてもらうの、久しぶりだから……」

 

「……うん。君の気が済むまで、こうしているよ」

 

 

 そう言ってやると、シノンは小さく「ありがと」と言って、軽く顔を胸に擦り付けてきた。若干のくすぐったさと大きな暖かさが全身に広がって、シノンだけが持つふんわりとした柔らかい匂いが鼻に流れてくる。

 

 普段ならば、それらはこれ以上ないくらいに心地よくて、いつまでも感じていたくなるものなのだが、今のそれらは、キリトの胸に確かな痛みと苦しさを与えるものに姿を変えていた。だが、どんなに苦しくて痛くても、キリトはシノンから離れようとはせず、ずっとその身体を抱き締めていた。

 

 

(何が、隠し事をするな、だ。何も話せてないのは、俺じゃないか)

 

 

 

 


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