35層の街に辿り着く頃には夕暮れになっており、宿屋に入って俺の部屋に行き、ベッドにシリカを寝かせた時に、シリカは意識を取り戻した。
「シリカ、大丈夫か」
シリカはむくっと起き上がり、少し寝ぼけているような目をしながら俺達を見つめた。
「キリトさん……リランちゃん……?」
「そうだよ。よかった、ちゃんと目が覚めたみたいだな」
シリカは頭を軽く掻き、呟くように言う。
「あれ、あたしどうしたんですか……ここはどこですか……」
《ここは35層の宿屋だ。お前はタイタンズハンドを退けた後に眠ってしまったのだ。どうだ気分は》
「……あれ?」
シリカがきょとんとして、何かを思い出したような顔になる。
「どうしたんだシリカ」
「あたし……すごく怖い思いをしてました。だけど、今はもう平気です。あんなに怖かったのに、もう何ともありません」
俺は目を見開いた。気を失う前、シリカはとても怖がって震えていた。その時にリランが項に噛み付くと、シリカは急に眠り出したのだ。しかもリランによれば、目を覚ました時怖さが無くなっているの事。本当なのかよくわからなかったが――本当に恐怖を克服できている。
「本当なのか? あんなに怖い思いをしたのに、もう平気なのか」
不思議がる俺の隣に、ミニサイズになっているリランが並ぶ。
《きっとキリトにおんぶされてここまで来たからだろう。キリトの背で眠る事によって、安心する事が出来たのだ》
シリカは驚いたような顔をして、俺に視線を向けた。
「あたし、キリトさんの背中で眠ってたんですか!?」
「あ、あぁそうだよ。あそこで眠ってしまったシリカを、ここまで運んでくる時におんぶしてた」
シリカは身を縮めて黙り込んだ。あれ、もしかしてそんなに嫌だったんだろうか。
そう思ったその時に、シリカは深く溜息を吐き、言った。
「きっと……そうなのかもしれません。キリトさんがずっとあたしを守ってここまで運んでくれたから、怖くなくなったなのかもしれません」
「そうなのか?」
「きっとそうです。意識を失ってはいたけれど、キリトさんの背中が、とても暖かかった憶えがあります。あの暖かさを思い出すと、何だか安心出来るんです。あの暖かさに包まれてたおかげで、もう、あの時の怖さは感じなくなりましたし、思い出しても怖くなくなりました」
シリカは俺に身体を向けて、頭を軽く下げた。
「キリトさん、ありがとうございました。あたしを守ってくれて、あたしを思い出の丘まで連れて行ってくれて、本当に、ありがとうございました」
シリカが顔を上げてにっこりと笑むと、心の中がとても暖かくなった。なんというか、役に立てて、シリカを無事に守れてよかったという、複数の安堵と嬉しさが混ざり合ったような暖かさだった。
「俺もシリカに何度も慰められた。おかげで、かなり調子が良くなった気がするよ。だけど、そろそろ前線の方に戻らないとだな。正月休みっていうのが欲しくなって、攻略を停止してたから……」
シリカが「あっ」と小さく言う。
「そうでしたね。キリトさんは、攻略組でしたね」
「……黙っててごめん。教えたら、君を怖がらせるんじゃないかって思ってたんだ。それに、ロザリアの事もだ」
「ロザリアさんの事?」
「あぁ。俺はロザリアが君を狙っている事を初めから知ってたんだ。でも、これを教えたら君が尚更怖がるかと思って、あえて教えなかったんだ。そしたら、あんな目に君を遭わせてしまった」
シリカは「そうだったんですか」と言った後に、椅子に座る俺の手を柔らかく包み込んだ。手の中が一気に温かくなる。
「でも、助けてくれたのが、一緒に行ってくれたのがキリトさんで本当によかったって、あたしは思います。もしキリトさんじゃなかったら、ロザリアさん達と出会った時点で、もう駄目だったかもしれないから……キリトさんが一緒で、本当によかったです。ありがとうございます、キリトさん。あたしの事を守ってくれて」
シリカは笑みを浮かべた後に、手を離した。
「あたし、ピナを生き返らせた後に、レベルを上げて、いつかキリトさんに追いつきます! だからキリトさんは戻って、最前線で戦っている人達の助けになってあげてください。キリトさんとリランちゃんの力は、みんなを助けるための強さだと思うから……」
相変わらず、シリカの言葉は胸の中を暖かくしてくれた。そうだ、最前線にも、守ってやりたい人たちが沢山いる。シリカの事も心配ではあるけれど、今は最前線に向かって、みんなの事を助けてながら、この城の攻略を進めないといけない。さもなくば、シリカのようないい人が、このゲームから解放されるのが遅くなってしまう。
「……わかったよシリカ。俺はこれから最前線に戻る。もし君が攻略組に加わってくれるようならば、その時は肩を並べて一緒に戦おう」
シリカは元気よく「はい!」と言って、にっこりと笑った。
その笑顔を見届けた後に、俺はシリカを部屋に残して宿屋へ出て、35層から22層へ戻った。
そして、22層の街で依頼をしてくれたあの男と合流。ロザリア達を無事に牢屋に閉じ込める事が出来た事を告げると、男は泣きながら礼を言ってくれて、持っているアイテムを渡そうとしてきたが、俺はその全てを拒否。何もいらない、全て自分のものとして使ってくれと言って全てを断ると、男は頭を下げて呑み込んでくれて、これからは攻略組を目指すと言い、転移門へと消えて行った。
その様子を見たリランが俺の肩で呟くように言う。
《あの男は大丈夫だろうか。攻略組を目指すのはそう簡単な事ではあるまい》
「大丈夫さ。あいつはきっとまた仲間を作ってギルドを結成できるだろう。それより、シノンは大丈夫だったのかな。シノンはずっと一人で戦ってたみたいだけど」
リランは俺の家がある方角へ顔を向ける。
《うむ。シノンの気配を我らの家から感じる……ちゃんと生きておるな。精神状態も良好だ》
思わず目を見開く。確かに、俺もメッセージの送信先を見ればプレイヤーのいる層が把握できるけれど、層のどこにいるだとか、精神状態はどうだとかまではわからない。
「お前、そんな事わかるのかよ。つくづくお前はわからない事だらけだなぁ」
《我にもよくわからぬのだ。だが、我らが留守にしている間にもシノンは無事だったのだ。それに話によればシノンは料理を作っているそうではないか》
「おぉそうだったな! 一日ぶりのシノンの絶品料理を堪能しなきゃな」
「残念だけど、まだ準備も何もしてないから、帰ったところで何もないわよ」
俺達はビックリし、慌てて振り返った。そこにあったのは、今まさに会いに行こうと考えていたシノンの姿だった。
「し、シノンさん」
シノンは呆れた様子で腰に両手を当てる。
「まさかあんたと帰りが一緒になるなんてね。犯罪者ギルドの討伐はうまくいったのかしら? っと、あんたが生きてるんだから、うまくいったか」
「あぁ、何とかなったよ。またリランに助けられたから、今日はリランに思いっきりお礼をしてやらないと」
シノンは「そっか」と言った後、リランに手を伸ばし、その頬を軽く撫でた。
「リラン、いつもキリトを助けてくれてありがとうね。今日はリランのためにシチュー作ってあげるわ」
次の瞬間、リランと一緒にげっと言ってしまった。昨日の晩御飯も風見鶏亭のシチューだったから2日連続のシチューだ。
《し、シチューか。シチューなのか》
リランの妙な反応にシノンは首を傾げた。
「どうしたの。シチューは嫌かしら」
《そういうわけではないのだが……》
その時に俺は、シノンの簡易ステータスを見てある事に気が付いた。シノンのレベルはまた上昇し58レベルになっている。たった1日しか開けていないのに、2レベルも上がるなんて、一体どんな事をしたのだろうか。
「君、レベルが上がってるじゃないか。一体何をしたんだ。俺達のいない間に戦闘をやりまくったのか?」
シノンは何かに気付いたような顔をした後に、俺の事を睨みつけた。
「キリト、何であんなものを私に教えなかったのよ」
「あんなものって?」
「クエストよ。あれクリアすれば経験値が入るようになってるんじゃない。なのにあんたってば戦闘しかレベルを上げる方法が無いみたいに戦闘ばかりさせて……」
このゲームのクエストは、特定のモンスターを倒す、特定のアイテムを納品する、特定の行動をとる事によって達成されるものがほとんどだが、クエストの報酬はコルやアイテムだけではなく、経験値も含まれている。
しかもクエストの達成によって手に入る経験値は時に戦闘で手に入る者を凌駕する事もあるため、クエストを達成する事によるレベリングも推奨されている。今までシノンに教え忘れていたけれど、こうやってレベルを上げる方法もあったんだった。
「って事は君のそのレベルの上がり方は……」
「クエストをやりまくったのよ。採取に出かけたり、モンスターの討伐をさせられたり、何だかよくわからない条件を達成したり。おかげでレベルが2つも上がったうえに、なかなかいい物も手に入ったわ」
そう言って、シノンはアイテムウインドウを出現させ、ソートさせた後にある一つのものをクリックし、手の上に呼び出した。蓋のされた小さな壺のようなアイテムだ。
「これは、なんだ?」
「どの層だったか忘れたけれど、小さな村で受けられる「逆襲の雌牛
その名前を聞いて、俺は思わず第1層の時の事を思い出した。まだこのゲームが始まって間もないころ、俺は第1層にある小さな農村に寄ってクエストを受けたんだった。その時のクエスト名は「逆襲の雌牛」。暴れ回る雌牛型のモンスターを討伐する内容で、これをクリアした事で手に入ったのは結構高めの経験値とそこそこのコル、黒パンに付けるとかなり美味いミルククリームだった。
「なるほどなぁ……あのクエストの続編が出てたってわけか」
「手に入ったのはクリームだけじゃないの。雌牛の肉っていう中々良質な食材も手に入ってね。あんた達はお肉料理が好きみたいだから、ビーフシチューを作ろうって思ったんだけど……なんかあまりいい反応をしなかったわね、あんた達」
俺は思わず首を横に振る。
「そんな事ないさ。寧ろ君の作るシチューが食べてみたい」
《我もだ。良質な食材が手に入ったというからには、食べないわけにはいかない!》
シノンは軽く溜息を吐いた後に、歩き出して、俺達を通り過ぎた。
「そうと決まったら、早く帰るわよ」
「了解です、シノン殿」
俺達はそそくさと、湖から少し離れたところにある我が家に向けて歩き出した。しかしその途中でも、俺は頭の中に何かが引っ掛かっているような気がしてならなかった。 何かをするつもりだった――何か重要な事をするつもりだったけれど、何をするつもりだったのかが頭の中から出てこない。
「なんだっけなぁ……思い出せないや」
《どうしたのだキリト》
「いや、俺何か重要な事を忘れてる気がするんだよ。でもそれが何だったのか全然思い出せなくてさ。なぁ、俺って何を忘れてるんだっけ」
《そんな事を我に聞かれても困るぞ。シリカにプネウマの花は渡したし、仇討を達成した事を報告したし、何も忘れていないのではないか》
その時、俺は頭の中で何かが光ったような感覚を覚えた。そうだ、シリカだ。シリカに関する、何か重要な事を忘れているんだ。だけどシリカに関する何だったかまでは結局思い出せない。
……そもそもシリカは有名プレイヤーだった。有名になれた理由は周りのプレイヤー達よりも年下であった事と、ピナという《使い魔》を使役する《ビーストテイマー》であるから……。
「あ――――――――ッ!!」
「ちょっと、何!?」
《どうしたのだ!?》
思い出した。《ビーストテイマー》に関する情報だ。シリカは唯一近付けた《ビーストテイマー》だったから、《ビーストテイマー》に関する事柄や情報を沢山聞こうと思っていたのに、ピナの蘇生とロザリア達タイタンズハンドの事で頭がいっぱいで、忘れていた。
せっかく俺以外の《ビーストテイマー》と近付く事が出来たのに、なんという不覚。今更聞きに戻ろうにも夕暮れだし、シリカはもうピナと一緒に居るだろうから水を差す事になりそうだし……何でこんな重要な事を忘れていたんだろう。
「いっけない、肝心な事を聞くのを忘れてた……今更戻ったところで聞けるわけがないし……」
「どうしたのよキリト。何を聞き忘れてきたのよ」
その時、リランが何かに気付いたような《声》を出した。
《む、キリト。お前当てにメッセージが来ているようだぞ》
俺は目の前に視線を動かして、少し驚いた。いつの間にか、メッセージが届いている事を示すウインドウが出てきている。差出人は、シリカだった。
「シリカからだ……」
指先で軽くウインドウをタッチすると、その大きさが拡大されて、内容が一気に表示された――。
キリトさんへ。
キリトさんのおかげで、ピナを無事に生き返らせる事が出来ました。それからキリトさんの事を沢山ピナに話したんですが、その中で、キリトさんがまだ《ビーストテイマー》になったばかりで、《ビーストテイマー》について詳しくないと思って、《ビーストテイマー》の情報をまとめた簡易マニュアルを添付しておきます。攻略に忙しくない時にでも読んでください。ピナを生き返らせてくれたお礼です。
あたしもレベリングを頑張っていつかキリトさんのところに追いつきますので、キリトさんも頑張って前線の皆を支えてください。今のところキリトさんが初の《ビーストテイマー》の攻略組なので、きっとみんなの希望になれるはずです。これしか言えませんけれど、キリトさん、頑張ってこのゲームをクリアしてください。
あと、あたしは基本的に35層にいますんで、時々寄ってくださいね。
シリカより
シリカからの手紙だった。ピナを生き返らせる事に成功したという一文を目にして安堵したが、その後にメッセージの下部に表示されている添付物に、俺は思わず目を輝かせた。まさかシリカから聞きそびれた情報を、マニュアルのような形にして送ってもらえるとは思ってもみなかった。
「……あ……ありがたい……」
「……なに叫んだり、一人で目を輝かせたり、泣きそうな顔になったりしてるわけ」
顔を上げれば、目を半開きにしたシノンとリランが見えた。
「いや、仇討するついでに出会って助けたプレイヤーから贈り物が来ててさ。それが俺の欲しかったものだったからついつい舞い上がっちゃって」
「へぇ~……まぁ人脈が広がったのはいい事ね。それに欲しい物も手に入ったんだからよかったじゃない。というか、いきなり大きな声を上げるもんじゃないわよ。何事かと思って武器を抜きそうになったわ」
《我も敵が来たのかと思って身構えてしまったぞ》
思わず頭を掻いた後に二人に謝る。
「悪かった、悪かった。それじゃ、早く家に帰ろう。俺も色々あって疲れたから」
シノンが腕組みをする。
「あんたの事見てると思うけど、トラブルに巻き込まれる不遇体質よね。仇討然り、攻略然り、リラン然り、そして仇討に行ったかと思えばほかのプレイヤーに巻き込まれたり……」
言われてみればそうだ。俺はまずこのデスゲームに巻き込まれて、その途中でリランと出会って、リランの力に振り回されて、メディキュボイドを使っていたはずのシノンと出会って、シルバーフラグスの仇討を頼まれて、シリカに出会って、そしてまた攻略に戻らなければならなくなっている。
本当に、トラブル続きだけど、そんなに悪い気は感じていない。
「そんなに悪い事ばかりじゃないよ、いい事も確かにあった。リランっていう最高の相棒と出会った事と、そしてシノンと出会って一緒に暮らせるようになった事とか」
シノンがきょとんとする。
「私と出会って、一緒に暮らせるようになった事?」
「そうさ。知ってると思うけど、俺は今までずっとソロプレイヤーだった。今になって思うけど、俺はずっと寂しいって思ってたのかもしれない。その証拠に、もうソロプレイヤーに戻りたくないって心の中でずっと思ってるんだ。だから、俺はシノンとリランに出会えて本当によかったと思う」
思っていた事を全て言うと、シノンは目を丸くして、やや俺から顔を逸らした。
「……私も……最初に……えたのが……なたで……よかった」
シノンが僅かに口を動かしたのが見えたが、声があまりよく聞き取れなかった。
「え、何て言った」
シノンは顔を俺の方へ戻した。夕日が差しているせいか、顔が赤く見える。
「早く帰りましょうって言ったのよ。あんたさっきからお腹空いたみたいな事言ってるじゃない」
なんか違う事言っていたような気がするが、そう考えた瞬間に腹の方から音が聞こえてきた。シノンの言う通り、すっかりお腹が空いている。
「それもそうだな。料理お願いします、シノン殿」
「ほら、早く行くわよ」
俺は頷き、シノンの隣に並び、我が家目指して歩き出した。
ほんと、この二人に会えて、よかった。
そしてこの二人こそが、俺が今、最も大切だと思える存在だ。
◇◇◇
22時 ログハウス
俺は寝室のベッドに入った後、シリカからもらったマニュアルを読み耽っていた。シリカは俺よりも年下に見えたから、纏め方もあまり上手じゃないんじゃないか思っていたけれど、その想像を打ち破るかのごとく、マニュアルは綺麗にまとめられていた。といっても、マニュアルというよりも《ビーストテイマー》に関するメモに近いのだが。
《ビーストテイマー》になれる条件。――普通、このSAOではモンスターに遭遇するとその場で戦闘になるが、遭遇しても戦闘にならず、モンスターが興味深そうに寄って来る事がある。その時にモンスターに餌に該当するアイテムを与える事で、そのモンスターは餌を与えてくれた相手に懐き、《使い魔》になり、その時点でプレイヤーは《使い魔》を使役する《ビーストテイマー》となる。
しかし、《ビーストテイマー》は狙ってなれるものではない。
《ビーストテイマー》になるにはモンスターと戦闘ではない遭遇をする必要があるが、これ自体が極めてまれであり、《使い魔》にすること狙って遭遇を図っても戦闘になるのが基本的であるらしい。
更に同じ種族のモンスターを倒し過ぎると、その種類が《使い魔》になる確率は下がり続けるらしく、《使い魔》にしたいモンスターと、戦闘ではない遭遇イベントを起こすには、出会う、逃げる、出会う、逃げるを延々と繰り返す必要がある。
しかも《使い魔》に出来るのは大した力を持たない小動物サイズの弱いモンスターに限られている……はずだったが、熊型や馬型のモンスターを使役する事に成功した《ビーストテイマー》が現れたため、小動物型でなくても使役が可能である事が証明された。
しかし、その確率はモンスターが大型に近付くにつれて低くなっていき、大型までくれば、もう使役できる確率は0.5ほどのものとなり、ドラゴン型やワイバーン型のモンスターに至っては使役不可能といえるだろう。
そして《使い魔》は主につき従い、回復技や妨害技などで主を支援する。
《使い魔》のHPがゼロになった場合は、「○○○の心」というアイテムがドロップされ、3日以内に47層の思い出の丘に出現するアイテム、プネウマの花を使用する事によって《使い魔》を生き返らせる事が出来る。ただし3日を過ぎてしまうと、「○○○の心」は「○○○の形見」というアイテムに変質してしまい、蘇生できなくなってしまう。
途中まで読み進めて、俺は思わず首を傾げた。やはり、リランのような強い奴は使役できないらしい。しかも、どこを見ても《使い魔》が喋るなんていう情報もない。
リランは確かに俺の《使い魔》だ。なのに、リランはドラゴン型ですごく強いし、人竜一体なんて事も出来るし、何より喋る。そして小さくなったりデカくなったりする。このメモには書いていない事ばかりが当てはまっている。
「……やっぱり、書いていない。リランは何なんだ」
このゲームで培ってきた知恵や情報は少ししかないし、リランのような奴も観測されていない。だから俺がリランのような《使い魔》を手に入れた第一人者だ――それ故リランについては俺が解明していくしかないのだが――やっぱりわからない。
シリカによれば、リランみたいな奴は誰も使役できてないみたいだし、シリカも喋る《使い魔》は初めて見たと言っていた。しかも《ビーストテイマー》自体がよくわかっていない存在であるらしく、情報は常に足りていない。リランみたいな特殊な物であれば、尚更だ。
「そういえば……リランは」
記憶喪失だと言っていた。これまで、リランの記憶喪失はイベントによるものだと思っていが、近頃それすらも疑わしく思えるようになってきた。
そもそも、リランがただのNPCだとは思えないんだ。喋るし、強いし、心があるみたいに思いを伝えてくる。こんなのはSAO内のNPCではあまり考えられない。
もしかしたらリランは何かしらのイレギュラーな存在なのか……? SAOのNPCではない、何か特別な存在――それこそメディキュボイトでこの世界に飛ばされてきたシノンのような。
思わず、シノンの隣で眠っている小竜に目を向ける。まさかリランは……何かしらの要因でドラゴンの姿になったプレイヤーなのか。シノンみたいに記憶を失って、自分はドラゴンだと思っているけれど実はドラゴンのアバターに身をやつしている人間みたいな……考えたら頭の中が余計にこんがらがって来て、わけがわからなくなった。
(とりあえず考えるのはここまでにしておくか)
シリカからもらったウインドウを閉じ、布団を捲って寝転がろうとしたその時、横方向から声が聞こえてきた。
「キリト」
少し驚いて目を向けてみれば、隣のベッドで眠っていたシノンが、いつの間にか目を覚ましていた。独り言で起こしちゃったかな。
「ごめん、起こしてしまったかな」
シノンは寝返りを打って、仰向けの姿勢になった。
「寝てなかったのよ。だからあんたの独り言、全部聞いてた」
「そ、そっか」
シノンはどこか、悲しそうな表情を浮かべた。
「ねぇキリト。もし、私が記憶を取り戻して……」
「取り戻して?」
「私が壮絶な過去を持っている人だってわかったら、それでもあんたは私と一緒にいるつもりなの」
「壮絶な過去? 何か思い出したのか」
シノンは頷き、俺の方に顔を向けた。
「……昨日、あんた達がいなかった夜、一回寝た時に何かを思い出しかけたのよ。だけど、すぐに目が覚めてまた忘れちゃった。夢の内容も忘れたんだけど……なんだかすごく怖い思いをしたような気がしてならないの。またそんな夢を見るんじゃないかって……」
思わず目を見開いてしまった。シノンが、これまで見せた事のない、とても不安そうな表情を浮かべている。普段クールなシノンがあんな顔をするっていう事は、余程恐ろしい夢を見たんだろう。そしてそれは、きっとシノンの記憶……。
「このSAOじゃ、他人のリアル事情を聞くのはマナー違反っていう事になってるんだけど……俺は正直、君の過去が気になってるんだ」
シノンの目が見開かれる。
「私の過去が気になる?」
「というよりも……変な事を言ってるって思われるかもしれないけれど、君の事をもっと知りたいっていうか……なんていうか……君はきっと、自分だけじゃどうにもならなくなるような事にぶつかりそうな、そんな気がするんだ。だから、そんな時が来てもいいように、君の事をもっと深く知って、その時が来たら力になってやりたい……そう思ってるんだ」
シノンはきょとんとした顔で俺の事を見つめていた。……心の中じゃ、何言ってんだこいつとでも思ってるんだろう。
そのままシノンから目を逸らし、窓の外に広がる、月光で輝く湖を見つめていると、後方から声が聞こえてきた。
「それ、本気なの」
「変な事言ってるって、思わないのか」
「思うわ。滅茶苦茶変な事言ってる。なのに、何故か信じられる」
驚いて、シノンの方へ顔を戻す。シノンは身体を起こして、こっちに顔を向けていた。
「いきなり降ってきた私を住ませるとか言って、家を買ったり、私の事を守るとか言い出して本当に守ってくれたり……私が壮絶な過去を持ってるかもしれないって言い出せば、力になりたいなんて言い出して……ものすごく変だわ、あんたは」
シノンの言葉が心に突き刺さるような感覚が走り、肩が一気に重くなる。そんなに変な事を言ってたのか俺って……。
「でもね、それと一緒に、あんたって本当に不思議だわ。あんたの事を何故か信じられるのよ」
「えっ」
「あんたの言葉って、何故か信じられるし、あんたの傍って何故か安心出来るし、心地がいいのよ。
私がレベリングしてる時も、あんたはずっと肩に力を入れて、私に危機が迫ってこないかどうかを見張っててくれたし、私が料理を作れば素直に美味しいって言ってくれる。私が安心して戦闘が出来るのも、料理を作ろうって思えるのも、あんたが近くにいるおかげだから……そう思うのよ」
シノンの顔に微笑みが浮かぶ。
「ねぇキリト。もし、あんたの言うそれが現実になる時が来たら、あんたは本当に私の傍にいてくれて、力になってくれるの」
先程からシノンの言葉を聞いていて、俺は心の中が暖かくなるのを感じていた。
まさかここまでシノンに頼られているとは思ってもみなかったし、俺の力というのがここまで信頼されているとも、思っていなかった。
ここまで信頼されてるとあれば、いや、たとえ信頼されていなかったとしても、シノンの力にはなってやりたいと思っていた。だから、答えは一つだ。
「勿論、なるよ。というか、今言ったじゃないか。君の力になるって」
「そうだったわね」
「それだけじゃないよ、シノン」
シノンが「えっ」と言う。
「これは俺がリランに言われた事なんだけど……君は一人じゃないんだよ。俺もいるし、リランもいる。だから何かあっても、一人で抱え込まないでほしいんだ。もっと、俺達を頼ってほしいんだよ。記憶の事でも、このゲームの事でも、何でもさ」
シノンは数回瞬きをした後に、またふっと笑った。
「……それ、私もリランから言われたわ。もっと自分達の事を頼りなさいって。私ってそんなに人の事を頼らなそうに見えるわけ?」
「いや……君は見た目以上に大人びてて……人に頼らずに生きていきそうな、そんな人に見えるから……」
シノンは苦笑いする。
「まぁ確かに人にあまり頼らないようにはしてるけれど、あんた達の事を頼りにしてないわけじゃないから安心して頂戴。私だけじゃどうにもならなくなったら……その時はあんた達に頼るわ」
「そ、そうか」
まさかリランが同じことを言っているとは。俺達って考えてる事が似てるのかな。
その直後、シノンは軽く欠伸をした。
「何だかあんたと話してたら眠くなってきたわ。ほら、あんたも早いところ寝た方がいいわよ。明日は53層の攻略なんでしょう、私を入れた」
「そうだな。とりあえず読み物は終わったから、これで寝るよ。おやすみ、シノン」
シノンは頷き、布団の中に滑り込んだ。
「おやすみキリト。……信じてる」
「えっ」
シノンは寝返りを打って、そのまま寝息を立て始めた。
今何かを言ったような気がしたけれど……なんだろう。まぁいいや。
明日はシノンを加えた攻略だ――レベリングに勤しんでいるとは言え、不慣れなシノンを守ってやらないと――そう思って、俺はベッドの布団の中に滑り込み、目を閉じた。