キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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02:歌ノ女神と創造者の右腕

 レインという謎の多い少女と知り合いになった翌日の午前七時三十分。

 

 いつもと何一つ変わりのない休日の朝。目覚めた俺は二階から一回に降りて、ダイニングに赴いた。窓から朝日が差し込んできて明るいダイニングの中、俺よりも早く起きた妹の直葉が、いつもと同じように朝食を用意してくれており、俺はそんな直葉と「おはよう」と挨拶を交わした後に、椅子に座った。

 

 

 目の前のテーブルには、ALOやSAOの中に登場する簡易食事であるこんがりと焼けた肉のように狐色の焼き色のついたトーストが大きめの上に乗せられており、横には牛乳が注がれたコップ、君が半熟になっているであろう目玉焼きが乗った皿が置かれている。

 

 いつもと何一つ変わっている事のない、俺と直葉の兄妹の朝食だ。そんな何も変わらない食事を摂ろうとした時に、直葉がテレビの電源を付けたのだが、映った番組を見るなり、俺は思わず凝視してしまった。

 

 

 

 複数人いるアナウンサーがテレビ局のスタジオでニュースを読み、ニュースに関するVTRを流れ、それについてのコメントを周りのコメンテーター複数がするという、日曜日の朝にやっている明るめの報道番組。

 

 毎週日曜日の朝にやっているいつもどおりの光景が、テレビの液晶の中に繰り広げられていた。そんな何の変哲のないものを凝視するものだから、不思議もしくは不気味に思えたのだろう、目の前に座る直葉が声をかけてきた。

 

 

「おにいちゃん、どうしたの。そんなに怖い顔してテレビ見て」

 

「だって、ニュース番組だろ。ニュース番組って言ったら、アレが出るかもしれないじゃないか」

 

「アレ……あぁ、《()り逃げ男》だね。確かに、ニュース番組の最中に出てくる事が多いもんね。しかもその曜日もタイミングも完全にバラバラ……神出鬼没だもん」

 

 

 俺が言うアレの名前を直葉が口にする。SAOの中で倒れたはずなのに、未だに存在し続けて、日本社会を脅かす存在である《壊り逃げ男》の攻撃は、直葉とネットによればニュース番組の最中に現れる傾向にあるらしいし、その瞬間をこの前目の当たりにした。

 

 今やっているニュース番組は、一見すればいつもどおりの何気ないものだけれど、あんな瞬間を目にしてしまった後なものだから、またあの時のように《壊り逃げ男》が出てくるんじゃないかと思えて身構えてしまう。

 

 ――しかし、どんなにテレビを凝視したとしても、一向に《壊り逃げ男》の攻撃が始まる気配は見られなかった。

 

 

「……今回はそんな感じはないな」

 

「そりゃ、毎日出てくるわけじゃないみたいだからね。おにいちゃん達がSAOに居た時はほぼ毎日出て来てたけれど」

 

「毎日出てたのかよ。須郷もよくやったもんだな」

 

「まぁ、アレの事だもん。きっとテレビ局を攻撃するのがすごく面白かったんだと思う」

 

 

 須郷がまだ生きていて、俺達に全てを話した時、確かにそんな事を言っていた。恐らくだが、須郷はハンニバルから得たであろう技術を使ってテレビ局を攻撃するのが面白くて快感であったから、何回でも繰り返したのだろう。そんな須郷の様子が頭の中に浮かんできて、なんだか少しだけ気持ちが悪くなってきた。

 

 

「だろうな……だけど、今は誰が《壊り逃げ男》だっていうんだ」

 

「それも謎だよね。少なくともわかるのは、須郷みたいな極悪人――」

 

 

 そう直葉が言いかけた時に、テレビの中でアナウンサー達が若干明るい表情を浮かべた。恐らく話題が変わったのだろう。

 

 

《次のニュースは突然の来日を決行した、世界中で大人気の博士、七色博士です》

 

「七色博士!?」

 

 

 直葉と一緒になって、俺は驚いてしまった。

 

 七色博士。本名は七色・アルシャーピン。ALOで大人気のアイドルであり、俺達が気を付けているシャムロックのボスであるセブンの現実での名前だ。それがアナウンサーの口から出て来たものだから、直葉も同じようにテレビを凝視する。

 

 そこには、よく有名人とかが行う会見の典型的な会場が広がっており、その中にかなりの数の報道陣とアナウンサー達の姿と、大人達に取り囲まれている背の小さい少女の姿が確認できた。

 

 銀色の髪の毛に白い衣装に赤紫色の瞳――雑誌などに掲載されている七色博士そのままの特徴を持った少女は笑みながら周囲にカメラを見回しており、そこに向けて一人の女性アナウンサーが近付いていった。

 

 

《七色博士は、コンピューター科学の研究をされており、同時に日本発のVRMMORPG、ALOにてセブンというキャラクターとして歌手活動もされています》

 

 

 そこで、アナウンサーが一声かけてからマイクを向けると、七色はそれを受け取り、マイクの調子を軽く見た後に、その口を開いた。

 

 

《あたしは研究者でもあり、同時に歌手でもある。それは、表現をする者としては変わらないわ。どちらも本当のあたし。応援してくれる人がいるっていうのは素直に嬉しいわ》

 

《一時期、VRMMOはSAO事件があったため、存続の危機に立たされる事になりましたよね。それについてはどのようにお考えですか》

 

《SAO事件を起こしたのは、茅場晶彦博士。彼がやった事は、確かに人道というものから外れたそれだった。だけどその技術に、VRMMO自体に罪はないのよ。彼が作り出したVRMMOという世界がどのようなものだったのかを知るために、あたしはALOにログインしたの》

 

《ALOでの七色博士――セブンの歌は平和や共存を提唱しているものが多いと聞いていますが、その辺りについてはどのようなお考えで?》

 

 

 そこで七色は、少しだけ嬉しそうな表情を顔に浮かべた。恐らくだが、アナウンサーがこの話題について触れて来てくれた事が、嬉しかったのだろう。

 

 

《ALOは、種族間の闘争がゲームのテーマの一つになっているの。だけど、ネットワーク社会のあるべき姿は一体どこにあるのか。あたしなりにもう少し知りたくなったのよ。

 競争と共存。それはまるで資本主義と社会主義のようにどちらも正しさがあって、決して割り切る事が出来ないものでしょ。ネットワーク社会の未来のありようを知るためにも、あたしはプレイヤー達の反応を、声を聞かせてほしいって思ったのよ》

 

 

 まるで難しい話を始めた時のイリス辺りを思い出させるような言葉遣い。七色は今年で十二歳になると聞いているし、見た目も確かにそれに違いはないのだけれど、その言葉の使い方や表現の仕方は、年齢を十歳以上飛び越えている。

 

 

《未だ世間からは、冷たい言葉を向けられる事も多いVRMMOですが、茅場晶彦博士と貴女を、まさにネットワーク世界の闇と光と揶揄する人もいるようですね》

 

《うっふふ。あたしの歌で、VRMMOを少しでも認めてくれる人がいるなら、それは嬉しいな》

 

 

 セブンの嬉しそうな表情がカメラの中におさめられたその時に、俺は思考を回す。

 

 確かに、俺達がクリアしたSAOは事件とされており、あれのおかげでVRMMOは常に批判の対象とされ、存続の危機に立たされていた。

 

 そんな中で七色はセブンとなって、VRMMO世界であるALOに進んでログインし、尚且つその中で大人気のアイドルとなっているその様子は、VRMMOを始めたプレイヤー達に絶望と死を与えた茅場とは真逆の、光と希望を与えているように見えなくもない。ネットで見られる意見は、(あなが)ち間違っていないのだ。

 

 そこで、直葉が七色を見つつ俺に声をかけてくる。

 

 

「ALOでアイドルしてるこの()のおかげで、VRMMOやALOの印象が良くなっているのは確かかもしれないね」

 

「所謂プロパガンダという奴だな。プレイヤーの俺達からすればありがたい存在だとは思うけれど、それを負っているのはこんなに小さな娘だ。それは、どうなんだろうな」

 

「でもこの娘の場合、寧ろ自分から挑戦して行ってるって感じがあるよ」

 

「まぁ確かに、誰かにやらされてるんじゃなく、本人が前向きならそれでいいんだけどな。だけど、やっぱり一度直接話してみたいもんだな。どんな事が聞けるんだろうな、この科学者からは――」

 

 

 そこでもう一度テレビに目を向けてみると、画面の中の七色が何かを思い立ったような表情になり、マイクを再度握り締めた。

 

 

《そういえば、日本に来た理由はそれだけじゃないの。実はね、あたしは会いたい人がいるのよ》

 

《会いたい人? それはどのような人なのでしょうか》

 

《直接口に出しちゃうとまずいだろうから、名前は出せないのだけれど、その人はかつて茅場晶彦と共に研究に打ち込んでいたAI開発者なの。その実力はもう世界に通用するレベルで、茅場晶彦の右腕とも言われるくらいだったの》

 

《そのような人が。一体その人がどこに居らっしゃるのか、ご存じなのでしょうか》

 

《それがわからないのよ。その人は、茅場晶彦と同じようにSAO事件をきっかけに姿を消してしまって、誰もその行方を知らない状態にあるの。

 だけど、生きているのだけは間違いないから、会う事が出来るなら是非とも会いたいわ。……難しいでしょうけれど》

 

 

 その後も、七色とアナウンサーは軽い会話を繰り広げたが、俺はそれを頭に入れる事は出来なかった。

 

 今、七色が口にした、茅場晶彦と共に研究に打ち込み、茅場晶彦の右腕と言われるまでの実力を持ったAI研究者。普通なら一体誰だとネットの中を模索するところだけど、俺達がそのような事をする必要はない。

 

 何故なら、俺達の仲間の一人に、それに該当しそうな人物が存在しているからだ。かつて茅場晶彦と共にSAOという悪魔のゲームを作り、その中に実装され――今は俺の相棒と娘と仲間になっている超高度AIを作り上げたが、SAO事件以降はAI研究者の職から降り、美人精神科医として名を馳せていた女性。

 

 その名前を頭の中で唱えようとした時に、直葉が驚いたような顔をしながら、もう一度声をかけてきた。

 

 

「おにいちゃん、今、この娘……茅場晶彦と一緒になってたAI研究者って……!」

 

「あぁ、間違いない。七色博士の言ってるAI研究者はイリスさん……愛莉(あいり)先生の事だ」

 

「だけどなんで、なんで七色博士は、イリス先生の事を知ってるの。イリス先生はアーガスの元スタッフの一人だけど、その情報は秘匿だったはず」

 

 

 俺もそれについて気になっていたが、すぐに答えは割り出せた。

 

 SAO事件を境に解散、倒産する事になったアーガス。その中でSAOを開発したスタッフのリストや情報などは、一般的には秘匿にされて公開されていないし、更に規制もされているけれど、ネットの中を探してみれば、規制の及んでいない情報サイトや個人ブログなどに掲載されているのだ。

 

 恐らくだが、それをヒントに掴んで、七色は愛莉の事を知ったのかもしれない。

 

 それに、あくまで可能性ではあるけれど、もしかしたら学会や科学者の間で愛莉はかなり有名な存在となっていて、普通に知る事が出来るのかもしれないのだ。狂人と評された茅場だって科学者の間では途轍もない有名人であり、簡単にその経歴などを知る事が出来たのだ、その右腕と評された人物の情報も、茅場同様簡単に手に入れられても不思議ではない。

 

 

「多分、七色博士のいる科学者の世界っていうのは、茅場の情報も愛莉先生の情報も、簡単に手に入れられる環境なんだろう。愛莉先生だって、リランやユイを作り出した天才って言って良いレベルのAI科学者だからな。有名だったんだろう」

 

「だけど、茅場晶彦の右腕だったんだね。イリス先生って」

 

「確かに、あの人の技術レベルはリランやユイを作り出すくらいだし、茅場自身自分の部下の話をした時、真っ先に愛莉先生の名前出してたからな。多分だけど、アーガスの中で最も信頼してたのは、愛莉先生だったのかもしれない。……本人はその事一切言わなかったけどな」

 

「でも、七色博士はイリス先生と会って何の話をするつもりなんだろ」

 

「さぁな。そればっかりは本人に聞いてみないとわからないけれど……これを聞いたら愛莉先生、なんて言うだろうな」

 

 

 あの有名科学者である七色が話を伺いたいと言っているという話を聞いた時の、イリスの反応は、何故だか容易に想像する事が出来た。恐らくだけれど、この話を吹っ掛けられたとしても、余程驚くべき事がない限りは動じないイリスの事だ。ふふんと鼻で笑う程度で、驚きもしなければ喜びもしないだろう。

 

 

「あっと、おにいちゃん。早く朝ご飯食べちゃおうよ。九時からログインの予定でしょ」

 

「おっと、そうだったな。早く食べてしまおう」

 

 

 そう言って、俺達は視線をテレビから朝食の方へ向け直し、こんがりと狐色に焼かれたトーストにバターを塗り、口に運び始めた。九時からは皆を集めての話し合いを始めるから、なるべく急がねば――そう思って、俺と直葉はそそくさと朝食を食べ進めた。

 

 

 

           ◇◇◇

 

 

「ほぅ。セブンがそんな事を言っていたのかい」

 

 

 ALO スヴァルト・アールヴヘイム 空都ライン エギルの店 午前八時三十分

 

 俺達は朝食を終えた後にすぐさまログインし、約束の時間の前に、集合場所であるエギルの店にやってきた。喫茶店の機能も備えているそこにはエギルの姿はまだなかったが、利用する事自体は可能であったため、そこに居させてもらう事にしたのだが、その時に俺達は歩く驚く事になった。

 

 店番NPCの姿がエギルの代わりに切り盛りしている喫茶店の中に、利用客の姿が三つだけあった。それは、朝のニュースで七色博士が会いたいと言っていたアーガスの元スタッフの一人であり、茅場晶彦の右腕と言われていたAI研究者である芹澤愛莉/イリスと、イリスが最初に開発した超高度AIであり、今は俺の相棒であるリラン、そして精神科医となったイリスの専属患者であり、俺の恋人であるシノンだった。

 

 俺達は三人を見つけるなり、軽く声をかけた後に近付き、ここに来た経緯などを軽く話したが、そこで俺は今朝のニュースの事を全てイリスに話したのだった。

 

 

「なるほどねぇ。今や世界でも日本でも大人気の七色博士が、茅場晶彦の右腕に会いたい、と」

 

「はい。茅場晶彦と一緒に開発をやってて、尚且つその右腕と言われていたAI研究者なんて、俺はイリスさんしか思いつかないんですけれど、実際のところどうなんですか」

 

 

 ニュースを見たあの時、俺と直葉/リーファは咄嗟にイリスの名前を挙げたけれど、あくまで予想でしかないため、本当の事かどうかは定かではなかった。ひょっとしたらイリスかもしれないし、全く別な人間である可能性かもしれない。

 

 しかし、俺はあの時、イリス以外の人間を、思い付く事は出来なかった。

 

 

「イリス先生……あなたは、本当に……茅場晶彦の?」

 

 

 専属患者であるシノンからの問いかけを受けると、黒髪の元精神科医は一瞬そこへ目を向けた後に戻し、深く溜息を吐いた。そして目の前のテーブルに置かれているカップを手に取り、中の紅茶を軽く口に運んだ後に、ようやくその口を開いた。

 

 

「……キリト君の言うとおりだ。私は確かにアーガスに居た頃は……いや、茅場さんと一緒に研究をやっていた時は、周りの連中にやたらと評価されて、茅場晶彦の右腕なんて言われていた。自慢じゃないけれど、アーガスのSAO開発課の中じゃ、AIを作らせたら、私の右に出る人なんていなかった。そんな私だったからこそ、私はマーテル……リランにユピ坊にクィネラ、ユイやストレアを作れたわけだ。

 けれど、マスコミとかの取材は、皆茅場さんが持って行ってたよ。一般大衆の興味はディレクターの茅場さんの方に集中してたから、私はいつも日陰者だった」

 

「やっぱり、イリス先生はそれくらいの人、だったんですね……だけど、なんでそれを話してくれなかったんですか」

 

 

 リーファの問いかけを受けるなり、イリスはその鼻をスンと鳴らす。SAOの時から見ている、イリスが何かを面白がっている時によく見られる癖だ。

 

 

「別に話すメリットが無かったからね。君達に伝える話は、私がSAO開発者の一人であり、リランやユイの生みの親だって話だけで十分だったんだ」

 

「だけど、イリスさんが話してくれれば――」

 

「俺達は茅場の事をもっと深く知る事が出来た――とでも言うのかい」

 

 

 これから言おうとした事をぴたりと当てられたものだから、俺は思わず驚いて口を閉ざす。イリスは俺の目をちらと見てから、椅子に深く座り、もう一度一口紅茶を飲む。そうして一息吐いてから、またその口を開いて言葉を紡いだ。

 

 

「確かに私は茅場さんの右腕と言われるくらいの研究者だったし、アーガスで茅場さんとかなり長い事話し合ったりもした。多分、アーガスの中で一番付き合いが長かったよ、茅場さんとは」

 

 

 次の瞬間に、イリスは少し俯いた。よく見てみれば、その顔には寂しそうな表情が儚げに浮かんでいる。――イリスがいつもは見せる事のない、珍しい表情だ。

 

 

「……だけど、そんな私にすら、茅場さんは何一つ自分の事なんか話してくれなかった。どんなに近付こうとしても、その都度大きな壁を即席で作り上げて、私の事を拒んでいたような、そんな感じだったよ。まさに神聖不可侵の領域だ。

 それでも私の事は、MHHP、MHCPを自分の作ったカーディナルシステムから作り上げた人って事で、かなり評価してくれてたし、実際私の事を右腕のように感じていたみたいだ。けれどそれだけで、私に踏み込ませもしなければ、踏み込んで来る事もなかった」

 

 

 イリスの言葉が止まると、喫茶店の中を重い沈黙が覆う。

 

 共にSAOを開発して、リランとユピテルを育てたイリスの事だから、メディアもマスコミも入り込む事の出来なかった茅場の心の中に踏み込めていたのではないかと思っていたけれど、そんな事はなく、茅場の事を少しくらい詳しく聞けるのではないかという俺の予想は大きく裏切られる事になった。……まぁ、最初から叶うわけがないだろうとも思っていたのだが。

 

 しかしその直後、イリスは顔を上げて、娘である金髪で狼耳のある少女リランと目を合わせた。

 

 

「リラン――いや、マーテル。君はどうだい。君は開発途中だった頃、茅場さん(パパ)から何か聞いてないのかい。事実上、君が一番茅場さんに近付いた子なわけなのだけれど」

 

「……!」

 

 

 イリスの言葉を受けて、リランの顔に驚いたような表情が音無く浮かび、耳がぴくりと反応を示す。確かに、リランはSAOに実装される前、茅場を父、イリスを母として教育されていたし、茅場もリランの事を本当の娘のように思っていたと聞いている。だから、もしかしなくても、俺達の知らない茅場の話を知っていても不思議ではないのだ。

 

 だが、リランは少し考えるように下を向いた後に顔を上げると、首を横に振った。

 

 

「残念だが、我もアキヒコの事は……父の事は何も知らぬ。父は我と一緒に居たとしても、自らの事は何も話そうとはしてくれなかった。お前達の持っている情報と、我の持っている情報は、そう変わりないだろう」

 

「結局茅場の事は謎って事か」

 

「そうだな。今思うと、本当に謎の多い父だったなぁ……」

 

 

 先程のイリスと同じような表情が、ぽつりとリランの顔に浮かぶ。恐らくだが、リランもまた、父である茅場の事をもっと詳しく知りたかったのだろう。

 

 しかし、茅場は何も話してくれなかったし、今はもう会えないに等しい状況……そんな今が、リランは寂しさを感じざるを得ないのだ。リランは、事実上茅場の娘なのだから。

 

 その時、イリスはくっと顔を上げる。その顔にはこれまで散々見てきた、余裕に満ち満ちた笑みが浮かんでいた。

 

 

「……それにしても、セブンも私の名前がわかるはずなのに、あえて出さないとはね。

 多分今頃、検索キーワードランキングじゃ『七色博士』が一位を取ってて、『AI研究者』ってワードが二位を取っているだろう。

 そしてそれを見たブロガー達は『七色博士が会いたがっているAI研究者は誰?』『七色の会いたい茅場晶彦の右腕の名前はなに?』みたいなタイトルを付けて、セブンの言った人物を予測し合っている頃だろうな。その中で何人が、私に辿り着ける事やら」

 

「……はい?」

 

 

 突然妙な事を言い出したイリスに皆が一斉にきょとんとする。

 

 その直後、イリスはカップを口に運んで、中の紅茶を飲み干してカップの中を空にしてみせると、「ぷへぇ」という声を出しつつ息を吐いた。

 

 

「そして今言ったように、私は茅場さんが物理学者兼SAOのゲームディレクターで、トンデモ科学者である事以外全然知らない。そんな私と何が話したいんだろうね、七色博士は。全く持って謎極まりないよ」

 

「えっとイリス先生、突然どうしたんですか」

 

 

 話を挿げ替えられてきょとんとしているシノンが問い、リーファが頷く中、俺はイリスの考えがわかったような気がして。

 

 イリスも皆も、茅場の事は全然知らないから、考えたとしても答えには絶対に辿り着けない。はっきり言って時間を無駄に使うばかりだ。それがわかったからこそ、イリスは茅場の事を考えるのをやめて他の話をし、皆を逸らさせたのだろう。――妙に潔いところのあるイリスらしい。

 

 そんな母の思惑に、俺と同じように気付いたのだろうリランが、ふふんと笑った。

 

 

「父についてこれ以上考えても無駄という事だ。もう、この話は終わりにするぞ」

 

 

 リランが要約したところで、リーファとシノンの二人は「あぁー!」と言って何かに気付いたような顔になった。きっとイリスの言いたかった事が、やっとわかったのだろう。

 

 そしてそれを見るなり、イリスは笑い、手をぱんぱんと叩いた。

 

 

「流石私の長女、そのとおりだ。さ、辛気臭い話は御仕舞にして、残り時間はガールズトークに勤しもう」

 

 

 男の俺がいるのに――そんな俺の事なんか一切気にせず、周りの女の子達――大人であるはずのイリスを含めた――は、所謂ガールズトークを開始した。

 それは皆がやってくる九時まで、延々と続いたのだった。

 


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